はてなキーワード: 退職とは
かれこれ20年ほど前、某ディーラーでコンパクトカーを買った。
当時の私は新社会人。会社も住まいも実家から離れ、車必須な地域だったので、就職してすぐの4月に大急ぎで契約した。
ディーラーの担当は、会社の先輩社員の知り合いらしく、手厚くもてなしてくれた。
新しい担当はやっつけ感がヒドい人だった。
実家に帰ることにした。
県をまたいでの就職だったので、車の登録情報を変えようと思った。
ディーラーの担当はなんだか信用できないのと、体調が悪いとは言え時間は余っていたので、自分で陸運局で住所変更した。
そこで判明したことがある。
車の所有者はディーラーだった。
ローンを組んだ場合、払い終わるまでは所有権がディーラーにあると聞いていた。
でも、全額現金で支払い終えている。
なので、言い分を聞くと
「慣例でこういうものなんです」
そうですか、現金一括で買った私は、あなたの会社から貸してもらってるの知らなかったんですね。
ここで、問題。正解はどっち?
1.最初の担当が「どうせ3月まで学生だったんだしローンだろ」と高を括って所有者がディーラーだった。そして、訂正するのを忘れてた。
2.本当にそういう慣例だった。私が世間知らずだった。謝罪の言葉を聞けてないあたり、間違ってるのは私。
どっちなんでしょうね。
私が所有権にこだわりすぎなんでしょうか。
技術がすごくても、そういうことやっちゃえって会社だったのかな(笑)
あの時の車を見る度に思い出します。
私が間違ってたのかなあ、、、
弊社のパワハラ上司、頭は良いものの個人主義でリーダーとしては全く向いておらず、今までに多くの人々を休職や退職に追い込んできた。
馬鹿だから真面目にわからないんだけど、フリーターって社会人じゃないの?新卒で1年だけ正社員だったけど退職して、訳あって今フリーターをしてる24歳独身だが、これって社会人とは言わないの?えっ怖、自分社会人だと思ってた、やばい?
掛け持ちの短期バイトで会う、2ヶ月くらいしか一緒に働かない同僚に「学生さん?」って聞かれたとき余裕で「や、社会人ですー」って答えてたけどこれは間違いってこと?「フリーターです」って答えなきゃいけないの?別に良いけどさ。別に良いけど。一応アルバイトで普通に生活できる程は稼いでるし社会にも貢献してますけど社会人と名乗ってはいけないんですか
祖母と電話で仕事の話になって「そのアルバイトってのは責任がないから楽なわけ?」と聞かれて何気にめちゃくちゃしんどかったけど、フリーターっておかしい?頭変?フリーターって、そんなにまだこの世で受け入れられていないのか?怠けてるわけじゃなくて一応あたしなりに夢を追ってるんだが?成果が目に見えてなければ、結果が出てなければ駄目なのか?もしくはその「夢」が他人にとって理解し難いものだったらダメなのか?無理だよ無理無理、
本当にその夢を叶えたいなら誰が何を言おうと突き進めとか言うけど無理だよ、そんな根性ありません。変ですか?変な生き方ですか?誰も味方してくれない
現状も父親が代表者なのであれば退職してもらって役員退職金を出す
数十年勤務してるのであれば数千万円単位で払っても税務上は許容される
それだけの退職金を払えば会社決算は赤字になるので株式の評価額はガクンと下がる
「数千万円なんて退職金払えない そんなキャッシュないよ」別にその場で払う必要はありません
たとえば決算書上で5千万円払ったことにして、父親が会社に5千万円貸し付けている形にすればキャッシュアウトはないですからね
嫁は結婚する前に激務の業務で潰されて鬱病になった(新卒で入った会社で働き続けて2回休職している)
体壊す前は幼少の頃から勉強漬けで努力して地元で良い高校を出てと、自分の努力や頭の良さに自負があるようだ
今までこんなに勉強した、こんなに頑張ったというのが嫁の言い分だ
昔はそうだったのかもしれない
体壊してからの嫁は統合職や企画職としての負荷に耐えられなくなっており、会社の温情みたいな感じで営業事務の担当に付いていた
そういう状況で結婚した
ただそこでも事務所の移転があり、チームを組んで移転するはずだったのだがリーダーが土壇場で代わりスタッフも異動で抜け、最初から残っている嫁にだけ業務が集中した
リーダーが決済承認すべき内容も、新リーダーがめんどくさがって他人に押し付ける性格だったため、承認権限がないのに営業事務の嫁が代わりに一人で確認し承認するという集中具合だったようだ
ひどい現場だったので嫁は発狂し3回目の休職になりそうになった
結局のところ嫁は退職した
ひどい現場、会社からやっと退職できて、家族はホッとしたというのが正直なところだ
これで落ち着いて自分に合っている会社、働き方を選べるようになっていくだろうと自分も思っていた
ただ勝手が違う業態に派遣で入リ、そこが教育できるような現場ではなかったため、即戦力を求めてたお局さんから虐められて派遣先を辞めた
つい先日、嫁の昔の同期女性(新卒での同期)がとあるベンチャー上がりの会社の取締役になっていた
嫁は自尊心を傷付けられたらしく、同期のあの子は取締役になってるのに私は働けてもいないとメソメソしている
私はこんな人間じゃない、とある会社の取締役になれるような人間と同期だったぐらいにレベルが高い人間だったのにと言っていた
でも私は知っている
書き方が分からないというよりはPRの仕方、何をPRすればいいのかというのが全然分かっていなかった
自分が努力したこと、達成してきたことを淡々と客観的に書き連ねていけばいいのに
営業事務になる前の統合職でやってきたことを書くだけでもちゃんとした内容になるのにだ
嫁は自分がどういうことをやってきたのかを客観的に見ることができないようだった
本当に自分が努力してきたと思うなら客観的に職務経歴書を書けるはずなのに、嫁はそれがまともに書けない客観視してまとめることができない
今の嫁はプライドだけが高すぎて自分を客観視することもできないし、客観視できないからプライドだけが高くて冷静に判断し行動することもできない
この状況で離婚すると自立していない嫁は生きていけなくなるので情でいまも結婚生活をしている
結婚しなければよかったと後悔している
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
エンジニアやってると確かに周りはいわゆる空気が読めないとされるタイプの人間が有意に多いと思う
ただ、逆に空気が読めないからこそ上層部のそのサービスなんかへの熱量的なものには人一倍に敏感なような気がする
ここんところ自社他社含めてエンジニアの退職が続いていて、話を聞いたほぼ全員がリーダー|部長|社長のサービスに対する熱量の下がりを敏感に捉えて先がないと判断したとのことだった
増田です。
ちょっと身辺落ち着いたので投下させて下さい。
https://anond.hatelabo.jp/20200314011635
端的に話しますと前エントリに言及した刑事事件の件、加害者(元上司)が死亡しました。
心不全と聞いたけど被害女性の訴えが明るみに出たタイミングだったので
辞めた理由ってのは前エントリ通り漆黒な組織っていうのもあったんですが
最終的には加担したことにして一緒に劣悪な僻地に飛ばすつもりでいたことも判明しました。
自分もこの上司の被害には遭ってたし(暴力、暴言、仕事しない)、
どうこいつ(自分)を扱っても壊しても構わないという魂胆が透けて見え
最後にはこの組織が気持ちが悪くて、恐ろしくて、裸足で逃げ出したようなものです。
最終的に退職金と給与が入金された後、「二度と関わらない」という証書にサインさせて、
2年間、健康診断を受けさせてもらえなかった弊害か体に異常が見つかったのですが、
心配性かつ理解ある上司のおかげで不定ではありますが在宅をさせて貰ってます。
会社組織に抗うという不利な理由で退職しましたが今いる組織にも離職の理由は伝えて、
また、劣悪な前職の中で必要に迫られ必死に取った一定数の資格技能が、
こんな風に転職を助けてくれるとは思いませんでした。
今思うとかなり環境に毒されていたのですが
懸命に置かれている場がおかしいことを訴えてくれた友人たちのおかげで
心身ともに壊される前に人生を再開できました。
トラバでどなたかが仰っていましたが幸せになるからな。という言葉は多分呪いだと思います。
20代後半まで勤めてた会社が最悪だったけど、自分はスキルもなにもないのでここでアルバイトをし続けるしか無いと思ってた。
その会社では使えないやつと思われていたが、転職したところ成長株扱いされてものすごく褒められるようになった。
最初の会社は就活中に金を稼ぎたいからアルバイトで入った会社だった。
最初に書いてあった業務内容が趣味としてやっていた内容で、これなら気軽にできるし就活に金を使うから少しでも稼ぎたくてで入った。
その後就活は失敗、どこにも内定が出ないまま、大学を卒業しずるずるとその会社に勤めていた。1日8時間。普通の社員と同じだけの時間だがアルバイトだ。
親族経営で、社員が10人程度しかいないがそのうち3人は社長の親族だった。社長と副社長が親子で、経理が副社長の妻といった、本当によくある親族経営だ。
アルバイトとして入った業務内容は、ずるずると長期間やる必要があったが1日の仕事量はそれほど多くない内容だった。
うまく説明できないんだけど、ランチタイムだけ営業しているカフェの厨房業務とでも言うのか。そんで会社自体はそのビルの警備業務がメインとでも言うか。完全に例えで実際は全然違うんだけど。
とにかくそんな感じで、俺のやっている業務内容は会社のメインの業務とは全然違ったし、なんならその部署というかその業務をしているのは俺だけだった。今までカフェは空間はあるものの誰も整備もなにもしていない状態で、俺が入って初めて厨房にガスコンロが置かれたようなありさまだった。
結果的に、俺はバイトとして入った理由である厨房業務から、手があいたときは警備員の業務を手伝うようになった。
どの車をどこに案内すればいいのかわからない。どの人が不審者か見分けがつかない。車種がわからないのであの車が来たかと訊かれても答えられない。何もわからない。
上司からはひたすら使えないやつとして見られていたのがわかった。そうだろう。俺だって俺みたいなやつが部下にいたら使えないと思う。同じようなことを何度も何度も訊くしミスも多い。
最終的に、単純作業なら良いだろうということで、俺は警備で使う機材の整備などをおこなう仕事も多くなった。
本来は2人で1時間かけてやっていた内容を俺1人で3時間ほどかけて行った。そりゃそうだろうな、鉄の棒2mあるやつを2人で運ぶならばまだできるけれど1人で運ぶのはきつかった。ここで腰を悪くしたりもした。鉄の塊10キロを台車もなしに運ばされたからな。
けれども車が多く来る時間帯は警備員業務に回されるしミスをして上司が嫌そうな顔をする。だったら俺に回すなと思う。厨房に帰らせてくれ。
この時期には厨房業務は8時間のうち1時間くらいになっていた。カフェはそれでも回っていた。客がろくに来ないが、それでも少しずつは来るからやめられないという状況だった。
やめようとは思ったことがなかった。
俺はスキルが無い。厨房も趣味としてやっている程度でプロと比べたら全然だろう。だからここをやめたらこの業種で働くことは出来ないだろう。また、1人で好き勝手やれるのも気楽で良かった。
社長は厨房について何も知らないが自分は詳しいぞと社長仲間に見せたいため、俺がヘルシオを買ったほうが良いといえば買ってくれたし、電気圧力鍋だろうと食洗機だろうと買ってくれた。俺以外に使える人間なんていないのに。
俺以外の連中ができるのはせいぜいが電子レンジで温めるぐらいで、調理といえる調理は何も出来なかった。
俺がいなくなったらカフェは終わるだろうとわかっていたのでやめたくないと思っていたのもあった。
会社に対する愛は無かった。
近くに出来たイオンの駐車場がハイテクだという話を1ヶ月に3回は聞いた。社長がクリスマスに床屋にいったところ床屋も急いでいたのか冷ましていないタオルを顔に当てられてやけどするかと思ったという話も、クリスマスが近くなると週1でされる。そこで働いている社員全員の出身中学と高校と大学、現在住んでいる家のだいたいの場所、残ローン年数、家族、家族の仕事まで全部強制的に知らされた。NHKの集金から逃げる方法などは何度も語られていた。
興味がない内容すぎて眠くなるのに無理やり相槌を打つのは意味がない仕事だった。その間にも警備員の業務は溜まっていく。
友達には転職してみたら?と遠回しに言われることは何度かあったが、俺は俺のスキル的に転職できる場所などないと思っていた。就活時期に失敗したのもある。内定どころか面接にすら1度たりとも進めなかった。俺が正社員になれるわけがないと思った。友人たちは優しいからお前なら大丈夫と言ってくれているのだと思っていた。
友達の欲目だ。俺にスキルなんてない。上司にお前は使えないやつだなと態度で示され、他の同じ仕事をしている人たちがお茶をしている時間に一人鉄の棒を運んでいたのだ、自己肯定感など無い。カフェの仕事は進むが、特段俺の作ったメシが旨いと言われることもないので誰がどう思っているかなどなにも知らない。
そんなとき、とある人に酒を飲んだ流れで給料の話をしたところ、転職したほうが良いと進められた。転職について詳しい人で、おすすめのエージェントも教えてもらった。現在俺が厨房でしている内容を話したところ、それなら転職できると言われた。
この人は俺の友達ではない。ネットで出会っただけの人だ。俺は一方的に尊敬しているがこの人は俺に対して好意がどれだけあるか知らない。つまり友人の欲目はない。
その状態でも俺の給与は低いし、俺は転職できるかもしれないスキルがある。
驚いたし、ありえないと思った。
このときすでにアルバイト先では5年勤めていたが、俺と同時期に入った俺より出来る先輩がちょうど正社員にしてくれる会社があったからと辞めていった。あの人すら正社員になれないのならば俺もなれないだろうと思ったのもある。また、GWの休みで給与がどれだけ減るかと恐ろしくなったのもある。盆暮れ正月GWがある月は、手取りが10万を切る。
転職は難航した、ような気がする。
基本的にアルバイトしかしたことがない場合、正社員と同じ時間働き、同じだけ残業し、同じだけの責任を負わされていても、扱いはそれでもアルバイトだ。職歴があるとはならない。アルバイトという名の無職のようななにか扱いだ。
エージェントによっては社内選考で弾く対象なのだろう、同じような文面でお祈りメールが来まくる。
しかし、偶然とある会社で内定が出た。厨房業務に興味があればいい、厨房で働いたことなんてなくたっていい、明るく元気な職場です、ただし作る食品がちょっと特殊です、という会社だった。
業務内容的に転職は難しいだろう。作るメニューが特殊だ。例えばあんこう料理のような、他ではあまり活用する場所の少ないようなものだ。次の転職は難しいだろう。
しかし、正社員だ。今はGW前だ。月の手取り9万は嫌だ。俺はそこの会社に行くことにした。
会社にやめますと伝えたとき、特に何も引き止められなかった。あの厨房はどうなるんだろうなと思った。俺しか使えないヘルシオや食洗機は誰も使えないままなのか、それともいちから取扱説明書を見てなんとかするのか。
おそらくは埃を被るだけだろう。俺が入るまで3年間、ある程度設備の整った厨房をそのままほったらかしてカフェもなにも使わずに放置していたと聞いた。アホだと思った。
新しい会社に入った。あんこう料理は今までやっていたカフェのメニューとは全く違い難しい。しかしまあ、同じ包丁とまな板を使うものだ、なんとかなるだろうと思った。
なお、入社してから半年後ぐらいに大型のあんこう料理イベントがあるため、それまでにあんこう料理をマスターしてくれと言われた。冗談だろう。
新しい会社では、上司は俺をバカにしなかった。使えないものとして見なかった。俺がなにかわからな箇所を聞いたときにちゃんと教えてくれた。嫌そうな顔をしなかった。同じことを聞いても教えてくれた。上司だけじゃなくて他の人もそうだった。わからないものは誰かに訊けばわかった。警備員の業務と違い調理業務なので俺もやっていて楽しかった。腰を痛めなくなった。あんこう料理も楽しかった。徐々に自分ができることが増えるのが面白かった。前は日1時間程度の残業があったのに新しい会社は無かった。前述のあんこう料理イベントの時期だけは休日出勤もして月40時間ほど残ったが、上司が気にしてくれたり、社長がご飯をおごってくれたりして嬉しかった。できると褒めてくれた。褒めてくれることがたくさんあった。わかりやすかった。飲み会が嫌じゃなくなった。上司とお酒を飲むのが楽しかった。同年代の人も優しかった。年下の先輩という微妙な立場だろう人も訊けばなんでもわかりやすく教えてくれた。相手の腰が低すぎて申し訳ないぐらいだった。なおここも親族経営だった。親族だからと社長の息子が低賃金でめちゃくちゃ働かされてた。社長の息子の給料を上げろ。親族経営は前の会社で親が息子に甘すぎて最低だと思ってたのに全然違った。楽しかった。
俺は出来ないやつじゃなくなった。上司に嫌な顔をされる相手でもなくなった。期待していると、世辞か冗談かプレッシャーをかけるためか、なにかわからないけれども言われるようになった。
俺のスキルごときでは転職できないと思っていたが、転職は出来た。年齢的な期限があったのもあるだろう。ちょうどこの会社があんこう祭りを前に人手不足だったのもあるだろう。だとしても、良い会社に入れた。
前の会社は合わないと思いながらもずるずると5年もいたが、新しい会社は働いていて楽しい。
会社が合わないと思ったら転職したほうが良い。もしくは友達に相談して言われた内容を信じたほうがいい。友達の欲目があるだろうと思ってしまうなら、第三者に相談したら良い。それでもやばいと言われるレベルなら転職したほうがいい。できるから。俺も出来たから。
・最後の給与支払い忘れ(給料日過ぎて2週間経っても入金されないから確認したら社長に「忘れてた」って言われた)
・源泉徴収票をくれと伝えたら昨年のを渡される
・正しい源泉徴収票を取りに直接向かったところ、厨房のリニューアルについて相談される
有給の概念もなく、社員もアルバイトも等しく休んだ分は給与引かれる会社だったし、他にも色々あったから労基に突っ込んどけば良かったなと今になってみると思う。
若社長と会長からのありがたーいお説教のお言葉がどうにも心に響かねぇなぁ。と思った理由がわかった。
もともとこの会社で財務・人事関係の仕事をしていた父親が体調をくずし、引き継いでほしいと頼まれてこの会社に入社した。
調子の良い性格の若社長と会長に良いように使われる気配しかしない。ゆえに、はじめは断っていたのだが、父親の体調がどうにもこうにもならず、他の候補もなく。
一生懸命頼んでくる父親に、親孝行の一つもしなければならないかと、苦渋の決断で入社した。
結果は半分成功、半分大失敗だ。
ただ、ある程度裁量が出来る立場と、奇跡的に今までの職歴がいかせて、周りや、自分自身が驚くほど色々な仕事をこなす事ができている。
幅広い仕事を振られて、成長ができたのは事実だ。そこは感謝している。
世の中の流れに反して、ウチの業績は右上がりだ。
その結果、何が起きているのか。
表面上は良いのだが内部は成長が無いのだ。
昔いた資格者がどんどん定年で辞めていく。
やる気があった若者が「もう頑張れない」と辞めてゆく。
若社長と会長は、当然やる気がある若者を引き止めようとするが留めきれない。
当たり前だ。
私は立ち場を利用して強気に無理だと言うが、それでも「頑張れない」と思うくらいだ。
真面目に、がむしゃらで頑張っている彼らはそんな事を言えない。それに気が付かず、休ませる機会を作らずに「大丈夫、もっと出来る頑張れるお前なら出来る」と言う馬鹿にどうして付いて行けるのか。
資格取得の支援や、稼ぎたい者や、家族との時間を優先したい者等を確認して、今後の体制を整えないと行けない。
別に給与が貰えれば会社がどうなろうとどうでも良い。と、割り切りたいところだが、なかなか人間、そう簡単に非情徹することもなれない。
立場的に、偽善もあるのだが、若社長と会長に苦言を言わざるを得ない。
その結果が「お前の言い方はキツイ。そんな言い方を俺達(会長、若社長)に対して言ってるのを聞いたら、他の社員からお前はどう見られるのかわかっているのか」である。
……言い方がキツくなっているのは認めよう。
何故なら若社長と会長に嫌悪感を抱いているからだ。きっとそれが滲み出てしまっているだろう。
「もっと思いやりを持って、優しく言ってくれたら聞くのに。周りの社員はできてるのにお前は…」と、彼らは言うが、他の社員は貴方がたが怖いから言えないだけである。
正直な話、私は社員から会長と若社長が話を聞いてくれない、言ってる事がコロコロ変わる、支持が曖昧で分からないと、愚痴をずっと聞かされ続けている。
何故こんな愚痴が自分に寄せられるのかと言えば、私だけが若社長と会長に物を堂々と言えるからだ。
父親には悪いが、私はもうこの会社を辞めたくて仕方がないので、会長と若社長の機嫌を損ねる事に躊躇いがない。しかしながら会長と若社長は、私が不正を働いたり、怠ける程の度胸が無いからと重要な仕事の大半を私に引き継いでしまったので私を手放せないのだ。
何故自分は、こんなにも会長と若社長の言葉をスルー出来るのだろうか。
もちろん退職したい気持ちがあるからもあるが「お前は冷たい、周りにも冷たいと思われているぞ」と言われて、普段の自分ならもっと傷つくところである。
そして気がついたのは彼らの言葉はあくまでも私を慮って言葉に気をつけろと言ってるわけではなく「だから俺たちに優しくしろ」が後ろにつくからだろう。
また「私は従業員に冷たくしたり、理不尽なことを言っていますか?」と尋ねれば、彼らが「それはないが、きっと周りはお前を二重人格者だと思ってる!」と端切れ悪く答えるからだろう。
結局、彼らは自分を、甘やかしたいという事しか考えていないと思って私は苛立ち、そうして傷つくことが無いのだろう。
怒りというのは強い盾だと最近思う。
私は常に彼らに「私に対して〇〇をしろ」と言ってるわけではなく「もっと従業員の言葉を聞け」と言っている。
何故私は自分では無く、他人の為にこんな事をしているのか、しばしば不思議な心地になる。
まあ、結局は己がいる環境を快適にしたいゆえの行動なのだろう。
とりとめのない話になった。
平行線の様な会話をいつまで続けるのだろうか。
彼らは変わるのだろうか。
私の言い方を変えれば、彼らは変わるのだろうか。
苦言を辞める事が出来れば、徒労を感じて疲労する事も無いのだろう。
それが出来無いのは、所詮、自分は従業員に頼られていると言う優越感と負い目を感じているのだ。
=====
追記しておく。
しかしながら世にいう外様と言うもので、立場は上記のとおりである。果たして会社が潰れた時に、法的にどの位の経営責任を取らされるやら…その前に退職できる事を願う。
問題は会長も認める若社長の営業力はあるのに経営力の無さだ。会社内での求心力の低さや、散財の多さを、どうにかできるか、それに今後はかかっているだろう。
親族経営は私の場合は身内だからこそ余計に耐え難いが、どうしても他人より、謎の甘えが働くのも良くわかる。
そして、仕事なのに家族と接すると言う状況に使った結果、不思議な事に従業員の事を家族と言いだし、家族と同じ様に従業員に甘えが出始める。
職場の先輩が今年いっぱいで退職することになった。すでに新しい職場が決まっていて、年始からそこで勤め始めるという。
良い先輩だった。うちの職場はどうしようもないところで、労働環境が劣悪というわけではまったくないんだけど、もう空気が遅滞して弛緩しきっていて、ベテランの多くは勤務時間中でもネットサーフィンか駄弁ることに余念がない。じゃあ若いやつはどうかというと、こちらも俺含めてみんな自堕落で、「いや、この状況ってどうなのよ?」って間違いなく感じながら、新しい案を出すこともなく、次の職場を探す勇気も能力も自身の中に感じられず、入職して日が経つ者から順番に、抱いている葛藤を徐々に気楽な方に傾けながら、「適当にこなして給料もらえるならその方がいいよな」というところに落ち着いていった。
先輩はその中で、ほぼ唯一の、気を吐いている人だった。空回ってしまう寸前のところでバランスを取りながら、保守的と言えば聞こえはいいが、単にものぐさが染みついただけの上司を上手く転がし、取り組んでいる事業について、ここで向こうの言い分を呑んだら二度といい潮目が来ない、というラインでは相手が誰だろうときっちり反駁し、戦っている人だった。俺は自分ではそうなれなかったが、尊敬していた。
その人が辞める。もちろん衝撃はあったが、遅すぎたくらいだな、とも思った。この人にとって、ここにいた期間は長すぎたくらいだ。
まったく関係ないが、地元でずっと愛顧してきた店が区画整理のために閉店することになった。別の場所で再開することもないという。コロナウィルスの影響もあるのかもしれない。接客業だから、なんの関係もないことはないだろうし、それであれば来年以降も明るい展望はないだろう。良いタイミングではあるのだが、その転機のわかりやすさ、抗いようのなさがなんだか悲しい。
俺はさびしくて仕方がない。先輩が一人、ひいきの店が一つなくなるだけなのに、体の密度が半分くらいになって風が好き放題通り抜けるみたいだ。
なんで俺を置いてどんどん変わっていってしまうんだろう。俺なんて、今そこにあるものを受け入れて、認めて、慣れていくのでいっぱいいっぱいなのに。周囲に漫然とあるものを恐々見ながらその良さを探すのが俺の限界値なのに、あっさり色んなものが変わってしまう。
あるいは、この感覚の正体は、ずっと停滞し続けている俺の自覚に対する、遠回しな自己批判なんだろうか、俺はこうやって、自分にもわかりにくいかたちで、のんべんだらりとやってる場合じゃないぞ、と喝を入れているのだろうか、とも思うが、やっぱり一番はさびしさだと思う。さびしくて仕方がない。俺の周りの何にも変わって欲しくないが、どうしようもない(人には人の都合がある)。
本来は書くべきではないのかもしれないけれど、身体に毒というか、ずうっと抱えていける自信がないので吐き出させてほしい。タイトルに書いてある通り、じいちゃんが自殺した。事の顛末はけっこう複雑だ。じいちゃんとは一緒に住んでいて、ばあちゃんとも一緒に住んでいた。じいちゃんとばあちゃんはあまり仲が良くなくて、しょっちゅう喧嘩をしていた。殴り合いとかではなくて口喧嘩。口喧嘩をして、まあお互い別々の部屋に移動して、みたいな感じ。喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、それとはまた違う感じ。退職してから家庭内管理職みたいな感じでいたから、なんというかばあちゃんを監視しているようなところもあった。殴る蹴るの暴力とはまた違うけど、どこ行くんだ、いつ帰ってくるんだ、とかネチネチネチネチ嗅ぎ回られたら相当ストレスがたまっていくと思う。あんまり細かく書くと特定が恐いので書かない。じゃあそもそも書くなって話になるかもしれないけれど、その辺はまあ許してくれ。まあそんな風に不仲なのだがある意味いつも通りで、仲が悪いのが当たり前みたいな感じだったんだ。それがある日、急にじいちゃんがおかしな行動を取るようになった。何をしでかすかわからないから親戚の家に居候させてもらうことにして、ばあちゃんと避難した。ああちなみに両親も一緒に住んでいて、両親はホテルへいくことにした。いや本当はもうちょい違う感じなんだけど、なんかもしかして凄腕の特定班がいて特定できちゃうんじゃないか?とか考えるといろいろと細部は違う感じに書いておかないと恐い。という感じで少し実態と離れた説明になっているんだけどじいちゃんが危険だということで避難した。避難したのはケーサツの支持に従ったためだ。逮捕して勾留してもらって強制入院とかそういう流れになるんじゃないかとか思ったんだけど事件性がないとそーいうのは難しいらしい。あなた方がすぐできるのは身の安全を守ること、つまり避難です、とのことだった。で、避難をして、ご飯づくりとかをばあちゃんに任せきりだったじいちゃんはご飯を作れないので介護か何かをしてもらう必要がある。のでそういう施設に相談へいったり入院させてもらえるところはないのかとか調べたり、まあいろいろと考えてみんな頭を抱えながら過ごす感じになった。で、家族と反りが合わな過ぎて面倒をみるのは難しい、本当に申し訳ないが力を借りたい、介護の調査をしてもらうぞー、という段になって家にいったらじいちゃんは死んでいた。うーん、うーん、おいおいマジかよという感じである。さんざん家族のことを自分のワガママでメーワクかけて振り回しておいて、いざ一人ぼっちになったらそれですか。逃げんじゃねえよという怒りなんだか悲しみなんだかよくわからない感覚になった。すげーーーーー疲れた。救急とケーサツに来てもらって、誰かに殺害されたわけではないってこと、事件ではないっことを確認してもらって、葬儀して、おわり。認知症か何かのビョーキですかとおもったりもしたけど、受け答えはけっこうハッキリとしていてイジワルすることに頭の回転は早くて、脳みそに以上がある感じではないような、という印象で。ばあちゃんへの態度とか言葉とか、あれはDVだったんじゃないかといまでは思う。で、あとで調べてみるとそういう被害者女性を匿う施設とかがあるみたいで、なんというか、もっと早く知っていれば相談してそういうところに避難してもらいながらじいちゃんの目を覚ますというか、アンタDV加害者なんやで、という自覚をもってもらうというか、そういう方法でじいちゃんばあちゃんの不仲をちょっとはマシにできたのではないか、と思う。そうなんですよ、ああいつもどおり不仲ね、という状態は知らない間に深刻な状態になっていて、それでも放置していたらこうなってしまったという責任感?みたいなものも少し感じていて。当事者同士の問題は自分らで解決せえよという気持ちも無くはないけど冷静になれない人たちはいつまでも冷静になれないから仲裁役を買ってでて何かできたことがあるんじゃないかとも考えたりもした。でも孫の自分がやるべきことなのか?どっちかってーと両親の代でやるべきことなのでは?なんてことも考えて、じゃあ私はおまかせするということで、みたいな感覚で過ごしていた。知らんぷり、というわけでもないけど、自分らで何とかしてくださいね、と思っていたらなんかもう手に負えない状態になってしまってた。こーいう問題ってたぶん他の家庭でも起こりうると思っていて、退職→家庭内管理職→エスカレートしてDV というコースに進んで事件になってしまう前に妻のほうが我慢せず相談できるような仕組みがあったらいいなと思うのだ。こういう家庭の事情はみっともないからおおっぴらにし難いというのもあって、表沙汰になりにくい。たぶん。ワイもこうして匿名にしてぼかして書いているし。だからもっとおおっぴらにしやすい雰囲気になったりスマホでサッと相談できたり、地上波のゴールデンとかでDVのこと取り上げたりビラを配ったり、当事者でなくともその周辺の人たちにも周知したりまあとにかく高頻度で接する機会をつくってなんとか防げないかなあと思うのであった。入り口は自殺の話だったけどいろいろ考えてたらもしかしたら誰かの参考になるとういうかうちも似た事情やねんという方がいたらこの愚痴だらけのなかにある幾ばくかの逃げ道逃げ方避難の仕方とかを見て事件が起こる前になんとか解決に至ってくれたらそれはもう御の字であると思うのでしたまる
40歳になった。短大卒業後に就職氷河期で仕事がなく、25歳のときに給食センターの正社員になったけどブラック労働で退職した。いつか景気が良くなれば正社員になれると思ってたけど、結局30代は派遣やパートを転々とした。
生活は苦しくなるばかり今まで自己責任が染み付いていて、政治にも興味がなかったし、平日は仕事なので選挙も行ったことがなかった。
そんな時にYouTubeでれいわ新選組山本太郎さんの演説動画と出会った。
それまで知らなかった真実に衝撃を受けて、毎晩山本太郎さんの動画を見るようになった。
みんなに動画を見てほしいけどとりあえずこれだけ知ってほしい!日本の真実
↓
・日本に借金はない(国民一人あたりの借金はウソ)。国債は国民の資産
・消費税は上げる必要なかった。社会保障ではなくお金持ちや大企業のために使われてる。本当は消費税は廃止しても財政破綻しない
・日本政府は通貨を発行できるので、本当はお金は増やせる。財政破綻はしない。100兆発行してもインフレにもならない。
・派遣会社の会長(竹中平蔵)が小泉政権で派遣法を改正して派遣を増やした。派遣会社が儲かった。
・テレビが小泉の改革を素晴らしいことのように伝えて国民が騙された。非正規労働者が増えて正社員になれなくなった。(竹中の関与)
・郵政民営化で貧しくなった
・テレビ局は大企業がスポンサーなので大企業に厳しい政治家、真実を話す政治家はテレビで流さない。
・国民の手に渡るはずのお金はすべて一部の金持ちと大企業へ→国民は働いても給与が安く税金を取られる。その税金は金持ちへ。
こんな感じで、失われた30年間でどんどん国民は洗脳され、貧しくなり、格差は広がり、自殺者も増えている。
昔の日本は消費税もなかったし、真面目に働いたら家を買えたし、企業が面倒を見てくれた。
しかし現在進行形で、どんどん国民が貧しくなり、お金も自由もなく、国家に監視される政策が進められています。
↓
・スーパーシティ構想(国家に監視される社会。規制緩和が進み仕事がなくなる)
・公務員削減(派遣会社を儲けさせるための政策。公務員は増やすべき)
・ベーシックインカム(年金や生活保護や医療保険が廃止され、病気になると貧乏人は死ぬ)
・デジタル化(規制緩和され、仕事を奪われ、資産家や経営者だけが儲かる。)
これらはまるで良いことのように宣伝してますが、本当は国民を貧しくしてデフレにして新自由主義にコントロールするための政策です。
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして先日、50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
妻が退職するんだけど、そこそこな金が振り込まれることになった。とりあえず口座に入れといたんだけど、今後どうすべやと思っている。
38、都内賃貸、子供あり。今回の金が入ると2500万ぐらいになる。
ほとんど投資周りはやってこなかった。家はいろいろリスクある気がしてて買う気がない。何も考えずインデックスやっとけという話なんかもしれんけど、昨今は明らかにバブってて、いつかダメになるでしょという気しかしなくて、なんか今始めるのもなー感がある。けど、それでもいいから始めとけというのが正しいのかもしれん。悩んで変なとこにぶっこむぐらいなら動かないほうがいいやねと思いつづけていまがある。自分ならこうするぜ、というのあれば教えてほしい。