はてなキーワード: 誰かのためにとは
正直、2月以降ずっと、いわゆる緊急事態宣言レベルの自粛をずっとやってる。
みんな、感染させないようにひっそりと、政府の言うとおり、行政の言うとおり行動している。
神経質に手を洗い、外から帰ったらうがいをし、外出先ではマスクをつけ、顔を触らないように、注意深く、毎日を生きている。
なのに、なんで感染が拡大してるんだろうか。
そう思うとつらい。
やりたいこともやらず、食べたいものも食べず、遊びにも行かず、「誰かのためになる」と思って自粛をしていた。
しかし実際には、「誰か」が抜け駆けして遊びまわり、ウィルスをばら撒いている。
遊ぶなとは言わない。「危険な行動を回避できる」方法はもうわかっているのだ。
だというのに、それを無視してウィルスをばら撒いてる「誰か」がいる。
自分はというと通常のイベントはほぼ中止。どうしても開催するときには神経質なほどの距離と消毒を繰り返して、それでも閑散としてる。
自分の好きなイベントのほぼすべては中止になり、コミケも、ライブも、無理だった。
外食もテイクアウトが大半になった。(そもそも外食する人間じゃなかったけどさ)
日常の楽しみがほとんど消えた。ハレの日の楽しみなんか夢のまた夢だ。
そういう普通の人間が、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、という横で、酒を飲んで遊ぶ業界が、3密でマスクを外して騒いでいた業界が、感染を広めた。
正直悔しくて悔しくて仕方がない。
こんな連中が、なんで俺たちの努力をむしばんでるんだと心底腹が立ってる。
しかし、最前線で戦ってる感染症対策を頑張ってる行政の人たちが
「やっとなだめすかして協力を得て検査を受けさせたんだから責めないでくれ。騒げばこいつらはまた地下に潜る」
と、言っているのだから仕方がない。
一番腹が立って、悔しい思いをしている人たちがそういうのだから、仕方がない。
文字通り仕方がない。
そういう場所に行って感染を広めるバカな連中を火炎放射器で焼き殺すわけにはいかないのだ。そこは人間としての超えてはならない一線なのだ。
そういう迷惑極まりない行動を、最も許しがたいと思っている医療従事者は、自分の務めを全うしている。
ワイドショーの無知蒙昧なコメンテーターに無能だのバカだの言われていても自分の務めを果たしている。
最近旅行関係の対策としてGotoが話題だ。この政策は、立案当時、きちんとみんながお行儀よくしてたら恐らく可能だったのだろう。
しかし、いまは難しいだろう。いまは怖い。Gotoに行くとして、それが感染を広めたら、誰かを感染させたらと思うと、行けるものではない。
毎日を、息苦しいマスクをし、神経質に手を洗い、他者との距離を取り、そして、今日も生きている。
家に帰って、マスクを外し、衣類を洗濯し、神経質にシャワーを浴びて、やっと自分に戻れる。
「お前らは感染をばら撒く業種だけどフォローしてもらったじゃないか。なのに旅行業界が助けてもらうときには石を投げるのか」
と怒られていた。
疲れている。
自粛疲れだけではない。
マスクをして毎日を過ごすというのは、こんなにも大変なことだったのか。
感染しないように、感染させないようにおっかなびっくり毎日を過ごしている。
悪徳経営者のように、「コロナなんか知らねえよ。俺たちは生きて行かなくちゃいけねえんだ。俺たちは酒飲んで騒ぐのが仕事。それで感染させても国が悪い」
と開き直れたらどんなに楽だろうか。
いっそのこと、知らないうちに感染してしまいたいと思う気持ちが最近出てきた。
知らないうちに感染して隔離され、病室に閉じこもることをよく考える。
息苦しいマスクを外したいといつも思う。
マスクは自分が感染しないためじゃない。「誰か」に感染させないためのものだ。
「誰か」が抜け駆けをして遊びほうけても大丈夫なように努力してるわけじゃない。
自分勝手な人間がもう少し多ければ、おそらくNYの様になっていただろう。
同調圧力だとかムラ社会だとか批判されているアジアのほうが対策が上手く行ってるのは思わぬ誤算だった。
しかし、苦しい。
やたら攻撃的になり怒り狂って馬鹿なことを本気で主張して、始終他人に喧嘩を売り歩いていく人が増えた。
コロナ前まではそんな人ではなかった。
皆、狂っていってる。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
ここ最近、同人女界隈の神や信者のクソデカ感情がTLを賑わせている。
大抵みんな「神を崇める気持ちは分かるけど、気持ちの押しつけは良くない、神だって人なんだから好きに活動していい」って感想とともにRTしてるし、自分も似たような感想を呟いている。
そんなTLに、相互フォローの神フォロワーから自分宛てのリプライが表示された。
さっきまで、神作家のお気持ち表明に同意したり、別ジャンルにいた時信者が暴走して大変だったとか言っていた神フォロワーが、数々のお気持ち表明内でしんどいタイプのメッセージとして挙げられる内容を、自分にリプライしてきて、私は動揺した。
自分が神だと崇めていた存在にいつの間にか崇められていた、というほんの少しの喜びや、この人今までのクソデカ感情テキストを本当に読んだのかなという困惑、そしてたかがリプライ一つで過剰反応し過ぎなのでは、という自己嫌悪など様々な感情が浮かんだ。
でも一番は、面倒くせえーーーーーーーーーーーーーーーーうるせえ私が消したくなったから消すんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという叫びだった。
素晴らしいA×Bを生み出す人がいる!と速攻フォローしに行ったのが、神フォロワーと私とのファーストコンタクトだった。
ちなみに、ジャンル自体もマイナーだが、A×Bというカップリングもジャンル内でマイナーな存在である(B受けの殆どがC×Bばかりで、ジャンルの覇権カプはB×Cだった)。
ありがたい事に、神フォロワーはフォロー返しをしてくれた上、私の作品に対して感想までくれた。
神から感想を賜われるとは思っていなかったので、ものすごく舞い上がった。
実を言うと私の本命カプはA×Bではない。
本命はD×Eだ。
推しのDくんはAやBと同じグループ・X所属なので、A×B作品にDくんが登場する事が多い。
それ目当てでA×Bを読み漁っているうちに、神フォロワーの作品に出会ったのである(マイナージャンルは少しでも推しが出ていそうなカプは全部チェックしないと他人が描く/書く推しに出会えない)。
だから神フォロワーが感想をくれたのは、本命カプのD×Eではなく、私が書いたグループ・Xのオールキャラギャグのような作品だった(ちなみにEはグループ・Y所属)。
本命カプの作品でなくても、自分の作品へ感想を頂く経験は稀だった上、あの素晴らしいA×Bを生み出す神から、自分の作品内のAとBに対する描写を褒められたのは、なんだかお墨付きを貰ったみたいで嬉しかった。
ある日私はお題箱を設置した。
そこには本命カプにまつわるリクエストは一切なく「あなた様のA×Bが読みたいです」「B×Cをお願いします」「D×Cください」等、グループ・X内のカプにまつわるものだけが、大量に来た(フォロワーにはB×CクラスタやD×Cクラスタもいた)。
フォロワーには本命カプであるD×Eクラスタもいたが、彼女達は皆『Eくん推しのD×Eクラスタ』なため、Dくん推しの私はいまいちD×Eクラスタには馴染めないでいたので、D×Eのリクエストが来ないのは仕方なかったといえば仕方なかった。
彼女達が私抜きでEくんアンソロを作ったり、スカイプをしていたりしているのは構わなかったが、いくら私が支部にD×Eを投稿しても殆ど反応されないのは正直辛いと感じていたので、この時もちょっとへこんだ。
ただ、D×Eクラスタに反応されないのはいつも通りではあるし、他のフォロワーからビックリするくらいたくさんのリクエストを貰ったので気持ちを切り替え、リクエストを消費する事にした。
今まで私はD×Eしか書いた事が無く、グループ・X内のカプは読み専だった為、クオリティに自信は無かったが、それでも一生懸命グループ・X内の様々な組み合わせを書いた。
解釈違いと罵られないかビクビクしながらプライベッターへアップしていたが、どのカプの作品もフォロワーに受け入れられ、ふぁぼもついたし、感想までいただいた。
特に、A×B推しの神フォロワーは長文感想&私の二次創作を元にした三次創作までプレゼントしてくれた。
そして私の作品をRTして「天才だから読んで!」と自身の信者に紹介した。
神フォロワーの信者達は、私をフォローする事は無かったものの、私の書いたA×Bをふぁぼしてくれた。
また、神フォロワーが「支部にも載せた方が良いと思います」とアドバイスをくれたので、今までD×Eしか支部にアップしていなかったが、リクエストで書いたグループ・X内の様々なカプの作品を支部へとアップした。
すると、物凄く反応があった。
D×E作品はブクマ2・閲覧数20程度しかリアクションが得られなかったが、グループ・X内のカプはどれもブクマ10・閲覧数100を超えた(他ジャンルから見れば病むくらいの少なさかもしれないが、マイナージャンルの弱小作家からすれば、桁数が1つ増えただけで大騒ぎなのだ)。
今までこのジャンルで満たされて来なかった承認欲求が初めて満たされた。
そこから少しだけ私のツイートや作品に、グループ・X全員に関する事やA×B要素が増えた。
今まで全く言及していなかったのが、たまに触れる程度になっただけだが、それだけでも神フォロワーやその他グループ・Xクラスタがが反応してくれるからだ。
特に神フォロワーは、私のA×Bにまつわるちょっとした話を褒め称え、三次創作をいっぱいくれた。
私は人間なのでそれが嬉しかったし、神フォロワーは神なので三次創作はそれはそれは読み応えが凄かった。
私が何かを書けば、神フォロワーが新たに何かを生み出してくれる、そんなスパイラルが生まれた。
とはいえ、私の本命カプは変わらずD×Eだったので、ツイートや書く作品のメインはD×Eのままだった。
D×Eツイートや作品には殆ど反応を貰えず、たまに触れるグループ・XやA×Bの話に過剰に反応を貰う日々が続いた。
そして、私はふと思い立って支部にアップしていた、リクエストで書いたA×B作品を非公開にした。
改めて読み返すと、自分の中で解釈違いが甚だしく、読むに耐えなかったからだ。
一応プライベッターでは公開したままだったので、リクエスト主に対して不義理ではないだろうと思った。
しかし、A×B作品を非公開にした事に気付いた神フォロワーは、私にもう一度支部で公開して欲しいと言ってきた。
何故かそれがとても嫌だった。
別に神フォロワーは支部への再公開を強要していた訳ではなく、あくまでも再公開の予定を尋ねただけだ。
ただ急にそれが鬱陶しく感じてしまった。
二次創作に対して三次創作を生み出してくれるくらい反応を貰えるのは素直に嬉しかったが、毎回添えられる「続きを待ってます」「早く支部にもアップしてください」という言葉は、圧のように感じていたのは否めなかった。
私は一つ書き終えると燃え尽きるタイプだったし、他人にアレコレ指図されるのが大嫌いだった。
それなのに、いつの間にか神フォロワーが、私をグループ・XやA×Bを生み出す神として崇めるようになっていたのだ。
今まで神になった事が無い私は戸惑っている。
昨日まで我こそが信者だと思っていたのに、立場が逆転したのだから。
A×B推しの神フォロワーに限らず、フォロワーのグループ・Xクラスタは、神フォロワーほど熱烈ではないにしろ、皆私の作品を褒め与えてくれた。
グループ・X所属のA×BやB×CやD×BやC×Dは反応が貰えても、本命カプのD×Eには反応が貰えないままなのだ。
私が本当に神なら、グループ・Xクラスタが私の影響を受けて、D×Eを嗜むようになるはずだ。
けれども、そうではない。
グループ・Xにまつわる創作に飢えていた人々が、都合よく作品を生み出す、私という存在を見つけただけに過ぎないのだ。
確かにグループ・Xの話を書けば承認欲求はエグいくらい満たされる。
それでも私は、誰にも反応されなくても、大好きなD×Eを書き続けたい。
Dくんが一番穏やかな顔をしてるのはEくんと一緒の時だもん。
私自身のつまらない承認欲求とやらのために、私がD×Eへ抱いた情熱を捨てたくない。
だからいくら神フォロワーが嘆き悲しんだって、作品の公開非公開の権は他人に握らせないし、誰にも反応されなくったって私はD×Eを書くのをやめない。
大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。
というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、
父親に無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返して執拗にからかわれたことなどが影響したためだと思う。
自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。
初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所は2ちゃんねるだけだった。大学は憂鬱と不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。
高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的な下痢・眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。
勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトもサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。
人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。
実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。
なんとか卒業の目処が立ったものの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。
どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事に適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。
これからのビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。
世の中の人達と自分が全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。
作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌に投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。
人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。
高校時代の友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。
昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。
一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。
また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。
両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。
それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。
また、お絵描き(落書きレベル)、日記、将棋、ラジオ体操、読書を始め、次第に心が癒やされていった。
色々なYoutuberの動画を見たり、将棋の藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望を見出してきた。
心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。
そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。
母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。
その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。
パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察やソフトの使い方のメモも書き残してある。
それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。
死を意識してみると、絵も曲も自分の人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。
あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。
大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生の女の子、
高校の文化祭で(歌うのが好きなので)バンドのボーカルをやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生、
高校の部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子、
その3人だけ。他愛もないことだ。人生を無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。
「誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。
それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。
さらに国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。
パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。
母親にパソコンや年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。
まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降したかのようだった。それが脱引きこもりのきっかけだった。
就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。
ネットの求人サイトで事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元の工場の検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。
親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。
どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。
明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。
始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、
夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。
出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。
職場の人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。
職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。
家から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。
正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。
週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。
・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。
・気後れすることなく病院で保険証を見せることができるようになった。
・人の視線が気にならなくなった。
・高校の頃から、死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。
・肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。
・ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネットと距離を置けるようになった。
・不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。
・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。
・せっかく大学卒業したのに非正規の肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。
・人生がつまらない。引きこもっているときとほとんど同じことしかしてない。
・スーパーや雑貨店、本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。
・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。
・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。
・もっと早く働き始めれば良かった。
・大学生の頃までは、同級生と自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分は自分だと思うようになった。そんな心持ちで大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。
たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。
みんなそれぞれが抱える「事情」とか「個性」の範囲内である気はするけれど、誰かに、恋人に、求められたくて仕方ない。
彼氏と別れて、コロナで出会いもなくなって、ふと自分の人生考えた時に「ひとりで成し遂げたいこと」がないことに気付いてしまった。
人生で、誰かのことを愛して、その人に愛されて、家庭をつくって、にこにこ笑って暮らしていきたい。
でも一人で成し遂げたいことがない。
「誰かと」じゃなくて「わたしは」こうしたい、が見つからない人生がふと空虚に思えてしまった。
みんなどうやって、なんのために生きてるのかな。
でも、せめて「これを頑張りたい、これを極めてみたい」な目標がほしい。
ここに書いて誰かが教えてくれるわけでもないし、自分で見つけていくしかないし、わかってるけど、でもみんなはなに考えてるのかが知りたい。
【追記】
気付いたらTwitterとか(?)でもコメントついてた。ありがとうございます。
ただ恋愛以外に「自分が頑張る目標」がほしい、を書いてるだけのつもりなのに、「承認欲求」「自己顕示欲」の話が度々出るのが不思議。
(内容そのものへの反応じゃなくて3行目を見てカバだwって思っただけならとても納得!たしかにカバっぽかった)
たしかにその辺は強いタイプなんだろうなぁと思うけれど<こんな文章を書くからには自己顕示欲が強いんだろう、滲み出てるぞ!>なのか、そもそも<そんなことを考えるのは〜>なのか…。
煽るわけじゃないので素直に教えてほしい。「成し遂げる目標がほしい」は「誰かにすごいって言われたい!」に直結することなの?
わかるようでわからない…。
なんかいろいろ思うところはあるのでまた追記させてもらうと思います。
読んでくれてありがとうございました。
【追記2】
指摘ありがとうございます。これは完全にわたしが馬鹿だった…やばい人扱いされても仕方ないですね…完全にやばい…
最初の「誰か認めて」は「恋人に好きと言ってほしい、可愛いと言ってほしい」の方がニュアンスは近いので修正します。
でも結局根底はそこなのかなとは思います。自分の中で問題を切り離してるつもりで、全然切り離せていなかったし、そもそもまじで繋がってた感じ。
あと書いておきたいなって思ったのは、誰かのための人生を否定してるわけじゃなくて(だってわたしの最終目標半分そこにあるし)、それ以外にもわたしは欲しいなって話です。
この先運良く大切な人が見つかるとも限らないので、どうせ生きるならどんな状況でも楽しく生きたいし納得して生きていきたい。
優しいコメントもあって無言で消えるのは心苦しいから自分への備忘を兼ねて最後に所感を書いて消えます。いろいろ本当に聞けてよかった。ありがとうございました。
みんなそれぞれ考え方って違うんだな、ってコロナで思い知ったはずなのに、今日改めて思った。
なんとなく「みんな何に向かって生きてるのかな」=「何か目標があるんじゃないか」って思い込んでた自分に気付いた。よくないね。
すっごくざっくりだけど、
・意味なんてない、ただ生きるのだ派
・自分のために好きなことをやって生きる派
みたいな、いろんなタイプがいるんですね。
いろいろ読んで、わたしはやっぱり何か自分のために充実させたいタイプに憧れてるんだと思った。でも悲しきかな今は熱中できるものがない。
だけど、正直な話心の底では無駄に壮大なことを夢想してたけど、ちらちらアドバイスもらったみたいに、まずは目の前の面白いことに飛びついてみたり、目の前の問題解決したりしてくと何か見つかるかもって考え方素敵だなって思えた。びっくりするくらい勇気もらった。別に壮大なことじゃなくても、好奇心腐らせないことが大事なのかな。せめて毎日何かに熱中して生きたい。
ほか細かく反応するの難しいから雰囲気で拾いますごめんなさい。
これは本当にそうだと思う。簡単だなんて思えないし。そしてなんか素直に嬉しかった。
これは諦めてるわけじゃなくて、この目標が悪いわけでもなくて、叶えたい。でももっと内面的な目標も欲しい、そんな感じ。
誰かの協力なしに、って意味の「ひとりで」じゃなくて「他人のせいにしない」ことがしたいんだと思う。わたしは結婚で幸せになったとして、もし万が一そのあと失敗したら悲しみを結婚のせいにしそうだと思ったから。嫌な性格。だから何があっても裏切らない自分を味方につけたいなって。そんで今は誰かに自分の幸せを委ねたくないんだと思う。だから宗教も興味ない。自信の根拠を自分で持ちたい。
いくつか指摘あったようにこれは向上心だといいな。たとえループするんだとしても。
>27歳の時そういうこと思った
ホルモンバランス?厨二病みたいな感じなのかな?一種のあるある?みんな通るみち?ならちょっと安心して悩み続けられる。
>そんなに恋愛一筋のやつとは合わない
1回それで彼氏に振られたことがあるので笑ってしまった。そうだよね合わないよね…悲しい…そこまで夢中にさせられなかったわたしも悪かった。
なんかいま恋愛以外に道を見出したいのは昔のその傷が癒せてなくてこっそり疼いてるからも気がしてきた。忘れてたけど図星のコメントされた気がしてすごく恥ずかしい。
まず初めに、これは悩みではなくて、ただ単純に考えたことを吐き出してるだけです。
私はずっと「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」と信じて疑わなかった。
でも最近、果たして本当にそうなのか?ということをよく考える。
「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」はただの驕りだったのかもしれないと考えている。
ところで私は文章を書くときも、言葉を発する時も、自分の考えを誰かに伝える時は、いろんな捉え方をする人の気分を害さないためにいろんな方法で保険をかけるようにしている。
なのでここでも保険をかけさせてもらおう。「私はあなたのことが好きだから誘ってるんだよ!」という言葉が欲しくてこの文章を書いているわけじゃないということを。
話を戻そう。
なぜこんなことを考えているかというと、人間関係で少し悲しくて、猛反省することがあったから。
ここでは割愛するけど結構凹んだ。そんなことがあり、自分の人との関わり方を、改めて振り返ってみようと思った。
うーん。私は普段、一緒にいる相手が楽しいといいなと思いながら過ごしている。それ自体に問題はないはずだ。
じゃあ、何がいけなかったんだろう?
その結果思い当たったのだ、もしかするとわたしは「自分が人に好かれるに値する人間だ」と勘違いしてやいないだろうかと。
色んな人が私を日々遊びに誘ってくれるおかげで、自分一人で過ごす時間は週にほんの少ししかない。
寝る前か、読書や展示など一人でしたいことがあるかのほぼ二パターン。
それを「自分は多くの人に必要とされている」と勘違いしてしまっていた気がする。
(↑こんなことを考えていると表明することはすごく情けないし、恥ずかしい。)
(↑こんなことを考えていると表明することは、とってもイタくてダサいと思う)
その結果、少しくらいの失敗は大目に見てもらえる人間だとタカをくくってしまっていたのかもしれない。
ここで謝っても意味ないけど、ほんとうにごめんなさい。これ以上直接謝るのはウザいだろうなと思うので、こっそりと謝ってみる。
ことばのプロである松浦弥太郎さんの言葉に「また会いたいと思われる人は、一緒にいて楽しい人。もう一度会いたいと思われる人は、自分の話を大切に聞いてくれる人」というものがあった。
人間はどこまでも利己的な生き物だと思うし、それ自体をすごく自然なことだとも感じているので言ってしまうと、人は結局自分にとってメリットのある人間と関わり続けるんだと思う。
一緒にいて楽しい、も、自分の話を大切に聞いてくれる、も、冷たい言い方をすると、つまり自分にとってのメリットだよね?
いやいや俺は人の相談に乗るのが好きだから会っているよ。わたしは自分にリターンがなくても後輩に奢っているよ。
という人もいるかもしれないけど、感謝されるのって嬉しいし、気持ちがいいから、それは結局自分のメリットになっているんじゃないのかな。
全ての出来事を少し離れたところから見てみると、誰かのためにしていると思っていることでも、結局自分のメリットになっているんじゃないかなあ。
同時に発生する不快と快のうち、快の総量の方が大きいからやっているんじゃないのかな、と思う。
(異論はめちゃくちゃ認める)
それで言うと、みんなが私を誘ってくれる理由は「わたしのフットワークが軽いかつ、ある程度おしゃべりなので一緒にいる時間の楽しさがある一定の期待値を下回らないと予想される」からではないかと推測する。
徒然なるままに書き進めてしまったけど、書いている間になんとなく答えが見つかってきた気がする。
「私のことを好きな人が多い」のではなく「私に会うことになんらかのメリット感じてくれている人が多い」のだ!
それはそれで、めっちゃ嬉しいな。
というアホみたいな締めくくりでこの場を締めさせていただきます。
こんな変なことを常に考えているやつ、気持ち悪いしめんどくさそうだなという自覚があるので中傷はもっと違う言葉でお願いします。
ブスとかも嫌です。それでは、ありがとうございました。
最近、寂しいな。と思う事が増えた。
遊んでくれる友達はいるが、恋人との時間を大切にしていて昔のようにはいかないだろう、でも大人になればそれが当たり前だと思う。
趣味の界隈に浸っていても、ネット同士の繋がりに深入りするのは迷惑だと思って距離を適度に保ってしまう。
恋人がいたらな…と思うけど、出会いがなく、アプローチする方法もよくわからない。
もっというと、このままずるずると行けば少しづつ世の中の人達との関わりが減っていくとわかりつつ、何もできないまま日々を過ごしている事が私を寂しいと思わせる一番原因だろう。
私は、正直まだまだ若いほうだと思う、20代後半に入ったばかり。
だからこそ怖いと思ってしまう部分もある、職場でうざったいと感じた自分の話を無限にする先輩や、深く関わりを持とうとして失敗する界隈クラッシャーに少しづつ近づいてしまっている感覚。
自分では一人が好きだと思っていたけど、実際は帰る場所があったからそんな呑気な事言ってられたんだと最近は痛感している。
それでも何か行動を起こそうにも、何をどうしたら上手くいくのか、そもそも自分が寂しい思いをしないように人と関わりを持とうとするのは相手にとって迷惑じゃないのか などが頭をグルグルしてここで発散している。
きっと世の中に似たような事を思っている人が私以外にもいるんだろうか、そうだな、この記事は何かを解決するような事は書けなかったけど…
これからはもう少し、誰かのために何か出来る機会があるなら、その機会を大切にしたい。
今までよりも、もう少しだけ多く優しさを持って生きよう、共感してくれた人がもしいたら、一緒に頑張ろう。
俺は俺の一人暮らし。俺は趣味が料理なので入社以来寝坊でもしない限り毎日弁当を作ってきた。
裁縫もできるのでとれたボタンやちょっとくらいほつれたものなら自分で直してきた。
これは趣味なので誰かにやらされたとかではなく、俺がうまいうまいと弁当を食うと俺が喜ぶし、何より社食で食うよりも栄養バランスを整えられる。そんなバランスのいい弁当を毎日作っていると、男子なのにすごいえらいと褒めてくれる奴がいるんだが、何もすごくはない。俺は弁当を作ってるから凄いのではなくて、俺は俺だから凄いのだ。男が弁当を作ったって関係がない。
お前はお前だからすごい。嫁も嫁だから凄いの。結婚できてる時点ですごいし、子供二人を立派に育ててる時点ですごい。誰かのために弁当を作りてぇ。クソが。
接触確認アプリを私はインストールしないし、するつもりもない。
インストールしたら100万円くれるっていうならインストールしてもいいけど、そういう話は出てきてないので、しない。
私は自分のスマホが余計なアプリでゴチャゴチャしているのが嫌だ。ソシャゲをやらない理由はいくつかあるが「余計なアプリを入れたくない」という理由が3割くらいを占めている。LINEすら入れてない。とある大好きなアニメのアプリにはカメラがついていて、それは使いたかったのでインストールして毎日楽しく使っているのだが、そういう実感できる楽しさが特にないのに余計なアプリを入れたくはない。
そもそも私のスマホにどんなアプリを入れるかは私が決めることで、他人に指図される筋合いのものではない。特に権力のない私人が推しアプリを布教しているだけなら別に問題はないが、政府がアプリを推奨するとなると話は別だ。なんで私のスマホの中身に政府が口を出すんだ。もうこの時点でどんなアプリだろうが入れたくない。私のスマホは私のものだ。政府が口を出すな。
開発者がインタビューで言ってたことがクソすぎてヘドが出そうだったのでインストールしたくない。
日本人の6割が、自分のためではなく誰かのために、自分の大切な人を守るために、アプリをインストールできるのかどうか。そういうことが社会に問われているんだと思います。
まるでアプリをインストールしないやつは悪人みたいな言い草。アプリはそれがどんなものであれインストールされていない状態が普通であり、そこを何とか(「便利な機能があるよ!」とか「このゲーム面白いよ!」とか)言いくるめて使ってもらうのが筋だろう。それをまるで、入れて当然、入れないやつは道徳的に間違っている、とでも言うような口ぶり。ふざけるな。いったい何様なんだ。インスタグラムだろうがFGOだろうがカメラアプリだろうが接触確認アプリだろうが、入れてる方が特殊で、入れてない方が普通に決まってんだろ。入れてるやつに感謝するのはいいけど、入れてないやつや入れる気のないやつに文句を言うなよ。傲慢にもほどがある。
こんなクソ発言をする連中の開発したものをわざわざインストールするほど私はお人好しではない。こんな連中に作られたというだけで拒否するには十分すぎる理由だ。
これまでコロナで色々なものを制限され、我慢させられてきた。趣味の面でも仕事の面でも、コロナで色々な機会を奪われ、外出の自由すら制限されてきた。
もうこれ以上何かを制限され、我慢させられるのは嫌だ。それがどんなものであれ。
もしも何かをコロナ対策の名の下で押し付けてくるやつらがいるのなら、自分に可能な範囲でそれに抗いたい。アプリを入れないだけで自由の制限への抗議になるのなら、私は喜んでアプリを拒否する。コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う。その日常には、お役所から特定のアプリを入れろと言われないことも含まれるのだから。
最後になるが、上に書いたことはあくまで私個人の意見であって、他人に押し付けるつもりはない。私がアプリを入れたくないのは徹頭徹尾私の個人的なお気持ちに基づくものであって、これを読んだあなたがアプリをインストールしていても、それに文句をつけるつもりはない。入れたい人は好きに入れればいいと思う。
だから、私のようにインストールしていない人のことも、どうか放っておいてほしい。私はあなたにアプリの有無で文句をつけたりしないから、あなたも同じようにしてほしい。
これはそんなに難しいお願いじゃないと思うのだけど、どうだろうか? どんなアプリを入れるかは個々人が好きに決められる社会の方が、お互いにとって望ましいと思う。
このアプリを推奨する連中が抑圧的なので防御する側もそれなりの反応になっちゃいますね……「国民の6割に入れてほしい」とか「周囲の人のことを思えば入れられるよね?」とか「入れてないと入店拒否にすればいいんじゃない?」とかそういう抑圧的なことを言ってればそりゃそれ相応の反発をされますわ……こんなことをそのへんのオタクが戯言で言ってるならともかく、開発者やら大臣やらといったひとたちが真顔で言ってる段階で、もう自撮りアプリだろうが歩数計アプリだろうがリズムゲームアプリだろうが接触確認アプリだろうが入れたくないです。セキュリティの懸念とかそういう話じゃない。とにかく嫌。嫌なものは嫌。生理的に無理。
「悪事は黙って行う」知恵がないのには首を傾げる。
何も悪いことはしておらず当たり前の自由を主張しているだけなので、黙っておく必要性を感じませんね。むしろ黙っていたら権利が抑圧されそうな不安を感じるので、積極的に声を上げて自分の自由と権利を擁護する必要があります。
黙って入れなきゃいいだけなのに何がしたいのかわからん。普通の人はこの手の主張は直接友人と会話したりLINEで適当に済ませちゃうんで。そういう場がないんだろうけど
アプリを入れて当たり前、みたいな風潮が嫌だしそうなりつつある気配を感じるので、そんなことない、入れないことを決意している人もいるぞ、と大声で叫ぶことには意味がありますね。
こういうふうに、アプリを入れないってだけでタダ乗りとか言って侮蔑的なコメントするやつが湧いてくるので、そんな圧力には絶対に屈しないという意思表明をすることは大事なんですね。
アプリを入れない派は別にアプリを入れてる人には何も文句つけてないのに、アプリ入れる派の中には一定数他人の自由な選択に文句つける人が湧いてくるのほんと何なんでしょうね。これ同性婚とか選択的夫婦別姓とかで見たやつだ。もちろんいずれの事例でも選択の自由が支持されるべき。
新型コロナウイルス感染症は、フリーライダーへの対処が試されている感があるな。増田は自覚的だからまだマシで、現実逃避の成れの果てをどうするか。放置すると維持できずに潰れてスェーデンやブラジルの様な有様に
フリーライダーってのは、自分がコストを払わずに利益を得る人のことでしょう? じゃあ、私がこのアプリの普及で得る利益って何?
このアプリを入れない人には、何の情報も通知されない。このアプリの利益は「アプリを利用している陽性者との濃厚接触の情報が通知される」ことただ1点であり、その利益はアプリを入れていない人にはもたらされない。別にアプリを使っている人が多ければ街が清潔になるとかウイルスが死滅するとか、そういう効果をもたらすアプリではない。
つまりこのアプリは、原理的にフリーライドが不可能だ。だって、インストールというコストを払った人だけが唯一の利益である情報を得られる仕組みなんだから。コストを払わない人は利益が得られない、すなわち財の排除性を持っている。財の排除性がきちんと機能しているなら、そこにフリーライダーが入り込む余地はない。
ワクチンを打たない人もフリーライダー呼ばわりされることがあるけど、ワクチンの場合は集団免疫という「ワクチンを打っていなくても享受できる利益」が存在している。じゃあ、このアプリの「インストールしていなくても享受できる利益」って何? 他人をフリーライダー呼ばわりする以上は挙げられるはずだよね?
“コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う”その闘いに有効な武器だよこのアプリ。それにコロナとの闘いには個々人がマスクしたり手洗いしたり、このアプリで感染者を早期発見し感染拡大を防ぐ事も重要
政府がいちいち私のスマホのアプリに口を出さない日常が私にとってのコロナ以前の日常なので、そういうささやかなところから日常を取り戻すための闘いをしていきたいですね。絶対にコロナ(と、それを口実に自由や権利を制限してくる輩)には屈しないぞというお気持ち。まあ個別の場面で屈することはあるかもしれないけど、屈したくないという気持ちは持ち続けたい。
会社支給のスマホなら会社から命令されたら当然入れるべきだけど、個人のスマホならそもそもどんなアプリを入れるかを命令される筋合いはないんだよなぁ……
すばらしい。あなたの魂はあなただけのものだ。力強い主張を感じる。あなたは高い能力を持っており、他を頼らず、自分の力だけで生き抜いてきた人なのかもしれない。でも世界は小さく永遠に孤独だとも感じている。世界は自分という枠の中に閉じているということだろうか。自分の世界は自分の中だけにあり、それを満たすために外の世界は存在すると。
だが待ってほしい。あなたが手に入れたもの、年収やセックスした女性、卒業した大学は、第三者、大きくは社会に形作られてその形になったのではないだろうか。あなたの年収からは幾分かの税金が天引きされ、その一部は社会福祉にまわされているのではないだろうか。世界はあなたの中で閉じておらず、実はその生き方の一部は社会に還元され、人の役に立ち、誰かのために貢献している可能性があるのではないだろうか。
それをすべて思考から排除してしまうのはもったいないように思う。孤独で力強い魂が、より広く深くなるチャンスがあるのかもしれない。
時が経てば全て忘れられる。
開放される。
だけど同情と理解はたりなかった。今後も入荷の予定なし。
誰かのために尽くすことが自分のためで、そのことに命を削り、削れるものがなくなってから、迷惑をかけまいと身を引くことが美徳のように思わされて
何かあるたびに誠心誠意謝り倒しても誰も私を救ってはくれない。
本当は色んな人がいろんなやり方で私を救っていたのだが、そのことに気づきもしないし、感謝もできなかった。
私は私を冷たく扱う人しか見ることができなくなっていた。
いつしかこの世の全てを憎んでいた。
これなら魔王になれると思い、求人票を見てみたが一般兵の募集しか無い。
これぜったい捨て駒にされるやつだ。
とりあえず現実逃避することにした。
これ以上は書かないと思いましたが、書くことにしました。
あなたは化学的に正しい方へ誘導するけど、そうじゃないんだと私は思っています。人の心に訴えかけるには化学的に正しいが正しくありません。それでは人が動かないからです。増田の他のエントリーで大切な誰かのために自粛なんてクソ食らえだというようなものがありました。そういう人へも訴えかける必要があるのです。そういう意味であなたの言う正しさは正しくありません。誰かのための自粛だからです。
頭のいい自分がスタートラインになっているから下々の人たちが何を考えているかなんてわかんないんじゃないか?って失礼ながら思います。化学的に正しい言葉が万人に伝わらないから広告屋がいて、コピーライターがいると思います。DVクソ野郎だった井上ひさしは「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」をモットーにしていました。でも、あなたの言葉は難しいことを難しくのままです。それで誰に伝わるんですか?誰に伝えたいんですか?
たった一人、私を諭して状況は変わりますか?先に書いた増田に貴方の思いは伝わりますか?私はより万人に伝わる方法で危機を伝えたいんです。誰かのための自粛なんてクソ食らえだそう言う人にも響かせたいのです。そこに化学的に正しい言葉ははっきり言っていらないと思っています。だからお互い噛み合わないからやめようと言ったのです。
誰かのために生きていたい.
無論,その「誰か」ってのは不特定多数の誰かでなくて,自分がその人のために生きたいと思える「誰か」.
というか,自分のために生きるの難しすぎひん?
三大欲求さえも結構辛くなってきている感がある今日このごろ.我慢してても困るのは自分だけだし,それを追求しても悦ぶのは自分自身.
すべての行為の結果が自分という枠を抜け出ていかないことに,飽きたとは違うけれども,なんかもうどうでも良くなってきている気がする.
誰かのためになにかしたときに,その行為によって誰かは嬉しいと思うかもしれないし,悲しいと思うかもしれない.
けどそれは,少なくともその時点においては,自分からの行為がなければなかったものだし,そういう意味で結果が自分以外の環へと出ていっていると感じる(伝わるのかこの感覚?).
いくら札束があっても,それによって満たされることはない,みたいな.自分が与えた価値が形を変えて戻ってきているだけ?(でも価値を誰かに与えているからこの喩えは少し違うのかも)
「誰かのためだったらきっと頑張れる」という宗教に浸っているのかもしれない.というか,「自分のためだと頑張れない」と思いこんでいるのかしら,とも思い始めた.
頑張れなくなりそうなとき,誰かのために!と思う支えさえあれば,なんとか頑張れそうな気がする.
「誰か」ってのは,つまり一般化すれば「困難なときの心の支え」のことであるらしい?
自分一人で頑張っている現在,心の支えがなくなっている.じゃあ私の心の支えって,何かしら.
もう少し若かった頃は「誇り」「プライド」「生まれた意味」みたいなところに帰着していた気がする.
こんなにウダウダ生きてて恥ずかしくないのか?もっとエリート意識を持って人々を~的な.
ここでも結局,私を支えてくれる「誰か」という結論になって思考が途切れてしまう.
誰か.
がんばってても成果が出ない人は、大抵やり方が間違ってる。
でも1人でやってると、それに気づけない。
プロになれなくても最低限のことができるようになる。
ある程度できるようになったらそれをもとにやりたい事に進んでいく。
でもその通過点突破するのにみんなすごい時間かかってて、遠回りしてて
ほんとにやりたいとこになかなか届けない。
ちなみに私の職種名聞いてどうすんのかなと思った。
向き不向きはこの仕事にもあるよ。
自分の適性と能力を見極めて、適正に合わせた方向に能力つけていくしかない。
さすがにこれだけやってくると、努力が全てないってことはわかってる。
今は自分に向いていることを、誰かのために生かしてあげるだけ。
ただ、自分が何に向いてるかなんて、動かなきゃわからないでしょ。
動きなよ。
人が教えてくれるなんて思っちゃだめだよ。
あの頃は(ハッ!)炊き出しとかさ、なんかできることあって行動できたけど今はなんもなくない?誰かのためになにかできることってない
俺は社会のゴミで失敗作なので、社会のルールに従わないのが自分らしさというか、良い子でいる意味がないというか。
誰かのためにとかどうでもよし、社会に迷惑かけないとかどうでもいい。
そうだよ。社会は俺を失敗作扱いなんだから、おれと社会は関係ない。
別に周りに迷惑かけようが関係ないじゃん。どうせ大人しく奴隷になれとしか言わないんだろう。
だったら気を使う必要ないじゃん。
マッチングが機能していない、初心者と初心者が当たらない、同じ腕の人たちで集まっても初心者狩りの中級者が混じるetc...
上に例示した人に限らないけど、何故かマッチングが機能していないと思われているので反論したい。
初期レートを自分で設定出来ない(CPU5戦+中身入り2戦で決まるが)のは相変わらずの問題だし、
初狩りがいるのも確かだが、そんなものは極少数の例外であって、
相手の力量を測る物差しがない故に、自分と大差ない初心者を上級者や初狩りと認識してしまっているだけなんだ。
つまり、初心者同士が当たっているにも関わらず、勝てない人がいるんだよ。
何故か。
それは彼が、お行儀のいいプレイを練習して、初心者用のゲームプレイをしていないからだ。
ポケモンで「はたく」や「たいあたり」を連打すれば勝負になるのに、
「なきごえ」や「しっぽをふる」を使ったり、交換戦をしているから勝てないんだ。
だから、彼ではなく、彼に同調する誰かのためにアドバイスを書く。
1.キャラ選び
ブコメによると、彼はゼタを選んだらしい。
ぶっちゃけこの時点で答えが出ているんだが、彼が勝てない最大の理由がこれだ。
飛びが弱く、無敵技がなく、コンボが難しく、批判を恐れずに言えば単純に弱い。
飛び道具が強いのはいいが、それ以外は初心者が選ぶべきでない要素のオンパレードである。
弱キャラから乗り換えたのであれば、同じことをしても勝率3倍は堅いはずだ。
もし、ゼタが好きで変える気がないなら、そこは苦行だけど頑張ってくれとしか言いようがない。
2.お行儀のいい戦い方を辞める
格闘ゲームをちゃんとシステムを学びながら練習する、ということは今回が初めての為、タクティクスモードやRPGモードで1人で練習しつつ遊べる
多分、ここで間違った指標を「こう動くべき」と思い込んでしまったのだろう。
ストリートファイターの初心者にもいるんだよ。
動画を真似て、出来もしない差し合いのために無意味にふらふらする人。
昇竜をコスりまくれ。ガードされてもきっちり反撃するのは困難だ。
小パンをコスりまくれ。目押しとか先行入力とか忘れていい。連打しろ。
ガードはしなくていい。攻撃こそが最大の防御だ。
ここは強キャラでどれだけ多くボタンを押せるかの早押し大会なんだ。理性を溶かしていけ。
まとめ