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はてなキーワード: 誰かのためにとは

2020-10-19

鬼滅の刃右翼マンガだった

原作22巻まで読んだ。

誰かのために命を賭して戦うということが素直に称賛されていてかなりびっくりした。

ダメじゃんそれを称賛していった先には特攻隊悲劇が待ってるじゃん。

みんなそれをわかってあの物語を楽しんでるのか?

それとも、そんなこと思いもよらないのか?

2020-10-17

この時間帯(だいたい土曜日昼過ぎが多い)

明らかにそれとわかる連中が仕事してる。

おそらく対応マニュアルとか共有して、民主主義者を論破したり、民主主義者のまっとうな主張に対してその他大勢ドン引きするという空気感演出に最大限の知力と労力を振り絞っているだろう。

彼らにも背負っているものがいろいろあるのだろうから必死になるのもわかるような気もするが、私達市民一人ひとりが自身家族の将来を考えた時に、まず国からとか世間からとしての基準よりも、まず自分たちがどうありたいかを最優先に考える必要がある。国のために市民があるのではなく、市民のために国があるのだ。誰かのために自身家族が明らかに善意や親切心や共感範疇を超えるような多大なお金や労力を犠牲にしたり、誰かを崇拝したり、命を差しさなければならない筋合いはない。

端的に言うと、連中は相手にしないほうがいい。

2020-08-31

anond:20200831161743

成功したいとかそういうんじゃなくて、なんか作りたいんですよ。

それなら誰かのためになるものがいいかなーって。

2020-08-30

明日ウェブマネーウォレットサービスが終了する

何年ぶりかわからないが、久しぶりにログインしたら少しだけ残高が残っていた。

もう使うことはないしサービスも終了するというので、残っていた分は盲導犬協会に全て寄付した。

めちゃめちゃ少額だけど誰かのために使われてほしい。

ウォレットのためにアカウントを作ってから10年くらい経っていると思う。

長い間お世話になりました。ありがとう

ウェブマネー自体は今でもコンビニとかで買ってます。これからもお世話になります

2020-08-29

anond:20200829082751

そこでマッチングアプリですよ!

最期に喰いたい』と『最期に困ってる誰かのために働きたい』との!

2020-08-19

同人誌アイコラオナニー

大人とはきちんと自己責任オナニーできる存在である

ある者はオナニー仕事に出来ることが至福であるように語るがそれは違う。

どんなに地位名誉を手に入れても集団の中で生活の糧を得るという仕様からは逃れられない。

ガス抜きとか、息抜きとか、色々な言い方をするがそれらすべてはオナニーに他ならない。

最も金が掛から自分理想を叶えるのは、妄想である

妄想力が人生の全てと言っても過言ではない。

すべての犯罪者妄想力の乏しさ故に過ちを犯す。

世の中で信頼を得ている大人達は、みなこの妄想力において絶大なパワーを持っている。

妄想力が乏しい人間が下手に権力を持つと薬物犯罪性犯罪を起こしやすくなる。

特に麻薬に手を出すような人間妄想力が著しく弱い。

自分脳内ではなく、人や薬や金に頼って快楽を得ようとする時点で雑魚なのだ

雑魚が強くなるには妄想力を鍛えるしかない。

原作もっとエッチ妄想したいという願望を抑えきれなかった人がエッチ同人誌を書く。

アイコラ文化もその類に他ならない。

卑猥同人誌も、アイコラも、外に向けて公開した時点で罪ある行為だ。

それはまだ妄想力が自己顕示欲に負けている証左である

真の自慰とは、内なる瞑想として徹底的に自分一人で妄想するのだ。

誰にも迷惑をかけず、誰にも教えず、金もかけず、自分だけの世界で最高のオナニーに達観しろ

そしてそれを心の引き出しからいつでも取り出せるようにしておけ。

いか

若いうちに異性に興味を持たれたいが故に妄想を怠るなんてのは愚の骨頂なのだ

本当にパートナーを大切にしたかったら自分の中で圧倒的な妄想力を身に着けろ。

自らの願望は妄想の中で叶えて、パートナーには対等な人間として常に思いやりを持って接しろ

からの願望はリアルに叶えるな。妄想で叶えろ。

妄想こそが人間進化を続けてきた理由なのだ

妄想で夢をつかめ現実誰かのために生きろ。

からは以上だ。

2020-08-06

ムカイ・ヒナタとかいう最強の幼なじみヒロイン

詳しい説明は省くが、主人公がやむを得ぬ事情で落ちものヒロイン介錯し、そのヒロイン最後の言葉が「これからも、誰かのために頑張れるヒロトでいてね」だったんですよ。

けど主人公は、別の落ちものヒロインを助けようとする男の子に対して嫉妬から衝動的に引き金を引いてしまい、落ちものヒロイン言葉を守れなかったこから長い後ろ向き期間に入ってしまうんですね。

色々あって主人公がようやく前向きに戦えるようになり、覚悟を決めて重要な戦いを迎える前に幼なじみヒロインと話し合う、という場面で、幼なじみヒロイン主人公背中を押すために言った言葉が「ヒロトは、誰かのために頑張れる人だから」だったんですよ。

落ちものヒロインが言った言葉を上書きする形での全肯定幼なじみしか絶対に言うことの出来ない積み重ねた「歴史」を感じさせるその一言に、幼なじみイデアがそこにあると確かに感じられた。

幼なじみヒロインは元々「回帰すべき日常」の象徴なのだが、物語が展開される非日常ではなく、物語駆動する日常にこそ主人公本質があると示す素晴らしいセリフだった。

から世界30億人の幼なじみスキーは今すぐ「ガンダムビルドダイバーズRe:RISE」を見よう。

2020-08-05

失敗料理

料理は時折かんたんなものを作る程度なので、とりあえず冷蔵庫にあったニラ豚肉焼肉のタレを和えて焼いた。

タレを入れすぎてしまったので、フライパンの底が隠れる程度に肉汁ニラの風味が溶けこんだ焼肉のタレが残っていた。流石にこの量を捨てるのはもったいないと思った。

父が醤油で餅をたまに焼くので、その要領で、少しタレとみりんを足して角餅を三つ焼くことにした。

焼けた餅に海苔を巻いて、三枚の皿にひとつつのせ、父の席、母の席、自分の席にその皿を置いた。

餅を焼いているあいだに母が作った、卵と野菜の炒めものテーブル中央に鎮座していた。

早く餅を食べた方がいいぞと父が言うので、席について餅を食べた。餅自体が美味しいのでタレで焼いた餅も美味しかった。

席についた母が、餅ののった皿をこちらによこそうとした。お腹が空いていないのかな、と思った。

けれど自分は餅をひとつ食べていたし、なかなかの弾力ボリュームがある餅をもうひとつ食べられるほどに夏バテ気味の腹に余裕はなかった。お腹がいっぱいだからと、断った。

すると母は父の前に餅の乗った皿を押しやっていた。

「食べないの? せっかく作ったのに…」

純粋に疑問だったのもあったので尋ねた。母も夏バテ気味なのかもしれない(にしても恩着せがましい嫌な言い方をしてしまったと、あとになって反省した)

「焼いた肉の出汁が入ってる!」

母が語気を荒げて言った。父が小さく母に苦言を呈す。

「責めないでよ!」

母の叫び声が響いた。

母が肉嫌いなのは家族全員が了解していることだった(ちなみに父は魚が嫌いで、自分は辛いものが苦手だ)

焼肉ステーキローストビーフ手羽先も角煮も焼き鳥も食べない。

しかソーセージハンバーグ餃子などの加工品は比較的好んで食べる。大好物焼きそばは肉をよけて食べていた。

から肉の出汁焼き肉のタレも平気だと思っていた。

それなりに長い付き合いをしているけれど、母のことを実はあまり知らないのかもなあと思いながら、自分の皿の上にあったニラと肉を口に詰め込んだ。

いつもはそれなりに和やかな食卓雰囲気が、気まずいものになったのは誰がとりわけ悪いというわけでもなかったように思う。

それでも一番悪いのは、付き合いの長さのうえに胡座をかいて、普通に焼いても美味しい餅を肉を焼いたあとのタレで焼けば美味しいのかな、と浮かれて食べるかどうかを確認をしなかった自分だろう。結果的に責めるような言い方をしたのも。そもそも母があのように語気を荒げたのは、父や自分がいままで母に対して似たような反応をしたことがあるからなのかもしれない。

もう自分以外の誰かのために料理は作りたくないなあと皿を洗いながらぼんやりと思った。

2020-08-01

anond:20200731232820

自分が何者にもなれない・成し遂げられないって悟って、

何のために生きてるかわからなくなって、

誰かのために生きる意味押し付けようってなって、

それで40くらいになってようやく結婚するんだよ。

(20代の結婚は他の人の言う通り流されるままだと思うけど)

2020-07-22

anond:20200722164536

メンヘラのどうしても譲れない一線みたいだな

ちぐはぐなファッションや不潔な格好の人に話しかけられると

清潔感には2種類あって、

 

 

大抵、メンヘラがいってるのは後者

そう指摘すると前者だって騒ぐけど前者がクリアできてない成人がウヨウヨいるお前の環境ヤバない?って思う

 

自分自身のためじゃなく他人の目のために金を使ったら簡単多重債務者になるぜ

 

常に誰かのためにって疲れないか?落とせない商談にでも行くのかよ

でもビジネスの場での商談がぽしゃるような完全なアウトって迷う要素は無いよね

 

フツーに美容なり服なりを自分自身のために楽しめ

2020-07-20

今年31になるのに

相も変わらず独身自分のためだけに日々を貪っている。

同級生子供を生み育て、自分以外のために時間も労力も注いでいるのに

私は何年も変わらないまま停滞し続けている。

独身が、既婚者が、子持ちが。各々が幸せならそれでいい。

そう思いたいけど、独身自分はそっち側に行きたい。誰かのために生きたい。

婚活してみてもうまく行かない。高望み?自分と似た人と共に生活したいだけなのに。

自分と似た人。家庭環境生活水準、学歴職歴

私が客観視できてないだけなのか。

人を好きになって、相手からもそう思ってもらえることがこんなに難しいなんて。

結婚してから好きになればいい?想像もつかない。

あー。はやく金曜の仕事終わりに待ち合わせして一緒の家に帰りたい。途中でコンビニ寄って好きなアイスかって帰りたい。熱帯夜にあついあつい言いながら手をつないで家に帰りたい。

2020-07-17

anond:20200717131854 anond:20200717132151

根本的な問題としてなにを得てるかだよな。コミュニケーションとやらで

自分自身のためじゃなく他人の目のために金を使ったら簡単多重債務者になるぜ

常に誰かのためにって疲れないか?落とせない商談にでも行くのかよ

でもビジネスの場での商談がぽしゃるような完全なアウトって迷う要素は無いよね

フツーに美容なり服なりを自分自身のために楽しめ

もっとフツーに服が好き美容が好きができないものなの? anond:20200717082223

常に誰かのためにって疲れないか?落とせない商談にでも行くのかよ

でもビジネスの場での商談がぽしゃるような完全なアウトって迷う要素は無いよね

2020-07-15

なんで俺たちが自粛してるのに感染が拡大してるのか? そう思うと狂いそうになる。

正直、2月以降ずっと、いわゆる緊急事態宣言レベル自粛をずっとやってる。

これは良識のある社会人は大半がそうだ。

みんな、感染させないようにひっそりと、政府の言うとおり、行政の言うとおり行動している。

神経質に手を洗い、外から帰ったらうがいをし、外出先ではマスクをつけ、顔を触らないように、注意深く、毎日を生きている。

なのに、なんで感染が拡大してるんだろうか。

これだけみんなが自粛をしても、誰かが台無しにしてるのだ。

そう思うとつらい。

やりたいこともやらず、食べたいものも食べず、遊びにも行かず、「誰かのためになる」と思って自粛をしていた。

しかし実際には、「誰か」が抜け駆けして遊びまわり、ウィルスをばら撒いている。

遊ぶなとは言わない。「危険な行動を回避できる」方法はもうわかっているのだ。

だというのに、それを無視してウィルスをばら撒いてる「誰か」がいる。

歌舞伎町ホストだったりキャバクラだったり、演劇だったり。

こっそり人には言わず危険場所に遊びに行く隣人だったり。

自分はというと通常のイベントはほぼ中止。どうしても開催するときには神経質なほどの距離と消毒を繰り返して、それでも閑散としてる。

自分の好きなイベントのほぼすべては中止になり、コミケも、ライブも、無理だった。

外食テイクアウトが大半になった。(そもそも外食する人間じゃなかったけどさ)

日常の楽しみがほとんど消えた。ハレの日の楽しみなんか夢のまた夢だ。

そういう普通人間が、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、という横で、酒を飲んで遊ぶ業界が、3密でマスクを外して騒いでいた業界が、感染を広めた。

正直悔しくて悔しくて仕方がない。

こんな連中が、なんで俺たちの努力をむしばんでるんだと心底腹が立ってる。

しかし、最前線で戦ってる感染対策を頑張ってる行政の人たちが

「やっとなだめすかして協力を得て検査を受けさせたんだから責めないでくれ。騒げばこいつらはまた地下に潜る」

と、言っているのだから仕方がない。

一番腹が立って、悔しい思いをしている人たちがそういうのだから、仕方がない。

文字通り仕方がない。

そういう場所に行って感染を広めるバカな連中を火炎放射器で焼き殺すわけにはいかないのだ。そこは人間としての超えてはならない一線なのだ

そういう迷惑まりない行動を、最も許しがたいと思っている医療従事者は、自分の務めを全うしている。

ワイドショー無知蒙昧なコメンテーター無能だのバカだの言われていても自分の務めを果たしている。

から俺が断罪などできるわけがない。

最近旅行関係対策としてGoto話題だ。この政策は、立案当時、きちんとみんながお行儀よくしてたら恐らく可能だったのだろう。

しかし、いまは難しいだろう。いまは怖い。Gotoに行くとして、それが感染を広めたら、誰かを感染させたらと思うと、行けるものではない。

毎日を、息苦しいマスクをし、神経質に手を洗い、他者との距離を取り、そして、今日も生きている。

家に帰って、マスクを外し、衣類を洗濯し、神経質にシャワーを浴びて、やっと自分に戻れる。

職場人間も、誰もがイライラしてる。

文字通り物理的に息苦しい。マスクのせいで。

演劇人間が、「Goto愚策だ」と言って炎上していた。

「お前らは感染をばら撒く業種だけどフォローしてもらったじゃないか。なのに旅行業界が助けてもらうときには石を投げるのか」

と怒られていた。

国が悪いとか、社会が悪いとか、もう疲れた

疲れている。

自粛疲れだけではない。

マスクをして毎日を過ごすというのは、こんなにも大変なことだったのか。

感染しないように、感染させないようにおっかなびっくり毎日を過ごしている。

悪徳経営者のように、「コロナなんか知らねえよ。俺たちは生きて行かなくちゃいけねえんだ。俺たちは酒飲んで騒ぐのが仕事。それで感染させても国が悪い」

と開き直れたらどんなに楽だろうか。

いっそのこと、知らないうちに感染してしまいたいと思う気持ち最近出てきた。

知らないうちに感染して隔離され、病室に閉じこもることをよく考える。

そうしたらあきらもつくのかもしれないと思う。

息苦しいマスクを外したいといつも思う。

マスク自分感染しないためじゃない。「誰か」に感染させないためのものだ。

「誰か」が抜け駆けをして遊びほうけても大丈夫なように努力してるわけじゃない。

自分勝手な人間がもう少し多ければ、おそらくNYの様になっていただろう。

同調圧力だとかムラ社会だとか批判されているアジアのほうが対策が上手く行ってるのは思わぬ誤算だった。

しかし、苦しい。

コロナウィルスが出てきてから楽しいことが減った。

twitter発狂する人が増えた。

やたら攻撃的になり怒り狂って馬鹿なことを本気で主張して、始終他人喧嘩を売り歩いていく人が増えた。

コロナ前まではそんな人ではなかった。

明らかに常軌を逸した発言をしているが、本人は気づいてない。

世界中暴動や極端な政治的言動が爆発してる。

皆、狂っていってる。

恐らくコロナウィルスは肺のほかに人間精神を蝕んでいる。

anond:20200715092357

ほんまや

自分自身のためじゃなくて365日誰かのために

そら返済能力も超えます

自分のためにじゃないんだもの

2020-07-13

anond:20200712223432

BLは、ポリティカルコレクトネスコンテンツではない。しかし、BL然り日本アダルトビデオ然り、シスヘテロ性愛を直接受け入れられない人間のための慰めになっている。

明治期に輸入された、キリスト教的な’貞操観念‘のアンチテーゼとして機能している。

ゾーニングさえ守られていれば、誰かのためになっている、それで生計を立てている創作者やスタッフ作家もいるのだ。

2020-07-12

旅行に行くか、行かないか

表題言葉を見て、いったいどう受け取るだろうか。

私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。

コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。

「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?

連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?

あるいは、「この非常事態自分さえよければ、他人迷惑をかけてもいいと思っている非常識増田」という印象を受けるだろうか。

「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!

そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身発症したらとても苦しむかもしれないのに!」

「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」

「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」

感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」

バカから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?

だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。

私の話をしたい。

はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。

リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎問題となり、自粛要請緊急事態宣言が発令され、

Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤公共交通機関使用する。

休業要請対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。

マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。

1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、

会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。

おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。

つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。

それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。

出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。

オフィス20名弱がいる。デスククリアボードで仕切りがされている。会議web会議出張は要相談だが、基本ない。

休み時間をずらしてとる。11から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。

休憩中の私語もしない。飲み会原則禁止だ。

帰りは買い物をして帰るが、必要ものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。

それが平日。

休日シンプルだ。家にいる。

平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービス使用映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。

外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。

さて、

わたしは、感染リスクを軽んじているだろうか。

実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?

手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。

リモートワークはできないので、完全在宅ワークや、

から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?

駅にいるのが、

大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。

さなカバンだけを持っている私なら、「マスク感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。

平日、通勤している私は思う、

「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」

家の中にいれば安全というのは、道理だろう。

外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。

もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。

マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。

私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。

それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。

私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。

それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。

私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。

でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。

出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。

毎日毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。

私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ

誰にも会わなければ感染しない。感染させない。

わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。

私がもし、旅行者になることを選んだとき

私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。

逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?

旅行に行くか、行かないか

いったいなぜ、旅行者は非難されるのか。

受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。

からだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。

今の状況からして、都会に比べて、地方ならよほど切実だろう。

それも大量に動くなら、密度は上がりやすく、リスク高まる

最後に、

わたし趣味は「旅」である

休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。

それでも、わたし趣味は「旅」である

ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。

この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、

時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。

「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。

そして通勤して、だ。

「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。

「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。

旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。

うらやましさも通り越して、恨めしい。

「今じゃなくて、コロナ肺炎収束してから行けばいい」というのはいつだ?

増田子供じゃないんだから駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。

私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。

でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。

私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬからそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。

疲弊していくことをだれも救ってはくれない。

別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。

自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。

もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、

100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。

旅行に行くか、行かないか

私は今も悩んでいる。

私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。

人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、

だけどもう我慢限界で、精神が摩耗しているか増田に書き付けた。

同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、

この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。

インドアから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。

私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。

2020-07-09

神をフォローしたら自分が神になった

ここ最近同人女界隈の神や信者のクソデカ感情がTLを賑わせている。

大抵みんな「神を崇める気持ちは分かるけど、気持ちの押しつけは良くない、神だって人なんだから好きに活動していい」って感想とともにRTしてるし、自分も似たような感想を呟いている。

そんなTLに、相互フォローの神フォロワーから自分宛てのリプライが表示された。

「削除されたA×Bの作品を再公開する予定はありますか?」

さっきまで、神作家お気持ち表明に同意したり、別ジャンルにいた時信者暴走して大変だったとか言っていた神フォロワーが、数々のお気持ち表明内でしんどいタイプメッセージとして挙げられる内容を、自分リプライしてきて、私は動揺した。

自分が神だと崇めていた存在にいつの間にか崇められていた、というほんの少しの喜びや、この人今までのクソデカ感情テキストを本当に読んだのかなという困惑、そしてたかリプライ一つで過剰反応し過ぎなのでは、という自己嫌悪など様々な感情が浮かんだ。

でも一番は、面倒くせえーーーーーーーーーーーーーーーーうるせえ私が消したくなったから消すんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという叫びだった。








さて、神フォロワーと私との出会いの話からしよう。

素晴らしいA×Bを生み出す人がいる!と速攻フォローしに行ったのが、神フォロワーと私とのファーストコンタクトだった。

ちなみに、ジャンル自体マイナーだが、A×Bというカップリングジャンル内でマイナー存在である(B受けの殆どがC×Bばかりで、ジャンル覇権カプはB×Cだった)。

ありがたい事に、神フォロワーフォロー返しをしてくれた上、私の作品に対して感想までくれた。

から感想を賜われるとは思っていなかったので、ものすごく舞い上がった。



実を言うと私の本命カプはA×Bではない。

本命はD×Eだ。

推しのDくんはAやBと同じグループ・X所属なので、A×B作品にDくんが登場する事が多い。

それ目当てでA×Bを読み漁っているうちに、神フォロワー作品出会ったのであるマイナージャンルは少しでも推しが出ていそうなカプは全部チェックしないと他人が描く/書く推し出会えない)。

からフォロワー感想をくれたのは、本命カプのD×Eではなく、私が書いたグループ・Xのオールキャラギャグのような作品だった(ちなみにEはグループ・Y所属)。

本命カプの作品でなくても、自分作品感想を頂く経験は稀だった上、あの素晴らしいA×Bを生み出す神から自分作品内のAとBに対する描写を褒められたのは、なんだかお墨付きを貰ったみたいで嬉しかった。



ある日私はお題箱を設置した。

そこには本命カプにまつわるリクエストは一切なく「あなた様のA×Bが読みたいです」「B×Cをお願いします」「D×Cください」等、グループ・X内のカプにまつわるものけが、大量に来た(フォロワーにはB×CクラスタやD×Cクラスタもいた)。

フォロワーには本命カプであるEクラスタもいたが、彼女達は皆『Eくん推しのD×Eクラスタ』なため、Dくん推しの私はいまいちD×Eクラスタには馴染めないでいたので、D×Eのリクエストが来ないのは仕方なかったといえば仕方なかった。

彼女達が私抜きでEくんアンソロを作ったり、スカイプをしていたりしているのは構わなかったが、いくら私が支部にD×Eを投稿しても殆ど反応されないのは正直辛いと感じていたので、この時もちょっとへこんだ。

ただ、D×Eクラスタに反応されないのはいつも通りではあるし、他のフォロワーからビックリするくらいたくさんのリクエストを貰ったので気持ちを切り替え、リクエストを消費する事にした。

今まで私はD×Eしか書いた事が無く、グループ・X内のカプは読み専だった為、クオリティに自信は無かったが、それでも一生懸命グループ・X内の様々な組み合わせを書いた。

解釈違いと罵られないかビクビクしながらプライベッターへアップしていたが、どのカプの作品フォロワーに受け入れられ、ふぁぼもついたし、感想までいただいた。

特に、A×B推しの神フォロワーは長文感想&私の二次創作を元にした三次創作までプレゼントしてくれた。

そして私の作品RTして「天才から読んで!」と自身信者に紹介した。

フォロワー信者達は、私をフォローする事は無かったものの、私の書いたA×Bをふぁぼしてくれた。

また、神フォロワーが「支部にも載せた方が良いと思います」とアドバイスをくれたので、今までD×Eしか支部にアップしていなかったが、リクエストで書いたグループ・X内の様々なカプの作品支部へとアップした。

すると、物凄く反応があった。

D×E作品ブクマ2・閲覧数20程度しかリアクションが得られなかったが、グループ・X内のカプはどれもブクマ10・閲覧数100を超えた(他ジャンルから見れば病むくらいの少なさかもしれないが、マイナージャンルの弱小作からすれば、桁数が1つ増えただけで大騒ぎなのだ)。

今までこのジャンルで満たされて来なかった承認欲求が初めて満たされた。


そこから少しだけ私のツイート作品に、グループ・X全員に関する事やA×B要素が増えた。

今まで全く言及していなかったのが、たまに触れる程度になっただけだが、それだけでも神フォロワーやその他グループ・Xクラスタがが反応してくれるからだ。

特にフォロワーは、私のA×Bにまつわるちょっとした話を褒め称え、三次創作をいっぱいくれた。

私は人間なのでそれが嬉しかったし、神フォロワーは神なので三次創作はそれはそれは読み応えが凄かった。

私が何かを書けば、神フォロワーが新たに何かを生み出してくれる、そんなスパイラルが生まれた。

とはいえ、私の本命カプは変わらずD×Eだったので、ツイートや書く作品のメインはD×Eのままだった。

D×Eツイート作品には殆ど反応を貰えず、たまに触れるグループ・XやA×Bの話に過剰に反応を貰う日々が続いた。


そして、私はふと思い立って支部にアップしていた、リクエストで書いたA×B作品を非公開にした。

改めて読み返すと、自分の中で解釈違いが甚だしく、読むに耐えなかったからだ。

一応プライベッターでは公開したままだったので、リクエスト主に対して不義理ではないだろうと思った。

しかし、A×B作品を非公開にした事に気付いた神フォロワーは、私にもう一度支部で公開して欲しいと言ってきた。

何故かそれがとても嫌だった。

別にフォロワー支部への再公開を強要していた訳ではなく、あくまでも再公開の予定を尋ねただけだ。

ただ急にそれが鬱陶しく感じてしまった。


二次創作に対して三次創作を生み出してくれるくらい反応を貰えるのは素直に嬉しかったが、毎回添えられる「続きを待ってます」「早く支部にもアップしてください」という言葉は、圧のように感じていたのは否めなかった。

私は一つ書き終えると燃え尽きるタイプだったし、他人にアレコレ指図されるのが大嫌いだった。

それがいくらフォロワー相手でも、だ。


私はA×Bの神だと思って相手フォローした。

それなのに、いつの間にか神フォロワーが、私をグループ・XやA×Bを生み出す神として崇めるようになっていたのだ。

今まで神になった事が無い私は戸惑っている。

昨日まで我こそが信者だと思っていたのに、立場が逆転したのだから

何より、本命カプであるD×Eで神になれない事が悔しかった。

A×B推しの神フォロワーに限らず、フォロワーグループ・Xクラスタは、神フォロワーほど熱烈ではないにしろ、皆私の作品を褒め与えてくれた。

グループ・Xにまつわる作品に限って、だが。

グループ・X所属のA×BやB×CやD×BやC×Dは反応が貰えても、本命カプのD×Eには反応が貰えないままなのだ


私が本当に神なら、グループ・Xクラスタが私の影響を受けて、D×Eを嗜むようになるはずだ。

けれども、そうではない。

グループ・Xにまつわる創作に飢えていた人々が、都合よく作品を生み出す、私という存在を見つけただけに過ぎないのだ。


かにグループ・Xの話を書けば承認欲求はエグいくらい満たされる。

それでも私は、誰にも反応されなくても、大好きなD×Eを書き続けたい。

だって原作読んだら誰がどう考えてもD×E結婚してるもん。

Dくんが一番穏やかな顔をしてるのはEくんと一緒の時だもん。

初めて原作を読んだ時から今までずっとそう感じてきた。

私自身のつまらない承認欲求とやらのために、私がD×Eへ抱いた情熱を捨てたくない。

二次創作誰かのためにするものではない。

同人自由だ。

からいくらフォロワーが嘆き悲しんだって作品の公開非公開の権は他人に握らせないし、誰にも反応されなくったって私はD×Eを書くのをやめない。

今日今日とて、D×Eは世界一お似合いなのだから

2020-07-05

引きこもり脱出した

大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。

子供の頃

プライドが高く、失敗や恥を極度に恐れる性格だった。

というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、

父親無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返し執拗からかわれたことなどが影響したためだと思う。

自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。

大学生の頃

初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所2ちゃんねるだけだった。大学憂鬱不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。

高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的下痢眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。

勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。

大学カウンセリングを受けたこともあったが効果はなかった。

人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。

実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。

なんとか卒業の目処が立ったもの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。

どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。

これからビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。

世の中の人達と自分全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。

引きこもりの頃

作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。

人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。

高校時代友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。

次第に作曲苦痛になり、ネットゲームをして過ごした。

昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。

一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。

また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。

両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。

自分人生台無しにしたかった。

それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。

また、お絵描き落書きレベル)、日記将棋ラジオ体操読書を始め、次第に心が癒やされていった。

色々なYoutuber動画を見たり、将棋藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望見出してきた。

心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。

引きこもりきっか

そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。

母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。

その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。

パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察ソフトの使い方のメモも書き残してある。

それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。

死を意識してみると、絵も曲も自分人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。

あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。

人との関わり合いの中でしか大事な思い出は生まれないのだ。

そんな中、記憶の底に沈んでいた何人かのことが頭に浮かんだ。

大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生女の子

高校文化祭で(歌うのが好きなので)バンドボーカルやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生

高校部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子

その3人だけ。他愛もないことだ。人生無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。

誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。

それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。

さら国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。

パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。

母親パソコン年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。

まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降たかのようだった。それが脱引きこもりきっかけだった。

就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。

ネット求人サイト事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元工場検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。

親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。

働き始めてから

どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。

明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。

始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、

夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。

出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。

職場人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。

職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。

から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。

正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。

週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。

働いて良かったこと、変わったこ

・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。

・気後れすることな病院保険証を見せることができるようになった。

・人の視線が気にならなくなった。

高校の頃から死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。

肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。

ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネット距離を置けるようになった。

不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。

・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。

変わってないこと

・せっかく大学卒業したのに非正規肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。

人生がつまらない。引きこもっているときほとんど同じことしかしてない。

スーパー雑貨店本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。

・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。

引きこもってて後悔したこと

・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。

もっと早く働き始めれば良かった。

大学生の頃までは、同級生自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分自分だと思うようになった。そんな心持ち大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。

展望

デスクワーク転職して都会で一人暮らししてみたい。

7/7追記

たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。

真剣に読んで下さったんだなあ、としみじみ感じますアドバイス参考になりました。

皆さんに明日、嬉しいことがあるよう祈ります

27歳OL、生きる意味見つかってないことに気付いてしまった

恋愛大正義生き方をしてきた。

みんなそれぞれが抱える「事情」とか「個性」の範囲である気はするけれど、誰かに恋人に、求められたくて仕方ない。

自分で言うけど客観的に見て可愛い仕事もできる。

彼氏だってすぐできるし可愛い彼女を演じる自信はある。

彼氏と別れて、コロナ出会いもなくなって、ふと自分人生考えた時に「ひとりで成し遂げたいこと」がないことに気付いてしまった。

人生で、誰かのことを愛して、その人に愛されて、家庭をつくって、にこにこ笑って暮らしていきたい。

でも一人で成し遂げたいことがない。

「この仕事を極めたい」とか「○○で人を笑顔にしたい」とか。

「誰かと」じゃなくて「わたしは」こうしたい、が見つからない人生がふと空虚に思えてしまった。

みんなどうやって、なんのために生きてるのかな。

別にいいんだ、何か壮大な目標なんてなくても。

でも、せめて「これを頑張りたい、これを極めてみたい」な目標がほしい。

ここに書いて誰かが教えてくれるわけでもないし、自分で見つけていくしかないし、わかってるけど、でもみんなはなに考えてるのかが知りたい。

追記

気付いたらTwitterとか(?)でもコメントついてた。ありがとうございます

ただ恋愛以外に「自分が頑張る目標」がほしい、を書いてるだけのつもりなのに、「承認欲求」「自己顕示欲」の話が度々出るのが不思議

(内容そのものへの反応じゃなくて3行目を見てカバだwって思っただけならとても納得!たしかカバっぽかった)

しかにその辺は強いタイプなんだろうなぁと思うけれど<こんな文章を書くからには自己顕示欲が強いんだろう、滲み出てるぞ!>なのか、そもそも<そんなことを考えるのは〜>なのか…。

煽るわけじゃないので素直に教えてほしい。「成し遂げる目標がほしい」は「誰かにすごいって言われたい!」に直結することなの?

わかるようでわからない…。

なんかいろいろ思うところはあるのでまた追記させてもらうと思います

読んでくれてありがとうございました。

追記2】

指摘ありがとうございます。これは完全にわたし馬鹿だった…やばい人扱いされても仕方ないですね…完全にやばい

最初の「誰か認めて」は「恋人に好きと言ってほしい、可愛いと言ってほしい」の方がニュアンスは近いので修正します。

でも結局根底はそこなのかなとは思います自分の中で問題を切り離してるつもりで、全然切り離せていなかったし、そもそもまじで繋がってた感じ。

あと書いておきたいなって思ったのは、誰かのための人生否定してるわけじゃなくて(だってわたしの最終目標半分そこにあるし)、それ以外にもわたしは欲しいなって話です。

この先運良く大切な人が見つかるとも限らないので、どうせ生きるならどんな状況でも楽しく生きたいし納得して生きていきたい。

追記ラスト

優しいコメントもあって無言で消えるのは心苦しいか自分への備忘を兼ねて最後に所感を書いて消えます。いろいろ本当に聞けてよかった。ありがとうございました。

みんなそれぞれ考え方って違うんだな、ってコロナで思い知ったはずなのに、今日改めて思った。

なんとなく「みんな何に向かって生きてるのかな」=「何か目標があるんじゃないか」って思い込んでた自分に気付いた。よくないね

すっごくざっくりだけど、

意味なんてない、ただ生きるのだ派

・(家族とか)誰かのために生きる派

自分のために好きなことをやって生きる派

みたいな、いろんなタイプがいるんですね。

いろいろ読んで、わたしはやっぱり何か自分のために充実させたいタイプに憧れてるんだと思った。でも悲しきかな今は熱中できるものがない。

だけど、正直な話心の底では無駄に壮大なことを夢想してたけど、ちらちらアドバイスもらったみたいに、まずは目の前の面白いことに飛びついてみたり、目の前の問題解決したりしてくと何か見つかるかもって考え方素敵だなって思えた。びっくりするくらい勇気もらった。別に壮大なことじゃなくても、好奇心腐らせないことが大事なのかな。せめて毎日かに熱中して生きたい。

ほか細かく反応するの難しいか雰囲気で拾いますごめんなさい。

そもそも「誰かと愛し合って結婚したい」が壮大な目標

これは本当にそうだと思う。簡単だなんて思えないし。そしてなんか素直に嬉しかった。

これは諦めてるわけじゃなくて、この目標が悪いわけでもなくて、叶えたい。でももっと内面的な目標も欲しい、そんな感じ。

誰かの協力なしに、って意味の「ひとりで」じゃなくて「他人のせいにしない」ことがしたいんだと思う。わたし結婚幸せになったとして、もし万が一そのあと失敗したら悲しみを結婚のせいにしそうだと思ったから。嫌な性格。だから何があっても裏切らない自分を味方につけたいなって。そんで今は誰かに自分幸せを委ねたくないんだと思う。だから宗教も興味ない。自信の根拠自分で持ちたい。

いくつか指摘あったようにこれは向上心だといいな。たとえループするんだとしても。

>27歳の時そういうこと思った

ホルモンバランス厨二病みたいな感じなのかな?一種あるある?みんな通るみち?ならちょっと安心して悩み続けられる。

>そんなに恋愛一筋のやつとは合わない

1回それで彼氏に振られたことがあるので笑ってしまった。そうだよね合わないよね…悲しい…そこまで夢中にさせられなかったわたしも悪かった。

なんかい恋愛以外に道を見出したいのは昔のその傷が癒せてなくてこっそり疼いてるからも気がしてきた。忘れてたけど図星コメントされた気がしてすごく恥ずかしい。

コロナ終わったらいい人見つけて、でも彼氏依存せず、自分人生も楽しみたい。

まずは目の前の仕事頑張ります

2020-07-01

みんな自分必要としているんだ、というイタい勘違いの話

まず初めに、これは悩みではなくて、ただ単純に考えたことを吐き出してるだけです。

私はずっと「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」と信じて疑わなかった。

でも最近果たして本当にそうなのか?ということをよく考える。

「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」はただの驕りだったのかもしれないと考えている。

ところで私は文章を書くときも、言葉を発する時も、自分の考えを誰かに伝える時は、いろんな捉え方をする人の気分を害さないためにいろんな方法保険をかけるようにしている。

なのでここでも保険をかけさせてもらおう。「私はあなたのことが好きだから誘ってるんだよ!」という言葉が欲しくてこの文章を書いているわけじゃないということを。

話を戻そう。

なぜこんなことを考えているかというと、人間関係で少し悲しくて、猛反省することがあったから。

ここでは割愛するけど結構凹んだ。そんなことがあり、自分の人との関わり方を、改めて振り返ってみようと思った。

うーん。私は普段、一緒にいる相手楽しいといいなと思いながら過ごしている。それ自体問題はないはずだ。

じゃあ、何がいけなかったんだろう?

その結果思い当たったのだ、もしかするとわたしは「自分が人に好かれるに値する人間だ」と勘違いしてやいないだろうかと。

色んな人が私を日々遊びに誘ってくれるおかげで、自分一人で過ごす時間は週にほんの少ししかない。

寝る前か、読書や展示など一人でしたいことがあるかのほぼ二パターン

それを「自分は多くの人に必要とされている」と勘違いしてしまっていた気がする。

(↑こんなことを考えていると表明することはすごく情けないし、恥ずかしい。)

(↑こんなことを考えていると表明することは、とってもイタくてダサいと思う)

(でもアウトプットせずにはいられない、ある意味病気から

その結果、少しくらいの失敗は大目に見てもらえる人間だとタカをくくってしまっていたのかもしれない。

ここで謝っても意味ないけど、ほんとうにごめんなさい。これ以上直接謝るのはウザいだろうなと思うので、こっそりと謝ってみる。

ことばのプロである松浦弥太郎さんの言葉に「また会いたいと思われる人は、一緒にいて楽しい人。もう一度会いたいと思われる人は、自分の話を大切に聞いてくれる人」というものがあった。

人間はどこまでも利己的な生き物だと思うし、それ自体をすごく自然なことだとも感じているので言ってしまうと、人は結局自分にとってメリットのある人間と関わり続けるんだと思う。

一緒にいて楽しい、も、自分の話を大切に聞いてくれる、も、冷たい言い方をすると、つまり自分にとってのメリットだよね?

いやいや俺は人の相談に乗るのが好きだから会っているよ。わたし自分にリターンがなくても後輩に奢っているよ。

という人もいるかもしれないけど、感謝されるのって嬉しいし、気持ちがいいから、それは結局自分メリットになっているんじゃないのかな。

全ての出来事を少し離れたところから見てみると、誰かのためにしていると思っていることでも、結局自分メリットになっているんじゃないかなあ。

同時に発生する不快と快のうち、快の総量の方が大きいからやっているんじゃないのかな、と思う。

異論はめちゃくちゃ認める)

それで言うと、みんなが私を誘ってくれる理由は「わたしフットワークが軽いかつ、ある程度おしゃべりなので一緒にいる時間の楽しさがある一定期待値を下回らないと予想される」からではないかと推測する。

徒然なるままに書き進めてしまったけど、書いている間になんとなく答えが見つかってきた気がする。

「私のことを好きな人が多い」のではなく「私に会うことになんらかのメリット感じてくれている人が多い」のだ!

それはそれで、めっちゃ嬉しいな。

というアホみたいな締めくくりでこの場を締めさせていただきます

こんな変なことを常に考えているやつ、気持ち悪いしめんどくさそうだなという自覚があるので中傷もっと違う言葉でお願いします。

ブスとかも嫌です。それでは、ありがとうございました。

寂しさとは

最近、寂しいな。と思う事が増えた。

遊んでくれる友達はいるが、恋人との時間を大切にしていて昔のようにはいかないだろう、でも大人になればそれが当たり前だと思う。

趣味の界隈に浸っていても、ネット同士の繋がりに深入りするのは迷惑だと思って距離を適度に保ってしまう。

恋人がいたらな…と思うけど、出会いがなく、アプローチする方法もよくわからない。

もっというと、このままずるずると行けば少しづつ世の中の人達との関わりが減っていくとわかりつつ、何もできないまま日々を過ごしている事が私を寂しいと思わせる一番原因だろう。

私は、正直まだまだ若いほうだと思う、20代後半に入ったばかり。

からこそ怖いと思ってしまう部分もある、職場でうざったいと感じた自分の話を無限にする先輩や、深く関わりを持とうとして失敗する界隈クラッシャーに少しづつ近づいてしまっている感覚

自分では一人が好きだと思っていたけど、実際は帰る場所があったからそんな呑気な事言ってられたんだと最近は痛感している。

それでも何か行動を起こそうにも、何をどうしたら上手くいくのか、そもそも自分が寂しい思いをしないように人と関わりを持とうとするのは相手にとって迷惑じゃないのか などが頭をグルグルしてここで発散している。

きっと世の中に似たような事を思っている人が私以外にもいるんだろうか、そうだな、この記事は何かを解決するような事は書けなかったけど…

これからはもう少し、誰かのために何か出来る機会があるなら、その機会を大切にしたい。

今までよりも、もう少しだけ多く優しさを持って生きよう、共感してくれた人がもしいたら、一緒に頑張ろう。

2020-06-30

anond:20200629224836

俺は俺の一人暮らし。俺は趣味料理なので入社以来寝坊でもしない限り毎日弁当を作ってきた。

裁縫もできるのでとれたボタンちょっとくらいほつれたものなら自分で直してきた。

これは趣味なので誰かにやらされたとかではなく、俺がうまいうまい弁当を食うと俺が喜ぶし、何より社食で食うよりも栄養バランスを整えられる。そんなバランスのいい弁当毎日作っていると、男子なのにすごいえらいと褒めてくれる奴がいるんだが、何もすごくはない。俺は弁当を作ってるから凄いのではなくて、俺は俺だから凄いのだ。男が弁当を作ったって関係がない。

お前はお前だからすごい。嫁も嫁だから凄いの。結婚できてる時点ですごいし、子供二人を立派に育ててる時点ですごい。誰かのために弁当を作りてぇ。クソが。

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