はてなキーワード: 誰かのためにとは
接触確認アプリを私はインストールしないし、するつもりもない。
インストールしたら100万円くれるっていうならインストールしてもいいけど、そういう話は出てきてないので、しない。
私は自分のスマホが余計なアプリでゴチャゴチャしているのが嫌だ。ソシャゲをやらない理由はいくつかあるが「余計なアプリを入れたくない」という理由が3割くらいを占めている。LINEすら入れてない。とある大好きなアニメのアプリにはカメラがついていて、それは使いたかったのでインストールして毎日楽しく使っているのだが、そういう実感できる楽しさが特にないのに余計なアプリを入れたくはない。
そもそも私のスマホにどんなアプリを入れるかは私が決めることで、他人に指図される筋合いのものではない。特に権力のない私人が推しアプリを布教しているだけなら別に問題はないが、政府がアプリを推奨するとなると話は別だ。なんで私のスマホの中身に政府が口を出すんだ。もうこの時点でどんなアプリだろうが入れたくない。私のスマホは私のものだ。政府が口を出すな。
開発者がインタビューで言ってたことがクソすぎてヘドが出そうだったのでインストールしたくない。
日本人の6割が、自分のためではなく誰かのために、自分の大切な人を守るために、アプリをインストールできるのかどうか。そういうことが社会に問われているんだと思います。
まるでアプリをインストールしないやつは悪人みたいな言い草。アプリはそれがどんなものであれインストールされていない状態が普通であり、そこを何とか(「便利な機能があるよ!」とか「このゲーム面白いよ!」とか)言いくるめて使ってもらうのが筋だろう。それをまるで、入れて当然、入れないやつは道徳的に間違っている、とでも言うような口ぶり。ふざけるな。いったい何様なんだ。インスタグラムだろうがFGOだろうがカメラアプリだろうが接触確認アプリだろうが、入れてる方が特殊で、入れてない方が普通に決まってんだろ。入れてるやつに感謝するのはいいけど、入れてないやつや入れる気のないやつに文句を言うなよ。傲慢にもほどがある。
こんなクソ発言をする連中の開発したものをわざわざインストールするほど私はお人好しではない。こんな連中に作られたというだけで拒否するには十分すぎる理由だ。
これまでコロナで色々なものを制限され、我慢させられてきた。趣味の面でも仕事の面でも、コロナで色々な機会を奪われ、外出の自由すら制限されてきた。
もうこれ以上何かを制限され、我慢させられるのは嫌だ。それがどんなものであれ。
もしも何かをコロナ対策の名の下で押し付けてくるやつらがいるのなら、自分に可能な範囲でそれに抗いたい。アプリを入れないだけで自由の制限への抗議になるのなら、私は喜んでアプリを拒否する。コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う。その日常には、お役所から特定のアプリを入れろと言われないことも含まれるのだから。
最後になるが、上に書いたことはあくまで私個人の意見であって、他人に押し付けるつもりはない。私がアプリを入れたくないのは徹頭徹尾私の個人的なお気持ちに基づくものであって、これを読んだあなたがアプリをインストールしていても、それに文句をつけるつもりはない。入れたい人は好きに入れればいいと思う。
だから、私のようにインストールしていない人のことも、どうか放っておいてほしい。私はあなたにアプリの有無で文句をつけたりしないから、あなたも同じようにしてほしい。
これはそんなに難しいお願いじゃないと思うのだけど、どうだろうか? どんなアプリを入れるかは個々人が好きに決められる社会の方が、お互いにとって望ましいと思う。
このアプリを推奨する連中が抑圧的なので防御する側もそれなりの反応になっちゃいますね……「国民の6割に入れてほしい」とか「周囲の人のことを思えば入れられるよね?」とか「入れてないと入店拒否にすればいいんじゃない?」とかそういう抑圧的なことを言ってればそりゃそれ相応の反発をされますわ……こんなことをそのへんのオタクが戯言で言ってるならともかく、開発者やら大臣やらといったひとたちが真顔で言ってる段階で、もう自撮りアプリだろうが歩数計アプリだろうがリズムゲームアプリだろうが接触確認アプリだろうが入れたくないです。セキュリティの懸念とかそういう話じゃない。とにかく嫌。嫌なものは嫌。生理的に無理。
「悪事は黙って行う」知恵がないのには首を傾げる。
何も悪いことはしておらず当たり前の自由を主張しているだけなので、黙っておく必要性を感じませんね。むしろ黙っていたら権利が抑圧されそうな不安を感じるので、積極的に声を上げて自分の自由と権利を擁護する必要があります。
黙って入れなきゃいいだけなのに何がしたいのかわからん。普通の人はこの手の主張は直接友人と会話したりLINEで適当に済ませちゃうんで。そういう場がないんだろうけど
アプリを入れて当たり前、みたいな風潮が嫌だしそうなりつつある気配を感じるので、そんなことない、入れないことを決意している人もいるぞ、と大声で叫ぶことには意味がありますね。
こういうふうに、アプリを入れないってだけでタダ乗りとか言って侮蔑的なコメントするやつが湧いてくるので、そんな圧力には絶対に屈しないという意思表明をすることは大事なんですね。
アプリを入れない派は別にアプリを入れてる人には何も文句つけてないのに、アプリ入れる派の中には一定数他人の自由な選択に文句つける人が湧いてくるのほんと何なんでしょうね。これ同性婚とか選択的夫婦別姓とかで見たやつだ。もちろんいずれの事例でも選択の自由が支持されるべき。
新型コロナウイルス感染症は、フリーライダーへの対処が試されている感があるな。増田は自覚的だからまだマシで、現実逃避の成れの果てをどうするか。放置すると維持できずに潰れてスェーデンやブラジルの様な有様に
フリーライダーってのは、自分がコストを払わずに利益を得る人のことでしょう? じゃあ、私がこのアプリの普及で得る利益って何?
このアプリを入れない人には、何の情報も通知されない。このアプリの利益は「アプリを利用している陽性者との濃厚接触の情報が通知される」ことただ1点であり、その利益はアプリを入れていない人にはもたらされない。別にアプリを使っている人が多ければ街が清潔になるとかウイルスが死滅するとか、そういう効果をもたらすアプリではない。
つまりこのアプリは、原理的にフリーライドが不可能だ。だって、インストールというコストを払った人だけが唯一の利益である情報を得られる仕組みなんだから。コストを払わない人は利益が得られない、すなわち財の排除性を持っている。財の排除性がきちんと機能しているなら、そこにフリーライダーが入り込む余地はない。
ワクチンを打たない人もフリーライダー呼ばわりされることがあるけど、ワクチンの場合は集団免疫という「ワクチンを打っていなくても享受できる利益」が存在している。じゃあ、このアプリの「インストールしていなくても享受できる利益」って何? 他人をフリーライダー呼ばわりする以上は挙げられるはずだよね?
“コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う”その闘いに有効な武器だよこのアプリ。それにコロナとの闘いには個々人がマスクしたり手洗いしたり、このアプリで感染者を早期発見し感染拡大を防ぐ事も重要
政府がいちいち私のスマホのアプリに口を出さない日常が私にとってのコロナ以前の日常なので、そういうささやかなところから日常を取り戻すための闘いをしていきたいですね。絶対にコロナ(と、それを口実に自由や権利を制限してくる輩)には屈しないぞというお気持ち。まあ個別の場面で屈することはあるかもしれないけど、屈したくないという気持ちは持ち続けたい。
会社支給のスマホなら会社から命令されたら当然入れるべきだけど、個人のスマホならそもそもどんなアプリを入れるかを命令される筋合いはないんだよなぁ……
すばらしい。あなたの魂はあなただけのものだ。力強い主張を感じる。あなたは高い能力を持っており、他を頼らず、自分の力だけで生き抜いてきた人なのかもしれない。でも世界は小さく永遠に孤独だとも感じている。世界は自分という枠の中に閉じているということだろうか。自分の世界は自分の中だけにあり、それを満たすために外の世界は存在すると。
だが待ってほしい。あなたが手に入れたもの、年収やセックスした女性、卒業した大学は、第三者、大きくは社会に形作られてその形になったのではないだろうか。あなたの年収からは幾分かの税金が天引きされ、その一部は社会福祉にまわされているのではないだろうか。世界はあなたの中で閉じておらず、実はその生き方の一部は社会に還元され、人の役に立ち、誰かのために貢献している可能性があるのではないだろうか。
それをすべて思考から排除してしまうのはもったいないように思う。孤独で力強い魂が、より広く深くなるチャンスがあるのかもしれない。
時が経てば全て忘れられる。
開放される。
だけど同情と理解はたりなかった。今後も入荷の予定なし。
誰かのために尽くすことが自分のためで、そのことに命を削り、削れるものがなくなってから、迷惑をかけまいと身を引くことが美徳のように思わされて
何かあるたびに誠心誠意謝り倒しても誰も私を救ってはくれない。
本当は色んな人がいろんなやり方で私を救っていたのだが、そのことに気づきもしないし、感謝もできなかった。
私は私を冷たく扱う人しか見ることができなくなっていた。
いつしかこの世の全てを憎んでいた。
これなら魔王になれると思い、求人票を見てみたが一般兵の募集しか無い。
これぜったい捨て駒にされるやつだ。
とりあえず現実逃避することにした。
これ以上は書かないと思いましたが、書くことにしました。
あなたは化学的に正しい方へ誘導するけど、そうじゃないんだと私は思っています。人の心に訴えかけるには化学的に正しいが正しくありません。それでは人が動かないからです。増田の他のエントリーで大切な誰かのために自粛なんてクソ食らえだというようなものがありました。そういう人へも訴えかける必要があるのです。そういう意味であなたの言う正しさは正しくありません。誰かのための自粛だからです。
頭のいい自分がスタートラインになっているから下々の人たちが何を考えているかなんてわかんないんじゃないか?って失礼ながら思います。化学的に正しい言葉が万人に伝わらないから広告屋がいて、コピーライターがいると思います。DVクソ野郎だった井上ひさしは「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」をモットーにしていました。でも、あなたの言葉は難しいことを難しくのままです。それで誰に伝わるんですか?誰に伝えたいんですか?
たった一人、私を諭して状況は変わりますか?先に書いた増田に貴方の思いは伝わりますか?私はより万人に伝わる方法で危機を伝えたいんです。誰かのための自粛なんてクソ食らえだそう言う人にも響かせたいのです。そこに化学的に正しい言葉ははっきり言っていらないと思っています。だからお互い噛み合わないからやめようと言ったのです。
誰かのために生きていたい.
無論,その「誰か」ってのは不特定多数の誰かでなくて,自分がその人のために生きたいと思える「誰か」.
というか,自分のために生きるの難しすぎひん?
三大欲求さえも結構辛くなってきている感がある今日このごろ.我慢してても困るのは自分だけだし,それを追求しても悦ぶのは自分自身.
すべての行為の結果が自分という枠を抜け出ていかないことに,飽きたとは違うけれども,なんかもうどうでも良くなってきている気がする.
誰かのためになにかしたときに,その行為によって誰かは嬉しいと思うかもしれないし,悲しいと思うかもしれない.
けどそれは,少なくともその時点においては,自分からの行為がなければなかったものだし,そういう意味で結果が自分以外の環へと出ていっていると感じる(伝わるのかこの感覚?).
いくら札束があっても,それによって満たされることはない,みたいな.自分が与えた価値が形を変えて戻ってきているだけ?(でも価値を誰かに与えているからこの喩えは少し違うのかも)
「誰かのためだったらきっと頑張れる」という宗教に浸っているのかもしれない.というか,「自分のためだと頑張れない」と思いこんでいるのかしら,とも思い始めた.
頑張れなくなりそうなとき,誰かのために!と思う支えさえあれば,なんとか頑張れそうな気がする.
「誰か」ってのは,つまり一般化すれば「困難なときの心の支え」のことであるらしい?
自分一人で頑張っている現在,心の支えがなくなっている.じゃあ私の心の支えって,何かしら.
もう少し若かった頃は「誇り」「プライド」「生まれた意味」みたいなところに帰着していた気がする.
こんなにウダウダ生きてて恥ずかしくないのか?もっとエリート意識を持って人々を~的な.
ここでも結局,私を支えてくれる「誰か」という結論になって思考が途切れてしまう.
誰か.
がんばってても成果が出ない人は、大抵やり方が間違ってる。
でも1人でやってると、それに気づけない。
プロになれなくても最低限のことができるようになる。
ある程度できるようになったらそれをもとにやりたい事に進んでいく。
でもその通過点突破するのにみんなすごい時間かかってて、遠回りしてて
ほんとにやりたいとこになかなか届けない。
ちなみに私の職種名聞いてどうすんのかなと思った。
向き不向きはこの仕事にもあるよ。
自分の適性と能力を見極めて、適正に合わせた方向に能力つけていくしかない。
さすがにこれだけやってくると、努力が全てないってことはわかってる。
今は自分に向いていることを、誰かのために生かしてあげるだけ。
ただ、自分が何に向いてるかなんて、動かなきゃわからないでしょ。
動きなよ。
人が教えてくれるなんて思っちゃだめだよ。
あの頃は(ハッ!)炊き出しとかさ、なんかできることあって行動できたけど今はなんもなくない?誰かのためになにかできることってない
俺は社会のゴミで失敗作なので、社会のルールに従わないのが自分らしさというか、良い子でいる意味がないというか。
誰かのためにとかどうでもよし、社会に迷惑かけないとかどうでもいい。
そうだよ。社会は俺を失敗作扱いなんだから、おれと社会は関係ない。
別に周りに迷惑かけようが関係ないじゃん。どうせ大人しく奴隷になれとしか言わないんだろう。
だったら気を使う必要ないじゃん。
マッチングが機能していない、初心者と初心者が当たらない、同じ腕の人たちで集まっても初心者狩りの中級者が混じるetc...
上に例示した人に限らないけど、何故かマッチングが機能していないと思われているので反論したい。
初期レートを自分で設定出来ない(CPU5戦+中身入り2戦で決まるが)のは相変わらずの問題だし、
初狩りがいるのも確かだが、そんなものは極少数の例外であって、
相手の力量を測る物差しがない故に、自分と大差ない初心者を上級者や初狩りと認識してしまっているだけなんだ。
つまり、初心者同士が当たっているにも関わらず、勝てない人がいるんだよ。
何故か。
それは彼が、お行儀のいいプレイを練習して、初心者用のゲームプレイをしていないからだ。
ポケモンで「はたく」や「たいあたり」を連打すれば勝負になるのに、
「なきごえ」や「しっぽをふる」を使ったり、交換戦をしているから勝てないんだ。
だから、彼ではなく、彼に同調する誰かのためにアドバイスを書く。
1.キャラ選び
ブコメによると、彼はゼタを選んだらしい。
ぶっちゃけこの時点で答えが出ているんだが、彼が勝てない最大の理由がこれだ。
飛びが弱く、無敵技がなく、コンボが難しく、批判を恐れずに言えば単純に弱い。
飛び道具が強いのはいいが、それ以外は初心者が選ぶべきでない要素のオンパレードである。
弱キャラから乗り換えたのであれば、同じことをしても勝率3倍は堅いはずだ。
もし、ゼタが好きで変える気がないなら、そこは苦行だけど頑張ってくれとしか言いようがない。
2.お行儀のいい戦い方を辞める
格闘ゲームをちゃんとシステムを学びながら練習する、ということは今回が初めての為、タクティクスモードやRPGモードで1人で練習しつつ遊べる
多分、ここで間違った指標を「こう動くべき」と思い込んでしまったのだろう。
ストリートファイターの初心者にもいるんだよ。
動画を真似て、出来もしない差し合いのために無意味にふらふらする人。
昇竜をコスりまくれ。ガードされてもきっちり反撃するのは困難だ。
小パンをコスりまくれ。目押しとか先行入力とか忘れていい。連打しろ。
ガードはしなくていい。攻撃こそが最大の防御だ。
ここは強キャラでどれだけ多くボタンを押せるかの早押し大会なんだ。理性を溶かしていけ。
まとめ
ここでいうヘタレは、最初から逃げ腰・及び腰で物事に当たる奴って意味でひとつ。
もちろん俺のことなんだが、ようやく抜け出す糸口が見えてきたって話。
そもそも最初から逃げ腰・及び腰ってのと、一旦は腰を据えつつあまりしんどくならないよう切り上げる算段を打ち始めるのは、全然違う。
後者は抜かり無いとかちゃっかりしているという話で、まだ一定の理解を得られる目がある。
でも前者はもう分かりやすく保身丸出し・我が身可愛さ丸出し、即ち「お前自分のことしか考えてねーじゃん」というわけで確実に白眼視ないし嘲笑されるだろう。
ちなみに俺が前者みたいなスタンスになったのは大きな挫折を経験してからだけど、そんな事情は周りの知ったことではないので、信用を得るためには正すしかない。
と、年末年始に大休止しつつ自身を冷静に振り返り、このように思い至った。
で、周囲から見た人格なんて対外的な言動でしかないので、この場合「言い切る」「やり切る」に徹すればいい。
だから、あとはそんな言動を実現可能にする心構えというか考え方の話なのかな。
多分なんだけど、度胸ありそうな人の考えって、
のいずれかないし、その両方みたいな感じ?
とりあえず、こういう考えで失敗の恐怖心を追い出すことから始めようと思う。
まぁだいたい当たってるね。基本的に誰かのために何かやってあげたいという気持ちが欠如しているとは思う。
元夫がメチャメチャハードな部署にいるときぐらいは私がヤツの分まで家事をやるのがまっとうな夫婦なのかも知れないけど、私はヤツを信用していなかったので、「一度代わりにやってやると私に甘えるくせがつく」と思ってヤツの洗濯物を放置したりしていた(結婚当初の約束は洗濯は自分の分は自分でやるというルール)。
自分がきつい状況に追い込まれると周囲に甘えがちなので、勝手といわれればそれまでだけど、とにかく元夫には自分の時間を犠牲にしてまで尽くすほどの魅力を感じてなかった。たぶん私の辞書には「尽くす」という言葉は載っていないと思う。
何より、オタクにしかわからないオタクコンテンツポスターよりもっとまずいものがありますよね?
好感度高い有名人の写真で献血呼びかけてるポスターですよ。
武井咲、新垣結衣、栄倉奈々、市川由衣、深田恭子、石川遼、羽生結弦、田中将大、
若くて見目良くて能力あって好感度高い人たちが献血ポスターになって呼び掛けてるわけです。
彼等のファンはそれを見たら頭がポーッとなって献血行っちゃうかもしれませんね。
これは自発性を損なってると言わないんですか?
写真だけでなく、乃木坂46はインタビューで文字通り献血に行くよう呼び掛けています。
自発性の阻害?
与田祐希 次の握手会やイベントなどでは、「(献血に)行ったよ」なんて言ってもらえると、私の言葉が届いたんだなと、とても嬉しく思います。
堀未央奈 誰かのために役立ちたいと思っている方は、絶対この機会に献血をした方がいいと思う。
山下美月 それと、献血を呼びかけるという、とても大きな責任感が私の頭のなかにあって、いつものお仕事以上に緊張しました(笑)。
堀未央奈 ファンの方同士でも、握手会の前や後に献血に行ったりして、「(献血に)行ってきたよ」っていう報告が増えると嬉しいです。
無償協力の阻害?
堀未央奈 だからこそ、誰かのために役立ちたいと思っている方は、絶対この機会に献血をした方がいいと思う。それに献血は「誰かのため」だけではないんです。血液の検査成績を希望すると、健康状態も知れて「自分のため」にもなる。
同 血液型を調べるついでに献血へ行くのもありかなって。血圧なども事前に調べてもらえるので、自分のためにもなりますしね。
星野みなみ 私自身も少しでも献血に協力したい気持ちでいっぱいです。そのために、もっと健康になって、いい献血ができるようにしておきます。
(注 半年後の取材で献血したかと質問されて誰も答えられず、逆にプライバシー侵害が問題と取材者が批判された。その後、海外公演参加により提供者の条件を満たさなくなったので、献血はおそらく未経験)
うちの母にちょっと状況が似てる。私が小学生の頃に父方の祖父が倒れて介護の末見送った。祖父の妻である祖母は健在だったけど、仕事中心の人生を送っていたので家事とか介護の能力が低く、七割ぐらいは母が介護したといって良いのではないか。
そうでなくても一時的に別居しただけで、ほとんど姑との同居生活。父と結婚してすぐ私を産んだので、ほとんど夫婦水入らずの時期はなかったのではないだろうか。私がある程度成長してからは多少仕事もしていたけれど、家事は全て母の分担だった。
そして時が経って父が定年退職。祖母の趣味が旅行だったので、祖母が出かけていると「もう帰ってこなければ良いのに」と愚痴りつつ、くそ真面目に家事をやり、家族のおさんどんをする日々。祖母はやたらと顔が広くて外面が良かったのでやたらと電話がかかってきたり贈り物が届いたりしたのだが、それらの対応もなかなか手がかかるのだった。
元気にあちこち旅行する体力がある時期はまともに人付き合いをしていたけれど、祖母は片付けられない、捨てられない女だったので、部屋の中はとんでもない状態だった。安いもの、タダでもらえるものに目がなく、使い道がなくてもそういうものをもらってきたり買ってきたりするので部屋の惨状は悪化する一方だった。
そのうちに祖母の頭は老化により認知症の症状を呈し、しっかりしていた母方の祖母も足腰を悪くして一人暮らしが難しくなった。父方の祖母はかなり歳が行っていたので何とか特養に入り、母方の祖母は老人向けの住宅(基本的に自分で炊事や洗濯をするのだが、お金を払えば食事などを用意してもらえる)に入った。
今、母は実母と姑の面倒を同時にみている。だいたい向こうで衣食住の世話をしてくれるので週一回程度顔を出せば良いのだが、父も母も70歳を越えて、本当なら自分たちが介護を受けてもおかしくない状況だ。こうやってひたすら誰かのために尽くし、気がついたら自分の人生を楽しむ時間がなくなってしまわないかと心配だ。
芸能人・有名人に限らず、マスコミから一般人まで、権力者や何らかのトラブルに対応すべき立場(今回の台風なら東京電力)の人に対して批判するのがカッコいいみたいなスタンスがある気がする。激しい自然災害の爪痕と戦っている最中の人たちに「何で復旧にこんなに時間がかかるんだ!」みたいな。
現地の詳しい状況や復電にかかる手間なんて分かっちゃいない人に限って文句が多い。まさに被災地で復電を待ちわびている人々が文句を言うならともかく、安全地帯でテレビやネットで被災地情報を見ている人は、批判をする前に「東京電力頑張ってね」とか「自衛隊の皆さん災害対応お疲れさまです」とか言うべきではないだろうか。誰かのために必死に働いている人たちに対するリスペクトが足りないと思う。
自分は一体なんの業があってここまで辛い人生を送っているのかと思うことがある。
親の虐待
はっきりいうと、もうボロカスみたいな人間だ。自分が自分に自信を持つことを悪だと認識している。いや、自分を取り巻くあらゆる存在によってそう認識するようにされていると言ってもいいかもしれない。
周囲はもっと自分に自信を持つべき、とか、自己肯定感を高めるべき、とか言うが、0はいくら高めても0でしかないし、こういったすさまじい体験から0を1にしたら何があるかわかったものではない、と自動的に考えてしまうから、1にすることもできない。
多分、俺は自分を殺し続けてきたんだろうと思う。何回も何回も。言いたいことを言わない、やりたいことをやらない、ただただ周囲のストレスのはけ口、操り人形。
はけ口にするなといえばそれ以上の暴力が待っている。
言いたいことを言えば無理やり叩き潰されて黙殺される
やりたいことをやればそんなくだらないことをと全否定される
そのたびに俺は俺を殺した。思い切り歯向かいたい衝動を殺した。殺さないと本当に俺が殺されるから。あの世に行くよりはこの世にいよう、そう思うようになったのだろう。
そして今も俺は俺を殺している。
男というだけで攻撃されている。
自分を殺していない男たちはきちんと防御できているのだろうか、本当にすごいと思う。
俺には無理だ。もうむき出しの神経に直接刺さってくる。すごく痛い。
今日も誰かのために心にもないことを言う。もうこれ以上痛いのは嫌だ。
【追記】
あぁそうか、こうかくと「おれは男だから攻撃されている!」っていう被害妄想っぽい文章になるのか、コメントありがとう。