はてなキーワード: 松浦弥太郎とは
まず初めに、これは悩みではなくて、ただ単純に考えたことを吐き出してるだけです。
私はずっと「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」と信じて疑わなかった。
でも最近、果たして本当にそうなのか?ということをよく考える。
「みんな私のことが好きだから遊びに誘ってくれるんだ」はただの驕りだったのかもしれないと考えている。
ところで私は文章を書くときも、言葉を発する時も、自分の考えを誰かに伝える時は、いろんな捉え方をする人の気分を害さないためにいろんな方法で保険をかけるようにしている。
なのでここでも保険をかけさせてもらおう。「私はあなたのことが好きだから誘ってるんだよ!」という言葉が欲しくてこの文章を書いているわけじゃないということを。
話を戻そう。
なぜこんなことを考えているかというと、人間関係で少し悲しくて、猛反省することがあったから。
ここでは割愛するけど結構凹んだ。そんなことがあり、自分の人との関わり方を、改めて振り返ってみようと思った。
うーん。私は普段、一緒にいる相手が楽しいといいなと思いながら過ごしている。それ自体に問題はないはずだ。
じゃあ、何がいけなかったんだろう?
その結果思い当たったのだ、もしかするとわたしは「自分が人に好かれるに値する人間だ」と勘違いしてやいないだろうかと。
色んな人が私を日々遊びに誘ってくれるおかげで、自分一人で過ごす時間は週にほんの少ししかない。
寝る前か、読書や展示など一人でしたいことがあるかのほぼ二パターン。
それを「自分は多くの人に必要とされている」と勘違いしてしまっていた気がする。
(↑こんなことを考えていると表明することはすごく情けないし、恥ずかしい。)
(↑こんなことを考えていると表明することは、とってもイタくてダサいと思う)
その結果、少しくらいの失敗は大目に見てもらえる人間だとタカをくくってしまっていたのかもしれない。
ここで謝っても意味ないけど、ほんとうにごめんなさい。これ以上直接謝るのはウザいだろうなと思うので、こっそりと謝ってみる。
ことばのプロである松浦弥太郎さんの言葉に「また会いたいと思われる人は、一緒にいて楽しい人。もう一度会いたいと思われる人は、自分の話を大切に聞いてくれる人」というものがあった。
人間はどこまでも利己的な生き物だと思うし、それ自体をすごく自然なことだとも感じているので言ってしまうと、人は結局自分にとってメリットのある人間と関わり続けるんだと思う。
一緒にいて楽しい、も、自分の話を大切に聞いてくれる、も、冷たい言い方をすると、つまり自分にとってのメリットだよね?
いやいや俺は人の相談に乗るのが好きだから会っているよ。わたしは自分にリターンがなくても後輩に奢っているよ。
という人もいるかもしれないけど、感謝されるのって嬉しいし、気持ちがいいから、それは結局自分のメリットになっているんじゃないのかな。
全ての出来事を少し離れたところから見てみると、誰かのためにしていると思っていることでも、結局自分のメリットになっているんじゃないかなあ。
同時に発生する不快と快のうち、快の総量の方が大きいからやっているんじゃないのかな、と思う。
(異論はめちゃくちゃ認める)
それで言うと、みんなが私を誘ってくれる理由は「わたしのフットワークが軽いかつ、ある程度おしゃべりなので一緒にいる時間の楽しさがある一定の期待値を下回らないと予想される」からではないかと推測する。
徒然なるままに書き進めてしまったけど、書いている間になんとなく答えが見つかってきた気がする。
「私のことを好きな人が多い」のではなく「私に会うことになんらかのメリット感じてくれている人が多い」のだ!
それはそれで、めっちゃ嬉しいな。
というアホみたいな締めくくりでこの場を締めさせていただきます。
こんな変なことを常に考えているやつ、気持ち悪いしめんどくさそうだなという自覚があるので中傷はもっと違う言葉でお願いします。
ブスとかも嫌です。それでは、ありがとうございました。