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2022-01-10

anond:20220109220405

料理教室婚活場所には向かないよ。

通ってる人はすでに家庭持ちだったり、彼氏がいて花嫁修業的な感じの人もいる。

ABCとかカジュアル料理教室若いフリー独身女性もいるけど、料理を習うが目的から出会い目的を嫌がる人も多く問題になりやす

2021-12-28

アフガニスタンのこと

女性自殺率男性自殺率を超える珍しい国。

花嫁の6割近くは16歳未満で、借金返済に娘が売られるのが当たり前の国。

暴力にあった女性は8割を超え、その半分は性的被害、つまりレイプ

フェミニストは、女性の権利制限にばかり過敏に反応するけど、

それ以前に女性生命が守られていないんですよ。あの国は。

一人で出歩いたら誘拐されて、レイプされて、殺されるのが当たり前な社会なんです。

近親者の男性を同伴させるというのは、女性の命を守るための法律です。

2021-12-22

anond:20211222123817

花嫁学校」て名のソノ手のお店はチェーン店だったのだろうか?

anond:20211222123046

花嫁って「〇〇家と××家」で執り行われる結婚式で使われる妻となる女性に対する呼称のあの「花嫁」のことかい

2021-12-16

結婚式の参列マナー

メイク髪型

生花花嫁さんだけがつけるからダメ

・ダウンスタイルはかまってない感じだからだめ

お金払ってちゃんとセットしないと失礼→は?

・昼間はキラキラした髪飾りNG、夜はOK

すっぴん禁止

アクセサリー

時計はだめ→わかるけどみんなスマホは片手に持ってるよね

・ノーアクセサリーはだめ

パールOKだけどコットンパールダメ

キラキラしたジュエリー系は夜ならOK、昼はダメ

・ファーは殺生を想起させるからダメ→なら肉料理さないでくれる?

フェイクファーは毛が抜ける=縁起いかダメ結婚式ハゲ禁止なのか?

・膝を出すな

・肩をだすな

・肩をだすな(キャミソール型のワンピ禁止派)→Tシャツの袖が無いだけみたいなやつはOKってこと??

・肩をだすな(ノースリーブ型のワンピ禁止派)→二の腕の上部をだすなってこと??

・2つに分かれるを連想させるからツーピースはだめ→スーツ???????靴は???イヤリングは??

プリントは織柄の略式だからだめ

刺繍プリントに見えるかもしれないからだめ→は?

・でも着物刺繍OK→あ?

・白は花嫁さんの色だからだめ

キラキラ素材やジュエリー飾り、スパンコール系は夜ならOK、昼はダメ

・参列者は花を添えるためにカラードレスを着るべき→は?

オールブラックは失礼→着こなしによるわ

・2つに分かれるを連想させるからバイカラーダメ→もうお箸禁止にしよう

・生足NG

・柄ストッキングラメストッキングカラーストッキングNG

靴、バッグ系

・殺生を想起させるからクロコとかヘビ柄禁止

妊婦怪我人以外はヒール

・ブーツ禁止

サンダルなど爪先が出てるもの禁止

・踵が出ているミュール禁止

これらは結婚式ルールから披露宴だけならもっとフリーだよ派もいて意味わからん

結婚式に呼ぶってことは3万払わせてこのルールに従わせるってことなんだよなあ…

コロナもあるけど、友人にここまでさせてまで結婚式を開催したくない…

2021-12-13

結婚式にお呼ばれしたので振袖を着て行きたい

私の振袖は帯と合わせて総額がけっこうする

花嫁ウェディングドレスより絶対高い

でも見せびらかしたいので着ていきます

結婚式振袖着て行ってオッケーの文化があってよかった

2021-12-12

五等分の花嫁アニメコミック全部みたけど心が苦し過ぎて死ぬかも

昨夜アニメを見終わり、その後フルカラーコミックを一挙読みして寝たら、眠りも浅く、明け方から動悸が止まらない。

ダメか、やっぱアラフォーおっさんがこんなん見たらダメか。なろう系も見飽きて来たので、久々に学園恋愛ものに手を出したのが悪かった。尊いとか光属性とかそんなちゃちなもんじゃねえ。呪術とか腐食効果のかかった錆びたドリル心臓を抉られてる気分だわ。

あれか、終焉狭間無限に引き伸ばされた物語を見続けながら死ぬしかないんか。

というか君ら、どんな気分でこんなん見て「尊み!」「尊死!!」とかやってるんや? マジでくらったら立ち直れんわこれ

2021-12-05

ドラゴンクンニ✋(👁👅👁)🤚エスト5

クンニ✋(👁👅👁)🤚の花嫁クンニ✋(👁👅👁)🤚

2021-12-01

anond:20211201180927

それは女性子供の頃から花嫁修行」と称して専門教育を受ける機会を得てきたからだろ。

逆に男性は「厨房に入らず」などと言って教育を受ける権利剥奪され遠ざけられてきたのだ。

2021-11-27

BL雑記最近めぼしい本がない。

 とかいいつつ、お給料が出てお小遣いを充填したので『Canna 10th anniversary 2/4』を買った。朝田ねむい先生と文善やよひ先生とハジ先生SS連続で載っていて次の次に座裏屋蘭丸先生が載っている! すごく嬉しい!

 しかし座裏屋蘭丸先生の『シャングリラの鳥』番外編は一発ネタ1ページだった悲しい……。でも連載二本抱えた人気作家さんだから仕方ない……あるだけ有り難いんだ……。

 朝田ねむい先生SSは、連載中の『スリピングデッド』ではなく、なんと伝説の『兄の忠告』だ。ハジメとツヅキの兄弟は、短編登場人物ながらなんかすごく心に残るキャラクターから、時々蒸し返すように再登場してくれると嬉しい。ちなみに、私は朝田先生ブログ無料公開されているSS漫画に書かれていたツヅキの設定「Tシャツタグが出てる」の萌の瞬間最大風速の凄さが忘れられない。

 

ともあれ最近めぼしい本がない。

 ここの所、某BLレビューサイトツイ垢から流れてくるBL新刊情報が、どうもパッとしない。どれもこれも表紙からやる気満々の素っ裸ツルツル絵。一時、裸絡み絵じゃない表紙が多かった気がするけど、急にまた元のエロ売りに戻ったような。気のせいかもしれないが。しかし、大概のBL漫画は多かれ少なかれエロありなので、裸絡み絵表紙はゾーニングの一環としてそれはそれで読者とリアル書店のお客さん達に対しては親切だったりするのだろうか。私は一目見て「面白くなさそう」と思ってしまうのだが。

 新しいもので良さげなものが無いとなれば、先月より前に良さそうだが買うのは躊躇したものの中から選ぶかぁ。

 以下、買うかどうか迷い本。


坊主蜘蛛』(ハジ)

 カップリングタイトルとは逆に蜘蛛×坊主であるらしい。人外蜘蛛キャラデザがとてもいい。ただ、最近ハジ先生漫画連続で買っているので、ストーカーめいた自分の購買行動がちょっと嫌で買うのを躊躇している。

『辺獄のカレンデュラ』(ハジ)

 買うのを躊躇する理由上記に同じ。面白そうだけど。

『寄越す犬、めくる夜』2巻(のばらあいこ

 シーモア無料で1巻を読んだらよかったので。でもこれ全5巻なんだよなぁ(最終巻はクリスマスに発売予定とか)。長い上に1巻を無料で読んでしまったというのは、全巻コンプリートするのに長い年月を要するパターン

BANANA FISH』2巻と3巻(吉田秋生

 あ、これ非BL作品だ。

 苦労して全巻コンプリートしたぞと思ったら、なんと、2巻と3巻は0円の時に購入したものだった! Kindle本棚整理中、データを消したら2巻3巻だけ完全に消失した(購入記録まで……)。悲しい、とても悲しい! あの達成感は偽りのものだったなんて……。

 心折れてしまったので、当分買う気が湧かないと思う。

『屍と花嫁』(赤河左岸

 兄弟もの……ゴクリ。私は謎に兄弟BLが好きなのだ。好きがあまり余って自分で書いてしまうほどに……。だが、これは試し読みを読んだら嫌な予感しかしなかった。兄弟ものだしネタ面白げなのに、趣味に合わないにおいがぷんぷんにする。こういう勘って大事にした方がいいと思うんだな。

ハッピーくそライフ2』(はらだ)

 1巻を買って読んだので面白いのは分かるんだけど、読むと気力体力を削がれる系なので、どうしようかと。一般少年漫画でいえば『銀魂』とか『ボボボーボ・ボーボボ』とかみたいな、笑えるけど、読後にどっと疲れが押し寄せる感じ。

『きのう何食べた』3巻以降(よしながふみ

 これこそ、一度集め始めたら途方もないな。しかも手許にある1、2巻はKindle0円なので、コンプリートしたと思った後で泣くやつだ。



とか考えているうちに、『日々、君』(小池定路)の存在を思い出した。これか、これかな? だがお小遣いは少ない。も少し悩もう。

2021-11-11

頑張ったのに結婚できずに30歳になった

幸せな家庭を築くことが夢だった。

結婚出産しても働けるように「手に職」をつけようと思い、高校生の時から医療職を志した。

化学数学も大嫌いだったのに無理やり薬学部に進学した。6年間しがみついて勉強した。花嫁修業として毎朝お弁当を作って大学に通った。

残業の少ない女性が働きやす職場就職した。

大学6年間は、将来性のない男とは付き合わなかった。地元に帰って就職したいとか、結婚願望ないとか、そういう人は避けた。

マッチングアプリとか街コンとか婚活パーティーを駆使して、理想男性出会ったのが25歳の時。


お互いの両親に挨拶もしたし、結婚の話もしてた。でも貯金ためてから結婚しようとか、奨学金の返済があって自信がないとか、色々引き伸ばされて、29歳の時に振られた


他に好きな人ができたらしい。 

新しくできた彼女は21歳で同じ会社派遣社員らしい。

付き合ってた間頑張ってきた。

料理の腕前もかなり上げた。

忙しくても会う時間は作ったし、見た目にもいつも気を使った。デート代は折半

結婚はしたいけど、別に海外旅行に行かなくていいし、披露宴もなくていいし、結婚指輪も新居費用折半で良いと思ってた。結婚たかたか就職してから5年間で600万貯めた。

そして彼と別れ、結婚相談所に登録し、30歳になる。妥協しなきゃと分かってるけど前の彼氏と比べてしまう。

 

本当にメンタルやられて、毎晩こんな時間まで起きてるし、ふとしたときに涙が止まらなくなる。どこで間違えたのかなって。

2021-11-06

Google pixel6の広告見てると、思うんだが

登山して山頂で写真撮る内容なんだが花嫁の友人消すのってアリか?

一緒に山頂登ってガヤガヤした写真を撮ったほうが思い出として良くね

そこまでするなら山頂の写真花嫁画像貼り付けた方が登山するコスト削減出来ると思うんだが

2021-11-01

やっぱり喪中結婚式に行くべきじゃなかったかもしれないというお話

2021年7月母親がガンで亡くなった。

ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。

そして、10月に友人の結婚式があった。

喪中ではあるが結婚式に出席した感想を書いていく。

(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)

 

喪中結婚式に呼ばれたら

自分喪中で、人の結婚式にお呼ばれした場合マナー的には

喪中明けるまでは絶対行くな!

②忌中はNG喪中相手に出席して良いかどうか聞く。

のどっちかかと思われる。

新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。

私の場合大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題いか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。

さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。

 

■「心に刺さる」結婚式演出

中座エスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。

母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。

結果、「親友花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想

自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。

ももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。

挙式、披露宴で随所に差しまれる、「父親母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。

調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合演出方法もあるらしい。

もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。

また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。

完璧」な演出ナイフのように刺さってきた。

披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。

自分母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。

中座エスコート役をやると、カメラマン花嫁とのツーショットを撮ってくれる。

カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。

笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。

ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間常識がない。

あくまでも結婚式は「新郎新婦」のためのもの

あり出席者側が「今日ちょっと嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)

 

結婚式後も引きずる痛み

披露宴が終わって家に帰る途中でも泣いてしまった。

結婚式最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友結婚式に出てもネガティブ感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。

家に着いたら、花嫁から結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。

また悲しくなった。

これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。

今は微塵もそんなこと思えないのに。

何度も言うように、完全に私のエゴである

喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。

 

結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い

結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。

「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」

「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」

そう思うと会いたくもなくなってくる。

中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。

結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。

自分メンタルの強さ/弱さを考えるべきだ。

特に新婦は両親絡みの演出が多い。

(ベールダウンとか両親への手紙とか。)

新婦側の友人ならば、余計心に刺さってしまうかもしれない。

また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。

私は断るべきだったと思うし、もしかたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。

この心のズレは一生埋まらないと思うから

 

以上、とても偏った感想ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

2021-10-27

「五等分の花嫁」ってタイトルだけ聞いたらホラーだよな

と思った

2021-10-07

江戸時代、村の庄屋だった先祖日記から

登場人物は全員仮名、くだけた書き方だけど

お花ちゃんは早くに両親をなくしたけど、祖父母やおじさん夫婦に可愛がられ

成長すると村一番の器量良しの性格良しになった

幼なじみの太作さんと結婚することになりここまではよかった

問題は誰が高砂を歌うか

普通なら庄屋が歌うところを可愛い孫の婚礼だ、

とお花ちゃん祖父が名乗りを上げ、やる気満々だった庄屋と取り合い

そこへ「自分がやる」とお花ちゃんおじも名乗りを上げたそれが婚礼直前のこと

しまいには誰が一番お花ちゃんを可愛がったかをお花ちゃんのことをどれだけ知ってるかの暴露合戦

庄屋も小さい頃から知っているのでネタは尽きない

いつまでも婚礼が始まらないので、誰が高砂を歌うかを花婿と花嫁に決めてもらうことにした

が、お花ちゃん暴露合戦の内容に顔を真っ赤にして何も言えず、太作さんは隣で必しに笑いをこらえている 集まった村人は大爆笑

このままでは埒が明かないとお代官に決めてもらうことにした 話を聞いたお代官も大爆笑

結果は庄屋が歌うことで話は着いたとか

「やはり人徳だな」

という感想で締められていたが、結構、不幸な話かも

しろ2才の時にう○ちを漏らし、怒られると思ったか食べてしまい、でも口に詰まってばれた(見つけたのは先祖)とかそういう話を言い合っていたそうだから

そして律儀にそれを書き残した先祖よ・・

2021-10-05

anond:20211005134207

ケア能力持ってるって話と、重要視されなくなってる云々は別

生き方多様化して男に媚びなくても生きていけるようになったか花嫁修業って全体的な方向性だったものが失われただけで、女がケア能力持ってるかどうかとは別

anond:20211005134207

花嫁修業って形がなくなっただけでケア能力は重視されてるだろw

モテるための「女子力」って言葉はわかりやすく「ケア能力アピールする方法」だろw

2021-09-28

中国アニメ『天官賜福』12話まで視聴。

ネタバレあり。

 アニメ制作はここまで完了していて、続きはまだ制作中なのかな? とりまアマプラでは12話で一旦最終回っぽい。

あらすじなど。

 物語舞台古代中国っぽい感じ。世界は上中下の三つの世界に別れている。最上階が神々の国、中間人間界、最下層が鬼の世界

 主人公のシェ・リェンは元は人間界まれ王子様で、だから太子殿下」というあだ名で呼ばれている。太子殿下は二度天界に上がり神官となったものの、諸般の事情で二度とも追放され、人間界に落とされた。祖国はすでに滅びていたので、太子殿下廃品回収をして糊口をしのぐことになった。

 そして800年後、彼は三度目の飛翔をし神官に返り咲いたが、神官としての名声は地に落ちきっており信徒もいない。しかも飛翔をしたときの衝撃でうっかり器物損壊をしてしまったため、多額の賠償金を払わなければならなくなった。

 そこで太子殿下はまた人間界に戻り、人々の抱えている問題解決して徳(いいことをすると貰えるポイントのようなものらしい)を稼ぎ、賠償金を払うことに。そして自分を祀るお堂を建てて信徒を増やして神官としてのレベルUPをはかることになった。

 ……というあらすじらしい。間違ってたらごめん。

 原作BLなのだけど、主人公太子殿下が受けで、攻めは後に家出少年の三郎(サンラン)として登場しレギュラー入りするが、実は1話の終わり辺りで既に登場している。

ちょっとした解説

 中国ではBL規制対象のため、このアニメ『天官賜福』も非BL作品として造られているが、規制の網の目を潜ってちょくちょく萌をぶっこんでくる。

 まず、第1話ギャグの体で主人公太子殿下花嫁衣装を着、攻めが婚礼衣装のような真っ赤な服(たぶん普段着だが)を着て合流、太子殿下エスコートして事実上結婚式を挙げてしまう。

 その数話あとから攻めは家出少年三郎(サンラン)に扮し、太子殿下自分のお堂を作るのをお手伝いをしてそのまま居候になる。事実上の新婚生活の開始である

 ヤベェ、中国思った以上にフリーダム日本だったらBL作品という時点でスポンサーが着かなくてアニメ自体成功しないのにね。

 中国では一般の人々も老若男女問わずに知ってるくらい人気のアニメなのだそう。人気があれば原作がどスケベだろうが別に構わないのだろうか。まあ、私は原作読んだことないからどスケベなのかどうかは知らないけど。でも同作者の『魔道祖師』は読んだが、今時の日本ではなかなか見ないタイプのどスケベ小説だったょ……。

増田感想

 異文化の国からやって来たアニメなので、設定がよくわからんのはある程度仕方ないと思うのだけど、それにしたってよくわからない。

 とくに砂漠の中にある半月国に行ってからというもの、本編が実質14分くらいしかなくて、前回までのあらすじと本編後の中国無形文化遺産の紹介に尺を食われまくっていたのは、一体なんなのだろう?

 本国からして既に制作スケジュール問題か何かでグダグダになっていたのか、それともアマプラ配信用に強引に尺を詰めたらああなったのか。そこら辺の事情を私は全く知らないんだけど、なんかもっとこう……なんとかならなかったのかな! ストーリー訳わからなさすぎて、萌えを楽しむどころの話ではなかった。

 それでもTwitterを見ると「今回は泣いた」とか感想を述べている人々がおり、あれでよく感動できたな、それとも私がおかしいのか? と首を傾げてしまった。

 最終回12話のエンディング映像がきれいで良かったが、もっぱら既出場面の再編集であるので、すごいとは言えない感じだったな……。

 ちなみに、中国規制日本よりも厳しげというイメージ漠然と持っていたけど、そんなことはなさそう。原作では首吊り死体として登場する人物丸太にくくりつけられた状態での登場に改変されていたり、キョンシーの群れを屠ってお肉の塊にする場面は暗転して、肉塊は見えない所に片付けられていたけど。一方、普通人間が殺される場面はわりと普通に流血して死んだ。

 魔道祖師もだったけど、ストーリー支配階級政権争いや政治腐敗が絡んできて、それを社会のはみ出者の主人公暴露いていく物語だったりするので、中国でそういうのがセーフ扱いされているのが意外だった。

 ただし、『天官賜福』では支配階級は「神々」で人間は下界で人間の国を成しているし、『魔道祖師』も人々の上に立つの政治家ではなく仙道修行する修士達なんだけど。

 ともあれ、原作小説日本語訳が早く出版されるといいな。面白そうだから

 

2021-09-19

anond:20210919141314

人類歴史鑑みて女は働く(狩猟する)ようにできてないんだから女は黙って花嫁修業して社会と男を喜ばせて養われてりゃいいんだよ

逆に女が働かないと生存権すら危うくなる(誰も援助すらしてくれない)社会になったというならいよいよ末世に突入したという感じだね

2021-09-07

ラッキースケベ』は気持ち悪いと思う。

中学時代の黒い歴史の一つとして初投稿です。はてなについてよく分かってない部分もあるので、軽く読んでください。


先日、友人が割れサイトで『ToLoveる』を読んでいることが発覚した。

気持ち悪い。コイツは目が見えなくなれば良いのに。そう思った。

ソイツはどうやら、ヤミちゃんというキャラお気に入りらしい。割れサイトで読んでいる分際で、何漫画について語ってんだこのアホは、と思いつつも、話を聞いていった。ソイツが言うには、「ヤミちゃんエロい! エロいからかわいい! かわいいから好き!」とのことだった。俺は、「エロい」と「かわいい」の区別がついていない奴は、刑務所にでもぶち込まれたほうがいい、というタイプなので、イライラしていた。というかコイツは、「エロいから好き!」とストレートに言うと、脳みそがちん子でできていると思われると考えたから、こういう言い方をしたんだろう。まあそれでも普通にコイツ脳みそはちん子でできているんだな、と思ったが。



さて、本題に入ろう。

俺は、コイツの話を聞きながら、「『ToLoveる』ってそんなにエロいか?」と考えてみた。考えていると、自分自身が、「ラッキースケベ嫌い」であることがわかってきた。

なぜ、「ラッキースケベ」が嫌いなのか。

それは、「不自然」で「下品」だからだ。


そもそも、「ラッキースケベ」は現実では起こり得ないことだからこそ、「ラッキー」と呼ばれている。

何か障害物があるわけでもないのにすっ転んで、ん?何か手に柔らかいものが...となることはまずあり得ない。そこが不自然から気持ち悪く感じてしまうのだろう。

ラッキースケベ後のヒロインの反応も不自然である

以前、あるツイフェミ?の人が「普通異性に裸見られたらその後の関係気まずくなるだろ」と言っていて、ツイフェミもたまには正しいこと言うんだな、と思ったことがある。ヒロイン立場に立って考えてみると、主人公は、「よく分からん所で転んで自分のブラやパンツに手を入れてくるヤバい奴」である。それが事故であったとしても、2、3回続けばわざとなんじゃないか?と疑うはずだし、主人公がどんなにイケメンでも、少し距離を置こうとするはずだ。

そもそも、我々は主人公に近い立場に立っているから、「ラッキースケベ」と呼んでいる。だがヒロインからしてみれば、偶然とはいえ、何度も胸を揉まれたり、股に顔をうずくめられたりされる。これだと、「ラッキースケベ」ではなく、「アンラッキー性的いじめ」ではないか普通にかわいそうだ。

しかし、『ToLoveる』のヒロインはどうだろうか。「ラッキースケベ」を初対面でされても、何十回とされても、な・ぜ・か、主人公に惚れているのである意味が分からない。人の血が通っていないのか。

おそらく俺は、この不自然さを気持ち悪いと感じているのだろう。


前に、『五等分の花嫁』の原作者である、春場ねぎ先生が、「パンツを見せたらヒロインの格が下がる」と発言話題になっていた。俺は、この考えに深く共感した。そして、「ラッキースケベ」について考えている時に、なぜそう思ったのか分析をしてみた。

そこで出た答えは、これもまた、「不自然から」だった。

日頃の生活の中で、「パンツが見える」ことはまずない。ほとんどのパンチラは、作者または読者の「パンツが見たい!」という願望によって描かれている。不自然エロがあると、なんでこんなシーンを入れたのか考え、その結果行き着く先が、作者や読者の願望だからということになり、下品だなと思ってしまう。

また、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメの、カトレアボードレールというキャラにも似たようなことが言える。このキャラは、巨乳で、胸元をこれでもかと開けた服を着ている。他のアニメにも似たようなキャラがいることは分かっている。しかし、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という真面目な作品の中で、そのキャラ違和感になっていて、個人的には下品だと感じてしまう。別に巨乳が悪い訳ではない。胸元を不自然なほど開けた、「エロい服装下品に見えるのだ。

本質的に、「エロ」と「下品」は紙一重ものではあるが、そう思わせないよう、自然に見せる工夫が必要になるのだろう。

そのため、不自然まりない「ラッキースケベ」は非常に下品だと感じてしまうのである


では、そこまで下品じゃないエロとはどんなものだろうか。

これについて俺は、ヒロインたちが風呂に入るシーンを挙げよう。風呂に入るときは当然、服を脱ぐ。ヒロインたちが一緒に風呂に入ることで仲を深め、今後の展開につなげる。これは比較自然な流れだろう。

しかしここに、主人公が間違って入って来たらどうなるだろうか。雑な理由けがあっても、そうはならんやろと違和感を感じる。

なんでこんなシーンを入れたのかを考えると、汚い読者と作者の考えが見え隠れし、下品に思ってしまう。

しかも、その後のヒロイン主人公関係が気まずくなることはなく、逆にヒロイン主人公を好きになっていたりする。ヒロイン感情自分感覚とかけ離れすぎていて、主人公のことを好きになるように動いている都合のいいロボットに見える。

そんな状況が気持ち悪く感じてしまうのだ。

これらのことから俺は、「ラッキースケベ」は、その状況やヒロインの反応の不自然さと、顔を覗かせる読者と作者の汚い願望から気持ち悪いと感じているという結論に至った。

あくまでこれは俺の意見なので、反対意見があればそれはそれでいいと思う。

ただ、俺はラッキースケベが嫌いだ。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート6

収集品の属性

人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるか重要であった。実際、収集品は互恵利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶信頼性が低いために互恵利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。

メンガーはこの最初貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:

1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。

2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である

3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。

世界中人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾であるアリゾナ大学考古学であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的ものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間本能がそうである

(2)については、もう少し説明必要であるコストが高いという理由商品生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引償却されていく。貴金属貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能技術独自人間労働力製品に加えられている場合にも適用される。

我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品発見したり、作ったりしたことはない。アート収集品(この言葉現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的ビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所安価に鑑定することができた。貨幣さらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引コストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。

旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものほとんどない。

ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。

リントは、宝石のような特殊目的を持った収集品に先立つ、最初収集である可能性が高いのである。確かに最初火打石コレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊目的収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンスサピエンスが開発した他の様々な種類の収集である

新石器時代中近東ヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリー標準化され、美しさより標準的サイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所コイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局ブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである

収集品の属性が、貴金属コイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品共通しているのは偶然ではない。本来貨幣は、これらの特性を、人類先史時代ほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである

20世紀新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークアート作品市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的経済性を持つ物を中心にしている。進化過程重要役割果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全価値の貯蔵庫としての古代役割果たしている。

結論

一方的もの相互的なものも、自発的もの強制的ものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族利他主義行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償判決被害者利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間次世代親族財産を渡す最初動物となった。これらの家宝は、商品取引担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集である

ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである一族部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのであるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスホモ・サピエンスサピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元一族の全員が、他の地元一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカル親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係執行者となったが、暴力は依然として権利執行に大きな役割果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。

一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ発見製造コスト複数取引償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代コレクター収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。

本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。

前例のない協力の技術により、人類地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候適応したが、一方で、アメリカヨーロッパアジアでは、狩猟気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである現在地球上のほとんどの大型動物投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンスサピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易結婚相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。

原始時代貨幣は、我々が知っているような現代貨幣ではなかった。現代お金機能の一部を担っていたが、その形は家宝宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求人間普遍的ものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間欲望集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日貨幣の先駆けとなったのである

原始人がネックレスをつけた理由 パート4

墓場を超えた親族利他主義

交易需要供給時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易交易に基づく経済制度ほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族形成、死、犯罪戦争勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事需要供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易のものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚相続紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的貨幣動機付けと育成に役立ったのである

ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産株式債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンスサピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点であるさらに、熟練した部族一族は、余った消耗品耐久性のある財産特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。

考古学からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族リーダー戦争部隊リーダー狩猟部隊リーダー、(近隣の一族部族特定人物との)長期的な交易パートナーシップメンバー助産師宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族責任ある特権的地位称号を表すニーモニック役割果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。

マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティ不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的互恵動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式好意共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。

初期の西洋商人宣教師は、原住民子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人契約納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマス誕生日プレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度権利義務を表す豊富言葉を「ギフト」と訳していたのである17世紀アメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである

モースや現代人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物であるしかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的言及している無料または非公式ギフトを全く意味していない。現代人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様権利義務システムを指しているのである先史時代文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位相続すると、その地位責任特権相続人に課せられることがあった。)

ある種の家宝相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループ形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。

家庭内取引

収集品によって可能になった小さなループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資はるかに大きいことと、それに関連する人間結婚制度に関するものである一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類普遍的ものであり、おそらく最初ホモ・サピエンスサピエンスにまでさかのぼることができる。

親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間無駄にすることになるのが普通である子供への忠誠と献身は、主に義理家族、つまり一族によって強制された。結婚一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節献身約束に加えて、富の移転も含まれていた。

男性女性結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手選択氏族によって大きく左右され、氏族リーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族花嫁一族花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパインド一夫一婦制でありながら格差の大きい社会上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力はるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパ伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。

一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族パートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁結婚させるか(一夫一婦制社会場合)、より多くの花嫁結婚させるか(多夫一婦制社会場合)する。結婚だけのループでは、原始的貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである

相続訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合結婚)と需要供給の3つの一致が必要である譲渡可能耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎一族新婦一族現在欲求を、新郎新婦間の価値ミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しか政治的恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦一族への継続的奉仕義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎一族新婦一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダント指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化一般的であった。約23%の文化(主に現代文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。

残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である

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