はてなキーワード: 結論とは
新しく引っ越す街が、なんというかとても奥様向けというか
お花屋さんやらパン屋さんやらケーキ屋さんやらお菓子屋さんみたいな
そういう街だったんだけど
そういう「女子女子した街」の尺度って何かな?と思って考えてみて、「バレエ教室の数では?」という結論に至ったので調べた
渋谷区 16件
新宿区 13件
北区 9件
練馬区 9件
板橋区 8件
葛飾区 8件
江戸川区 8件
文京区 7件
大田区 7件
豊島区 7件
中央区 5件
台東区 4件
江東区 4件
中野区 4件
墨田区 6件
品川区 2件
足立区 3件
千代田区 1件
荒川区 0件
NAVITIME調べ
これを、人口当たりに直す
渋谷区 6.56件
港区 4.61件
目黒区 3.82件
新宿区 3.72件
中央区 2.96件
北区 2.53件
豊島区 2.32件
墨田区 2.21件
台東区 1.89件
葛飾区 1.77件
千代田区 1.50件
板橋区 1.37件
中野区 1.16件
江戸川区 1.15件
大田区 0.94件
江東区 0.76件
品川区 0.47件
足立区 0.43件
荒川区 0.00件
なんかそうだねって感じ
男女がセックスしないと子は生まれないが、後先考えないバカにならないとセックスはできない。
子ができたとしても生んで育てることに伴う責任とかリスク、コストとリターンとを冷静に考えたら産むなんて無理って結論になる。
そこに目をつぶってバカにならないと子を産む決断はなかなかできない。
そのダブルバインドに対してどっかで折り合いつけられる人たちだけが子供を作ってる
バカに対して、賢くなれ、後先のことを考えろ、子供が生まれたら親はその責任を負え、子供に不自由をさせずに幸せに育てろ、そういう教育をした結果、賢くなった人たちは子供を産むというリスクを取らなくなったんだよ。
中田敦彦のYoutube大学というYoutubeチャンネルが叩かれている。
まず結論を言うと、おれはこのYoutubeチャンネルは消えてほしいと思っているし、 もはや中田敦彦には自殺なり事故なりで死んでいただきたいなと思っている。 こいつが、おれがこの社会をおれのような人間にとって生きにくくしてる元凶だと思うからだ。 こいつは、適合人間の権化だ。害悪である。
中田敦彦のYoutubeの大学について、おれはもともと良いと思っていなかった。
誤っていることが多いからだ。 また、文学を紹介する時にも、著者に対するリスペクトが欠けているなと感じることがあった。
ということでおれは無視していた のだが、中東史のビデオが、それに詳しい人に酷評され、そこから中田敦彦批判が広まっていった。
おれも、彼の新選組のビデオは登場人物の名前はじめあまりに誤りが多く、 おれ自身は以前に話したとおり、麻布学園の自由論文テーマで土方歳三を選ぶほど新選組のことが好きであり、 本来ならば、中田敦彦のような著名人に新選組を広く紹介してもらうことは本意であるべきなのだが、 そのビデオを見た瞬間にチャンネルも登録解除したし、レコメンドも停止した。 気づけば、ディスプレイの中にいる中田敦彦に対して中指を突き立てていた。
それ以外のビデオに関しても、見る人が見れば誤ってるとわかるものが多いようなので、 彼のビデオは結構いい加減ということは言えると思う。
おれが中田敦彦のように、 お金を稼ぐためならば、多くの人に見てもらうためならば何をしてもよいと 考える人間が嫌いだ。
また、それに対して群がる人間も嫌いだ。
ツイッターなどで、何も面白くない、知能指数3くらいの白痴ツイートが 1000Likeを得ていたりすることがあるが、 こういうものにLikeするやつは全員ガス室に送るべきだと考えているし、 当然、ツイートした本人も死刑になるべきだと考えている。
なぜか。
それが、適合するということだからだ。
適合人間にとって真実はどうでもよい。 多くの人が正しいと信じていることであれば、それは正しいということになる。 間違っていることであっても、みんなが正しいと思っているから正しいという人間がこの世には結構いる。
中田敦彦にとって正しさの優先度は低い
中田敦彦にとって、ビデオが正しいことを言ってようが何であろうと関係ないのだ。 ただ小説や歴史をてきとうにおもしろおかしく紹介出来て、それによって自分のチャンネルが肥大して、 多くの視聴数が得られ、高額な報酬が得られればそれが正しいことなのだ。
Youtuberは多くの場合、虚業である。 彼らが提供しているのはエンターテイメントであり、 現代の価値基準でいうと、本来なくても良いものだからだ。
しかし、百歩譲って単なるエンターテイメントであれば問題がない。 それどころかおれは、人間が経済的に豊かになった時代においては、人の心を豊かにする エンターテイメントこそが必要なものになると考えている。
では、中田敦彦のYoutube大学はエンターテイメントなのか? 彼はそのつもりかも知れない。 しかし、見ている人間からするとそうではないのだ。 不愉快に思うこともある。
もちろん、不愉快に思う人がいるからやめろというつもりはない。 なぜならばそれはまさに適合サイドの論理だからだ。 全員が不愉快に思っても、正しいことならばやればよい。
しかし、これを「大学」と名乗るのはやめろ。 大学と銘打つのであれば、提供する内容に専門家のレビューを通すのを最善とした何らかの検査をしろ。 正しいことを伝える最低限の努力はしろ。さもなくば、「大学」と名乗るのはやめろ。
なぜ彼が、正しくないことを言ってるにも関わらずそれを大学を呼んでしまうかというと、 そういうものを大学と呼ぶことに罪悪感がないからに他ならない。 なぜかというと、彼にとって大学ないしは学問というのがその程度のものだからだ。
これは恥ずかしいことだと思っていただきたい。 まともに教育を受けた人間で、中田敦彦のYoutube大学を真剣に見てる人は 誰一人いないと断言出来る。 メンタリストDaiGoなんかも似たようなものだ。
中田敦彦がこのチャンネルを「大学」と呼ぶ背景には、 彼が本当に知識を多くの人に届けていることに正義を感じているかというのもあるだろう。
学校でいじめられて引きこもってしまった子などが、自分のビデオを見て学ぶことに喜びを感じているのかも知れない。 経済的に大学にいけない人に学ぶチャンスを与えたいとか思ってる可能性もある。 というか誓ってもいいが、きっとそういうことを言うのだ。なぜならばそれが適合人間だからだ。
しかしおれはそうは思わない。
歴史上の人物について何かしらの真実を捻じ曲げたりすることは、 生きている人間にとって嘘の情報を流してその人間の社会的地位を貶めることとなんら変わりない。
なぜならば、第一にその人の子孫は今の世の中に存在しているからだ。 これは、不愉快に思う人がいるから正しくないと言ってるのとは違う。 単に、犯罪行為をやめろと言ってるに過ぎない。 しかも悪いことに、登録者は100万人を超え、何万何十万というオーダー の人間に見られてしまっているのだ。
また、歴史というのは生きている人間の共通認識でもあり誇り・財産でもある。 これらを穢すことは当然許されない。 歴史は、空気中に浮かんでいる何かではないのだ。
おれは、中東の歴史については詳しくないので上で挙げたツイートについて それが真実かどうか判断する目を持たないが、 もし真実でないとして、それを中東の人が見たらどう思うのだろうか?
理由その2は、一度誤った知識を身に着けてしまうと、 それをあとで修正することが難しくなるからだ。
小学生中学生の子供が、中田敦彦のYoutube大学を見て 何かを学んだ(?)とする。 そしてのちに学校で同じテーマについて正しい知識を学ぼうとした時に、 正しい知識の方が定着しない可能性がある。
理由は、
1.動画で学ぶことは、退屈な教科書で学ぶことより記憶に定着しやすいから
3.多くの人が見ている動画だから正しいと思い込んでしまうから(適合人間の悲しさ)
「人間だから間違うこともある」というのが適合人間の論理だ。 しかも間違うことを許さないと社会が進んでいかないとか言い出したりもする。 というか中田敦彦はきっとそう言うはずだ。
しかしすでに述べたように、 間違ってると思うのであれば、それを大学と銘打って垂れ流すのはやめろというのが一点だが、 その間違いが単にケアレスミスとかそういうレベルではなく 「そもそも正しいことを広める気がない」という点を問題視していることから 自分に対する批判が始まっていることを認識していただきたい。
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
熱量が薄れて文章が短くなり、対象へのリスペクトが失われて興味本位の乱文になり始めている。かつてのように事実関係をきちんと確かめず、表層的な調査や単なる和訳で終わっている。
短文では、読者の知的好奇心も満たせまい。
そろそろ潮時だろう。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2024/2/12 | オランダブルマー短信、それからコーフボール | 5 |
2024/3/11 | 北欧ブルマー考、それからへそ出しブルマー、ブラトップブルマー (1) | 1 |
2024/6/10 | ウクライナ、イスラエルなどのブルマー、オーストラリアのタブー | 0 |
2024/6/10 | ルーマニアのブルマー続報 | 0 |
2024/6/10 | ズボンを下ろしてパンツ見せて腰を振る動画と超ハイレグなエアロビ | 67 |
ネットの浅瀬ではこれくらいが限界だ。ネットにアップロードされていない郷土史的な情報は、書籍に当たらなければならない。当たり前だが情報はタダじゃないのだ。汗を流して足を運ばねば、肝心のところはわからない。
得られたのは、論文ではほんの一行で済むような事実を実証するのにも、膨大な労力が費やされている実感だ。以前はライターになるのはどれくらい大変かを実感したと書いたが、こういう実感は、泥臭い調査をする真っ当な情報発信者に対する敬意を持つことにつながる。
はっきり言って、ブルマーが学校で採用されていた地域・年代を正確に理解することは、一個人の能力を超えている。redditで質問スレを立てることも考えたが、調査対象の地域と年代が膨大になると気づき、諦めた。学校で採用されていた地域の大まかな分布は、イングランドから北欧・中欧・東欧・旧ソ連を含む共産圏、それから日本とごく一部の東アジア地域、及びイスラエル、というのが当面の結論だ。イスラエルをヨーロッパにも分類しているウィキペディアを見ると納得できそうだ。だが、例えばイングランドのすぐそばのアイルランドではブルマかどうだったかさえ分からない(追記:ブクマカによれば、イスラム圏では体育の授業がない地域もあるそうだ。そうなると、女性の体育の授業があった地域ではかなりの割合でブルマーが採用されていたことになる)。
ぜひとも、どこかの大学で研究してもらいたい。できれば、日本の研究と同じように、採用された経緯や背景にあった思想、つまり自立と恥じらいの葛藤・共犯みたいなも知りたい。
ブルマをはいて運動していた人がいつまでも生きているわけではない。SNSの画像も理由もわからずにBANされる。アーカイブはいつまでも保存されるわけではない。魚拓を取ってもいつまで残るか。
ところで、証言といえば不思議なのは、ブルマーについて好きだったとか嫌いだったかとか腹が立ったとかと情報発信しているのが、ほぼ英語圏と日本語圏に限られていることだ。服装フェティシズムがこの言語圏で強いのか、個人が情報発信するモチベーションの違いなのか、自分の検索能力なのか、理由はわからない。
例えばチェコのフェイスブックでも、ブルマーがどうだったかとかあまり書かれていない。懐かしいとか今の子はもっと運動させるべきとかそんな言葉が多い。
もちろん、書きたいこともないではない。例えば天皇陛下のお好きな映画は大林宣彦「転校生」だが、ってことは小林聡美のトップレスをご覧になったのかなとか、そんな小ネタがある。
しかし、どう書いてみても面白おかしい小話になってしまい、リスペクトが失われているのがよくわかる。表現の自由とつなげたところで、面白く書く自信が無い。だから、終わりにする。
以上。
よくもここまで続いたもんだ。
いつか誰かがこの研究を引き継いでくれることを祈って擱筆する。
はてな匿名ダイアリーとはてなブックマーク、それから他のSNSで拡散してくれた皆様、そして読んでくれたあなた。
お世話になりました。
【終】
【メモ】
https://x.com/ShinyaMatsuura/status/1792754892182061227
(スレッド)
これ以上は服飾史の沼に潜らねばわからないだろうなあ。
何にせよお前の結論は導出過程にお前の思考が一切関与してないわけだ つまり自分の頭で考えていない
誰かが解説してくれるのを待ってるだけ これってガチャ回してるだけじゃん
児童教育のレベルで内容を解り易く説明してくれる誰かをお前はただ口開けてワンチャン待つだけのガチャ
その上お前は怒るべきか喜ぶべきかすらも教えてもらうまで解ってない
んでお前の思考が一切関与してないから何も考えず借りて引用して全返却 お前には何も定着しない
何にせよお前の結論は導出過程にお前の思考が一切関与してないわけだ つまり自分の頭で考えていない
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連結誘導集合とは、 延岡市富美山のおばあちゃん、女の子、子供、阿部寛のように平和に暮らしている者などが刃物を用意し過激なつながり方で、より小さい数の集合を支配し、
帰納的に結論を得る完全無欠な技術で出現することが一般には期待されている。
警察官は警察署に連行するかしないかのときに、一般に、 5,4,3,2,1、というが、これは警察学校で習う、警察署に連行する前段階の議論で、1を過ぎても警告を聞かないときは
有形力が出て連行が完結する。
完全帰納法が出るのは、 4,3,2,1によって出るが、 パスカルの定理は、 1,2で出るし、 完全補題も、結論がそのようになっている。
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「自分に近い遺伝子ができるだけ残るように行動するのが生物の宿命」 と 「自分から遠い遺伝子を取り込もうとする」 という2つの考え方は、どちらも生物の繁栄に関わる重要な要素です。
生物は、生殖という行為を通して、自身の遺伝情報を次の世代に受け継ぎます。しかし、生殖過程において、DNA複製エラーなどの影響で、遺伝子に突然変異が起こることがあります。
突然変異は、生物にとってプラスにもマイナスにもなる可能性があります。例えば、環境の変化に適応できる新しい能力を獲得する可能性もあれば、生存に不利な遺伝子が生まれる可能性もあります。
近親交配とは、近しい遺伝を持つ個体同士が交配することです。近親交配は、遺伝子多様性を低下させ、劣性遺伝子が発現するリスクを高める可能性があります。
一方、遺伝的多様性が高い集団は、環境変化への適応力が高く、病害虫や災害などの脅威に強いと考えられています。
生物は、自身の遺伝子をできるだけ多く残そうとする一方で、遺伝的多様性を維持することの重要性も認識しています。
そのため、生物は、近親交配を避け、遺伝的に異なる個体と交配することによって、遺伝的多様性を維持し、子孫の繁栄に繋げようとします。
4. 結論
何にせよお前の結論は導出過程にお前の思考が一切関与してないわけだ つまり自分の頭で考えていない
誰かが解説してくれるのを待ってるだけ これってガチャ回してるだけじゃん
児童教育のレベルで内容を解り易く説明してくれる誰かをお前はただ口開けてワンチャン待つだけのガチャ
その上お前は怒るべきか喜ぶべきかすらも教えてもらうまで解ってない
んでお前の思考が一切関与してないから何も考えず借りて引用して全返却 お前には何も定着しない
逆に、結婚を経済的に考えるなら子育てとか明らかにコストかかるからしないほうがいいという結論に達するのが当たり前なんだよね。
戦前とか経済的にもっと貧しい家庭とか多かったはずだけどそれでもみんな結婚して子どもどんどん産んでたけどそれはどういうことなの?って考えないといけないと思います
何にせよお前の結論は導出過程にお前の思考が一切関与してないわけだ つまり自分の頭で考えていない
誰が解説してくれるのを待ってるだけ これってガチャ回してるだけじゃん
児童教育のレベルで内容を解り易く説明してくれる誰かをお前はただ口開けてワンチャン待つだけのガチャ
その上お前は怒るべきか喜ぶべきかすらも教えてもらうまで解ってない
んでお前の思考が一切関与してないから何も考えず借りて引用して全返却 お前には何も定着しない
そうだろうね
俺はそうなる主要な理由は、日本おじさんたちの既得権に対する執着の凄まじさが原因だと思っているけど
全く同じ仕事をしているのに、おっさんは生涯二億、若者は生涯一億しかもらえない会社が腐るほどあるけど、それはおっさん連中が自分のケーキだけは絶対手放したくないから
ほんのちょっと分け与えるのすら嫌がる
このものすごい保身性が氷河期世代以降の苦境を作った主因っていうか、ピケティもそう結論付けてたし
なので、ジョブ型に形は変わっても日本の大多数を占める既得権おじさん達はうまいこと抜け穴探して今とたいして変わらない搾取方式でやってくと思う
☆追追記あり
結婚しない・子供持たない理由で“結婚生活を送る経済力がない・仕事が不安定だから”は20-39歳男女で35%〜36%くらい。(複数回答・男女共同参画局)
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-41.html
上のグラフ見ると、20-39歳未婚で“誰かと一緒に生きたいと思わないから”が男女で27%33%とか“結婚という形式にこだわる必要を感じない”男女で28%41%だったり(多分子供を持つ気がない)
公営のマッチングアプリでも解決できないだろう人たちが結構いる。
お互いの所得が足りないと子供がいざ大学に行きたいと言った時に奨学金となり就職後も借金で苦しめることになるし(結婚も晩婚傾向になる)(子供一人の生活費教育費、大学まで行かせるには2000万以上かかると言われている。今は物価高だからもっとかも)
夫婦で持ち家を持てなかったり、老後資金が全然貯めれないことにもつながって結局子供に援助してもらうことになったりするので。
これを嫌がる人は多いし、所得が足りないようだったら結婚の選択肢を除外してしまうのも仕方がないことだと思う。
また女性は妊娠中の切迫流産率(流産危機で絶対安静)は15%だけど、長子がいて父親が中小企業勤めの場合、時短勤務や子供が風邪などで保育園休みになったり、保育園で熱を出してお迎えなど厳しいはず。父親が中小企業だと簡単に早退したり休める雰囲気がないところも多いし。
長子がいなくて夫が激務なパターンでも、帰宅後家事をやらなければならない。
また周産期うつは(産前うつ・産後うつ 妊娠出産でホルモンバランスが劇的に変わるので起こる)罹患率10-20%なのでこれも酷い場合は夫が色々やらなければならなくなる。
発達障害児が生まれる確率は10%程※で、療育に通わなければならなくなるとフルタイム勤務はどちらかが諦めなければならないし、不登校になっても(お互い子供を勉強も教えず家に放置していい方針でなければ)どちらかが働けなくなる。所得が低ければ塾や習い事もあまり通わせられないし。
夫婦共に所得も貯蓄も多くない場合無職期間が長引けば男女とも地獄なので、所得を見た方がいいのは確かで、結婚しない・子供を持たない大きな原因になる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/
またこども政策の推進に係る有識者会議の東京大学の山口慎太郎氏は
・現金給付も現物給付もどちらも出生率向上に寄与。しかし現物給付(保育所整備)のほうがより高い
コストパフォーマンス。なぜか? 現物給付(保育所整備)は女性の子育て負担を直接軽減(させる)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_seisaku_yushiki/dai3/rinji_siryou5.pdf
“ 第14節 生涯にわたる人格形成の基礎を培う幼児教育の振興
また,20代や30代の若い世代が理想の子供数を持たない理由は,「子育てや教育にお金がかかり過ぎるから」が最大の理由となっており,幼児教育の無償化をはじめとする負担軽減措置を講じることは,重要な少子化対策の1つです。”
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421903.htm
…と少子化の理由を“ 子育てや教育にお金がかかり過ぎるから”という事実を認めている。
R5厚生労働省の厚生労働白書や、こども家庭庁のこども政策の強化に関する関係府省会議にも同じ文章があり、現物支給を特に重視しているのがわかる。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/22/dl/2-01.pdf
https://www.cfa.go.jp/councils/kodomo_seisaku_kyouka/mMyTNdJo
増田では現金支給も現物支給も一律少子化対策には不要なものという結論になっているけれど
夫婦合わせた所得が低い人と、それなりの所得水準の人とでは分けて考えた方が良いのでは?と思う。
ただ現物支給でも大学無償化については、政治への信頼性が低いので18年後のことを信用して産む人は多くないだろうとは思うけれども。
追記:
①元増田が“ 現金支給も現物支給も一律少子化対策には不要なもの”としていたわけではありませんでした。そういう結論の人が多いようにその時は思えて主語なしで書いてしまいましたすみません。
② 多くの人の認識の中で、子供を大学に進学させるためにどれくらいの世帯が老後の貯蓄を取り崩しているのかが不透明な気がするのでこれも追加で書いておく。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg7/290313/shiryou4-1.pdf
“約半数の夫婦が、理想の子供数が3人以上と回答している。(理想の子供数 3人:約40%、4人以上:約5%) 夫婦が実際に持つつもりの子供数は、理想の子供の数を下回る。”
“理想の子供の数を持てない理由は、「子育て・教育にお金がかかりすぎること」が1位。 ◆就学前教育段階、高等教育段階の費用が大きな負担と認識されている。 ◆特に、年収400~800万円の中間層において、理想の子供数を持たない理由として、教育費など経済的理由を挙げている”
“ 教育費負担の現状 子供が大学に進学する際に家計の貯蓄を取り崩している。さらに低所得の世帯ほど、学費を奨学金で補っている”
☆一番下のグラフ 子ども1人世帯と子ども2人世帯の平均貯蓄率 共に子供を大学に行かせると、マイナスになっているのが分かる。
貯蓄を取り崩して子供を大学に行かせる層もいるけれど、老後資金をちゃんと貯めたい(+子供に奨学金という借金を背負わせたくない)高所得にあたらない層は子供の数は制限するのではと思う。
☆追追記
私個人は婚姻支援と子持ち世帯への子育て支援両輪がいい、晩婚化は解消すべきでそのためには独身の若者の支援もした方が良いと思っています。
子持ち世帯の子育て支援もちゃんと少子化対策になるのではという趣旨で書くことに集中しすぎて、独身者への支援が必要ないという文になっていました。すみません。
・奨学金の件を書いたのは、子供を大学に行かせるのに奨学金を子供に借りさせる親を否定するためというより
結婚しない子供を持たない子供の数を制限する要因の一つであるとか、その子供の晩婚の要因にもなると考えたので触れました。
子供が大学出じゃないと価値がないと考えている親がどれ程いるか分かりませんが、子供が大学を希望した場合お金を出せない・借金をさせてしまうのは申し訳ないと考えている人は多いかと思います。(自分は親に出してもらった人に多いかと)
・施策について
独身者…独身者の住居費用補助やカップルの住居費補助はいいのではと思います。たしか親元で暮らす(一人暮らしするお金がなくて)より一人暮らしの方が結婚する率が高いというデータを見たことがあるので。
財源について
高齢支出と少子化対策為の支出のバランスがおかしい事を明確に指摘しており、多分多くの政治家は選挙の票が大事なので目を瞑りたい部分だと思いますが
これをきちんと指摘した「選択する未来」委員会はどんな思いで書いたのだろうと思いを馳せてしまいます。書いてくれた事を無駄にしたくないと思います。
選挙では高齢者の票が多いとはいえ、若者中年の意識が大きく変われば状況が変わってくるのかな。そうだといいと、諦めも大きい中で考えています。
⑷少子化
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_4.html
“ 日本では、高齢化の進行に伴う社会保障の充実により高齢支出の割合は年々増加しており、社会支出(高齢・遺族・障害等・保健・家族・失業・住宅・その他)全体に占める割合は2011年時点で46.5%となっている。一方、出生率が低下傾向にあるものの、少子化対策は高齢者対策と比べて、その取組は進んでおらず、1980年度の家族支出は4.5%とその割合は低く、更に1990年度は3.2%と減っていたが、その後、2000年度は3.8%、2011年度は5.7%と微増傾向にあるものの、いまだ全体に占める比率は低い。”
( 補足:データが古いので…グラフのものはこれしか見つけられなかったが最新2017年のものはこちら。
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-09-09.html
“人口減少が継続し、生産性が停滞した場合には、2040年代以降マイナス成長となる”“2050年代には〜社会保障を支えるための家計の潜在的負担が所得の半分を超すなど、厳しい状況が続く。” “現役一世帯当たりの実質消費増加率が2050年代までには現在の半分程度まで落ちる” “さらに、この場合には、人口・経済相互が負の影響を与え合う「縮小スパイラル」に陥ってしまうリスクがある。これは、人口減少により、生産を決める要素である、労働、資本、生産性のすべてがマイナスに寄与し、そして経済が縮小することがさらに人口に減少圧力をかけ、この負の連鎖が続く状態である。”
今、何ができるか?
若い頃にはした金を貯めるな
お前は馬鹿か
はした金をためやがって
豊かになっているはずの将来の自分の為に若く貧乏な今の自分から金をむしりとっていた。
ライフエネルギーを意識すれば、衝動的習慣的に行動せず、理性的に判断しやすくなる。
節約ばかりしている。そのときにしかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界が必要以上に小さい場所に乗ってしまう人生は経験の合計だからだ。
死ぬまでに金を全て使い切りたいと思っている。ゼロで死ぬ今しかできない経験のために使える金を無駄に溜め込んでいる人である
私はこういう人たちに向けて。
今味わえるはずの喜びを極端に先送りすることに意味が無いと伝えたい。ポジティブな経験を最大化することだ。
ルールを紹介する
明確な将来の計画をお持ち、同時に今を楽しむことも忘れない。
どれくらいの回数、それを味わいたいだろうか?
些細なものでも壮大なものでもいい無料でも高価でもチャリティーでも快楽主義的なものでも構わない。
とにかく有意義で思い出に残るものという観点から、一度きりの人生で本当に何がしたいのかを考えてみよう。
残念ながらこの度はもっと若い時にすべきだったそう結論を導きざるを得なかった。
確かに返済が大変だった。あの旅で得た人生経験に比べれば安い。誰も僕からの体験を奪えない彼に、どんな体験を積まれても、僕はあの旅の思い出を消そうと思わない
なぜ経験が大切かを改めて理解してもらいたいあなたが誰であるかは毎日毎週、毎月毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる人生でしなければならない。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080313
https://web.archive.org/web/20170710062324/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201203
「僕等がいた」観てきましたよ~。
うっかりレディースデーに行っちゃって、すごい人。
すごいなー。大ヒットだな!
主演お二人の組み合わせが、自然でとても良かった。
この仕事してる限り、いくつになっても必需品だよなあ。
予告で、「テルマエ・ロマエ」流れて、笑っちゃった。
漫画原作多いなあ~~。
開花楽しみだな
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本・映画---
美味しく飲めるんですけど(苦くないから。)、
自分好みに淹れようと。。。
早速物欲に負けとるがな。
ジョージ・クルーニーがCMしとるやつね。
試しに全種類飲み比べて、酸味が少なくてあんま苦く感じない物を厳選。
子供舌で雑に厳選。おいしい
がんばってみた痕跡。(これでも)
どうにもなってない。不器用なんか。私。
挑戦は、続く続く。
たくらんでるんですけど、
読み切りネタ2本と、「Piece」の次号プロットを同時進行させてたら
動いてないのに消耗するって、なんか割に合わないです。
来月、旅に出るので、今がんばらないと!
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日記---
「取りに伺いますよ~」と言ってくださるのだけれど、
引き籠りに飽きてるので、自分で持ってく。
今度、誰かのごはんにそっとしのばせてみる。
あと、「僕等がいた」のタダ券(また、タダで貰うのか!)
冷静に客観的に冷静に冷静に、、、とか言いながら
徐々にフェードアウト、結果思考停止に陥る人も多いんじゃないかな。
たぶん、私なんかはそのタイプ。
「頭良くないし。」を言い訳に。
だからすごいお方なんだなあ、、と改めて思った。
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本・映画---
完成間近の原稿
今回、背景少なかったので、予定より早めにアシスタントさんに
あがってもらう。いつもどうもありがとう!
つまりまだ終わってないわけですが。。。
天気も良いし、春めいてきたし、土日の人混みは避けたいし、
〆切まだだしね~!とかなんとか言い訳しながら、新宿に買い物に出てしまう。
最近物欲減ったな~とか思ってたのに、久々伊勢丹に行ったら、欲しいモノが溢れてた。
春物可愛いな~♡
新宿伊勢丹に行く度、平日でも人が溢れてて、「不景気ってほんとう。。?」
とか疑いたくなるよ。
出版業界も、例にもれず「不況だ!不況だ!」言われ続けてますけども、、
全体的には、勿論そうなんでしょうけども。
私の周りには、不況?ナニソレ?的に右肩上がりに売れ続けてる作家さんも
結構いるので、どんな時代であっても、作品次第なんだろうな。きっと。
私もがんばろー。
さっき、テレビで「第9地区」やってましたね。映画観に行ったなー。
良い意味でB級感たっぷりで、皮肉めいてて、深読みし甲斐があって、
可笑しいのに笑えなくって面白い。これ好き。
フィクション様様。人vs人で描いたら目を背けたくなるけど、
それも勝手な話だなあ。
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日記---
神戸に親戚や友人が沢山住んでいて。
「住み慣れた家も思い出の品も何もかも失って、逆にすっきりして
腹が据わった。がんばるよ。」と淡々と語る知人に、
当時、かける言葉がなかった。
あっという間に限界にぶつかるし、
励ましも同情も違う気がして困惑するばかり。
少しは大人になってるはずなので、
関わっていけたらいいなと、思います。
黙祷。
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日記---
堂々とサボってやるぜ!!とか思ってたら、
すんごい寝すぎてびっくりです。何時間寝てんの、アンタ。。。
我ながら、凄まじい有言実行ぶり。
冷蔵庫で1カ月くらい余裕で持つので、暫く寝かせてちょっとづつ食べる。
とか言いつつ、一切れだけ味見。
ふかふかで心許ない。。やっぱ寝かす寝かす。
90ページもあると、「ペン入れ、あと何枚!!」とか数えてたら
気が遠くなっちゃうんですよ。
なので敢えて数えない、、!!そこは男らしく(?)気分で描き進む、、!!
ペース配分なんて知らねえよ、、、!!!
仕事しよっと。
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おやつ---
引きこもってるのに、カロリー高いもん食べちゃった。
今更ながらWii を買ってみたよ。
運動してるつもりになってみるつもり。
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日記---
屋上に。少し。
ちょっくら家に遊びに来てくれる予定だったので、
遅れてる下絵をそっと見て見ぬふりしつつ待機してたんですが。。
が、うっかり(?)家まで辿り着いてしまったアシちゃん約一名と、
「アシパラ邸に行く日に、ピンポイントで大雪。アシパラの雨女ぶり
神になれるんじゃない?』って言ってた。」ってメールを読んで、
都合よく忘れてた!
あ、アシパラってのは、彬さんがつけた私のあだ名です。
どうかと思うよ。。?
がんばるぞー!
(下絵終わったら、いきなり元気)
話し合いってほど建設的ではないけど、結論として趣味をやめるか辞めないなら出ていくと言われました。
一番気に食わないのが、趣味を通して異性とやりとりしたり遊ぶのがイヤだとか。
こちら的には性別考えず遊んでくれる人と遊んでただけで、不貞を行う気は一切なし。
私と会話したり同じもの共有だけしていたかった、でも触れてくる、そういうのは気持ち悪い。そもそも触れるだけで気持ち悪い言われパートナーとして否定され続けてきて、友人とのやりとりをみて嫉妬して、そっちでは楽しそうに遊んでるのに我慢ならないと。
最初は確かに一緒に遊んでいた時もあった、でも遊び方の方向性とか好みのジャンル自体がそれて遊ぶ機会もへった。
今は気持ち悪いと否定され、嫁とのモヤモヤも含めて日々の仕事のストレスをゲームで発散するのが唯一になった。
ここに来て異性絡みを加えて唯一の趣味をやめろ、と。
一般論で考えたら嫁をとり、趣味をやめるべき、家庭に影響のない範疇でやるのが趣味。
趣味を押し通す甘え、というのもよくわかる。
昔から嫉妬深いところはあった、異性の友達とSNSで連絡したり、友達だからこその一歩踏み込んだ絡みにも不快だと反応して。
でも望む形がお互いずれてたままだった。
でもそうさせたのはお前が原因でもある。
趣味か嫁か。
嫁はこれまでと変わらず不機嫌に過ごしていくんだろうな、と考えると苦痛でしかない。
愛してくれた時に戻ってくれるわけでも絶対にない、なんなら今回怒らせたことをこの後もずるずる吊し上げる。
別れる場合は専業主婦で無職だから子供は置いていくみたいなことをしれっと言ってる。
子供のこと考えたり、家庭のこと考え、何より嫁さんのこと大事にして趣味をやめるべき、なのはわかるけど、趣味どうこうより、嫁が冷たくて窮屈なのはかわらないのに、それを忘れるべく逃げてた唯一の趣味潰したくないというワガママもある。
たかが、趣味、でもこれ以外何もないから日々のストレス調整できなくなりそう。
一般論で家庭より趣味を取る、結論だけまとめれば聞こえはすごい悪いし、子供いるなら子供のこと考えないみたいのはクソだと思う。
愛した嫁じゃない、実際は俺が原因でそうなったというのも理解してる。
それもお前が嫁を怒らせたからだとも言われるだろう。
でも、なんだと言われてもこれだけは絶対自分が潰れるってわかってる(なんなら嫁も取り上げたら潰れるって理解してる)