はてなキーワード: 生徒指導とは
父親が一切教育費用を出さないから成績よかったけど高校は仮に高卒就職でもホワイトにいける可能性残そうと商業高校に行ったし
こんなとこじゃ大学に行けないと思ったから親の反対を強引に押し通すためにわざと生徒指導級のこと起こして推薦ノーチャンにして普通科転入したり
親が予備校代出さないから家から通える手短な大学にしたけどそこも学歴ロンダした
だけどこんな状況でも就活に全くプラスにもならないし最終学歴だけは本当に環境と実力で取りたいと思ったからいま独学で勉強している
こんなの不公平だしコロナ禍じゃなきゃ正直受験なんてまともに戦う気なんてないけどコロナで現役生も自主的に勉強できないやつは落ちていくんだからと思ってやってる
ケンカ原因で「教室出禁」 元中学生が足立区を提訴「授業を受ける権利、奪われた」|弁護士ドットコムニュース https://www.bengo4.com/c_18/n_13286/
ーー以下、記事より転記ーー
区側は「中学校に入ることは何ら差し支えないこと、生徒指導の根拠は教育上の生徒指導・生活指導の一環であることなどを繰り返し回答した」などと反論している。
また、「自発的に謝罪の意を示すことができるまでは原告が所属教室で授業を受けることを認めない方針としていたのであり、教室への入室を一切認めなかったものではない」としている。
そのうえで、教育を受ける権利を侵害しておらず、今回の生徒指導は「趣旨・目的に比して原告に過大な制約が課されていたことはない」として、適法だったとしている。
「和解案で、学校と教育委員会が謝罪する場を設けるという話がでました。そもそも謝罪とは何か。息子の1年間は何だったのでしょうか。中学校の思い出の三分の一は校門の前ですよ」(誠一郎さんの父)
誠一郎さんも判決での決着を望んでいる。
「自分が手を出したのは悪かったけど、それ以外のことは悪いことをしていないと思っています。裁判で、学校が悪かったと判断してもらいたいです」(誠一郎さん)
ーー以上、記事より転記ーー
今から本の話をしますので、「ほーん」と思いながら見てください。(推敲後追記:本の話より自分語りが多くなってしまいました。)
自分は公立高校の教員を10年ほど続けています。最初の数年は比較的、学力の高い高校に勤務していました。中学段階での学力を輪切りにする入試で入学してくるので多少の上下はありつつも、中学校で上位30%〜15%の生徒が入学してくる学校でした。大学入試でいえば関関同立レベルに1/3程度の生徒が入学し、半数以上が産近甲龍に合格するような学校でした。(国公立はほとんどいません)
その後、異動した今の勤務校はいわゆる「生徒指導に課題のある学校」です。立地的なことや設立の経緯から、様々な背景を持つ生徒が多く在籍しています。ほぼ毎日のように生徒指導上の案件が発生し、停学を含めた懲戒案件も年間に50件以上起こります。
生徒の多くは中学校段階、あるいは小学校段階で「問題のある生徒(家庭)」としてリストアップされ、「高校に行くなら〇〇高校(本校)しかない」と言われて進学してきた生徒です。実例は挙げにくいですが、「金八先生」や「GTO」、「クローズ」をイメージすれば近いです。
勤務する中で最初は前任校との違いに翻弄されましたが、よくよく考えればその「違い」は当たり前で、今、目の前にいる生徒に対して必要な事を考えながら働いています。
在籍する生徒の多くは発達に何かしらの課題を抱えていて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を持つ生徒もいます。診断があれば、個人内絶対評価などの合理的配慮も行っています。
ただ、生徒の大部分は診断されていない、あるいは診断が出ない生徒です。しかし、それでも支援を要する生徒はたくさんいます。いわゆる「しんどい子」です。
「しんどい子」を前にした時、我々教員は大体2つのパターンに分類されます。①「しんどさ」に寄り添いすぎて甘々になる教員②「しんどさ」を理解せずに厳しさを押し付ける教員です。①に関しては「課題を多く抱えているのだから優しくしてあげれば良い」②に関しては「教員の言う事は全て正しい、言う事を聞けないのはおかしい」というように両極端になります。
教員の人間性やスキルにもよりますが、どちらにせよ「課題を多く持つ生徒を少しでも伸ばす」という視点に欠けてるなぁと思いながら過ごしています。
確かに、「しんどい子」を前にした時どうすればいいかわからないことは沢山あります。原因もわからない事が多く(発達上の課題に関しての理由はほとんどわかりません)、対処方法もわかりません。
そんなこんなでモヤモヤしながら勤務を続けて数年目ですが、2年前に「ケーキの切れない非行少年たち」という本に出会いました。この本は〜児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。 〜(出典:Amazon)という内容です。
この「境界知能 IQ70〜84」の人々が、我々の目の前にいる生徒の多くに当てはまると感じました。そして、この本から多くの気づきを得て、生徒との関わりを変化させてきました。
この「ケーキの切れない非行少年たち」の続編として「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」が出版されました。
この本です。紹介したいのは。学校教員や、対人の仕事をしている人、自分の子どもが「しんどい」保護者に読んで欲しいと思います。
特に教員の人には高学力の学校に勤務していても、いつかその様な生徒を前にするかもしれません。あるいは、こちらが気づいてないだけでそんな子を指導しているかもしれません。
我々(一般的な大人)には理解できない世界(環境という意味ではなく、認知力の不足による)で過ごしている子どもは多くいます。ですが、我々はそのことに気がつかず、気が付いても対応の仕方がわかりません。そうして、そのことに少なからず絶望し、他者との関わり方が歪む子どもがいるのは事実です。
しかし、おそらく多くの大人は(少なくとも教員である私は)目の前にいる子どもが「今の自分」よりも良くなり少しでも明日に希望を持って生きていくことを望んでいます。
正当化を避けるために、あえて言えば私自身も生徒指導の困難さから、いつも正解の指導ができているとは思いません。正直な所、自分の人間性に合わないことや、スキルに見合わない事、どうしようもない事が毎日起こります。
しかしながら、場当たり的な甘やかすだけの指導や、有無を言わせず従わせるだけの指導を超えた支援を考え続けたいと思っています。そうすることで「生き辛さ」を抱える人が減っていけばいいなぁ。と思いながら教員という仕事を続けています。
長くなりましたが、少しでも興味がでれば「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」を読んでみてください。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
公立の小学校で働いているが、#教師のバトンなどで最近クローズアップされている教職を傍から見た所感。自分は非教職・非正規。地方都市在住。あくまで個人的な所感。
・クラス担任になるとその教師にクラス全員分のほぼ全部の判断や責任が委ねられるので教師一人あたりの負担が大きい。自分の勤務する学校では他の教師は生徒指導的な面ではほとんど関わらない。
・教師個人によって判断・傾向の差が大きくあり、平たく言えば当たり外れも大きくある。いじめが起きた時、真摯に対応するか否かもその教師の経験や価値観に基づいて対応が変わる。
・やる気があると際限なく仕事が増えてしまうのでほどほどで止めるしかない。教師の仕事は膨大。日中は授業と生徒の面倒をみなくてはいけないのでそれ以外の時間に授業準備などをこなさなくてはならないが、職員会議を終えた朝8時過ぎには登校してくる生徒もいるので教室で待機になる。そこから15時~まで生徒の面倒をみてからの授業・行事準備や採点や提出物チェックや研修や問題ある生徒の対応や・・・(エンドレス。
・ちなみに自分が働く学校ではいつも朝6時から学校で勤務していた真面目な若手の教師がいたが、クラスにどうしようもない問題児が二人いた年度の半年を過ぎたあたりで精神を病んで休職されてしまった。
・ただでさえ人数が多い学校の事務的なことを事務員と教頭の二人でこなさなくてはいけないのでこちらも仕事量がやばい。あまりにも仕事量が多いせいか教頭はやる気とガッツが果てしなくあるタイプか問題を見ないふりをしてできるだけやり過ごすタイプの二通りに分かれる。
・問題のある子どもの親はだいたいやばい。親に問題点を伝えても対応できない(しない)こともある。授業の妨害をする子どもの場合、授業中にその子をおさめるために教師の労力が割かれてしまい、ほとんど授業にならないこともある。
・数年ごとの教員異動の仕組みのせいで教師全般が学校業務の最低限をこなすことしかできない。それ以上の改革まで踏み込めるような仕組みになっていない。
・現在の公立小学校はやる気のある真面目な教師から精神を病むようなシステムになっていると感じる。とりあえず無駄な行事をどんどんそぎ落として業務をスリム化すべき。
母が嫌いだ。
嫌い通り越して憎いとすら思うことがある。
昔からヒステリックな人で、事あるごとに「こんな家出て行ってやる!」と言って家を飛び出し車に乗り込み、呆然と見送れば怒りながら戻ってきて「どうして追いかけてこないの!やっぱりお母さんいらないんだ!」と叫んだ。それが嫌で、面倒で、いっそ出て行ってくれと思いながら、幼い私は泣きながら縋りついて謝り倒した。
今ならわかる。どうせ見送ったって戻ってきていた。それなら表面上だけでも謝っておけば平和に終わる。あのときの私の判断は間違っちゃいない。
「お母さん死ぬから!」「死んでやる!」も口癖だった。今言ったら確実に口に出してしまいそうだ。「いっそ死んでくれ」と。
そんな母も、息子、私の年の離れた弟のことはとても可愛がっていた。
弟が悪さをして、普通なら弟が叱られ、謝らねばならないところ、「あんた、弟が可愛くないの?お姉ちゃんなら罪を庇ってやるもんなんだよ」と言って、私を叱り、私に謝罪を求めた。
弟が怒られることをするたび私が謝らされ、そんな私の姿を見て育った弟は、次第に口数が減り、あまり自己主張をしなくなった。
そんな弟の変化を見て、私は可愛い弟だけは守らねばならないと、母の暴力的なまでの感情の波を一身に受けるようになった。中学生のときのことである。
だが、反抗期真っ盛りの私には耐えがたく、口汚く反抗しては母を怒らせた。朝になるとシンクに叩き割られた食器があったり、私の教科書が床に散乱していたり、ゴミ箱に捨てられていたり。まぁ多々あった。
結果、弟を溺愛している母が弟に、「あんた、反抗期なんてきたら家から追い出すから」と言うことになるので、弟には本当に申し訳ないことをしたと思う。
高校生になって、反抗はやめた。倍になって返ってくるし、言い返すのは単純に疲れる。ただただ、延々と繰り返される仕事の愚痴、知人の悪口、全て聞き流して、適当に相槌を打った。聞かなければ機嫌が悪くなるので、その間勉強なんてできない。もちろん成績は落ちた。
しばらくして、担任でも、副担任でもない、週に数回しか会わない程度の教科担任に、生徒指導室に呼び出された。何か悪いことしたっけとビクビクしながら、先生に勧められるがまま椅子に座った。
「大丈夫、じゃないよね、何かあったでしょ。友達と話してたとき、無理して笑ってるように見えたから」
話し出す前に泣き出してしまった。要件も告げずに生徒指導室に呼んだのは、他の人には隠してる様子だったから、だそうだ。いい先生だった。
少し距離を置いた方がいいかもね、とのアドバイスどおり、大学は自宅から通えない範囲で決めた。
心配だった弟の件は、生まれたときからそういう環境だったせいで弟自身にスルースキルが身についていたこと、弟を可愛いがっている母は弟には攻撃的な態度を取らないことから、大丈夫だと考えた。念のため、父に私がいない間は弟のことを頼むと言って家を出た。父は仕事が忙しいことと、私以上に母に攻撃されることもあり、会社に泊まり込むか深夜に帰宅するかであまり家にはいなかったが、できるだけ帰ってきてくれるようにはなった。
一人暮らしは最高だった。
ただ、もう十数年も母の金切り声を聞き続けていたせいか、夜中目を閉じるとこれまで聞かされてきた言葉が頭に響いて眠れないこともよくあった。完全に逃げられはしなかったが、それでも実物がいないだけましだった。
四年間はあっという間に過ぎ去って、現在、就職のために実家に戻っている。
控えめに言って地獄だ。暴力がないだけましだと思うようにしているが、私の自我全否定の上にネガティブな話をキイキイ話されるのは精神的にキツイ。
特に、コロナの流行後からテレビや政治家への強烈すぎる批判が加わり、家にいる間は常に愚痴か悪口か批判しか聞いていない。もっと楽しいこと考えられないのだろうかと思う。
私には学校行くな(必要があれば振り切って行った)就活やめろ(親が責任とってくれるわけではないので続けた)友達と遊ぶな、というくせに、母は友達とランチに行くし遊びに行くし。そして帰ってきたら友達の悪口に行った場所の批判の嵐。だったら行くなよ。
一度離れてわかったことだが、私は母との相性が良くないし、母のことが嫌いだし、憎んでいる。
それを認めてしまったら、余計に一緒にいることが辛くなった。
早く一人暮らしがしたい。
仕事をする意義とは、なんて就活ガイダンスで聞かれてもありきたりなことしか思い浮かばなかったが、入社目前にしてはっきりした。
私にとって仕事をする意義とは、お金を稼いで家を出て、自分らしく自分の人生を歩むことだ。
今現在も母が嫌いでしかたないが、働くモチベーションをくれたことには感謝したいと思う。できるだけ早く死んでくれとは思っているが。
「これ以上負担をかけないでくれ。このままだと、父さんも母さんも過労死してしまう」
愚痴る相手もいないので、せめてこの場を借り発散させてほしい。
私の両親は学校の先生だった。常に多忙で、食事や看病など日々の世話は、祖父母にみてもらっていた。
冒頭の言葉を投げかけられたのは確か中学生の頃だ。父からの説教は珍しいことではなかったが、〈過労死〉のインパクトは強かった。
私は日頃から親に負担をかけないよう、手のかからない良い子でいるよう努めていたつもりだった。部活で悩んでいた時も、学校でいじめられた時も、愚痴だって全部我慢した。親に反抗するなんて以ての外だった。
その時の父はきっと大層イライラしていて、つい口走ってしまったのだろう。(母の名前も出たが、父が説教する時の主語は基本「父と母」である。母本人の意向を無視していることも多い)
それでも私は真面目に考えた。何か気に障ることをしてしまったのか?家の手伝いが足りなかった?成績が少し下がったから?外出の誘いを断ったから?そんなちいさな不満の積み重ねが父の負担になった?
私の存在そのものが負担なら、いっそ消えてしまったほうがいいのではないか?と、この頃から漠然と思うようになった。
ここでタイトルの話に入る。
父は授業や部活顧問のほか、生徒指導の担当として、非行に走る生徒や素行不良、不登校の子のサポートを行っていた。
そういう仕事なので熱血も何もないが、イメージが伝わりやすいと思い、少し大袈裟だが〈熱血教師〉という言葉を使わせてもらう。
父はよく生徒指導の話を私にしてくれた。
例えば、暴走族が学校に入ってきたと思ったら、かつて指導した子が笑顔で挨拶しにきたこと。
不登校生徒が夜になると、父とお喋りをしに職員室にやってくること。
大人になった元不良少年が、先生のおかげで更生できたと感謝の手紙をくれたこと。
そんなことをいつも誇らしげに語っていた。
家庭に問題があったり、居場所がなくて道を外した子供たちの親代わりになって導いた、教育者として立派な仕事だと私も褒めそやした。
が、胸の内は複雑だった。
実の子供である私は、手を煩わせないようにいつも良い子でいるのに。甘えたくても「今疲れてるから」で後回しにされるのに。私が父の帰りを待っている間も、彼は問題児たちの世話をしているのだ。
他所の子供の面倒を見るのが教師の仕事。それは理解している。家庭を優先的すると保護者からクレームがくる。だから仕方ない。学校行事に親が来ないことは当たり前だったが、それは気にならなかった。
でも、〈手のかかる子〉の話はどうしても耐えられなかった。
私の父親が、顔も知らない子供に取られてしまったようで、嫉妬のような恐怖のような感情を抱いた。父の仕事は立派だとは思う。けれど私の前ではその話はしないで欲しかった。
そんなに手のかかる子が好きなら、いっそ私も家出して消えてしまおうか。親はとても不安になり、血眼になって探してくれるだろうと、ふと魔が差したこともあったが、できなかった。
その後も良い子を続けた私はそれなりの大学に入学できたものの、今までストレスを堰き止めていたダムが決壊したことにより、現在は鬱の寛解と再発を繰り返しながら社会の底を這いつくばっている。
私はとうとう〈手のかかる子〉になり、両親の不安の種となってしまった。
こうして文章を書きながら自分の弱さを省みる。厳しくも根気よく育て上げてくれた家族に対し、本当に申し訳ない限りだ。
未だに実家に寄生を続ける私に、定年近くなった父はこう言った。
「我が子も満足に育てられなかった自分が、他の子供をちゃんと教育できているか、もう自信がない」
私は何も答えられなかった。
35人学級やったーさらに色々な教育サービスを要求しようって感じになると、教員の成り手はますます少なくなると思う。
逆に、今回実現したのは、35人学級じゃないと仕事が回らないほど教員に求められる教育サービスが増えたためなのだと理解すべきだ。
だから、教育が次に手を付けるべきなのは更なるサービスの向上でなく、サービスの見直しだ。その一例に部活動が挙げられるだろう。
先日も「動物園」という名称で公立中学校の教育環境が悪い件が話題になっていたが、私が指摘するまでもなく、その理由も部活動にあると思う。
1日当たり2~3時間も部活動指導に当たれば、そういう生徒の指導にまで手が回らないのは当然だ。土日に家庭訪問することさえできない。
だからといって、部活動時間後に生徒指導までさせるなんて酷だ。先生方にこれ以上残業を強いてはならない。
そもそも教員側に部活動指導を強制する法的根拠はない。体裁上は、部活動指導は教員の自発的意志によるものなのだ。
だから、先生方がそのことを主張してその時間を生徒指導なり教材研究なりに回せれば一番いいのだが、同調圧力的なもので難しいだろう。
つまり、学習指導要領上、部活動は生徒の自発的活動であると規定されているだから、部活動の実質強制加入から禁止したらいいと思う。
加入者が減れば、教員が法的根拠を主張しなくても必然的に、部活動に当たる教員が減る。そのリソースも生徒指導にも回せるようになるだろう。
それよりまずは、先生方自身の余暇を十分に取ってほしいと思うが。生徒指導も大事だが、先生自身が元気でないと学校が成り立たない。
とにかく、時間はかかるかもしれないが、そういう教員というリソースの適正化が、生徒指導を含めた教育環境の充実に繋がっていくと思う。
国家公務員の働き方改革の流れに合わせて、その周辺も改善されることを切に願う。何よりも、公教育を受ける未来の子どもたちのために。
みんな生徒の素行ばかり論点になってるけど、治安を維持するのは結局教員なので治安の悪い学校の教員はマジで使えねーとかそういう話にはならないの不思議。「荒れる→凄腕生徒指導赴任→落ち着く→生徒指導離任→荒れる」みたいなのは結構ある。
治安維持に関して私立は学歴フィルタよりも退学という切り札があるので保っているところはある。反対に公立はごく普通の子供から金持ちボンボン超優等生に不良ヤンキー発達障害不登校コミュ障窃盗癖色恋沙汰万引きネグレクト生活保護家庭満遍なく一緒に指導しなくてはいけないので教員の力がマジで試される。
だから例えば私立の中高一貫のお嬢様学校からちょっといい教育学部を出て公立の教員になって「こんなはずでは」みたいなケースも極端ではあるが想定できてしまう。知識はあっても肌感覚で理解していないから悪気なく虐待家庭の生徒に「お母さんはあなたを愛してると思うよ」なんて声をかけて絶望させたり、素行の変化を何らかのSOSと受け取れず見逃していたり、それまでの経験が全く役に立たずに自身が病んでしまったり、いろいろある。「子供が好きなので教員になりました!」という人がモンペに疲れて辞めたりするのは保育士なんかでも聞く話。
はてなでは頭髪検査が蛇蝎のごとく嫌われているけど、髪型を奇抜にしてくる生徒が何らかのSOSを出していることはよくある話。親が離婚前提で別居しているとか、勉強が全くわからないとか何らかのコンプレックスを拗らせているとかよくあるからね。そこを指導に結びつけるかアホみたいに怒鳴りつけるかは教員の腕次第というのは問題だと思う。地毛を黒染めさせるのは意味わからんけど。
教員だけの話にすると私学の教員は公立の教員や生徒をマジで見下しているらしいとか公立の教員はクビにならないのをいいことにマジでやりたい放題やってる奴がいるとか、その辺の話をすると動物園問題から離れるからしないけど「公立の環境が悪いから私立しかいけない問題は公立の環境を良くするよう働きかけるしかない」がベストアンサー。そのためには教員の長時間労働の是正、部活の規模縮小や地域との連携、学校福祉の必要性(ネグレクト家庭の支援)、オンライン授業の充実(不登校対策)、教員の民間採用(外部からの視点を持つ)など思いつくけどその辺の話していこうぜ。
私立もいろいろだよねって思う。
小学校から私立で、そこは当時高校を持っていなかったので高校から私立、公立、国立を選ばないといけなかった。
県でも上位と言われた私立に進学した奴はそこそこいたが、いじめがめちゃくちゃひどいと有名だった。
ワイは公立に行ったけれど、元増田の言うような連中も通学しているんだろうなーと思う謎生徒指導が学年集会のたびにある以外はのびのびとやっていた。
国立は定期テストが終わったその日に自習室に行くとみんな勉強していてそこまで熱心ではない人は息がつまるみたい。
ワイ思うに、どこの先生でも成績優秀者はそれなりに優遇して見てくれると思うんだ。
私立や国立に行ったらワイもその他大勢の人々になっただろうけれど、公立に行って優秀者一覧にいつも名前が載っている人になるなら、そっちのコースも悪くないと思うんだよね。
私立とかはそれこそ生きるか生きるかの過酷な競争を送ってたんだなーと大人になって生きるか生きるかの過酷な競争をして分かった。
https://anond.hatelabo.jp/20201026003439
バズってる増田を読んだ。
日本海側の3万人クラスの田舎出身の人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。
元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業のイメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒の仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人にロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学進学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。
研究者→少年マンガのサポートキャラ、コナンの阿笠博士的な発明家ぽい人
その他商社マンや広告代理店とかの文系花型の仕事や司法書士、公認会計士等の仕業→そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!
見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方の国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方の高校生の認識ってマジでこんなもんだと思うよ。
個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方の田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校がダメダメ。動物園状態。英語のリーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下を自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブで教科書を燃やしたりする馬鹿とかいてしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校の選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシンで過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地の中高一貫を受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫高自体が無かったりするのがザラなんで。
コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式と赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策は全面的に高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任は地方国立の数学科院卒の経歴で、難関大学の入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身のちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。
まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋やジュンク堂的な大型書店があって多種多様な参考書を手に取って見れらし、進学校が存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウやエピソードを聞いたりできそうだし。
GIGAスクールとやらで、子ども一人一台パソコンが入ってくるらしい。
オサレなiPadではなく、ダサいChromebookというのが入ってくるらしい。
Chromebookは見るからに安いパソコンそのものでダサい。でも、ネットで子供が自分の好きなステッカー(ミニーちゃんだったと思う)貼ってデコってるの見て、あれならイイじゃんって思ったんだ。
自分の好きなステッカー貼ったら誰のか分かるし、愛着も湧くし良いんじゃないですかって。
まあ、当然反対された。
学校備品なんだから好き勝手にステッカーなんか貼らせるわけないだろって。
それは別に良い。そこまでは予想通り。
野球部のために教師やってる生徒指導のハゲが、それなら名前ラベル貼れば?とか言い出した。
ふざけんな、この野球頭!
お前、お気に入りのスニーカーにお名前書いたか?小遣い貯めて買ったギターにお名前シール貼ったか?
ギターケースにお気に入りのカッコいいと思うステッカーベタベタ貼ったろ!?
お名前シールなんか貼り付けられた瞬間に、これは俺のものじゃないって確定だよ。
やめてくれよ。
そのハゲ散らかした頭レフトスタンドまでかっ飛ばしてやれば中学生の頃のこと思い出すか?
みんな、それは良いですねーとか適当なこと言い始める。
思えばいつもそうだった。
やりたいことは全部ダメって言われて、やりたくないことばっかりやらされて、それが嫌で、変えたくて先生になったのに、結局、なんにも変えられない。
自分に配布されるパソコンに好きなステッカー貼る程度の自由すら認めてやれない。
提案すること全部ダメって言われて、コロナ休校の間にzoom使いたいって言ってもダメ、SNSで連絡取りたいって言ってもダメ。
そういうアレやコレやが頭に湧いてきて、つい食い下がってしまった。
どうせ貼るなら名前シールより自分のステッカーの方が愛着湧きますよって。
曰く、イジメの原因になるだの、悪ふざけする奴が出てくるだの、家庭の経済格差がなんだの、まあ、まくしたてる。
なんかもう、しんどいし悔しい。
あのハゲ頭にお名前シール貼ってやりたい。あいつのスマホにダサいお名前シール貼ってやりたい。
自分仕様にカスタマイズした道具の愛おしさは異常なんだけどなあ。
俺も野球やればいいのかなあ?嫌だけど。
https://news.yahoo.co.jp/articles/524aefaaed1f321543d1be1497fe6088ed594303
コメント欄での、教員には情報共有の必要があるんだから生徒には嘘ついてもばれなきゃいい・無断で約束破ってもばれないようにすればいい、みたいな考え方にすごく嫌だ。悲しい。
10代の悩める子が、ほんとうに真剣で深刻で真正な気持ちで先生を信頼したんだ。だからこそ秘密を打ち明けた。その信頼に真摯に応えようよ。軽んじるなよ。
教員間で情報共有は必要だってのはわかる。だったら、そのことを事前に伝えて同意をとったり話し合ったりすることが、この場合最も真摯だと思うし、それ以外はないだろう。
生徒指導教諭に対し『「担任と学年主任の教諭以外には他言せず、話が広まらないようにしてほしい」と伝えた。』のに、無断で多数の教員と情報共有するのは、そのピュアな気持ちに対する裏切りだよ。
つまり相談された教員以外の、情報の周知にて知った教員は最後まで知らないふりを貫くのが大事だと。いやいや、そこじゃないだろ、本質は。その手前で生徒の同意を得ておけば、知らないふりなど必要ないんだから。
嘘に慣れ過ぎじゃない?必要ない嘘も許容してないか?どうしても本人には知らせないとか知らないふりする必要がある状況って本件に限らず発生し得るが、今回はその必要ないでしょ。
教師が知らないうちに裏切っているかもしれない、あるいは裏切っただなんて、ショックすぎるよ。
記事の生徒は『驚きと不安』が募ったということだが、2度と先生・大人、ひいては他人を信頼しなくなる子だって沢山いるだろう。
公共の場でデケー声で悪口言われて晒し者にされたストレス発散で投下。
高校生最後の年にクラスの男子にバチクソにいじめられてた。特になんかやらかしたわけではないと思ってるし、そもそもほぼ会話すらしてないうちからされてたから、デブでブスの醜い陰キャ女を適当に楽しくいじって遊ぼうって感じだったんだろうけど、授業中だろうと休み時間中だろうと監視されて、友達と談笑してたら「○○さん笑ってるww」ってデカい声で報告される度に死にたくなったし、頭を突然体に擦り付けられたのは気持ち悪すぎてずっと忘れられないし、なにかする度にクスクス笑われて、明らかに私の事だけど名前の代わりみたいに隠語の蔑称使って聞こえる声で悪口も言われた。
何がタチ悪いかって隠語使ってるから反応したら途端に「誰もお前のこと言ってねぇじゃん笑」「自意識過剰すぎん?笑」って自意識過剰な奴にされるところで、そもそも反応する必要も無いからずっと無視してた。
でも一向に止まないし、そいつらが学校の中でも特に強豪の運動部メンバーだったから先生も黙認。ストレスで十円ハゲ出来るわ毎日ゲロゲロ吐くわで無理すぎて限界だったから捨て身のTwitterで鍵なし・顔出し・学校名とクラスと部活を大公開した上で引くほど暴言吐きまくった。これで私が生徒指導室に呼ばれたらその流れでそいつらも何かしら罰受けてくれるかなって思って連日簡単に特定できるようなツイートしまくった。デジタルタトゥーって言葉は知った上でやってたし、何かしら被害があればいいなぐらいの気持ちでやってたから当時は本当に馬鹿だったと思う。
結果的に言うと普通にバレてたけど加害者側が大学推薦控えてるから黙認。勿論私も注意すらされなくて、軽くHRに「SNSで学校名出すなよ~」とかその程度のこと言われたぐらい。
終わったなって感じ。
それからも卒業するまでずっと嫌がらせされ続けて、卒業する頃には男性恐怖症になってた。
エレベーターで男性と2人きりになると冷や汗と震えが止まらないし、男子高校生の笑い声聞くだけで自分が笑われてる気がして鳥肌止まらない。まともに会話も出来ないし、男性に対して恋愛感情なんて以ての外で、気持ち悪さと恐怖しか抱けなくなった。トラウマってこういう風に染み付いてくるんだなって感じ。
で、最悪なことにそのうちのクラスメイトのひとりが同じ学校に進学した。って言ってもその人は高校の時は進学のための勉強ばっかりしてた上に他の男子生徒にいじられてからは大人しくしてた人だったから関係ないかなって思ったらそんなことはなく。
結果的にそいつ含め全然知らんやつからも継続して悪口言われるようになった。なんで?
申し訳ないけど進学してからの私は本当に何もしてない。何もしてないのに存在してるだけで悪口言われないといけないってどんだけ人生我慢しないといけないんだよ。っていうか嫌いなら無視してよ。髪の毛染めた事も服装も私という存在全て否定してくるけどお前高校ではめちゃくちゃいじられてからめちゃくちゃ大人しかったじゃん。自分より下の人間がいたら攻撃するのかよ小学生かよ。誰もお前の為に髪染めてないし服も買ってないんよ。ほっといてくれもうって思うけど誰にも相談出来んし20になってすら教師頼るのも無理すぎ。高校の時の担任は「これも社会勉強」とかのたまってたけどそれじゃあ誰が私を助けてくれるんよ。法か?
まぁお陰様で現在進行形で男性不信と男性恐怖症拗らせてる訳だけど、母さんが私に最近将来の結婚の話してくるのがそれもあって辛すぎるんよね。
ごめん母さん私多分結婚しないし出来んよ。孫も見せてあげられんと思う。ほんとにごめんってめっちゃ思う。
なんか支離滅裂で読みにくいし文章くどくて最悪だな。なんかもう疲れたからいいや。
私が何もしてないのにおもちゃにされるような見た目してなければもう少し違ったんかなぁ。
人吉球磨(あさぎり町)で生まれ育った。正直いい思い出はない。
幼稚園と小中学校でいじめを受け、高校(H高校)は苛烈な管理教育が行われていた。
いじめの内容は思い出したくもないが、ウルトラマンごっこと称して男子全員からリンチされたり、無理やり服を脱がされて全裸にされたり、すれ違いざまに睾丸を握りつぶされたりと散々だった。
管理教育も苛烈で、問題を間違ったら罵声を浴びせられたり、宿題を間違えたら廊下につまみ出されて捕虜の姿勢をとらされたり、眉毛をそったりカラオケに行った人は生徒指導室に直行されるなど散々だった。
とにかくあの場所にいたら精神が壊れると思い、高校3年の頃はほとんど精神が壊れかけていたが、なんとか我慢して関東の大学に進学した。
土井隆義氏に憧れ研究者志望だったので大学院にも行ったが、適性がないとわかったので修士だけとって退散。紆余曲折の末都内の研究所に就職した。
しかし小中高の経験が尾を引きストレスで破綻、今は都内で細々と自営の手伝いをしている。
ただもうお金もないのでそろそろログアウトしようかと思っている。
とにかく幼稚園と小中高の体験から人吉球磨にはいい思い出はない。あの場所には二度と住みたくない。とにかく民度が最悪すぎる。
正直ああいう民度の土地には一度壊滅してほしい。東日本大震災や熊本地震の時は心が痛んだが、今回ばかりは天誅が下ったとしか思えない。
「わしら純情放火団」ではないが、一度水害により荒野になって自分たちの行いを反省してほしい。
ついでにああいう土地を美化した『夏目友人帳』は糞アニメだと思う。見るだけで通勤ラッシュの中央線ばりに虫唾が走るのでちょっとだけ見て後は見ていない。
小さい頃からプロレス好きだった私は中学生の頃には熱心なリングスファンとなっていた
「最強の男はリングスが決める」というフレーズの通り、世界各地から見知らぬ強豪がやってくるワクワク感
「ロシア軍特殊部隊のコマンドサンボの教官」とかもう肩書きだけで中二男子のハートを鷲掴みである
当時の私はハンス・ナイマン選手の得意技である“ナイマン蹴り”(中段蹴りと見せかけてそこから足が跳ね上がって上段蹴りに変化する二段蹴り)が大好きで
廊下などで友人とよくやっていたのだが、足を跳ね上げる際に通りかかった女子生徒のスカートをまくり上げてしまうという大事件を起こしてしまったことがあった
当時リングスを応援する上で一番の問題となっていたのは視聴方法である
当時の我が家ではBS放送を見ることは出来たが、WOWOWへの加入は親が許してくれなかった
スクランブル放送のリングスを友人と見ながら「今ダウンしたのは前田日明かな」「いやそもそもこれ前田の試合なの?」
「黒いタイツがディック・フライっぽいから前田の試合だよ 放送時間的にもメインでしょこれが」という馬鹿みたいな会話をしていた
ある日「隣のクラスの女子でWOWOWに加入している奴がいる」という情報をキャッチした私はすぐさま隣の教室へと走った
リングスを録画してくれと頼みこむ私に対し、面倒だし嫌だと断る女子
「お願いだから まずは1回だけでもいいから お礼に1000円払うから」と執拗にお願いしていたところ
近くで聞いていた別の女子がいかがわしい依頼をしているのだと勘違いしてしまい、教師にチクられそして私は職員室で説教されることとなった
生徒がツイッターで授業資料のスクショを上げまくっているのに気づいた。
彼らはみな実名か、学校名+すぐわかるあだ名で、公開アカウント。
スクショを上げて、馬鹿にしたり、回答をコピペしあったりしている。
いろんな授業の資料が上がっていた。
自分の授業はなかったが、たまたま目に入らなかっただけだろう。
授業資料だけでなく、生徒指導の支援室が送った個人宛メールのスクショなどもあった。
どれも、それぞれの教職員が良かれと思って一生懸命に作り、対応したものだ。
仕方がない。
ツイッターなんて自由にやればいいのだし、やっているのは生徒の一部なのだし、馬鹿にされるのは教職員の力不足だし。