「子供目線」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 子供目線とは

2022-05-12

anond:20220512215904

結構分かってそうだね、賢くて回り見れる子かも

子供目線だと、「自分は小さい赤ちゃん自分の身を守れない、つらい、いじめられているのに、あの人たちみんな助けてくれないんだな…自分が苦しんでてもどうでもいいんだね」ってあなた含めた家族全体に対する信頼も失うかもしれない

あなた対応にもよるんだけど、少なくとも自分はそんなふうに思ってたよ

一旦引き離して、奥様は1人にして休ませて、カウンセラー相談を予約して、本当にどうにかした方がいいと思う

子供の脳は未熟で育ってる最中なのに、脳がストレスで萎縮してたら発育本当に悪くなるよ

2022-02-18

anond:20220218123118

格ゲーなんじゃないの?

Quake3時代だって英語なりの口の汚さはあったかもしれないけど、

もうちょっと知的というか皮肉というか…

今は知らんけど無償FPSとか子供?が多いからか酷いみたいだし…

あとプロゲーマー逮捕された人もいた気がするけど、

ある大人児童接触するための道具としてゲームSNSとして使ってる、

そういうペドフィリアとか容姿大人で知能は子供が増えたんだろうなと…

言い換えると、大人になってもゲームやってるのは、

本当にゲームが好きでやってる人に加えて、

子供性的に狙うためにゲームやってる人たちが大量にいるってこと…

子供接触するために教師になる、学童保育職員になる、保育士になる、

それに加えてプロゲーマーなるみたいな人たちもいるってこと…

子供目線で共通話題になるから都合が良いというのもある

2022-01-06

anond:20220106063022

私にとって子どもを紹介されるのは、親を紹介されるのと同じ感覚だ。

はじめましてこちらうちの親です。

はあ、初めまして……

ほんとにこんな感じ。

人間だな、としか思えない。

じっとこちら見つめてきたとしても、人間こちらを見ているな、という感情以上に湧くものがない。あやすなど以ての外だ。

うそうこれこれ。この年末年始帰省した時に似たような事を考えてた。

多分「赤ちゃん可愛い価値が高い」みたいな認識自分の中に存在してないせいかな、と思った。

例え赤ちゃんだろうが、見目麗しい女子大生だろうが、65歳の小汚いチビデブハゲおじさんだろうが、

竹下通りで近寄ってくる身長190cmの黒人の兄ちゃんだろうが、自分の中では平等に「自分以外の人間」という、

めちゃくちゃでかい枠組みにシステマティックポーンと振り分けされてしまってるんだと思う。

最初は「自分以外の人間」同士でも相手大人なら、話し合いを重ねて相手を知っていくことで共通話題や同じ趣味が見つかったりして、

徐々に「知人」や「友人」になっていくわけだけど、赤ちゃん小学生ぐらいの子供と落ち着いた話し合いを重ねるなんちゅうのは、

そら土台無理な話で、扱い方や距離の詰め方が全然掴めずに顔が引きつってしまうのかなぁ、と有り余る時間自己分析してたわ。

周囲大人だらけの田舎一人っ子、という自分の生育環境もその傾向に拍車を掛けてしまった感は否めんけども。

赤ちゃん言葉とか子供目線で話すみたいな事がマジで出来んなぁ。自分自身がそういうのされるのが嫌いな子供だったから。

相手が3歳だろうが8歳だろうが13歳だろうが、ほぼ同じように扱っちゃう。そら語彙や話題には気を付けるけどさ。例え相手が30歳でも60歳でも基本一緒。

2022-01-05

口を利かない両親の呪いから解放されたと思ったがそんなことはなかった

自分の両親は仲が悪い。

仲が悪いと言っても口喧嘩をしたり暴力があったりというわけではないが、ただひたすら喋らない。

流石に全く一言も喋らないというわけではないが、予定の連絡や「ごはん!!」のような単語くらいしか相手に向けて発せられる言葉がない家庭だった。

それも会話と呼べるレベルではなく、一方的に言い放つだけだ。

何が原因でそうなったのかも自分には定かではない。

バカみたいに短気で気に入らないことがあるとすぐ殴る・蹴る・肘鉄を食らわせてくる、挙げ句壁に穴をあける反抗期の兄や、中学卒業して遠方の私立高校に通うために家を出た姉など単体ではきっかけと思えそうな出来事もあるが記憶曖昧なので、夫婦仲が最悪になったか反抗期苛烈になったり姉が家を出たのか、姉が家を出た結果家計面が苦しくなって夫婦仲が悪化したのか、色々考えられるが結局の所因果関係は未だによくわからない。

いつからそうだったのかは正確にはもう覚えていないが、最後に親戚宅等以外で家族イベントとして出かけたのが小学校4~5年くらいだったと思うので、おおよそ自分中学に上がる前にはすでにそうなっていたのだと思う。

そこから今日まで15年以上ずっとそのままだ。

 

自分大学進学と同時に家を出たのだが、実家にいた頃は母が家のことは家計管理から家事まで全てやっていた。

そのため、子供心にこれは良くない流れだと思いつつも、食事金銭面など生命線を握られていたのもあり母とだけ会話をする生活を送った(父と会話をすると、というより父が喋っているのを聞くと母が露骨に機嫌悪くなるので、結果的に父と喋る機会が無くなった)。

大学に入って周囲の家庭環境を耳にしたり実感の環境をある程度客観視できるようになってからは、父が家庭内孤立していることもあり実家帰省したときにはタイミングを見て少しは喋るようにしていた。

この頃は生命線を握られていた実家環境から脱出できて自分で会話すべきかどうかを決められるようになり、両親の呪いから解放されたように思えた。

 

しかし、ここ最近になって再びこの呪いを感じるようになった。

大学生だった頃はどんな理由かは知らないが現状は子供目線ではどっちもどっちだよなぁ、と感じていた。

就職して数年経った今でもどっちもどっちとは思っているが、一方で母が父に対して不満を持つのも当然だと思うようにもなった。

母はパートとは言え肉体労働系の内容で週5日9時~16±1時間勤務(繁忙期は土日勤務ありで9~19時過ぎまで仕事をしていることもあった)をしながら家事休日自分含めた子供部活動の送迎・手伝いなんかも全て一人でこなしていた。

就職して家事を全て一人でやるようになって改めて分かるが、当時の母には全くと言っていいほど自分時間など無かっただろうし休日も十分に休めていなかっただろう。

今思えば端的に言って母に負担が集中しすぎていたように思う。

それに対して父は正社員出張が多いようだったが、それ以外では残業もほぼ無く18時くらいには帰宅する生活にも関わらず家事は一切せず、家ではひたすらテレビを見ながらガバガバ酒を飲む人だった。

休日も繁忙期などは父方の祖父母宅(農家)の手伝いをしに行くこともあったが、大抵は趣味スポーツに出かけていることが多かった。

地域行事子供会などに積極的に関わっていた一方で、家庭内蔑ろにしていたのではないかと思うようになった。

加えて父は率直に言って会話がズレていることが多く、食事もいわゆるクチャラーというやつだ。しか最近はまだ軽度だが反ワクチン的な話題に傾倒しつつある。

こういった心境の変化があって改めて考えてみると、特に尊敬できる要素もなく「自分父親である」という点を除くとお世辞にも積極的に関わりたい相手ではなかった。

 

こうしてみると、大学の時に父と会話する頻度を上げようと思った事自体実家で母に強制されていた環境に対するただの反発や揺り戻しだったのではないか、という気もする一方で、今自分が父に感じているこの不快感もまた大学進学するまでの実家環境で刷り込まれ思想価値観が多分に影響しているのではないかと思ってしまうのだ。

金銭的にも精神的にも自立してなお自分価値観自分のものだと思う反面、解放されたと思っていた呪いが実は解呪不可能なほど自身に染み込んでいるのではないかという自己アイデンティティに対する不安を感じている。

 

ついでにいうと、あと5,6年もすれば両親ともに60歳を超えるのだが、今の関係性のまま老後やっていけるのかも非常に不安だ。

現状では、両親が祖父母のようにお互いにある程度助け合って一つの家で生活を共にするというのが、どうしても不可能ではないかと思えてならない。

一応兄は実家暮らしだが父同様で一切家事をしていないし、昔に比べてマシになったとは言え相変わらず短気で不機嫌になりやすく、とても介護必要状態になって実家生活がまともに回るとは思えない。

そもそも母方の祖父母夫婦2人暮らし生活しているし、自分には自分の、兄には兄の、両親には両親の人生がある以上、多少金銭面の援助はするかもしれないが少なくとも自分は直接介護をする気は全くないのだが、そういった将来の話も現状では全く聞くことが出来ていない。

2021-12-14

大人がしゃがんで子供目線で書いたのが児童書で、子供みたいな視点しか」持たない大人が書いてるのがラノベって印象を持っている。

ラノベ」より「児童書」が人気…!? 学校読書調査から見える意外な“中高生読書事情

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90122

文芸としてどちらが正しいかなんて言うつもりはないが

後者は当たればやれアニメ化映画化だとメディアミックスは派手だが

確実に何年か経てば消えて行く。ハルヒなんて今の中高生で読んでる子いないよね。

前者はひっそりと版を重ね何十年も小学校図書室にある。

かいけつゾロリなんかまだあるのびっくりしたわ。

10年前のラノベキャラガラケー使ってるのを見て「うわ古ww」って思うけど

30年前の児童書キャラバス100円って言ってるのを見ても自然スルーできる。

何だろうか。

2021-12-05

もしも自分の子供が出産前に生活に支障をきたす難病だと判明したら...

私は度々考えるテーマがある。

『もしも自分の子供が出産前に生活に支障をきたす難病だと判明したら、堕ろすか否か』だ。

私の考えは「堕ろす」だ。

当然ながら生命大事にすべきである

目線勝手な考えであることには間違いない。

しかし、子供目線で考えると、どうしてもこの結論に至る以外の選択肢が見つからない。

一番辛い思いをするのは子供本人なのである

いくら自分の子供でも痛みを共感することはできても直接感じることはできない。

私はアトピー持ちである。痒くて辛くても誰も代わってくれない。痒いね、と言われて終わりだ。

共感されただけでは症状が収まることは一切ない。大切な時間を消費して治療に専念するか、死ぬ以外の解決方法が無い。

社会を生き抜くことだけでも辛いのにそこにアトピー難病が加わると、とてもじゃないが普通精神状態で生きていくのはハードモードすぎる。

他人健康的な肌で楽しそうに生活しているように見える。貧乏人がお金持ちを羨ましがる感覚に近いだろう。

子供人間的な思考力を持った頃には、生き地獄を与えることになる。

であれば、一切の記憶自我意識を持たない出産前に堕ろすことで楽にしてあげたい、という気持ちになるのだ。

これが危険思考なのか、それとも自然ことなのか全く分からない。

ただ唯一分かるのは自分でもこの考え方が嫌だということ。

鬼のような考え方で最悪なのだが、自分経験から考えると、自我意識を持つ前に終わらせてあげること以外の最善な手段は無いと思ってしまう。

2021-10-25

私の両親は相手愚痴子供に言ってるような関係だった

歳をとって変わるものもあるかと思ったが悪くなる方が多かった

情があるだけマシという感じ

愛という感情子供目線では知覚できなかった

けど見せないだけで愛はあると信じたい

愛情を大っぴらにするお国柄ではないから、子供の前で愛なんて語るもんじゃいから、というだけで

ちゃんと2人とも相手を信頼して思いやっていたらいいなと思う

やっぱり無いか

2021-09-13

子供はいらない」を整理する

備忘録。前にも確か書いたけど、編集中に消してしまったので修正加筆してもう一度。

1.なんで子供欲しくないの

2.子供嫌いなの

3.なんで結婚したの

4.将来後悔するよ

5.産まれてくる子供目線の話

6.結局どうしたいの

1.なんで子供欲しくないの

欲しくないから。

なんかここに壮大な理由を求められたり悲惨バックボーン想像されたりすることがよくあるけどマジのガチ普通に欲しくないだけ。

宇宙飛行士は確かに立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。同じように、母親という存在は立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。

あとSNSやら何やらで流れてくる「妊娠はこんなにも辛くて出産はこんなにも痛くて産んでも誰も助けてくれない乳痛い飲みに行きたい自由になりたい死にたい」という母親本心を見ているとああはなりたくないなと思ってしまった。本当にお疲れ様です。

苦労されてるんだろうと思うので、子育て世代のための納税や日々子供さんを見かけたときサポートできることがあればお手伝いさせていただく、くらいの距離でいたい。

2.子供嫌いなの

ハチャメチャに子供好きなのでようつべで「赤ちゃん 予防注射」とか「赤ちゃん お食い初め」とか「幼稚園 お遊戯会」とか調べまくって癒やされてる。こう言うと「やっぱり産みたいんじゃん!」って言われるので普段絶対に言わないが、私は自分の子供は絶対に欲しくないだけで子供のものは好き。

というか、好きなもの絶対に手に入れて手元に置いておくべきって考え方はちょっとやばいんじゃないか?と思う。しか対象人間て。

そもそもかわいい子供」だけが欲しくて子供産んじゃうのは流石に無責任すぎて私にはできない。子供は確かにかわいいけれど、その子永遠に子供でいるわけではないので「かわいい子供が好きなら産むべき」っていうのは暴論だと思う。

の子供が大人になっておっさんおばさんになった後の方が人生で関わる時間は長くなるのに。

かわいい子供を楽しみたいからという理由で産んでしまうのって、我が子をアイテム扱いしてるみたいでなんか嫌なんだよな。

猫ちゃんも好きだけど同じように飼おうとは思えない。

子供大好きなので子供の話とかは遠慮してもらわなくても大丈夫。なんか世の中、子無し夫婦の前では子供の話はNGみたいな風潮あるけどアレも寂しい。むしろ聞かせてほしい。好きな漫画の話くらいは盛り上がれるし話したいし聞きたいので。

3.なんで結婚したの

これめちゃくちゃ聞かれるけどやっぱり世間一般では結婚子供なんだろうか。

私は法律バックアップが欲しくて結婚したんだけど、やたらと「なんで子供欲しくないのに結婚したの?同棲でよくない?」という声をいただくことが多い。

結婚子供って別に繋がらなくね。同じ道の上にはないよね。最初から結婚はしたくないけど子供が欲しい」と未婚の母を選択する人もいるし、「結婚はしたけど子供はいらない」っていう私みたいな人もいるし、私は結婚のもの子供とは繋がらないと思っている。

結婚すると、配偶者が困った時に一番先頭で支援する立場に立てるようになる。親族、それも一番親しい人としてあらゆる書類サインができる。突然の事故病気の際、医者から直接説明を聞ける。入院しても家族として助けられる。介護必要になったら私が相手おむつを替えられる。死の床でも一番近くで手を取れる。喪主ができる確率も上がる。私が先に死んでしまったとしても、財産相手に優位に残せる。これは同棲では無理な場合やいちいち説明必要場合が多いから、私は結婚した。

しろ結婚する理由ってほとんどこれらを得るためだと思ってたけど、これを説明すると「そんなこと考えたこともなかった」っていう既婚者がめちゃくちゃ多くてビビる

4.将来後悔するよ

子供を産まずに生きて後悔するかどうかは分からないけれど、子供を産んだら100%後悔する未来が見えているので…子供産んで後悔するより子供産まずに後悔した方がずいぶんマシじゃない?

5.産まれてくる子供目線の話

ぶっちゃけしまうと、大人は親業をやめることができる。親であることをやめたいと願ったとき、その方法はいくつか合法で用意されている。

仕事が嫌なら転職する、配偶者が嫌なら離婚するのと同じで、親が嫌なら親をやめられる道が親には存在している。

だけど子供は親の子であることをやめられない。

親子とは言っても思想思考も全く違う他人なので、性格や体質の致命的なミスマッチが発生する場合もある。そんなとき、親側から離れることはできても子供から親の元を離れることは法律上難しいのだ。

子供が親の子供をやめられるのは何か大きな事が起こってからで、その時には既に親子共に大きな傷を負ってしまっている可能性が高い。

下手したら人が死ぬ

そんな重大な責任を私は負えない。私という人間の元に一人の他人を縛り付けるなんて怖いことはできない。

それにもしも私が産んでその子合法的に手放したとしても、子の戸籍には私の名前永遠に残り続ける。私が死んだら、その子に死後処理と相続放棄負担をかけることになってしまう。

6.結局どうしたいの

今一番やりたいのは卵管結紮。だけど今の日本で手術をするには「既婚者」かつ「子供を数人産んでいるor配偶者同意必要」で私にはほとんど手が届かないものになってしまっている。

既婚者ではあるけれど子供は産んでいないし、夫は「ピルを飲んだりミレーナを入れることには同意するけれど、体に穴を開けてまで避妊手術をするのは同意できない」とのことで、こちらも難しい。そもそも「or」と書いたけど、現実的には「&」を条件にしている婦人科ばかり。本当に困っている。

自分子供を産める体であることがおぞましくてたまらない。ピルをやめると子供を産める体に戻ってしまうことが苦しくて気色悪い。憎悪しかない。なのに、手術は受けられない。

本当なら子宮摘出したい(ホルモン由来の病になりたくないので卵巣は残したい)くらいなのに。

なんなら不妊治療にも子宮移植の話が出てきてるし、私の子宮で幸せになれる人がいるならそうしていただきたい。

性別適合手術は未婚者でも可能なのに、性別違和の無いシスジェンダー女性子宮を取るには配偶者配偶者同意必要というのもよく分からない。

世の中には、子供が欲しくない既婚女性を良しとしない人が多い。女性はみんな将来的に子供を産むもんだと思われているし、子供を望むもんだと思い込まれている。

子供の頃から「将来はいいお母さんになるね」「赤ちゃんのお部屋を守るためにお腹は冷やしちゃだめだよ」と言われるたびに感じてきた違和感が、大きな嫌悪感になって今の私を苦しめる。

思い返せばおままごと等でも母親役は絶対に避けていたし(妹役やペット役や親戚役など赤ん坊の世話をする人とは程遠い役を買って出ていた)将来の夢にお嫁さんもお母さんもその名が上がったことはなかった。

子供が欲しいと純粋に願う女性もいれば、子供が欲しくないと純粋に願う女性もいる。なんならここで言う「女性」は他の性別に入れ替えたって問題ない。とにかく、世の中には本気で自分生殖機能を閉ざしてしまいたいほど子供が欲しくない人がいるということを分かって欲しい。

恋人の有無、婚姻の有無、子供の有無で人の良し悪しを決めつける風潮が早くなくなりますように。

2021-07-08

シンエヴァ庵野回復物語なんかじゃない

シンエヴァを見て「結論が浅いよな」って言う人が居るけどさ

結局庵野秀明って「大きな子供」じゃなくて「子供だけど大きかった」ってのが正解だと思うんだよな

大学自分で選んで、優秀な成果を在学中に上げて、中退してトップレベルアニメーターと共に仕事して会社立ち上げて

30そこらで結婚して、責任ある立場に立ち続けて

結局「優秀な人」が「子供目線に立って」作ったのが真相だと思うんだよね

結局はさ、人付き合い苦手な親父が子供と日曜キャッチボールして

明日から勉強頑張りなよ」ってのが「エヴァンゲリオン」って作品だったと思うんだよ。子供目線から見るとさ、親父は手加減してくれてるから

「親父しょぼいなぁ」なんて思っちゃったりするけど。庵野子供だなぁ、大人になりなよって言っちゃったりするけど

偉大な人間はさ、努力してない訳よ。努力じゃなくて夢に向かって走ってただけで

何もない人間がもがいてもがいて、結局手にするはした金の重み何て優秀な人にはわかるわけないのよ

シンエヴァを見て「浅いな」って思っちゃう人って結局、無能故にもがき続け出来た汚い穴を深さだと勘違いしてるんだよね

シンエヴァの泥の上に出来た綺麗で浅く真っすぐな轍を、人の進んだ道だと評価できない。共感できない。

2021-04-30

専業主婦ってそんなに悪いのかな

子供目線になるけど、少なくとも私は母が専業主婦でよかったと思う。(小学生までだったけど)

それでも兄弟が多くてかまってもらえる時間が少なく寂しい思いしてたのに、兼業だったらもっとしかっただろうな。

2021-03-24

anond:20210323104232

貸借対照表的な話なんだけどさ

権利責任責任価値価値福祉みたいなのって鏡写しというか近い関係性をもっているのよ

たとえば、知的障碍で価値がない人を追い出していい、相手にしなくていい、というのなら

そうでない人の生活区域内に、知的障碍の人たちの住むエリアを別途確保することになってしまうよね

用意なんてしねえ一般人の目に触れないところに行けっていっても日本権利者がいない土地はないんだけど

どこかに知的障碍者権利者となっている土地」を日本国土として無料でお分けすることになるのかってことや

いや不要なので殺していけばいいじゃんって言うのだとすると「人を殺すということ」をする事になるので

人を殺すことに社会的リスクと支払うべきコストがあるよね 殺人を犯した人は法治国家では裁かれるの

それを「裁かれない」って大幅コストカットをすると「人の命としての価値」を大幅カットすることになるよね

知的障碍がどこまでか、微分積分ができない障碍者とか三角関数ができない障碍者って価値をいま普通だとおもってる人にもつけかねないし

人の命って不要になれば切り捨てていいんだ、一定土地に住んでる人は水害にあうこと前提なので救助なんていらんわみたいな

いま生活してる人の価値のものダイレクトに削っていくんだよね

権利価値保証されている人たちのもの障碍者の人たちという区分で削ると同じ分だけそうでない人のものも削れるの

人を殺したり支配したりすることが上位だという表現があるから位置関係的に上というイメージに、行動に安全性が確保されてる雰囲気にとらえられやすいけど

実質それだけのコストを支払って安全圏を確保しているってことなんだよね

弱ければ強くなるってことではなくて、弱い部分を補強しているのが強さってことなんだわ

弱さを削っていけばフォーミュラカーみたいな強さとかサラブレッドみたいな強さとか手に入るかもしれない

でもふかふかのシートにエアコンがついてる車とフォーミュラカーなら一般生活はどっちが楽かな

毎日特訓のような生活に明け暮れるならフォーミュラカーでもいいとは思うけど

サラブレッドのような訓練と調整の毎日幸福な人もいると思うけど自由謳歌したい人もいるんじゃないか

人を殺してでも生きていかないといけない社会って銃社会みたいなところがあるかもしれないよね

人に銃口をむけたり、手を挙げろっていってるのにポケットに手を入れようとしたりする人は撃たないといけないかもしれない

そんな人たちを殺してもいいってことになると、ころすひとが殺す準備をしたりリスクを背負ったり殺した責任とかを取らないといけなくなるよね

殺す自由が完全に自由だとしても遺体の処理からなにから税金でするとしてもその税金分なり処分費用をし払う必要があるよね

人として生まれたらどの時点でどう判別してどんなふうに対応するか、っていまはほとんどご家庭で家族でやってもらってるところを社会が人の生活管理することになるかもしんないし

国がそこまで管理しないと基準規定もつくりようがないかもって感じ


自分の部屋が自分統治する世界だと考えてみて

お部屋、常に片付いてるかな

あるべきものがあるべきところにあっていつもほこりを払ってきれいになってる

そんな感じかな

出しっぱなしとか汚れてるとかないか

よごれたりだしっぱなしだったら捨てないといけないっていわれたらコストがロストな感じじゃない?

障碍は出しっぱなしじゃなくて傷だろって思うかもだよね

傷はここでいうと個性みたいなもので多少あっても「おさまっていれば許容される」ことだよね

傷があろうとなかろうと収納規範から逸脱するもを逸脱することについて「障碍」って言ってると思うんだけどどうかな

よごれはそのお部屋の規範とはちがう基準存在してるものだとしたら、基準にあうように洗ったりそういう基準の扱いにしたりすべきがいいか

捨てるよりは洗って使えるなら洗ってまた使ったほうがいいと思うんだよね

それよりやっぱり部屋のものは使ったらすてる 片づけてないものは捨てる いつのなにをもって片づけというかって決めるほうがいいか

毎週金曜日20時の時点で片付いてない物は捨てるって基準だといいのかな

その日帰りが遅くなってたまたま、みたいなことでもごっそりすてていいのかな

基本捨てる捨てないっていうなら、捨てないほうがありがたくない?

優遇しないっていうなら優遇しないって対処をするコスト自分か誰かか何かがその分補填することになるんだよね

なんかもうすでに言葉になってるもの言葉で示した方法で操れる感覚みたいなのがどっかある人たちがいるとおもうんだけど

障碍者ってもなにが障碍者かって1例だけでいえばはっきりそうかもしれないけど自治体レベルの数でいうと

「どっちかわからない」なんて人もでてくるし、それを排除する社会って機能があったらそれを誰かが担う必要があるんだよね

もちろんその人たちを雇用する費用もかかるわけ

お子さんがもしいらっしゃるご家庭で最初反抗期がくるあたりを経験されていたら思い出してほしいんだけど

「それやだ、これがいい、こうじゃなきゃやだ!」ってものすごく無駄ものをせがんだり同じものを欲しがったり

どうせすぐ捨てるのに買うとか言い出したりするのを対応したことあるかなって思うんだけどもちろんない人もいるか

そんな問題は欲しがってるもの与えればいいだけで簡単解決する話ですよね

それが親御さんから目線だと最善の解決方法だとして買い与えていたかどうかって、同じもの無駄にしたりいくつもあったり

使い道まちがってたり、お値段の価値もないものだったりすると、そういう買い物なんかにコストどれだけ払ってるのかって

ちょっとうんざりすることもあると思うんだけど

子供目線から今日はお弁当じゃなくてハッピーセットがいい!同じお昼なのにハッピーセットじゃないのは嫌だ!」って選択肢には

ご家庭でお弁当をつくったりする材料備蓄料理の手間、他の時間帯に波及する食器ダイニングの掃除なんかのコスト無駄にしてるよね

要望をあげる目線からメリットの陰に、大きくコストを払っている人がいたりするってことね

制度を作るって考えてみてさ、その執行や処理や対応をする人たちがいるとして、その人たちのお給料生活・気分・保証その他もろもろ

どれだけの予算でどう運営していくのかってことと、共存ってカタチで予算があればそれぞれの家族地域や近い人やお仕事をそれもかねている人たちを

既存のまま運用できるのとどっちがコストがかかるかってことを考えたら処分専用に高いお金払うより共存のほうがコスト的に浮くとおもうんだよね

高度に管理された社会って結局人間がその高度で管理されながら生きるっていう意味なわけで

相手が大きく失うものがあるとしたら、奪う側はそれを奪い取っても吸収できたり自分のものにできたりしないんだよね

たとえば命をうばっても命は2個にならないよね

奪った命で褒められるのなら褒められるために社会的地位を上げるために奪うだろうけどそういうお仕事って地位あがりそうかな

だれもがやりたくない仕事をさせられる人をふやして、命が奪われることになったとして人の住む領域として健康が最低限天賦されていることが基準という狭さになって

人とはなにか人のあるべきはと定義されて逸脱すると障碍として排除されるようなのって

提案しちゃいたい人からしてみても暮らしやす社会ではないとおもうんだよね


いまの嫌いな人間はみんな死んでほしいとか、異世界に云って無双したいとか、自由発言できてその呪詛がどこにも届かず

空虚に消費されて、ほどほどの労働とほどほどの娯楽ですごせるゆるい今の社会のほうが良いのではないか

そういう目線でみると、優遇って弱者にするとかされてるとかっていうのは、自分優遇措置そのものだって思ったりしない?

2021-02-01

「命乞いする悪役を見捨てたプリキュア」を無責任に絶賛する高齢キモオタ共よ

念の為断っておくが、当方自己犠牲を礼賛する立場でもなければ、悪役に対しても性善説で接しよというつもりはさらさらない。

件のプリキュアにおけるメッセージカギカッコ付きで「正しい」。

からこそ大人として世界に向き合う責任自覚放棄した歪みがあると思う。

現在ツイッタープリキュアおじさん(見る限りほぼ全員独身高齢アニオタ男性)が

以下のような大共感ツイートを涙涙で垂れ流している。

プリキュアに出てくる悪役が最後に命乞いをしたが

自分を傷つける人間のために、

どうして主人公犠牲にならなければいけない?

そんな義理責任もない!」

「もし本当に反省しているなら悪行をして笑ったりしない。

都合の良い時だけ私(主人公)を利用しないで!」

という場面カット画像と共に

よく言ったこれでこそ令和だ正解だ画期的脚本ブラボーと褒めそやすツイートである

この悪役が例えば映画版TV版のキャラ違いを往復するジャイアンの如く、何度も何度も何度も何度も利用されて裏切られるを繰り返してきたならば、確かに悲しいけど仕方ないねと腑に落ちる。

自分のみならず世界人類全体に迷惑をかけていたなら、これも仕方ないけど自分ひとりで許すのも違うからわかる。

でも文脈上はそうではないらしい。(プリキュアの敵なので世界人類の敵であることは事実だが、伝えんとする意図別にある)

命乞いから実際裏切られた、裏切られる可能性うんぬん以前に、丸1年間の放送でずっと主人公陣営を傷つけてきたボス不快感を抱く事は間違っていないと全肯定する。

そして何より自分の心を守るために「お前が不快から助けてやるもんかざまぁみろ」と堂々と拒否をする。

そういうある種の「人生n周目のループもの主人公が書き換えた正解の世界線」じみた、自分の繊細ハートが傷つく前に敵を殺れ!という心の防衛を至上とした完璧なる護身メッセージなのだ

ヒーローだけど無理して全てを愛さなくていい。弱り目を承知で悪意をぶつけてやりたい憎い奴を憎んでもいい。そうやって自分の心を大事にしようと。


これに爽快感を覚えるのは基本的自分を「つけこまれる側の被害者」と認識している人間と思われる。それでいてもろい自己他者に守ってもらいたくて仕方のない人間だ。

おそらく自称つけこまれ被害者の彼らは思い思いに己の人生の闇をフラッシュバックさせて

勝手に「救われた」気分になっているんだろう。

散々陰キャの俺をいじめておいて、卒業間際あるいは問題化された時に、保身で都合よく和解を申し出てきた学生時代イジメっ子。

イジメっ子が放つ軽々しい「ごめんね」の言葉に、事を荒立てなくない教師から許しを強要された思い出。

無能だと罵倒しながら、人手が欲しい時、辞めてもらいたくない時には急場しのぎでチヤホヤと引き止める嫌な上司

しかしたらアニメスタッフ現場ちょっとしたトラブルを思い出しながら書いていたのかも知れない。

そんな彼らを悪と断じられる程の信念や自己肯定感も持てず、うまく対処したくても出来ないフラストレーションを、「この叫び陰キャの俺のものじゃない」「女児向け思想から」と言い訳が出来る投影先のプリキュアに代弁してもらった、射精せんばかりの絶頂感。

そういう失敗陰キャおっさん達の泣きシコ汁に塗れたくっさいくっさいツイートだらけで鼻が曲がりそうだ。

でもな。

お前ら「人生あそこでやり直したかった」塗れのプレイ時間だけは長い低レベルプレイヤーには良心的な教えでも、まっさら状態から人生ゲームをスタートする子供にはそれじゃダメなんだよ。

なぜか?

自分信じろ」「自分の心の声に従え」と言われても幼児小学生の子供には信じるべき自分物理的に存在しない。まだ形成途中にある。まず目の前の世界他者ありのまま認識する作業を経て、そこに存在する自分の姿を経て自我形成するのだ。

児童本人の自主性なんてものはハッキリ言って幻想にすぎない(大人ですら固まってないのが山程いるのを考えればわかるだろうに)。

大人に出来るのは「子供が学びを楽しいと思ってくれる」「家族友達を思いやってくれる」よう、監視の目を絶やさず巧みに線路を引いて神経質に誘導しながらも「君自身意志選択したんだよ」風を装ってそらっとぼけることだけである

いわばチクタクバンバンの動く時計とマスをカチャカチャ動かすプレイヤーと同じ関係だ。

から半ば幼児の情操教育存在意義である幼児向けアニメは裏側にどれだけ深淵な設定を重ねようと、「メッセージ」だけはシンプルで単純で子供でも反射レベルで実行できる、主観を廃した絶対の指示性がなければいけないのだ。

(一部高齢オタク幼児向けコンテンツマニアが居るのは、物語綺麗事に対する絶対的信頼感と安心感、そこに含有される複雑怪奇人間社会の闇を幼児にもわかるシンプル言葉で解き明かす性質に魅了されているのだと思う)

なのに件のプリキュア見捨てエピソードは「悪人の都合の良い言葉で利用される正義ワイの心の痛み」とかいう、複雑かつ理解経験則必須子供にとって一番アテにできない自我を拠り所に「相手から発せられた言葉意味と反対の事をしろ」と言ってしまってる。

端的に言って複雑な無茶振りがすぎて処理落ちするレベルなのだ

先生やご両親の言う事を聞きましょう」という子供生活するうえで必要な基本メッセージに唾を吐いて「いやいや、教師や親というだけで信じるのは危険からやめろ。奴らの嘘集をあげるから悪い奴から身を守ってくれ」と言って

毒親パワハラ教師体験談を未就学児にプレゼントしてしまうが如き「余計なおせっかいであるエルサゲートを見せて社会勉強になると言ってるようなもんである

かに現実はそうかも知れない。でも子供にいま一番必要なのは世界をとりあえずそのまま受け入れて信じて自我確立すること」なんだからお前らのしてる事は発育妨害しかない。

まずありのまま信じさせてやれ。

大人子供に出来るのは、子供に敢えて綺麗事を示して「安心して世界信じろ」と断じる事だ。

自己護身のために「その時は悪い事を言っていない他者」を疑え警戒せよと煽る事じゃない。

わざわざ言葉の裏を疑えうんぬんと世界に不信感を持たせる事を言う位なら何のために勧善懲悪キレイゴト物語フォーマットを用いているのかわからない。

自我どころか言語認識すら途上で危うい子供には綺麗事を疑う事を前提としたメッセージ処理できないから、メッセージは「自分といったん敵対たからには悪は悪だからつの口にする反省は嘘だ」になる。

さなガキは四六時中間違いを起こすし、友達とは毎日ケンカと仲直りを繰り返すような生き物なんだけど、これ自分が悪役側になることだって充分あり得るのに、みんなが鵜呑みにしちゃったらどうなるんだろうね?

お母さんの無償の愛に甘えてイキって困らせてそうなオタクおじさん達は「プリキュア(俺)に我慢を強いる無償の愛を求める敵をよく倒してくれた」と言いながらウットリしてるけど、

悪役とされる側への寛容ってヒーローヒロイン犠牲を強いてる訳じゃなくて、自分がもし道を誤って悪役とされる側に堕ちた時の為の救いでもあったはずだ。

そういう可能性を僅かも考慮しない高齢オタクおじさん達は卑屈な陰キャのくせに、どうしてそんなにも頑なで自分絶対被害者のままで断じて加害者に回らないと言い切れるんだろう?

まさか自分が病んで追い詰められて道を外した時には潔く「僕は擁護のしようもないクズですううう」と叫びながら一切の救済を拒否して誰にも迷惑をかけずに腹でも切るのか?

なわけねーよなぁ?自分が僅かでも救済されるかも知れない余地があるなら見苦しく立場一貫性もかなぐり捨てて縋りつくよな?正義ヒーロー犠牲なんか知ったこっちゃない、ヒーローなら俺をも救ってくれるはずだと。

そういう人間の業と弱さを認めて見放さずチャンスを与えることで、他者自分自身も許せば楽になれるよというのがこの手のエピソードの肝だったはずだ。

「罪を憎んで人を憎まず」は無念を押し殺して涙を飲んで敵を許せという意味ではなく、人として自分も含めた人の業と折り合いをつける知恵だったはずだ。

他者への潔癖な非寛容は自分自身を縛って生きづらくするという事は、他ならぬポリコレ叩きのオタクおじさん達が嬉々として口にしている言葉だろうにな。



なんか、自分大事にとか理不尽犠牲否定とかじゃなくてこういうものが生まれ根底に、陰キャキモおっさん目線の失敗を過剰に恐れる間違った完璧主義と「俺は被害者なので何があっても絶対に悪(加害者)に回ることはない」という勘違いと、

幼児向けアニメなのに高齢オタクである自分のためのものだと思って子供目線想像しようともしない傲慢さ(女児向け云々はアリバイ工作の時に口にするうわべワード)が鼻につく。

そう言えば別の某アニメで「若い子供のうちは間違っても取り返しがつくことが特権なのだから、迷ったり悩んだりして動けなくなるくらいなら思い切ってどんどん間違えてみればいい」と中学生の子供にアドバイスした親がアニオタから結構叩かれていたのを思い出した。

これも連なる話なのかね。

2021-01-30

anond:20210130003307

よくできました。子供目線しか考えてないけど母親がまだお子ちゃまなのを考えられないんだ。

ちなみに女擁護するとすぐ女だと思う短絡脳気の毒すぎるな。

2020-12-31

ストレスで小指が痺れる。自分もっとおおらかな人間になれればいいのにと思う。

価値観の違う人同士が家族になるっていうのは、賭けだ。

子供目線でも、常にそう思ってきた。(親のケンカがひどくて…)

違うと気がついたら引き返せる、引き返しやす社会になるといいな。

2020-07-29

anond:20200728182101

こういう子供目線で長々と綴った薄い不幸話を読んでいつも気になるのは、お金のこと。

から離れたくて遠くの大学を選んだってのよくあるパターンだけど、奨学金で??生活費アルバイトなの??そのへんの記述ないってことはもしかして実家から仕送り??でもお母さんだけ働いてて兄弟いるんじゃ相当厳しいよね??

いやそれがイイとかダメとかの話じゃなくて、単純にそこが気になるだけなんだけど。

不幸だ不幸だと語った後にしれっと自然に出てくるから、えーもしかしてめっちゃまれてる子の話だった?!って思っちゃう

(あ、金銭以外にも不幸はあるって幸せ世界の話はいらないです)

2020-02-27

anond:20200227180033

子供目線では、お母さんはお父さんのことが本当は好きすぎて、思い出したくないから、

位牌の扱いがそっけないのかもしれない。。みたいに思ってるかもしれんよね。

子供ももう大きいだろうに、そこまでバカなわけないだろ。

anond:20200227121252

子供にとっては、かけがえのない母・父であり、

母と父が最後にどんな関係になったかは、子供関係無いことなのだから隠すべきとも思う。

子供目線では、お母さんはお父さんのことが本当は好きすぎて、思い出したくないから、

位牌の扱いがそっけないのかもしれない。。みたいに思ってるかもしれんよね。

2019-10-06

みんな落ち着いて……なんでバットマン政治の話をしてるの?

―――ジョーカーレビューが吹き荒れすぎていて違和感が凄いです

まず最初にハッキリいいたいんですけど、これバットマンですからね。

あくまでこの作品バットマンにおけるスーパーヴィラン(敵の大ボス)のスピンオフ作品しかなく、結局は単なるヒーローショーなんですよ。

そこを理解しているのか不思議レビューが多すぎる。そういうレビューの方が多いぐらいですね。

―――たとえばこれが「バイキンマン ~その誕生秘密~」って名前だったなら

たとえそのストーリー中「トランプ王国ドナルド大統領キムチ王国のキム・チー将軍喧嘩しました」って話があっても「いやまあ不思議の国のアリスとかその辺がモチーフで、別に政治の話がしたいわけじゃないでしょ」ってスルーされてたと思うんですよ。

いっそ「カバオくんの顔は黒っぽくて、ミミ先生の肌は白いのはなにかの病気なの?」って話をしても、「ま、まあ子供目線で見たらそういう疑問が出てくることもあるし普通センスオブワンダー的なアレで共感をもたせたいって意図やろ」ってこれまたスルーだと思うんですよ。

―――じゃあなんでジョーカーではそれが出来ないのか

多分、日本人アメコミに変な幻想をいだいているんでしょうね。

アメコミなんて結局は仮面ライダーレベルなんですよ。

日本にもいますよね仮面ライダージオウが超すごくて平成集大成天皇が退位したからこんなすごい作品が見れたぜみたいな寝言いってるオタク

それと同じレベルのことでも外人がしてたら何か凄く見えちゃうんですよ、だって多くの日本人英語が分からいから、特にスラングがね。

まりは、アメコミひいては外国文化に対する大きすぎる作品イメージによって、単なるヒーロー映画に対して意識の高い人がいっちょ噛みしてるわけですね。

―――意識を高めて特撮ヒーローについて語る必要は多分ないです

まあ確かに子供を持つ親がプリキュアに対して暴力的だの性善説に無理があるだの言いたくなるのは分かる気がしますよ。

でも実際、そういう発言に対して返ってくるのは多くの場合「あたなが思うほど子供馬鹿ではない」って回答だし、実際それで正解なんですよね。

それで今回のジョーカーってR指定なんですよ。

見るのは「いい年こいてバットマンがんばれーしにきた子供ハートおじさん」なんですね。

逆に意識の高い皆さんからしたら「子供ハートおじさんなんて子供より信用できない!彼らを正しく導く義務ノブレスブリージュなんだ!俺のIQを見せてやる!」ってシチュエーション正義燃えちゃうんですかねー。

でも流石に一度落ち着いて欲しいですね。

はい、私が言いたいのは結局の所、「ちょっと落ち着け」ってだけです。

2019-06-08

anond:20190607225138

親の教育方針のもと、親に感謝しているか仕送りをして貧乏生活をする子供は品があると思いますよ。

ただ、親に助けてもらっていると分かっていながら”私も親孝行してあげている”と考えていては子供目線で期待通りの結果にはならないと思います

親に助けられているなら親に感謝する、ということができる人は品があると思います

2019-04-12

パパとママ一眼レフおすすめしたい理由

https://anond.hatelabo.jp/20190409214847

この内容、確かにその通りだし正しいって思うんだけど、ちょっと気になったので書きました。

最初に謝ると、わたし最初ミラーレスおすすめしていました。

子供目線写真を撮るときバリアグル液晶が便利という理由だけで。

それで色々と写真見直してみると、ミラーレスで撮った写真って子供目線がないことに気付いたんです。

あーそっか。こどもはカメラの上にあるわたしの目を見てるんだって

それで一眼レフに書い直してみたら、カメラレンズを通して子供こちらを見てくれるようになりました。

すごく些細なことだけど、やっぱり目線のある写真のほうが親としては残しておきたいなって思って。

それともう一つだけ、強いて言えば操作性が全然違うかな。

運動会とか、目まぐるしく状況が変わる中での撮影をするときってとにかく細かな操作が求められるのだけど、ファインダーを覗いたまま撮影に関する全部の操作ができる一眼レフに対して、小型軽量化のために色々なボタン犠牲にしてしまったミラーレスだとどうしてもそこに越えられない壁があるなって感じでした。

それを初心者に求めるかと言われると悩むところだけど、写真を撮る道具として考えると機能面で圧倒的に優れているのは一眼レフなので、買ってはいけないは言い過ぎかなって思います

買ってもいいよ!一眼レフ

なお、メーカーについては宗教であることには同意なので、ここではあえて勧めないよ!

2019-01-30

anond:20190130233317

子供目線で書いてるなら「パパ起床」とか「ママ仕事」とかも別に書かんでいいしなあ

実際にモデルがいる記事っぽいか

https://anond.hatelabo.jp/20190130232209でも書いたけど、パパは出張とかで帰ってこないのかも

朝にパパがいる日前提で書いたけど次の日からママが二人とも送れば支障なさそうだし

しかし実質ワンオペな上に子供の就寝後も自宅で仕事する設定ってこのママ地獄過ぎる

こんなスケジュール載せてる雑誌?何だろう

(まあ昔のもっと貧乏雑誌だと子供を寝かしつけてから子供だけ家に置いて外で仕事、なんてのもよくあったけど…

今時だと子供放置かよネグレクトかよ虐待かよとなりそうだけど今でもあるんだろうか)

2018-12-13

anond:20181213135931

そもそも「おばちゃんおっちゃん」って丁寧な言葉じゃないでしょ。

親しい相手ならともかく、大して親しくもない赤の他人に対しておばちゃん呼ばわりは失礼。

「私はおばちゃんじゃない!もっと若いわ!」とかじゃなくて、丁寧さが足りない。

相手がおばあちゃんだろうがおばちゃん呼ばわりは失礼だし、父親祖父相手おっちゃん呼ばわりだって失礼だよ。

「(名字)さん」が正しいけど、名字覚えてらんねってなら「〇〇ちゃんのお母さん」か子供目線で「〇〇ちゃんママ」が無難

田舎から皆顔見知りでそういう感覚ないんだろうけど、都会で赤の他人をおばちゃん呼ばわりしたら

「私はおばちゃんじゃない!もっと若いわ!」じゃなくて「この人距離感ないの?そんな呼び方されるほど親しくないんだけど?」になるよ。

2018-11-28

中学受験シーズンが近づいて

中学受験シーズンが近づいてきた。今年子供が受けた経験から反省も込めて今の時期の心の持ちようや準備できること等について書いておく。

1.子供学力はここから伸びる

 中受でよく聞く「男の子は直前まで伸びる」っての、正直半信半疑で受け止めていたけど我が家については実際この通りだった。息子の学力は秋(11月頃)までサピックス偏差値で言うと50に行くかどうかという感じで、一方の第一志望校偏差値は60で10くらい開きがあった。それが12月に入ってからようやく息子のエンジンがかかり、そこから目に見えて勉強の質と量が上がっていきそれと共に理解知識が深まっていくのを感じた。この時期はもう模試は全て受け終わっていたので数字で示すのは難しいが、ざっくりした感覚偏差値5くらいは上げたのではないかと思う。受験生全員がそうだと言うつもりはないが、子供目線、特に男の子場合入試本番が現実的な射程に入ってくるのは残り2ヶ月を切ったあたりからの気がするので、特にまだ100%本気で勉強に取り組んでいないなと感じるお子さんの場合は12月からでも十分学力が伸びる余地はあるので諦めないで欲しい。

更に言うと、我が家のような家庭は結構多いのではないかと思われ、したがって入試本番での受験生学力は、それまでの模試等に表れるよりもずっとボーダーにぎゅっと集まっているのだと思う。だから(後述のとおり)入試本番である当日の、メンタルを含むコンディションが合否を左右する。

2.1月校の受験有益

 どの受験でも言えることだけど、どれだけたくさん模試を受けて試験慣れしているつもりでも、入試本番はやっぱり模試とは全くの別物だというのを子供受験を通じて改めて痛感した。しかもそれに挑むのはまだ精神的にも発達途上の12歳の子である事を考えると、本命校の受験に先だって「お試し」校を受けておくかどうかで経験値に大きな差がつく。

この点、実際に行くかどうか分からない学校受験することの是非は色々言われているし、我が家基本的に「行くつもりのない学校は受けない」という方針で臨んだけれど、それでも悩んだ末に2月の本命校の前にいわゆる1月校と呼ばれる学校の1つ(都内の中受界隈では有名な埼玉の某校)を受験することにした。気合いの入った受験生とその保護者達が放つ張り詰めた緊張感、そして激励に来ている多数の塾関係者から溢れる熱気、そこに有名校ともなればマスコミ取材も集まってきて、入試当日の現場模試では体験したことのない異様な空気に包まれる。自分の子供は肝が据わっていると思っていても、大人ですら平常心でいられない独特の雰囲気本命校の受験で初めて接して呑まれしまい,実力を全く発揮できない可能性は大いにある。そうしたリスクを避ける意味でも本命校の前に1校は受験しておくとだいぶ違う。また,上記1.と関係するが、12月からの直前期の勉強子供学力は更に上がってくるので、どの程度仕上がってきているか確認する上でも1月校の入試有益だ。(2月の受験本番までまだ2週間あるので、最後の弱点補強や振り返りができる。繰り返しになるが子供学力は本当に最後最後まで伸びる。)

3.受ける予定のない学校も出願候補として押さえておく

 自分自身も中学受験経験者だが、今の中学受験が当時と大きく違うのは、①ネットによって前日まで出願が可能となり、合格発表までの期間も短くなっている(翌日又は当日の発表が多い)、②複数回受験可能学校が増えている、という点。これによって、入試本番に突入してから受験結果に応じて柔軟に併願を再考・組み直すことができるというメリットが生じる一方で、受験生メンタルには大きな影響を与える事態となっている。

知らぬが仏という言葉があるように、昔は初日に受けた学校の合否結果が出ないまま2日目校、3日目校と受験するのが常だったので、最初に受けた学校の合否を知るよしもなく(=心乱されることなく)、それなりに心の張りを維持して試験を受け続けることができた。今はそうはいかない。初日に受けた学校の合否が早ければその日の夜にはネットで分かる。仮にそこで不合格となっていた場合子供は落ちたショックを引きずって翌日以降の試験を受ける羽目になる。中学受験は同じ面子試験を受け直したら合格者の半分は入れ替わる言われるくらい拮抗した競争であり(前述のとおり、直前の追い込みで受験生の多くがボーダーに集中しているとすれば自然なことだ)、そこで合否を分ける一番の要素は子供メンタルコンディションとなる。その意味で、2月1日から受験の結果が不合格となった場合子供達は最悪の精神状態試験を受けることを強いられるのである。そうして2日目、3日目と不合格メンタルが落ち込んでいく負のスパイラルに嵌まり込んでしまい、結果全落ちするケースも珍しくない。実際我が家は2月2日の押さえ校(当日夜に合格発表)でまさか不合格をくらってしまい、翌3日に向けて子供メンタルを立て直すのに非常に苦労した。こうした事態を防ぐ観点から、たとえ現時点では受けるつもりがなくても、子供の持ち偏差値から10~15くらい下で前日まで出願が可能な超安全校を2月の受験候補校として押さえておくべきだったなと反省している。

これから親御さんにとってはお子さんの受験準備に向けて精神的なプレッシャー高まる日々かと思うけど、結果がどうあれ中学受験を親子で乗り切った経験は決して無駄にはならないので頑張って欲しい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん