貸借対照表的な話なんだけどさ
権利と責任、責任と価値、価値と福祉みたいなのって鏡写しというか近い関係性をもっているのよ
たとえば、知的障碍で価値がない人を追い出していい、相手にしなくていい、というのなら
そうでない人の生活区域内に、知的障碍の人たちの住むエリアを別途確保することになってしまうよね
用意なんてしねえ一般人の目に触れないところに行けっていっても日本に権利者がいない土地はないんだけど
どこかに「知的障碍者が権利者となっている土地」を日本の国土として無料でお分けすることになるのかってことや
いや不要なので殺していけばいいじゃんって言うのだとすると「人を殺すということ」をする事になるので
人を殺すことに社会的リスクと支払うべきコストがあるよね 殺人を犯した人は法治国家では裁かれるの
それを「裁かれない」って大幅コストカットをすると「人の命としての価値」を大幅カットすることになるよね
知的障碍がどこまでか、微分積分ができない障碍者とか三角関数ができない障碍者って価値をいま普通だとおもってる人にもつけかねないし
人の命って不要になれば切り捨てていいんだ、一定の土地に住んでる人は水害にあうこと前提なので救助なんていらんわみたいな
いま生活してる人の価値そのものをダイレクトに削っていくんだよね
権利や価値を保証されている人たちのものを障碍者の人たちという区分で削ると同じ分だけそうでない人のものも削れるの
人を殺したり支配したりすることが上位だという表現があるから位置関係的に上というイメージに、行動に安全性が確保されてる雰囲気にとらえられやすいけど
実質それだけのコストを支払って安全圏を確保しているってことなんだよね
弱ければ強くなるってことではなくて、弱い部分を補強しているのが強さってことなんだわ
弱さを削っていけばフォーミュラカーみたいな強さとかサラブレッドみたいな強さとか手に入るかもしれない
でもふかふかのシートにエアコンがついてる車とフォーミュラカーなら一般生活はどっちが楽かな
毎日特訓のような生活に明け暮れるならフォーミュラカーでもいいとは思うけど
サラブレッドのような訓練と調整の毎日が幸福な人もいると思うけど自由を謳歌したい人もいるんじゃないかな
人を殺してでも生きていかないといけない社会って銃社会みたいなところがあるかもしれないよね
人に銃口をむけたり、手を挙げろっていってるのにポケットに手を入れようとしたりする人は撃たないといけないかもしれない
そんな人たちを殺してもいいってことになると、ころすひとが殺す準備をしたりリスクを背負ったり殺した責任とかを取らないといけなくなるよね
殺す自由が完全に自由だとしても遺体の処理からなにから税金でするとしてもその税金分なり処分費用をし払う必要があるよね
人として生まれたらどの時点でどう判別してどんなふうに対応するか、っていまはほとんどご家庭で家族でやってもらってるところを社会が人の生活を管理することになるかもしんないし
国がそこまで管理しないと基準も規定もつくりようがないかもって感じ
お部屋、常に片付いてるかな
あるべきものがあるべきところにあっていつもほこりを払ってきれいになってる
そんな感じかな
出しっぱなしとか汚れてるとかないかな
よごれたりだしっぱなしだったら捨てないといけないっていわれたらコストがロストな感じじゃない?
障碍は出しっぱなしじゃなくて傷だろって思うかもだよね
傷はここでいうと個性みたいなもので多少あっても「おさまっていれば許容される」ことだよね
傷があろうとなかろうと収納の規範から逸脱するもを逸脱することについて「障碍」って言ってると思うんだけどどうかな
よごれはそのお部屋の規範とはちがう基準で存在してるものだとしたら、基準にあうように洗ったりそういう基準の扱いにしたりすべきがいいかな
捨てるよりは洗って使えるなら洗ってまた使ったほうがいいと思うんだよね
それよりやっぱり部屋のものは使ったらすてる 片づけてないものは捨てる いつのなにをもって片づけというかって決めるほうがいいかな
毎週金曜日の20時の時点で片付いてない物は捨てるって基準だといいのかな
その日帰りが遅くなってたまたま、みたいなことでもごっそりすてていいのかな
基本捨てる捨てないっていうなら、捨てないほうがありがたくない?
優遇しないっていうなら優遇しないって対処をするコストを自分か誰かか何かがその分補填することになるんだよね
なんかもうすでに言葉になってるものを言葉で示した方法で操れる感覚みたいなのがどっかある人たちがいるとおもうんだけど
障碍者ってもなにが障碍者かって1例だけでいえばはっきりそうかもしれないけど自治体レベルの数でいうと
「どっちかわからない」なんて人もでてくるし、それを排除する社会って機能があったらそれを誰かが担う必要があるんだよね
お子さんがもしいらっしゃるご家庭で最初の反抗期がくるあたりを経験されていたら思い出してほしいんだけど
「それやだ、これがいい、こうじゃなきゃやだ!」ってものすごく無駄なものをせがんだり同じものを欲しがったり
どうせすぐ捨てるのに買うとか言い出したりするのを対応したことがあるかなって思うんだけどもちろんない人もいるかも
そんな問題は欲しがってるもの与えればいいだけで簡単に解決する話ですよね
それが親御さんからの目線だと最善の解決方法だとして買い与えていたかどうかって、同じもの無駄にしたりいくつもあったり
使い道まちがってたり、お値段の価値もないものだったりすると、そういう買い物なんかにコストどれだけ払ってるのかって
子供目線から「今日はお弁当じゃなくてハッピーセットがいい!同じお昼なのにハッピーセットじゃないのは嫌だ!」って選択肢には
ご家庭でお弁当をつくったりする材料の備蓄や料理の手間、他の時間帯に波及する食器やダイニングの掃除なんかのコストを無駄にしてるよね
要望をあげる目線からのメリットの陰に、大きくコストを払っている人がいたりするってことね
制度を作るって考えてみてさ、その執行や処理や対応をする人たちがいるとして、その人たちのお給料・生活・気分・保証その他もろもろ
どれだけの予算でどう運営していくのかってことと、共存ってカタチで予算があればそれぞれの家族や地域や近い人やお仕事をそれもかねている人たちを
既存のまま運用できるのとどっちがコストがかかるかってことを考えたら処分専用に高いお金払うより共存のほうがコスト的に浮くとおもうんだよね
高度に管理された社会って結局人間がその高度で管理されながら生きるっていう意味なわけで
相手が大きく失うものがあるとしたら、奪う側はそれを奪い取っても吸収できたり自分のものにできたりしないんだよね
たとえば命をうばっても命は2個にならないよね
奪った命で褒められるのなら褒められるために社会的地位を上げるために奪うだろうけどそういうお仕事って地位あがりそうかな
だれもがやりたくない仕事をさせられる人をふやして、命が奪われることになったとして人の住む領域として健康が最低限天賦されていることが基準という狭さになって
人とはなにか人のあるべきはと定義されて逸脱すると障碍として排除されるようなのって
提案しちゃいたい人からしてみても暮らしやすい社会ではないとおもうんだよね
いまの嫌いな人間はみんな死んでほしいとか、異世界に云って無双したいとか、自由に発言できてその呪詛がどこにも届かず
腑に落ちねえーーーーー!!!!!!!! シンプルなやつでいうと、知的障害者の保護 健常な知能がある(とされる)人がバンバン万引きやって、人殴ってたりしたらそいつは「クズ」「...
貸借対照表的な話なんだけどさ 権利と責任、責任と価値、価値と福祉みたいなのって鏡写しというか近い関係性をもっているのよ たとえば、知的障碍で価値がない人を追い出してい...
前半は同意。 後半は猫飼いたいけど諸事情で飼えないのをネット記事で発散してるだけなのに人間がーとか言われたから全く同意しない。
その「許さん」てのを猫にいっても知的障害者にいっても別段通じないんでいちいち「許さん」っていうのをやめるほうが合理的っていうことだとおもうよ
知的障害のある犯罪者を普通にカス扱いしてる奴大勢いるだろ 擁護する意見だけチェリーピッキングしてんじゃねーよ 徘徊老人のほうは罵倒のほうを摘んで擁護意見は無視かよ まあこ...