はてなキーワード: 奇跡とは
菅首相が誕生して消費税5%の減税、一律給付30万円、公共事業の大幅増額を決定する
20代前半女性。生まれつきのADHDと軽度知的障害グレーゾーンを抱えている。WAIS-IIIでの全検査IQは79。
顔立ちは薄く面長、よくYouTuberのふくれなちゃんに似てると言われる。勉強はできない。運動もできない。
障害者手帳を取得しているので、仕事は一般企業の障害者雇用で働かせて頂いている。収入は高卒一年目の事務員女性、都市部在住と言われて想像できる額と言えば分かりやすいと思う。
好きなことは絵を描くことと化粧と空想すること。嫌いなことは家事。特に掃除。
人よりも取り柄が少なく無駄の多い私だが、数年前奇跡的に結婚することができた。
貧困育ちの私とは違って、モラルも育ちも整っている勤勉で努力家の夫。多分彼には貧困育ちとか中流育ちとか障害者とか健常者とかそういう発想がなくて、とにかく私が私だからという理由で好いてくれているようだ。
彼と過ごす毎日は楽しい。一緒に勉強をしたり本を読んだりだらだらNetflixを流し見したりしながら暮らす日々が愛おしい。別に彼がいなくてもできることではあるけど、彼がいると一人よりも何倍も楽しい。
だけど、彼との間に子供は生みたくない。
彼の完全な健常者遺伝子が私の出来損ないの遺伝子に混ざってほしくない。そもそも育てられない。今この暮らしに赤子を抱いて飛び込んだら、危機管理能力が薄い私は間違いなくその子を死なせてしまう。
私の実家にはヘビースモーカーがいるので里帰りはしたくない。子供を預けるとか手伝ってもらうとかも嫌。私自身、実家にあまり良い印象がなくあまり関わりたくない。
子供の意志とは関係なく、生まれたその瞬間から障害者の子供にさせてしまう。私にその気はなくても、自動的に将来私の世話をさせる可能性が健常者の子供よりも高くなってしまう。障害者であっても子供を生んで立派に育てられる人はいるけれど、残念ながら私にはその力も環境もない。
何より、夫婦二人+子供(兄弟の数は関係ない)という家庭に幸福なイメージがこれっぽっちとして持てない。
とにかく夫婦二人暮らしが幸せで楽しい生活の絶対的基盤なのだから何が何でも崩したくない。
幸い、夫も子供より勉学を極める人生を歩みたいらしいのでありがたい。
子供生まないの?なんで?コールに「障害者だから」が使えるのも幸いな話だったりする。子供はいいよ生みなよ女は子供生んでやっと一人前なんだよ国の人間に対して障害者という肩書きは禁じ手も禁じ手、最強のカードだから。
私は子供を生みたくない。本音を言うと障害者だから生みたくないんじゃなくて、色んな理由や都合がないまぜになって「生みたくない」という気持ちが固まってしまっている。
ふと、「担降りしよう」と思った。これまで一度も降りたことがない。でも降りるなら今だと思った。これはただのお気持ち表明増田です。私がただ気持ちを整理するためのもの。13年担当した村上さんから、エイトから、降りることに決めた話。
多分最初に担当と名乗りたい!と思ったのは彼で、それまでに好きになったアイドルもいた気がするけれど私の中の記憶が正しければ彼が最初の人だったと思う。きっかけは本当に覚えていなくて、初めて彼を認識したのは母親が見ていたはなまるマーケットのはなまるカフェだった気がする。母は村上さんに一目惚れして当時リリースしていた関風ファイティングを購入していて、うちにあったから聞いていた程度だった。その後47都道府県ツアーの地元公演に入り、大倉くんかっこいいなぁ〜と思っていたのにイッツマイソウルを購入したときにはすでに村上さんの担当を名乗っていた。なんでだろう、奇跡な気がする。今でも私にとっての理想のアイドルは村上さんだと信じて疑わない。
ジャニオタであることを休憩したときもあった。でも最終的に帰る場所はいつもエイトで、私にとっては実家のようなものだった。高校卒業してからはほぼ欠かさずツアーは東京公演に参加していたし、毎年現場納めはいつも東京ドーム、現場初はグローブ座でのイフオア観劇だった。本当に毎年楽しかった。
そんな中、現場に行くことを辛く感じたのはすばるくんが退所することを決めた年だった。櫻井担のリア友と入り、途中までは「たのしい!大丈夫だ!」と思ってたのに最後のロマネがだめだった。すばるくんの声が聞こえないロマネは、思ったより寂しくて、私はボロ泣きしながら地元に帰った。私が好きになったときにはすでにエイトは7人で、私は7人しか知らないけれど大倉くんの「8→1」に救われていた気がした。だから、7人で歩むことが決まったときは泣いたけれど、多分それ以上にこの時は泣いた。私の中ですばるくんというのは、思ったよりもでかい存在だったんだとそこで気づいた。ただ、その時は降りる気はなくて落ち着いたらまたオタクしたいなと思いながら別ジャンルのオタクとして生きていた。そうやって離れてるうちに亮ちゃんが退所して、気づいたときにはエイトは5人になっていた。
今年、ひょんな事からジュニア担としてまたジャニオタ復帰し、またエイトのことも追いたいなぁと思っていたときに始まったのがドリアイだった。本当に楽しい一ヶ月で、今でもロスが抜けない。なにわの日から始まってウェストは苦渋の選択で見れなかったもののエイト、Aぇ松竹、関ジュ、なにわ男子単独、Aぇ単独まで走り抜けたのは本当にいい思い出になったと思う。
結局降りる理由はわからない。けれどなにわの日に披露したエイト×Aぇの「勝手に仕上がれ」と、Re:LIVE購入がきっかけになった気がする。私はここ数ヶ月でAぇ!groupを好きになったが、きっと全力でエイトを追いかけていた頃の楽しさを思い出しているんだと思う。あの頃の売れようと藻掻く彼らを応援していた幼い自分を、懐かしんでいるのかもしれない。それでも、Aぇのことを好きな気持ちも本当で、エイトと重ねて見ている部分と彼らにしかできない部分はどちらもあって、どちらも好きなんだ。今でも村上さんが好きだし、いつまでも元気でいてほしいと願ってる。ただ、私が応援していたあの頃のエイトはいい意味で居なくなったのだ。これは失望ではなく、エイトに希望を見出しているからこその担降りだと思っていて、きっと彼らはこれからも5人でしかできないことをやり遂げ輝き続けると思う。もうすでに降りていたようなものだけれど、ただ気持ちを綴りたかっただけなのだ。最後に、「10年後またここで会おうよ」の約束を守れなくてごめんなさい。もしかしたら現場は行くかもしれないし、CDも買い続けるかもしれない。それでも、私はもう村上担でもエイターでもない。ただのクソDDなジャニオタで居続ける限り、あなた達を遠くから見守らせてください。
20年以上彼女が居なかった自分としてはこれが最後のチャンスだと思い、こまめに連絡し食事にも行った
何回かのデートを重ねたのち、ついに念願のSEXに持ち込めたわけだがここで問題が起きた
30年近く足ピンオナニー(足をピンと伸ばした状態でのオナニー)をし続けたせいで、足を伸ばした状態でないとイケないのである
風俗では普通に射精出来るし問題ないと考えていたが、いつも風俗嬢が手慣れた騎乗位でやってくれていたから巧くイケていたのであった
彼女とはとりあえず正常位でやってみたのだが、気持ちよくはなるものの射精には至らない
このまま終わるわけにはいかないので、彼女の気分を害さぬよううまく「言いくるめ」のスキルを使い、なんとか上になってもらうことに成功
自身が一番得意とするラッコ状態&足ピンという万全の体勢になり、「乗るなら早くしろ」と碇司令の台詞を思いうかべながら彼女に跨ってもらった
「うっ、重い…」自分の全く鍛えられていないぷよぷよな腹筋に彼女の体重がかかってくる 重さが気になって全然気持ちよくないのである
風俗ではいつも風俗嬢がM字開脚でこちらに体重をかけないようにして騎乗位で腰を振ってくれていた
(ガニ股で膝を立てての騎乗位が、蜘蛛が獲物を捕食する姿に似ているので“スパイダー騎乗位”というらしい)
結局彼女の重さを感じながらイクことも出来ず不完全なままSEX終了、ということが2回続き、2回目のデート終了後に彼女に別れを告げられたのであった
30年近くに渡って足ピン射精を繰り返してきたので、今更これを修正することは不可能、となると今後新しい彼女を探す際には「騎乗位が得意なこと」という条件がつくことになる
かといって紹介所や婚活パーティーの場で相手に求める条件に「騎乗位が上手な女性」などと書くわけにもいかない
なんとか知り合って仲良くなってデートを繰り返してSEXまで持ち込めるのが100人に1人くらいだろうか
そこまでいって騎乗位をお願いして「あっスパイダーじゃない、これは失敗だー」となってまた一からやり直し
こうなると自分に彼女が出来て成功に性交して結婚出来る確率はほぼ0%だなということに気付いた私は、新大久保の個室DVD店に立ち寄りVRゴーグルを装着して蓮実クレアのスパイダー騎乗位で射精したのち帰宅した
安倍政権は確かに日本の民主主義やシステムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要な犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小な存在の為しうることではない。これは、集団的、無意識な組織的犯罪なのである。
では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間を必死になって支え続けたのか?
他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき、自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権、安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻きが失言やおそまつな対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。
この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化や社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態はアンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算は横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。
いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である。
そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたかも小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実を直視できなかったからだ、と私は思う。
安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権を擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ。安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策と人口政策の停滞・失敗で20年近い時間を無駄にした日本を、更に大震災、原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者を麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。
思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。
もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから、安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術を成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災、消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネの効果にも限界がきたようだ。
いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネも限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネの意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネはモルヒネだ。肝心なのは、モルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。
それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味にモルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線の継承」などと言い出したら、そんな政権は半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。
こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本がそもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法の時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍がモルヒネであったこと」と「モルヒネが必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設的議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。
生まれてから社会人数年目まで、人を好きになるという現象を理解できなかった。
人として好き、はわかる。この人が好き、がわからない。こんな感じ。
人間関係は狭く深く、共依存ほどの親友が1人、なんでも話せるしバカになれる友人が2人、地元の腐れ縁が1人。
あとは気軽に声をかけれるが深い話はいっさいしない知人が複数。
けっこう十分だが、私がいなきゃダメな人はいなくて。いつも虚しかった。
周囲が唯一と出会っていく中、私は死ぬまでひとりなんだと覚悟していた。
誰かを好きになることもない、もし誰かに好かれても、それは世間体のためによく見せてる私をすいてくれてるだけ。せめて素敵な老後ホームで余生を.......と貯金をしていた。
ところがどっこい、奇跡的に巡り会った。運命の人ってやつだと思う。
マッチングアプリで知り合い、なぜか好かれて、毎度の如く酷い自分を嫌われるようにさらけだしたが、なぜかさらに好かれた。
いつの間にか私のほうが好きになった、なお、好かれ続けている。不思議だ。地球が存在するくらい不思議。
見事に世界が鮮やかに見える。幸せだ。固執してた趣味も仕事も、正直どうでも良くなった。適度に楽しめるのだ。
ちょっと寝過ごして遅めの朝ごはんを食べながら、もうお昼ご飯だねって笑うだけで、今死んでもいいくらい幸せになる。
こんな素敵な日々、私知らなかった。
私はマッチングアプリで30人以上に会った。100人以上とはメッセージのやり取りをしたし、街コンにも何回が参加した。
健闘を祈る。
私は大学1年生だ。私は生まれてこのかた、誰かの一番になったことがない。小中高と、友達はそれなりにいたが、親友と呼べる存在はいなかった。また、中学生くらいのころに恋人がいたこともあったが、どれもわたしからの強いアプローチによるもので、結局どの人からの想いも強く感じることは出来ず、短い期間で終わってしまった。当時まだ幼かった私は、勉強を頑張れば、いい大学に入れば、私のことを(たとえ打算込みだったとしても)一番に思ってくれる人がいるかもしれない、と思っていたのだ。私はその甲斐あり、世間一般では高学歴、と言われる大学に入学することができた。しかし現実は甘くなかった。現状恋人などいないし、その予感を感じさせる存在もいない。コロナ禍の影響、という可能性を考えることはできなくもないが、高校生活による私の状況を踏まえると、おそらくそれは関係ないだろう。
私なりに原因を考えてみると、その最も大きなウェイトを占めるものは、やはり顔を含めた見た目によるものが大きいと思われる。私はお世辞にも良い見た目とは言えない、いやさらにいうとかなり悪い見た目をしているらしい。自分の見た目の良し悪しというのは自分では判断することが難しいが、周囲の反応を見るにそうなのだろう。見た目を構成するものは大きく分けて二つあり、顔と体型である。このうち、体型というものは顔と比べるとまだ自分の力によって変えられるものだと世間一般では言われており、また数値により、自ら客観的な判断をすることも可能である。しかし私にはいくら努力しても変えることができなかった。どうやら私の体質では体型を変えることは(少なくともこの年齢では)不可能のようだ。また顔の方はもっと悪いようだ。マッチングアプリ、というものがある。マッチングアプリは多くの場合写真の掲載が必須であり、また判断に利用できる情報も少ないため、どうしても顔による判断が中心となる。そのような顔によりヒエラルキーが決まる場において、私の価値は著しく低いようだった。
私は結局何かを成し遂げたとしても、顔を原因に嘲笑される運命なのだ。よくアスリートなどが何かを成し遂げたとき、5chやTwitterなどでは、その品評が行われる。同じ成果を出したとしても、見た目が悪いことにより、不当な中傷を受けたりすることもしばしばみられる。このようなものを見る限り、私が何かを成し遂げたとて、嘲笑され、見下されるのはほぼ決定しているのだろう。
話が逸れてしまったが、見た目が悪い、というのはやはり他人の中での自らの序列を下げる大きな要因であることは間違い無い。
だれからも序列の低い人間であると、いなくなってもだれの気にも止められなかったり、逆に他人に距離を詰めすぎて敬遠されたり、といったことが起こる。結婚、そして子孫を残すことなど到底不可能である。
そしてタイトルにもあるように人生の終わりについてだ。これは今から私が死ぬ、といったことではなく誰の一番にもなれない人間がどのように命の終わりを迎えるか、ということである。私はまだ命の終わりを迎えたことがないので分からないが、私が想像するに、孤独死と言われるような、一人ぼっちの暗い、あるいは明るい部屋で誰の気にも止められずひっそりと生物的死を迎え、その後数週間、あるいは数ヶ月経った後に異臭など、なんらかの理由により死亡が確認され、戸籍として、いわば社会的に死ぬ。悲しむ人間がいないので葬式もない。
ならば今死んで社会に衝撃を与えたり、低い序列ながらも関係を持ってくれている人間に影響を与える方が良いのではないか、という考え方もあるだろう。しかし私にはそれはできない。第一に、私は死が怖い。死というのは、確定した終わりだ。それが起こると、その後には何も起きない。生きてさえいれば、期待値は低いかもしれないが、万に一つの確率で、外れ値的な、幸福な人生を歩むことができるのかもしれない。悲しいかな、私はこの期に及んでまだ自らの人生に期待しているのだ。また、友人への申し訳なさ、というのも理由の一つだ。一番でないながらも、私を序列に入れてくれた人々を悲しませることは、わたしには出来なかった。
私はおそらく、今後の人生も、このようなことを考えながらも、笑顔を貼りつけて生きていくのだろう。与えられたカードで勝負するしかない、とは有名な言葉だが、私はどうやら奇跡を信じてその勝負に挑むしかないようだ。
私が37歳で妹が34歳
何をしてるんだと思われるかもしれないが私もそう思う
私の家は機能不全家族だった
母親は過保護で何をするのにもケチをつけ子供には何一つ物を与えない人間だった
父親はその逆で何一つ干渉しないどころか家庭を顧みることすらなかった
そうした夫婦の常として私が中学生の時に離婚し、私の心は荒れに荒れた
妹は奇跡的に真面目に育ち成績も優秀
何か気に食わないことがあると妹を殴りつけ、反論しようものなら髪をつかんで引きずり回す
テレビを見ている私の前を通ったからという理由で顔面を殴りつけ真っ青なアザを作ったこともあった
人は変わることができない
「お姉ちゃん結婚しないの?お姉ちゃんが結婚してくれないと私しにくいよ」
考えるより前に手が出ていた
しかし、証券会社でキャリアを積み始め、私の人生に結婚というイベントは消え去ったのだ
ずっと理解していたはずなのに出てきたのは妹の身を案じる言葉ではなく暴力だった
そうしてその日も喚き散らす妹の顔面にフックをかまして、泣くのをやめるまでマウントポジションでパウンドを決めるはずだった
しかし、妹は声を上げることすらせず、私の顎に右ストレートをはなった
私が驚いて睨み返すともう一発、手を挙げて抵抗しようとするとマウントをとられて私が殴られたのだった
なにをしているんだろうね
顔だらけのアザを会社で披露するわけにもいかず、人生ではじめて病気以外を理由に有給を取得した
これまでの私が崩れ去る音がした
金曜ロードショーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』見て「なにこれ面白いじゃん!」と思った人は是非これも見て欲しい。
と言っても『ショーシャンクの空』とか『ニューシネマパラダイス』みたいなのじゃなくてもっとベタなやつね。
題名は聞いたことあるし、なんかの元ネタらしいぐらいは知ってるみたいなやつ。
『ロッキー』
あーあれだろ、最後エイドリア〜ンて叫ぶやつ。階段登ってガッツポーズだろ、生卵丸呑み。悪いけどボクシングとか興味ないし。
脚本はスタローンてマジかよ。なんか実は性格も悪いらしいよね。だいたいあの脳筋男に文章なんて書けんの?
まあそう思うかもしれないけど、まだ売れない役者だった頃のスタローンは、少なくともこの時は奇跡のように素晴らしい脚本を書き上げたんだよ。
それに『ロッキー』のテーマはボクシングじゃない。冴えない生活を送る無名の男が一つのチャンスをきっかけに立ちあがろうとする姿。
まさかスタローンに泣かされるなんて思わないだろう?まあ見てみなよ。
『ダイハード』
2以降はクソ。1だけ見ればOK。
エンターテイメントとしてはまさにパーフェクト。アクション映画の金字塔。
あちこちに散りばめられた伏線が見事に回収されていくさまにゾクゾクする。
ブルース・ウィリス演じる主人公と黒人警官の友情とか、いかにも良きハリウッド映画って感じだよね。
これを見れば、なぜあの太ったハゲ男が『アルマゲドン』で地球の運命を託されたのかわかる。
『男はつらいよ』
あれだろ、じいちゃんばあちゃんが良くみてたやつ。下町だろ、人情だろ、マドンナだろ。昭和の話だよな。
まあそれはそうなんだけど。
これを見れば、なぜ今だに「寅さんの世界に憧れて日本に来た」という外国人が時々いるのかわかる。
昭和の下町の人情溢れる、いかにもありそうでどこにもないユートピアの物語。男はつらいね。
『ブロジェクトA』
あー、あのジャッキー・チェンがセーラーでアクションするやつだよね。コメデイでしょ。この撮影で大怪我したんだっけ。
それはそうなんだけど。それ以上何が要るっていうんだよ。
他は見なくてもせめてこれだけは見て欲しい。見ないと人生損してるよ。
これを見れば出川哲朗がなぜ内村光良をチェンと呼ぶのかがわかるよ。
見た目が似てるとかものまねをしてたとかもあるんだろうけど、それはやっぱり出川の内村に対する敬意の現れなんだよね。
何らかのイデオロギー闘争に身を投じる人は、自分自身の問題を世界の問題として錯覚したがっている。
だから陰謀論者は騙されているというより、だまされにいっている。
もっともこうした人は世の中に対して深い悲しみや憤懣やるかたない思いを抱いてることが多く、それを許容しない世界の構造に問題がまったくないとは思えない。そもそもまずもって今ある世界のほうが正しく、個人の思いが間違っているから人生がうまく行かないのだ、という言説そのものが生存者バイアスに基づく暴力でしかない。個人が完全に間違っているケースもあろうが、陰謀論にはそうした人々の世界に対する恨みをガス抜きする受け皿としての役割があり、それが反社会的行為に駆り立てる原動力となっている。彼らがテロリズムを起こしてイスラム国でも建国しようという気概があるならまだ概念としてマシだが(あくまで今の社会を最大最高と評価しない場合)、ピザ屋を襲撃する程度のテロに留まっているのは全くエネルギーの無駄という他ない。
ちなみに下の方のトラバには右翼の陰謀論者が多いと述べている人がいるが、ある意味当然だ。本質的には低学歴や高学歴の問題ではなく、社会的に不当な立場に押し込められた人や、社会をコントロールする側にない人たちが多いからだ。彼らは上記の理由によって人生に風穴を開けたいと思いこんでいる。平たく言うと奇跡を望んでいる。だから時としてこうした人達は災害を望んだりする。そこから人生が逆転するかも知れないという思いがあるからだ。
陰謀論にハマる人たちは、特に騙されやすいわけではない。カタストロフィー的な薄暗い希望を持つために、自ら騙されているのだ。
各記事のリンク張りたかったけど増田仕様?9個までしか張れない模様
祝 書籍化
※2020年上半期、cakesでもっとも読まれた記事 15位
ジャララララーララージャララララーララー ジャララララーラララーーーッ
セ ンセ ヤーーーッ(セイヤーセイヤー) ※エコー
ジャララララーララージャララララーララー ジャララララーラララダカダカダカダカドゥクドゥクドゥンッ
だーーきしめたーーーー(ビィユリーン) こーころのコスーモォーー
(ペガサス聖衣装着!星矢の両足キィ!腰キュウ!左腕キュイン!右腕クキュ!胸チイュン!左肩キュン!右肩キュゥ!頭部チュイ!*順注意!!)
熱くぅ 燃やせぇ 奇跡ぃーーーをーー起こせぇーーっ!!
(バゴオォオン!)
きーずついたーーーー(ドゥッタンドゥドゥタン) まーまじゃいないーとーー ドゥッタンドゥドゥタン)
誓いーーーああーーった はーるーかーなー銀河ーーーー(謎のサイレン音 プアァーーーーーーー)
ペーガサスファンタジー!(キシュイイ)そーさゆーめーだーけはーーーーー(ブガアアシ)
だれもーーーう-ば えーーーない こーころの 翼だーーーかーーーーらーーーー!
(ダカダカダカダカドゥン)
センシーヤッ!(ZUBAAA)!しょおーーねーーんはーーーみーーんなーーーー
センシーヤッ!(テュイーーーーー)あしーーたーーの勇者ーーーー オウヘーーーイ
センシーヤッ!(チュプシーー)ぺガァサァースゥのよぉーーーにーーー(ズガゴオオオオオ)
センシーヤッ!(デュ プアーーーーーーー)今こそっ!(プアーーーーー)
はーーばーーたーーけーーー!
昔こういう企画はVシネマでしか見かけなかったのに、時代は変わるもんだ。
という冗談はさておき。
今や2大VTuber事務所に成長したにじさんじとホロライブが、奇しくも同時期に新人女性VTuber5人組をデビューさせた。
で、このご時世どこにも行けずヒマなこともあり、10人全員の初配信を見てみた。
双方の戦隊()の方向性の違い以前に、配信者のポテンシャルや画作りの質で圧倒されてしまう。
それくらい、今のホロライブの採用とプロデュースが、神懸り的に噛み合っているというか。
それこそ尾丸ポルカなんて「お前今度こそ天下取れよ」と言わずにはいられないわけで。
まあ、世界中のキモオタからスパチャを毟り取る野望を持つホロライブのことだから、これくらいは先行投資として当然なんだろう。
だって結構なカネ取るわけだから、払うだけの付加価値がないとっていう。
そんなこんなで目的がどうあれ、結果的に色々クリエイティブなことやれていると。
とはいえ、にじさんじの子らも「ギャルとチンピラの寄合所帯」みたいな現状に対する新風にはなりそうだけど。
実際、Live2Dをデビュー前に漏洩させた件で謝罪来てるし、しかも、お子様が不自然な内容の原稿読んでる+舌足らず感が酷すぎるし。
某所に上がってた、去年のツイキャスと思しき配信の録音でも、社会人経験皆無としか思えない発言がバンバン出てたし、引退したにじさんじ所属のVTuberのこともベラベラ喋ってたりと非常識極まりなかったので、こうなったのは無理ないかな。
正直、即解雇ヘタすりゃ損害賠償請求来てもおかしくないのが、ここまで甘々な処分で済んだのが奇跡むしろこんな奴残しといて大丈夫か?ってくらいの話なので、これから心入れ替えて頑張ってというか、マジで今後絶対他所に迷惑かけんなよって感じ。
まあ、誰にでも若い時期はあるし、採用したカバー側もガバ過ぎる(google並にエグそうな反面、とんでもなく迂闊なところもある)と言えるし。
ほろふぁいぶさんのほうはまだあまり見ることができてないので避けますが、せれ女のほうはヒスピさんがクリティカルでした。同期コラボも始まるみたいでたのしみ。
こっちは逆にせれ女の方をあんまり見れていないのだが、確かに北小路さんは歌つよつよなうえに器用万能感がヤバいね。
歌もミュージカル出身ぽいのが個人的に好み?昼小路/夜小路も用意がいい・センスがいい。
それにしても同期コラボまだー?という感じではある。自分も早くコラボ見たいわ。
まあまずはピンでじっくりキャラ立ちさせてって流れなのかもしれんし、「てぇてぇ」を売りにしているホロライブのコラボとは色々違うんだろうなーと。
ほろふぁいぶは、ねねちゃんのオタクでありつつも人懐っこくてニュートラルな感性がツボだったかな。何より本人が雑談で心底楽しそうに配信していたのがgood。
どちらもまだちゃんとは見てないけど、(大物)転生者がそれぞれのリーダー格っぽいのが面白いなと思った。尾丸ポルカならワンチャン魔乃アロエを救えるかもしれない。知らんけど。
双方のリーダー格とも、5人の中では抜きん出た配信力で甲乙つけがたいわ。まさしく東西横綱級の「強くてニューゲーム」系。
このうち尾丸ポルカは、先に初配信だった西園チグサの配信内容を踏まえて、自身の配信内容を変えるとか、よく行き届いていると感心したよ。
以降、両者ともあの手この手でネタを繰り出して、既にそれぞれの箱のファンの間でレジェンドになりつつあるし、大物っぷりがマジで凄い。
1年で2400時間
きっちー、きっちー、あー、あー、あー
なにのクソみたいな連中とクソみたいな場所で毎日同じことの繰り返し、あー、あー、あー
こんな人生終わってる、きっちー、きっちー、あー、あー、あー
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。