はてなキーワード: 大都市とは
http://anond.hatelabo.jp/20160222235701
クルマから自転車へ 運転免許保有率「都心」「若者」で減少 物流・運送・ロジスティクス業界の総合専門紙
http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php
トラックドライバーにとって、なくてはならないものが運転免許だ。
運転免許の保有者は毎年増加しているものの、高齢者の保有率が増加し、若者の保有率は減少している。
運転免許の受験者数は2004年の387万人から2013年には290万人へ減少している。
全国的に見ると、大都市ほど運転免許の保有率は減少傾向にある。
最も低いのは大阪(保有率58.7%)、次いで東京(同58.9%)、京都(同61.8%)と続く。逆に、保有率が高いのは群馬(同72.5%)、次いで山梨(同71.5%)、栃木(同71.1%)となっている。
大都市ほど免許の保有率が低い。しかも、高齢者の保有率は伸びている。
2005年の免許保有者数は7879万人だったのに対して、2013年には8186万人に増加している。
65歳から69歳では436万人だったのに対して651万人に増加。
70歳から79歳では464万人から713万人、85歳以上は15万人から42万人となった。
大都市にある運送事業者ほど、若者のトラックドライバーを雇用しにくい状況が生まれている。
昨年、京阪神交通計画協議会が実施した近畿圏パーソントリップ調査によると、高齢者(65歳以上)が交通手段として自動車を利用する割合は昭和55年で8.8%だったものが平成12年で23.4%、同22年で33.7%に増加している。
また、大阪府の「休日の代表交通手段構成の推移」によると、20―24歳男性の自動車の利用率は26.3%(平成12年)から20.4%(同22年)に減少。
40歳までの男性の自動車の利用率はすべて減少しており、自転車の利用率が大幅に上昇している。
現在、若者は「クルマ」から「自転車」に交通手段を変化させているようだ。
ドイツのことわざ『トラック一杯の薬より一台の自転車』 総合内科専門医 矢木 真一
http://web.archive.org/web/20140811155540/http://www.heisei.or.jp/docterseye224.htm
2009年から本格的に乗り始め、ほぼ毎日25キロの通勤をしていたところ95キロあった体重は82キロまで下がり、
献血時の血圧測定で140mmHgを超えていた血圧は正常化し、脂肪肝によるものと思われたGOT・GPT高値は正常化するわ、
右の頬に出ていた慢性の吹き出物は消失するわで深夜のテレホンショッピング、雑誌の広告も真っ青な効果でした。
海外に、「トラック一杯の薬より一台の自転車」という諺がありますが、その通りであることを実感いたしました。
長距離を走るなら是非ロードバイク(ハンドルが下に曲がっているやつ)を購入したいところですが、
如何せん高価です。まずは家のママチャリのサドルを高めに設定し、
タイヤの空気圧を高めにしてチェーンの注油をするだけでもかなり快適に走れるようになります。
本格的に走りたいという方は是非スポーツバイクの購入をおすすめします。
東証1部上場で、フレンチレストランとイタリアンレストランを大都市を中心に31店舗。
「美味いけど高いんだから当然じゃないか」
と思うケチな僕だが、ひらまつグループのレストランだとそういう文句は出ない。
「味やサービスを考えると、この値段でも満足だなあ」
となる。
かなり高級感のありながらも、気軽に普段着で楽しめる。
よく観察すると、店員が部屋のなかを歩く時も、姿勢だけでなく右向け右左向け左してキュッキュッと動きまわるからビビるが、常に笑顔で接客、ジャージの客だろうとも貧乏人は帰れという態度は決して出さない。
といっても、なかなか高級なレストランの部類に入るので、そうそう毎日は通えない。
まず、額面が書いてない。
これが贈るのに最適な理由だ。
ギフトに使ってみてはどうか。
ところで、非モテ論も盛り上がってる今日この頃だが、普段のデートにも最適。
さすがに親しくないうちにここでディナーは引かれるかもだが。
みなさまぜひとも。
株主優待を取るとかなりお得なので、株を買うのもいいだろう。
株主様フェアでは、3万〜4万円くらいの価値のあるディナーが1.5万円で楽しめる。
ワインといえは、オンラインショップでの取り扱いがなかなか秀逸。
家で飲むワインは、たいていここで買ってる。
Q1、値段が高い。大会勝ち越しを狙うなら継続費用として月1~2万。
A、 頭を使え。遊び方(リミテッド等)を工夫するか、友達にカードを借りれば良いだろ。
お前は「自分が下手という事実を棚に上げて、カード資本のせいにする卑怯者」と自覚して反省しろ。
A、 お前の能力を上げれば問題無い。何事もまずは努力だろうが。気合いだ気合い。
Q3、それ以前の問題としてデュエルスペースに人がほとんどいない
A、 お前みたいなクズと対戦したい奴が居ないだろ。「出るしかない」なら大会に出ろよ。頭おかしいのか。
教える方も大変なので、カジュアルに遊べる環境がない事も合わさって
大会に新規で来る人が復帰者、もしくは他TCGから移ってきた人ばかり
A、 まともに大学や高校受験してないような意見だな。独学だ独学。
Q5、社会人の場合、月1万は出せるが遊べる時間がなさすぎてコストパフォーマンスが悪い
A、 他の趣味で遊んでろ。その程度で文句を言う情けない奴は、そもそもお断り。
Q6、今は無料、もしくは低価格の趣味が多く、敢えて値段の高いMTGを選ぶ必要性がない
A、 はした金が出せない貧乏人は要らない。貧乏人は治安悪化の元凶だから消えろ。ヒトラーに隠れ、
ユダヤ人弾圧を支えた主な勢力も貧乏人。貧乏人はファシストの予備軍だから来なくて結構。
A、 ボケ老人かよ。「変化があっておもしろい」と捉えられない時点で、おまえがくず。
Q8、モダン、レガシーなら使えるけど今度はモダン、レガシー用カードを集める必要あり。
A、 だからどうした。一生懸命働いて、金溜めて買え。働かざる者、遊ぶべからず。甘えるな。
カード専門店ですら売ってないイベントやってないって店が増えてきてるのはやっぱキツイ
A、 通販はどうした。あと増やし過ぎても問題が起きる。何でも規制緩和すれば良いわけじゃないだろ。
イベントは友達を作ってお前が企画すれば問題無いだろ。言いがかり付けてくるな。
Q11、大都市、政令指定都市以外はほぼ壊滅状態で、地方では遊ぶ事すら出来ない
A、 お前の事情なんか知るかよ。やる気が無い奴は要らない。這ってでも都市部にプレイしに来い。
Q12、日本では宣伝自体を行っていない事もありMTG自体の知名度が低すぎる
A、 だから何だ。育ちの悪い奴が潜り込んできて荒らさないようこっそり楽しめば良いだろ。
Q13、プレーヤーにキモオタが多く、ある程度耐性がないときつい
A、 自分がキモヲタと気付いて無いのか。お前レベルのキモヲタはまず居ないから、安心しろ。
・値段が安い
・値段が安いのでみんなカジュアルデッキを持ってる(初心者でも遊べる)
接戦なら負けても楽しいだろうけど、MTGの場合はデッキパワーや
プレイングの差がはっきり出てしまうので初心者だとぼろ負けする
・取り扱い店舗が多い
A、 頭おかしいのか。仮にそれが正しいなら他のTCGやってれば良いだろ。それは「お前みたい
なやつが来ないように、そうなっている」と考えろ。やる気が無いならとっとと失せろ。
バーニー・サンダースがアメリカの民主党大統領選挙でヒラリー・クリントンと一騎打ちになりそうな昨今、なんか微妙に聞き覚えがあるけどアメリカとか関係ないしって思ってたんだけど、ふと10年前に留学してた時にこの名前を聞いたのを思い出した。そう、日本ではサンダース上院議員って呼ばれるんだけど、アメリカではBernieなのだ。だからフルネームで聞いてようやく記憶から蘇った。そう、Bernieは増田が留学していたバーモント州の上院議員なのだ。
バーモント州はアメリカ東海岸の田舎だ。どれくらい田舎かというと、Wikipediaを見ると人口的には下から2番目の州で日本で最下位の鳥取よりもわずかに少ない。中心都市の規模も大体鳥取と同じ。ニューヨークには鉄道で5時間程度……だったと思う。ボストンには1日数便で4人乗りくらいのセスナが飛んでいる。人生で初めて操縦席と客席の間に仕切りがない飛行機に乗ったよ。人がいない州にありがちなコンチネンタルに州が補助だして運行している路線だ。最も近い大都市はカナダのモントリオールなくらいに北にあるが気候はおだやか。地勢も安定陸塊らしく平べったい丘が延々と続いてるだけ、とかく特徴がないのも鳥取な感じがある。あ、鳥取には砂丘があるか。アメリカにしては白人の占める割合がめちゃ多く、黒人はともかくヒスパニックもアジアンも全然いない。大和民族が圧倒的な日本の田舎とそういう意味でも変わらない。
大学入学した時、ちょうど上院選挙があった。上院選挙があること自体、大学内で活動してたBernie支持者たちで知ったのだ。Bernieって書かれた看板を持って話しかけてきた。外国人だから投票できないんだよね〜って答えながら話してみたのだが、Bernieは無所属だという。アメリカの政治家と言えば共和党か民主党に入ってるものだと思っていた素朴な日本人だったので、意外に思ってた故に増田はBernieのことを覚えてたのだろう。また、なんでBernieがいいのかと問うてみたら、とにかく最高!みたいな返しをされ、ふーんという感じだった。まぁ外国人に話してもね。彼らや対抗馬の支持者たちは、大学の中で自然に政治活動をしており、日本で若者がまともな政治活動をしてるのを見たことなかったから、とても新鮮だった。大学内で見かける支持者の数はBernieが対抗馬を圧倒していた。もしかしたら大学内では見なかったかもしれないレベルだ。
選挙はいつのまにか終わり、増田は興味がなかったので結果を知らなかった。今、WikipediaでみたらBernieの圧勝だった。
当時いた大学は州立大学で、留学してくる外国人がカナダ人でさえ珍しいマイナーな大学だった。アメリカの州立大学は日本の県立大学と違って州民は優遇される。さらに、隣接地域での割引がある。バーモント州ならニューイングランド地方から来たら割引ねって感じだ。だから学生はほとんどが近隣地域の人間で、ウィークデイは寮にいるが、週末になると車で実家に帰ったりしていた。まぁ大体の人間がそこまで裕福な感じではなかった。貧困ってほどでもないが、マックとかでバイトして学費稼ぐくらいの感覚だ。そんな感じなので、Bernieの社会主義的な主張は大学生に受けてたのかなと思う、直接聞いてはないので確かめてないが。
さて、Bernie、今回も若者人気でクリントンを圧倒しているらしい。アメリカは他の先進国と違って若者が沢山いる国だ。次の予備選挙は隣のニューハンプシャーなので勝ちそうだし、オバマの時の再来もありそうだ。だが、本選に出たら厳しいとも思う。アメリカはマッチョイズムの国だからだ。増田はアメリカのマッチョさが合わずに帰ってきたぐらいに、アメリカはマッチョだった。日本人からすると全米ライフル協会みたいに保守派とマッチョはほぼイコールに思えてたのだが、どうやらマッチョは保守とある程度相関してはいるが、むしろアメリカ人の心の基礎として政治的な傾向に関係なくアメリカ人に広く遍く浸透しているように思えた。本選に出た時にマッチョが相手なのはほぼ確定してるわけで、その時アメリカ人がどう判断するかというとBernieは厳しく思えるのだ。リベラルの人間としては残念だけど。
当時も今も日本人は3桁いないだろう。バーニー・サンダースの上院議員選挙を(少しでも直接)見た日本人は少ないだろうと思い、身バレしても大丈夫なようにここに記録しておく。しかし、まさかあの時アメリカのド田舎で見かけた人間が大統領選を騒がすとは……人生長く生きてると面白いものですね。ご査収ください。
これそのまま続けてると人生を壊すか体を壊すかだよ。自分もそうだったので。
ああ嫌だ、でもやらなきゃ、でも…と無為に時間を過ごして、いざ追い詰められると自分を呪い罵りながら徹夜で作業して、
そんなことを10年繰り返していたらストレスから不治の内臓疾患になりました。40歳まで生きられれば御の字だな~みたいな体になっちゃった。
そうなってからではマジで遅いよ。今のうちに何とかした方がいいよ。
自分にとって効果的だったのは、家以外の場所で作業することなんだけど、図書館じゃなくて
大都市だとコワーキングスペースやシェアオフィスがあるのでそこで作業する。
安くはないお金を払うので、やらないわけにはいかないという意識が働いて作業が進むよ。
30過ぎのデブババアだが小さい頃性的虐待にあった事を話そうと思う。
今でこそ私は行き遅れで電車で男の隣に座ると舌打ちされるような容姿だが
20年近く前は痩せていて一重ではあったが見た目は普通だったと思う。
私の家の近くには公園があり、当時ちょっと男の子っぽい遊びが好きだった私は
男の子たちと公園でよくポケモンをしたりサッカーをしたりしていた。
いつも一緒に遊んでいるAが突然
「おい、みんなでベンゾー退治に行こうぜ」と言い出した。
私は一瞬ベンゾーとはなんのことか分からなかったがAの
街の平和のために頑張らねばと思った私達は近くの寺に現れると言う
ベンゾーを倒しに寺に向かった。
寺につくとAは「上にいると思う。棒持って来い。」と叫び境内に
登っていった。境内につくとAは「ベンゾーだぞ!戦え!」と叫び
Aと残りの3人はベンゾーに棒で殴りかかった。
A達3人はびっくりして逃げ出したが、私は逃げるときに躓いて転んでしまい
足から血が出て思うように走れなかった。
A達はすでに一目散にどこかに逃げ出しており、境内にはベンゾーと
私だけになってしまっていた。
私はAたちに見捨てられたこととベンゾーに対する恐怖から泣き出しなてしまった。
その間にもベンゾーはこちらに近づいてきて私の近くに立った瞬間
頭を撫でられた。「ほらなくな。足の周り抑えると痛くないぞ。」と言いながら
近くの水道まで私を運んでくれて傷を洗ってくれた。
翌日Aに何故ベンゾーというのか何故ベンゾーは悪いやつなのか聞いてみた。
Aが言うにはメガネをかけているからベンゾーでAの母親がベンゾーは働いておらず
そのうち犯罪を犯すかもしれないとAに言っていたらしい。
Aはそれを真に受けてベンゾーは悪い奴だと思ってたようだ。
私がベンゾーは悪いやつじゃないと伝えると5人で謝りに行こうという事になって
一緒に謝りに寺に行った。その日もベンゾーは寺におり、空を眺めてぼーっとしていた。
最初に私がみんながあやまりたいと思っている事をベンゾーに言うと
ベンゾーは嫌な顔をしていたがなんとか許してくれた。
どうやらベンゾーは寺の近くで暮らしており、
昔の話なのでよく覚えていないが司法試験か司法書士の勉強をしているようだった。
勉強に疲れると寺に来るとの事だったが私が知る限り午後はかなりの確率で寺にいた。
またベンゾーの家は昼間はベンゾーしか居らずベンゾーの部屋ははなれになっており
ゲームと漫画が大量にあったためベンゾーの家は私達のたまり場になった。
半年もすると私はAたちとともに行動をするより、ベンゾーと2人で遊ぶ事の方が多くなった。
もちろんAたちも時々ベンゾーの家に来ていたのだが、私は毎日のように入り浸っていた。
ある日ベンゾーが居ない隙に学習書の棚を漁っていると女の人の裸の写真が乗っている本を見つけた。
その日は気付かないふりをしていたが翌日ベンゾーがトイレにいった間に何冊か勝手に借りた。
そして次の日勝手に返した。そう言うことが2.3ヶ月続いた。男子が遊びに来てる時は返せないし借りれないしで
もやもやした。今だから分かるがベンゾーはMらしくやたらとクンニものの本が多かった。
そして男が紐で結ばれている本も中にはあった。もちろん私はそれまでにそう言う本を見たことがなく
性的な知識はベンゾーの本からのみ得ていた。今ならかなり偏っているとわかるのだが
ところで気づいた方もいるかも知れないが私はベンゾーが好きだった。ベンゾーはあだ名はベンゾーだが
それなりに見た目は良く境内での事件以来ベンゾーに徐々に惹かれていった。
だからベンゾーの本から得た知識によって私のいつものネタはベンゾーを私に奉仕させることだった。
正直ベンゾーとやりたかった。ベンゾーも私とやりたかったと思う。
ベンゾーは時々「本が無くなっている気がする」と言っていたが
私は「気のせいでしょ。これだけちらかってたら無くなるよ。」と言いつつ勝手に借りる事をやめなかったし
定期的に新しい本が参考書の裏に入荷されてた。
私はだんだん気持ちが抑えられなくなっていたがベンゾーからの積極的なアプローチもなく
悶々としたひびを過ごしていた。ある日私は決意をして30日後にベンゾーの参考書裏の本を追求することに決めた。
まずベンゾーを追求し狼狽えたところで裸にしその後行為に及ぶ作戦だった。
そして20日目に事件が起こった。AがAの母親に最近は私とベンゾーが2人でよく遊んでいる事を話したらしい。
PTAで問題になり、それっきり私は両親からベンゾーの家と寺に近づく事を禁止された。
ベンゾーはその後試験に受かったものの街で悪い噂が立ったため、他の街に引っ越したらしい。
私は心身不安定になり過食とリストカットを繰り返し20年ひきこもり今は作業所に通っている。
関係者ではないけど、ある事情でバブル絶頂期の日本の産廃事情について調べたことがある。
当時、日本はまさに絶頂期、飽食の時代、地上げ屋が跋扈し、きらびやかな建物が次々と立ち上がり、札束が飛び交い・・・そして、その背後で排出される膨大な産廃は行き場を失い彷徨っていた。
これらの産廃は、大企業が託した「産廃事業者」と名乗る暴力団のフロント企業によって、多くは大都市近郊の地方に持ち込まれ、不法投棄された。谷や川は都市から持ち込まれた産廃で埋め尽くされ、取り締まるべき役人は賄賂を渡されて黙認した。産廃によって住処を失った住民が裁判で訴えようにも、長引く裁判の間に仕掛けられる、親戚を巻き込んだ有象無象の嫌がらせに泣き寝入りをせざるを得なかった。それでも一部の産廃事業者は逮捕されたこともあったが、彼らに廃棄物を委託した企業は、遂に誰も逮捕されることはなかった。
一部のマスコミもまた、これらに対して沈黙を守った。今では多くの大手新聞社は、自社の過去の記事を有料ではあるがデータベースとして提供している。これらを見比べることで、当時、どのマスコミが社会的な正義を貫き、どの新聞社が「報道しない自由」を行使したの分かる。例えば独裁国家が揃って国の名前に「民主主義」を含めるように、自らを「社会の木鐸」と自称する新聞社ほど、これらの問題を不思議なほど無視していた。(なお、自社の新聞の縮刷版すら発行しない新聞社は論外である。)
あの狂乱の時代から20年以上が経過した現在でも、地方ではまだ多くの産廃は残されたままである。多くはそのまま忘れ去られたが、例えば圏央道の某トンネルのように、ひょっこりと問題が浮かび上がる場合もある。
そして国会の会議録で「産業廃棄物」で検索すれば、この状況に心を傷めた一部の与党野党の国会議員の尽力によって、現在の環境・産廃関連の法律が整備されたことが分かる。これらの議員の一部には、後の民主党政権の失政でその名を地に落とした政治家もいる。
誰とは言いませんが、非科学的な反原発等の言動を吹聴して回るよりは、当時の回想録でもブログに書いた方が今なら少しは株が上がるかもしれませんよ。
★★★★☆
2巻8話。
BJが山間部を走るバスに乗っていたところ、バセドー病の患者を見かける。
ここ一帯で評判の医者へ行くというので、気になりついていくことにするが、
しかしBJは、こんな無医村で医者を続け、村人の尊敬を得ていることを立派だと話して去る。
初見。
ラスト、白と黒の対比もよかったし、見送るBJがどんな顔してたであろうかも想像できて面白い。
BJが手放しで医者をほめるシーンの、中空を見上げながらなんともいえない表情をしてるコマもすごくよかった。
ここで、自分と同じモグリなのにこんなに尊敬を集めてて小憎らしい!
とか、村人にバラしてやる!とかなんないのがすごいところだなあ・・・
自分にないものを認めて、素直にすごいと言えるってのは、簡単だけどすごく難しい。
こんな無医村で三十年も医者をやって あれだけ村人の尊敬を受けているんだ
私はね 先生にほれこんだんですよ……フフフフ…
だからこそオペもお手伝いしたんだ
古和医院
ピノコ愛してる
二度死んだ少年
アリの足
えらばれたマスク
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
閉ざされた三人
万引き犬
奇胎
からだが石に…
端的に言えば、少子化・人口減 が日本が終わってる直接の原因だ。
つまり、今日100社の会社が国内でモノを売って食べていけたのに、明日は99社しか生き残れないことになる。
海外で売ればいいと言い出す人もいるだろうが、ぶっちゃけ、海外で売るなら海外で作って売ればいい。
会社としては海外に移転することで存続できるだろうが、国内の状況は何も変わらない。
日本は国土が狭いと言われているが、現実には過疎地が無数にあり、決して国土自体が人口に対して不足しているわけではない。
狭い土地を効率よく使う政治が行われてこなかったために、大都市一極集中が起こり、
公共事業を通じて、もっと戦略的に都市交通網を広く発達させていれば、日本全体が大都市となる街づくりも不可能ではなかったはずだ。
何故、政治が上手く行われなかったのか?その原因は国民にある。
民主的な選挙制度を導入するところまでは良かったものの、実際の選挙運動では、
名前を数多く連呼したものが当選するという、前代未聞の選挙形態になっている。
こんな状況でまともな政治家が選ばれるだろうか。。
まとめると。
↓
まともな政治家を選べなかった
↓
まともな政治は行われなかった
↓
↓
Twitterで「もし京都が東京だったらマップ」が回ってきた。
私も「こことあそこって雰囲気似てるなぁ」と感じることはあるし、それを見事に可視化した力作だと思う。
しかし。
これでは片手落ちと言わざるを得ないのだ。
私が主張したいのは結論から言うと、「京都も大阪も単体では都市として不完全である」ということ。
別に東京を模範にすべきだとか基準として正しい、と言いたいわけではない。そもそも何が悲しいて関東なんかにあてはめられなあかんねん。都市の構造として歪なのが京都と大阪なのだ、と言いたいのである。
普通、その地方の一番の難関校——つまり研究機関として多大な影響力を持っている大学——は、東京の東大、仙台の東北大、九州の九大といった風に地方の最大都市に置かれている。博物館や美術館に関しては、大規模なものは関東なら東京にしかない。都市としてのブランド力も抜けている。北海道と言えば札幌、東海地方なら名古屋、それぞれ明らかに同地方の他都市に比べて影響力がある。また、経済の中心地も同じ都市に存在する。札幌も東京も名古屋も福岡も金融センターを持っており、本社機能・支社機能をそこに置いている会社が多い。
最難関校は言わずもがな京大であり、東大と共に日本の双璧を担っている。国立博物館や国立近代美術館も京都にあり都市のブランド力は日本中を見回しても別格である。大阪があまり良くないイメージを持たれるのとは対称的だ。
(大証は無くなったが)近畿一円の金融センターは大阪に集約されているし、本社機能、関西支社の本部は大阪が圧倒的に多い。また大阪は芸能も盛んであり、テレビによる発信力が大阪にはある。京都の放送局は独立放送局のKBS京都だけである。
そう、京都と大阪は他地方では一つの都市が担っているはずの機能を分担して持っているのだ。アカデミアや権威的な部分は京都へ。商業的、経済的な部分は大阪へ。普通ならその全てを受け持つ都市が地方ごとに存在しているのに、近畿だけは二分されている。
これを理解していない人々は京都にも大阪にも多い。というかほとんどの人は理解していないからこそ大阪は「単体で」(国による優遇のある)東京と張り合おうとして負けたのだろう。
この地図は、その分担された都市・京都を東京に当てはめている。
もちろん試みとしては非常に面白いが、前述の通り京都は単体で成り立っているわけではなく大阪とセットで初めて語ることが出来るのであり(逆も然り)、東京のような、あるいは名古屋や福岡のような「地方の核としての全ての機能を受け持つ」都市ではないのだから、「片割れ」に「全体」を無理やり当てはめても何の意味も無いのだ。
京都と大阪を合わせて初めて東京と比較可能な都市になる。単体で比べても真の姿は見えない歪な都市。
だから、梅田は新宿であり、難波は渋谷であり、四条河原町は池袋、京都駅は上野、新大阪は品川であるというのならまだしっくりくるのではないかと思う。その間に多摩(両府下)が挟まっている。池袋が埼玉県民に支えられているのと同様に、京都の繁華街は京都人だけでなく山科or京都駅で地下鉄に乗り換える滋賀県民に大いに支えられている。
この特殊な構造は歴史的な要因があって出来上がっている。発展の為にはトップダウンが最も効率的で、地方の核都市への一極集中はそういう点では良かったのだろうし、実際九州も東海も地方全体としては人口が減少しているにも関わらず福岡や名古屋にはまだまだ勢いがある。それは全ての核となる機能をそこに集めているからこそ可能なのであり、近畿が日本で唯一不可能なことなのだ。叫ばれて久しい関西経済の地盤沈下は、大阪の権威不足も一因だろう。
だが、この近畿の特殊な形にも良い点はある。多様な価値観を容認できる、いや、せざるを得ないということだ。仮に大阪が札幌や東京や名古屋と同様に全ての機能を担っていたとしたら、大阪の経済自体はここまで停滞していなかったかもしれないが、大阪的価値観が絶対であるという姿勢がテレビ局などのメディアを通して関西一円に広まり、関西の文化は全くつまらないものになってしまっていたはずだ。
関西経済の発展には、京都と大阪がセットで初めて機能するということを理解しているリーダーが必要であり、またそれに応じた施策が必要になる。それが大阪の政治を握るおおさか維新の会なのかはたまた別の政治勢力なのかは分からないが、このことを肝に銘じて政治を行ってほしいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120102000130.html
このブクマを見て思った
自分としても、渋谷区の法律は支持するし最終的には国が法律で同様の制度を用意すべきだと思ってる。
だが、ここで相手の信条を批判するために「練馬区を田舎だなぁ」と批判してることについて、自分は疑問に思った。
そして、それにそれなりの数のスターがついてることに悲しさを感じた。
これに対する批判は、2つある。
(1)区議の意見に反対するために、「練馬区」全体を貶めていること。
この2つである。
(1)に関しては、主語が大きすぎるということも言えるだろう。
これには、その議員を選んだ区民の責任という考えもあるかもしれない。
だが、選挙のときに、区議は同性愛に関する意見を述べただろうか。
これを述べていて、区民がその議員を選んだのならば、練馬区は糾弾されるべきかもしれない。
しかし、練馬区民はエスパーではないのである。他人の心を読んで、この人はこういう考えを持ってるから投票すべきではないという判断はできないのである。
つまり、私は(1)においては、批判されるべきは区議であって、区民じゃないということだ。
(2)のような田舎を劣ったものだとする考えはありふれていると思う。
しかし、私はこのような意見を持ちながら、片方ではリベラル的な意見を持つことに微かな違和感を感じている。
はたして、田舎だからリベラル的な意見が否定されるのだろうか。
http://sp.mainichi.jp/feature/news/20150316mog00m010016000c.html
この結果には若年層や大都市になるほど、同性愛に寛容であるとの結果が示されている。
その点では、確かに田舎はこういった問題に不寛容な可能性もある。
しかし、大都市になるほど、若年層が多くなることを見逃してはいけない。
ソースは用意できなかったが、欧米では学歴が高いほど政治的寛容度が高いという研究結果もあったはずで、日本では構造的に学歴の高い人間ほど東京に移動する傾向にあることも原因の一つであると言えるかもしれない。
だがここで私が考えたのは、地域内の高齢者の比率の問題とも言えるのではないかということだ。
また、上記の学歴が高いほど、政治的に寛容であるというのが真で日本に適用できるならば、現在の若年層の賛成の比率の高さは大学全入時代に突入したことへの影響もあると思う。そして、日本の大学数は都市近辺に集中していて、地方の若者も都市で教育を受けてから地元に戻るというケースも少なくない。つまり、学歴が政治的寛容に影響しているならば、年齢別の寛容度の高さは説明できると考えられる。
そして、これらが都市になるほど、同性愛に寛容であるという根拠になるのではないか、という私なりの説明である。
私が見たぶんの、二次創作物としての夢小説、狭い範囲の夢小説について話したいと思う。
とはいえ、そんな狭い範囲においても、夢小説というものの幅は広い。名前変換小説、という別名をとるだけあって、「名前変換機能」がついている二次創作小説は、すべて「夢小説」と呼ばれる。JavaScriptのダイアログでも、Cookieのフォームでも、投稿SNSサイト・ホームページ作成サービス付属の機能でもいい。
その形式。愛おしいあのダイアログは、そっけなく「苗字」「名前」、とだけ書かれたものもあれば、「御名前をドウゾ」「Please enter your name.」なんていう、意味はよく分からなくともすてきな言葉遣い。
なぜならば――それはインターネット上で行われている。
すてきなものは同人誌即売会にある。オフラインにある。二次創作というものを知って以降、私はそう覚えこまされた。「オフ本を作りたい」と作家さんは言い、「やっぱり本になるといい」「ちゃんとしてるように見える」と言う、「差し入れありがとうございました」「こんどのイベントは限定ペーパー作ります」「コピ本作ります」。
指を咥えながら見ていた。
愛が足りない、と言われればそうだったろう。小学生だって即売会に行くことはできる。通販を申し込むことだって不可能じゃない。けれど私にはそうするだけの愛が足りなかった。住所を入力する勇気もなかったし、新幹線に乗って大都市に行くお金を貯めることもできなかった。
夢小説は私の味方だった。
クリックひとつで手が届く、インターネット上で完結した世界だった。本になって、「ちゃんとしてるように見える」ことはなかった。同人誌はインターネットがはじまる前からあったらしい。夢小説は、常にインターネットとともにあった。メアリー・スーの存在は知っている。けれど「名前変換」。名前変換が出来なければ夢小説ではない。
振られるもの。振るもの。いじめられるもの。いじめるもの。嫌われるもの。嫌うもの。
ただ一瞬だけ人生が交わるもの。交わることすらなく通り過ぎていくもの。
主人公の性別に制限はなく、男の子になってキャラクタと交わる夢小説は女の子になる夢小説と同じくらいたくさん書かれているように見えた。百合夢小説だってある。少なくとも私は書いたことがあるし、『テニスの王子様』のヒロインたち、竜崎桜乃と小坂田朋香や、『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニー・グレンジャーの夢小説はかなり読んだ。夢中で読んだ。
ハーレム夢小説が好きだった。登場人物が多いぶん、たいていは長編のラブコメだった。ジェットコースターみたいな展開に夢中になり、連載が更新される日はいつも待ちきれなかった。男の子たちと丁々発止とわたりあう聡い女の子たちに憧れた。女の子を大切に大切に扱う男の子たちは原作とはまたちがう輝きを放っていた。「キャラの立った」女の子たちは、ときに作品の垣根を越えた作品を生み出すことがあった。それもまた好きだった。
傍観者になる夢小説が好きだった。「無糖」という言葉はよく覚えている。夢小説の脇には、しばし「狂愛」「死ネタ」「悲恋」などと属性が書かれていたけれど、そのなかの「無糖」は、キャラクタのそばを、傍観者として通り過ぎていくことを意味していた。見つめるだけでなにも起こらないことが約束されていた。書き手の視点から切々と綴られた誰かの横顔は、どこまでもいとおしかった。
これらの、相反すると思えることが同時に起こり得たのは、すべて、「名前変換」というものがあったから。
夢を見なければ、夢小説は書けない。
夢中にならなければ、作品のなかに入り込むことがどうしてできようか?
夢小説を読むとき、書くとき、私はずっとずっと夢中だった、冷静な判断なんてなにひとつしなかった。ただ、情熱の赴くままに行動した。
文字通り夢を見ていた。
大抵「アクセス方法」みたいなタイトルのページがあって、東京とか大阪みたいな大都市から飛行機や新幹線や高速道路で現地付近まで行くための交通手段の説明は必要以上に親切な割に、現地付近から内部の移動手段については妙に具体性がないところが多いんだよね。
最近は自治体が観光客向けに無料や格安で見どころを巡回しているバスなんかもよくあるけど、それでは時間の都合が合わないケースも多いのに、地区内の路線バスの時刻表どころかバス会社へのリンクすら貼っていないところもあったりして。
まあ、よく知らない土地のバス会社の路線表や時刻表の見づらさというのも何とかならないのかねーとは思うけど。それはまた別の話で。
そういうのを見ると、地元の人は車があるから路線バスなんか使ってないんだろうなーというのが透けて見えるし、免許がなかったりタクシーまでは使いたくないという観光客のニーズを見落としてるんだろうなーとも思う。
出発地から現地までなんて大ざっぱなところは今日び他にいくらでも調べる手段があるんだから、そういう毛細血管みたいな情報こそ、そういうサイトで提供して欲しいんだけどね。
東京で痴漢が発生して、ニューヨーク・パリ・ロンドンで痴漢が発生しないのは、単に鉄道の混雑率が違うせい。
東京の鉄道混雑率は170%以上だが、欧米では主要都市でも150%以下。
東京の鉄道が混雑する理由は、通勤で鉄道を利用する人の割合が諸外国に比べて圧倒的に多いから。
世界の大都市で、鉄道依存度が50%を超えているのは首都圏くらいのもの。
鉄道依存度が高いことを良いことみたいに言うことが多いが、ただ単に首都圏の道路と駐車場の整備ができていないだけで、
交通手段の偏りを是正せずに痴漢を「乗客のモラルの問題」と丸投げするのはおかしい。
ラブライブ!は秋葉原を舞台にした作品で、現在の秋葉原の活気のうち何パーセントかはラブライブ!がもたらしたものだと思う。
じゃあ、ラブライブサンシャインは沼津に活気をもたらすことができるのだろうか。
ここに、制作陣の思惑が多く隠されている。
実のところ、ラブライブが秋葉原を盛り上げたのではない。元々活気のある街である秋葉原を舞台に据えることで、ラブライブは自身の人気を高めていったのだ。オタクの街である秋葉原で、作中作外問わず様々なイベントを展開し、現実ではメイドカフェでサイン入り名刺をファンに配り、アニメでは神田明神の階段を駆け上った。
この、「舞台と共存する」という姿勢がラブライブサンシャインに活かされているのだ。
作品の舞台となることで街を盛り上げる、というのは一筋縄ではいかない。有名な成功例としてらきすたの鷲宮神社やガルパンの大洗町があるが、一方でかんなぎ神社のように現実から擦り寄って失敗した例やラグ輪のように聖地ビジネスありきの企画がさして盛り上がらなかった例もある。
成功失敗を分けるファクターはなんだろうか。作品の質、もちろんそれもある。しかしそれだけではない。
アクセスの良さ、これが重要になる。失敗作はすべて、行きづらいのだ。どこから。もちろん、日本で最も人口の多い東京から。東京以外の場所から近くてもそれは単なる「ご当地」にしかならない。(なお、この成功例がWUG仙台である)
この意味でラブライブの秋葉原は群を抜いていた。東京のど真ん中なのだ。なんという好立地。
サンシャインにはもちろん、ラブライブに無いものが求められる。つまり秋葉原の対極。しかし一方で、完全なド田舎を舞台に据えてしまっては商業展開に差し障る。そこで沼津。
都市圏ではないが東京から数時間。名古屋や大阪といった他の大都市にも近く、関東以外からのアクセスも比較的容易。
富士山と海に囲まれ、単なる作品の舞台探訪として以外にも訪れる価値のある街。
そう、富士である。かつては不死の山として讃えられた霊峰富士を背に、江戸より続く日本の大動脈たる東海道に位置する街。
沼津はスピリチュアルなパワースポットとして一部ドムの間では有名なのだ。
日本の主要パワースポットをすべて繋ぐと、その中心が沼津になるということをご存知だろうか。
ラブライブサンシャインはただの田舎を舞台に据えたのではない。交通の便、純粋な観光、そしてその地に流れる龍脈。沼津は正しく日本の聖地そのものなんだよ!
http://nishikifruits.blog16.fc2.com/blog-entry-1577.html
これを読んでいて驚いたのは、自分の出身地(熊本県の人吉・球磨地方)が舞台であったということだ。
両親は中学校の教員であったため、経済的には特に不自由しなかった。
【以下思いついただけ】
子供の目からみてもこの惨状である。大人だったらたぶん気が違うであろう。
幸い東京に逃げ出すことができた。なんだかんだ言っても、東京などの大都市は真っ当だ。
夏目友人帳(ばらかもんやのんのんびよりもそうだが)を見て、田舎はいいと思っている人は考え直せ。
今ならまだ間に合う。田舎なんてクソだ。