はてなキーワード: 入院とは
★スペック
増田 今年度300万弱、来年度400万見込(12月から5月まで無職、6月入社)
配偶者 現在無職(12月入社、2月半ばまで働いていた、5月まで休職、五月末で退職) 、現在傷病手当なし、県民共済加入、重い癌になる。
100万弱程度。
★貯金
共有:50万→5万
★各制度
納付書がきているものは減免は無理。1度は全額払う必要がある。来年申請すると、いくらかお金が帰ってくる。申請はお住まいの地域の区役所のかかりまで。遅らせること、分割することが出来る。
無理。決められた日時までに払うしかありません。遅らせることも減らすこともできません。
ちなみにそのまま放っておくと、強制的に徴収されるらしいですが、本人も財産ないし、共有の財産もないのに、どうやって徴収するつもりなのか見たい気持ちも凄くある。家にあるのはテレビ、仕事で使うリモート用PCと、ボロボロになっている料理道具位だ。
・休職
給料は規定で決まっていない限り基本でません。税金、保険料は本人負担になるが、1度会社が肩代わりして、本人に請求する流れになる。
・傷病手当
1年6ヶ月出る。お給料の3分の2(残業代含む)。傷病がわかった時点で社会保険に加入してること。社会保険にしか適用されない。国保では出ない。もし会社を辞める場合は連続して1年7ヶ月以上社会保険に加入していること。転職などで、1日足りとも途切れると出ない。
傷病手当の会社の負担は書類記載しかない。申請は社員に押し付けることも出来る。休職した社員におすすめし、自己負担分の税金・保険料を払うようにてもらおう。雇用されてる側はもし加入期間が1年7ヶ月を割ってる場合、実際今後働ける状態になれそうになくても納得できないと言って、粘れるなら、粘った方がいい。ちなみに不当に申請や書類の返送が遅い場合は労基にチクることも出来る。うちは試用期間中だからほぼ無理だったけど、3ヶ月粘った。
・限度額
有名なやつ。大体の年収なら機関ごとの1度の支払いが5万7千円までの支払いで良くなる(※1)。多数回の場合は4万4千円(※1)。
例)薬代8万+外来8万+入院8万 (各3割負担の限度額認定なしの支払い)→ 薬代5万7千円+外来5万7千円+入院5万7千円(3割負担、限度額認定支払い)
そうだよぉ、1回5万7千円払えばいいんだ☆と思ってた。怖いかった。。
多数回は本人の保険証に紐づく。だから保険証が変わると、回数はリセット。保険証が変わったときには再申請。申請はけんぽ、保険組合。
※1 年収によって額が変わる。
・高額療養費
↑と併用して使える。例えば月2万1千円を超える支払いが複数回ある場合、それを申請する月5万7千円以上なら4ヶ月後くらいにその分がもどるらしい。
なんらかの収入が大体月10万以上あると扶養から弾かれる。失業保険、傷病手当も収入に入る(一度弾かれた)。
割とすぐ入れた。特筆すべき点はない。
・県民共済
手術一時金(程度によって) 2万5千円、5万円、10万円。
入院補償には罠があって、それは今はクオリティオブライフのため短期入院+通院が流行っていて、3日とかで退院させられる。通院には金出ない。入院が必要な場合は、ちょこまか短期入院させられる。(そもそも配偶者が入院嫌いなので、即退院希望)だから、入院補償に前回入院の時期が半年以上前とか制限が着いていると出なくなる(いまのやつは制限無かった)。書類を書いてもらうのに入院1回につき、7700円がかかり、3週間待つ必要がある。
・医療費控除
これから使おうと思っている。医療費が10万円以上であれば扶養してる側(増田)の税金が安くなる。還付金も数万程度あるらしい。確定申告する必要がある。領収書取っておく。領収書は5年保管する必要がある。
医療費となる対象は、外来費、入院費(食事代・ベッド代込)病院への通院費、薬代、うちは一時人口肛門容器具
・生活保護
うちの市では2人で17万以下の収入になると受けられたはず。医療費、税金、保険料が加入した時期から免除になる。ちなみに世帯でしている貯金、両人の個人貯金はゼロにする必要がある。(いくらかまではOKだった記憶があるが定かじゃない)。引っ越す必要がある。
↑ぐらいまで知識があれば、ほぼもう相談しても何も出てこない。困ったねー、なんかの支払い遅らせることは出来るよ位は言ってくれる。
ほぼ触ってないが、見た感じ金の亡者。自分らが死ぬわけじゃないからいいですね。配偶者が1度海藻に入っているなんだかという成分を濃縮したやつが癌に効くから買ってくれ(10万くらいする)と言っていたので、調べてみると何件も詐欺で訴えられていた有名なやつだった。ほとんどのものが詐欺と思っている。命はお金になりますね。
・区役所関連
基本塩。イライラしてるかけだるいねぇちゃんがろくに説明もしないでたらい回しにする。生活保護で相談する時はNPO法人の人に一緒に来てもらおうと思ってる。
・組合、けんぽ
基本塩。
・病院
優しかった。1番親身になってくれた。
実家は裕福ではないが一人っ子だったこともあり私立医学部に進学。そこの医局で外科専門医、消化器外科専門医を取得して大学を辞めた。単純に稼ぎが悪くブラックなのと、父が亡くなり母が1人になったことから実家に帰ろうと思ったからだ。
近所の消化器クリニックにて勤務医として診察や検査を行っている。また週に一回だけ総合病院に出勤し外来、クリニックから紹介した入院患者の診察、手術をしている。
クリニックで働き始めるまでは忙しさで体力がなかったことや薄給だったこともあり物欲はほとんどなかったが、実家に帰るとお金に余裕が出来たことや休日にも体力が温存されるようになったためムクムクと物欲が湧き上がってきた。
そこで金の使い道のいくつかを紹介する。
ロレックスのデイデイト(36mm、ホワイトゴールド)を購入した。価格は450万円ほど。
今まで大学受験期の模試の前日にホームセンターで購入したカシオの時計を使っていた。時計の良し悪しはよくわからないが、着けているだけで自分のランクが上がった気がする。母曰く「趣味が悪い」とのこと。
モンブランのマイスターシュティック(ゴールドコーティング、クラシック)を購入した。銘入やペンケース、替え芯なども購入して10万円ちょっと。
これは失敗だった。正直ずっと使っていた100円ちょっとで買えるジェットストリート0.5の方が使いやすかった。ただでさえ「踊ってるイトミミズみたいな字」と言われているため高いボールペンで書いていると違和感がひどい。ちなみに医者は字が汚い。他人が書いた伝達事項が読めないことはもちろん、自分が書いた回診カルテが読めず他の医師や看護師たちと「解読」を行うことも多々ある。
俺は喫煙者。また医師を目指したきっかけは「白い巨塔」の唐沢寿明演じる財前教授だ。いつかはデュポンのライターが欲しいと思っていたが、そのことを思い出し買いに行った。
購入したのはデュポンのライン2クリング。約20万円。本当は金ピカなのが欲しかったけれど、ちょっと恥ずかしくなってブラッシュドメタルという銀ピカなものを購入した。
店員さんにガスを入れて貰い、帰りに寄った喫茶店で使ってみた。「カキーン!」という音が響く。タバコを持つ手に光るロレックスと相まって上級国民になった気分。とても良い買い物だった。
俺も母も大のコーヒー好きで、頻繁にコンビニにコーヒーを買いに行く。そこでコーヒーメーカーを購入することにした。
デロンギのドリップコーヒーとエスプレッソの両方が淹れられるマシンを購入。6万円ちょっと。
最初、スーパーで1番高いブルーマウンテンの豆を購入して淹れてみたが正直口に合わなかった。UCCの「職人の珈琲」の青い袋入りの豆を買い直して淹れたところ美味しかったため専らこれを飲んでいる。エスプレッソマシンはほとんど使っていない。
6月以降はあまりの暑さにコーヒーを淹れることはなく、結局コンビニかファミマに毎回アイスコーヒーを買いに行っている。
俺は風俗が好き。今でも素人童貞。大学時代は家庭教師と塾講師でバイト代を稼ぎ、時には友人との飲み会や旅行を断りながら風俗につぎ込んでいた。大学時代は激安ソープにピンサロが精一杯で「いつかは高級ソープに飽きるほど通いたい!」と思っていた。
今でも高級ソープに飽きるほど通う余裕はないが、2週間に一回は吉原に登楼している。一週間に一回行くとマンネリ化してしまうため2週間に一回がちょうど良い。
なんか女性活動家の人が「つわりって避けられないものだと漠然と思ってたので、先進国では普通に薬が処方されてると初めて知った時は驚いた」と書いていてバズっているらしいけれど、日本でも薬が処方されることを久々に思い出した。
うちの妻がひどい悪阻になって、栄養失調のために入院したんだが、その時は栄養剤のほかに吐き気止めの点滴を受けてた。
吐き気止めの点滴が聞いて病院食が多少食べられるようになったころ、食べられるなら食べてもいいという話だったので、カットフルーツを持って行って一緒に食べてたな。
ちなみに、吐き気止めが効かずに栄養失調が継続する場合、堕胎が必要になることもあると説明を受けていたらしい。
退院後も吐き気止めの錠剤を飲んで、あっさり目のものを食べて、無事出産までこぎつけた。
妊娠前に喜んで飲んでいたみかんジュースはつわりで吐いたトラウマからか全く飲めなくなったっぽいけれどね。
比較的女性への人権意識がある場所に住んでいたというだけなのかもしれないが、日本でも吐き気止めくらい処方されますよって話。
...産院勤務をしていたはずの実母の母乳信仰が強烈だったので、田舎だとそういう非科学的で前時代的な女性の取り扱いをするのかもしれないけどね。
曰く、その産院では人工乳は禁止されていたらしいが、そういうことするとおっぱいの出が悪いお母さんの子供が栄養失調になると思うんだけどな。
私はこの何も起きない町の周囲よりは少しばかり裕福な米農家で生まれ育った。
父親は県立高校で教鞭を執りながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には手繰川や印旛沼沿をぶらぶらしながら空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。
酒々井町立酒々井中学校に在学中、私は坊主頭を拒否し横分けを貫いていた。そんな私に対してある1人の教員は事あるごとに拳骨を浴びせてきたが、それほど大事にはならなかった。それほど酒々井はのどかな町であったのだ。
千葉県立佐倉高等学校に在学中、私はよく手繰川まで自転車を走らせ鰻を釣った。これを庭で焼き、甲子正宗とともに一杯やるのが最高なのである。
当時、千葉県立成東高等学校に在学していた私の彼女は私がヘベレケになる様子を見ながら「高校生でお酒飲んで煙草なんか吸ってるとがんになって死んじゃうからね!」とよく叱った。
彼女とは大学卒業頃に疎遠になった。日本女子大学に進み栄養士となって病院で働いていた。私が一橋大学商学部を卒業し、さらに神戸大学医学部医学科に進み、そこを卒業する頃に他の男と結婚した。
「がんになって死んじゃうからね!」と言っていた彼女は子供を産んですぐに子宮頚がんに襲われた。
私は彼女を救おうとしたが、その頃既に私は酒々井で「気狂い」の烙印を押されており彼女が入院しているのが千葉県立東金病院であるということを聞き出すのも一苦労であった。ようやくたどり着くもストックホルム貴族達の息の根のかかった千葉県警に拘束され、私がプロポフォールで意識を奪われている間に彼女は亥鼻の医局員共にステロイドを過剰投与され殺された。
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230723205746
カテーテルでの手術だが、気管挿管をして全身麻酔で行うことになった。ミリ単位での治療になるので頭をなるべく固定したいとのことだった。
夫いわく、カテーテル検査は局所麻酔で行ったのだが、造影剤が入った瞬間、うわぁつとなる感覚があって、思わず身体が動いてしまう時があるそうだ。
主治医は「脳ではそういう感覚は出ないはずですが」と言っていたが、術中に身体を動かさないように念のためとのことだった。
カテーテル手術が終わったら、1日明けて、開頭手術を行う。
開頭手術は、主治医ではなく、ベテランの脳外科医が担当してくれることになった。
脳外科部長を務めるぐらいのキャリアがあり、後頭部からの手術の経験が豊富だとのことだった。
「頭蓋骨を外したらその部分はどうなるんですか?」
頭骨を切って外して、窓を作り、そこから顕微鏡で見ながら、脳の神経を避けながら、奇形になっている血管をレーザーで焼いたり、クリップを設置したりで、血流がいかないようにする。
こんな大手術に耐えられるのか。
説明を受けた夫が車イスで病室に帰った後、主治医に再度聞いた。
「どのぐらいリスクがあるものでしょうか? 夫の前では聞けないのですが」
持病がいろいろとある夫が開頭手術に耐えられるのか。開頭手術にはなんらかの後遺症が出るのではという不安があること、あまり例がない手術ではないかなど、率直に話をしたところ、執刀を担当する医師から話を聞けることになった。
執刀医も、主治医も、懸念をしているのは、問題の血管からの出血が脳幹にたまったことだという。
今回はたまたま出血量が少なかったから良かったが、次はこうはならないだろう。
脳幹は生命維持に関わる個所なので、なるべく手術を急ぐのは再出血が怖いからだと。
このような部位に血管の奇形があるのは珍しいが、術式としては経験があるし、一か八かのような手術ではない。
「セカンドオピニオンを取りますか?」と聞かれたが、セカンドオピニオンの手配をして、手術の段取りを壊すよりは、なるべく早く手術を受けた方がいいだろうと判断した。
懇談室で待っているのもくたびれて、手術室前のベンチに座っていたら、ちょうど主治医が出てきた。
「無事終わりました。もうすぐ出てきますよ」
と声をかけてくれた。
ICUに運ばれていくところで、
「終わったよ、手術うまくいったよ」
と夫に声をかけたが、麻酔でぼんやりしていて「え、なになに」というような反応だった。
ICUへ運ぶ看護師たちもホッとしたようだった。意識も戻っているしとりあえず、第1関門は通過したと思った。
「明日の手術は延期させてください」
なにか悪いことが起きたのか、とドキッとしたが、
昨日のカテーテル手術は、脳の奥にあってメスがいれられない箇所にある奇形の血管を塞ぐのが目的だった。
夫の体の血管の配置が、生まれつきカテーテルを入れにくくなっているので、時間がかかっていたのだが。
今回は通常とは違う部分から入れるように工夫をしたところ、思いのほかうまくカテーテルが入ったそうだ。
と主治医は説明をしていたが、開頭手術で対応しようとしていた箇所の血管にもカテーテルでアプローチをしてみたところ、ふさぐことができた。
造影しながら手術を進めていたが、画像を見る限り、対応しようとしていた血管のほとんどで血流がみえなくなってしまった。
確かに、血管の影が映っていない。
モヤモヤしていた部分が消えている。
予想していた以上の成功だった。
治療の副作用で、しばらくは激しい頭痛が続いたので、大事をとって入院をしただけで、再出血の恐れはほぼなくなっていた。
退院の時はタクシーで帰宅をした。その日は近所を歩くのも難しかった。入院していただけで体を動かしたわけでもなかったのに夫は10キロ以上やせたそうだ。
「脳ってエネルギーを使うんだね」
リハビリとして、昼間は出歩くと体力が消耗するだけなので、夜二人で歩くようにした。
少しずつ距離が伸びて、やっとスーパーまで行けるようになった。そんなことがうれしい。
並んで歩けることがこんなにうれしいなんて。
彼女を救うため、彼女が入院していた千葉県立東金病院に行った。
キチガイの烙印を押され神戸大学医局から追放された自分を千葉大学医局員の医師たちは彼女に会わせなかった。その後、千葉県警の警察官(実際にはストックホルムの息のかかった工作員であろう)に拘束された。
医師は私にプロポフォールの投与を指示したが、彼らにとっては残念なことに私はCRPの値が常に0.00となるよう心掛けていた。
結局拘束中に彼女は亡くなったが、おそらくステロイド系の薬剤を過剰投与されたのであろう。まだ幼いお子さんもいたのに。残酷なことだ。
7年前くらいに扁桃腺周辺炎になり、シルバーウィーク(1週間休みだった)を入院で潰した僕。
当時と同じ過ちを繰り返し、めちゃくちゃ扁桃腺腫れてきたので戒めの備忘
仕事が忙しくて疲れが溜まってた
喉痛いな〜龍角散舐めてるのに効かないな〜
疲れてるし体温めたほうがいいかも?長風呂すっか!よくなるかも!ってやったら、無事悪化。翌日喉が腫れて息がしづらく高熱が出てそのまま入院。(喉ちんこが腫れて、気道を半分くらい塞いでた)
緊急処置で喉の膿を切って洗浄してもらうも、 あまりの痛さに医者にガチの「…コロス…コイツダケハゼッタイユルサナイ…」という気持ちになる。
痛みと腫れが治るとそんな気持ちは消え、痛みって殺意に繋がるのだなと知る。
結局1週間入院した。
コロナになってからほぼリモートワークで仕事も遊びも行かなくなっていたが、今月は実家の様子を見に行ったり、家の工事で一日外で過ごさないといけなかったりとコロナ始まって以来のアクティブな1ヶ月で疲れてる自覚はあった
寒暖差アレルギーあるし、冷房と猛暑で自律神経死んでるかも?と思って、2日連続長風呂をした。
朝から病院に行ったら「今は熱ないし少し赤くなってるくらいだけど、扁桃腺よくない人は疲れると一気に腫れたり熱出るから無理しないで」と、薬を6種類ほど処方された。早速朝昼と飲んでよくなるかなーと思ったらよくならねえ、熱上がってきたぞという今。
油断した…
ていうか、今回も「お風呂にゆっくり浸かるか〜」ってなって悪化させてて学習能力ないんか。
あーーー!喉イガイガする。
痰を出しやすくする薬を飲んでるせいでめっちゃ痰が出てしんどいけど、これが出ることで悪いものを外に出してるんだよな…と自分を言い聞かせている。
今日、出勤したものの、上司と2人でラーメン屋に行く約束が嫌すぎて、冷や汗が止まらず気分が悪くなり即退勤した。人数が少ない部署なので、同僚の人には悪いと思ったけど、あまりにも嫌すぎて、自分がこんなに嫌だと思ってることに驚きつつも休んでしまった。明日はちゃんと行こうと思っている、し、もしも明日ラーメン食べに行こうってなっても行けると思う。今日たまたま体調とかメンタルの調子が良くなかったんだ。
上司は55〜59歳で、自分の部署の一番上の人。5人しかいない部署で、狭い部屋で一緒に仕事をしている。上司と自分は4月に同時に異動してきた。仕事上、頼りになる人だし、自分も特に仕事面で心配なことはない。残業も少なくて、先輩も聞けば教えてくれる理想的な環境。
上司は職場でパワハラセクハラで有名だ。前の部署では2人ほど長期の休みに追い込んで、1人辞めさせている。それでも上司が干されないのは、仕事をこなせるからということと、休む側にも問題があるということからだと思う。まあ、休む側の問題というのも無いとは言えないなって、当時人事担当だった自分は思っていたわけよ。
でも一緒に仕事して3ヶ月で、だいぶしんどさがわかってきた。この人と1年仕事してキッパリ退職した女性の先輩がいるけど、すごい我慢したんだろうなってあらためて思った。
とりあえず、4月から自分ががその都度記録して、記録するたび読み返して憎しみを燃やしたメモを見てくれるかな。
ちなみに自分は25〜30歳の女だ。上司には自分と同い年の息子もいる。この情報も踏まえて読んでくれると、よりキモさをわかってもらえると思う。
・「俺は昔から不良だった」「覚せい剤を手に持ったこともある」「本物のヤクザと知り合いだ」
上記のような内容で自分を強く見せようとしている?事実だとしても別に尊敬できる内容ではない。
・一人では飲食店に入れないから一緒に行ってくれと何かにつけて言われる。
・かなりしつこく一緒に自転車に乗ろうと誘ってくる。
体力がないので、日焼けしたくないので、暑い時期はちょっと、と言って断り続けるが、「諦めろ」「腹をくくれ」など。職場の上司と出かけるなんて、よっぽど仲がいいかせめて同性でしょ。
・「体力的に難しくて漕げなくなったら背中を押して並走してあげる」触んなクソボケ。
・「Aさん(女)もBさん(女)もCさん(女)も俺と出かけた」←めちゃくちゃしつこいから。
・おいしいラーメン屋や飲食店があるという話があると「今度一緒に行くか」嫌すぎる。
【6月後半】
・出張に行けないかわりに上司と自分で、昼食を食べに行こうという話になった。断り切れず寿司をおごってもらった。味がしなくて残してしまった。
・学校の教師は敵だから、俺たちよりも下だと思ってる、と繰り返し言う。過去に教師に「腐ったミカン」だと言われたらしい。周りの人間をダメにする人間のことを、言い得て妙だと思った。
・前の部署時の話になると怒りだしてしまう。病気みたい。人事(自分の古巣だ)はあの時人をくれなかった。予算つけなかった。と責めてくる。(自分が原因で療養している人が複数いることは棚上げなのだろうか?)
・前部署の部下Sさん(若手・男性)のことは、折を見て悪く言う。これは上司のお気に入りだったYさん(若手・女性)に対してSさんが言った「心の扉を開けたい」「妻に残業してこいと言われている」などの発言を根に持っているみたい。どう聞いても、Sさんの人柄を鑑みても、冗談で言っているとしか思えない内容だが、こういう隙のある発言をすると、上司は同じ群に自分のメスを誑かそうとするオスがいる!と思って、Sさんを攻撃して、結果Sさんは長期のお休みに入ってしまった。
・Aさん(前部署の部下で、上司に詰められてやっぱり休んじゃった・中堅・男性)、Sさんについては100%相手が悪いと思っている。
・一方でYさん(上司のオキニ女性)に対しては、良い仕事を回して大変なところだけ他の部員にやらせておいて、美味しいところを手柄にしてあげるというエコ贔屓具合。「Yさんはオレが守ってあげる」と言ったらしい。このYさんはどういう気持ちかわからないけど、上司のことをキモがらない稀有な人材なので、上司の運命の人になってあげてほしいと常々思っている。
・上司「前部署時代から朝早く出勤している。俺が雑用をしていると、後から来た下の人が『自分がやります』と言う。自分がやると言うくらいなら俺にやらせないようにしろ。俺より先に気づけ。」←自分本位すぎる。世界が自分中心に回っているのか??頭北極か???マジでいるところにはいるんですこういう人が。
・どれだけ自分が仕事をして、どれだけ大変だったか、どれだけ残業したかを繰り返し話す。部分的に、確かに大変だったろうと共感するところもあるが、自分の言動が仕事量を増やしていることに無自覚だったり棚に上げたりするのがはっきりわかるので不快。
・健康診断の結果が悪いと、すぐに「俺死ぬから、あとよろしくな」「俺がいなくなってよかったな」と言う。今時「そんなこと言わないでよ~そんなことないよ~」待ちなのか?女子中学生みたいだ。
・病院の検査で尿道にカメラを入れられた話してくる。別に聞いてない。話の流れで「偶々~~」といったら「金玉の話してんのかと思った」と言われた。頭金玉か?全身海綿体か??
・もうとにかく自分と自転車で一緒に出掛けたいらしい。寿命が短いから生殖本能が活発になってるのかもしれないと思う。
【7月】
・近所のラーメンに一緒に行こうと誘ってくる。他の部員の人は誘われていない。行きたくない。
・飲み会は絶対に飲めと言われる。上司が飲めなくて車を運転するので、飲まない理由が無いだろうという論調。飲み会後の車の中で一番最後に私を残す。位置的な問題もあるだろうけど、個人的にこれがかなり怖い。
・「のどが痛い。一回1錠の薬をめんどくさいから2錠飲んでやった」とイキっていた。自傷自慢がとにかくすごい。これ、後から思い返すと、自分が風邪っぽかった飲み会の直後に言い始めたんだ。つまり上司が言いたいのは「風強ぽい部下のコと、飲み会後イイ感じにやることやっちゃって風邪が移っちゃった★」ってことなんじゃないか!?と勘繰ってからマジでキモくてしょうがない。
・おしゃべり相手がいないのをあわれに思い、アレクサの購入を促した。
・何かと質問に答えると「そういうところ素敵だと思う」と言う。言われても嬉しくない。純粋に気持ち悪いなと思う。口説き文句じゃなくて普通の誉め言葉はないのか?
・自分が入院して離婚した時の話で、今後は●さん(自分)に退院するときの荷物取りに来てもらうからな!と言われた。嫌だ…。私はお前の何なんだよ。
・元奥さんとの離婚の経緯や自分の恋愛観について二人きりの時にずっと話している。●さんの恋愛観って何?と聞かれる。脳内ピンク色すぎる。どうやったらそんなに恋愛のことを考えていられるのかわからない。再婚するなら俺のありのままを受け入れてくれる人がいいな!とか言っている。やたら再婚の話を振ってくるのでリアクションに困る。
・元奥さんと結婚しようと思ったきっかけは、初デートの初ディズニーで駐車場が混んでいて、イライラして「帰ろう」と言った時、元奥さんが「いいよ」と笑って言ってくれたことらしい。そんな人、今後二度と現れない。
・部屋に上司と二人になると話しかけられてしまい、仕事が手につかない。
・ラーメンを二人で食べに行く約束をさせられた。当日涙が出るほど嫌だった。生理的に嫌すぎる。今ココ。
以上です。
ねえ、皆さん。このくらいの人、世の中にはいっぱいいるんでしょうね。
そして勘のいい人は読んでて大体わかったと思うけど、この上司は妻と離婚して一人暮らしのおじさんなんだ。もうとにかく毎日寂しくてしょうがないの。でもね、職場の自分の息子と同い年の女性をその捌け口にするのはやめてくれと。勘弁してくれと。お前なんかと食うラーメンはゴメンだよどんなに美味しくても。寿司すら味しなかったんだから。
そしていろんな誘いをハッキリ断れない自分も、きっと批難されるべきなんでしょう。
これさえ言えればいいので。でもねえ、色々考えるわけよ。例えば自分がそっけない態度をとったとして、きっと上司はしつこく色んなこと聞いてくるし、5人しかいない部署で同僚に気を使わせてしまうのも悪いと思うし。上司には逃げ道もある。「俺はそんなつもりなかったけど、●さんがそう感じたなら悪かったね」。これだけでいいからね。
あ〜ほんと、明日はちゃんと出勤する。同僚に謝って、仕事して、必要とあらば上司とお昼一緒に食べる。味がしなくてもね。そうやってやり過ごせばいつか終わるんだ。
読んでくれてありがとうございます。
知人の父は入院時に勝手に認知症だとか診断されて、入院の原因になった病は一切治療しないままベッドに縛り付けられて、必要なのかどうかもわからない薬を説明なしに大量に処方されてそのまま亡くなった
その話聞いてから怖くてなかなか病院に行けなくなったし、コロナ禍でも病院は病床確保料とPCR補助金目当てに通常医療切り捨てて公金で荒稼ぎ、コロナだからって妊婦に帝王切開での出産を強制したり
ワクチンも特別承認だからか新技術だからか、はたまた政府への不信感からか次第に接種率が減っていき、副作用で重篤な障害を負ったり死人が出てるのに因果関係が不明だとかで禄に保障もせず、あろうことか接種者の健康状態の追跡調査もしてなかったという体たらくで、この3年で医療の信用は完全に失墜したと思う
でもその辺りをSNSとか掲示板で批判すると皆発狂して何故か反ワクとか陰謀論者とかのレッテル貼ってきて袋叩きにされるんだよな
あと自分はワクチン2回打ってるしマスクも飛沫拡散を抑止出来るのはわかるから熱中症リスクとのトレードオフで暑くなるまでしてたし、反ワク反マスクではない
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
ーーー
うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
自分には持病のあるパートナーがいて入院したり手術したりすることもあるんだけどやっぱり体調が悪い時は本人の気持ちがかなり荒れることもあるわけよ
そりゃしょうがないよね つらいんだと思うよ 代わってあげたいと思うよ
それに対して「それらに伴う心無い言葉を投げかけられる側の苦痛も理解されるべきだと思う」なんてことは1ミリも思わんし、ましてや家事をもっとしてほしいとかマッサージしてくれたらうれしいなんて思いも及ばないよ
もし本人に「あなたのパートナーはもっと優しくしてほしい、家事をして欲しいって思ってますよ」なんてチラシ渡されたらブチ切れるよ
ほんとに「それらに伴う心無い言葉を投げかけられる側の苦痛も理解されるべきだと思う」ってなんなんだ びっくりするわ 百歩譲って父親間の連帯ならともかく父親から母親に言う意味ってなんなんだ
https://kinoppyd.dev/blog/child-are-half-year/
赤ちゃんってなんでこんな不安定な状態で生まれてくんのかなってマジで毎日思ってる
鹿を見習ってほしい
以下お気持ち
とにかくお金がない
育児給付金には上限があるので満額6.7割ももらえず、貯金を切り崩さないと生活が成り立たない
正直、妻が専業で第一子なら1ヶ月でもいいのかな。母親のダメージが癒えるまで
育休期間中は炊事洗濯掃除など子の世話以外の家事と風呂あたりをやってた
様々な家電の助けはあったが、まぁなかなか大変で眠かった。もうやだ
昭和の主婦ってどうやって乗り切ってたんだろうな。マジで戦闘民族だと思う
コロナ関連は病院によってかなり対応違うと言うが、うちはエコー外来・パパママ教室・出産時のみ立会可だった
食事がかなり豪華だったらしく(食事は両極端に振れる印象)、妻は楽しんでいたようで良かった
入院中は会いに行けなかったわけですが、今の時代LINEでやり取りできるのでよかった
例の研究の話、2ヶ月ぐらいの時にはよく部屋の壁沿いにぐるぐる歩いていたんだが、効果があるようなないような……
まぁ寝るまで無限に歩くより、8分とか時間の目安に合わせて動けるのはかなり気が楽で、そこが良かった
睡眠運用、両親とは別室でベッドで寝かし、ベビーモニターで監視という体制で臨んでいる(今はエアコンあるので一緒に寝てる)
当初は妻には21時ぐらいに寝てもらい、自分は24時前後まで残り最後のミルクをやり、3時頃の夜間対応は妻に任せるという体制で臨んでいた
そのうち夜起きなくなり、最近は19時前に寝かせて朝6時ぐらいに暴れ始めるというサイクルが確立してきた
うーん、これは夜泣きなしで進んできたのだろうか。夕方にはしっかり機嫌悪くなるが。このまま進んでほしい
メンタル的な話で言うと、最近お子さんかわいいでしょ?みたいな聞かれ方をするのが若干ダルく感じてしまっている
かわいい3割、しんどい7割、おもしれーやつ…5割のボルテージMAX150%という感じで、正直手放しでかわいいと即答はできないのだ
別にただの社交辞令だし適当に答えておけばいいんだが、まーーーダルいのでとりあえず自分がこの話するのは絶対やめようと思う
うちは明治ほほえみ派でした
これは液体の缶があるので、旅行中とかはそれを飲ませればいいかと思ってた
缶だと嫌がって飲まない
ナンデ?
あとキューブもあるんだが、哺乳瓶に若干出しづらく今ひとつだったな
妻が元保育士なんだが、とりえあずマミー◯コは安いけどやめとけとの事
おすわりMはパンツだけどテープが両脇にあるので捨てやすいのだ
ただ売ってるとこが少なくやや高い
立ちだしたら特売率の高いメリーズに戻す予定
ウンなだけに!ガハハ!
アホな放尿犯〜
とりあえず3枚画像なり動画なりを毎日上げておけば、その日のnか月前の様子を振り返られるようにしてくれて、これが楽しい
ジジババは毎日アップを楽しみにしているようだ(私はログインボーナスと呼んでいる)
遠方から孫見せに来い圧をあまり感じず、みんなハッピーだと思われる
あと10秒動画、あれすげーいい感じに切り取ってくれるんだがどうやって作ってるんだろうな
追加で買ったのだが大活躍している
業務スーパー、便利ですよね
離乳食がはじまると、ペーストにしたやつを冷凍保存するのでなお便利
若干マニアックなところで、ポグネーのセットのやつを買った
首すわり前でも使い始められるベビーラップと、ヒップシート、抱っこ紐がセットになったもの
今抱っこ紐で絶大な効果を発揮しており買ってよかった。ヒップシート連結で安定感がある
だが、やはり抱っこしながら両手が使えるのは絶大な効果があり、育休期間中の友として大いに活用させてもらった
今にして思うとこの頃はまだ体も小さいし扱いやすかったなぁ
乗せ下ろしが楽なのが良い
歩いて体力を付けさせる、ベビーカーがなければ歩くしかないという脳筋理論
うちベビーカー使わない上に集合住宅なので、あれと大きくなった子を車まで持って行くのはなかなかの重労働
という事で後部座席に据付になり、普通のベビーシートと変わらなくなった
回転式を4歳まで使って、そのままブースターシートに行くのが良かったかな……
2年くらい前にNASを捨ててGoogle Oneに移行しており、解決
そういえば写真といえば、ミニ三脚とMagsafeマウンタの組み合わせが超便利なので書いておきたい
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BXNT4NRX
これ
超便利よ
例えば食事シーンを撮りたいとなったら、これセットしたミニ三脚立てて、スマホを磁石でつけて撮るだけ。一瞬でできる
まとまらん