はてなキーワード: ほにゃららとは
キャプション検索するタイプだから、転売目的禁止です!みたいな商品が引っかかるだろうと思ってたので、おおむね予想通りだった
でも、とある商品の説明に「サークル:ほにゃらら 絵師:ほにゃらら」と記載があり、もしやと思ってそのサークル名を調べたところBOOTHがヒットし、該当の商品も確認できた
BOOTHのプロフィール欄には「転売は禁止します。いらなくなったら破棄してください」といった旨が書かれていた
バリバリ転売されてるやん……原価の5倍の値段で……売れ残ってるけど、と思いながら通報したけど、めちゃくちゃ簡素な画面で終わってびっくりした
てっきり通報の理由と詳細をタブ選択と記述式で書くのかと思ったけど、通報の理由だけでおしまい
こっちはBOOTHのURLとプロフィールに転売禁止と書かれています、という文言を添える気だったんだけど、数が数だから定型文のほうが扱いやすいのかもしれない
……と思ったけど理由をその他にすると文字が書けるようなのでもういっちょ通報してやる
ぶっちゃけ法律の観点からしたら、作者本人が「転売禁止です」と言っても効力ないんだろうし、きっと受理されないだろうとは思う
昨日見た夢は覚えてるのは2本
一つの扉の方、政党がどうこう言ってる場合じゃないからと違う政党の人が一人むりやり入り込もうとする
扉が閉まる瞬間ライターを使ったお手製爆弾を爆発させて全員爆死する
これほんまやばいなと思ったとこらへんで目が覚める
終電逃したので先輩上司と二人、始発まで時間潰そうと店に入って長テーブルに座る
横の人とか相席になった人の話をぼんやり聞いたり時々質問したりしてとにかく粘る
気がついたら少し寝てたようで時計を見ると2時過ぎ
ちょっと寝てました、とテーブルをおしぼりで拭きながら先輩に言う
そうみたいだなと先輩は答える
一杯ずつだと高くつくからほにゃらら入れようと思うんだけどここ深夜割引がないからどうしようか迷ってんだよね、と先輩は言う
割引があってもそれ頼んだらタクシー代より高くなるじゃんともうろうとした意識でそう答える
もう一杯ずつ頼みましょうかと言ったところで目が覚めた
ただ、公営企業・第三セクターは非常に保守的なのでカルチャーマッチする人材かは割としっかり見られます
あと、交通系(信号機とか公安管轄のとかを想定してる)は許可を得た上で身辺調査も実施されることもあります
ちなみに、エリートじゃなくても狙える中途ポジションは入った時点で基本的にキャリア終わります
無事入社出来たら、定年退職するまで組織に居座れるよう祈りながら心穏やかに過ごしましょう
エネルギーは10年以上前の話なので、残業が少なくて給与が良くてひたすら楽は、とっくに過去のことになってるかも知れません
ワイくんがいた頃は、本体から出向という名の左遷された人が50代で課長やったり、海外支店の支社長がただの部長やったりしてました
上が詰まりに詰まってるので閉塞感を通り越して、悟り・開き直りの域に達していて、3時のおやつタイムがありました
ワイくんも3時になったらおやつモグモグしてたし、なんなら業中にお散歩に行ってました
とっても、ほのぼの・のんびりしてるけど、大島てるったり・裁判起こされたりもしてました
上が詰まりに詰まってると言うことはつまりそういうことです。ただ、社員を一生養うくらいの体力はおそらくまだあるんじゃないかと思います
実際、今もなお平均勤続年数上位に名を連ねてますので
公営企業・第三セクター、エネルギーにも行かねぇよなら、某メーカー地方の子会社、某外資コンピューターほにゃららの地方の子会社に行けば良いと思います
https://anond.hatelabo.jp/20220506211828
ただ、エネルギーと違って社員を一生養う体力・心算はおそらくないと思います(だからこそ将来を悲観して鬱る)
公営企業・第三セクター、エネルギー、どこかもわからないメーカーの地方子会社には行かねーよ(行きようがない)なら、
『それ、Twilio で事足りますよね?』な業務(担当者に架電)を未だに人間が手動でやってるところまだ絶滅していないです
小説・マンガ書いててもいいし、試験勉強してもいいし、ネットサーフィンしててもいい
更に大当たり案件なら5分内に戻って来れるなら散歩へ行ってもいい
ただ流石にずっと部屋にいないは怒られると思います
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
anond:20220611155525 とは別の増田おっちゃんですが、日曜の昼間東宝シネマズで観ました。観客は僅か5人です...。
前評判では、河瀨直美がトンデモな反オリンピック映画を公開したとか、そのせいでスキャンダル暴露して動員させない陰謀論が流れたとか、
聞いてしまっていたので、相当、反オリンピック映画なのだろう・・と思っていたのだけど、内容は真逆のオリンピック礼賛映画でしたね。
この映画は、
アスリートはヒューマンである。ヒューマンにはドラマがある。ドラマがあるからオリンピックは美しい。
開催中のテレビ放映や新聞では、この選手はほにゃららなエピソードがあって頑張ってるんですよ
的な数秒・数行で済ませられてしまうような個別紹介エピソードを日本入国前から現地で丹念に取材し、古い映像も取り交ぜて次から次へと取り上げてゆきます。
この選手にはどんなドラマが?とワクワクして観ていると2時間はあっという間でした。
確かにこの映画には金メダルの競技シーンや受賞シーンはほとんど無いのですが、そんなものは公式のダイジェスト映像などでいくらでも観れるわけで、それ以外でオリンピックを美しく撮るには選手自身の美しさを撮る以外に無い、その選手のサポートを頑張ってる裏方を撮るしかない。ということなのだと思います。
夫、兄弟、コーチ、元選手OB達の当日のさりげない動きや、それぞれの託す想いを語っているところまでちゃんと映像に収まっているのは、よくそこまで撮れたなと感動しました。
何十年も働きかけてようやくオリンピック競技に認められた話、逆にオリンピックから外された話、
授乳期間中なのに、オリンピック委員会にお願いして会場で夫と子育て・授乳しながら出場した選手と、逆に子育てのために出場をあきらめた選手、
政情不安から亡命して出場した選手、亡命を重ねて最後に自国で出場できた選手、
差別問題でSNSで騒がれる選手、政治的理由で出場断念させられる選手等々・・・
ここまで魅せられると、本当に、オリンピックは出場することに価値があるんだなって思わざるを得なくなります。
おっちゃんは、オリンピックなんてただの商業イベントだし、アスリートって要はボンボンじゃん?くらいの認識だったので、
冒頭のオリンピック反対デモシーンで「中止だ、中止!」の手持ち看板を見つけてほくそ笑んでいたのに、
映画観終わると、なんかオリンピックは続いてもいい気がしてきました。
映像としても、本当に綺麗なシーンが多いので、映画館の大スクリーンで観るのがお勧めです。
ちなみに、SIDE:Bの予告編では、「こんなに素晴らしいオリンピックの裏側では一体何が?」といった映像が流れていたので、
反オリンピックはSIDE:Bが本番かもしれません。
余談:
黒人まつげ長すぎ。
SNSで批判する連中はSNSの中でしか何も言えない人だからほっといてOKと言い切った選手カッコイイ。
なんて思いました。
https://anond.hatelabo.jp/20150616100638
に対する返答だ。
まず冒頭の部分だが、
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
ここまで来るのだ。
(中略)
それはゲーム自体の本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係がヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲームに転嫁しないでいただきたいものだ。
さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると
と根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲームは推理以上のものが求められる。
人狼は推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼の面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである。最近の幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーローを模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味でドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間に共通する楽しみでありエンタメである。人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼か占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。
ほかにも人狼が面白い要素がある。村人からの視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり、人狼や人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの「戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動や所作、発言の仕方などから、「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間は論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのときの所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲームの戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ。
また、これら以外にも村人の視点として「情報提供のジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達に投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼や投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼をゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間は正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。
このように、人狼がゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ勢人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。
また、「人狼はクソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能な存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ。
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。
また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼は本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ。
結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。
月曜日、カラスの落とした獲物だった子猫を拾ってからやったこととか、知ったこととか。
拾ったのが朝6時半で、受診できたのが9時半。こんなに短時間で受診にこぎ着けられるなんて、知らなかった。たまたま暇な日だったのか、電話をかけた一時間後に予約を入れてもらえた。
自分で飼う意思がない癖に捨て猫とも野良猫ともつかない子猫を受診させても、嫌な顔一つされなかったのが意外。
うちはペット禁止の戸建て物件のはずが、何故か隣人は犬を飼っている。すごくよく躾けられていて、無駄吠えをしない大人しい犬だ。
「増田さんも何か飼いたくなったら飼っていいのよ」
と以前大家さんは言った。謎におおらかだ。
猫を拾ったらまず交番に連絡するものなんだって。その発想は私にはなかったのだが、猫の保護の仕方についてググって知った。
こんな事で交番に連絡して「はぁ?」みたいな塩対応されたらやだなと思いつつ電話をしてみると、
「あーはいはい、猫拾ったのね。動物愛護団体に預けるんにまず警察に聞いてからにしてって言われるんでしょ。ではまず氏名住所と、拾った場所を教えてください」
と、慣れた対応をされた。世の中の人達は猫を拾ったら普通に交番に届けるものらしい。知らなかったぁ……。
お巡りさんから、飼う意思の有無を訊かれたので、飼う意思はないけど子猫を生かしたいですと答えたら、ちょっくら対応を審議するので折り返し電話するねと言われた。
一時間もしないうちにお巡りさんから電話がかかってきた。調べた結果、子猫を落としたという届はなかったので、子猫を自分で飼うなり人にあげるなり私の好きにしていいとのこと。子猫は落し物・拾得物扱いらしい。
交番で預かるとなると、元の飼い主が名乗り出ないまま預り期間を過ぎた場合、県営の動物愛護センター行きとなる。だがそこも預り期間があるわけで、期間内に譲渡先が見つからないと殺処分になる。従って、猫に生きていて欲しいとなると、自分で動物愛護団体を頼って譲渡先を探した方がいい、と。それで、お巡りさんは県営の動物愛護センターの電話番号を教えてくれて、そこに電話して訳を話して、民間の動物愛護団体の連絡先を教えてもらうように、と言った。
フレンドリーに対応されて驚いた。最近は、役所関係に電話するとどこでも親切対応ですごい。20年前のどこにかけてもクソゴミ対応された時代がうそのようだ。
言われたのはお巡りさんが言っていたのと大体一緒。
「ここはどうしても飼い主が見つからなかった時の最終手段だと思ってください」
だそう。収容動物の譲渡会も開いてはいるらしいのだが、里親が見つからないこともよくあり、収容期間も短いので殺処分になってしまう可能性があると。子猫の場合は貰い手が見付かりやすいから、ここではなく民間の動物愛護団体の開催している譲渡会に参加して貰い手を探す方がいいそう。信用出来る二軒の団体の連絡先を教えてくれた。私が自分でググってみたところ、県内に複数の団体があるようだったのだが、その中でどこが信用出来るかまではネットでは分からなかったので、有難い。
あっちこっちに声をかけて来たものの、芳しい返事はない。しかも、うっすらとキモがられてしまう。宗教やマルチの勧誘と同一カテゴリーなのかな。
そんな中、唯一ポジティブな反応をしてきたのが、仕事仲間の若者で、その人は未婚で両親と同居中。動物愛護団体の譲渡会だと審査に受かり難い属性で、動物を飼うには自分で拾うかペットショップで飼うしかない。本人もペットを飼ってみたいのだが、それ以上にご両親もペットを欲しがっているとのこと。
ただ、その人は数ヶ月前にペットショップで見かけた仔犬に一目惚れをしたが、仔犬は売約済みだったという悲しい思いをしたそうで、出来ればその時くらい可愛いと思える動物を飼いたいという。都合よく子猫に運命を感じられるのかどうか謎だ。
動物愛護センターから教えて貰った団体のホームページを閲覧したら、犬も猫も生後2か月まで親元で育てることと書かれていた。子猫は推定生後1ヶ月だが、親猫とは生き別れになってしまっている。それでも2か月、うちで育てていいのだろうか。
子猫は何も一人で出来ない状態で、とても世話が焼ける。他人に譲渡するならトイレトレまでちゃんとやって手間がかからないようにしてから送り出したい気持ちがありつつ、世話は大変とはいえ可愛い盛りなので、是非すぐにでも引き取ってお世話をしてみたいという人もいるんでないかと思うが、どうだろうか。
てかまず、団体の規約を読む限り、譲渡する子猫は捨て猫ではなく繁殖させた(させてしまった)子猫を想定しているような?
「生後2か月までは、親兄弟との関係を通して社会性を身に付ける、大切な時期です」
そんな風に書いてあるけど、うちみたいに他に猫のいない環境で育った猫はどうなんだ。
そこで考えてしまい、まだ愛護団体に電話をしないでいる。今日電話するつもりだけど。数年前、動物愛護団体の譲渡会に(里親希望で)参加して嫌な思いをしたという増田を読んで、なんか動物愛護団体こわい……と思ったので、電話するのすごく緊張する。
拾った日は歩き方もお覚束無く、ミルクも自分で飲めず排泄もできずだったが、今はもう普通の猫のように歩けるし、皿から餌を食べられるようになっている。すごい成長だ。だが、排泄はまだ人の介助がないと出来ない。
舞台は江戸時代の下町、猫が一番威張っている長屋、通称「鯖猫長屋」。猫描き絵師の拾楽は、故あってオスの美三毛猫のサバとともに細々と暮らしていた。
ある日、鯖猫長屋に一人の若い女性が越してきた。彼女の名はお智。独り身の若い女の独居なんて胡散臭いと、長屋の女達はざわつく一方、男衆はお智の美貌にそわそわ。ところがやはり、お智は厄介な事情を抱えていたようで、ひと悶着起きるのだった!
江戸時代小説を読むのなんてたぶん人生初なので、知らない単語が沢山あって、ググりの手が止まらない。そんなに長い小説ではないのに、読了まですごく時間がかかってしまった。でも、ここまで調べたんだから、もう江戸時代小説どんと来いや! って感じだな。問題は、私の記憶力が物凄く悪いってことだけど。
長屋に表と裏があるなんて知らなかった。時代劇に出てくる貧乏長屋は「裏長屋」なんだな。なるほど。
江戸時代ハートフル人情物かと思って読み始めたら、なんか思ってたんと微妙に違った。猫のサバのいばりん坊具合が想像の斜め上を言っていた。飼い主の拾楽に対するあしらいが杜撰でどS。つよい。そして猫なのに何でも解りすぎぃ。リアル寄りかと思ったら幽霊は出てくるし、拾楽はただのうらなりかと思ったらなかなかのチートぶりだし、成田屋の旦那は存在自体の浮世離れ感がすごい。
ふつうに下町人情が挟まってきつつ、ハートフル人情物とは思えない少年漫画的な活劇シーンがあったり、まあ退屈はしなかった。
登場人物のかけ合いがメインで、情景描写はほぼ死んでるぶん、知らない単語が頻出するとはいえ、頭をパァにして楽しめた。
人気シリーズだったらしく、図書館に文庫本が10巻までずらりと並んでいたから、後で続刊を読んでみよう。
今回はたまたま急展開な作品が多かった。そして人気作のいくつかが連載再開されて豪華な感じだが、全部で11作品しか載っていない……。私がこの雑誌を買い始めてそんなに長く経っていないけれど、今までで一番掲載作品が少なくないか? 大丈夫なのかCanna……。
前々回から主人公のアポロもフィーもそれぞれ人知れず悶々と悩むばかりなので、ちょっとストーリーが中弛んでいる印象かも。その前の話(2巻収録分)がかなり盛り上がっていたので、落差が激しいというか。(単行本でまとめて読むぶんには気にならないほどの弛み感かもしれないが)
で、やっと二人が劇的って訳でもなくベタに再会したのだが……、おや、なんだか道を外し始めたぞ。それはやっちゃダメなんじゃなかろうかという事をフィーが思いつき、窮状に陥って元気のなかったアポロがずるずると引き込まれてしまった。
テンションダウンしたところからこの流れは、楽しんで読めるかどうか微妙だ。共感力とモラルガン無視力を試されつつあるのかもしれない。じつに不安だけど続きが気になる。
うーん、第一印象よりは悪くない。でもいいとも思えんなあ。雑誌で推し作品のついでに読むぶんにはいいが、前情報無しで単行本を買って読んだら、膝から崩れ落ちそう。バンドマンBLが好きなら他をあたった方がいいと思う。『ギヴン』とか。
グループ交際回。すっごい、王道の少女漫画だなぁ。毎回読んでそう思う気がするのだが、王道過ぎてさっぱり記憶に残らないので、第1話どんなんだったっけと思って読み返した。王道の第1話だった。王道から一歩たりとも道を外したくない少女漫画好きの人にはおすすめできる、たぶん。
前回までずっと、ドロドロな昼ドラみたいな鬱展開が続いていたので、主人公の悠生が可哀想過ぎて読むのが辛かったのだが……。
うひょーー!! ついに悠生がブチキレたwwwwww しかも、ぷっつんした時の心の中の第一声が、
「くっっ……さいな」
(※攻めの恭悟が他所のΩの匂いをぷんぷんさせて帰宅したので)
って最高wwwww
キレにキレて反撃に出たところで次回に続く。頑張れ悠生ちゃんwwwww
しかし、悠生のモノローグで、元々自分はこういうキャラじゃなかったなどとあり、えっそうだったっけ? と思って第1話を再読。すると、子供時代の悠生は確かに成績優秀スポーツ万能で自信に満ち溢れていたようなのだが、第1話冒頭、恭悟と婚約した時にはすでに、昔の面影など全く残っていないほど暗いしもべ的なキャラになっていた、とのこと。恭悟は自信満々時代の悠生に惚れ込んで、多額の結納金を積んでまで悠生を手入れたのだが?
あれれぇ、これってもしかして、ハッピーエンドの予感じゃない???
はぁ、ネコチャンは癒し……のはずなのだが、今回はピリピリ回。いまぢの元同級生女子がほづつみを陥れた性悪サイコ女だと判明し、温厚ないまぢがガチギレ。こわい。しかし、ネコのサンの正体が宇宙人であることが何ら関係ない感じの展開で盛り上がってしまうのか? それはなんか微妙だ。
あぁ……私の最推し作品……。どうやら次回が最終回の模様。学生時代回想回、温泉回、頑張ってほにゃらら回と、エモーショナルな話が続いていて、主人公の佐田がゾンビで間宮がマッドサイエンティストだということを危うく忘れかけそうになっていたところ、今回は冒頭からふつうにに二人で殺人を犯していた。
めっちゃ突き付けられてからの急展開きた。本当にこの漫画、次回で終わってしまうの……?
学生時代回想回の盛り上がりがあまりにも凄かったために、最終回が尻切れとんぼになったらやだなとビクビクものでもある。しかも今回のラスト、すごい引きが強いし。どんな最終回になるのかなあ。佐田と間宮が実にいいキャラをしているので、終わってしまうのは残念なんだけど。
思ってたんと違うー! 全然ハードボイルドじゃないー! と衝撃を受けてから、もう7話も過ぎてしまった。今回も絵柄がハードボイルドな恋愛漫画だった。すごくほのぼのとしていた。今回のCannaは全体的に不穏展開が多めの中、この漫画だけがほっこりしている。まさかこれに癒される日がくるとはね……。
これもまた衝撃の展開。手に汗握っちゃうな……。ネコ耳獣人達がただのネコ耳獣人ではなかったと、初めて知った。
かなり久しぶりの本誌再登場。ちなみに、『石橋防衛隊(個人)』の方はpixiv漫画で無料で読めるはず。
今回も某衛大ネタ盛りだくさんというか、もはや某大が舞台のBLというよりは某大漫画となっている気が。今回も国分寺榛名は頑張っていた!
私は至極興味がないのだが、このシリーズは商業BL漫画の中ではとても人気がある。何故そんなに人気なのか、読んでもいまいちわからないのだが、少女漫画の王道みたいなところがよいのだろうか。
今回も私にはわからないが、これが人気なのか……と思って読了。
あれ? なんか一つ足りないような? と思ったら硯遼先生の『MADK』が休載だった。次が最終回らしい。
次回は『コントラスト』のitz先生の新連載が始まるらしい。『コントラスト』もすごく人気のある作品だ。まあ好みではないがわからなくもない。確かpixiv漫画で無料で読めるはず。『スリーピングデッド』が終わって『MADK』も終わるとなれば、新連載が1、2本始まっただけでは間に合わないと思うが。誰か推し作家さんの連載が始まらないかなー。