はてなキーワード: ちゃぶ台とは
娘に厳しいことを言われててトホホ
みたいなツイートがバズると人権侵害がーとかおっさんには何を言ってもいいのかとかこれが母親だったらなんとかかんとかって紛糾する奴いるけど
子どもにちゃんと反抗期が来てパパ臭いとかうるせーババアみたいなことを言えるのって健全な家庭の証だと思うけどな
つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。
漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。
で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに特化したからだ。問題は、予想だけじゃなく期待すらも裏切ったことだ。
1話目を読んだ時点では、ファイアパンチはどう考えても「復讐譚」になる。復讐譚にしかならない。モンテ・クリスト伯や虎よ虎よの導入のように、如何にして復讐を遂げるか、を期待させ、復讐への葛藤を乗り越え、最後にどうやってカタルシスを感じさせるか、に焦点が行く。しかし、ファイアパンチは徹底してその予想、期待を裏切り続け、復讐ではなく「呪い」「嘘」「演技」といった、ユングのペルソナ論的な方向性に進んでいくのだ。あれだけ復讐の想いを奮い立たせる効果がある1話目の妹の言葉すらも、「その役割からそれっぽい言葉を言う」という演技からくるものではないか、というちゃぶ台の下の畳からひっくり返すレベルの話を平気で作ってくるのが藤本タツキだ。主人公の復讐という目的から、アレコレあってブレてブレてブレまくって、という葛藤をも描いた作品だ。カタルシスなんてあったもんじゃない。全力で振り回される、ジェットコースターのような作品だ。観覧車に乗ったと思ったらてっぺんから急降下してなんかよくわからないけどコーヒーカップで目が回ってた、みたいな状態になる。徹底したアンチカタルシス、解決しないことへのこだわりを感じさせる作品だ。
さて、ここまで前作の話だが、今作のチェンソーマンはどうだろうか。1話目は作者の妹(作者)のTwitterでも読めるし、ジャン+でも確か読めたはずだ。まず読んでくれ。1話読み切りだとすると完璧過ぎる1話だ。「普通を望みながら、誰もが今以上を望む」というテーマを書きながら、ちゃんと伏線張って回収する、お手本のような1話目だ。さて、ここから本作がどうなっていくかだが、とにかく主人公であるデンジが直情的なのだ。俺の邪魔すんな、面倒みてくれる奴が好き、おっぱいもみたい。とにかく目的が、「自分の感情」でブレない。ここが前作と比較したときの大きな差で、少年漫画とはこの確固たる「目的のブレなさ」が大きな魅力なのではないか。ナルトなら火影、ワンピースなら海賊王、チェンソーマンなら「普通の生活」である。カッコつきの「普通の生活」が何かは読めば分かる。読め。デンジはその「普通の生活」への憧れが本気で、徹底してる。馬鹿らしくても徹底してるんだよ。それも1話目からだ。
そして藤本タツキ作品には、素晴らしい助演が居るのだ。ファイアパンチではトガタ、チェンソーマンならマキマさんだ。まて、石を投げるな。チェンソーマンならポチタだろうとか、パワーちゃんだろとか、アキくんと姫野の話とかコベニちゃんだとかコベニカーだろとかあると思うが、マキマさんだ。マキマさんが圧倒的にエロいんだ。直情的なデンジに、文脈のエロさを教えるんだ、あのシーンでマキマさんに心を動かされなかった奴は居ないだろう。いいから読め。まだ既刊は7巻だ。今日7巻発売。一瞬だ。読め。合わないならしょうがないが。読め。マキマさんは怖くてエロいぞ。1話目のセリフも、素晴らしい前フリになってる。読め。
もう一つの魅力はセリフ回しだ。例えば、デンジが夢をバカにされた時のセリフ、「み~んな俺のやること馬鹿にしやがってよぉ、みんな偉い夢持ってて偉いなぁ!じゃあ夢バトルしようぜ夢バトル!お前が俺に負けたらお前の夢は俺の夢以下な!」だ。最高に頭が悪い。バカのデンジが、圧倒的なバカを本気で叫ぶ。読者も、そのバカを待ち望んでいる。予想は裏切っても期待は裏切らない、王道の少年漫画だ。それでいて、前作のジェットコースター性は失っていない。圧倒的なスピード感と期待を裏切らないフルスイングのバカ、これはジェットコースターではなくもはやテーマパークだ。
まだまだ魅力はあるぞ。マキマさん以外も素晴らしいキャラがたくさんいる。全員がブレない、生きたキャラだ。書ききれん。読め。キャラデザも最高だ。読め。全てを理解していけ。
チェンソーマンというテーマパークを楽しめるかは個人差がある、友達になりたくないならしょうがない。私だって高校の文化祭が最高の思い出で率先して同窓会の幹事をやるような奴とは友だちになれない。シラフでディズニーランドを楽しめる奴とは友だちになれない。大学院の研究室生活が365連勤のような状態で如何にクソだったかを語りつつ、研究室生活に戻りたいと思ってるような奴と友達になりたいと思ってる。そこはしょうがない。いいか、読め。1巻だけでいい、読んでくれ。
ボケ&ツッコミ「お願いしますー ありがとうございますー」
ツッコミ「あーありがとうございますー ねっ 今マスクをいただきましたけどもね」
ボケ&ツッコミ「ありがとうございますー」
ツッコミ「ねー有り難いですよ ほんとにね」
ボケ「入れておきましょう」
ボケ「いきなりですけどね うちのオカンがね 好きな商品券があるらしいんやけど」
ツッコミ「分からへんの? いや ほな俺がね おかんの好きな商品券 ちょっと一緒に考えてあげるから どんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
ボケ「あのー霜降ってて、国産の食べ物が買えるって言うねんな」
ツッコミ「おー 和牛商品券やないかい その特徴はもう完全に和牛商品券やがな」
ツッコミ「すぐ分かったやん こんなんもー」
ツッコミ「いやそうやろ?」
ボケ「オカンが言うには 死ぬ前の最後の商品券もそれで買って良いって言うねんな」
ツッコミ「あー ほな和牛商品券と違うかぁ 人生の最後が国からもらった和牛商品券でええ訳ないもんね」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「和牛商品券はね まだ寿命に余裕があるからもらって食べてられんのよあれ」
ボケ「そやねんな」
ツッコミ「な? 和牛商品券側もね 最後のご飯を買うために任命されたら荷が重いよあれ」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「和牛商品券ってそういうもんやから ほな和牛商品券ちゃうがなこれ」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「あれほなもう一度詳しく教えてくれる?」
ボケ「なんであんなにその商品券で食べたら栄養バランスの五角形デカイんか分からんらしいねん」
ツッコミ「和牛商品券やないかい パッケージにかいてる五角形むちゃくちゃデカイんやからあれ でも俺はね あれは自分の得意な項目だけで勝負してるからやと睨んでんのよ 俺の目は騙されへんよ 俺騙したら大したもんや」
ボケ「まあねー」
ツッコミ「ほんであれよー見たらね すき焼きに入ってる具材の栄養素を含んだ上での五角形になっとんねん 俺は何でもお見通しやねんから 和牛商品券やそんなもんは」
ツッコミ「そうやろ」
ボケ「オカンが言うには 朝ご飯に買ってきても全然良いって言うねんな」
ツッコミ「ほな和牛商品券ちゃうやないかい 朝飯で和牛のステーキ出てきたら ちゃぶ台ひっくり返すもんね 和牛はねー もたれてもOKな時やから食べてられんのやで」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「な? それ食べてるうちにだんだん胃がもたれてくるから 最後ちょっとだけ残してまうねんあれ」
ボケ「そやねんそやねん」
ボケ「そやねんな」
ツッコミ「和牛商品券ちゃうがな ほな もうちょっとなんか言ってなかった?」
ツッコミ「和牛商品券やないかい 霜降った分厚い和牛とミロとフルーチェは憧れたんやから あとトランシーバーも憧れましたよ 和牛商品券よそんなもん」
ツッコミ「そうやろ」
ボケ「オカンが言うには お坊さんが修行のときも食べてるっていうねん」
ツッコミ「ほな和牛商品券ちゃうやないかい 精進料理に霜降った肉なんか出ぇへんのよ」
ツッコミ「和牛はね 夜におねーちゃんと楽しく腹を満たしたいという煩悩の塊やねん」
ツッコミ「和牛商品券ちゃうがなほな ほなもうちょっとなんかゆうてなかったか?」
ツッコミ「和牛商品券やないかい あれ交渉決裂スレスレぐらいネタになっとんやから な? 米国側がもう一品増やそうもんなら 俺は動くよほんま 和牛商品券や絶対」
ツッコミ「そうやて」
ボケ「オカンが言うには ジャンルでいうたら中華やっていうねん」
ツッコミ「ほな和牛商品券ちゃうやないかい ジャンル全く分からんけど 中華だけではないねんあれ な? あの回るテーブルの上に和牛だけ置いたら 回した時に肉汁が全部飛び散るがな」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「ほな和牛商品券ちゃうやないかい ほなもうちょっとなんかゆうてなかった?」
ボケ「もらった時に 誰に感謝してええか分からへんらしいねん」
ツッコミ「和牛商品券やないかい コロナで外出も自粛言うてるときに和牛商品券もらっても政治家の顔が浮かばへんのよ ね? 浮かんでくるのは腕組んで怒ってる納税者の顔だけやねん」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「赤いスカーフの納税者の顔だけ 和牛商品券に決まりそんなん」
ボケ「でも分かれへんねん」
ツッコミ「分からへんことない おかんの好きな商品券は和牛商品券 もぉ」
ボケ「でもオカンが言うには 和牛商品券ではないって言うねん」
ツッコミ「ほな和牛商品券ちゃうやないかい オカンが和牛商品券ではないと言うんやから 和牛商品券ちゃうがな」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「先ゆえよ 俺が怒ってる納税者のマネしてる時どう思っててんお前」
ツッコミ「ホンマに分からへんがなこれ どうなってんねんもう」
ボケ「んでオトンが言うにはな」
ツッコミ「オトン?」
ちゃぶ台真っ二つにしてそう
他人の新鮮な作品初見感想がほしい…って毎日思ってる弱いヲタクなんだけど
布教の上手さ、そもそものフォロワーや属してるコミュニティ(ジャンル)の人の多さ、以外にも、
(布教方法にも積極的プレゼンと発狂してる様を見せつけるのと2通りあるけど)
自分は今触れたいと思ってる作品だけで手一杯なので他の人の布教見て面白そうだなーって思ってもなかなか手が出ない
でもそういう奴のプレゼンってなんとなく不公平な気がするものなのかな?とか
いや、「他人の布教に興味を持ってちゃんと手を出す、感想を言う」ことで勧めたフォロワーとのつながりも強くなるし新規フォロワーも増えるわけで、打算的に考えても良いことしかないのは分かってる
ただ「やらないことでどこまで影響力が落ちるのか」にも興味がある
前者のノウハウも知りたいけど後者が上手い(?)人羨ましいよ 見てて面白いもん 動物園の見世物の如くクソリプや匂わせネタバレ喰らいまくるのは見てて滅茶苦茶可哀想だし腹立つけど…
初見感想が欲しい、って言っても複数人に見てもらいたいじゃなくて、結局誰か一人に布教が成功するか否か、0か1かの話なので、他人の布教をどうこうって気にするよりまず、そして結局、プレゼン/発狂力なのかもしれないな…と自分でちゃぶ台返す
特に古い作品、まとめサイト興隆前の時期の感想を集めるって言うと、結構労力をかけて5chのログ追うとか、地道に感想ブログ探すか、とかになるから収集が難しくて、じゃあフォロワーに見てもらうのが良くない?ってなってしまう
==以下、引用==
(略)
以下の記述は、記憶によるもので、あいまいな点が多々ありますし、小沢さんの言葉ではなく、私が自分なりに解釈、要約して書いている部分もあるので、誤解や間違っている部分があるかもしれないことを念頭にお読みください。
小沢さんは、これから自分の語ることは誰か特定の人を攻撃するものではないので誤解しないでほしいと何度も断った上で、「アートという罠:アートではなく」という講演を開始されました。
小沢さんが取り上げたのは、「なぜイギリスの行政は貧しい地区でのアート振興にお金を出すのか、彼らは何を狙ってアートを援助したのか。」という問題です。
行政的にはその答えは明瞭で、
第二に、職を作るためであり、
第三に、セルフ・エスティームを高くするためであり、
第六に、再犯を防止するため
なのですが、小沢さんはこういったアート政策が、実は新自由主義、ネオリベラリズムの息のかかったプログラムそのものであると指摘されました。
ネオリベラリズムとは、簡単にいうと、人びとを激烈な競争に巻き込んで、優勝劣敗、弱肉強食のジャングルの法則を貫徹し、社会を一部の大金持ちと、残りの貧乏人に分断し、様々な格差が拡大することをもって良しとするような主義・主張です。
勝ち組の新自由主義者たちは、アートを媒介にして、貧しい人たちが暴動を起こさないよう社会の中に取り込もうとします。こっち側に入れてあげるよ、といった彼らの傲慢さは、ソーシャル・インクルージョンとでも言えば、何かカッコよく今風に響くから不思議です。
なぜ、ソーシャル・インクルージョンをネオ・リベラリストたちには必要とするのでしょうか。端的に言えばそれは、暴動を抑え、革命を阻止するためです。そんなこと「野蛮」なことを、夢にも思わない人間を作り出すためです。
(略)
「企業的な社会、セラピー的な社会」で小沢さんは、セラピストの前で自らを語ることは、実は「灰色」=システムが用意した一定のヒエラルキーの下に、「あるべき自分」を位置づけて、希望を失っていくプロセスなのだと批判していました。
小沢さんは今回の講演で、同じことがイギリスのコミュニティアートにも起きているといいます。
セラピストが皆、気持ち悪いくらい落ち着いた低い声で、その患者たちをシステム内に柔らかく取り込むように、コミュニティアートも、誰にでも受け入れられるような、丸っこく優しくゆるーいアートを媒介にして、貧しい人達が「暴発」しないよう、その力、希望をソフトに去勢して、システム内に取り込んでいる、と批判しているのです。
イギリスではソーシャル・インクルージョンを目的にすると企画書に書けば、補助金が比較的容易に降りるということもあって、この言葉が大氾濫しているそうです。
そして、実際に許可して一年で700億円もの金を分配している男は、アートのことなど何も分からない小役人で、アートを通じて、貧乏人の心に野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオ・リベラリストたちが好む欲望を植えつけることをアート政策の目標にしているのです。
小沢さんは、こうしたイギリスの取り組みが「コピペ」されて実施されたのが、大阪ではないか。世界と地域はつながっているのだと主張されます。
The Economistとかいったネオリベの雑誌を好んで読み、「アーツとビジネスの融合した創造性豊かな都市をめざす「創造都市戦略」を掲げた」(ウィキペディアから)關淳一第17代大阪市長を名指しで批判している最中で、なぜかスカイプの音声が乱れ、もう時間ですからと急かされて、最後は駆け足気味の話になって終了。
小沢さんは1時間の講演を予定していたようで、話を止められた後、両手を頭に組んで仰け反っていた姿から、もう少し語りたいことがあったように見えましたが、私の気のせいでしょうか。
それにしても、これほど過激な、これほど尖りまくった講演は聞いたことがありません。
下手すると、企画の趣旨を全てぶち壊すような、シンポジウム関係者を激怒させ、二度とお呼びにかからないようなリスクをあえて冒して、小沢健二さんは自らが信じることを堂々と語ったのです。資料を持つ手は微かに震えていたとしても。
「アートの力を信じる」というシンポジウムで、「アートという罠:アートではなく」という、まるでちゃぶ台をひっくり返すような講演をやる蛮勇さ。なんという毅然さ、なんという美しさだろう。私はただただ感動していました。
小沢さんは、どこにも帰属せず利害関係を超越した場所から、誰も反論しようがないお行儀のよい正論をぶつだけのイデアリストではありませんでした。
アートしている人たちの苦労を理解した上で、行政からのお金であっても貰えるものならば、貰っていたほうが良いとはっきり言われました。
しかし、彼らの意思、権力作用を十分理解しながらも、それを逆手にとって、何か思いも掛けないあらぬ方向に投げ返してやること、突拍子もない事件を呼び起こすこと、例えば、親のカネを使って自由に遊ぶ頭のいい不良少年、内から食い破るエイリアンのように振る舞うこと、
これは私の解釈ですが、そんな但書きを小沢さんは付けたかったのではないかと推測しました。
==引用ここまで==
こういう、歴史と共に積み上げられてきた社会学・フェミニズムの学説を前にして、ただちゃぶ台をひっくり返すことしか出来ない人々の言葉を読むと悲しくなる。
歴史とともにいくら積み上げても嘘は嘘でしか無く、フェミがそれらの正当な批判に答えたためしはない。
結果ありきの妄想ストーリーと「ミソジニー」と言うレッテルはりだけを続けてきた。現に、彼女らが自然科学的証明を行った試しはない。架空の「女性差別」ストーリーを展開し、男性の犠牲や労苦を顧みることないヘイトスピーチを続けて社会の持続可能性を破壊し続けている。
「通説」だろうがなんだろうが、ソースなき性差別を学問とは言わないし、言うべきではない。
君はただの権威主義者。
世に蔓延る男性差別は本当に酷いものだと思うし、その割になかなか問題にされづらいことに不満もあるし、それに対してフェミニストがどういう悪どい態度を取ってきたのかとか、色々言いたいことは確かにあるんだけど。
こういう、歴史と共に積み上げられてきた社会学・フェミニズムの学説を前にして、ただちゃぶ台をひっくり返すことしか出来ない人々の言葉を読むと悲しくなる。
通説を全否定して自説を押し通すなんて、戦車に竹槍で対抗するようなもの。絶対に勝てるわけないのに。
こんな稚拙な人々を支持したいとは私も口が裂けても言えないが、一方で、これは彼らが決して「地位と権力を振りかざす社会的強者」でないことも意味している。「中途半端に理論武装した保守的な豪族」とは明らかに違う。典型的な「持たざる者」の言葉。
学問という権力を持つ我々として、彼らをただ馬鹿にして爪弾きにしていればよいという態度は、いい加減やめるべきだとも思うのだよな。
原因は、元営業から独立した定年間近の社長の、業界への無関心・無知によるモチベーションの低下。全く畑違いの食品関連のビジネスを始めようとした社長が胡散臭いセミナーに参加するために地方出張に行ったあと、がらんとした職場で「わたしは何のためにここにいるんだろう」と、心の中で何かがぷつりと切れるのを感じました。
そして何より、事務所の上階に住んでいる社長の娘さんが、何らかの精神疾患により頻繁に罵声を上げながら事務所に飛び込んでくるようになったこと。彼女の身内である社長からその事について何も説明はなく、聞いてもはぐらかされました。いつ彼女が来るかわからないという恐怖でイヤホンを外せなくなり、これはおかしいと気づいて辞めました。
疲弊していたせいか、部屋は完全にゴミ屋敷でした。本、書類、お菓子やシリアルの袋、ゴミや段ボールが堆積し、足の踏み場もない状態。いわゆる「セルフネグレクト」状態だったと思います。
同時期に個人的なトラブルも起こり、長年の趣味であった二次創作の同人誌制作に全く興味を持てなくなってしまいました。
仕事を辞めたあとは、一日中外にも出ず、ゲームをしながらシリアルだけを食べる日々が続きました。ひとり暮らしなので、食事を作ってくれる人も話し相手もいません。
それでも仕事に行かないだけで精神は少し回復し、同人誌は無理だけど何かやってみようかな、という意志が復活するのに時間はかからなかったです。部屋をほんの少しだけ掃除して、小さなフィギュア作品のシリコン型取り・複製などをやってみたり、プラモを作ったりしてました。
そんな中、ひとつの転機がありました。「ゲームしながらシリアルばっかり食べてるよ」と友達に話したら、それを友達がTwitterに書込み。それを見た友達のフォロワーさん(わたしとは面識ない)が「ちゃんとご飯食べな」と言ってくれたのです。
些細なことだけど、第三者的に見てもわたしの食生活はやばいんだということに気づけたし、そう言ってくれる人がいるということが嬉しかったです。
それがきっかけで、自炊をするようになりました。友達に「料理はゲームと同じだよ、やればやるだけレベルが上がる」と言われ、うまくできなくても「レベル上げ」のために毎日作りました。
これがよかった。自炊し始めたら、以前はスーパーに行ってもぼんやり無為に買い物をしていたのが「これを作ろう」という意志を持って買い物をできるようになったのです。「マリーのアトリエ」みたいに、これとこれがあればこれを作れる、料理ってそういう事なんだ!錬金術みたいで楽しい!と気がつき、目の前が開けたように思えました。
料理をするためにキッチン周りを片付け、清掃しました。作ったものを置いて食べるために、ちゃぶ台を片付けました。ちゃぶ台から下ろしたものを整理するために、部屋を片付けました。ゴミを捨て、散乱していた服をタンスにしまい、不要品はメルカリに出品するなどして処分。山のようにあった落書きは、必要なものだけスキャンして捨てました。昔の仕事の資料なども一部データ化して処分。中にはあまり良い思い出のない仕事もありました。片付けるというのは、そういう思い出を断ち切るということでもあるのかなと思いました。
「何をどこにしまうか」を決め、必要な時にすぐ取り出せるようにしました。頻繁に使うものは出しやすい位置に置き、そうでないものは明確に場所を決めて少し奥にしまう。汚れていたところは綺麗に清掃し、また汚れがたまる前にこまめに掃除する。そういう当たり前のことを毎日少しずつ進めていき、部屋がキレイになった頃には、作れるごはんのレシピも増えてました。
書類に埋もれて行方不明になっていたリモコンが発見され、全くつけていなかったテレビをつけるようになりました。BDやDVDで映画を何本も見て、今まで興味のなかったものにどんどん惹きつけられていきました。
片付けてみてわかったのが、「これでようやくしっかり休める環境になった」ということ。住環境、食生活は自分の一部であり、そこのケアを怠った状態では、心の回復は見込めなかったと思います。精神的にはまだ少し休養が必要な状態だと思いますが、辞めた直後に比べたらかなり回復したと思います。今の状態に辿り着くまで3ヶ月かかりましたが、幸い僅かな貯金と稀に頂くフリーの仕事があるので、今しばらくは気長に治していこうと思います。
同じような境遇の方がこれを読んで、こういう人もいるんだなと思ってくれればと思って書きました。
こういう仕事をしていると、遺された部屋の様子から、亡くなられた人の思いや葛藤を、望むと望まざるとにかかわらず垣間見てしまうことが少なくない。吐き出す場所もないので、ここへ書き込むことにする。
前提として、東京と周辺の夏の暑さは、もう人が住める限界を超えていると思う。とくに低収入でエアコンなしの部屋に暮らしている「弱者」たちから、実際に暑さで身体が溶けて亡くなっていくのだということを実感する。
先週入った現場は、40代男性の、いわゆる孤独死の後片付けだった。例によって冷房なしのアパートだった。防毒マスクをして臭いに覚悟をしながら入ったが、畳に残っていた体液の量はそれほどでもなかった。
ただ一瞬目を疑ったのは、床がすべて同じ、細長いビニール袋で埋め尽くされている様子だ。いくつかの袋にはフランスパンが食べかけのまま残り、カチカチになっていたり、一面黴に覆われて緑黒くなっていたりした。
男性が突っ伏して亡くなったと思われるちゃぶ台には、チラシの裏を埋め尽くすようにして、鉛筆でたくさんの殴り書きがしてあった。書いてあるのは全て「バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット」という単語だった。壁にも同じような紙が貼ってあり、そのうちの一つには、大きく黒のマジックで「バケット」と書かれてあり、×印で消してあった。
ゴミと遺品を分別する作業を続けているうちに、死に至る直前までのストーリーが、点と点がつながるようにして見えてしまうことがある。
床に散らばっていた紙を分別しているうちに、どうやらこの男性は、紹介予定派遣で食品問屋の正社員になるのを断られて解雇されたらしかった。
執拗に「バケット」と「バゲット」の区別に故人がこだわっていたところを見ると、この一件が解雇になんらかの関係があったのかもしれない。あるいは、フランスパンの正しい名称すら知らない人間は雇えないなどと、ハラスメントを受けて会社にいられなくなったのかもしれない。
「バケット」と「バゲット」を間違えたくらいで人が死に至ることがあるのだろうか。
一瞬訝しく思ったが、自分を含む氷河期世代の人間は、あらゆるものを剥奪され、弱者として生きることを強制されてきたのであり、周囲からどれほど些細なことと思われても、ちょっとしたきっかけで生活が崩壊してしまうほどに綱渡りの人生を歩み続けてきたのだ。言い間違いが命を奪ってしまうことも、けっしてあり得ないことではないように思うのだ。
この仕事をしていると故人の想いが自分の中に入ってこないように、心に防御壁を設けて黙々と作業をするようになるのだが、この日ばかりは、「バケット」と「バゲット」の区別に執拗にこだわりながら死んでいった個人に思いをはせざるを得なかった。だからこんなところで吐き出したくなってしまったのかもしれない。
分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw
なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPG好きじゃないみたいな風潮だもんな。
誰かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボールが駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああいう逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?
ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。
助けになるか分からんが、リアルタイムでRPGが拡まっていくのを思春期に経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。
「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃんと勉強もしろよ?」
「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」
「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」
体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後の意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。
興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性のブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。
大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。
ゲーセンってのは不良とヤクザと仕事をしないサラリーマンの営業と、後は風俗か水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?
おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度にしか思われてねーの。
もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクスの時代だからそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。
大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。
っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。
子供だからピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。
庶民の娯楽として市民権があったのはボーリングと映画だな。運動は身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。
釣りは生活の一部(の延長)で、テニスとゴルフは限られた金持ちの趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw
まぁオッサンもガキだったから勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれた子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?
どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人と若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?
俺は都会の人間だからかしれんが、道路も上下水道も電気もガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中。
…んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。
それが当たり前なの。w スゲーだろ?
日曜日に休める幸運な大人はテレビだな。ちゃぶ台とビールで。だらしない人は横になって。
上に書いた娯楽は会社の許可が必要(申請書はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート、遊園地、動物園なんかも認められてはいた。
長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。
そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。
例えばバッティングセンターの片隅に。
ボーリング場や温泉やゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。
毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。
大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商のテコ入れもあってインベーダーブームでヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。
一部のエレクトロニクスマニアは自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。
あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。
ともかくそういう中でマニア(オタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人の玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw
めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球のオマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンやギャラクシアンやドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年が社会問題化したので子供のゲーセン出入りが禁止され、ヤクザと無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコンは誕生した。
「一家に一台、ファミリーコンピューター!」
https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画)
ってな具合よ。
大してして話題になってねーけどな。
マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者が勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術や文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルとアドベンチャーゲームな。息抜きにアクション、暇潰しにシューティング。変態野郎がエロゲ。
んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想な子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。
いやー辿り着くまで長かった。ww
当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。
都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。
分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレの漫画家ってポジションだ。
本人がどうかは知らんが小児性愛者スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディだから許されてた。本格的な変態はうる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。
宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚や水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。
高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。
少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームとゼビウスがなければファミコンはあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステムの復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人の趣味として黙認されてた状態だ。
そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。
ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。
結論としてはだな?
マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。
ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。
ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーはヘラクレスの栄光の方が評価されてた。
ちゃんと世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。
パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供の文字を覚える勉強くらいにはなるだろww
ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。
まぁ鳥山は独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。
そうして大人と若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能を実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。
この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレスが子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。
それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界の冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?
修学旅行にファミコン隠して持って行って旅館のテレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?
うわーもう超なげーわw
軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネットで対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。
それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。
もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。
感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。
ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。
ゲームばっかりしてて悪かった。
マンガもたくさん読んでてすいません。
子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率や世代差がどれくらいかまで知らねーけど)
だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。
助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。
唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。
ここ最近、はてブを始めとして『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』叩きが非常にアツい!
ビッグウェーブに乗り遅れるな!!俺もドラクエの映画を見て、気持ちよくメチャクチャ叩いて、指さしてゲラゲラ笑ってやれ!!という、まあ負の感情タップリで、叩き目的で『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を見に行ってきた。
ただ、見終わってみると、残念ながら自分はこの映画が楽しめてしまった。不覚にも面白いと思ってしまったし、ラストのミルドラースと主人公のやり取りは、陳腐とはいえつい心動かされるものがあってしまった。いかん、これではドラクエ映画叩きのビッグウェーブに乗れない……。
この一週間叩かれまくっていたから、もちろんラストの展開は映画を見る前から知ってる。実はVRの世界でしたーー!!とちゃぶ台をひっくり返すアレ。
ただ、ネタバレを知った状態で見ると、その真相が判明する場面ってダメージを受けないんよ。だって知ってる情報だから。そのシーンって、突然デカい音がしたからビクッとなるけど、それ以降はふーんって感じで見られた。
前情報なしで映画を見に行った友人の話を聞くと、やっぱりそのシーンで大ダメージを受けすぎて、それ以降の展開が全く頭に入ってこない状態になったとか。そういう意味では、ネタバレを見ておいた良かったのかもな。
で、VRでしたーwwwwってのが判明して、ミルドラースとやり取りしてるシーンだけど、ガキの頃からゲームばっかりやってる自分としては結構響く。ネットのレビューを見てると、ゲーマー宛へ30年前に書かれた腐臭のするラブレターと評されていたりするけど、ぶっちゃけ自分の中でのゲームの価値観は30年前と何も変わっていない。親に白い目で見られ、自分でもくだらないと内心ちょっと思っていても、それでも夢中で遊ばずにはいられないというのが自分の中でもゲームの立ち位置であり、そういった価値観を主人公は素直に肯定してくれてるんだから、そりゃあ心に響くものがあるよ。そういう意味は、完全に昔の価値観を引きずるオッサン向け映画だなと思う。
ただし、あくまでもネタバレを見ることで大ダメージを前もって回避して、冷静な気持ちで見ることができたからこそ、こういう感想が出てきたのであって、前情報なしで見るとたぶん友人と同じように大ダメージを受けて、何言ってるのか頭に入ってこなくなって、そのままドラクエ映画叩きのビッグウェーブに乗っていたと思う。そういう意味では許されない映画ではある。
あらかじめネタバレを見ていると、映画への感想がこうも変わるとは自分でも思わなかったな。
ネタバレを見て、映画を見ずに叩いてる人がいたら、一度見てみたらいいと思うぞ。たぶん、自分みたいに考える人は何人か出てくると思う。
ラストシーンばかり語られるけど、イメージ通りにすっげえ悪人やゲマの描写、可愛いフローラにエロいビアンカ、ベタだけどピンチのシーンに颯爽と登場するヘンリーとか、結構気に入ってるシーンも多い。