はてなキーワード: 部落とは
ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休の暇つぶしにでもどうぞ...
小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンでタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブもゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。
けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月に祖父母から、お年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生がDSで遊んでいた。
私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達が当選していた)
両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的。
私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学で同級生が携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段がメールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメールで連絡網は生意気(以下略)」)
当時の私にはその言葉は絶望でしかなかったし、せまい小学生の世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。
私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。
次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。
学校ではどうぶつの森ごっこが流行った。(おままごとの動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。
友達に「なんで私ちゃんはDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通に悲しかった。
中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiとwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMiiが流行った。友人達はゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラスの男子)と結婚したよ〜子ども産まれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...
かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。
高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。
ここまで書いてきて、そういえばたまごっちがリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...
別に今更、両親の教育方針にケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。
反動というか、今はスマホのアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターやストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しい。ゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。
マツコデラックスや美輪明宏はテレビにばんばん出ることが許されてる
反対に、同性婚という概念すらなく現代よりずっと性的な道徳観がきびしかったはずの江戸時代には
ゲイカップルが主人公の『東海道中膝栗毛』みたいな作品が平然と人気を博してた
ある意味では、禁忌なんて概念自体が近代のフィクションじゃねえの
きっと18~19世紀には「平民と貴族が自由に結婚できるようになったら悲劇の恋愛ドラマが死滅しちゃう、そんなのヤダヤダ」なんて本気で右往左往してた奴がいたんだろうなあ
ほかにも「白人と黒人の結婚が自由になったら」とか、「ドイツ人とユダヤ人の結婚が自由になったら」とか「特殊部落出身者も平民扱いになったら」とか、いくらでも挙げられる
この手の話は、歴史上何度となくくり返されてきた道さ
よし、今後はひとつ「エンタメとしてのゲイ好きが悪い権力に弾圧される悲劇的世界」が舞台のフィクション設定つくって、それで禁忌感にゾクゾクしようぜ♪
戦争なあ。
80年代前半、小学生だった私は昔の日本の指導者が悪いことをして周りの国に軍隊を送ってひどいことをして、庶民は巻き込まれてひどい目にあって、清く正しく未来を担当する国であるところのアメリカが全部解決してくれました式の日本史教育を受けていた。
悪の国であるソビエトと戦う正義の国、世界の警察である何もかも進んでいるアメリカ。清廉潔白なアメリカ。叱られている日本。アジア各国にごめんなさいしなくちゃいけない日本。
でも、大正生まれの祖母の言うこととはだいぶ違うなあと思っていた。
祖母の戦争は、神奈川県内の農作業中にアメリカの戦闘機の機銃掃射から逃げ回る話、防空壕の話、当たらない高射砲と高射砲の弾の破片で知り合いが死んだ話、弾に当たったゼロ戦が丹沢山の方へ墜落していった話、横浜の空襲の話、戦争直後の朝鮮部落とのもめごとの話を概ねループする。南方に行った親戚の話や知り合いの特攻隊の話は言いづらいらしく父母はともかく私にはほぼしなかった。
まあ、アメリカがそんな正々堂々清廉潔白なら、根こそぎ空襲とかしないし、まあ空襲するにしたって爆撃でどばっと効率的にやるならまだしも、わざわざ戦闘機で低空に降りてきて民間人一人一人を追い回して機銃で殺すなんて何か小学校の先生が言うのと祖母から聞くのではだいぶ違うと感じていた。
韓国や中国にごめんなさいしなさい式の教育も、祖母の言うカンボの奴らが戦争負けたとたんに横暴になって家畜を盗んでいって警察を呼んでも警察に立ち入りさせなくて、どうやら盗んでいった家畜を全部食っちまったらしいってなって、なるほど警察は来ないんだなってことになってその後ひどいことになった、というのを聞いてるとなんか違うって思ってた。
テレビで韓国のことが出るたびに祖母は信用しちゃいけないよって何度も何度も繰り返した。
俺はネトウヨ前史として、1998~1999年当時のネットで、高卒差別のマミー石田(カタナカ書きの「ドキュン」という語句を最初に広めた人物)の登場を挙げたい
ネット老人の記憶としては、あれが2ちゃんねる前夜の「差別ブーム」の先駆け
思えばあれが「公然と人を差別するオレ過激で格好いい」「差別って楽しい」
(同時期すでに在日&部落の暴露サイトもあったが、あくまでアングラ系で、大衆的な人気はなかった記憶)
2ちゃんねるの開設は1999年だが、初期には学歴ネタが多いに盛り上がった
1990年代の初期のネット民は、まだパソコン持ってる理工系高学歴が多かった残滓
最近、IT系の会社へ転職活動をしているのだがコーディングテストを採用しているところが昔と比べて非常に増えた印象を受ける。
種類としては大別すると以下の3種類。
・ホワイトボードに○○○について書いてください。
・オンラインで受験可能なコーディングテストを受けてください。
・(PCを与えられて)ライブコーディングで○○○についてプログラミングしてください。
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Microsoft製品のバグを証明するプログラム付きのバグレポートを送った事もあるくらい自信があったので
これについて「自分がおかしいのかな?」と思ったら以下の記事を発見。
要は有名な開発者がテストに落ちたから採用されなかったという話
導入している企業側からしたら採用のコストを下げるために導入しているのだろう。
確かにプログラマーのレベルを図る上でコーディングテストに一定の効果はあるのかもしれない。
しかしながら、どう考えてもこれは所謂「お受験」対策しているかどうかであって、
天才的(全くの知識ゼロで最適なアルゴリズムを思いつく)なプログラマーを採用したいのなら悪くはないと思うが、
通常は集合知をいかに早く上手く組み合わせた上でアウトプットできるかが大事なんじゃないかと個人的には思う。
例えばソートアルゴリズムや探索アルゴリズム、暗号アルゴリズムなどは非常にアカデミックで
通常のプログラマはそういった人たちの成果を利用して色んな社会の課題を解消したり新しいサービスを作っている。
もしコーディングテストしたいのであれば前者と後者の違いを認識した上で評価しないとダメなのにどこも一律評価している。
まぁ、こちらからしてもそんな評価されるんであればそんな会社には入りたくないなーと思うので、
家系図を作ってみようと思いちょっと戸籍取り寄せてみた増田である
大した話ではないのだが嫁には言えないので増田にかきちらす
出身地が解放同盟の支部があるところで30歳になるまで知らなかった、調べなければ一生気がつかなかった
今は都内に一軒家があって、俺も妹も大学出てるし、母親も短大出てる
つまり金は普通にある中流階級で差別階級だと思ったことがなかった
俺は無事に結婚もできたし、妹も結婚できていて、まあ父親がちゃんと家にいるので、母親も普通に結婚できたんだろう
部落出身という意味では、母方の父親が部落の生まれで、そこからどうやったのか養子縁組で戸籍ロンダリングして別名字になったようで
今に至っているようだ、いや確かに考えてみればじーさんとばーさんの話聞いた時、戦後の闇市でヘップ売ってたみたいな事言ってたからそれで勘のいいやつなら気がつくんだろう
俺はネットに触れなければ同和問題そのものを知らなかったので仮に調べたとしても一生その地域が同和地区であるなんてことに思い至る事すらなかったと思う
現状差別らしい差別を受けた記憶は無いし多分これからも無いと思うが、単純に驚いたので
まあ増田に書き散らして忘れることにしよう。
コレクションって
ショックでくらくらするし
そのあとまた集めるのか
もう虚しくなって、何も集めなくていいやになるかだよね
自室の壁一面をCDラックを汲んでたけど(ジョイント式で増やせる)
扇形に開くと同時に中のCDもスライドして前に出てくるタイプで
UV加工もされてて陽に焼けない素材。埃も入らない。
一気には買えなくて、最初に2つ、そのあとまた2つ、と増やして
増えるCDをそうやって整理していってた。
気に入ってた
もうこんな風に収納してもむなしいなって思って
美術展の図録
ラックに戻そうとしたら
母が「また揺れたらまた壊れちゃって危ないので床に置いとき」
言われたのを覚えてる。
無邪気に
綺麗に並べて、ニコニコしてた頃の
私はもういない。
左系の極左の何でもかんでも原爆だの憲法九条に絡めようとするのと、右側の極右のなんでも韓国人中国人部落ヘイトに絡めようとするのは同じ次元説。
香港デモも左系であれば中国政府の味方のはずなのに、左側がまずトゥゲッタで取り上げると言う歪みが起きたり、
右系であれば中国人ヘイトをするはずなのに、中国人に近しい香港人の味方をするという歪みが起きてる。
過重労働系の労働問題を原爆だの憲法九条だと絡めて人を増やそうとせず、粛々と法対処と法改正を訴えていったら、
むしろZOZOとかカネカとかセブン-イレブンとかで、経営側への攻撃という形の炎上が起きる。
結局、両方共過激派を排除して、問題に特化させ、過激派を絡めさせないほうが問題解決にはいいんだなぁと。
過激派は「人手がいるんだろ?俺も味方してやるよ!」とか言って絡んでこようとするがな。
タイトル通りです。
本当に助けてほしいです。怖い。
このままだと私は誰かを殺すか殺されるかです。自殺未遂は何回もしたけどダメでした。そりゃ私も一人で死ねるもんなら死にたいです。不良品だし。
最初は「こいつヤバいな。でも私の家族には官僚クラスの人間はいないし、ネットで人に威張り散らすのは嫌いだから大丈夫」と思っていました。
始まったばかりですが全くうまくいきません。毎日イライラしています。
昨日、頭が老化して私にデリカシーのないことを話しかけてくる祖母に物を投げつけてしまいました。
家庭内暴力に手を出したあの人と一緒です。
しかも勝てなそうな母じゃなくて勝てそうな祖母に暴力をふるいました。
祖母にも祖母以外の家族にも言葉の暴力をふるうなんて毎日です。吐き出す言葉の強さだったら勝てそうだから。でも暴力は暴力。
今日、Twitterで家族への恨みつらみをいつのまにかつぶやいていました。慌ててツイ消ししました。
母親にプラモ壊されたことを40歳にもなって根に持っててTwitterに書き込んでるあの人と一緒です。
しかも「母に兄弟と差別されている」みたいな内容で、それはこないだのカリタスの人みたいです。
実際そんなことないです。母は私を溺愛しています。兄ほどかはわからないけど。
毎日「あの人みたいにはなりたくない」と考えて、多分意識してるからどんどんそうなっていくのでしょう。
このままでは40代になった頃にはあの人みたいなニートです。40代になってネットでイキり倒して、親に殺されたとしてもみんなからバカにされます。
あの人みたいな人生は絶対嫌です。助けてください。いや、自分でもなんとかします。あの人はいろいろ可哀想です。私は可哀想な人になりたくないです。今も震えてます。
もう混乱しきっているので乱文になってます。ごめんなさい。
とにかく助けてください。
私が制御できなくなる前に。
(追記)
書いてからしばらくしてページ開いたらコメントいっぱい来ててびっくりしました。ありがとうございます。
まず「ニート」って求職もしてない人のことでしたね。そこは誤認していました。すみません。
あと釣りじゃないです。釣りだったら良かったのに。文章整ってますか?それならよかった。
経歴は20代女、1年前まで都内の大学に通っていたけれど中退して地元の地方都市に戻ってきました。資格は今事務関係のPCの資格勉強中です。プログラミングはわからないです。
一人暮らしは完全に破綻していました。片付けられずに部屋がゴミ溜めになってました。今でも一人暮らしできるものならしたいです。でもできないからしかたない。あとお金がないです。
ADHDの診断を受けてます。手帳を先日貰いました。障害者求人で仕事を探してます。
今は服薬治療と週1のカウンセリング受けてます。一人暮らしのときも気持ちが不安定になると親に鬼電とかして脅したりしてたから、適切な距離は保てるかわからない。
アルバイトはこの間までしてました。半年くらい。すごくいい職場でしたが体力仕事だったので疲れて毎日バイト以外の時間寝込んで就活が進まなくてやめてしまいました。
実際ひきこもりではないです。むしろ家の中にこもってられないタイプです。
それなのに危機感を持つくらい追い詰められてました。
あとやっぱり公的機関ですかね。なるほど。
発達障害の人が通う就労支援の施設を勧められたので母に相談したら「毎日通うなんてあんたに無理でしょ、大学だって通えなかったし」と言われて確かに、とやめてたのですが、今履歴書送った会社全部落ちたら電話してみます。
みなさんありがとうございました。
本質的な部分が略され、特徴を表している部分のみが残ってしまった略語が多々ある。
・高速道路→高速
「○○△△を○○」って略すな!って言葉、他にある?
1日越しでバズってて驚いた。せっかくなので、ブコメとツリーにある言葉をまとめておくよ。
・プラスティック樹脂→プラスティック (熱可塑性樹脂が熱可塑性と呼ばれている状態)
・コンビニエンスストア → コンビニ
・ただいま帰りました→ただいま
・懐中時計→懐中
・一眼レフカメラ→一眼
・生ビール→生
・天然ボケ→天然
・縮毛矯正→縮毛
・定期券→定期
幼小中高といじめ以前の無視されることで過ごし、登校拒否は家族に襟首掴んで下駄箱まで連れて行かれてクラスメイトに笑われるだけだった。もしかしてと受けた発達障害の診断は通知表や子供の頃の話を家族から聞くことが拒否され受けられず、バウムテストのひとつで思春期危機と診断され、幻聴と妄想でボロボロになった状態でやっと貰った薬はデパスだけだった。
家族に肉体的暴力は受けることはなかったけど、受験で追い回されてボロボロになって遊びを求めた。
遊びの世界でも仲間に入れてもらえることはなかった。音楽やサブカルやおたくの全てでぼっちだった。
コンビニや居酒屋やスーパーのアルバイト面接は50件以上受けて全部落ちた。一般的にまともとされる格好で面接に行き、履歴書の空白をアルバイト暦でなんとか埋めてでもだ。面接落ちはもう慣れているので何も思わないが、面接落ちした店には行きづらくなるのが嫌だ。
家族といるとどもりやチックがひどくなり、それをわざとやっていると言われてもっとひどくなる。
いつかは素敵な家庭を持ちたいし3次元の恋愛に興味がないわけではないのでお見合いの話はいつも受けてお話をしたりして、この人はと思うことがあるけどうまくいかない。長子でいつか実家の親の介護をすることになるとなると難しいし、私のコミュ力と顔がよければもっとよかったかもしれない。
現存する部落差別主義者にとって、部落出身者=犯罪者集団 という確固たる信念がある。
○○地方出身だから、雇いたくない、結婚したくない、関わりたくない というのは、
○○地方の犯罪者集団の仲間だから、雇いたくない、結婚したくない、関わりたくない ということなのだ。
一般人にとって、関わる相手が犯罪者かどうかを見極めるのは難しい。相手や相手の親族の逮捕歴は調べようがない。
だから、犯罪者かどうかを判断する1つの目安として部落出身かどうかを利用しているのだ。
地図をみせてはここが部落だとか、ここはヨッツだとか言ったり、あいつは部落出身者だとか
私自身はそれを聞くたびに、今どき、部落差別ってどうなの・・・?と思って聞き流していたのだけど、
父は、私が犯罪者集団と関わりを持たなくて済むように、息子のためを思って教えていたんだと今気付いた。
ほんとは根暗なのに、そんな自分が嫌いで、外では頑張ってアゲて、明るく振る舞ってるすべての人たちへ。
君はすごいよ。そこに努力を振れるのが本当に偉いよ。
だって私にはとてもできない。
かなり気力使うでしょ。社会に馴染むために毎日毎日自らの体力と気力を犠牲にしてるなんて、そんなひたむきなことって、ない。
君こそが現代社会を生き抜ける人間だよ。社会性が高いし、今いる現実がちゃんと見えてるから。
それを当たり前に、ひょっとしたら気付かないうちにやってるなんて、本当に、本当に、君は。
私はそんなあなたがただいとおしい。
きっとしんどいよね。お疲れさま。
あなたをただ強く抱きしめたい。熱い抱擁をしたい。頑張ったね、優しく囁き、ゆっくりと頭を撫でたい。
私は本気でそう思ってる。
あなたたちを抱きしめるにはどうしたらいい?
真剣に考えたけれど、私に抱きしめられたところで特にありがたみは無いだろうし、
でも一応若い女の形をしてるというだけで、誤って性的なニュアンスに解釈されてしまったら、こちらとしても心外だ。あえて書くけどそういう気は一切無いので。
要はこの外皮が邪魔。
だから私は海になりたい。吹き抜ける風になりたい。熱い大地になりたい。すべてを包みこむ空になりたい。
いや別に「この世のためになりたい!人の役にたちたい!」等とは違うし
なんていったらいいのかな本当に 日記なのに適切な言葉が追いつかないんだけど
ほんとにいとおしさを伝えたいだけなんだけど 所謂コミュ障だから
そんなこと考えてたら真っ昼間のカフェなのに涙が滲んできた。
不美人なりに最近はアイラインの引きかたを研究してるのが、たぶん今全部落ちた。
メイクは結構好きなので、若い女の形をしてて悪いことばかりじゃないよなーとも思う。
だけど。
正直なりかたはわからないし、今すぐには難しいだろうけど、なんだか願えばなれる気がしてきた。いつか、来来来世くらい?
ということで。
来来来世の人たちへ。待ってろよ。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。