明治時代はまだ侍の子孫やら、維新志士やらがそこらに残ってたし、部落集落の連帯意識も強かった
うかつに貧乏そうな子供を殴ろうものなら、「我らニコニコ村の田吾作に手を出したのはお前か、村にケンカを売っとるんか、と村単位の報復をしてた時代。
警察官が法律に従って誰かを逮捕したら、次の日に制服が死体で発見されることも十分あり得た。
教師が生徒を気軽に殴れて、上官が部下を気軽に虐待できる強い国を作るためには、村や家族の結束を破壊する必要があった。
その一環としてまずは方言を禁止したんだ。
国内に独立国やあらゆる派閥が混在してる時代で均一性がなかったから行動指針として共通ルール=法律が重要だった
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