はてなキーワード: 親会社とは
会社の慰安旅行でゲストで呼ばれていっしょにいった親会社のおっさん。
宴席でなんか歌えっていわれて、曲は忘れたけど、その曲に合わせて譜割りの同じ童謡を番ごとに変えて歌うという荒業を繰り出したのをふと思い出す。
「どんぐりころころ」のカラオケで「ふるさと」を歌い、「ぞうさん」を歌い、「チューリップ」を歌うみたいな。ディティールは忘れたけど。
おれの隣りにいた倉庫番のおっさん(仲良かった)が「ああいうのを芸っていうんだよ」っていってたのも思い出す。
「歌は下手なのでなんかやります」って芸をするのも手ではあるわね。
あ、ごめん。もう1コ思い出した。
ホッピングとカラーボール(たくさん)を用意して、「これから1分間ホッピングを飛んでいるので、ボールをぶつけて阻止してください」って。
飛びきってもよし、転んでもよし。
あ、リンクあった。828ね。
ドロドロした話ではなく,研究者業界を知らない人への一般的な話です.
大学の研究者は各大学に所属していますが,よく大学研究者は個人事業主だと言われるように,
実際問題として大学への帰属意識はそれほど高くなく,業界に帰属していると考えている人が多いように思います.
一般の会社員から見ると,大学と研究者の関係は,会社とサラリーマンの関係のように思えますし(雇用関係は事実その通りなのですが)
たとえば,情報科学科というものが存在した時に,その中にはアルゴリズムの研究者,VR・ARの研究者,DBの研究者,自然言語処理の研究者,
機械学習の研究者,コンピュータビジョンの研究者などの様々な研究者がおります.日本の大学の場合,それぞれが講座制として研究室が運営されています.
では,自然言語処理の研究室の助教(昔でいう助手)が准教授になるには,その研究室の准教授ポストしか一般的にありえません.
他の選択肢は他大学の自然言語処理の研究室のみです.つまり,彼/彼女にとっては,A大学情報科学科に所属していると言えますが,
キャリアパスとしては,全国にある大学の自然言語処理研究室のポストを見ていることになります.
ピッチャーは自・他チームのピッチャーにしかなれませんし,ゴールキーパーは自・他チームのゴールキーパーにしかなれません.
一部の例外を除いて,他のポジション(ゴールキーパーがフォワード)に移ることはありえないのです.
そう考えると,彼/彼女から見ると,あたかも自然言語処理業界株式会社のような概念が存在し,
その支店としてのA大学,B大学があると考える方が正しいように思います.
そして,キャリアパスとして,うまくいけばA大学助教,B大学准教授,C大学教授と栄転をしていくのです.
もちろん一部のエリートは,履歴書に東大しかないような人もいますが,
それは会社でいうところの幹部候補生のようなものであまり一般的ではありません.
(教授が10-20年君臨することを考えると,そういう人は各業界において,10数年に1人の生産ペースです)
最後に少しドロっとした話をしますと,A大学の人事に,B大学の教授が口を出すというケースもよくあります.
これは,会社の視点で考えると異常なことですよね.A大学とB大学は全く資本関係はないのです.
しかし,トヨタのグループ会社だと考えると素直に理解できませんか?(子会社の人事に,親会社が口を出すというように)
資本上は一切関係がなくても,人的交流による様々なしがらみがあり,それが学閥であったり,業界のドンのような人を生み出しています.
おわり.
新卒入社した会社に8年ほど通っている。
横浜方面から都心へ、混雑ピークの時間は過ぎてはいるもののまだまだ余裕はない時間帯。
多少の窮屈さは感じつつもまぁこんなもんだろうと思って過ごしてきた。
去年のある日、親会社に吸収されるとの知らせがきた。オフィスはさらに東京の中心へ、しかも始業時間は早まるという・・・。
もろもろおわり新オフィスへの通勤が始まったがこれが地獄・・・。特に東京メトロの混雑はおかしい。
小さい車体にとんでもない数の人間がのりこむ。そのうえ全く詰めてくれない・・・。狭いゆえに詰めない人を押しのけて
その隙間に入ることもできない・・・。
そのほか、人身事故に悪態つく連中、女性専用車両のごたごた(痴漢が悪い)、酔客の横暴などなど昔から感じていたストレスがたまりにたまり
怒りMAXに達したため、会社の徒歩圏内に引っ越すことにした。(会社および仕事自体は好きであるし、そこそこホワイトであるため、転職は×)
徒歩20,30分なら全然OK、そんなスタンスで探してみると意外に条件にあう物件はある。
家賃は高い、当然高い。60%ほどあがった。 全体的なスペックはまあまあだが、広さは40%減である。
周辺の物価はそれほど変わらない。もともとすんでいる人がたちがおり、やすい商店もけっこうある。
意外と住みやすいことがわかった。とはいえ家賃のせいもあり、かなりカツカツである。
だいたい半年ほど徒歩通勤をしているが、端的に言って最高である。
道を歩くときに俺を圧迫してくるものはなにもない! 悪態罵詈雑言を吐く連中もいない!!
天気が悪いときはつらいのだが、電車に比べれば屁でもない。(ちなみに屁をこいてもよい!)
梅雨時や夏場がどうなるかはちょっと不安であるが、対策は今のうちから考えておきたい。
もし通勤電車の混雑にうんざりしていて、頑張れば引っ越し可能という人には激しくおすすめしたい。
あなたが電車に乗るのをやめればその分のスペースが空いて、混雑解消に一歩近づくぞ!!
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「これを見てください」
フォンさんはそう言って、ダンボール箱を机に勢いよく置いた。
その中には、シューゴ監督の降板に対する抗議文、メールで届いた写しなどが大量に入っていた。
「もちろんこれだけじゃありません。まだまだ持ってきていますからね」
父たちの打開策はこれだった。
重役たちは机の上に積まれた抗議文の山を、ただ黙って見つめていた。
それには理由があった。
「更に付け加えるなら、この抗議文はスタジオにきたものだけです。皆さんの会社にも同じくらいの……或いはそれ以上の抗議文が届いたのではありませんか?」
親会社やスポンサーにも、メールなどで抗議するよう世間に促していたのだ。
そもそもシューゴ監督降板の要因は、親会社が世間の風当たりを気にしていたからだ。
その世間が味方について、逆に親会社たちの敵になろうとしているならば、方針を変えざるを得ない。
「確かにシューゴさんの言動は反感を買いやすいです。色々とコンプライアンス違反もやらかしています。でも、それは彼なりに作り手としての矜持が常にあったが故です」
「もちろんアニメというのは監督一人で作っているわけではありません。それを踏まえてなお、今の『ヴァリオリ』があるのはシューゴさんの存在が大きいですし、そしてこれからもシューゴさんなしの『ヴァリオリ』なんて考えられません!」
当然、これは側面的な話でしかない。
抗議文を書いた人間の多くは『ヴァリオリ』のファンである人たちが多く、シューゴ監督を嫌う人たちは依然変わりない。
それでも、シューゴ監督が『ヴァリオリ』に必要であるという声も強いことを、否が応でも分からせるにはベターな手段だったのだ。
「皆さん、いま一度考えてみませんか。所詮アニメもビジネスです。コンプライアンスは大事でしょう。でも同じくらいクリエイター本位であることも大事なのです。それがアニメのクオリティにも繋がり、売り上げにも繋がりやすくなる。なぜなら彼らが見たいのは、こんな水面下のトラブルではなく、あくまでアニメなのですから」
こうしてシューゴさんは、今も『ヴァリオリ』の監督を続けているってわけだ。
ここで話を終えて、めでたしめでたし……でもいいかもしれないが、現実というものは綺麗に終わらないことが多い。
「視聴率は下がっちゃいましたね……それでも十分に、人気と呼べる程度ではありますが」
「まあ、作り手が同じだからってクオリティが安定するかはまた別の話だからな。同じ監督が作っても続編でコケるなんてのは、よくある話だ」
シューゴさんはそう言っていたが、実際の出来はこれまでと変わらなかった。
大きな要因は他にあったのだ。
そういった情報に敏感な人間はバイアスがかかってしまい、アニメを楽しく観れなくなっていたのだ。
「着ぐるみの中に人がいることを分かっていても、その中身を見せ付けられると興ざめする人間が出てくるみたいなものですね」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです。それにしても、作品の内容自体は問題ないのに、こんなに顕著に反応が変わるんですねえ」
「そうです。小便を完全にろ過しても、それが元は小便だと分かってたら嬉々として飲みたいとは思いません。変態でもない限り」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです」
「えー、つまり大半の受け手にとって、アニメってのは“現実”から離れていて欲しいってことです」
「そんなものと向き合いながらだと、アニメを楽しめない人間だってたくさんいる。そして俺たちはそんな人間を区別してコンテンツを提供することはできない。物理的に不可能なんです」
「不条理ですよ、そんなの。じゃあ今回の一件で誰が得したんですか」
「そんなのオレだって知りたい。まあ、ちょっとやそっとのことでゴタゴタしたりガタガタになるってことは、そのコンテンツ自体が実は大したもんじゃないってことの証明ではあるわな。今回、馬脚を露わしただけのことだ」
なんだか釈然としない話だが、とどのつまりアニメは観たいやつが観たいようにしか出来ていないってことなのだろう。
そして、そんな人間のために父やシューゴさんたちが日々翻弄されているのを思うと、アニメ関係の仕事は割に合わないなと俺は思った。
ずっとおかしいと思っていたし、今も変だと思う。だけど、よくよく調べてみると親会社の文章作成ルールブックにこうしろと載っているのだ。
ルールがあるならば、文化ならばしょうがない。様をつけろと書いてあるのならば、しょうがない。
だけど、やっぱり変だと思う。
こうしてシューゴさんの監督降板の報は、瞬く間に広がっていった。
様々なSNSサイトで『ヴァリオリ』関連の話が頻出し、いずれも阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「あの俗悪の権化たる、アニメーターの嫌なところを濃縮したような存在、シューゴの『ヴァリオリ』監督降板という吉報が届いた。我々の勝利だ!」
ファンは嘆き、怒った。
「うーん、何か色々と事情があるんじゃない? 知らんけど」
どちらでもない者は、とりあえずそれっぽい意見を発して、冷静な態度を示す自分に酔いしれていた。
「○○で話題に」という文言はよく見るが、世間一般的に見れば全く話題になっていないなんてのは良くあることだ。
本当に話題になっているものというのは、意識せずとも目や耳に情報が入ってきて、現実社会を侵食する。
その点でいうと、今回のシューゴ監督降板は本当に“話題に”なっていた。
俺の身近な範囲でも、それを知覚できるほどだ。
「『ヴァリオリ』はもうだめだぁ……おしまいだぁ」
バイト仲間のオサカはこんな感じで、仕事中でも隙あらばブツブツと呟いていた。
こいつは第1シーズンからのファンだったらしいから、よほど衝撃的だったのだろう。
「いやあ、でもアニメってのは多くの人によって作られているんだろ。監督一人がいなくなったくらいで、そんな悲観しなくても……」
だが、そういう軽率な発言は、熱狂的なファン相手には悪手である。
「シューゴ監督の絵コンテを見たことないのか? 彼は『ヴァリオリ』で精細な絵コンテを描きながら、同時に脚本を頭の中で作っている。それだけじゃない。時には作監を兼任し、作画までやっていることもある。それだけ深く作品に携わっているからこそ、一貫した世界観が作り上げられているんだ。他の監督が無能だと言うつもりはないが、少なくとも『ヴァリオリ』においてシューゴ監督ほどの適任はいない! それを親会社の奴らは……」
「……なあ、マスダのお父さんは『ヴァリオリ』の関係者なんだろ? 何か経緯を聞いたりしていないのか」
例えばオサカのように、情報をどんどん取り入れようとすることで解消に努めるタイプだ。
「いや、聞いていない。そういうことは身内だからといって安易に話すもんじゃないだろうからな」
俺はそう答えた。
実際、その時には何も聞かされていなかったし、俺も聞かなかった。
“関係者の話”の又聞きなんて、デマと見分けが付かないからな。
本当の意味で話題になっているものは、その事柄に大して関心のない人にまで影響を及ぼす。
例えば、クラスメートのカジマとかがそうだ。
監督降板の抗議活動で何か動画を撮るつもりらしく、俺はカメラマンとしてその場にいた。
「ああ」
ビデオカメラの先には『ヴァリオリ』の関連グッズが列をなしていた。
ファンでもないのに、このためにわざわざ買ったのだろうか。
何をするかは分からないが、こいつが目立ちたがっているときに取る行動は、大抵ロクでもない。
「え~、じゃあ今から、『ヴァリオリ』の関連グッズを破壊しまっす」
そして俺は、おもむろにビデオカメラの電源を切った。
やっぱりロクでもない。
もちろん、カジマなりの理由はあるのだろう。
つまり、あの関連グッズを破壊することは、シューゴ監督を降ろした親会社への抗議になる、みたいなことを考えているんだと思う。
まあカジマのことだから、そんな理由すらなく思いつきでやっている可能性も高いが。
いずれにしろグッズを買った時点で売り手の懐は潤っているし、それを壊すというパフォーマンスがロクでもないことは同じだし。
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「え!」
シューゴさんは口ではそう言っているものの、その態度は白々しい。
上から何かを言われるのは今に始まったことではなく、いちいち真面目に相手をすることが億劫だったからだ。
そして、そんな二人の間を取り持つフォンさん。
父にとっては定期的に見る構図であった。
もちろん、それを俯瞰して見ようとする父も、その“構図”の中にいるのだが。
「ほう、分かっていらっしゃらない? あなたが先週、ブログで書いた記事を読み聞かせましょうか」
『ヴァリオリ』の総監督であるシューゴさんは非常に我の強い人物だった。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと公言することを憚らない。
そのため、彼がブログなど様々なメディアで口を開く度、波紋が広がることは日常茶飯事であった。
シューゴ監督を雇っていたスタジオの親会社はその言動、ひいては存在にいつもヤキモキしていたのだ。
「だったら、我々がなぜ怒っているのかも分かるでしょう! あなたはもう少し、自分の言動が周囲にどのような影響を与えるか考えるべきだ」
このご時世、何かを好きだったり嫌いであるだけで誰かに不自由な思いをさせる。
「オレが気を揉む理由がない。間違ったことは書いていませんし。それを納得できない人間がいるのなら価値観の相違でしかなく、是非の問題ではないでしょう。もし理解することすら出来ないなら、そいつがバカなだけです」
「そういうところです! あなたの言動は、『ヴァリオリ』のファンを減らすことに繋がる。実際、あなたのブログを見てマトモに見れなくなった人は少なくありません」
「オレの人格と、作品の良し悪しは別の話でしょ。仮に同じだとして、オレ一人でアニメ作ってるわけじゃないですから。そこを切り離せないなら、それは気持ちの問題でしかない」
いつもなら、このあたりで取締役が爆発して更にデッドヒートするのだが、今回はそうじゃなかった。
「いえ、ま、待ってください! 確かにシューゴさんはこんな感じですが……」
このあたりで父も、今回はいつもとは別ベクトルでマズい状況だと薄々思い始めていた。
「“シューゴ監督”……あなたのスタジオにおける……特に『ヴァリオリ』においての功績は、我々も十分に理解しているところだ」
「だが、それでも尚。あなたをこのまま監督として使い続けるリスクは重い、という結論になりました」
そして、嫌な予感が的中する。
父やフォンさんはショックを隠せないのに対して、シューゴさんは意外にも狼狽えていなかった。
「ふーん、そうですか。じゃあ、これで話は終わりっぽいので帰りますね。お疲れ様でした」
むしろ、あっけらっかんとそう言ってのけ、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
父やフォンさんは慌ててシューゴさんの後を追う。
私の業務は専門的なものなので専門的知識がいるんだけど、正直勉強以外はその専門知識を磨いていたような女なので、その辺の人よりは詳しい
親企業は一流大学出たエリートが知識もなしにその部署に放り込まれてるので知識あんまりない
なので私にとっても聞いてくるのだけど、正直、あなた私のうん倍のおちんぎんもらってるんだから自分でなんとかしてくんないかな…とか思う
私があなたたちに自分の知識を披露してそっちのトラブルなおしてあげたところで、私のおちんぎんあがらないし、ていうか女は出世できないし
でさあ、なんか親会社の人たちとか誤解してるみたいで、人によっては増田係長とかメールに書いてるの
親企業は女性も活躍してて課長とか部長とかいるのはわかってるけど、こっちは絶対ないんだって。
前にはなしたことがあるんだけど、ええ、それだけ知識があるのに?とか言われるんだけど、いや、うちの会社、出世するのは知識があるかどうかとか仕事が出来るかじゃなくて、上層部の前でホステス出来るかどうかだから
社内で誰も英語喋れないからしぶしぶ社外担当私一人でやってるけど、平だからね。女性部長も課長もわわわわわたし、英語できないから!増田さんよろしく!で話してくれないもん
親会社が出向で自社に迎えたいらしいんだけど、出向なんてしたって給料あがらないし、周囲の人の数分の一の給料もらって、なんで大企業様の尻ぬぐいしなきゃならんのよーいやよー
出向じゃなくて親会社にいれてよーだったらいくよー
それにしてもすごいなーと思うのが、おっさん連中は「おんなのくせになまいきだ」って態度丸出しなんだけど、若い子ほど、男女差気にせず「教えてください!」って言ってくるのよね
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
正直難しいかと思っていたけど、子育てに理解があるまぁまぁの企業から一次面接通過した旨をもらった。
純粋なSEではなくなるが、上手く行けば自社定住の上、仕事内容も面白い。賃金も上がる。嬉しい。
昨今減っていく一方だった自信が潤う。
この波に乗って転職を決めたい。
転職活動をしているが、実は、別に増田の務める会社はすごく悪いわけではない。
むしろ全国平均よりはぜんぜんいいほうだ。
詳しく書くと身バレするので避けるが、女性に関する制度や管理職比率で売りにしているところがある。
長年お付き合いあるところの成長もできない案件に押し込められて、
性別差別が少ない業界だ!って若く希望に燃えるSEのお嬢さんに夢のないことを言ってすまない。
ただ出産育児はどうしても日本は女性に全て押し付けられてしまう事実からすると、後々悩みたくないなら外資をオススメする。
激しく旦那も外資をオススメする。英語を頑張ってほしい。増田は学歴的に無理だったが。
それはさておき、夫もSEで、しかも常駐先が遠いため、増田が子供の送り迎えをほぼ一手に引き受けている。
この現状では、ほぼ残業できない。
そう考えると、成長機会のない仕事をしてる暇はワーママには一分たりともないことに気がついて、復帰して落ち着いてからと言うもの、すごく焦ってる。
首切られない、または潰れても他の会社で、国際情勢も合わせると、最悪海外で子供を喰わせていかないといけない。
それに趣味にもお金使いたいから、能力に伴って、給料も上げていきたいんだ。
だから残業してバリバリの人ほどの成長スピードは無理でも、せめて成長はできる仕事はしないと、60歳になるまで前線で技術者やってられる気がしない。
今の会社じゃ、ワーママに成長機会を与えてくれるかというと、残念ながら、ほぼない。
子供の手が離れるまでは、良くてリーダー、開発の手伝い。大体は運用、保守。
場合によっては事務系に転向させられる。やんわりとした首切りも見かけた。
ごく普通の会社に所属する特殊能力のない大半のワーママSEって、いつその立場になるのか、怯えながら、給料も上がらないのに成長せず糞つまんねえ向かない案件ばっかりやらされた上で「仕事をもらえて有難うございます」みたいな顔しなきゃならない会社勤めを強いられてるんですよ。
と、面接受かったよの報告と共にこの考えを夫に言った所
「そこは親会社の使えないやつが集められた所」
「お前は子供が要るのに転職するリスクなんも考えてないな、相手に踊らされてるだけ」
ってね、言われてね。
増田はそれを言う精神が理解出来なさすぎて唖然としたし、喧嘩してしまった。
自分の仕事の愚痴ばっかりで増田の愚痴の一つも聞かなかっただろお前はよ~。
自営業の親を持っているせいか、ケツが小せえなあと思ってしまう。
伴侶の見る目は、信用されてないんだろうか?
というか、ワーママSEだからこそ、技術や手に職をつけないといけないと必死におもってる増田は、おかしいのだろうか。
増田は、ワーママという括りではなく、興味のある仕事で、給料もあがる、どこでも勤め出来るだけのスキルを手に入れられる、という当たり前の理由で転職したいだけなんだが。
追記:
夫氏は神経質すぎる家庭の主婦が一番似合っているという気はしており、できれば増田が稼いで家族を養うほうがいいとは前から思っている。
この場合増田のそれほどでもない能力と性別差別等のガラスの天井が問題になる。最悪それは起業すればチャラになるが。
ただまあ、どっちかというと、以前夫氏が病んだ時、増田が
「いいよすぐ辞めて養生してから転職しろそのくらいの金はある」
って言ってたのに無理やり影で転職活動してて大手ばっかりうけて(全部落ち)たって事件があって、
増田の状況を話した上で「踊らされてる」だの「大手の親会社以外移動に意味がないでしょ」だのって言ったことが、愛がなさすぎてドン引きしているのが一番引っかかってる。
勤めている会社が、進出しているエリアで、少し話を聞いたわけで、思ったことをつらつらと。
僕は、多分そのエリアに先遣隊じゃないけど早い段階で、しかも深く関わった社員の一人なのだけど。多分、部署内では一番早かったのではないかな。他の人も行ったことがないではないけど、僕と同レベルにそのエリアの人達と仲間になった人は多分いなかろう。
結局、この仲間というのが大事なんだろうけど。
そのエリアの人達ってのは僕の勤める会社の親会社ではないけど、主要なお客様な会社の人達で、だから僕にとっては他社の人達で、むしろだいぶ気を使わなければならない人達なのだけど、まぁ、何個かのプロジェクトを無事に終わらせるために協力しあって、結果、多分自分の会社の人達よりも仲良くというか、仲間意識が僕にはあった。
だからこそ、最近進出した同じ会社の他の人達から、その人達の悪口というか、都合の悪いことへの愚痴を聞くと、なんとなく、嫌な気持ちになるのだ。多分、彼らの立ち位置を分かっているからこそ、そしてうちの会社としてそこは上手くやらなきゃならないところだと分かっているから。上手くいなせない、うちの会社の方々があかんのだ。お互いの立ち位置を分かった上でこそ交渉は成り立つものだろう。
でまぁ、僕が一切関わらなかった、そのエリアでのある仕事について、うちの会社の仕事について、それはだいぶ悪い評判が聞こえてくるのだ。無駄に時間をかけてる割に仕事が進んでいないだの、コミュニケーションがうまく取れていないだの。
そのプロジェクトを担当したのは、年上ではあるけど僕と同期で、まぁ、僕はそこそこ頑張ってると思う。彼は、結婚して、友達もいっぱいいて、家も建てて、多分、世間体的には彼女いない歴イコール年齢で友達もろくにいない母親と同居の僕なんかよりよっぽどリア充で、きちんとしたまともな人生を歩んでる。けれど、まぁ仕事について言えば、多分、僕の方がずっと、コミュ力が高いらしいのだ。馬鹿げた話だ。
多分、今までそのエリアで仕事してきたのは、自分のことを言うのもなんだけど、自分を含めて、お客様にとって優秀な、社員ばかりだったのだ。
それが、僕の会社のスタンダードとも言える彼らが、出てきて、イメージがガラリと変わる。彼らが、うちの会社のスタンダードなのだ。
仕事には、仕事に関わらず向きとは向きがあるし、それは多分他者には無理やり変えようのない事実。そんな、向かない彼らをいかにして優秀に育て上げられるか、そこに、会社の今後はかかっているだろうに。
「できる」ところを見繕って見せてはいるけれど、裏側はそこまで「できない」人達ばかり。それがうちの会社だ。
それが、勘違いをして膨張しすぎている。
これから、いつ化けの皮が完全に剥がれるか、怖いようでいて楽しみなものだ。
それとも、化けの皮は剥がれないまま会社は存続してゆくのだろうか。
組織をでかくしていくには、できない人をいかにできるように育てるか、向かない人をいかにしてできるように育てるか、それが大事だと思うんだけどな。できる人ばかりが集まるわけではなかろーに。
それくらい、分からないではなかろーに。
僕も一線を引くことにしてるし、さて、これから彼らを会社はどう使ってゆくだろう?
怖いようでいて、楽しみ。楽しみなようでいて、メチャクチャ怖い。
https://togetter.com/li/1185610
300万が妥当かどうかは置いておいて、何十年も既存システムのお守りをしているシステム会社の技術力が古いままで止まっている、というのはある程度同意する
だまされてるのは中小企業
よくわかってないから、これが妥当なんだ、と思って使いにくいシステムを延々高い保守費用と改修費用払って使い続けている
俺は、IT屋から某中小企業のシステム課に潜り込んだ人間だが、このご時世に、オブジェクト指向も分かってないようなシステム会社が、VBA時代のようなロジックでごりごりと作られている使いにくいシステムに無知な企業がお金を払い続けていて唖然とした
そのシステム会社とのつきあいはじんわりと減らしていって、俺が見つけてきた技術力のある会社に開発をシフトした
元々のシステム屋が打ち合わせの時に、俺が参加し始めてから明らかに「やばいこいつ技術分かるわ」という顔していたの覚えてる
俺のところはそのシステム会社とのしがらみが、偉い人同士の何十年にもわたるおつきあい、以外になかったからなんとかなったけど、TOYOTAみたいに子会社がシステム屋だと、会社変えられなくて大変だよな、と思う
子会社も寝てても親会社の仕事が入るから技術力磨こうとしないんだよな
経験済み
ここ10年とは言わないまでも、7,8年ずっと見てきたつもりではあるニコニコ動画。
いつの間にか、ゴテゴテ(後手後手)のサイトに成り果てていたと思われている。
2011年に開始されたクリエイター奨励プログラムは、Youtubeよりも早く、当時は画期的だった。
当時がニコニコの最盛期であろう。
先日の新バージョン(く)の発表以前から、投稿される動画も減りユーザーも離れていったことは、事実である。
プレミアム会員が当たり前だった頃から、プレミアム会員が馬鹿にされるようになったのも、ここ最近のことである。
ニコニコが、没落するまでの間やっていたことといえば、個人チャンネルの強化やニコニコ広告の機能追加、マルチメディアプラットフォーム化(=複数の媒体への対応や、政治・芸能・音楽・ニュース・ラノベ・漫画との連携強化)が主であったように思う。
親会社の意向(威光)が強いのか、船頭が多いのか、二兎も三兎も追いかけたことで、本流の動画、生放送を放置した。
さらには、ユーザが見たいものよりも、運営に都合の良い、運営が見せたいモノを見せるようになった。
これらの施策は、収益の多角化と売上の増加を狙ったと思われるが、現状を見る限り、見事に失敗している。
とすると、はやりプレミアム会員の大半は、生放送と動画を見にニコニコにやってきたのではないだろうか。
Youtubeはこの間、広告収入のシステム導入、動画配信システムの強化、生放送への対応と、本流のサービスを強化し、コンテンツ(動画や配信)はユーザに任せる形式にこだわった。
やはり、長期的・安定的に課金をしてくれるシステム・ユーザが、利益を上げる上で非常に重要であると教えてくれる。
何が言いたいかというと、売上と短期利益の至上主義は古くなり、長期の契約を結び、お互いが安定して利用できるものが生き残るじゃないかと思う。
外資ITコンサル(アウトソーシングコンサル)と独立系内資SIer(の子会社)に内定が出た。
でも多分外資だと初っ端はただの運用、ちょっと上がったら金の計算と人の手配しながらExcelしばくばっかりになる気がする。
内資子の方は親会社の技術部隊切り出した会社だから、良くも悪くもこの先も現場でシステムをしばき続けられるだろう。
どっちが幸せなんだろうか。
親会社が変わった。
営業とか事務職ではない、ちょっと変わった技術職のサラリーマン。
今までは、例えて言うなら、居酒屋バイトで自分でまかない作って食べたりしてもOKな感じで楽しくやっていた。
親会社が変わって、勝手に食べてはダメだということになっても、業界慣例に従って誰も何の悪気もなくまかないを食べていた。
ところが、友達にまで無料でかなりの金額の飲食物を無料で提供してしまう、的な事件か明るみに出て、事態が急激に動いた。
新会社になってからまかないを勝手に食べていたことがバレたやつはクビ、もしくは減給の処分が下された。
そんくらい役得じゃんか。何でもかんでも正しいことが絶対なのか。
おっさんもう子持ちだし、片働きで妻に稼ぐ力はないから大きな借金を背負って独立は躊躇してしまう。
もうそういう会社になったんだな、と思うと、今後何も会社に意見する気も起きない。
何か言うだけバカを見るだけで、とにかく上の言うことを忠実にする者だけが生き残れる世界なんだな、ということを強く感じる。
こうやって企業って腐っていくんだろうなぁ。何かすると叩かれるから上の言うことがおかしくても従いつづけるしかない。だって皆んな生活があるからな。
独立していった同僚たちが羨ましくて仕方ない。