はてなキーワード: 菩薩とは
ずーっとモヤモヤしているので文章として形に残しておこうと思う。
モヤモヤを吐き出すだけなので、おかしなところがあるかと思うがご容赦いただきたい。
各所で散々まとめられてるのでここでは軽く触れるにとどめるが、シンデレラガールズの以下のWebラジオでCV未実装である「高峯のあ」に対し、五十嵐から以下の発言があった。
THE IDOLM@STER webラジオ~バンプレストスペシャル~カホーは寝て待てっ!(第6回放送より)
http://www.nicovideo.jp/watch/1535954945
一部抜粋:
五十嵐裕美「やろっか?」
そもそもアイドルマスターシンデレラガールズは、リリース開始から多数のキャラクター(アイドル)を追加し、その多くがCV未実装である。
CVは一年ごとに行われる総選挙で上位入賞するか、メディアミックスやCDリリース等の際にサプライズ的に追加される。
アイドル数は総勢183人、このうち半数以上には現時点でCVがついていない。
彼女を担当するプロデューサー(プレイヤー)は彼女にCVがつくことを夢見て、ゲーム内でも、ゲーム外でも日夜活動している。
なぜCVが重要なのかというと、CVがつく=担当アイドルの出番が増える、ということだ。
CDリリース、デレステでのイベント、ライブ、etc...CVありと無しではその露出度は雲泥の差である。
なので、CV無しのアイドルを担当するプロデューサーは、担当にCVを付けようと必死だ。
五十嵐の発言はそんなプロデューサーを馬鹿にしているかのような発言だった。
主に高峯のあを担当する人や、他にもたくさんいるCV未実装のアイドルを担当している人の多くはこの発言に怒っていた。
かくいう私もその一人だ。(のあさんではないが、声なし担当)
そりゃ自分の担当に声つかなそうとか言われて笑われたら、普通に腹が立つというものだ。
「(のあさんはキャラのイメージに合う声を出せる人が中々見つからないので)つかなそう」と読み取れるのでは?という意見もあるが、じゃあ続く「私やろっか?」は何なんだ。
シンデレラガールズのCVってそんな軽いノリでやっていいものなのか?そうは思いたくない。
とにかくこの発言は声なし担当にとっては、声なしアイドルとそのプロデューサーを馬鹿にしているとしか取れないのである。
一方で「炎上するほどじゃない」「元からそういう性格なんだし」とか言ってる人も見かけた。
そういうことを言ってる人の殆どが声付きアイドル担当で、言ってしまえば「自分とは関係ないから」というスタンスの人である。
(声付きPで今回の件に立腹している人がいたらすまない。私は上記のような人を沢山見たので)
自分が担当するアイドルが馬鹿にされたり軽視されたりするような発言をされても、同じことがいえるのだろうか?
また意外な事ではあるが、ごく少数の声なし担当の人も「気にしていない」という人がいた。菩薩の心を持っているのだろうか…。
それと、可哀想だったのがこの件に心を痛めている杏P。
自分の担当アイドルの中の人がこんな心無い発言をしたんだもの、そりゃ心中複雑であろう。
「杏に罪は無い、杏の事を嫌いにならないでほしい」という言葉を見かけた時、胸が痛くなった。
私だったらこんなことがあったら、担当の事を素直に見れなくなってしまうかもしれない。
五十嵐裕美については、前々から「コイツ大丈夫か?」と思ってはいた。
何かのニコ生に出た時、明らかに曲を聴いてないような発言をしたり、色々と危うかったり、コンテンツに対してドライな人だと思っていた。
所詮アイマスも仕事でやってるのであって、自分の役とその周辺くらいにしか愛着はないんだろうな…という認識だった。
それが今回の一件で完全に「嫌い」になった。
散々尊いだのいい曲だの言っていたあんきらもスローライフも、イントロが流れるだけで「あっ…」ってなってしまって、いいと思えなくなってしまった。
楽しみにしていた5thライブSSAのBDも、DAY1を再生して五十嵐が画面に映ったり歌ったりするたび「なんだかなぁ…」という気持ちになり、素直に楽しめなくなってしまった。
幸いなことに、双葉杏については嫌いにはなっていない。キャラクターに罪は無いとどこかで思っているのかもしれない。
色々と嫌な思いもしたが、今後もアイマスPは続けていくと思う。
そして次こそは担当に声をと夢見て、次回の総選挙に臨むのだろう。
その時は、一人でも多くの、今まで注目されにくかったアイドル達にスポットライトが当たって欲しい。
という事を最近つくづく実感する。理由?メルカリ便で出そうとする出品者の梱包に対するモラルの低さだよな!
これ中学生のガキだけじゃねえんだぜ?立派な大人がこれやるんだぜ?
なんで最近の100均は発送用包材に力入れてるか分かってんのかあいつら。メルカリやオークションでニーズが増えてるからだろうがドアホが。
そもそもその厚さで何でネコポス利用しようとした!言え!65円もケチるのかよ!ヤマト行って相談してきやがれ!
これを飲み込みながら「梱包し直して出直せドカス」をオブラートと八つ橋と饅頭生地に包んで引き攣るこめかみを抑えつつ笑顔で接しなきゃならねえのほんと苦痛。慣れてる人は本当に丁寧な梱包するから余計目立つんですわ。
売って終わりじゃねえんだよ!相手に届くまでにいかに綺麗に保てる様に送るまでがてめえの仕事だよ出品者!
値下げ交渉の際に送料計算出来ないの?馬鹿なの?人間辞めたの?
って事を同業他社の知人と愚痴ってたところ、そいつのとこではサングラスを茶封筒に入れて送ろうとしたツワモノがいたそうだ。
脳みそ塵芥かな?って言ってたけど「それ脳みそうんこやで」って言おうとしてやめた俺は褒められていい。
なんっっっで自分がされたら嫌な梱包を相手にするのかなあ、それとも自分はそんな梱包されて破損汚損されても文句は言わない菩薩です、ってことかね?
多分違うんだろうけど。
オウム真理教の思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。
オウム真理教が経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲームで数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲームを販売していた。
イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。
朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。
Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.
ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
上記5名が、どのようにオウム真理教の思想と関連しているのか?考察してみよう。
奈良県のせんとくん、経済効果が2105億円だか何だか知らんけど、いろんなもんが多過ぎ
まわしを締めた「相撲せんとくん」、桜の花が頭を飾る「桜せんとくん」……。現在、オリジナルのせんとくんを含め、8パターンのデザインが存在する。
県の使用指針には「違う要素を加えたり表情など細部を部分的に加工することはできません」と著作権保護のため、厳格な規定がある。テーマに沿ってせんとくんをアレンジするには、その都度、新たなデザインが求められるのだ。
県は売り上げや製作費用の3%をライセンス料として納めることなどを条件に、商品や広告に利用することを認めており、遷都祭があった10年度には約4900万円の収入があった。
ところが祭りが終わって一段落した11年度は、699万円に激減。同年に県のキャラクターになったのを機に、県は12年度に、「官服」「桜」「紅葉」の3デザインを追加しててこ入れを図ったが、各地に次々と特徴的なゆるキャラが誕生する中で存在感の低下は否めず、16年度は154万円にまで落ち込んだ。県は先月、さらに「はかま姿」を投入し、起死回生を狙う。
通称「海づくりせんとくん」。2014年に開かれた「全国豊かな海づくり大会」PRのため、前年に誕生した。デザイン料約60万円、着ぐるみ代約180万円をかけて作成したが、大会終了後は大型商業施設でのアマゴ販売イベントなど、3回しか登場していない。
県農業水産振興課の一角で、「海づくりせんとくん」は箱に納められている
昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」に登場した通称「はかませんとくん」も、同様の状況に陥る危機にある。デザイン料約60万円、着ぐるみ2体計約330万円をかけて生み出したが、運営を担った大会特別課そのものが、来年度にはなくなる見込み。
実は、私たちが目にするせんとくんには、2種類があるらしい。県の主催事業や県外で催されるPRイベントで会えるせんとくんの多くは、プロのスタッフによるもの。自治体が主催する小規模な行事などでは着ぐるみを貸し出すだけで、自治体職員などがその役目を引き受けているという。県観光プロモーション課幹部は「時々、『元気がない』と指摘をもらいます」と明かす。
ツイッター社の公式マークがついているのが「せんとくんのつぶやき」だ。
奈良県庁の担当者によると、こちらのアカウントでは、主に奈良県全体に関わる情報を発信しているという。もう1つのアカウントが「せんとくん 《OFFICIAL》」で、こちらはせんとくんの活動報告などをメインに発信している。
ツイッターでは奈良県庁が管理する公式アカウントのほか、非公式アカウントもあり、人気のものではフォロワー数は7万を超える。
県ならの魅力創造課の担当者は「問題になる内容はなく、目くじらを立てるつもりはない。持ち味の違う2人のせんとくんを楽しんでもらえれば」と静観しつつ、「公式のフォロワーも増えればありがたい」と期待する。
※なら和み館の場合
「今は売り場のほとんどが『しかまろくん』で、『せんとくん』の売り場はここしかありません」
奈良市観光協会が5年前に作った「しかまろくん」に追いやられてしまっています。
【土産物店の人】
「『しかまろくん』のほうがやっぱり。『せんとくん』は商品がかなり少なくなっている」
お客さんが手にとるのも、「せんとくん」ではありません。
【子供は】
「駅前の土産店なんですが、他のキャラクターグッズに比べると、せんとくんのグッズはやや少ないように感じます」(記者リポート)
店内には奈良市観光協会のマスコットキャラクター「しかまろくん」が所狭しと並んでいて、せんとくんは片隅に追いやられています。
「だいぶ減りましたね。遷都1300年祭が終わった年くらいから、問屋さんが在庫で終わらせていくみたいな感じで」(土産物店)
其名曰。阿若?陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦
訶迦旃延。阿?楼駄。劫賓那。?梵波提。離婆
多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘?羅。難陀。孫
三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。
転不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏
所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。
訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二
倶。有四阿脩羅王。婆稚阿脩羅王。?羅騫駄
阿脩羅王。毘摩質多羅阿脩羅王。羅?阿脩
礼仏足。退坐一面。爾時世尊。四衆囲繞。供養
義。教菩薩法。仏所護念。仏説此経已。結跏趺
坐。入於無量義処三昧。身心不動。是時天雨。
遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼?天。於此世
当以問誰。誰能答者。復作此念。是文殊師利
界荘厳。於是弥勒菩薩。欲重宣此義。以偈問
曰
今日も今日とて夜勤の待機時間を利用して委員長の夜間ラジオを聞いてた。
職質の下りで盛大に年齢自爆したあたりは吹いたし、東京都北区赤羽が巡礼地として名前が出てきた時も大受けしたし、セルフボイチェンにその場にいないヘラピンさんを思いだし涙が拭えなかった......
けれども、あんまり詩子姉さんとの絡み上手くなくて結局自分のスタンスで話始めてそれが面白いから感想に困る。
でろーんさんとの話だと、素が出てて可愛いとも一瞬思ったけど、今日はちょっと聞き苦しい。
あ、あんまり彼女横向いてないな、詩子姉さんどんな顔してんやろ、となんかそんなことがすごく気になった。彼ぴっぴって言葉が、少なくとも彼ではない彼女を除外してて途中からすごく気にさわった。
委員長の雑談系ラジオは好きで、仕事に鬱屈したものを感じたときは聞き流して時折笑って元気を貰ってるくらいにゃ好きだが、今日は駄目だった。
お仕事だし、ゲスト招かないと会社回らないし、サブカルと腐女子という性別以外重なりが実はないことは分かるが、人の話を聞いて人の話を繋げて盛り上げようや。ゲストさしおいて、何自分で1人その場を食ってんだろ。
友人がいないからこそ、独創性が育まれるから(友人はいらない)的な考えが端的な特徴で。
そんな痛いこと考えてたけど違ったわーという落ちに持ってくこともなく、なんかそれを振りかざす委員長とえ、友達と一緒にいて楽しいじゃんという詩子姉さんとのすれ違いは痛々しかった。その辺が一番琴線に触れた。
空きあらば自分語りするが、俺も大学受験で全てを捨てたつもりになって、その上で今親友と呼べるやつはその空白期間に愛想悪くなっても相手から切らなかったし友人関係を続けてくれた菩薩みたいな人で、そして今の昼を支えるために夜を働くくっそ苦しい生活を後押ししてくれたのもその親友だ。ふざんけんな、友人捨てても独創性はついてこねぇ。独創性を出せずにいる自分が独り耐えられなくなるだけだ。畜生。
このままだと、10年後の委員長が早くも自分の中で過去形になりそう。今日の委員長はとにかく嫌な感じだった。二人以上で喋っているときと一人のときとで話題を使い分ける態度を身につけてほしい。キモいおっさんとして一女子学生に切に願う。
IT企業に勤めていてよくありがちな話なんだが、仕様変更を直前で言い始める
そのくらいの修正でこんな金かからないでしょ、と言われ、説明しても客のメンバーはエクセルの数式も分からないレベルなので、理解して貰えない
なんてことが続き、担当者がもう根をあげてしまう糞みたいな客があった
二言目には高い高いと言い出す
正直こっちとしては契約終わらせたかったが、基幹系システムのお守等で固定的金額が毎年入ってくるので、上はいい顔をしなかった
相手はそれも分かっていて「保守費用内でなんとかしてよ」とすぐ言ってくる
どう考えてもこれは追加作業だろ、ってのまでタダでやらせようとして、こっちが必死になってなんとか断っての繰り返し
そんな糞客の打ち合わせに昨年行ったとき、新しい人が増えていた。Aさんとする
なんだか中途採用で雇った人だそうで、昔はプログラマーをやっていたとやらで、終始こちらの側に立ってくれた
客のおっさんが「そんなん大して掛からないだろ」みたいに言っても「いや、経験上この仕様変更は思ったよりかかりますよ。お金払わないと」という感じで言ってくる。
菩薩かと思った。
それ以降、機能追加、仕様変更などの作業をお願いされるときも話が早い。
「この機能なら一ヶ月くらいかかりますよね、お金お支払いするんで見積もりください」といきなり言われる。
今までなら保守でやれとか言われていたのに。
完成前に突然の仕様変更が発生しても
「このタイミングで変更になってしまってすみません。とりあえず今回は運用で対応するので、又別途お願いします。追加料金払いますので。下手にXXの機能を公開したらあとの修正が大変だと思うので、とりあえずメニューから飛べないようにだけしておいてもらっていいですか?ここの機能は後日公開というふうにユーザーには連絡します」
もう神だよ。
救世主だよ。
みんなに嫌われていた客が、Aさんによって神に変わった。
前に、二人きりになった時に、ありがとうと気持ちを伝えたんだけど、その人は照れたように笑いながら、「いや、私もそちらの側だった人間ですから。今まで無茶ばっかり言って来たみたいで、ごめんなさい」
とか言ってくれた。
最近打ち合わせに行くときに毎回、Aさんに会える、と浮かれてる自分がいて、やばいかもとは思っていたが、先週の打ち合わせの時に、いつも結んでいた髪を下ろしていて、すごい綺麗に見えて、なんかこの気持ちはまずい、と嫌な予感がした。
飲みに誘いたいけど、でも、お客さんだし、優しくされてされて勘違いしてるだけかもしれないし、あの薬指に指輪がある日ついてたら、とっても落ち込むんだろう自分がわかる
「彼氏のどこが好きなの?」と聞かれて、「見た目が好みだから」と答えると、ほとんどの人から呆れたような反応が返ってくる。
その一方で、「優しいところ」とか、「趣味が合うところ」とか、何なら「安定した職業についているところ」(今どきそんな職業ってあるのかは置いておく)とか、そんな答えをすれば、「わかる~!私たちももう大人だもんね~!」みたいな反応が返ってきてその場は平和に収まる。
私はこれが本当に気にくわない。なぜ人を見た目で判断してはいけないのか。
一般的に良く使われる論法は、「見た目は努力で変えられないから」というものだと思う。
じゃあ、性格や趣味や安定した職業に就くための能力は、全て努力で獲得できるものなのだろうか。
些細なことで腹が立つ自分に何度も嫌気がさし、もっと穏やかに生きようと何度思ったことかしれない。
しかし結局は、電車の中で嘘泣きする子供や秒速1メートル以下で歩く老人やベルトの上に腹の肉が乗っても平気な顔をして生きているおっさんに対して無意識のうちに苛立つ毎日を20年以上繰り返している。
その一方で、そんなことに1ミリも苛立たない(私から見れば)菩薩のような人も確かに存在していて、しかもそれは別に努力の賜物ではないらしい。
趣味や学習能力も、ある程度の生まれつきの性分と幼い頃の環境によって、大まかに決定されることが多いと思う。
読書や美術館巡りを趣味としているインドア人間に対して、いきなり登山やプロレス観戦を勧めても受け入れにくいだろう。
小学生の頃から塾に通って何時間も勉強してもMARCHに入れない人もいるし、高校三年の冬休みから勉強を始めて東大に合格する人もいる。
結局、全て生まれつきの能力・個性に大きく左右される要素であることに変わりはない。
それなのに何故、見た目に関して言及することだけが幼稚なことだとされたり、タブー視されたりするのか。
美しい風景や芸術品を見れば自然と感動するのと同様に、綺麗な人を見れば無意識に良い気持ちになる。
そのような無意識の感情を制御しようとするのは、ある種の理性の片鱗なのかもしれない。
でも、私は美意識を失ってしまうのはとても悲しいことだと思う。
だから、見た目が良いことも性格が良いことや学習能力が高いことと同様に堂々と評価されるべきだし、(せめて身だしなみ程度に)見た目を整える努力も義務教育並みに重要視されてもいいと思う。
結論として、決して人は見た目が全てだと言いたいわけではなくて、見た目だって個人の持つ能力・個性の一つなのだから、変に特別視しなくてもいいんじゃないか、と主張しつつ、今年もできるだけ多く美しいものを見ることができるように祈っている。
自分の経血をつけて目印にする。この忍法によってつけられた血はいくら洗っても決して取れず、血を流し続ける。
性交中にこの忍法をかけられると相手は死ぬまで射精し続け、さらには血液をも吹き出して身体中の水分が抜き取られる。その後、干からびた相手に簡単な命令を吹き込み傀儡として使う事も可能。
女陰で男根をくわえ込み、すさまじい力で締め上げる。膣痙攣の応用と思われる。かけている本人が死んでも決して緩むことはなく、逃れるには男根を切り落とす以外にない。
女陰から次々と出すシャボン玉のような泡で相手を取り込み、精神を幼児退行させる。退行させられた人間は元に戻るまで10日ほどかかる。
普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像を置き、男に幻を見せる。男は幻の女の裸身に惑わされて発狂する。しかしその性質上、女には効果がない。
催淫薬を塗った吹針で女を発情させ、女陰から精を吸い取ることでその女そっくりに変身する。
俺は夢幻泡影が好き。
コミュ力とは何なのか 力というからには大小を測ることができるもの、いわゆる度合いなのか
とすれば場面に応じて測るべき度合いは変わってくるだろう
例えば合コンにおいては単純だ 多くの人にとってのそれはコミュニケーションを通じて異性を魅了することができる度合いのことだ
例えば仕事においては、これは意見が分かれるだろう だから多くの対人業務で経験しうることで挙げるとして、
異なる考えを持つ者同士が意思をすり合わせる際、双方が納得できる落としどころに着地することができる度合いのことを指すならば、
それはもう端からキツイことだろう 自分と異なる考えを持つ人となんて普通に生きているなら話したくもない 家族相手だって頻繁にだるくなるのに
つまり誰にとってもキツイことなのだ その力を比べようという世界なんて、集団で火中に突っ込んでいるようなものだ
しかしもうそういうチキンレースでしか付加価値がつかない、いやその価値さえ安く買いたたかれる世の中なのだから
これまでその能力開発から逃げてきたのを改め、コミュ力の高い人を菩薩か人外かと自分と異なる者を見る目で見ながら諦めて精進するしかないのか…
原作動かせってもう言い飽きたし疲れたし正直終わったというよりもはや死んだコンテンツかなって思ってる。例えるなら放送が終わって二期が決まらないアニメの公式が何かの記念日だったりキャラの誕生日お祝いしてイラストあげてくれたりする感じ。かろうじて(というか異常なまでに)新規絵ばっかり出してくれてるけど、公式絵師さん飼い殺されてるなあという印象しか抱けない。大好きだけど、そうじゃない。私は推しの二十歳を知らない。
女神作った必要ありましたか? 今年のAGFにリコグリやアルタイルがいることに関しては別にへえそうかって流せるんだけどじゃあ女神は? と思ってしまう。彼らよりも随分と昔から存在して時系列的にはごちゃごちゃしているとはいえ一応彼らの先輩としてツキプロに所属しているはずなんですが。リコちゃんいるから女の子NGってわけじゃないよね。アニメで変に名前出すくらいならちゃんとして。公式絵師さんの負担がかなり大きくなってしまうのは重々承知な上でそれでも彼女たちの存続を望んでしまう。メンズより音沙汰ないし死んでるけど。大体誕生日SSでしか見かけないしね。その誕生日SSすら今年に入って二回も遅刻されてるけど。
ツキウタがCD売り上げ至上主義なのは知ってるしCD売れてなかったらグッズ在庫用意してくれない会社なことくらいツキウタのオタクならだれでも分かってると思う。こないだのALIVEとか典型的なそれだったし。CD売れてないのは知ってるけどそもそも女神はCD売る気ないよね。去年の12週連続リリースも今のリコグリほど宣伝してなかったしマジでついでくらいに出してやったとか思ってない? 女神のライブさえやってくれたとは思えない売る気のなさには渇いた笑いが出る。
スケジュールの問題だったり消費者には感知できないような“大人の事情”とやらがあるんだろうけどそんなの買う側が納得するわけないじゃないですか。出せないなら出せないなりに言える範囲で今年は出せませんだのコンテンツは終わりましただの説明してくれないといい加減納得がいかない。まあツキステが続いてるからコンテンツ終わりましたとはいえないよね。ツキステは原作じゃないんだけどね。
ツキステは好きだけどツキステがツキウタだったのって初演までだと思う。初演の頃はまだドラマCDの雰囲気だったりSS垢のノリを踏襲している感じがして良い意味でも舞台版の彼ららしさっていうものがあった気がする。二幕は完結したお話だったから気にしてなかったけどムツキくんのくだりはいい加減くどかった。初演だから度肝抜かれたしこれはこれでアリだなって感じてたけど二回目からははいはいそうですねって冷めた目で見てた。スクレボのムツキくんは千秋楽のが全然面白くなかったから特典の日替わり一切見てない。
そもそもツキステが好きな人で彼らの演技を楽しみにしてる人どれくらいいる? ほとんどダンスパート目当てでしょ……私自身ダンスパートは楽しみだし、好きだけど、あれ舞台なんだよね。いや2.5次元ダンスライブって銘打ってるんだからそこが売りなんだろうけど。多分個人的にもやもやするというか、最近違和感を覚えるのはそこが原因なのかもしれない。あとキャラクターと役者の同一視。これはムービックが悪いけど。役者の写真集出したりグッズ出したりって、もはやツキウタ関係ないじゃん(笑)彼らはツキプロ所属のタレントですか?(笑)そのうちツキプロ公式HPに名前載るの?(笑)そりゃあ三次元慣れしてない人はイコールで結びつけちゃうわなっていう。ただでさえツキウタのオタク今までどうやって二次オタしてきたの?って人多いし。全員が全員じゃないけど他ジャンルだとこいつヤバイって思われてるような人がごろごろいるからびっくりする。かくいう私もそう思われてそうだけど。
うっかりステで推しを見つけてしまった私が言うなって話なんだけど、だからこそさっさとツキステから離れてほしい。あなたの実力ならこんなところにいなくても十分売れるよ。推しだけじゃなくて別の人たちもそう、成長のチャンスをツキステなんかで潰してほしくない。ツキステやるならやるで自ジャンルだし推しが出るし観に行っちゃうけど連作以外で普通年に三回もする2.5がどこにある。2.5どころか舞台方面はにわかもいいところだからあったらごめん。私の知ってる範囲では年二が最高だった。
下半期ほとんどツキステに縛られてるの、心の底から勘弁してくれ。仕事はないよりある方が断然いいけど推しのイメージがそれで固定されてしまうのが我慢ならない。
去年のAGF直後に本垢のフォロワーさんと年内に来年の予定が出るかという話をしていた時に「七巻の出る三月まで出ないんじゃないか」って言われて我慢していざ出たら夏祭り開催決定されたけどあのキャパだし舐めてんのかって思ったし夏祭り行ったら行ったで新情報もなくただ声優さんたちが今後もツキウタをよろしくお願いしますと言ってくださったきり何もないし本当にこのコンテンツ死んだな。最後にいい思い出ありがとう! くらいの気持ちで帰って来たわ。あの日ツキウタは死んだのである。
上がれるならさっさと上がりたいけど毎回新情報出るたびに文句言い散らかしてなお上がらないから本垢じゃ老害扱いされてるんだろうな。知らないけど。逆にあんだけ毎回物販だのオリショだので喧嘩売られてんのにどうして毎回みんな怒らず許容できてるのか教えてほしい。菩薩か?
ツキウタのオタクしながら後続のオタクもしてたのでアニメ化が発表された冬の陣にいたけどあの日後続も終わりだって見切りつけてCDすらまともに買わなくなった。それでも初期から追いかけてたという古参()ならではの未練たらたらっぷりで情報とかは軽く追ってて、なんだかんだアニメ一話見たら戻るんだろうなと思ってた。そして迎えたこの前の一話、あ、私の好きになったSolidSだ。そりら次元とかいう意味不明なものに侵されてない真面目な彼らがいる。彼らがアイドルしてる。そこにちょっとは心を動かされた。でもそれ以上はなかった。へえ、アニメになってる。それだけ。我ながら悲しかったけど本気で心底どうでも良くなってたんだな……と痛感した。
だからこそ余計に後続はCD出しながらアニメ化に向けて走り出せてたしアニメ化前にライブやって盛り上げられてアニメ始まったと同時にまたライブ決まってグッズも出てオリショやコラボもあってって出来てるのにそれがどうしてツキアニでできなかったのかっていう怒りに代わる。もちろんツキアニでの反省を活かした結果もあるだろうけどツキアニが私たちにもたらしたものって何だっけ。夢見草?(笑)
私、推しの成人を心から楽しみにしていたんです。でも成人した歳から公式が息をしなくなった。2016年の推しを返してほしい。アニメ軸は高校生の頃の話だったから新曲出たとしても20歳になった推しの姿は見せてもらってないんです。その上彼のキャラクターを誤認されかねない過去改変は大変許しがたい。原作軸とアニメ軸は切り離して考えてるから過去改変自体はどうでもよかったけどキャラクターが悪く思われる改変はやめてほしかったよ。
あと二か月で今年も終わりますね。去年はかろうじてアルバムで新規ドラマが録りおろされていましたが、今年は何と一作も原作から新規CDがリリースされることもなく終わろうとしています。すごい! これってもう死んだのと同じだよね!
2018年は一体どうなるんでしょうか。CD出るのかな。ここまでされててもジャンルにしがみついて期待してしまうあたりDV受けてる人間みたいだし我ながら馬鹿。
時々ステ嫌いな人からステ楽しめてる人間が文句言うのやめろとかあがるあがるっていうならあがれって言われるけど本当それな。私自身めちゃくちゃ思ってる。ステが好きな気持ちとツキウタが好きな気持ちは現状かなり乖離しててステが好きというか推しが演技してる姿を観るのが好きに変わってしまってるから観に行ってるしやっぱり金払って観てる以上は楽しまないと損だから楽しんでるわけで。あと2017年の(ツキウタの)推しを知ることが出来るのはステだけだしという諦めもある。ツキステというパラレルワールドだけど脚本はfjwrだから本家だしね。悲しいね。
プロアニでライブの話してたけどまた前みたいにツキステのダンスライブやります! とかだったらふざけんなよ。ダンスライブはまたしてほしいけどそれでツキウタのほう終わりですーって言われたらたまったもんじゃない。キャストのライブしてほしいわけじゃないんだけど後続あれだけばかばかライブしてて女神もしてるのに未だに大きなイベント一回しかやったことないのがまずもって腹立たしいしツキウタもライブできるでしょ。と思います。
他にも言いたいことはたくさんあるけど今日のところはとりあえずここらへんでいったん筆をおきます。今思いつく分を衝動的に書きなぐっただけなので支離滅裂で意味不明なところばかりでしょう。とかくツキウタにもツキプロにもツキステにも鬱憤たまりまくってるしむかついているだけの話でした。終わり。
このほか北朝鮮情勢にも言及。米国について「これほど国際法上の根拠に固執する組織体はない」と評し、北朝鮮が核実験を行っただけでは「先制攻撃をしない」との見方を示した。
北朝鮮についても「米国に軍事力を行使させるようなばかなことはしない」とみていると語った。
元海将の伊藤俊幸氏「米国は核実験だけでは北朝鮮に先制攻撃しない」
http://www.sankei.com/west/news/170913/wst1709130071-n1.html
(1)北朝鮮に対する警告:もし北朝鮮がアメリカ領を先制攻撃し、アメリカが報復として北朝鮮を武力攻撃した場合、中国は中立を保つ。(筆者注:中朝軍事同盟は無視する。)
(2)アメリカに対する警告:もしアメリカが米韓同盟の下、北朝鮮を先制攻撃すれば、中国は絶対にそれを阻止する。中国は決してその結果描かれる「政治的版図」を座視しない。
(3)中国は朝鮮半島の核化には絶対に反対するが、しかし朝鮮半島で戦争が起きることにも同時に反対する。(米韓、朝)どちら側の武力的挑戦にも反対する。この立場において、中国はロシアとの協力を強化する。
中国が切った「中朝軍事同盟カード」を読み切れなかった日米の失敗
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8375.php
で、中国軍が韓国軍に一線を超えた理由を追及しているうちにいろいろ真相が暴露されて
アメリカと北朝鮮および世界中が呆然としているうちに中国主導で朝鮮半島の非核化が達成
って、なるといいね
ちなみに北朝鮮のミサイルの名前「北極星」にはこんな意味があるそうです。
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
落とし物をして、それが誰かに盗られてしまった経験はないだろうか?そういった状況で「それは落としたあなたが悪い」と言う人がいると思う。自分はそのセリフを「もちろん盗んだヤツが一番悪いが、注意を怠ったあなたにも若干の責任があるとも言える」ぐらいのニュアンスだと思っていて、「落とした人が悪い」という言葉は主に「自分にも責任があると思って諦めろ」という、盗人に対しての憤りを落ち着かせるために自分に言い聞かせるものであって、基本的に被害者に対して掛ける言葉では無いと思っていた。もし同じ様な言葉を誰かに言うとしても「あなたが悪い」という表現は使わない。何故なら基本的に9:1の割合で盗んだやつが悪いと思っているから。
先日自分の不注意で図書館にsuicaを忘れてしまったのだが、気がついて取りに戻ったときにはもう無かった。落とし物として届けられてもいないそうなので、多分盗られたのだと思う。そのことを連れ合いに愚痴ったところ「落としたあんたが悪い」と言われた。その時に違和感を感じたので詳しく聞いてみた所、どうやら彼女は落とした本人が100%悪いのであって、別に落とし物を盗む(というか、拾う)人は悪いと思わないそうだ。「私なら落とし物は届けるけれどね」とは言っていたけれど、人のものを取ることは非常に悪いことだと教えられて育った私としては、非常に衝撃的な意見であった。
しかし世の中には「人に物を盗ませるきっかけを作った落とし主が一番悪い」という考えを持つ、自分からしたら菩薩のような考えの人もいるわけで、そんな人からしてみたら、「人のものを盗みやがって!」と憤っている私は自分勝手なやつなのだろう。
自分はごく普通の、一般的な道徳観というか、善悪の判断基準を持っていると思っていた。けれどそれはどうやら傲慢な勘違いだったらしい。そしてそれを勘違いと気づいていなかったことは、とても危険なことなのではないだろうか。
SNSではみなキラキラ輝いて見えるこのご時世。なかなか狂っている。
幼いころ6歳の時父と生き別れた。
カルトな母にDVされ続けた。飛び交う家具、怒声、ひっくり返される私と妹の机。破壊される壁たち。
表向きは女手一つで育て上げた立派な母だが、占い師でなんでもかんでも幽霊のせいにして責任を逃れていく。
喧嘩が起きるのも幽霊のせい病気になるのも幽霊のせい。問題解決の議論などさらさらない。助けを求めようにも学校のみんなにも気味悪がられ毎日居場所がなく憂鬱であった。
4回も5回も変わる男にある日セクハラされた。マッサージと称して体中を触ってくる。
夜はベットのわきになぜかずっと立っている。
セクハラのせいで自分の体が嫌いになった。性に対して直視するといまでも違和感が残る。
その男はある日大地震が来ると10人ほど人を集めて予言して外れて恥ずかしさのあまり消えた。
おとなになって母元から逃げ、上京して生活してて私は人に恵まれ事業も軌道に乗ってきたある日のこと、
夜の仕事をしながらOLをして同じく上京していた妹がストーカーにあったり男問題やいろいろと大変そうだったので
仕事が忙しいときいきい言い出し、自営業で動いてる私がニートみたいに見えると怒りだし、
精神的にくるっていて破壊しだし、結果妹は逃げて音信不通なってしまった。家賃やあの子が壊した損害は私持ちになっている。
笑って、全部許して、自分がお金持ちになって全部解決できる人になるのだ。
自分の代で責任を負って家族の心を幸せにしなければどこの代までも不毛な戦いが続く。