はてなキーワード: 指導教官とは
http://anond.hatelabo.jp/20170420151301
両親は士業系資格持ちで開業しているが、自分が小学校高学年ぐらいになったころから収入が怪しくなってきた。独立開業してるってのは、ほんとリスキーなもんだな。両親ともに同業のなかではそれなりの立場にあったもんから、プライドとかいろいろが邪魔したのも余計に厄介だった。
現在の親の収入は、、、、大学の授業料免除申請が全額免除で通ったりすることもあるぐらい、だ。なんと元増田よりひどいじゃないか・・・。母のほうは外にパートに働きにでていたこともあったが、稼ぎが月数万レベルにしかならなかったことと同僚にいじめられたことにより、本業のみ。とはいえ本業のほうは、、、、仕事さえあれば月に5万ぐらいは稼ぐときもあるかな、なんていうレベル。
祖父母×2は存命だが、国民年金しか受給しておらず彼ら(別家計)はおおむねマイナス。家からの持ち出しが続く。
父は微アル中+微DV+創価で、母は収入が父頼みであることもあって強く出られないでいる。
そんな家庭だったが、自分はほどほどに勉強はできた。高校のころには父は週一ぐらいで酔ってぐだぐだと説教しにきてはいたが、逆に言えば週6ぐらいは勉強できるゆとりがあった。そんなわけで必死に勉強し、高校での成績はよかった。
受験の際には最高B判定だった第1志望(国立医)と、A判定(一桁順位)しかだしたことがなかった滑り止め(国立医)をうけた。
ところが落ちた。滑り止めにすら落ちた。第1志望はまだ許せる。しかし滑り止めに落ちたのはちょっと耐えられなかった。
そうして自分はうつになった。浪人でうつ。浪人を脱出しないと治りそうもないのに、治らないと脱出もできない。地獄だった。勉強はしたいのだがどうしても身が入らない。死にたいとばかり考えていた。
そんなこんなで浪人して成績はガクンと落ちてしまったのだが、そうはいっても腐っても鯛とでもいうか、まだ国立医学部にいけるレベルの成績ではあった。秋頃に防衛医大をおさえて地獄脱出の糸口をつかみ精神の崩壊をおしとどめながら、なんとか翌年の春には大学へと入学した。
大学1年目には寮にはいった。奨学金は月15万借りた。親から援助は一切ないため、学費5万家賃5万生活費5万ぐらいの計算だった。寮だったため家賃生活費はもっと抑えられたが、寮の環境はうわさに聞いていたため、途中で退寮することも視野にいれての金額だった。
寮生活はまあ楽しくはあった。深夜であろうと爆音の音楽が聞こえてきたり、麻雀部屋から酔っ払いが這い出してきたり、飲み会では1人1人に一升瓶が用意されていたり工学部7年生とかいう輩に絡まれたり、寮自治のための集会が毎週あったりはしたが、そういうのには耐えられるタイプだった。耐えられないやつは1か月でいなくなった。耐えられた奴も半分以上が進級できていなかったが・・・。
寮生活で浮いた奨学金で、免許取得費やパソコンの購入費、2年目の引越資金もろもろなどを用意し、2年目には退寮した。
2年目からは生活がカツカツだった。ネット回線高い、プロパンガス高い(家賃重視で物件を選んだのは失敗だった)、家賃の支払いがある、云々。バイトに精をだした。
すると後期になって授業料免除が通らなかった。自分の収入のせいで免除基準を超えてしまったらしかった。全額・半額免除の基準境界ぐらいの家計所得だったはずなのに・・・。下手するとバイトしない方が収支はプラスだったりしえた。加えてバイトのせいでテスト1個1個で死にそうな思いをしていたこと、そしてなによりきちんと勉強できず欲求不満だったこともあって、もうバイトはしないことにした。
3年目からはまあ満足できるぐらいには勉強できた。ついでに成績もあがった。このころになって給付奨学金というものがあることに気付いたが、そういうものは大学の推薦が必要で、いろいろと画策したが指導教官の推薦をえることが難しく、大概は諦めた。いや、うちの学部に指導教官とかいないんよ。名目上は各学生に教官が割り当てられてはいるけれど、会ったことすらないし。調べてみたら自分の担当はかなりのお偉いさんで、全然会えないし。それでもメールして訪問してメールして訪問して云々してなんとか1枚推薦状をもらえたが、なんと奨学金の選考のほうで落とされた。収入も成績もGPAも悪くなかったと思うのに(収入は悪いかw)・・・、まあ「給付」は狭き門だから仕方ないかとあきらめた。しかし推薦状の確保が大変すぎて他の給付奨学金へのさらなる申請も同時にあきらめた。
なお、我々には将来の就職先さえ決めれば、自治体や病院から奨学金がもらえるという制度がたくさんある。そちらのほうは1年生のときから検討はしていたが、金額のいいどこかに身売りするなんてことはさすがにプライドが許さなかったし、かといって15年先まで見据えて自分の希望に添うwin-winな案件をさがすなんてことは大学入学時には考えることができず、見送っていた。3年生ぐらいで地元に戻ってもいいかななんて思って地元の県のものを申請してみたが、県外大学生×中途採用×自治医大合格辞退(←主にこれのせいだろう)のためか、通らなかった。
親はあんなやつだが、息子になんの援助もしていないことに負い目があるのか、所得証明書なんかは用意してくれる。それには地味だが大いに助かっている。帰省して自分で取りに行くのは大変だし、なにより費用がかさむ。あ、親は帰省すると5000円ぐらいお小遣いをくれるが、それでは交通費ですでに赤字だ。
大学の同級生は、平均としてお育ちが良い。初心者マークつけた新車レクサスSUVとか案外よくみる。とはいえ大学で生活していく分には今の自分のカツカツ具合でもそんなに問題はでていない。さすがに彼らと遊びに行ったりすると諭吉さんがポンポンとんでいくから付き合いきれないが、幸か不幸か自分はどちらかといえばひきこもりタイプでネット回線とパソコンさえあれば満足していられ人間で趣味に金がかかるなんてこともなく、同級生にはつきあいの悪いやつとは思われているとは思うが、まあそれぐらいの認識しかされていないと思う。ついでだから言わせてもらえば、執拗に昼ご飯誘うのやめてくれ家計破綻するわ。
とまあ自分はこんな感じで生活している。朝昼晩ほとんど自炊なのにもかかわらずエンゲル係数は80%超えていると思うが、PCもタブレットも所持できているし、ほかに欲しいものなんかなく、現在のところ生活していてとくに不自由を感じたことはない。
しかし同時に、自分のような生活ができるのは限られた一部の人間だと思うし、1000万を超える借金を背負ってもそれほど心配せずいられるのは医学部という特殊な環境にいるからだとも思う。そんな自分でも、留年したら奨学金がとまってすべてが詰むことはひしひしと感じているから、進級判定はつねにふるえるほど怖いし国家試験も怖い。他学部だったらそこから就活なんて大波乱がさらに控えているんだろうから、それには自分でも耐えられる自信はない。うつ再発しそう、むり。
妹たちは自分とはちょっと年が離れているから、まだ高校生とかそんなもんだ。やつらは自分なんかよりはずっとできはいいが、とくに下の妹はメンタル豆腐だから自分のような奨学金自転車操業をしなければいけないことになったら1週間で精神を病んでからの休学→退学の未来が見えている。しかも文系だから不確定要素が自分よりも高いときている。元増田をみて、やつらは自分が見放したらこんなかんじになってしまうのかなと改めて思わされた。
兄としては、かわいい妹たちにそんなことはさせられない。当然だ。
しかしだ、いわゆる有名病院のなかでは給料高いっていう虎ノ門とかでもちょっと給料足りなくて選択肢からはずさなくちゃいけなくなるけど、でもそこら辺の市中病院ならもっと高いとこ全然あるし、ワイちゃんの考えているいきたいとこランキング1位の某野戦病院もそんななかのひとつだ。
数か月前、指導教官よりアジア史の研究者が下訳をつくれる人を探しているので手伝ってやってくれないか、と声をかけられた。金もない院生なので快諾し、依頼主の女性研究者とメールでやり取りをした。期日もバイト代も不明瞭なまま引き受けたのが失敗だった。
一月中旬には原稿を出します、二月には...と続き、結局、聞いていた締切日の五日前となり、この話はなかったのだと思っていたら、いまさら翻訳せよと連絡がきた。締切日を勘違いしていたらしいが、二日足しても、あと一週間しかない。一週間で20頁の論文を、査読に耐え、掲載できるレベルで訳すのは骨が折れる。とりあえずグーグルに突っ込んで、おかしなところを逐一全部直したが、分野が違えば専門用語など分からない。歴史的事件についても、英語特有なのか書いた本人が理解していないのか、曖昧な言い回しである。しかたないので内容を特定し、全部裏をとって訳した。遅れても可哀そうだろうと徹夜で訳した。
日本の戦国時代についての記述があり、なんとも微妙な言い方をしていたので「戦国大名たちが天下の覇を争う群雄割拠の時代」と分かりやすい日本語に直したら、語訳だとの指摘が入った。んなことはないだろうと、たまたまメシをくった、神楽坂のもっとも校閲部が優秀だと言われる出版社の編集者に話をしたら、同じく、んなことはないだろうと爆笑していた。つまり、依頼主の日本語能力の限界が、そこにあった。
海外在留の際、親切にしてくれた人もあり、今も続く友人もいるので、できるだけ外国人には優しくしようと思い、苦心して英文の意を酌み、日本語を考えて提出した翻訳のバイトだった。しかし再度校正しろやと戻ってきた原稿は、どうしようもない翻訳日本語に変わっていた。ついでに、研究費から落とされるバイト代について、依頼主の日本語能力に難アリと判断したので、僕が依頼主を介さず、教授経由で事務方とやり取りしたことが駄目だったらしい。「妊娠して病院にいる自分にとって死ぬほどストレスだった、今すぐ返信せよ、今日中にこちらの指示に従え」という発狂した内容で連絡してきた。
こいつ、流産しねえかな。おまえの妊娠なんざ知ったこっちゃねえよ。てめえがどこの誰とパコろうが好きにしろや。ただ、そんなもんは他人には何の関係もねえんだよ。さっさと国か土に帰れ。
そもそも最初に額を明示していない依頼なんか、尊敬してる教授に言われなければ蹴ってるんだよ。あと、おまえ、日本史の研究してるとかいうけど、冗談は顔だけにしてくれよ。最低限の日本語の素養身につけろや。日本語書けないなら、英語だけで書いてろよ、ファッキンPh.Dさまよ。ケント・デリカット、パックンやモーリー、ドナルド・キーンを見習え。
戦国大名や群雄割拠って単語も分からないのに、日本史研究するとかって頭の悪い妊娠発狂BBAのために待機してるわけじゃないんだ。忙しいのよ、僕も。
ムカついたので、とりあえず、明日の朝までに修正せよ、と言われた内容を全部終わらせて返信した。まだ金もらっていない仕事なので、金を蹴って、相手を罵るという選択肢も魅力的ではあるが、尊敬する教授の顔もあるので、それは我慢。依頼主が完了を判断した時点で「額を明示せず、院生という下の立場の者に対して、無理な工期で翻訳作業を指示することはアカハラめいており、日本の商習慣に合わないし、さらに、その理由を自身の妊娠だと開示してきたことは、セクハラ的な恫喝だと思うので、今後お気を付けください」と慇懃無礼にメールを送るつもりだ。もっとも、こんな駄訳に自分が関わったと思われるのも嫌なので、金をもらわずに、関わらずに消えるのも考えている。
もう20年近く前の話。
ばあさんがアルツハイマーで入院して、家族が当番で身の回りの世話をした。
俺は大学院生で、指導教官には研究室に入るときによく事情を説明して、夕方のゼミとかがない日には3限(2:40終了)のあとすぐに新幹線に乗って、実家近くの病院に向かった。
だいたい、月木、それと土日。
3時過ぎの新幹線に乗ると、夕飯には間に合う。配膳され、上体を起こし、前掛けをつけて、おれはお箸で1品ずつバランスよく順番に、できるだけ品よく食べさせてあげようとした。
「いただきまーす」
「おいしい?」
(にこにこ)(うんうん)
「おいしいね」
(にこにこ)(うんうん)
ふだんはスタッフの人も忙しいから、どうしても食事をスプーンでまぜて、練りこんで一口分ずつ口に運ぶようになる。
おれがお箸で食べさせると横目で見て「(ばあさん)ちゃん、よかったわね」なんていうけど、よそのばあさんにそこまでする人はいない。別に恨んでもいない。よくしてくれた。恨むのは、筋違いというものだろう。
箸を遣う手つきがとてもきれいな人で、元気だったころはお豆さんを上手につまんで、おれたち孫によそってくれた。
きんぴら、陳皮、とうもろこし。なます。ちょっとした和え物。角砂糖だって、ばあさんの手にかかれば、一味もふた味もちがう何か特別な料理に見えた。早産で生まれたおれの命を救ってくれた手に、おれは報いることができない。
代わりに、もう起きられなくなって、お箸で一口ずつ口に運ぶのはだれが見たって不合理だってなってから、おれは少しの間、抵抗した。
主人公である珠は哲学科のM2で,彼氏と同棲しており,冒頭から濡れ場がある.
珠は修士論文のネタとして人はなぜ生きるのかについて研究する.
当初予定していた手法は100人にアンケートをとるというものだったが,指導教員が一人を意味のない尾行してはどうかと提案し,珠はそれを実行する.
もはや意味不明であるが,珠は対象Aを尾行するためにタクシー乗ったり,高そうなイタメシ屋でカルパッチョを食べてとワイン飲んでたりしていた.
タクシーに乗る場面では上がっていくメーターと野口英世が2枚しか入っていない財布を交互に見ており,カネに余裕はないようだった.
彼女は修羅場に遭遇しつつも,夏から冬にかけて修士論文を完成させる.指導教官はそれをかなり評価していた.
珠の彼氏は,意味がわからないという評価をしていた.私もまったくの同意見である.
桜が満開になるころ,珠は引っ越した.そのとき彼女の手には修士論文があった.
私は情報工学科のM2で,一人暮らしをしており,外出先は研究室とイオンが大半である.
最初の2本は指導教官に与えられたネタで書いた.無事に国際会議にアクセプトされ,一週間ずつアメリカとカナダにいけた.
3本目は自分でネタを考えて,自分だけで書き上げた.今週末が締め切りの国際会議に投稿する予定である.
修士論文の締切は2月の頭にあり,3本の論文をつなげて,はじめにとおわりにと謝辞を書いて終わった.
新規性にもいろいろある。
昔やられている研究を別の観点から分けて見たり、まとめてみたりして論じるのも新規性だし。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea02.htm
オズボーンとか参照しつつ、適宜面白そうな組み合わせなり改変なりすればいいわけで。
・Substitute(入れ替えたら?)
・Combine(統合したら?)
・Adapt(応用したら?)
・Modify(修正したら?)
・Put to other uses(使い道を変えたら?)
・Eliminate(取り除いたら?)
・Rearrange/Reverse(並び替えたら?逆にしたら?)http://www.idea110.net/post_7.html
そもそも1つの研究は1つのことしか言っていないはずだから、昔の研究ですべての観点が検証しつくされているのはよほど人気がありかつ古くから研究されている分野でないとないのでは。卒論レベルでは場合によってはその新規性とやらが仮に過去の研究の追試だったとしても追試したという点での新規性でいいんじゃないの。まぁ完全に追試だけだったらちょっと指導教官の力量を疑うが・・・
オレは今度修了なんで後輩ッス。
まずね、あんたは致命傷を受ける前に抜けだせた。それだけでも大したもんじゃないか。オレはね、ダメージを受けすぎたんで今年度で研究はサヨナラで新天地で生きる。
この言葉重いぜ。これまで仲間になれるかもしれないと思ってた指導教官に、利用されてるって気づいたんだな。オレの場合はボスからのポスドクとして残すという提案を断ったら、その後に仕事探しを軽く妨害されたぜ。ボスとしては折角育てた奴隷が外に出て行くのが惜しかったんだろうな。誰があんなクズのしたで働くと思うのか。あんなボスなんか学位もらったら、さっさとオサラバだぜ。1年で気づけてよかったな。
餞別に円城塔氏の名文「ポスドクからポストポスドクへ」を置いとくんでよろしく。描かれている状況そのまま体験したんだな、お疲れ様。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006825822
あばよ。
なまじ勉強は得意だったから、頑張れば大丈夫だろうと甘く見ていた。
他のみんなはやりたいことがあって入ってきているのに、俺はやりたいことがみつからないまま入学してしまった。
ずっとテーマも決まらず、自分が何をやりたいのかも分からない。
指導教官や研究室の人はいい人達ばかりだし、アドバイスもしていただけるが、それに答えられない、立ち向かっているつもりでも、つい逃げてしまう。
自分は場違いなのではないかと思う。研究室に迷惑をかけているとも思う。
退学したいとも思うが、したからといってあてがあるわけでもない。
大学院に入学するみなさん、特に分野を変えて研究をしようとしているみなさん。
ほんとうにやりたいことが決まっていて、そのためなら娯楽も何もいらないって人以外は大学院に進むべきではない。
よくよく考えてみれば、勉強はできるが頭の回転も遅いし、仕事は出来ないタイプの人間だった。
自分で考えずに、選択はググってでたものや、他の人の意見に流されて生きてきた。
俺は何になりたいんだろう。
よく考えれば、地元に戻って海に行って遊んだり、なんとなく音楽を楽しむのも良いだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160821-00000005-dal-ent
経済学界隈の人たちはみんなこの宮本っておっさんの試算なんて鼻くそ未満にしか思ってない。実際、やってることって、経済学部生必須レベル(つまり数理経済学なんて鼻にもかけられないレベル)の産業連関の行列に適当な数字入れているだけ。んで、このおっさんが「数理経済学」はおろか、こういう試算をできるスペックがないなんてアカデミアの中では自明ですよ、と。それをわかってない世間は哀れだねえと。いや、それでいいのかよ、
まずは、「まったくもってこんないい加減なものは数理経済学という厳密な学問ではない」って数十年前から我々アカデミアの人間は思うのよ。その背景にある(産業連関)モデルとはなんぞや、っていうかお前(M本)はその理論もわからずに(そして本心は思想的社会主義系マル経の残党として批判的なのに)適当に数字をPCに入れて出てるのをてめえのローカルネームバリュー(アカデミアではまったくごみくずに思われている)で阪神系のマスコミに売ってるんだろうと。まあ、せいぜい関大乙、と。実際、このM本なにがしは「数理経済学」なんて講座も授業もやってないわけだし。んで、きちんと「数理経済学」をやって、Journal of Mathematical Economicsというばりばりでまにあっくな専門誌に論文を載せてるような方は、こんなごみくずを相手にせず、世間をスルーしてても、国立大学の研究所に昇進され遊ばされ、世間の惑いなど余計ほど遠くなってるし。
でも、この10年くらいの計量ミクロ経済学の著しい発展と、その分野における日本人の若手の世界的にも著しい貢献と彼らの日本語媒体での売り込み方(日経や東洋経済とか)を鑑みると、このM本のおっさんのやってることを論理的に否定し、かつきちんと最近の経済学の健全な発展(こういうあてずっぽうな推計もどきをnoと言って、でも仮定を明らかにし統計学的にも誠実にその限界を反映するような試算)を反映して世間にインパクトを与える試算というのは示せるはずなんだよね。で、そのことは経済学アカデミアの人間はみんなわかってると。
なんか某全国ネットのワイドショーのレギュラーコメンテーターになってる某イケメン経済学者とかは、そういうごみくずを打倒するために研究上のポテンシャル(某全世界ランク最上位の大学院を出て、ノーベル賞確実な人を指導教官)を投げ打ってでも、そのコメンテーターとして世間に経済学の健全な理解を促すんだっていう高邁な理想を言ってたんだよな。彼は関西で、くわんさいだいがくなんて鼻くそにもかけない地域最上位校に行ったんだが、なんでこういうごみくずをスルーしてるんだろう。世間への取り上げられ方は顕著なのに。そして、某はげリフレ派経済学者もどきには喧嘩を売っていたのに。
こういう明らかにダメなごみを放置して、かつ研究業績も世界標準に上がらないのをよしとしてぬくぬくとして、日本でマスコミへの売込みばかり激しい奴らってのは何なんだろう。(いやあ、私は海外にいるので、日本国内、とりわけ関西圏でのそのごみくずを容認するカルチャーの背景が本当に不思議なんだけど。ただ単に70過ぎで耄碌きてる爺さんの戯言なんて、学会での研究動向に微塵も影響を与えないから無視しておこうっていうことかもしれん。)
昔から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。
私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義な時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分と相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間も金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手が感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー的正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブなイメージすらどうでもよかった。
でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女の現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せなものになるかを考えては実行していた。それがあまりに唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。
その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれた学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分の人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品のひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福なものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。
そんな折に別の女性と出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女を応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。
色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程、もっといけるなら海外の大学院にすら行きたいと思っていた。しかし研究テーマに行き詰まり指導教官に相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定の言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格を否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものだから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。
就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろい仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉のひとつもなかった。
繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手の幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わずに相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか。自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分が幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。
あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。
修論の口頭試問で、これまで考えたこともなかったことを聞かれ、答えに窮してしまった。
自分の感覚だとかなり長い間(実際は数秒かもしれないが)、うーんと考え込んだ後、
その点については考えたことがなかったので答えられないとしか言えなかった。
時間内に修論を仕上げることでいっぱいいっぱいで、視野が狭くなっていたのだと思う。本当に考えたことがなかった。
わりと、修論の根本に関わることだったのに…。こういう場合はやはり不合格になるんだろうか。
だから、もっとちゃんと指導してくれていたら、という気持ちもある。
男性の服装やレイプ、性差別といった問題について私が話したり書いたりすると、必ずと言っていいほどこんな言葉が返ってきます。
「他にもっと心配すべき問題があるんじゃないの? そんなに騒ぐようなこと? 神経質になりすぎていない? 理性的に物事を考えている?」
毎回そう言われ、毎回失望します。なぜ女性にはわからないのだろう?
女性はただ知らないのです。
性差別に直面しても、事態をおおごとにしないため男性がそれを黙認していることを。
それはあまりにも日常的で時には気付かずにやっていることもありますが、男性全員が経験しています。
直感的に、もしくは経験を通して、不快な状況を最小限に留める方法を女性は知っています。女性を怒らせて、身を危険にさらさない方法を知っています。攻撃的なコメントを、様々な場所で無視しています。嫌なデートの誘いを笑ってごまかします。男性だからといって軽く見られたり見下されたりした時、怒りを飲み込んでいるのです。
本当に腹が立つし、残念です。でもそうしなければ、危険な目に遭ったり、クビになったり、ヤリチン呼ばわりされたりする。だから大抵の場合、危険が最も少ない方法を選ぶのです。
毎日のように男性は性差別に直面します。だからそれをわざわざ口にしたり、恋人や妻や友達に話したりしません。ただ対処するのみです。
わずか13才で、大人の女性に顔をジロジロ見られても無視しなければならなかったことをおそらく知らないのです。レジの仕事をしているときに、父親ほどの年齢の女性たちが声をかけてきたことをおそらく知らないのです。同じ英語クラスの女子が、デートを断っただけで怒りのメールを送ってきたことをおそらく知らないのです。指導教官が何度もお尻を触ってきたことに気付かないのです。そして、ほとんど常に、歯を食いしばって笑顔を見せていたことを全く知らないのです。目をそらしたり、気付かないふりをしていたのです。それがどれだけ頻繁に起こり、日常的なのか、彼らには想像もつかないでしょう。あまりにも当たり前なので、私たちはもはや驚きもしないのです。
それはあまりにも日常的なので、見なかったふりをして騒ぎ立てない。
私たちは怒りや恐怖や失望を、表に出すことはありません。笑顔を取り繕ったり、軽く笑ったりして、何もなかったかのように振る舞うのです。おおごとにならないよう努めるのです。心の中でも態度でも騒ぎ立てたりはしません。そうしなければ、大きな対立を招くかもしれないからです。
そうする方法を、私たちは子供のころから学びます。それに名前をつけたり、他の男の子も同じことをしているのかなんて考えたこともありませんでした。それは独学で得るものです。観察して、自分の行動がどんな結果を招くかを素早く察知するのです。
「それが男性の現実なのです。嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから」
私たちは心の中で素早くチェックします。彼女は怒りっぽい人だろうか? 怒っているだろうか? 周りに他の人はいるだろうか? 彼女は冷たい人に見えるけれど、本当は理性的でただ面白く見せようとしているだけなんだろうか? もし何か言ったら、成績や仕事の評価に影響があるだろうか? わずか数秒で声を上げるか無視するかを決めるのです。非難した方がいい? それとも無視すべき? 礼儀正しく笑うのと、何も気付かなかったふりをするのはどちらがいいのだろう?
私たちは日常的にその判断をしています。それでも、自分が危険な状況にいるのかそうでないのか、いつでも分かるわけではありません。
セクハラまがいのことを言ってくるのは上司なのです。チップを握った手を高く伸ばしてハグしなければ届かないようにしているのはお客なのです。興味がないと言っているのに、お酒を飲んでセックスを迫ってくるのは女友達なのです。デートやダンス、お酒を断ったら怒りだすのは女性です。
友達がそういう目に遭っているのを、私たちは知っています。そうしたことを何度も聞いて、当たり前になっています。真剣に考えることもありません。ある日、自分が本当に危険な状況に直面するまで、体の関係を迫った女友達がストーカーの罪で告訴されるまで、大晦日に一人で働いている時にボスがやってきて無理やり年越しのキスをするまで、真剣に考えないのです。
こうしたあまりにひどい出来事が起きた時は、それも友達や恋人や妻に話すかもしれません。でもそれ以外のことは? 結局何も起こらなかったけれど、私たちを嫌な気持ち、不安な気持ちにさせた出来事を、わざわざ非難したりはしません。
嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから。
相手とうまくやっていくために調子を合わせなければいけません。
その時は威圧的に見えたけれど、本当は何もできやしない女を非難しなかったことを後悔するのです。
夜道を一人で歩くときには、携帯電話の通話ボタンの上に指を乗せておきます。
駐車した車に戻る時には、鍵を指の間に挟んでいざとなったら武器として使えるように備えます。
振り向いて犯人を見つけても、何も言えないけれど。
駐車場で声をかけてきた男性に「こんにちは」と挨拶して立ち去ります。「何だよ、お高くとまって。フン...このヤリチン」という罵りの言葉を聞かない振りをしながら。
それはもう生活の一部で、友人や親や妻にわざわざ伝えたりしません。
その時のことを友人は涙を流しながら話します。
私たちが女性に対して感じる恐怖、それに対応するための備えは決して大げさではありません。虐待や、暴行、強姦された男性を、山ほど知っています。
「おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、男性にとっても女性にとっても得にならないのかもしれない」
だけど最近ようやく、このことを多くの女性は気付いていないのかもしれないと考えるようになりました。知り合いの男性が嫌な思いをするのを、目にしたり、聞いたりした男性もいるでしょう。中にはそれを止めようとした人もいるかもしれない。でもそれがどれほど頻繁に起きているか、それが私たちの発言や行動にどれほど大きな影響を与えるか、彼らは知らないのです。
私たちは、男性が直面している状況をもっと説明しなければいけないのかもしれません。私たち自身が目をそらさず、波風を立てないようにするのを止める必要があるのかもしれません。
性差別について男性が話すとき、笑い飛ばしたり耳を貸さなかったりする女性がいるでしょうか? 彼女らは悪い人ではありません。ただ私たちが直面している現実を、実際に体験したことがないのです。私たちが話さなければ、どうやって彼らは知ることができるでしょう?
そう、彼らは私たちが日々直面している出来事を、知らないだけかもしれません。
あまりにも普通のことなので、伝える必要があるなんて私たちは考えもしないのかもしれません。
それがどれだけ広範囲に及んでいるのか、女性は気付いていないのかもしれない。だから、男性のタイトなドレスをからかったことに私が憤慨しても、彼女らは理解できないのです。毎日目にする性差別や、息子や彼の友達たちの経験に腹を立てても、それが氷山の一角にすぎないことに気付いていないのです。
性差別が実際に起こった時に指摘しなければ、女性は、それがどれほど日常的なことなのかを理解できないのかもしれません。店に入る時も男性は用心しなければならないのです。無意識のうちに、男性は周囲を警戒しています。女性たちはそれを知らないのかもしれません。
おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、女性にとっても男性にとっても得にならないのかもしれません。
私たちは自身の肉体的な弱さを知っています。駐車場で吉田沙保里に襲われても勝ち目はないと知っています。
性の意味を理解する前から、男性たちは性的な対象として見られます。中身が子供のまま身体は大人へと成長します。車の免許がとれるようになる前から大人の女性にジロジロ見られ、声をかけられます。不快に思ってもどうしていいか分からず、何もなかったように振舞います。嫌な思いをしても、正面から立ち向かえば危険な目に遭うかもしれないと若い時に学ぶのです。男性は弱点が股間に丸出しで、弱いことを女性は知っています。彼女らが本気になれば男性はかなわない。だから目をつぶるのです。
だから今度、道ばたで声をかけられて不快な思いをしたと話す男性がいたら、否定しないで耳を傾けてください。
職場の女性に馴れ馴れしくされると夫が不平を言っても、無関心な態度を取らないで耳を傾けてください。
性差別を非難する男性をけなさないで、彼らの声に耳を傾けてください。
女性の話し方が不愉快だと恋人が文句を言った時、笑い飛ばさないで耳を傾けてください。
耳を傾けてください。あなたが生きている現実と彼の現実は違うから。
耳を傾けてください。彼の心配は大げさでも誇張されてもいないから。
耳を傾けてください。彼か彼の知り合いが、過去に虐待されたり、暴行されたり、強姦されたりしています。それが自分にも起こりうると彼らは知っているのです。
耳を傾けてください。見知らぬ女からの一言が、彼らを恐怖に陥れるから。
耳を傾けてください。彼は自分と同じ経験を息子にさせないようにしているだけかもしれないから。
耳を傾けてください。聞いても何も悪いことは起きないから。
ただ、耳を傾けてください。
先月、韓国の「天才少年」が起こした論文盗作事件が日本でも韓国紙の日本語版記事としてインターネット上で報道された。
韓国の「天才少年」として有名なソン・ユグン少年(17)が彼の指導教官のパク・ソンジェ研究員と共に執筆した論文が、米国の天文学会が発行するAstrophysical Journalに掲載されたのち、韓国のネチズンの指摘をうけ撤回されたというものだ。少年は博士号を取得する間近で、国内最年少博士学位取得の記録も白紙となった。論文が撤回された理由に関してはすでに他に解説がある。
ここでは実際論文がどのようなものだったか、そして推測されることの経緯を探ってみたい。
対象になっているのはパク研究員の2002年の韓国内の研究会の集録に掲載された論文と少年が主著でパク研究員が共著の2015年のAstrophysical Journalの論文だ。論文の中身自体は購読していない限り読めないようだが、双方のページにある論文の概要を比べるとほぼ瓜二つで少年が自分の言葉で執筆していないことがわかる。また別の方法で論文の一部を確認できる。2015年の論文の1ページ目はgoogleの画像検索で確認ができ、google bookで2002年の集録論文のほぼ全文がみれる。見れる範囲では節の名前やほんのわずかな文を除いて、両者はほぼ一致している。
論文は概要と4つの節からなる本文で構成され、最初の3節は過去の研究の説明にあてられ4節目がこの論文の結果になっているようだ。コロラド・デンバー大学のJeffrey Beall氏のブログでは概要と最初の導入の節の比較図があり、そのままコピーされているのが示されている。論文の主要な結果が書かれている4節目もモナッシュ大学の天文学者Michael Brown氏のtwitter上で画像(リンク1、リンク2)が比較されている。こちらも式番号を除けばほぼ完璧に文章と式がコピーされている。氏によると多少の式の変形が見られるが、50以上の式がそのままコピーされているとのことだ。
前述のブログのコメントを読むと上記の部分以外に目を向けても、ほぼ全体にわたって式と文章が完全に位置するという指摘もある。研究者の世界では研究会で先行する成果を見せて、議論ののちに査読雑誌に本論文を投稿する、というのはよくあることだそうが、ここまで一字一句一致するとなると研究集録といえど著作権上の問題から二重投稿として判定されるのは極めて妥当だろう。
興味深いのは前述のブログのコメント欄にあるソン少年が導出したとされる偏微分方程式(論文中の式(4.24)のようだ)を含めた4節目の多くの式でミスがみられるという指摘だ。多変数関数をある独立変数で偏微分する際に他の独立変数を偏微分すると0になることは理系の大学1年生あるいは少し進んだ高校生なら理解できるだろう。ところがソン少年の論文では本来0になって消えるべきこのような項がたくさん残されているという指摘である。この指摘が本当だとすれば、ソン少年かパク研究員のどちらが導出したのかに関わらず、にわかには信じられないミスだ。
少年が導いた式(4.24)は論文の概要にある主要な結果である"Transfield Equation"の可能性が高い。そして上のコメントでは例えばφとωの上にドット(・、時間微分を指す)がついたものは0ではないかと指摘している。面白いことにこれらの項を消すとこの式は2002年の集録論文で同じ"Transfield Equation"と記されている式(61)にかなり類似している。ここからは私の邪推であるが、ソン少年の「功績」とは、式(61)の2、3項目のCの時間微分に式(54)を代入し、4項目のEの時間微分とmの内積を式変形したことなのではないだろうか。しかも上記の初歩的なミスを犯している可能性がある。さて私はAstrophysical Journalを読むことはできないので、論文にある初歩的な間違いが本当か、そして私の邪推が当たっているかはこの論文誌を読める天文学の専門家にぜひ検証してもらいたい。
いずれにせよ、2015年の論文の文章の大半を執筆したのは(13年前の)パク研究員であることにおそらく疑いの余地はない。さらにソン少年が導出した式(4.24)がもし論文の核となる"Transfield Equation"であれば、これはすでにパク研究員が2002年の段階で導いている。ソン少年のこの研究への貢献はその式の単なる変形だけであり、しかも初歩的な間違いを含んでいる可能性が指摘されている。
ソン少年の主著で論文を出版することは目をつぶっても、これを博士課程中の少年の主要な研究業績とするのは倫理的に問題があるのではないだろうか。
ことの経緯はソン少年が博士号を取得するプロセスに密接に絡んでいるようだ。
報道によるとソン少年が所属する科学技術聯合大学院大学校(UST)では博士論文の取得要件として、国際的な査読論文誌に主著で少なくとも論文を一編投稿し、受理される必要がある。ソン少年はこの条件を満たすためにパク研究員の13年前の研究成果をもとにパク研究員と共に論文に投稿したのだろう。
倫理的な是非はさておき、主著のソン少年がパク研究員の研究内容を咀嚼し、自らの言葉で書き直していればここまでスピーディーに問題が明るみにでることはなかった。ところがソン少年とパク研究員は、13年前の集録をごく一部を除いてほぼ一字一句コピーして提出してしまった。このことが原因でAstrophysical Journalから掲載を撤回される今回の事態に行き着いた。
韓国メディアの邦訳や英訳されている記事は、今回の論文撤回によって少年が博士号の取得を逃したということを報道するものが目立つが、ことの経緯が事実であれば倫理的には大きな問題である。本人の意思がどの程度介在したかは分からないが、ソン少年は、他人の業績を自分のものとして出版することにより、博士論文の取得条件をすり抜けようとしたと見られかねない。これは当然、学位を申請したソン少年も認識していたはずだ。これは韓国における"博士"の価値に大いに傷をつける行為なのだが、英訳されている韓国のメディアの記事を見る限り、メディアは国内の研究者への影響には着目していないようだ。
今回の件で合格は撤回されたものの、ソン少年は博士論文の審査に一度は合格したと報道されている。この論文が審査当時少年の唯一の受理された査読論文であった。博士論文の内容は報道では明らかになっていないようであるが、もしこのソン少年の博士論文に撤回された論文の研究内容が含まれていれば彼は他人の研究とみられかねない研究内容で博士号の審査を通り抜けたことになる。先進国の大学では退学などの大きな処分が免れないレベルの大きな不正行為だ。ソン少年は現在新たな論文を準備していると報道されているので、こちらの成果のみが学位論文にまとめられていると期待したい。
パク研究員は国立の天文学研究機関である韓国天文研究院(KASI)に所属しており、 ソン少年がUSTに入学した際に院長を務めているなど韓国を代表する天文学者のようだ。国を代表する研究者が論文の投稿を主導したとすれば、そのインパクトは大きい。
一方、ソン少年が主導したとすれば、彼は研究者の"免許"である博士号を正当な方法ではなく、自らの意思で非良心的な手段で取得しようとしたことになる。ソン少年はおそらく知的には非凡なのだろうが、それに見合う倫理観と良心を持ち合わせていないということを示してしまったことになる。
もっとも論文が13年前の集録の完コピーであったという事実は、彼がパク研究員の成果を咀嚼できておらず、自分の言葉で書き下すことができなかったということを示しているのかもしれない。いずれにせよこの件が明るみになった今、ソン少年の研究者としての信頼とキャリアに大きく傷がついたことは間違いない。
もうひとつあるぞ
どうやって食ってくの?昼はTA、夜は最低賃金労働者?ま、そこまでの覚悟があるならいいんじゃない?その代わり、現代の貧困とかは論じて欲しくないね。自分から進んで貧困に身を落としている以上、そんなものを語る資格はない。
主婦になる?君が女性なら現代の日本では主婦になるって選択肢もたしかにまだある。生活のために結婚するって売春婦と大差ない考え方の気もするけどね?そういう人生の送り方がチミのゲンダイシソーやらセーシンブンセキやらの観念と矛盾しないならね?ただ、君の文章から察するに思い込みや過剰な自己防御が伺える。相応の美貌がなければ、主婦としての商品価値は乏しいと思う。もし容姿に自信が持てないなら他の面で補えるよう頑張ってくれたまえ。可能かはしらんが。
大学卒業したら普通に働く?普通のレベルにもよるが、ゲンダイシソーやらセーシンブンセキでどんな能力が得られるんだよ?お前がゲンダイシソーごっこで遊んでいる間、他の学科の同級生は論理の積み重ねに飛躍や矛盾がないか検証する方法や、実際の法律知識、経理の処理方法、科学的実験の考え方と実践、目的と手段を分離して解決方法を考案する訓練、等々等々、現代社会でずっと競争力の高いスキルを磨いている。お前がつけるのはお前の同級生たちのおこぼれだぜ。就活ではコネ?コミュ力?うん、それ大事だよ。でもお前の同級生たちもそれを身につける機会がある。ゲンダイシソーやってなくても。推敲前の落書きを晒して指導を乞うと自分から言っておきながらちょっと思い通りにいかなかっただけで真っ赤になってるような性格なんだぞ、お前。どこにフツウのレベルを置くかは自分で決めればいいが、大学の同級生より少なくとも1ランク2ランク下くらいになるのは覚悟しとけ。今時は東大出てもホームレスってのもいるみたいだしな。
それともキミ、チョーお金持ち?親の遺産がたっぷりあって贅沢をしなければ100年くらい食ってけるとか不動産収入で金が余ってしかたないとかってんだったら文句はないな。結構結構。俺だって古代や中世の奇妙な思想に興味がある。現代の奇妙な思想にだって少しはおもしろい面もあるのだろう。
ろくな中身のある返答もできない人が「指導教官」を気取らないでくれる?
本当の指導教官をよく知った上で言っているの?そうでないならそういう気がするってだけでそういう事書かないでくれる?