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2023-03-31

魅惑のデパート搬入口の世界

読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下ファッション売り場?

増田搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。

売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。

しかデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。

という事で離れた場所搬入口が設けられて秘密通路で結ばれていることがあるのだ。

それを幾つか紹介するよ。

因みにこういう所は仕事しか入れないもので、増田仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。

池袋LABI

ヤマダ電機運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業昭和29年地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。

LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色運送会社的なところがある。

https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8

ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ

 

池袋東武

かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。

https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A

元々ここは東上線線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車留置線が伸びていた。

国鉄貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。

90年代東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。

それまで旧館は東上線北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画ダウンタウンのようだった。

 

銀座松屋

デパートより一ブロック離れた箇所。

https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8

こはちょっとバックスペースが大きすぎる印象がある。

新宿小田急

ロード甲州街道ルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。

https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8

ここは急勾配&高さ制限キツイ&急勾配登ってすぐに急カーブクランクというデンジャラスコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。

なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ

ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。

 

新宿ルミネ

遥かかなたのJR本社ビルの先にある。

https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7

ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道橋の下公共占有だ。

因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。

実はここは土地取引を巡って管財人司法書士ヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地駐車場のままだったところだ。

また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアJR本社トンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地職工詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである

 

渋谷西武

ロフト井の頭通り側にある。

https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68

西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通りかいのB館、ロフトパーキングとあるが、全て地下トンネルで繋がっている。

特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。

搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。

公共占有+川の下を潜るという2段構えの珍奇さである

 

東急東横

珍奇な搬入路の王者と言ったらこである。もう無くなってしまったが。

駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像

https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9

ここからR246の下を通り、東横東口店までずっと地下トンネルが通っていた。

更にここには空港手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。

このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。

まり昭和2年東横開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である

因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。

東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。

あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルストリームの地下で荷物輸送に使われているんだろうか?実に気になる。

肝心の「東横東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。

開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。

 

スキーム輸送スキーム

 

これらには公共である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。

普通はこういう占有方法は認められないが、施設公衆性が強い場合は許されるのである私鉄道路地下を走っていたり病院渡り廊下道路跨いでたりと同じだ。

デパート場合公衆性は、公衆自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。 

 

余談だが、中野ブロードウェイまんだらけ性的商品通路側に陳列して対面の商店トラブル、その商店ネット民攻撃して炎上するというトラブルがあった。

この時にネット民中野ブロードウェイ私有施設から陳列は自由まんだらけ占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。

でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイ公衆施設一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路公道が準用される。

そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。

 

また、デパート売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。

売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。

そこでデパート流通センター搬入代行業者倉庫搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパート搬入するという形になっている。

当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。

これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方業者東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者倉庫内に置いてしまう事もよくある。

東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。

 

大阪名古屋編を誰か頼む。

2023-03-30

モザイクとは何だったのか?その変態性に就いて

新宿モザイク坂が先週で営業終了との事で話題になっていたが、知る人は少なかろうがあそこは実は高架道路なんである

斜路の高架道路階段設えたりタイル貼ったりしたのがモザイク坂だったのだな。

じゃあなんでこうなったのかというのには経緯があるのでちょいと書いてみたい。

 

西口歩道橋時代に空中駐車場への通路として開通

モザイク坂は京王デパート小田急デパートに挟まれているように見えるが、実は小田急の駅上の京王デパートに隣接した所を通っている。

例えば小田急の降車ホームをよく観察すると

1.南側が狭くなっている

2.南側天井が斜めに低い

という事に気付くはずだ。https://goo.gl/maps/LoyBvgAkdnU7oubeA

この斜めは何かと言えば、そう、モザイク坂の高架道路斜路が上にあるんである

 

1966年に今の地下広場を擁する西口の立体ロータリーが完成するのだが、その前には大歩道橋があった。今のモザイク坂登り口横の京王入口付近から丸の内線入口付近まで続く広くて大きい歩道橋があり、国鉄駅や小田急駅に接続していた。

これは小田急京王←→国鉄←→地下鉄国鉄←→バスの乗換客がぶつかる事を避けて分離するためだったと思われる。ペデストリアンデッキの走りだね。

国鉄商売下手&流通事業基本的に認められていない為に市街活性化の為に駅ビル民間が建てて運用する事になり、小田急は自社改札~地下鉄までの権利を獲た。

さてそこで困ったのが駐車場をどうするか。当時はモータリゼーションの途上だったが、自動車は富裕の象徴でもあった。ならば百貨店の高級イメージの為にも駐車場は欠かせない。

そこで小田急線のホームの上に高架式の駐車場を作る事にしたのである

まずは丸の内線上にビルを建て(現小田急ハルク)、そのビルから小田急線改札までに本館を建てる。

更にホームの真ん中辺りの上空に鉄骨を組んだ人工地盤建設して地上4階の駐車場にする。

改札上空にも鉄骨を組み建て本館と連結させる。その拡張本館と空中駐車場を繋ぐ。

そして本館横の京王デパートとの隙間を登り口とする高架斜路で駐車場に繋ぐ。また、線路を大きく跨ぐ甲州街道に出れるようにこっちにも高架道路を作る。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.690359&lng=139.699506&zoom=18&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_nlii1&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

なんでこんな凝ったデザインにしたの?と言ったらあれですよ。当時完成供用開始された首都高速道路。あの「未来っぽさ」を模す為にわざとビルの隙間を縫う高架道路にしたんだと思われる。

それに小田急本館の横に入口を設けられるからアピールやすい。更に完成した時は歩行者デッキがあるからそこに車入口を作っても歩行者の妨げにならない。

近未来感&利便性ですな。

 

西口ロータリー改修で廃止の憂き目に

ところが空中駐車場が出来て数年後には西口の立体ロータリー工事が行われ、地上+歩行デッキの二重構造で歩者分離していた交通が地上+地下の二重構造になってしまう。

更に京王デパート開業すると歩行者の通行も増えて車が歩道を斜めに渡って斜路登り口に行くのが危険になってしまう。

しかも登り口横に京王デパート入口が出来てしまった。更に小田急線の一階改札出口の横でもあってバス乗り場にも近く、更に更に地下への階段も出来てしまった。

そんな人とバスタクシーがひしめく所に車で斜めに入っていくなんてとんでもない。

という事でこの登り口は廃止するしかなくなってしまう。後には歩道ガードレールでも塞がれてしまい、プチ首都高の高架斜路はトマソン化してしまった。

大きい電鉄デパートの間に錆びたゲートで塞がれた寂れた廃道があるという光景である。この状態10年以上放置されていた。

空中駐車場の方は甲州街道から入れるからそのまま供用されていた。また、空中駐車場は二層構造になってて一階降りると荷捌き場があったようである

ロード

小田急としても始発駅のデパートのすぐ横に「廃」なものがある状態いつまでも放っておくことは出来ない。

そこにミロード建設の話が持ち上がった。ホーム上空で開いている空間甲州街道側に連結するビルを建てようという計画だ。因みに当時南口はかなり寂れており、古い跨線橋に改札があるだけで、しか甲州街道の陸橋の真ん中に出てしまう上に小田急にも京王にも乗り換えが出来ずに不便であり通行する人も余りいないような状態だった。

そこに敢えて出店するとともに小田急線の改札も設けて人流を作ろうという計画だ。

そして放置プレイ状態の廃高架道路通路として活用する事になったんである

からモザイク坂は1990年代の中頃まで「モザイク坂」とは一般には呼ばれずにミロードと呼ばれていた。

 

当初のモザイク坂は今の様に斜路+階段半々ではなくて全域が緩い階段になっており、坂の途中にはキヨスク形式の店というかスタンドが途中に2軒程度あるだけだった。

坂を上がった先は広くなっているがここが元の空中駐車場で、駐車場としては廃止。でも西口地下に駐車場が出来ているか問題がない。

ここの空中広場は大きなサンシェード的なテントが掛かっていたのだが、テントが掛からない切れ目が斜めに通るようにしていた。またイベントスペースとステージがあって芸能人が来たりラジオスタジオがあったりした。

この広場は明らかにフランス欧州古都にある都市中庭を模していると思われる。アパート群に囲まれた地上数階の場所広場があってマルシェバザールが開かれている、あの宮崎アニメ的なイメージだ。

また階段途中に平べったいキヨスク的な店舗が点在するのなんかはモンマルトル的だ。多分デザイナーフランスあたりの都市構造を知っている人物なんじゃないかと思う。

ただ80年代という事もあって店舗の方がダサかった。

 

こうしてミロードの付帯物件だったので2000年くらいまで駅南口の方に抜ける事は出来なかった。

広場の左の方にミロードへの入口があるのだが売り場に入ってしまい、更に階が違うのでエスカレータ下り必要があった。電車に乗る時に売り場を通過するのは結構ストレスになる。

 

構造珍妙

駐車場廃止できたが、デパートでは重要搬入口は廃止出来ない。そこでモザイク坂上広場結構複雑な事になっている。

広場の左側(東側)には店舗があるが、じつはこの上は荷捌き場と搬入車駐車場になっている。

最後は通り抜け出来るようになっていたドン付きの上はよく見ると面台のようにミロード躯体との間に何やらスペースがあった。

https://goo.gl/maps/aYLf6WuWewEhw2bd8

実はこれは搬入車用の道路で、甲州街道から急坂で登ってきてここでクランクを曲がって左側店舗の上で荷卸しをするんであった。

このクランク甲州街道搬入入口間は急坂になっているが、この区間は高架道路である。つまりロードの下の方は駅ホームでその上の方の端っこには高架道路があるというスカスカ構造だ。ビッグサンダーマウンテンみたいである。

2000年頃?開通したミロード通り抜け通路は登ったり下ったり構造が複雑で、特に変な出っ張りがあった。

https://goo.gl/maps/Wqd4ZQC9qPdAnWof9

こりゃなんだ?

右には高架道路が急坂で下って来ていてその真ん中へんなのだ。つまりはこれは高架道路の橋脚が出っ張ってるのを避けてるって事である

 

また、旧駐車場のミロード広場が鉄骨の人地盤モザイク坂が高架道路という構造の為にジョイント存在する。

広場と坂の接続部と、高架道路の橋脚の上の各橋桁間に一見排水路メンテナンスリッドのようなものがある。

https://goo.gl/maps/LBz4QRy4tYHpZkCd7

これらはジョイントカバーで、大地震の際は各構造物の揺れ方が違うのではじけ飛んでしまうので危ない。地震の際には離れるべき…もう立ち入りできないけど。

たこジョイントカバー階段途中の店舗の中にも存在し、坂に対して直交だけでなく、それにT字に交わるものもあった。

T字になっているのは店舗の奥の方が小田急本館躯体に支持されているからと考えられる。明らかに本館に食い込んでいる店舗もあった。

また、高架道路には両側に腰くらいのコンクリ壁があるが、京王側にはそれが残っていたが

https://goo.gl/maps/dTeGpTE7c3S3KeLv6

小田急本館側は店舗の奥行きが拡大されており、撤去して本館躯体まで床を拡大する工事が途中で為されたと思われる。

 

利用していた人らやここで働いていた人らもここが高架道路の上とは思ってなかったんじゃないだろうか?

 

耐震工事してあったのかな?

阪神大震災で数多の高速道路鉄道高架橋が落下してしまい、急遽全国的に落下防止装置、橋桁を巨大チェーンやワイヤで橋脚と繋げるあれの工事をしたのだが、モザイク坂はやってあったのだろうか?疑問である

モザイク坂とミロード、一度下から見てみたかった。

みんな気が付かなかっただろうけど相当な変態構造物だったんだよ、というお話でありました。

2023-03-17

anond:20230317145021

なんか懐かしいな。

昔おじさん達が言ってたのは、

 A「○○さんは何線?」

 B「小田急

 C「東急

 D「国電

みたいな感じだった。

かに色んな路線国鉄私鉄かを区別するような感じだったと思う。

国鉄=定期高いみたいなことも言ってたような気がする。

anond:20230316133835

E電国電の言い換えじゃなかったっけ? 山手線だけじゃなくて東京圏国鉄通勤電車路線が全部「国電」→「E電」。中央線総武線も含めて。

anond:20230316084130

スワローズ国鉄って、、そんな時代があったとは、昭和生まれの俺でも知らんかった。(てゆうか、国鉄って、、)

2023-02-17

リニアモーターカー国防

考えすぎかもしれないけれど…。主に環境問題からやり玉にあげられるリニアモーターカー(以下、リニアと略す)だけど、国防観点から議論があってもいいように思うんだよね。

アルファベットGoogle会長オバマ政権時に米国イノベーション委員会(DIB)の議長も務めたエリック・シュミット氏が指摘するように、AIは第二の核兵器となり戦争根本から変えてしまうと言われている。そしてあまり話題になることはないが、AI電気を大量に消費する。2030年までに世界の消費電力の最大20%がデータセンター関連が占めるようになるという予測もある。

AI有事の時にだけ稼働させればよいという性格のものではない。311の時のヤシマ作戦は使えない。EVも普及していく流れにある。EV国際的トレンドであるため、抑制は難しい。一方、リニア日本だけの事情であるため、比較フリーハンドで考えることができるはず。少しでも節電できるもの節電してインフラ設計していくのがポスト核抑止力としてのAI時代制度設計なんじゃないだろうか。

かつて(1989年)、リニアの消費電力量について、元国鉄技師某氏が「1 人あたりでは新幹線の 40 倍」と主張し、鉄道総研理事長が「東海道新幹線の3倍」と反論したことがあったそうだが、3倍のコスト意味が、論争当時(平時)と今(準有事?)とでは違ってきたと思うんだよね。

リニアは、東海道域に地震噴火があった際の代替手段位置づけもある。であれば、現行の東海道新幹線と同等の輸送量/時での消費電力量を第三者(できれば国防関連機関)がきちんと算出し、その差分スピードアップコストとして考え(私は新幹線大好き中央新幹線新設でいいじゃん派なので)、その電力の使い道がリニアでよいのかコンピューティングを優先すべきなのか、国防観点から安心させてもらいたいと思う。それに、リニアってネット環境大丈夫なんだろうか。

2023-02-11

anond:20230211122307

営利企業なんだから知ったこっちゃないだろ

それでもやりたいなら国鉄を復活させろ

2023-02-02

仮に国鉄民営化しなかったとして

過疎ローカル線廃線は避けられなかったのではと思うんだけどどうなんだろうか

2023-01-25

anond:20230125143843

Hmm…最近日本人も腐ってきたっていうか…

爺さんがいってたよ、「覇気がない」ってな。

国鉄のころはみんな総出で雪かきしてたけどjr北海道は遅れてばっかりだと。

いずれはAI管理するのかもなぁ

2023-01-14

anond:20230113230930

国鉄時代列車アナウンス日本人でも何言ってるか全然わからんかった。最近どこの列車もイケボで分かりやすくなってるのは良い傾向

2023-01-12

anond:20230112103525

これはアウツ

国鉄総武線西船橋駅ホームヌードダンサー女性(41)に対して、都立高校体育教師男性(47)が泥酔して絡み、

罵声を浴びせ頭を小突いたり、飛びげりの真似をしたり、胸ぐらを掴んだりし、さらに両手でコートを掴んできて揉み合いとなった。

成人の日前夜で酔客も多かった。

周りで見ていた客は見ているだけだった。

傍観者効果か、面倒なものに関わりたくなかったか

男性から離れるため突き飛ばしたところ、男性はそのままよろめいて線路上に転落してしまった。

男性は這い上がろうとし、他の客も引き上げようとしたが、入ってきた電車ホームの間に挟まれ即死した。

当時は教師ダンサー職業の違いを興味本位で伝えるマスコミもあった。

女性北九州に夫と3人の子供を残して出稼ぎに来ていた。

2022-12-17

JRグループ7社をアイウエオ順にソートすると、南から順に並ぶ

まりJR貨物JR九州JR四国JR西日本JR東海JR東日本JR北海道となり、貨物が先頭に来て、その他は南から順に並び、非常に並びが良いと思う。

これも、国鉄民営化の際にちゃん考慮していた事項なのだろうか?

2022-12-09

バスより高い鉄道など要らん

空気を運ぶ無駄鉄道」として国鉄民営化されたが

民営なら儲からなければ廃止しかない

高校卒業後したらみんな自家用車から

鉄道は乗らなくなる

2022-11-30

デイリーポータルZの「埋まったライオン」の過去

何故かDPZオンライン調査不十分なんで調べた結果を公表するよ。

現場第三京浜玉川インターチェンジ近くの多摩川左岸東京都側)だ。座標としては「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」だ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-lion

 

Google Earth

まず、Google Earth過去イメージが見られるので見てみよう。

Google Earthを起動して検索窓に「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」を入力。拡大すると草原の中にオレンジ遊具が見える。拡大しすぎるとストビューに切り替わるのが大変にウザイ

 

メニューバーの「表示」→「過去イメージ」にチェックするとスライダーが現れる。

鮮明な画像が得られるのは余りない。1997/12、2004/12、2007/12、2010/5、それ以降くらいだ。

1997年12月:オレンジ、白、白の三つ巴になっている画像が見られる。2つの白いのは消失した遊具と考えられる。

2004年12月:白い遊具が一つ消失しているのが判る

2007年9月):台風河川敷洪水画像無し。

2007年12月:上記のまま。オレンジ遊具+白い遊具1つ。

影の長さから遊具の高さを推定する。ここは東京電力送電線の真下なので注意看板がある。看板の高さは1.8m。ライオンの影はその1/4。オレンジライオンは頭の部分だけが高く、影もその部分だけ長くなっている。看板の1/4なので50cm程度と推定される。後に人がしゃがむ画像が出てくるが、大人がしゃがむと約1mでその半分の高さなのでこの推定は合っている。

また、右に寝っ転がり後ろ足を左に投げ出したデザインという事も判る。(足の部分は現在埋まっているので見えない)

白い遊具の影の長さはライオンの頭部の1/3位だが、遊具中心から距離を考えるとライオン頭部の1/2。つまり遊具の高さは25cm程度と推定

2010年5月:白い遊具消失

2019年10月):台風19号で洪水画像無し。

2020年10月ライオン遊具の周りが凹んでいる。

 

ストビュー

次にストビュー過去イメージを見てみよう。ストビュー過去を見る時は、車通りが多い道から見える箇所がないか探す事だ。徒歩道では全天球カメラを入手した物好きがスポット撮影したものしかないが、大きな車道ストビューカーが何度も撮影している。

それで非常に重要なのがこれだ。

https://goo.gl/maps/XDnKwZfkz2V1YzRs5

ライオンが傾いてしまっているのだ。2014年3月撮影だ。また、しゃがんだ大人子供が近くにいる。

左上の日付箇所をクリックするとスライダーが現れる。2014年7月に移動して欲しい。

なんと戻っているのだ。更に高さも戻っている。

次に2020年2月にして欲しい。2019年台風19号の翌冬だ。

高さが変わっている。地面より深い所に居て、しかも周りを掘ってあるのだ。

 

保守管理痕跡

多摩川河原はこの25年で2つの大きな台風による洪水に見舞われている。2007年9月と1019年10月だ。

この台風前後遊具に起きた変化は次の通り。

2007年消失無し。少し埋まる。

2019年消失無し。大分埋まる。

 

変化があったのは次の通り。

2004年以前:白遊具一個消える。

2007年2010年:白遊具もう一個消える。ライオンだけになる。

2013年2014年3月ライオン傾く。

2014年3月7月:傾き直る。

2019年6月2020年2月大分埋まったライオンの周りが丸く掘られる。

 

こうしてみると、他の遊具が消えたのは台風のせいじゃない。

そもそもこういう遊具は古い薬局の前のサトちゃん人形みたいに、FRP製で中に鉄のアングル材の骨組みが入っている。更にここは洪水浸水する地域なのであらゆるものが水に浮かない、流されない重さで作られているはずだ。中にコンクリが充填されているかもしれない。台風で流されたりは考えにくいのだ。

そして傾いたライオンが起こされたり、周りが掘り返されたりというのは、保守されているという事だ。

更に洪水で泥が堆積する箇所というのは土壌が肥沃であり、草は伸び放題になる。つまり草が低いというのは毎年この個所を草刈りしてるという事だね。

 

とすると、白い遊具は「撤去された」というのが真相ではないのか?2004年以前に一個と2007年2010年にもう一個撤去されたと。

理由は、壊れたとか、クソ重たいのに3つも掘り返すのめんどくせぇ委託業者高齢者が多いのによぉ、とかそんなところかなと。

 

増田の当て推量

最初Google Earthで見た時には白遊具はただ埋まってるだけかも、と思ってスコップ持って出かけようとしたが、ストビュー見たら2019年台風19号以前にすでに消えてたのでこれはやはり撤去結論した。

つーわけで、放置プレイに見えるが管理されているのでした。

ただ、隣の砂場は土に埋まってるのは確実なので、掘り起こしたら砂場が復活…するけど土砂の堆積が50cm近いので、落ちたら出られないアリ地獄的な砂場になりそうだ。

それと、ここは送電線の真下なので管理東京電力がしているという可能性もある。つまり公共地(河原の主有権は誰にもない)を使う(地上権設定)見返りに公園の一部として整備した、って感じかなと。

公園多摩川遊園)全体は自治体管理なので遊具を置かなかい原っぱや避難場所とかの今風に変化させられているが、送電線下だけは東電建設省(当時)の取決めがあって、設置物は東電のものなのでいじれないんだよねぇ…という、アキバヨドバシの角に小さいビル(Veloceが入る)があるみたいな事かなと想像する。

からDPZ東電にも取材しないとダメだと思った。 

 

 

 (

最後アキバヨドバシ角のビルの事が気になる人がいると思うので説明すると、あのビル青果仲買人協会土地西口ダイビルUDX青果市場跡地で、東口のヨド、富士ソフトロータリーTX駅は高架式貨物駅だったので、仲買人は駅の中を通って市場に行っていた。秋葉原貨物駅では当然青果物も大量に扱うので仲買人は国鉄下請け日通にとってお得意さん。そこで貨物駅一角譲渡して仲買人事務所を建てた。あの一帯はJR日通が所有する貨物駅跡地をそのまま再開発したもので新たな地上げは行っていない。故に、あの角ビル地上げ抵抗した結果というネットでの風評は間違い。元々お得意さんとして市場の仲買人を国策誘致した土地

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-10-22

デモとかストとか

外国では結構やってるのに、氷河期世代はそういうのをバカちゃんとやらなかったか高齢者になったら切り捨てられるよ、ああいうのちゃんとやらなかった氷河世代の“自己責任”だよね…みたいな意見があって、はてなー琴線に触れてるようだが。

でも、日本デモとかストとか、あんまり成功してねえよなあ。

“アンポ・ハンターイ”っていっても、もし日米安保がなかったらその後の日本平和も安定も経済発展もなかっただろうし、そのへんの運動が先鋭化いった先が“あさま山荘”だったことはみんな知ってるとおりだし。

まあ、東大紛争で“無給のインターン”が改善されたのは良かったんだろうが、その後の安田講堂とか今となっては意味わかんねえし。

国鉄デモなんて利用者怨嗟を買って上尾乗客暴動がおこったりしてる。

最終的に中曽根国鉄解体したわけだけど、JRになってしばらくは“やっぱり民営化してよかった。サービスも良くなったし”って評価が圧倒的だったと思う。

最近になって、JR北海道の惨状とかがクローズアップされてきて、“分割民営化は間違いだった論”が出てきてるけどさ。

氷河期世代が育った自体は、そのへんのデモやらストやらがすっかり下火になって(下火になったお陰で)、バブルに向かって邁進し、やがて日本経済世界の頂点を極めたんじゃないか?という幻想に酔った時代だったと思う。

それは文字通り、バブル=あぶく銭に乗っかった幻想だったわけだけど。

その後、失われた○十年(まだ現在進行系なので、最終的に○にどんな数字が入るのかは見当がつかない)に入ったのは皆さんご存知の通り。

でも、氷河期世代の育った時代の背景をみると、失われた時代を取り戻すための手段として、デモやストに希望を託す、という芳香にもなりにくいと思う。

なにしろ過去の失敗しか知らないのだから




そして、そんな時代を生き抜いた勝ち組であり、いまネット論壇でやたら注目を集めて若い世代に支持されてるのが、デモやストを冷笑する男、“ひろゆき”であったりするのである

2022-09-22

anond:20220922082518

中曽根首相在任時は、オレはコドモではなかったが、ちょうど大学行ってた時期だ。

そのころの政治経済イベント?変革?というと、国鉄・電電・専売三公社民営化レーガンと「ロン・ヤス関係」で日米安保の強化、プラザ合意円高とかか。あと、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか言われて製造業輸出で景気は好調

駅の窓口係員が丁寧な接客するようになったとか、電話機好きなデザイン自由に選べるようになったとか、食塩がいろんなバリエーションで選び放題になったとか、大学卒業旅行海外行ったあたりがとても円高で割安お得だったとか、景気の良い時期だったので就活は楽勝とか...

尊敬」まではないけど悪い印象はないね中曽根国葬ってなったら別に反対はしないw

2022-09-17

典型的左派思想だな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yuandundun/status/1570729561012436994

学生運動」に括ってしまう事で、赤ヘルゲバ棒をただの運動であるかのように言ってみたり

学生運動」に高尚な思想があったからと、赤ヘルゲバ棒への批判嫉妬だとしてみたり

右派テロ行為」がまるで市民肯定されているかのように言ってみたり

SEALDsへの批判ってのは、選挙ギャルズへの批判と同列の物なんだけど、その批判学生運動への批判だとしてみたり

あれらは「どうして解散するんですか?」が批判されるのと変わらんわけよ

ものすげぇ党派性が強いのに、それを隠して「若者代表」みたいに活動するのは醜悪


右派テロ行為」と並べるって

極右にだけカウンターすれば満足なのか?

結局「学生運動」はそういう極右テロと変わらんとするのか?

違うだろう?

赤ヘルゲバ棒は「学生運動じゃねぇ」だろ?

自分で「右派テロ行為」と同レベルまで貶めるって、それ批判派よりひどくねぇか?



国鉄運動も、結局共産系に乗っ取られて市民の支持を失うわけですよ

JRとかは革マル追放とか広報する位には、ずっぷりなわけですよ

学生運動もそうだけどそういう「活動家の先兵」とされてしまった結果が、日本労組やストが忌避される空気感なのに

自分らは正義執行をしたのに、愚かな国民台無しにした、みたいな態度は、どうなの?

そういう総括が先だよね

共産系の打ち合わせとか出てみ?

70超えた爺さんがさ、口角泡を飛ばしながら「最近の若者は」ってやり始めるんだぜ?

勘弁してくれよってなるから

あれで若者共産党に入ってくるわけない

2022-09-14

anond:20220914183817

学生運動をクソにした奴らが悪い

国鉄のストのせいでストに悪い印象しか持たなくなったのと同じ

2022-09-05

anond:20220905065143

そもそも民営化したのが間違いだっただけ

田舎路線が採算なんてとれるわけないし、全体で+になればよかっただけでしょ

国鉄労組潰したかっただけなのかもだけど

2022-08-27

安倍元首相国葬に納得いかない分からず屋に説明してやる

安倍元首相吉田茂以来の国葬ということになる。つまり吉田茂以降の首相はいずれも安倍元首相より格下ということでないと説明がつかない。本当にそうなのか、改めて検討してみよう。

以下に有名どころの歴代首相とその功績をリストアップしてみた。

吉田茂以降の素晴らしい実績のある首相リスト

池田勇人

任期間1960-1964。所得倍増計画を掲げ、これを実現する政策を次々と実施。実際に7年で国民所得は倍増、日本経済高度成長期の基盤を作った。

佐藤栄作

任期間1964-1972。日本経済高度成長期を持続。外交面では沖縄および小笠原諸島返還を実現。ノーベル平和賞受賞。通算在任日数歴代2位。

中曽根康弘

任期間1982-1987。国鉄電電公社専売公社民営化を実現。また日米の経済面・安全保障面での関係改善を実現。

安倍晋三

任期2006-2007および2012-2020。アベノミクスにより経済成長を実現したものの、国民所得は横ばい。2度の消費税引き上げ実施(5%→8%→10%)により国民の実質所得はむしろ低下。外交面では北方領土交渉を後退させた。通算在任日数が歴代1位となった4日後の2020年8月28日に辞任を表明。

改めて安倍元首相凄さを見ていこう

改めて見れば戦後歴代首相よりも安倍元首相が優れている点は明らかだ。通算在任日数歴代1位の一点突破。本当にわかやすい。ニュースなどを見てもそれ以外の説明を見たことがない。在任日数に入院していた時期が含まれることを考えると歴代1位というのも怪しい記録のような気がするが、記録は記録だ。

それ以外に何が評価ポイントなのか、歴代首相より何が優れているのかは判然としない。

経済面の功績というなら池田勇人の方が優れていると言わざるを得ないだろう。

外交安倍」などという異名もあるようだが、わかりやすい成果を作れなかっただけでなく、北方領土交渉では大きな失点を記録している。

安倍元首相国葬閣議決定だそうだ。「とにかく1位は偉いんだ!」「そうだそうだ!」といった会議の末に決まったのかもしれない。非常に知的議論であり、安倍元首相亡き後も美しい国日本は安泰である

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