はてなキーワード: サングラスとは
大叔父の話だ。
豪放磊落な職人で、昔はパンチパーマに紫のサングラスをしていた。
大叔母に聞くと、いま68歳だと。
一昨年あたりから外見が急に変わり、老人というよりは幽鬼のような顔になり、自力では動けなくなっていた。
68歳、人によっては全然元気で、人生を楽しむ時期らしい。現に同い年の俺の親父は元気にバレーボールをやっている。
にもかかわらず、大叔父は来月100歳になるうちの曾祖母(大叔母の母)よりも年をとって見えた。
昔、太かった腕は枯れ枝のようになって筋肉はほとんど溶けてしまった。
厚ぼったい唇もなくなってしまった。
大叔母は俺に微笑んで状況を説明しながら、大叔父の手をさすり、やがて耐え切れずに泣き崩れた。
すでに先月から会話もままならなくなり、本人の体力も先日罹患した肺炎で尽きてしまったということで、現在は透析も行えない。
そして、今後も再開はしない。
ともかく、大叔母は圧倒的に間近に迫った大叔父の死に向き合いながら病室で寝起きをしている。
不可避の事象ではあるけど、長年連れ添った亭主の人生の幕を引く、あるいは幕引きを了承してしまった大叔母の心中も察するに余りある。
*
「輪廻って本当にあるのかな」
「何いきなり。宗教的な話とか嫌いじゃなかった?」
「ループしてるってこと? デジャブってやつじゃない?」
「いや、もっとはっきり分かるんだ。たとえば次の新橋駅で、飲み会帰りのサラリーマンがたくさん乗ってくる」
「酔っ払い達が大量に乗ってくるんだぞ」
「そりゃ金曜夜だしねぇ。ていうかそれ、輪廻じゃなくて、何だっけ……思い出せないな」
「なに、違った?」
「だって生き返る話じゃないでしょ? 輪廻って生まれ変わる話だよ」
「よくわかんないんだ。こういうの何ていうんだっけ?」
「現在から過去に戻って繰り返す……あ、そうそう、タイムリープだ!」
「あー、でもおかしいな」
「何が?」
「過去への巻き戻りを起こす人は、時間を操るガジェットとかを持ってたりするんだ」
「タイムマシーンとか? そんなの持ってないぞ」
「そうね。あなたの狭いワンルームにそんなものを置く余裕がないことくらい知ってるよ」
「余計なお世話です」
「すると残るは時間を操る超能力って線だけど、あなたがもし超能力を持ってて、それをずっと隠していたなら、今が危機的状況じゃないと変なんだけど」
「どういう意味?」
「未来から来たあなたの正体は悪の組織と戦うヒーローで、超能力を隠しながら現代社会に溶け込んでいるの。それが危機的状況に陥り、ヒロインである私はあなたの真の姿を知ってしまうのであった」
「多分ツッコんだほうが良いんだろうけど、面白いから放っとくのもいいかも」
「もしくはあなたのほうが悪者で、私は騙されている清純可憐な少女で」
「でも少女って、もうすぐ30……」
「うるさい、まだ29だっつーの。それでね、そうね……ドアの所に夜なのにサングラスかけてる女の人がいるでしょ? あの人が私を助けに来た主人公」
「うーん、どっちも嫌だな。平和なほうがいいなぁ」
「あとは本人の力じゃなくて、巻き込まれ系ファンタジーって線もあるか」
「勘弁してくれ」
「歴史を守る時の女神と、改変しようとする悪しき神がいて、あなたはただの無力な男にも関わらず、その戦いに巻き込まれたの」
「ノリノリですね。知らなかったけど、そういうの好きなんだ?」
「確かに嫌いじゃないです。はい」
「意外な一面だ。なんというか、非常に良いっす」
「すいません、突っ走りすぎました」
「たまには良いでしょ。でさ、それより本題に戻ろう」
「うん。前にこの景色を見た気がするって話ね。他に何か、違和感とかない?」
「違和感ねぇ……あのさ、もしかしたらだけど、俺たちもだいぶ酔っ払ったのかな」
「何か気づいた?」
「たぶんだけど、俺の記憶が正しければ……この会話自体も繰り返しになってる気がするぞ」
「そうかな? 言われてみれば、さっきも似たようなこと喋ったかも……」
「できそこないの、しりとり」
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/baby__harassment
夫が息子を見てくれるというので1ヶ月ぶりに1人で外出をしていた。天気もよくて、外を1人で歩いているだけですごく幸せだった。2時間という約束で出かけたのでそんなに遠くにはいけない。近所のドトールでお茶をしようと決めて、抹茶ラテを飲みながら、アマゾンミュージックで音楽を聞き、そしてネットサーフィンしていたらこんな記事を見つけてしまった。
私も読まなきゃいいんだけど、タイトルからつい気になって読んでしまって、酷い内容でびっくりした。ブックマークコメントの途中まで読んだところで、もうどうしようもなく涙が止まらなくなってしまったのでみっともなくてサングラスで目を隠してドトールをすぐに出た。
ネットに子育て世帯を叩く風潮が広まってるのは知ってた。だけど実際に子供を産んでみて、社会の子育て世帯への温かさに逆にびっくりして、なんだこんなに世間は優しかったんだなぁってすごく安堵した。電車や病院で子供をあやしてくれるおばちゃん、おばあちゃん。優しくサポートしてくれる店員さん、ママさんたち。迷惑かけちゃって謝ってもみんないいんですよ、いいんですよってニコニコしてくれた。
だから私はなんだ世間って優しい人が多いなぁ、すごくすごくありがたいなぁって思ってた。
でもまたこの記事を読んですごく打ちのめされた。やっぱり電車やレストランで赤ちゃんが泣いたりするとそれをすごく迷惑に感じる人が実際にいるんだ。それもこんなに沢山。
そうだよね、赤ちゃんのためを思うなら外食なんてダメ、実家への里帰りもダメ。ましてや家族旅行なんて絶対ダメ。
でもね、親はもちろん全部赤ちゃんの体調最優先で考えてる。
考えてるよ!言われなくたって考えてるの!
出かけるところにオムツ替えスペースはあるか?授乳室はあるか?赤ちゃんは寒くないか?暑くないか?眩しくないか?赤ちゃんが疲れる前におうちに戻ってこれるか?出かける直前におっぱい飲めるように起きた時から授乳のタイミングを調整して...
それだけ気を使って、その上で少しの贅沢を望むのがそんなに悪なの?赤ちゃん持ちが家族でちょっとお出かけしたり、外食することのなにがそんなにいけないの?
追記で、「子供育てたこともないくせに、とか酷いです!」って言ってるけど、ぜひ子供が生まれた後に読み返してみてその感想を教えてね。
わかりやすい例として沖縄県糸満市で中学生がコンビニのアイス冷凍庫に入って炎上したという事件があったが、
はてブの反応
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1708/03/news057.html
https://twitter.com/51w_/status/892724552911867904
という風に感性は大して変わらないし、叩けると思った相手にはピラニアの様に集団で襲いかかるという行動は良くにている。
そもそも、はてなブというのは他のサイトに寄生して一行コメントをするというサイトだ。
他のサイトに寄生?思い出してみようニコニコ動画の最初期はどんなサイトだったか?ニコニコ動画はYoutubeに寄生してコメントをつけるというサイトだったのだ。
淫夢厨というとゲイビデオばかり、注目されるが、Youtubeで動画を上げてる人間を炎上させる事も多いのだ。例えば「性の喜びおじさん」の動画はニコニコにアップロードされたのをきっかけに炎上した。他にも電車で叫ぶおばさん、厨房プレイをするゲームプレイヤー、ネカマに釣られた人間などを餌食にしている。恐らく彼らからすると叩くに値する人間なのだろう。
はてブで叩かれる人間も豊田真由子議員の様はてブから見ると叩かれる理由のある人間だ。因みに彼女は淫夢厨の動画の素材にもなっている。
他のサイトを炎上させるというのは、はてブお得意というかはてブのホットエントリーの多くは他のサイト炎上させて娯楽として消費するというものだ。
というかそもそもはてブは「ネットイナゴ」といわれた元祖火をつけてまわる炎上サイトだ。
最近よくみるtwitterにアカウントを持っているにもかかわらず、はてブでコメントしている人間をみると安全圏から叩きたいという欲求が大きいのだなと思ってしまう。
淫夢同様、はてブの人間はotsuneのアナル・セックスだのサイバーサングラスのセックスだの人の性を笑い者にするのが大好きだ。
こんばんは、ニート歴6年の雄です。
未来はとても明るく、そして暗いですね。
私の生きがいは目下のところ歩く事です。4時間。距離はだいたい22kmくらい。
意味はありません。音楽も聴きません。帽子と淡いサングラスをつけて、ジャージにTシャツといういで立ちで歩きます。
色んなものを見ます。人、車、建物、植物、犬、猫、虫。どれもいつ見ても新鮮で、生きているという実感がわきます。
私は一度も働いた事がありません。学生の頃のバイトは勿論、就活も全くしていません。
私にはお金があります。莫大なお金が。一生遊んで暮らしても多分なくならないでしょう。
何を買ってもよかったのですが、私が社会人になり最初に買ったのはナイキの靴です。
人々は働いています。一生懸命。どこに行っても彼らの輝きを感じます。
私はどこまで歩けばいいのでしょう?こんなに歩いても、目的地に近づいた実感がありません。
3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。
中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。
辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。
中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。
1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。
その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会に進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。
また冬が来た。
去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。
「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍が口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。
真冬で太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。
一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。
県大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。
僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。
東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。
勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。
僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。
ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。
2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。
そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。
設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会に運動部が出場するのは初の快挙だった。
僕らは涙を流しながら抱き合った。
顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。
数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会の舞台に立った。
1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。
実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。
全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。
詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイクで大会に臨んだ。
だがこの判断が間違いだった。
ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。
下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。
集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。
僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。
僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。
仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。
自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。
同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生の勧誘やらを前に迷っていた。
「これから先でも戦えるのだろうか」
全国大会で天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元の友達皆が行く近場の学校に入学しようと考えていた。
そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。
僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。
正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。
結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心はボロボロだ。
それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。
前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。
色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。
僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。
この事実を教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑だから走れ」と練習を強制された。
当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。
僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。
そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。
今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。
歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。
この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。
1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。
ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。
それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎの区間だったが。
少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。
怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。
それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。
僕は迷った。
でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。
少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしまい練習ができなくなる。
救いなのは大学はある程度自由にトレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。
ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝のメンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。
県大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。
正直箱根駅伝のメンバーにもなれない人間は実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。
でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。
最近、mixiからレイバンのサングラスが3999円!という広告メールが来る。
しかし、そのメールにより高校時代になぜか大繁栄したmixi文化を思い出し、
おそらくmixiブームのど真ん中世代である年上のアルバイト先の先輩やら、その当人とは、mixiをやっていた当時はまだ出会ってさえいないであろう大学で出会ったサークルの後輩兼恋人。彼や彼女の青春時代を知りたくログインし検索したものであったがどちらもアカウントは見つからずじまいだった。
アルバイト先の先輩とは一瞬二人だけで遊んだ期間があった。氏はそれほど見た目が麗しいというわけではないが、年上、という憧れからなのか当時恋人がいたことをとても妬ましく思っていた。略奪したいと思っていた。
結局自分は恋愛経験も乏しく駆け引きなんて無縁のことだったから、自然消滅し、氏のラインも自分のアカウント削除により見失ってしまった。
あれから数年経って氏はどこかの企業に勤務してるのであろう。一人暮らしを始めたのか、恋人とは今も続いてるのか、何もわからない。(初めて出かけた時、氏は恋人といずれは結婚するだろうと言っていたな)
性格が悪いけど、当時の自分のあがきがちょっとでも実ってほしくて、別れててくれるとうれしい。なんて
脚がきれいに見えるって、誰の為に脚をきれいに見せなきゃならんのだ。
フラットシューズを履こう。
それの何が問題だ。
敬意の表明を形式化し、人付き合いを円滑にする為の道具だ。
フラットシューズで働けたらいいのに。
それができない理由って何だよ。
マナーって何なんだよ。
爪先立ちの不安定な靴を履けるかって話か?
ヒールを履いた女の方がそそるかって話か?
ふざけんな違うだろ。
痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。
互いを敬うマナーを推奨するなら、爪先立ちの靴から労働者を解放する事が筋じゃないのか。
これは我儘なのか。
風呂や剃毛は修行せずとも出来るが、ハイヒールはいきなり履けやしない。
革靴は電車とホームの間にも中々落ちないが、ヒールの踵は側溝に挟まる。
世の中皆がperfumeじゃない。
私に選ぶ権限はなかった。
「履きたくなきゃ履かなきゃいい。
でも履いていないと、履いている人間と比べて不利になる。
だから仕方ない。
皆、履かざるを得ない。
結局、互いを縛るのは互いに過ぎない」
「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。
現状は囚人のジレンマ。
AさんとBさんがそれぞれヒールを[履く、履かない]。
履かないBさんの評価が相対的に下がって、社会的に不利になる。
ゆえに[履く、履く]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、
実際のところは[履かない、履かない]で公益は最大だ。
我慢するぐらいなら履かない方が良いに決まっている。
じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。
履かなくても不利にならない状況を作るしかない。
フラットシューズが正装になれば、ヒールと並んだ時に顔をしかめられる事もなくなる。
「履きたくて履いてる人もいる」と別の人は言う。
そりゃそうだ。
履きたきゃ履けばいい。
だが履かなきゃならない理由にはならない。
カレーの辛口は訓練すれば食べられるが、誰もが食べなきゃならない道理はこの世にない。
全員がスカーフを巻かなきゃならないわけでも、サングラスをかけなきゃいけないわけでもない。
履くのが苦痛だという人間の権利も守れたらwin-winだという話だ。
それらが選べるなら靴の種類だって選ばせてほしい。
身だしなみを巡る問題にはそりゃもう色々と感情的な要素が絡んでくる。
だが、これらの意地や怒りは良いものか。
これらに従う事は、少しでも何かを良くするか。
他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。
「なら正装の条件を変えよう」「慣習を逸脱するのは良くない」
堂々巡りの議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。
そういうことではなく。
文化の話だ。
船乗りは船に乗る。
船の上では日焼けする。
過度な日焼けはガンの元となる。
らしい。皮膚がんとか。具体的には有棘細胞ガンや基底細胞ガンを起こしやすくする。らしい。
ならば皮膚ガンになりやすい職業のトップに来ていてもおかしくはない。
どこの船にも日焼け止めクリームがあり船内や港の掲示板には啓蒙のためのビラが貼ってあるのかもしれない。
とは言え、そのような健康を気にする風潮が船乗りにあるのかも疑問である。
たとえば彼ら船乗りが自分たちを世の誰よりも男らしいと誇っていれば、日焼け止めは女が使うものとみなしていても不思議ではない。
白内障対策にサングラスをかける者をもキザったらしいと馬鹿にする風潮さえあるかもしれない。
どうでもいいね。
昭和50年代半ばの北関東で、市内の小学校まで片道12kmをバス通学していた。東野(とうや)バス。
いまでも、あの当時、のっていたバスのナンバーと特徴はよく覚えている。
…だと、スロットに手をかける人が少ないから、塗装の剥げるのが遅い。11-28と11-29, 11-32, 11-34がこれに該当した。海星女子学院のおねえちゃんたちは定期か回数券が多かったみたいだ。おれもそのころはふさふさしていた。
ワンマン掲示は、これなんかがイメージに近い。ただ、ぼくが乗っていたのはこれじゃない。写真は、おそらく2代目か3代目の11-34号。
ハードタイプ(うまく説明できないんだけど、かまぼこをつりさげるみたいな感じ)と、ソフトタイプ(半透明の薄いボード)がある。この、ソフトタイプのクールないで立ちが、子ども心に何とも恰好よくみえた。
土曜日、宇都宮東武発の時刻、12:25が海星、12:30が東高橋益子、12:35が水橋真岡。(これははっきりとは覚えていないなあ…)
たまに寝過ごして、終点の真岡や益子まで連れていかれて、そんなときは運転手さんが運賃を請求するのでもなく、おしゃべりしながら戻りのバスで運んできてくれた。パンチパーマにサングラスの杉山さん。「ため」を作らない、めっぽう軽快な変速と走りで、鬼怒大橋の上で65kmを出したのが、ぼくの知る最高記録。
まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。
ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。
小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。
きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。
そのときぼくは思ったよ。
「あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。
もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。
しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ。
それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。
自慢じゃないがぼくのいた公立高校は男子童貞率96%、つまり非童貞はクラスに一人くらいしかいなくて、
しかも在学中に処女童貞を失った場合の浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲=正義だったんだ。
もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。
受験勉強の甲斐あってぼくは現役で大学に合格し、その喜びもつかの間、片想いの女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大に合格して大学生になったことを知った。
当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分の大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。
「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。
ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。
向かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか。
だからぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。
今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。
京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。
しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。
ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。
しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。
秋になって、いろんな大学の学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大の学園祭に出かけた。
高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。
実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから。
N女子大学の模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。
「あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。
そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。
とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。
でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。
だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。
N女子大の学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。
普通のカップルのように彼女と学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。
しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャルな領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。
その理由は簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。
手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。
そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣に住吉大社に出かけ、そこから阪堺線のチンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。
潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。
あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。
そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。
しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。
どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。
まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。
もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。
ぼくは免許を取り、中古車でいすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。
Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬のおもちゃみたいなケーブルカーに乗った。
汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。
ぼくは赤面した。
キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか。
まだぼくは胸を見たこともないのに・・・・
いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為のさらに先に位置するものであるはずだ。
ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら
先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である。
もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。
つまり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要な法則をそのときに発見したのだ。
ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。
ぼくはその真理をここに理解したのだった。
その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。
ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。
当時はまだ原付にヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。
ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会で聖書を見たいとは思わなかった。
僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要な書物であった。
「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。
ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。
そのとききみはブラウスのボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。
そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠の憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい?
東京ニュース通信社の週刊テレビ情報誌『TVガイド』では「週刊スマスマ新聞」というコーナーがあり、1996年の「SMAP×SMAP」放送開始直後から記者が収録現場を取材しメンバーやスタッフにインタビューして記事を掲載している。
2016年1月18日以降放送の「SMAP×SMAP」の中から、特にTV未公開の収録現場でのSMAPの様子やメンバー同士の会話を中心に「週刊スマスマ新聞」の記事を引用しまとめてみた。
なお「SMAP×SMAP」の基本的な放送内容は「gooテレビ番組」から引用させて頂いた。
BISTRO SMAP
今夜は、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」に出演メンバーが登場した。注文は「自分でも作れる簡単なお鍋」
- 男女混合グループであるAAAをうらやむ中居くん、「いいなぁ、俺らも女の子入れない?」とメンバーに提案を。すると木村くんが「こちらまで募集しま~す(笑)」とカメラに向かってニッコリ。中居くんは「自分でカワイイと思う女の子だけ応募してきてくださ~い(笑)」とシビアな補足をしていました。
- 芸能人にうとい様子の森川葵さんに、「SMAPの名前全員言える?」と尋ねる中居くん。なんとか全員言えたものの、中居くんは「じゃあKis-My-Ft2は?」と追撃し、森川さんを困らせます。そんな中居くんのイタズラ心を、木村くんが「やめとけ、やめとけ。完全に遭難してるぞ(笑)」と止めていました。
- 客席アンケートでは月9チームが勝てばビストロ特製皿がもらえるはずでしたが稲垣くんが正解しSMAPチームの勝利に。「稲垣さんのせいでお皿もらえませんでした~(笑)」といじる中居くんに「何で勝ってこんな気持ちにならなきゃいけないの(笑)!」と稲垣くんナカゴロならではのやりとりに一同爆笑!
- 月9チームが来店したビストロにて。「簡単にマネできるお鍋」というオーダーを受けて用意した鍋を配膳しながら、稲垣くんは「庶民的な味だから中居くん好きだと思う(笑)」と中居くんイジり。中居くんから「バカヤロー、大金持ちだ俺(笑)」と子どものように言い返され大ウケの稲垣くんでした。
- チーズが苦手という有村架純さんですが稲垣&草彅ぺアのおいしそうな料理に「挑戦してみようかな」と乗り気に。木村くんは取り皿に分ける稲垣くんに「チーズ少ないところ作ってあげて」と声を掛け稲垣くんも「チーズ克服できたらいろんなもの食べれるよね~」と。とても優しいシェフたちでした。
- 今回の料理はお手ごろ価格で設定されており、「350円でできるんです」と稲垣くん。その後、少したってから中居くんが草彅くんに「で、いくらなんだっけ?」と試すように聞いてみますが、案の定草彅くんは「380円?」とすっかり忘れており…。「吾郎さ~ん」とお兄ちゃんに泣きつく草彅くんでした。
- "おいしい~"でビリギャルに変身した香取くんは、女子になりきり、スカートをパタパタしたり男性陣にだけ優しくしたりと暴走気味。爆笑の月9キャストに「この人こういう仕事で家賃とか払ってるの(笑)」(中居)、「こう見えて同時期に他局でドラマやるんですよ(笑)」(木村)と上2人が見事フォロー!
BISTRO SMAP
チャレンジ!コップのツヨ子
シャッフルBISTRO
オーナーは木村拓哉。ゲストは稲垣吾郎。オーダーは、「稲垣吾郎に食べさせたい料理」。
- シャッフルビストロで、稲垣くんはゲスト席に座りながら「いやいや、すごいなー。3人はこの気持ちを味わったわけだね」と、いつもと違う景色に戸惑い気味。木村くんも「俺もすっげーヘンな感じ。ビストロの収録で調理服着ないってさぁ」と、久しぶりのオーナー役にまた気構えも違うようでした。
- シャッフルビストロにて。稲垣くんの私服について「今日持ってきた? 着てきた?」と尋ねる木村くん。稲垣くんは持ってきたそうですが、稲垣くんいわく「木村くんは普段のまんまだったよね」。木村くんは「ここに来たまんまで出た(笑)」と、自分がゲストだった時の私服について明かしていました。
- 視力がとてもいい木村くんは、稲垣くんのメガネに興味津々。「結構強いの?」と尋ねながら掛けてみて「おお、強い!!」とビックリ。さらに「夜見えなくていいシーンでは外す」と言う稲垣くんに「見えなくていいシーン!?それってどんなシーンだよ(笑)」とノリノリでツッコんでいました。
- 「年齢と共に好きなファッションって変わってくる」という稲垣くんに対し、「俺ホント変わんない」と木村くん。「あの黒のブーツのシリーズ、20代前半ぐらいから履いてるよね」と納得する稲垣くんに、「あのシリーズは高2から履いてる。今2代目」と、驚きのブレなさを打ち明ける木村くんでした。
- 舞台活動が多い稲垣くんについて、木村くんは「歌収録の始まる5秒前までセリフ言ってるときあるよな」と感心。「でも木村くんも覚えてるじゃない?」と返す稲垣くんに、「量が違うよ。そのシーン終わったら忘れてもいいし」と木村くん。お互いをリスペクトしあうSMAPならではのやりとりでした。
- ベートーベンを演じてからクラシックをよく聴くようになったと語る稲垣くんに、「俺もスマホに(クラシックのアルバムが) 6枚ぐらい入ってる」と木村くん。「スマスマで指揮やったときも相当聴き込んだし」とのこと。稲垣くんも「あのとき楽しそうだったよね」と懐かしげに振り返っていました。
- 木村くんは「長距離の移動中とかずっと本読んでるよね。俺が雑誌を眺めてる横でずっと本読んでてすごいと思う」と、稲垣くんの読書量に感心。それに対し「移動中が勝負だから。でも楽しくやってる仕事だからね」と稲垣くん。「週に1回作家の方と会えるって楽しい」とアツく語っていました。
- 稲垣宅の間取り図を見ながら「ベッドはどんなの?」と興味津々な木村くん。「厚手で高い位置にある。大阪で泊まるホテルあるじゃん? あんな感じ」と語る稲垣くんに木村くんは「あんな高いんだ?」と感心。「今イメージしてくれたんだ~?」「したした(笑)」とキャッキャする微笑ましい2人でした。
- 稲垣くんがシャッフルビストロで優勝した時に木村くんからもらったアートの話題になったときのこと。リビングにそのアートを飾っている様子を、なぜか「今夜メールで送る」という稲垣くん。木村くんは「別に送らなくてもこうして見せてくれればいいじゃん(笑) !」とツッコんでいました。
- オーナートークで朝イチのリハーサルの話題に。草彅くんについて「寝癖とかすごくない(笑)?」と木村くんが言えば、稲垣くんも「すごい。よくゲストの前に出られるよね(笑)」と同意。「ごまかしたり整えたりしないんだよな。不思議なもんだよ(笑)」と、兄2人をある意味感心させる草彅くんでした。
- 「みんな朝とかサングラスするでしょ。剛はしないけど」、「何でしないんだろうな?」、「昔っからしない、あの子は」と語り合う稲垣くんと木村くん。キッチンで聞いていた草彅くんは「えー!?するよぉ」と異を唱えますがそんな本人の主張は無視で「あんまり印象ない」とあっさり否定する兄2人でした。
- 席に着いてから料理をオーダーするまで、稲垣くんと木村くんはしばしおしゃべリ。「メンバーが待機してる後ろ姿ってこんな感じかぁ。今度から気を付けよう」と語る稲垣くんに、木村くん「背中からひしひしと"早くしろ!"って伝わるよね(笑)」とニヤニヤ。背中からも感情が分かる(?)SMAPでした。
- 「僕の一番のコンプレックス」を当てる早押しクイズで、正解が出たにもかかわらず、さらに解答ボタンを押す中居くん。「ちょっと(笑) !」とツッコむ稲垣くんに「え? コンプレックス何百個あるんじゃないの?」とすっとぼけて楽しそう。オーナーじゃない日はとても自由な中居くんなのでした。
- 稲垣くんが体験してみたいメンバーは「香取くん」だとか。白紙からモノが作れるから、という理由でしたが、中居くんは「ドラマも全部アドリブなんでしょ?台本の自分のセリフのとこ真っ白なんでしょ(笑) ?」とニヤニヤ。香取くんは「ドラマは違うけど~」と受け流そうとするも苦笑いでした。
- クイズ稲垣吾郎で2人が同点となり急きょ「僕が最近メンバーにちょっとだけイラッとしたことは?」という問題を出した稲垣くん。答えは「調理中草彅くんの味見が多い」で本人が見事正解。「ヤなの?」と気にする草彅くんに「急に思いついた問題だから気にしないでね」と優しい稲垣くんでした。
- 「クイズ稲垣吾郎」で、「僕がメンバーに最近ちょっとイラッとしたことは?」という質問が。「草彅くんに対して」というヒントで、草彅くん自ら「料理の説明がしどろもどろになったりすること」と解答。そんな草彅くんに「自分で答えるの!?」「それ自覚あるんだ(笑)?」とメンバーも爆笑!
- 僕がメンバーに最近ちょっとイラっとしたことは?」という質問で香取くんは「草彅が料理が終わった瞬間にこうやってストレッチしてること(笑)」と細かいところを取り上げ自ら実演。草彅くんは「同じ姿勢だと腰が固まっちゃうから」と"健康つよポン"ならではの言い訳(!?)をしていました。
- 「クイズ稲垣吾郎」で草彅くんが楽屋でギターを弾いているという話題に。「隣だけど聞こえてるよ」という稲垣くんに、草彅くんは「ちょっと気遣ってるの。聞こえちゃうかなーって」と恥ずかしそう。そんな草彅くんに稲垣くんは「でもうまくなったよね~」と、責めるどころか腕前をほめる神対応!
- 「おいしいおいしい」と稲垣くんに感想を言われ「2回言う時って真実味ないんだって」とすねる中居くん。「中居くんがよく出てるよ」と稲垣くんがフォローするも「俺は稲垣さんにおいしいと思ってもらいたいの」とプンプン。「全く、分かんない人だねー(笑)」と稲垣くんも苦笑いのだだっ子ぶりでした。
- 稲垣くん好みのオシャレなカキのパスタを出した草彅くんに対し、「そんなに好きじゃないと思う」となぜか否定する中居くん。「吾郎さん好きだよー」と頑張る草彅くんに、中居くんは「かっこつけてるだけだよ」と知ったかぶリをするも...「これおいしい~」と稲垣くんにあっさり覆されていました。
- 試食が始まり、草彅くんの料理を味わう稲垣くん。その姿を見て、中居くんは「食べる瞬間さ、こうやって持っていって口の中に入れる時すごいゆっくリなのね(笑)」と指摘。稲垣くんは意識しちゃうよ、そんなこと言われたら」と言いながら、わざと大げさに再現してみせ、中居くんを笑わせていました。
- 熱心に料理の説明をする草彅くんは、「下に敷いてあるのルッコラなの。分かるでしょ?ルッコラ好きなんだよ、吾郎さん」と得意げにニッコニコ。そんな草彅くんのうれしそうな様子にメンバーも思わず笑顔になるほど。稲垣くんも「よく知ってるね~。サービス精神旺盛だね」と感心しきりでした。
- 香取シェフの番が来たときのこと。料理を酬善しながら「ちなみに吾郎ちゃんのその服はディオールですか?」と尋ねる香取くん。「そうだね」と答える稲垣くんに香取くんは「よっしゃ!」とうれしそうで…。服バカ香取くんならではの見事な予測に、お客さんも「お~!」と拍手を送っていました。
- 香取くんの料理は、稲垣くんが田崎真也さんとコラボして作ったワインをフィーチャーしたもの。「へ~!」と感心する中居くん&木村くんに、「吾郎ちゃんびっくりしたんだって。発売されて飲んだ時に、"自分が言った通りの味になってる!"って」と、稲垣くんの感想まで調査済みの香取シェフでした。
- 「お味のほういかがですか?」と木村オーナーに尋ねられた稲垣くん、"おいしい~"の振りだと気付かず、「うまい!」と普通に返答。「お前、この番組さー…(笑)」と木村くんにツッコまれようやく気付き、あわてて「そっか(笑)!おいしいね」と照れた様子。珍しい稲垣くんの天然発言でした。
- 今回"おいしい~"を担当した草彅くん、五郎丸吾郎+ヒロくんというダブルの扮装に挑戦。さらにメンバーからのムチャブリで2回も登場させられ「キツイなぁ」とぐったり。とはいえ「こういうのって(笑って)いいともの特大号を思い出すよね」とちょっぴり懐かしい気持ちにもなったようでした。
スマラブ
鼻うた検索SHOW
- 「鼻うた~」にて。「Let it go」で「これ慎吾余裕でしょ」と木村くんから言われ「俺!?ちょっと待って!」と香取くん。有名な曲だけに、ローラさんにとっては慌てる香取くんが不思議なようで...。そんなローラさんに稲垣くんが「そういうもんなのよ、緊張するの」と香取くんフォローの一言を。
- 「WINTER SONG」に挑戦することになった時のこと。DREAMS COME TRUEの名バラードとあって、ローラさんもメンバーも尻込み。そんなみんなの様子を見た木村くんは自ら「分かったよ」とセンターに出て「体当たりでいきます!」と宣言。見事に歌いこなし、稲垣くんも「いったね~!」と大喜びでした。