はてなキーワード: 海星女子学院とは
昭和50年代半ばの北関東で、市内の小学校まで片道12kmをバス通学していた。東野(とうや)バス。
いまでも、あの当時、のっていたバスのナンバーと特徴はよく覚えている。
…だと、スロットに手をかける人が少ないから、塗装の剥げるのが遅い。11-28と11-29, 11-32, 11-34がこれに該当した。海星女子学院のおねえちゃんたちは定期か回数券が多かったみたいだ。おれもそのころはふさふさしていた。
ワンマン掲示は、これなんかがイメージに近い。ただ、ぼくが乗っていたのはこれじゃない。写真は、おそらく2代目か3代目の11-34号。
ハードタイプ(うまく説明できないんだけど、かまぼこをつりさげるみたいな感じ)と、ソフトタイプ(半透明の薄いボード)がある。この、ソフトタイプのクールないで立ちが、子ども心に何とも恰好よくみえた。
土曜日、宇都宮東武発の時刻、12:25が海星、12:30が東高橋益子、12:35が水橋真岡。(これははっきりとは覚えていないなあ…)
たまに寝過ごして、終点の真岡や益子まで連れていかれて、そんなときは運転手さんが運賃を請求するのでもなく、おしゃべりしながら戻りのバスで運んできてくれた。パンチパーマにサングラスの杉山さん。「ため」を作らない、めっぽう軽快な変速と走りで、鬼怒大橋の上で65kmを出したのが、ぼくの知る最高記録。