はてなキーワード: ウロボロスとは
メジャーでランキング上位の作品ではない、自分だけが知ってる面白いなろう小説とかあったら教えてくれ。完結済みでも良い。
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予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~ / のらふくろう
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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ / 香月 美夜
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レガシーデッキグランプリ結構楽しんでやってるから個人的な所感を書くで。
個人的には今回のグランプリは構築いじれない分、気楽に楽しめるポケモンスタジアムみたいな感じが新鮮でわりと楽しい。
構築だとクラス間対立があったりするけど今回は完全に同じデッキをチョイスできるので「Nヴ強すぎ!」と思うなら自分で使えばいいわけ。
どっちかぶん回って速攻終わるのも笑えるし泥仕合でメンコをするのもグランプリならそんな気分悪くない。(ガチ勢はどう思うか知らない)
以下暇なので各デッキの所感。
【冥府エルフ】
意外と使ってる人がいる。キツくはないがドラジ以外冥府を消し飛ばせないのでモタモタしてるとやられる。昏きを手札に戻して過剰なストレスを与えられる数少ないデッキ。
珍種。往年のインチキムーブも今の基準で見れば十分返せる。悲しいかな。
【蝙蝠ヴァンプ】
自傷してフラウロス踏み倒してインチキの絶傑ヴァーナレクを投げてくる悪いやつ。
でもほとんど見ない。何故?
でも息切れは普通にするしスペルで処理されて盤面取れなかったりもする。相手が最速倉木でなければ拾える勝ち筋はある。
【ランプドラゴン】
一番ナーフカードが多いデッキ。ライブラはやっぱおかしいしゼルでバハやウロボロスが走る様は圧巻。回復が多いのでアグロ系でこれを削りきれなかったらほぼ詰み。
実装前にちゃんとテストしようねと言うのがよくわかる。反面原初を引けないとちょっと厳しい…が、一度は原初のインチキムーブを楽しんでみるといい。
【超越ウィッチ】
チンタラしてると超越が飛んでくる。が、チンタラするデッキがそもそもいない。
スペルの対象を増やさない様にフォロワーをあえて出さないのも手。
【ドロシーウィッチ】
ごめん、ほぼ見てない…ぶん回れば互角以上に戦える気はするんだけどなぁ、
【ミッドネクロ】
リーパーなどと合わせてかなりのバリューを叩き出せる。ヘクターのバフをリーサル計算に考えてない相手に何度か勝ったのでみんなは注意しよう。ミミココハウルも9点出るしな。
【天狐ビショップ】
回復でNヴのメタになるかと思ったが別にそんな事もなかった。レフィーエまで保たせよう。天狐が4コスなのはやはり使いやすい。
獅子がブリキを割って出てくる5/5,5/6出現からの2面処理はミッドレンジ的にはキツイ。序盤はスノホワを自害させない工夫が必要だったり、何かと考えることが多い相手。
盤面の取り合いに強いので意外とミッドレンジ系のデッキと渡り合える。すりかわりでトーヴ消したりロボミを倉木に合わせて着地させたりそこそこ器用に戦える。騙されたと思って使ってみてくれ。
○朝食:パピコ
○間食:なし
○調子
「ゆうきゅー!」だったので、むっきゅりすごした。
午前中は、見知らぬ土地を散歩したのだけど、散歩して行くと見知った土地に出てしまいかつ、嫌な思い出があった場所なので、そそくさと地元に帰ってきた。
ハードカバーのときも読んだので二回目なのだけど、話の筋をすっかり忘れていて、楽しく読めた。
竹本健治熱が非常に上がったので「さんれんきゅー!」の際には、ウロボロスシリーズが文庫と新装版で出ているので、それをまとめ買いして楽しもうと思う。
安い店なので、クオリティはそれなりーなんだけど、レバーはとても美味しくてレバーばかり頼んでしまった。
お仕事がんばろー!
○ポケとる
マンスリーピカチュウを受け取って、これで残る未捕獲ポケモンはマーシャードのみ。
ラストかあ……
寂しいね。
スーパーで「新たなる次元にお待ちの大いなる星の守護者ウォキャク=サメィ(別名:ドラグニウム)死にたくなければ、大人しくすることだ」と言われた時
神に見放された孤独な時間レジで銭投げ中の『金づるα(脚本・グルガン族)』
αのすぐ後で己を主観的にしか認識できない愚者のヴァンを首を洗って待っている『混沌の世界で迷いし精霊達β』
βのすぐ…そして、帝国士官学校の女子寮をたっぷりと見学した後で、他の人間から見れば害悪にしか過ぎない自分の番を待っている『”招かれざる者”γ』
γのすぐ――オメガと神竜を倒した後で己の番(全身強化済)を待っている『フォーリナーΔ』
定められしステータスで我が剣の間合いのギルガメシステムから「新たなる次元にお待ちの”神”の名を騙りし者どもどうぞ」と神託を宣告された時どうするのがミラージュベスト?
【 架空俗説《インビジブル・エア》 属性:風 レベル:☆☆☆ 】
どこにも存在しない世論、発言を作り出し、それが確実に存在するかの如き確信を持って語ることにより、人類の共有している無意識化認識世界《オブザベーション》を書き換える術式。古の時代から多くの黒魔術師が得意とした闇の風魔術。基本的な術式であるためただ発動するだけなら初歩を身に着けただけの闇魔術師なら誰もが可能ながらも、完全に発動させるにはかなりの緻密さと集中力、なにより熟練を要するためレベルは準高度魔術クラスの☆☆☆とされいている。この魔術は古来より藁人形を触媒として発動されることが多く、そこから発達したのが闇墨濡羽の得意技でもある『道々目繰《ウロボロス・ワインダー》』である。
○朝食:なし
○昼食:ポテトの三種盛り
○夕食:ご飯、納豆二つ
○調子
はややー。
休日ということで、部屋の掃除をした後、漫画喫茶でのんびりしてた。
漫画喫茶にきたら20冊以上の長編を読もうと決めているので「ウロボロス -警察ヲ裁クハ我ニアリ-」という漫画を読んだ。
僕にはイマイチ合わなかったみたいだけど、読み始めたのを途中で読み終えるのも嫌で、最後まで読み通した。
自分にとって合う作品ばかりを選り好みしていると、自家中毒を起こしてハードルがむやみやたらに高くなるので、こういう自分に合わない作品を読んでハードルを下げるのも大事だと言い聞かせた。
●3DS
○ポケとる
ランキングに参加しとかないとな。
○名前
Sine Mora
○デザイン
ケモ(これ形くわしくないけど、猫とかトラっぽい)。女の子。
・「時を操る能力」
Sine Moraの操作キャラクタ全員の特徴でもあるのだが、この時を操る力は
「ゲージを消費することで、敵や敵の弾がスローに見えるほど加速する」
このゲーム、サブウェポンが妙にクセが強い操作キャラが多いのだが、
アキータのサブウェポンであるアジムスバッテリーは扇型に弾を発射するというシンプルな装備で、
○名台詞
「「来るべき日々の書」に我々の名前はない。
我々は死ぬのだろうか?」
「エンキー族」のアキータの価値観はなかなかゲームからは読み取りづらいのだが、その価値観がよく伝わるセリフ。
エンキーは支配者の「偉大な旅」によって全ての命を規定しているらしく、おそらくこの「来るべき日々の書」というのと「偉大な旅」というのが密接な関係にあるのだと思う。
Shine Moraのストーリーとしては、タイムトラベルものらしいウロボロス的な展開を見せるロノトラ親子のストーリーも面白い。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ご飯、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、納豆二つ、さんまの蒲焼(缶詰)、4種の香味野菜と大根のサラダ
○調子
はややー。
今日はゲームに集中してて、しかもそのゲームが楽しかったので、あまり仕事のことを覚えてないだけな気がする。
○SINE MORA
そうえば、最近
ゲーム部分への不満とストーリーの面白さは散々書いた通りで、悪いところはより悪く、良いところはより良くって感じ。
特に巨大ロボと戦うステージは雰囲気がすごく良くて背景綺麗だなーとなってゲームに集中できなかった。
この背景の綺麗さは、何度も何度もコンテニューしてやり直す動機にもなった。
ストーリーのオチはちょっと小難しい如何にもSFっぽい感じだった。
ここからネタを割ります、現行機のリメイクも決定してるので、リメイクに興味があってネタバレ嫌な人は読まないでね。
こう、タイムトラベルものによくある「ウロボロス的展開」っていうのかな?
ロノトラがタイムトラベルして帝国兵殺しを始めたキッカケは子供が殺されたからなのに、子供が実は生きていて帝国兵殺しの諜報のために死んだふりをしていた
ってのは、始まりがどのタイミングで、終わりがいつなのかがよくわからない、タイムトラベルものらしい面白で、非常によかった。
ただ、実は真のエンディングがハードモードでクリアすると見れるらしんだけど、最低難易度でもかなり汗かいて肩に力いれて、ようやくクリアできたので、ちょっと自分には無理そう。
一応、試しにやってみたけど、蜘蛛型ロボのボスでコンテニューを使い切っちゃったので、もう諦めた。
まあたぶん、プロローグがまた始まって、歴史は繰り返す、的な感じじゃないかな、うんきっとそうだ、それでなんか良い感じだし、そう思っておこう。
●3DS
○ポケとる
ひこうタイプのかなり強い能力なので、要所要所で使えそうでいい感じ。
超久々にログボとり逃した。
ある日ワタシは貰った 何らかのモノ
『お返し』をしなければ ワタシは試されている
気にしなくてもいいよ と言うけれど
もちろん嘘さ 建前なのさ
だから『お返し』をするのさ
ギブ アンド テイク
ギブ アンド テイク
けどある日ワタシは また何らかのモノを貰う
そう『お返し』の『お返し』なのさ
何はともあれ また『お返し』をしなければ
そう『お返し』の 『お返し』の 『お返し』なのさ
ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク
ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク
どこまで続く どこでやめればいい
ああ また『お返し』がきた 『お返し』をしなければ
ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク
ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク アンド ギブ アンド テイク……
「それでは、ワタシも持ち場に戻ります……今日、家に帰ったらチョコの値段を調べないと……」
ぶつぶつと言いながら、フォンさんは休憩室を後にした。
恐らくチョコの値段を調べたら、そのあとは妥当な値段かつ後腐れのない品物選び、そしてそれを手に入れるのに苦労するんだろう。
フォンさんの後ろ姿を眺めながら、父は彼の七難八苦な未来を他人事なりに心配していた。
「いや……俺も考えておかないとな」
バレンタインが社内で禁止されるようになったのは、それからもうしばらく先の話である。
※トラックバックとブコメもらって嬉しくて追記したので長いし、うざいかも
彼氏になんで最近セックスしたくないのかって説明したいので力を借りたい。
「なんか気分乗らないなあ~ま、今度激しくいこうぜ!」なんて感じで断ってたんですけど気づけば一週間ほどセックスレスで、2、3日前から説明責任を問われている状況です。
責任を問われている、というか、説明が要領を得ないので「ちゃんとしゃべれ!」と発破かけられてるような感じです。力で無理やりなんてのは一切ないので、本当説明責任だけです。
私の気持ちとしては「なんでか最近オナニーも、触った時点でオエーってなるんだわ…セックスとか余計無理!なんか無理!」っていうのが真っ先に言えた回答なんだけど
「お前の気持ちは主観的なもので説明にならん!“客観的事象に基づいて”説明してくれ!」と言われました。
“客観的事象に基づいて”というのは彼の話で唯一頭に残っている部分…です。
ふぁーーー難儀!!!
それで何日か考えてて、今日も誘ってくれたから断るときに必死こいて説明してみたんだけど、彼の言っていることわかってないので当然ダメでした。
客観的事象に一切基づかない私の説明ではコミュニケーションが取れない、というようなことを言っておりました。主観しかに基づいていない"理由"は他者は理解できないと。
主観にしか基づいていない理由では理解できないっていうのはすこしわかります。私も金玉強打に対する恐怖はどれだけ説明されてもわからないなあって思ったことありますし。
以下が今日話した内容です。本当しょうもない理由なので気分が悪くなるかも。
「なぜ性的欲求を満たすことが気持ち悪く感じるようになっちゃったのかについて。
①休職して実家に戻ってから結構太っちゃって自分自身が醜く感じてるんだ。醜い自分が性的に感じている姿を生理的に気持ち悪く思っている。
②両親に疎まれている、と私は勝手に思っていて、その両親に頼っている状況で性的な欲求を満たすことがなぜか申し訳なく感じてしまう。」
これでは最初に断り始めたときに言ってた「なんか嫌、なんか今日無理」と変わりないらしく
とのことでした。
ひゃー―――!!二十うんねんこちとらフィーリングで逃げて生き延びてきたのに!!!無茶言うなよ!!!
うーんでも、ちゃんと喋れ!さすれば聞こう!!って結構嬉しいですよね。なんとなくわかった。って納得されるより将来性がありますよね。
問題は、どんな風に考えて話を組み立てればいいのかわからないことなんじゃないかと思っています。
おそらく彼の言っていること正確に理解していないとは思うんだけど、なんか、なんでもいいからピンと来た人はアドバイスください!!!
オラ努力で世の中殴っていきてえんだ!!みんなの力、わけてくれーー!!
※追記(トラックバックはトラックバックで、ブコメは返事いらないかもだけど、会話でなにか分かることがあるならと思って返事します)
●pompomponta セックスしたい男の気持ちを知る努力も女性には必要では?なぜ女性上位が当然だと思ってんの?って話よ。 4 clicks
→わかるよ!!私もセックス好きだったから!(でもなんか最近オエーってなるんだよ!)だからお互いに悲しくならないために話し合いたいんだよ!!
●yulalalayulalala やりたくないものはやりたくない、こちらの感情を尊重する優しさもねぇのか、そっちにやりたい以外の付き合う理由がないならこっちから願い下げ、と言えない相手とは恋人にならなくていいのよ?
→やりたくないならその理由をはなせ!ってことのようでして、「好きな気持ちは変わってない!」って言ったらそういうことじゃないんだよ…って言われています
●nenesan0102nenesan0102 自分の場合だけど、ただただ端的に痛いので回数を減らしてもらっている。旦那も歳だし枯れてきてるけど、申し訳ないなと思う。痛くない人はものすごく羨ましい。答えになってなくてスマソ
→ありがとうございます。もしかして肉体的にイタイは客観的事象に基づいた説明だからこそお互い納得の状態にできているのではないだろうか
●cybercurrycybercurry セックス以外に一緒にいる価値がないんだろ。次行こう次。
→彼がそう思っている可能性はあるけど、それなら説明を尽くしてそれでもだめなことを確認したい。本当はセックス無しでも愛してくれているのに、うまくコミュニケーション取れなくて別れるのは嫌だー!!
●gazi4gazi4 気分を客観的に表現しろってどういう意味なのか、まず200字詰め原稿用紙に手書きして貰うのが手っ取り早い
→ほんとそれな!!!ただ、3大欲求として性欲があることを出されるともう何も言えない
●aukusoeaukusoe 自己矛盾のウロボロスに呑まれて苦しんでる彼氏さんを救済するために、今はまだ真っ白だけど、見て欲しい、知って欲しいみんなに。(急に脈絡のない歌を歌う、主観でのみ生きている社会不適合者の典型のようなブコメ)
→わかるかな、と思ったけどわかんなかった。悲しい
●hungchanghungchang 思いの外にレスしてなかった。客観的データを見せつけよう。 http://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/times_sex.html 増田 5 clicks
→これすごい!!きっと有効じゃないかな!!!と思っています。
頻度で言えばそう変なことではないというデータは客観的なことですからね!
ただ、もともと彼とほぼ日でセックスにいそしんでいた過去があるのと
今日はなした嫌の理由とうまくつながらないことでまたため息つかれそうです。
なんかもうさっさとセックスしちゃえよって自分でも思ってきたんですけど
「小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。
http://syosetu.com/teaser/genre/
問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、「異世界を舞台としたファンタジー」と「異世界の歴史や文化が作りこまれた重厚なファンタジー」とに分裂している点にある。特に、後者の定義を採用している人物が、Web小説やライトノベルのファンタジーを指して「あんなものはハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。
まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。
ローファンタジー
つまり「舞台」派である。異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。
次にWikipediaを参照しよう。
ハイ・ファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーのサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。
独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史や風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、
ただし続けて、
として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアスなトーンで進行する」「叙事詩(エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系は基本的にはハイファンタジーに含めるが、ときに分類されないことがあるとも書かれている。
英語版のWikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。
High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.
ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空の世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性が存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空の世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。
ハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフ・ドワーフ・ゴブリン・ドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。
また、「異世界召喚もの」である『ナルニア国物語』は、こちらでもハイファンタジーに分類されている。
「重厚」派の一部には、「エルフやゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipediaの記述は彼らの主張とは異なるように思われる。
ローファンタジーの項目では、
The word "low" refers to the level of prominence of traditional fantasy elements within the work, and is not any sort of remark on the work's quality.
「ロー」という言葉は、作品内における昔ながらのファンタジー要素の度合いについて語っているもので、作品の品質についてのことではない。
などとわざわざ書かれていることにも触れておこう。
ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ『High Fantasy and Heroic Romance』(1971)はこちら。
In modern literature, one form that draws most directly from the fountainhead of mythology, and does it consciously and deliberately, is the heroic romance, which is a form of high fantasy.
現代文学において、神話という水源から最も直接的に流れを汲んだ一つの形態として、それは意識的かつ意図的なものだが、ハイファンタジーの一形態であるヒロイック・ロマンスがある。
微妙に訳しづらいのだが、要するに「神話を源流とするヒロイック・ロマンスはハイファンタジーの一形態である」としてしまってよいのか。
さらにヒロイック・ロマンスで高い評価を得ている作家として、『世界のかなたの森』のウィリアム・モリス、『ペガーナの神々』のロード・ダンセイニ、『ウロボロス』のエリック・エディスン、『マニュエル伝』のジェームス・ブランチ・キャベル、『ナルニア国物語』のC・S・ルイス、『永遠の王』のT・H・ホワイト、そして『指輪物語』のJ・R・R・トールキンらの名前が挙がっている。
ハイファンタジーの定義を具体的に説明している箇所は無く、あまり参考にならないような気がする。
実際に「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義された最初期の例としては、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された『Dark imaginings』(1978)の序文がある。
Dark imaginings: a collection of Gothic fantasy - Google ブックス
Dark Imaginings is also unique in bringing together two distinct types of fantasy under one cover: High Fantasy with its imaginary, secondary worlds and Low Fantasy with its realistic primary world.
想像上の異世界を扱ったハイファンタジーと、現実的なこの世界を扱ったローファンタジーという、二つの異なるファンタジーの類型を一冊にまとめている点もDark Imaginingsの特徴です。
これで少なくとも「舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。
もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。
昔は「異世界を舞台にする」といえば「異世界の歴史や文化を作り込む」のがほとんど自明だったのだろうし、また現在ほどの多様なファンタジーの形式を想定していたとも思えない。
ただ、とにもかくにも現代においては「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」という区分けのほうが、より明確で、より普及し、より平和であることは間違いない。
追記。
「ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。
『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 限界中年生存日記(仮)
追記2。
「舞台」派を採用するならば、多くの「なろう」系作品はハイファンタジーで問題ないと思われる。
多くの場合、ナルニアはハイファンタジーに分類されるのであるし、主人公の知識が現実に由来するものであっても、作品の舞台が異世界であることは紛れもない事実だからだ。
たとえば、ハイファンタジーの代表格たる『指輪物語』の世界は、現実の地球の古代の姿であることが明言されている。
『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ魔法魔術学校は、まるで異世界のように描かれつつも、設定では「イギリスのどこかにある」とされる。
本好きは書籍化にあたって、書きなおしている分あるしな。表現その他を書籍というメディアにあわせて変えている部分も多いし。
ふつーならこういう仕事をちゃんとするのが編集なんだろうが、本好きはおそらく作者が多芸なだけで編集は仕事してないような気がする。
おすすめか。2ヶ月ぐらいでそんぐらい読んだなら、
・最果てのパラディン
・Tamer's Mythology
あたりかな。これぐらいならラノベから移行した組でもふつーに楽しめるレベル。
・用務員さんは勇者じゃありませんので
・俺のロボ
あたりの、おっさんそのまま再出発ものが大好きなんだが、むしろこういうジャンルの方がなろうの闇が垣間みえる気がする。
・蜘蛛ですが、なにか?
このあたりがなろうという蟲毒が産んだなろうというメディア以外では存在しえないおぞましい何か。
■本文。
朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクターと斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。
―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性と父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊の比重が高くなっている印象を受けた。
重要なポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性は最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。
更に、母親が発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親を拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性と父性の欠損を巡る内面の問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親が発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題を継承しているとも言えるだろう。
だから、この作品の基本構造は、どのシナリオもアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身の本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語の動機になっている。そして、浩平自身の本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である。
だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒が必要だったのだ。
本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性の確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒しの象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)。
―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端な世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり、中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志(現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶(過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。
さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子が自身の母性=主題を自覚することになる。そして、父性と母性が相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像=他者と認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品で特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。
何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚な肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身が自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。
例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化(メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園=主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザーの楽園願望を全面的に肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品に分岐&移行してしまったことで、作品と商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。
この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているからなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。
もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的に主題の空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常と日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識と通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。
更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザーの価値観を揺さぶるタイプの物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプの物語でも担えることを証明したのだ。
物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲームを媒介として、社会と繋がり、社会を学習していくという構図も存在できると思うし、一見、楽園を肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感を認識させる手法の確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?
■あと一回のお知らせと総括。
ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。
降板の理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまったからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。
―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき、本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます。
「京極夏彦と聞いて、当時の想い出と並べた」http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/13/105958
って文章
京極夏彦を初めて読んだのって丁度、新本格にハマってる頃で、個人的には海外ミステリ好きだったのが新本格第一世代(綾辻行人、法月綸太etc)以降国内ミステリにハマってた頃。
当時、講談社ノベルスの発売日(8日)には書店に確認に行って、ごっそり買ってたが「姑獲鳥の夏」を最初見た時の
「ぶ、ぶ、分厚い...」
ってインパクトはすごかったのに
前年の8月の講談社ノベルズの新刊が、5冊とも厚くて並んでるとインパクトのあった『夏と冬の奏鳴曲』『聖アウスラ修道院の惨劇』『ウロボロスの偽書』『柩の花嫁』『竹馬男の犯罪』だったから(竹馬男以外はどれも『姑獲鳥の夏』より厚かった)、当時新本格を読んでた人間が『姑獲鳥の夏』の厚さに驚いたとは思えない。
この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですから、はじめまして、小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思います。あなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。
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あなたはまず思ったことでしょう。お気に入りの自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。
わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞、アニオタ、精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫に般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔の殺意と怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドーで出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。
小学生のころから容姿をからかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり、勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています。小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!
「小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」
「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙なチラリズムの天使を無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」
「そこなんだよ。たしかに処女膜から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」
「EDになってから幽霊(アストラル)が見えるようになったとか」
「霊感商法ってやつだよ」
「まったくひどい!」
「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこを排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。
鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙な距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症の未来の恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!
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わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。
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まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています。小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会が皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」
鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。
「小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥に決闘(デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」
「というと?」
「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場はファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。
「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」
「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥はやばい」
「ですね」
「小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」
「でも、その……、よかったんでしょう?」
「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。
おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手が美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念を提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄はさらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症のメタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺の指圧師! 快楽の大銀河!
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つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。
「なあ、増田ちゃん」
「なんです、鉄男さん」
「お前、見えてるパンツをどう思う?」
「どうってどういうことです?」
「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」
「メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」
「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラとはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスのことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい、増田ちゃん」
「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」
「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」
わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分の存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン的生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析し解釈し考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠の平和がある。そこにわたしは神を見たのです。
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小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんのテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限そのものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。
「増田、おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。
「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています。
「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています。
雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。
「美しいだろう?」
「きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」
「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真も雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。
「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」
「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」
「おれには愛がある!」
璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。
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小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート的萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙なバランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは、少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房を突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。
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最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。
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ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界はグロテスクで悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会がたくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまいます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄で希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代の無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。
しかし自殺しようかなと思ったときに毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界(アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなたが存在していてくれてありがとうございます!