2017-11-10

私に似てるなぁ

とある投稿を読んで、昔の私を思い出しました。

道端で殴られ蹴られの激しいいじめを受けていたときと、

それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。

最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。

その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます

死なないでね。

私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。

しかったら助けを求めてね。

てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。

辛いときには見えなくなっちゃうけど、

助けに来てくれる人、実はいるよ。

昔の私

誰のことも信じられなかった。

だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。

母のことも信じられなかった。

私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、

何もできなかったから。

ナイフって言ってもね、すごいナイフじゃないの。

当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの

肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生普通に買って使ってたようなもの

もう机にくくりつけて使う大型の安全鉛筆削りも普及していたけど、

まだナイフ鉛筆が削れる能力普通に求められていたと思う。

今の人だと感覚がわかりにくいかな?

ちびまる子ちゃん時代です。

そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。

動脈の近くだったし。

今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、

当時の私にそんなことわかるわけがない。

助けてもらえなかった

それしか頭に残らなかった。

もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、

帰り道はいつ襲われるか不安でならなかった。

学校にいるときも同じ。

安住の地とは思えなかった。

ものを隠されたり、ハブられたり?

まあ色々ありました。

本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。

全部悪い方に捉えちゃう

よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、

同じ世界のこととはとても思えなかった。

とてもじゃないけど信じられなかった。

護身用にビクトリノックスナイフを持ち歩いてた。

(念のため。

今そのナイフは持っていません。

持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式処分しました)

私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。

でも一応、持ち歩くのはやめました。

本当に誰のことも信じられなかったのよ?

誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。

それが変わったのは阪神淡路大震災ときでした。

被災地大勢の人が助けに向かったでしょう?

そのとき、アレって思ったのね。

あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。

すごくビックリした。

しかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。

その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。

オウム真理教教祖のことを連日テレビで報道してて、

あるとき彼の実験を知ってしまったの。

それは信者左脳破壊するものでした。

ショックだった。

私は人を信じられないけれど、それでも自分の子時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。

その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。

でも、必死になって働いてた。

その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。

別の言い方だとドッペルゲンガー

鏡のお化けかな。

見たら死ぬと言われるもう一人の自分

ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。

その時、それまでの自分が壊れました。

それで初めて人に助けてと言いました。

それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれ環境にいた人に助けを求めました。

信じてはいない人に助けを求めました。

それからいろんなことがありました。

もうとっくにその仕事はやめてます

まれ土地を逃げ出して、よその土地を回りました。

どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。

しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。

初めて人を信じることを覚えました。

で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。

それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。

大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。

それでも傷はうずく

精神安定剤が欠かせません。

なんで自分いじめ人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!

そんなことを考えると耐えられなくなるときもあります

でもね、辛かったときには思い出せなかったことがありました。

一度だけ小学生の頃に助けてもらえたことがあったの。

道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。

そのときたまたま私ショックで吐いてたのよね。

吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。

最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります

投稿の人、勘違いしないでね。

お前は助けてもらえたじゃないか自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?

うからね。

あなた投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?

助けてもらえないなんて嘘だからね。

信じられなくてもいいから助けは求めなさい。

助けは来ます

今の私だってあなたを助けるのに必死になってる。

効果があるのか、それとも逆効果なっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。

気づいてください。

助けは来ます

でもって傷ついたままでも、

あいうのが流行語になっても、

生きていけます

とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、

いのちの電話でもなんでもいいか電話しよう。

私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。

毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。

本当に助けは来るのよ。

うつヌケ?

そんなもん信じられなくてもいい。

助けは来る。

それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。

そうしたら少なくとも例数1確保できるから

何度でも言う。

助けは来る。

自分自身のことさえ信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

私のことも信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

から助けを呼ぼう!

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