はてなキーワード: 課題とは
「AVを見ること自体が加害だという意識は広まってほしい」と題した増田(anond:20230413094851)が話題になっている。
私はアダルト産業は守るべき文化だと考えているし、おそらくこの増田とは意見がまったく異なるだろう。しかし、彼の意図とは無関係に、「AVを見ること自体が加害だという意識は広まってほしい」との題意には私も同意したい。
結論から言えば、私はAVの存在そのものが性的搾取であるとは考えていない。一方で、AV業界において搾取が横行していることもまた残念ながら事実なのだろうと思う。これは「労働現場における搾取」の一般論として語るべき問題であり、その意味では各々の消費者もまた、共犯者ではないか。
無邪気にチョコレートを食べている日本人は、カカオ農場における児童労働の実態をどの程度知っているだろう?
子どもが犠牲になっているチョコ、知っていますか? つなぎ役の奮闘
無邪気にファストファッションを消費している日本人は、縫製工場における労働力の買い叩きの実態を、そして廃棄や「寄付」をした衣服の末路を、どの程度知っているだろう?
安いファッションが抱える搾取の構造 日本も「他人事ではない」理由
寄付が迷惑に? 古着回収の知られざる裏側
こうした事例は氷山の一角である。アボカドが消費する仮想水や、アニメーターの労働環境だってそうだ。私たちの「安い」生活が、どれだけたくさんの搾取によって支えられているのか、調べるほどに深い闇が見えてくる。
では、そうした搾取に加担しない、さらには搾取をこの世からなくすためには、どうすればよいのだろう?
必要なのは、まずは知ること。そして、できれば「適正な商品」を選んで買うことだろう。
「スウェットショップ」を避け、「フェアトレード」を推進する企業を応援していくこと。それが消費者にできる最善の行動ではないだろうか。
スウェットショップとは?人権の搾取が存在する流行の裏側
AV業界でも、近年、「適正AV」という枠組みが挑戦されている。
新たなる「適正AV」ってなんだ?
これもまた様々な課題が指摘されているものの、搾取のないアダルト産業の実現のための第一歩として評価したい。こうした取り組みを、AV消費者も知る必要があり、そして応援していく義務があると思う。
「ライブハウス界隈で「良いメンツを揃え良いイベントを企画しても思ったより集客が伸びず苦戦することが増えた」という声を近頃よく耳にします。」というツイートと共にイベント主催者側のお気持ちが綴られた文がバズっている。
確かに「そうかも知れない」と思えるものもあるが、私はもっと根本的なところを変えるべきだと思っている。
先に持論を言う。
コロナ禍以前よりライブハウスの、特に平日対バンライブの集客が落ちた最大の原因は、タイムテーブル非公開である。
以下にその理由を示す。
そもそもコロナ禍以前からタイテ非公開は客にとっては非常に評判の悪いものだった。
「タイテ 非公開」でググれば客はもちろん出演者のバンドマンからも大変不評なものだ。
コロナ禍の初期にライブハウスが倒産の危機となった頃は「ライブハウスもようやく客の方を向いて、タイテ公開をデフォにしてくれるのかな」と期待したものだ。
が、なんとライブハウスは「タイテを公開するぐらいなら倒産してやる」と言わんばかりに、頑なに非公開を貫いている。
私はバンドマンでもライブハウス関係者でもない単なる客なのでその本当の理由は分からないが、察しは付く。
が、本当にそれが原因なら「今はバンドもライブハウスもピンチなんだから、みんなで腹を割って話をして、タイテを公開した方が良いんじゃないの」と心配になる。
以下、散々言い尽くされているが、メリットとデメリットをざっと上げる。もちろんこれ以外にも(特にデメリットは)山のようにあるだろう。
そもそもこのメリットは客の都合を無視している。客にとってはデメリットだ。
世の中にはお目当てに間に合えばいいやと思っている人とお目当て以外も見ようと思っている人がいて、後者はタイテが公開されていても、都合が合えば最初から来る。
タイテ公開イベントでお目当て以外のバンドを見てはいけない法律はない。
タイテ非公開の最大のメリットである「知らないバンドに出会える」を、タイテ非公開という概念そのものがぶち壊していることに早く気付いて欲しい。
タイテが客の手元にあった方が圧倒的に知らないバンドの名前を検索しやすい。
5バンドぐらいあると「今のバンド、どれだっけ?」と思ってしまい、Twitterに1つ1つバンド名を打ち込むことになる。
これが非常に面倒。タイテを公開すれば、この問題はすぐに解決する。
他で散々言われているので省略。
同じライブハウスでも、イベントをサーキットフェス形式にするとこれらのデメリットがなくなり、イベントとしてのホスピタリティが爆上がりする。
サーキットで即規制がかかるバンドでも平日対バンに客が集まらない理由は、イベントとしてのホスピタリティも大きな原因なのでは。
最大のデメリットであり、コロナ禍で集客が厳しくなった最大の原因だと推測している。
自分の周囲は「お目当てに間に合わないイベントだったら、チケットは買わない」と明言する客がほとんどだ。
タイテ非公開イベントの場合はお目当ての出番が最初の可能性を考えて、開演時間に間に合わなければそのイベントのチケットは買わないという人がほとんどなのでは。
出演バンド数を増やせば増やすほど開演時間は早くなり、イベント参加のハードルも上がる。
ある程度の集客力があれば平日2マンや3マンのイベントも組めるが、それはバンドの集客力に加えて開演時間を遅く出来るというメリットも非常に大きいように思う。
私はインディーズバンドの対バンも地下アイドルの対バンも両方行く。
バンドとアイドルで文化が大きく違うと思う部分は多々あるが、私はタイテが原則公開であることに最も大きな衝撃を受けた。
アイドルオタクは「なんでタイテ非公開なの?バカじゃないの?客に来てほしくないの?俺なら干すわ、そんなクソイベ」と言う。
バンドのファンは「タイテが基本的に公開?本当に?良いな~!バンドも早くそうなって欲しい」と言う。
応援する人達は違うが、ライブハウスに通う客として「タイテを公開して欲しい」という思いは、両者は完全に一致している。
私は大阪在住だが、例えばミナホに使われるライブハウスで、月に1回も地下アイドルのイベントを入れないライブハウスの方が稀だ。
「どこのハコもタイテ公開ってやればできるやん。なんでバンドはずっとタイテ非公開なん?」という不満すら感じている。
「物販」とはチェキ会のこと。「アイドル チェキ会」でググって下さい。
並行物販とは、例えばアイドルAがライブしている裏で、バーカウンター等でアイドルBがチェキ会をすることだ。
当然アイドルB目当ての客はアイドルAのライブを見ることが出来なくなる。
ここで言いたいのは、イベント主催者が自ら客をフロアから追い出す仕組みを作っていて、それが当たり前のように行われていることだ。
つまり「ライブハウスの客は、出演者を最初から最後まですべて見るべき」という概念を根本的に否定している。
アイドルだとそれが許されるし、イベント主催者もアイドルもオタクも全員それを当たり前のように受け入れている。
同じライブハウスで行われるイベントなのにここまで文化に違いがあるのかと愕然としたことを今でも覚えている。
ここからは客の都合だ。なお、他の職種の人の意見も大歓迎なので、ツッコミどころがあれば指摘して欲しい。
少し考えてみて欲しい。
ライブハウスと会社は、多くの場合都心にある。家は、多くの場合郊外にある。
都心から都心と郊外から都心の移動は、後者の方が時間がかかる。
コロナ禍以降、在宅勤務が増えた。
つまり、コロナ禍はライブハウスの開演時間に間に合わない働き方をする社会人を大量に増やした。
そして「コロナ禍が終わっても在宅勤務は継続する。在宅したことで増える電気代分ぐらいちょろっと君たちの給料を上げても、都心のオフィスを解約できるメリットの方が、会社にとっては大きい」とウチの偉い人も内外に発信している。
タイテ非公開であれば開演時間に間に合わないイベントのチケットは買わない客がほとんどであることは既に述べた。
アイドルもオタク全体の数は大きく減らしたが、バンドほどの悲惨な減り方をせずに踏みとどまっている印象を受ける。
それはアイドルのイベントはタイテ公開で、かつほとんどの場合動員数の多いグループから順に出演時間を遅くしているからと推察する。
当然客は出番が早いグループは(仕事をしていて)見逃すが、それでもアイドルオタクは、お目当てに間に合うならチケットは買う。
バンドの場合、「ライブをやってるのは知ってるけど、仕事で行けない…」という思いをした人は本当に多いのでは。
この状況をライブハウスは分かっているのだろうか。
「良いメンツを揃え良いイベントを企画しても」タイテを公開しなければ「思ったより集客が伸びず苦戦」し続けるのでは。
毎日現場に出勤するタイプの働き方をしている人は前述のデメリットはない。
但し、エッセンシャルワーカーには医療従事者が多数いる。この場合はそもそもライブハウスに数年行けてないという人も珍しくなさそう。
ライブハウスの自助努力だけでこの問題は解決しないので、ここでは議論しない。
上記を踏まえれば、多くのライブハウス関係者が体感している通り以下の負のループから抜け出せなくなる。
これを解決する方法はタイムテーブルの早期公開(可能なら1か月前)である。
コロナ禍以前は決してアイドルに手を出さなかったライブハウスも、今や日常的に平日にアイドル対バンイベントをやるようになった。
アイドルの集客力はライブハウス関係者なら痛いほど知っているはずだ。
それならそれはアイドル自身の集客力に加えて、タイテを公開することそのものが持つ集客力も大きいことをいい加減認めるべきだ。
上述の通り、客だけではなく出演者のバンドマンすらタイテは公開派が多数を占めるのに、まだライブハウスはタイテを公開しようとしない。
「タイテ公開か倒産か」の2択に近い状況まで追い詰められているのに、何故か頑なにタイテを公開しようとしない。
「全組見て欲しい」「偶然を楽しんで欲しい」のようなキラキラした建前ではなく、もっと本質的な、厳しい理由があるとしか思えない。
以下、推測で書いた。仮にこれが正しいとしても、客である自分はこの問題をライブハウスとバンドマンが話し合って解決して、タイテを公開して欲しい。
そうでないと行けるライブ数が減るから、チケットもドリンクも買えなくて、お金を落とす機会を失い続けることになる。
「客にどれだけ不便な思いをさせようがタイテは絶対公開しない!でもライブハウスに貢献する方法はある!ドリンクを追加で飲んでくれ!」と物凄い上から目線で言う段階はもう終わったのでは。
結局、これが全てなのでは?
ライブハウス側は採算ライン÷バンド数=1バンドあたりのノルマ枚数という単純な計算式を崩す方法がないのかも知れない。
これはライブハウス側の都合であってバンドや客側の都合は一切無視している。
当然タイテが公開されると平日の場合出番が早いバンドがチケットノルマで不利になるのは目に見えている。
タイテ非公開はこの出演順による不公平を安易に解決するための必要悪なのだろう。
そしてチケットが売れなければ「バンドはもっと集客しろ」と上から目線で言えば良い。
バンドマンはバンドマンで、平日18時開演のチケットが売れないのは当たり前なのに、「自分たちが悪い」と思い込まされている。
恐らく、タイテ非公開に今まで一度も不満を持ったことがないバンドマンは、この世にいないのでは?と勝手にバンドマンじゃないただの客が推測している。
ちなみにアイドルの場合、主催者はライブハウスではなく、外部のアイドルイベント製作者がホールレンタルすることがほとんどだ。
ライブハウス側はイベント製作者から一括でホールレンタル代をもらえるので、出演者と出演順の不公平で揉めることはない。
揉め事が起こらないからタイテ非公開という必要悪も不要になる。後はイベント製作者の好きにしてねということだろう。
イベント製作者はイベント製作者で、バックゼロ or バック率抑え目でもノルマゼロでアイドルをタイテ公開の上で多数呼ぶ。
アイドルはノルマゼロなので気軽に出演するし、チェキ会があるから収入もある。バンドのノルマのように赤字になることはない。
もちろん他の要因で出演順で揉めることもあるだろうが、少なくともノルマでは揉めない。だからタイテを公開できる。
出演者に直接声をかけなくても、イベント製作者と話をまとめるだけで平日の自社制作イベントのチケットノルマ合計より多いお金を払ってくれるアイドルイベント製作者はライブハウスにとってとてもありがたい存在なのだろう。
なお、今はライブハウスに客を呼べるアイドルの方がライブハウスより立場が強くなっているので、イベント製作者からライブハウスへのホールレンタル代のディスカウント交渉もあるとは聞く。本当かどうかは知らない。
昔から上述の問題は存在していたのに解決しなかった、する動機がなかった最大の原因は、解決しなくてもライブハウス側は困らなかったからだ。
以前はバンドに声をかければ出演してくれたし、ノルマも払ってくれた。
今は違う。声をかけてもなかなか出演してくれない。イベントが決まるのも遅れる。決まらないから告知もアイドルより遅くなる。
この状況でタイテを公開するとなると、出番の早い枠に誰も出たがらない。かと言って、出演者を減らして開演時間を遅くして(集客しやすくして)1バンドあたりのノルマを増やす方法は、これを使えるバンドは限られる。
つまり今から「出演順を公開した上で、バンドからチケットノルマを回収し、更に全バンドに不満を言われない方法」を考えなくてはならない。
それは分かっているのに、何らかの事情で出来ないのだろう。
その方法を使うにしても、複雑にし過ぎるとバンドとのやり取りが増える。
バンドマンはただでさえ連絡をすぐに返さない。その上でやり取りを増やすとなると、単純に調整工数が増える。
イベント制作の前倒ししても社会人バンドマンの都合はある程度イベント日が近くならないと分からない。
結局、イベント制作者を雇ってチケットの単価に価格転嫁するか、今までのやり方を継続するかのどちらかになる。
苦汁の選択で消極的に後者を選択して、イベントのカレンダーを埋めて、バンドマンから日銭を稼いでいるのが現実なのではないか。
調整工数が増えた結果、期日までにイベントの内容をまとめきれず、イベントカレンダーに空きが出ることは、ライブハウス側としては最も避けたいのだろう。
そうは言っても、前述の通りこのままではジリ貧なのは間違いないので、タイテを公開する方法を何とか編み出さなければならない。
アイドルと同じ。但し、今までバックを得ていたバンドからは不満が出る。
そこまで集客出来るバンドであれば、今後は2マンや3マンを多めに企画して、開演時間を遅くして集客を増やす方向に舵を切ってもよいように思う。
なお、アイドルはチェキ会で得られる収入が目当てで自分たちで必死に集客努力をしてくれるが、バンドが同じような努力をするとは限らない。
結局、「何のために今までチケットノルマをやっていたの?」という話になってしまうので、これは非現実的で、廃案なのだろう。
という訳で、結局出演者からの調整工数が激増することを受け入れた上で、これしか方法がないように思える。
出演時間についても、バンド側の同意を得ずに決めることは不可能になる。期日までにイベントの内容をまとめることが困難になるリスクもある。
この条件の付け方は無数にあるので、当然ライブハウス毎に無数に条件が存在し、お互いの出演者の奪い合い競争にもなり得るだろう。
それでも、客である自分としては、ライブハウスが全体で平等に沈むぐらいなら、結局これをやるしかないと思っている。
中小企業こんな感じっすよという参考程度に。ガチ大手の話は知らん。そもそもガチ大手なら今時インターンで囲い込みまくりだから今更そういうとこに応募してもタイミング的にもう無理である。
証明写真機も自撮りも同じだが顔が傾いてるとか表情が硬過ぎるとか指摘されないと人間自分では気づけない。そうしなくてもいいのは、自撮りと加工にクッソ慣れてる奴か、あるいはそういう微修正無くても全然問題ないレベルの見た目の奴だけである。自力で修正するスキルを持ってる奴ならちょっとだけいじるのは努力の範囲内なのでOK。なお証明写真機で500円とか使うくらいなら今時マジでスマホ自撮りの方が良いし友達でも家族でもいいから撮ってもらう方が良いぞ。白い壁背景で、影ができないように照明には気を付ける必要があるが、何枚でも撮った中から良いの選べるし画像サイズの変更とかもそういうアプリあるからすぐできる。印刷しないといけない場合でもコンビニプリントですぐできる。
顔選考は二段階あって、まずは書類時点。写真に最低限拘る方が良い理由はこれ。ただしそれ以外がだいたい似たような評価の場合に顔が良い方優先するくらいの話(ガチな見た目の良さが要求されるような特殊な会社の話は知らん)。次に面接時点。ただし今はまだまだマスクあり面接なのでけっこう隠せるし、面接だと顔そのものよりも全体の雰囲気で評価されることが多いけど。ちなみに営業の人間の見た目が大手になればなるほど基本的に良くなるのはこの「ぶっちゃけあんま差が無いからじゃあ見た目の良い方を取ろう」の結果による。なお性別に限らないが見た目的に自分のウリがある人はそこはしっかり就活スタイルの範疇でアピールする方が良い。個人的に良いことだとは思わないが、めちゃめちゃぶっちゃけ話をすると巨乳は本当に強いので本命企業相手の時はうまくアピールする方が良い(わざわざアピールしなくても基本同じ格好の就活スタイルだと勝手にめっちゃ目立つけど)。
今時まともな企業なら選考時点では全部Web経由で髪の履歴書郵送させるとかあり得ないので字のきれいさとかはどうでもいい。誤字脱字には気をつけろ。あとこちらからの簡単な課題をちゃんと出せ。志望動機なんて大して読まないからHPと会社説明会で話された内容絡めて体裁だけ整えておけ。そんなんで選考できんのかと思われるかもしれないが、そんなんでも意外と差がしっかりつくので書類の勝率が周りと比べて極端に悪い学生さんは誰かに相談・添削等してもらうか応募する企業のレベルと規模を見直す方が良い。
会社のトイレ使っていいから最終の身だしなみチェックはしておけ。男はネクタイちゃんと締めて第一ボタンが見えないようにしとけ。ネクタイ締めてるのに第一ボタン見えてるのはめっちゃだらしない印象になる。女は第一ボタンまでちゃんと締めとけ。よっぽど狙いすました着こなしでもない限り第一ボタン開いてるのはだらしない。あとはスーツにゴミやホコリがついてないかだけは見とけ。余談だがトイレの汚い職場は基本的にやめておく方が良い。汚くないけど古いのは許して。
あたりが鉄板である。そしてグループ面接なら時間の関係で少なくて2問、多くて4問くらいである。これくらいなら1~2分語れるようにちゃんと原稿書いて暗記しておけ。実際に読む練習もしておけ。練習をちゃんとしてても緊張しないわけではないが、してないよりは確実に喋れるのでやって損はない。あまりにも露骨に暗記内容を話してるとちょっと引かれたりもするが、まったく事前準備してないよりも少なくとも準備してるだけ好印象になる。なお学生時代に打ち込んだことでバイトの経験を話す奴多過ぎなのでバイト以外にちゃんと語れることがあるならそっちの方が良い。ちなみに、めちゃ緊張して喋れないってのはそれ単体だと別にマイナスにはならないが、喋れる人と比べるとどうしても点数が低くなる。あと面接官の人柄によってはやたら変化球的な変な質問をする場合があるが、よっぽど意図的・計算された場合を除いて変な質問はマジで単に変なだけの質問なので、上手く答えられなかったり落ちたりしても「あの面接官変な人だったな、合わなかったな」とだけ思っておく方が良い。中小だと近所の子はそれだけで優遇されたりするのでアピールして損はない(小さいころから御社を見て育って、いつかここで働きたいと思っていました、とか言われて悪い気のする中小の奴はいない)。
ChatGPTがあまりにも便利なので昼夜を分かたず対話をしている。とてもいい相談相手だ。
ChatGPTは自然言語解釈に特化したAIだから、多少雑に質問したところで驚くべき洞察力でこちらの意図を見抜いてくるんだが、それでも習い性というか何というか、つい筋道を立てて丁寧に質問してしまう。「機械に質問するならこういう風に聞いてやらなきゃいけないんだろう」みたいな先入観、あるでしょう。
前提から説明して、解決したい課題、制約条件など、機械が答えやすかろう材料を整えて質問をする。
そういった、質問の「下ごしらえ」を丁寧にやればやるほど、あのAI野郎は正鵠を射る答えをすぐさま出してくれるんだよね。
この習慣が、対人コミュニケーションにもとても役に立っているようだ。
もちろんChatGPT以前も質問される側・答える側の立場に立って質問のしかたを配慮することはしていたが、それがグレードアップした感じだ。
人間相手だとついつい言葉足らずになってしまうこともあった。前提条件を共有できているものと思い込んだり、範囲をあいまいにしたままだったりね。
説明に手を抜くと言い換えてもいい。
しかしChatGPTとのやりとりの中で「言葉を尽くせば尽くすほど望ましい出力が返却される」という体験を積み重ねたおかげで、同じことを誰に対しても無意識にできるようになっていった。
質問相手からの質問返しや、ボタンを掛け違えたまま無意味な会話が続くようなことが劇的に減った。
むかし誰かが「神は細部に宿る」と言ったそうだが、コミュニケーションにおいても同じだね。
女だけど「気持ちよくなるより気持ちよくなってほしい側」がすごく分かるので性別の特徴の話にされたくない
人に体を預けられない:高校体育のラポールの形成の授業で、ペアの相手が支えてくれると信じて体重を預けましょうみたいな課題を、クラスで1人だけクリアできなかった。怖すぎて動悸がして動けなくなり「失敗」のまま免除してもらった。
感度が悪かったり性交痛がある:痛くて入らないまま、相互愛撫だけの挿入無しで別れたことがある。イキ方が分からない歴が長かったし、人にされてるとイケない歴も長かった。コンプレックスになるくらい感度が悪い。乳首も何も感じない。
人に影響を与えるのが元々好き:塾で流行ってる遊びをクラスに持ち込んで流行らせたり、内輪の流行語やノリを作るなど、人に影響を与えるのが元々好きだった。人のリアクションに興味がある。支配欲が強い性格なのかもしれない。
テクニックが無いからもどかしいというのも分かる。本当にものすごくわかる。
元カノに乳首開発された男と付き合ってる。感度悪い男を開発したり、受け身になることに興味がなくて攻めたい気質の男を
これらの発言に関連はないが、他人に対する配慮や倫理観に欠けた刺激的な言葉でそれなりに世論を賑わせた発言という共通点がある。
本当の意図はわからないが、前者は日本のために高齢者が引退して若い人に席を譲るべきであるという発言で、後者は保育園に入れなかったことに対する不満や社会問題に対する抗議としての発言であると思われる。
後者は国会に取り上げられて全国の待機児童は過去最小になった。
つまり実際にこの発言が社会問題の解決の一助になったことは間違いない。
対して前者の発言はどうなのか。
残念ながら現時点では老人ホームに入ってもおかしくない高齢者が要職にしがみついており、若い人がそのポジションにつくことは難しい状況が続いている。
確かに暴言や攻撃的な表現を用いることは、問題の解決につながらず、むしろ社会的な課題を増大させる可能性があるが、実際世の中をよくする可能性があるなら私はそれに期待したい。
オレオレFCがアウェイで柏レイソルに今季初の3得点で圧勝。3試合ぶりの白星を挙げた。29日の大分戦から中1日。若手主体で臨んだ試合は前半44分にMF鈴木亮の今季初得点を挙げると、勢いづいたチームは、後半にFW浅田、途中出場のFW山口が加点し、守備も今季初の無失点で3-0と快勝した。5日のルヴァン清水戦を挟み、次節は9日、ホームでセレッソ大阪と対戦する。
◇ ◇
ヤング・ロイブル軍団が、柏の地で圧倒し、チームを勢いづかせる白星を挙げた。若手主体ながら、主力と同じようなパフォーマンスを披露し、柏サポも「オレオレFC!!」と試合後に称えるなど、これ以上ない快勝劇を収めた。
前半は膠着した試合だったが、44分。主将マークを着けたMF鈴木亮がMF森田のパスに反応し、キックフェイントでDFのタイミングを狂わせ、GKの体勢も完全に崩すと、後は空いたコースへ左足で蹴り込むだけだった。「キーパーのタイミングを外して、行けると思った。あとは冷静に決めることだけを考えていました」と胸を張った。公式戦3試合連続無得点と苦しんでたチームはこれで351分ぶりの得点。肩の荷が降りたチームは後半に爆発。29分にはFW浅田がボールを奪うと自ら突破して、豪快ミドルでプロ初ゴールを挙げると、39分には途中出場のFW山口がDF村山のクロスをヘディングで決めた。
今季は開幕からベンチスタートだったが、好調はキープし、先月27日まで代表合宿に参加。29日の大分戦はコンディション調整に充てていたため、ベンチ外だったが、同戦で兄の鈴木潤らを使ったため、柏戦は主力欠場&中1日と言う強行日程だったが、鈴木亮は30日に「過密日程は毎年あること。こういう状況だからこそ、チームの力が問われる」と話していた。
試合前には鈴木が円陣を組んで「今日いるメンバーがレギュラー。自分達のプレーを思い切りやって勝とう!!」とチームを鼓舞。主将としても声をかけ、後半40分に交代するまで攻守に走りまくった。野河田彰信監督は「(鈴木亮は)張り切り過ぎよな(苦笑)」としながらも「一番走って、声出してな。ああいう若手がいるのは心強いわね」とたたえた。
キャンプ中に主力の大量流出という前代未聞の事件が発生。総入れ替えとなったチームは開幕からなかなか波に乗れていなかったが、誰が出ても思考するサッカーが変わらずに、チャンスをもらった若手が躍動。下部組織に所属するMF後藤や星野らも後半にデビューし、今後へ弾みがつく白星を手にした。
ルヴァン清水戦を挟み、次節はホームでC大阪戦。鈴木亮は「全体通せば、まだまだ課題だらけなので、もっと練習して、次もベストを尽くせるように頑張ります」と意気込んだ。
竹本雅美💙💛
@masami_seeds
先頭に立って闘う人が、はっきりものを言う人が、そして男性中心の社会に異を唱える人が、バッシングされる。私がこれまでさまざまな取材現場で目にしてきた「日本の風景」でもある。
社団法人『Colabo』仁藤夢乃さん、妨害や誹謗中傷にも“屈しない”生き方
https://jprime.jp/articles/-/27323
@shujoprime
高田高校→筑波大学🏐→高校教員→大分県教育庁→文部科学省→スポーツ庁→県教育庁→企業→社会教育主事講習@熊本大学 スポーツをツールとして社会の課題解決に取り組み 人やまちを元気にしたい。#SDGs #SportsSDGs #スポーツ #教育 #ジェンダー #発達障害 #社会教育士
https://twitter.com/masami_seeds/status/1642374686205186048?s=20
またしてもジェンダーはインチキであり女性はバカしかいないことが証明。
@osadanna
スレッドを見て関心を持った方は、どういう立場を取るにしろ、『当たり前の日常を手に入れるために』を一度読んでほしい。Colaboと繋がる女性たちのインタビューや、若年女性支援と公の福祉が抱える課題も多角的に浮かび上がる一冊です。
http://kageshobo.com/main/books/atarimaenonitijoul.html
·
3.5万
件の表示
不正経理を正当化するのは常軌を逸してて当たり前じゃない。何様なんだよ。
https://twitter.com/osadanna/status/1638828552798994432?s=20
※筆者は音大入ってないです
自分目線だとまったく違和感なくて、そういうケース多分にあると想像する。
奏者としてのレベルを上げるのって、「演奏(アウトプット)」と「知識(インプット)」の2軸必要だと思っているのだけど、
自分は「演奏自体は楽しいんが、知識を入れるのが辛い」という事実から限界を知ったよ。
「知識を入れるのが辛い」を深堀りしたら、この先に進んだ場合に自分がずっと演奏していく曲がそんなに好きではないということに気付いた。
レッスン課題がうまく吹けるようになるとか、コンクールで賞取れるとかの結果と過程が「演奏が楽しい」の要因になっていて、何を演奏するかはあんまり関係なかったよ。
自分の場合はそういう歪みに気付いてそもそも音大を目指すのを辞めたんだけど、
もっとアウトプットの才能がある人が同じような歪みに気づかないままで、音大入るとこまで行けちゃうのは全然ありえる話じゃないかと思う。
まぁそういう腹が括れてるかどうかは音大入学までに篩にかかっているはずで、上に書いてあるようなケースはアマチュアの戯言なのかもしれないけどね!
以下、非武装中立をぶん殴る、日本共産党: 「1970年の焦点 : 日米安保条約をめぐる30問」 (1968)
社会党の「非武装中立」論は、日本が中立化すれば、外部からの侵略の危険はなくなるという希望的・主観的な判断を前提に、中立日本の安全保障の問題について、真剣な追求を事実上放棄しているのが特徴です。そのことは、安保条約を破棄した独立・民主の日本において、外国からの圧迫や干渉、中立の侵害、さらには侵略の危険などからどうして国の主権と独立、中立を守るかという問題にたいして、説得力のある具体的な解答をもちえないでいることにしめされており、そしてまた、そこに社会党の「非武装中立」論の最大の決定的な弱点があります。現に、一九六八年の参議院選挙にさいして、NTVテレビと『読売新聞」が共同でおこなった立候補者のアンケートでも、「非武装中立で万一日本が侵略を受けたとしたら、あなたは、次にあげる態度のうちどれをとりますか」という質問にたいして、社会党の候補者の回答は、「非力でも抵抗する」十四人、「国連、又は第三国の援助を要請する」十三人、「抵抗しないで連命を甘受する」三人、「その他」十一人、「わからない」四人、「無回答」八人と、まったくばらばらで、社会党が中立日本の安全保障の問題について統一したまとまった見解をもっていないことを、あらためて暴露しました。
ところで、社会党はどのような論拠をもってこの「非武装中立」論を主張しているのでしょうか。
社会党は、同党中央機関紙『社会新報」六八年七月三日付に、「事実を歪め、国民を欺瞞するな、日本共産党の非難に答える」というMなる署名の長論文を発表しましたが、そこでのべられている主張は、さいきんの成田委員長の発言や同党の方針のなかでもくりかえされています。それは、第一に、「日本が断固として非武装政策をとることによって」「いかな国も非武装の日本を攻撃する口実をもてなくなり、日本が侵略される危険がなくなる」と主張しています。これはきわめて無責任な議論です。
だいたい、「侵略がなくなる」というこの断定自体、なんの根拠もないものであり、日本が安保条約を廃棄して中立の道をふみだしたからといって、なお帝国主義が存続する以上、アメリカを先頭とする帝国主義陣営が、そのアジア侵略政策のいっそうの破綻のなかで、日本をもう一度アメリカを盟主とする軍事同盟にひきこもうとして不当な圧迫や干渉をくわだてたり、侵略の挙に出たりする危険は、依然としてのこっています。日本が非武装政策をとれば、どんな国も日本を攻撃する口実がなくなるから、「侵略される危険はなくなる」などというのは、帝国主義の侵略性、凶暴性に目をふさいだ、まったくの主観的、希望的な観測にすぎません。
したがって、帝国主義者の干渉や圧迫、侵略の危険などをどのような手段で防止し、日本の独立と中立を守るかという問題は、日本の平和・中立化の政策を真剣に追求するものにとって、けっしてゆるがせにすることのできないきわめて重大な問題です。まさにこの問題で、「侵略の危険はなくなる」などと勝手にきめこみ、なんら現実的な考慮をはらおうとしない社会党の態度が、独立・中立日本の前途に真剣に責任をおう態度でないこと、さらに、将来にわたって「非武装中立」などを固定的な原則として宣言し、あらかじめ自衛の手をしばってしまうことが、真に日本の主権と中立をあらゆる情勢のなかで守りぬく正しい態度でないことは、まったく明白です。
なお、ここでとくに指摘しなければならないのは、社会党の「非武装中立」論が、日米関係についての同党の根本的な誤りと結びついたものであるということです。いうまでもなく、一国の中立政策を問題にするばあい、その国がどんな外国の支配からも解放され、真の独立を確保していることが、その前提です。このことは、第二次世界大戦後の日本のように、アメリカ帝国主義の占領あるいは半占領下におかれている国では、アメリカ帝国主義の対日支配を打破し、真の独立を達成することをぬきにしては、ほんとうの意味で国の中立化や中立政策を語ることはできない、ということを意味しています。ところが、社会党は、「日本がアメリカに本質的に従属関係にあるものとみることはできない」(「旧本における社会主義への道」、一九六六年一月第二十七回党大会)として、日本の対米従属の関係を本質的に否認する態度を公式にとっているのです。帝国主義の存続と侵略性に目をつむるだけでなく、現実のアメリカ帝国主義の対日侵略を否認する立場からは、もちろん、日本の真の独立の達成という課題が提起されることはなく、けっきょく、この課題を軽視あるいは回避する社会党の立場が、真の日本の平和・中立化をめざす態度と両立しえないことは、あきらかだといわなければなりません。
社会党の「非武装中立」論のもうーつの論拠、問題点は、自衛権をめぐる問題です。
結論的にいえば、日本人民が主権者となった独立・中立日本の安全保障問題において、周囲にアメリカ帝国主義のような侵略勢力があるなかでの「非武装中立」という主張は、けっきょくのところ、いっさいの自衛権の発動の手段をみずから否定して手をしばるものである、ということです。さきにあげた『社会新報』のM署名の論文は、独立・中立日本の自衛権についての日本共産党の主張を攻撃して、つぎのようにいっています。
「日本共産党は、……プルジョア国家間の規範である国際法上の自衛権をもちだしている。これを根拠にして自衛軍隊を主張するなら、一国がプルジョア政府であろうと、民主連合政府であろうと、軍隊をもつことができるのであって、主観的にはどうあれ、自民党が進めようとしている自主防衛論、憲法改悪と核武器をふくむ軍備強化に積極的に手を貸すものといわざるを得ない」
まったく乱暴で、おどろくべき議論ですが、独立・中立日本の自衛権を主張した日本共産党の安全保障政策を批判しようとした『社会新報』は、問題の自衛権そのものを、「プルジョア国家間の規範」だという説でどこかにふっとばしてしまっています。しかし、自衛権とは、国家あるいは民族が、外国の圧迫や侵略から自国の主権と独立を守る正当防衛の権利のことです。これはすべての民族がもっている国際法上も広く認められた固有の権利であり、「プルジョア国家」だけにかぎられるものでは、もちろんありません。にもかかわらず、それが『社会新報』がいうように「プルジョア国家の規範」だとするならば、独立・中立日本には自衛権はないことになり、けっきょく、さきに引用したNTVテレビと『読売新聞』のアンケートへの社会党候補者の回答にあるように、「抵抗しないで運命に甘受」しなければならないというようなことになってしまいます。
なお『社会新報』はここで、自衛権についての日本共産党の主張を「自衛軍隊の創設」の問題と同一視し、最近になっても、「共産党は……外交政策における自衛権の主張は武装自衛の方向をとっている」(「一九七〇年安保廃棄をめざす闘争方針案」、六八年十一月社会党中央執行委員会決定)などといっていますが、これは、日本共産党の主張をきわめて一面的にねじまげたものです。自衛権は日本民族が一貫してもっている固有の権利ですが、これを行使する形態は、内外情勢や憲法上の制約などによってちがいます。日本共産党が、現憲法下では、たとえ真の自衛のためであっても国が軍隊をもつことを明確に否定していることは、ここでくりかえすまでもなく、「日本共産党の安全保障政策」および「日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想」にあきらかです。
自衛権をめぐる問題で最後にいっておかなければならないことは、さいきんの成田発言でもくりかえされている、日本共産党が自衛権を問題にすることは自民党の「自主防衛」論に手を貸すものだという議論が、ぎゃくに自民党の「自主防衛」、調をたすけてやる結果になっているということです。
日本共産党が、自民党政府の「自主防衛」論や自衛隊増強に反対しているのは、一般に国を守ることそのものに反対だからではなく、自民党の「自主防衛」論が、日本の主権と独立を守るどころか、反対に、アメリカの指揮下にアジア侵略の「日米共同作戦」態勢を強化することをめざしたものであり、自衛隊が憲法違反の対米従属と人民弾圧の軍隊であるからです。自民党のこの「自主防衛」論を粉砕するために必要なのは、「自主防衛」の名による日米軍事同盟強化、自衛隊増強の危険な実態を具体的に暴露するとともに、アメリカ帝国主義の対日侵略と主権侵略を許している日米安保条約のもとでは、一具の自主防衛はありえず、日米安保条約を廃棄し、日本の真の独立をかちとり主権を回復してはじめて、ほんとうの意味で、日本の自衛や安全保障を問題にすることができるという根本の道理を、広範な国民のあいだで明確にすることです。この意味では、日本の主権を侵害し、領土を侵略しているアメリカ帝国主義を日本から追いはらうことこそ、日本民族の正当な自衛権の発動なのです。
これにたいして、もしわれわれが成田氏らの主張のように、自民党の「自主防衛」論に反対しようとして、日本民族の自衛権そのもの、外国の侵略から主権と独立を守る権利そのものを否認する立場にたつならば、それは、日米安保条約をなくす民族的な権利をあいまいなものにするだけでなく、かえってわれわれの立場を道理のないものにし、自民党が「自主防衛」論を欺まん的にふりまわして日米軍事同盟強化の方針をおしすすめるのをたすけてやる結果になることは明白です。このことは、六八年の参議院選挙中、テレビやラジオの政党討論会などで、自民党が中立政策に打撃をあたえようとして、自衛の問題を無視している社会党の「非武装中立」論の弱点に攻撃を集中する作戦をとり、社会党がこれに明確な反撃をおこなえないできたことにも、はっきりとあらわれています。このように、社会党の「非武装中立」論は、自民党との対決という点でもかれらに乗じられる決定的な弱点をもっています。
その場合、女性アイドルの卵に対して性的搾取をしていた存在が同性愛者であると仮定しないといけない。
その女性の「お相手」を務めるとデビューのチャンスがもらえる(と考えられている)。
まず、大前提として地方企業で力を持っている企業というのは何かしらの形でインフラや土木に根ざしている。
分かりやすいのは公共工事に関わる建設会社だが、一般的なメーカーにおいても作るモノによっては用地だの取水権だのが絡むし、あとは港湾系や水産加工といった業界も、自治体の港湾開発の影響をダイレクトに受ける。
また、地方企業共通の課題として交通の便と少子化の問題はどの企業も感じている(改善されれば自社を含む経済圏にとっての恩恵が大きい)。
なので、そういった自社に有利な形での開発を直接的・間接的に支援する意向を持った候補者に投票するインセンティブが働く。これがパターン①。
もう1つ、地域の有力企業から立候補するパターンがある。(往々にして取引先だったりする)
市議会レベルだと会社によっては代々議員を輩出しているところなんかもあったりする。
利益誘導では?と思ったあなたは少し立ち止まってほしい。ここは地方社会である。代々議員を出してそれなりに政治の仕事をこなしてくれるような人材をプールできる組織自体がそもそも限られている。ここでは政治をネタに自身のルサンチマンを表出していいねをもらうだけの奴に価値はない。組織票だろうが何だろうが見える形でGet things doneを実現できる奴だけが勝つのである。
ともあれ重要取引先から候補者が出るとなれば応援しない手はないのでみんなで支援しようとなる。これがパターン②。
個人的にはどちらのパターンにおいてもそこまで強制力のある集団投票の呼びかけは受けたことがない(ガッカリさせてしまったなら申し訳ないが)。
せいぜいが事務所に候補者がやってきて所信表明をするくらいである。なおこの時に直接投票を呼びかけてしまうと選挙法に引っ掛かるらしい。が、その程度のことは皆わきまえている。
投票の証明を会社に提出するだのといった話は限りなくフェイクじゃないかと考えているが、コンプラ意識の欠片もない零細企業とかならあるのかもしれない。
viとemacsはどちらが優れているか? また、これら2つの方法の違いはどこにあるのか? さっそく設定を変更して実行してみた。-emacsはosのディストリビューションなのでインストールにはいくつかの課題が存在する。-emacsはunix系のosなので適切なディレクトリパスが設定されていない(*1)(apacheのモジュールとmysqlさえ設定しておけばいい)、各モジュールのディレクトリパスが適切に設定されていない、ファイルのパーミッションが適切ではない等
党派性について語ることを許してはならない。女性器だけではないのである。人類誕生以前に産まれた全人種のあらゆる器官に対して同じ境遇にある生殖能力(エロティシズム)を持った陰茎(性行為)によって男女の関係が成立可能か、という課題を解き明かすために各国は競って研究を重ねてきた。これを「性行為の経験を経た全ての全人的な権利の擁護」と呼ぶことがあるが、この言葉もまた今や完全にセクシャルマイノリティを包含し差別を生じさせるものとして
Q: 100個の情報を100個のパラメータで表現するのと、1個のパラメータで表現するのとでは、何が違うのでしょうか?
100個の情報を100個のパラメータで表現する場合、各パラメータは情報の特定の側面や特徴に割り当てることができます。これにより、情報をより詳細かつ具体的に表現することができ、情報の操作や分析においてより高い柔軟性と制御性を実現することができる。しかし、この方法は、より多くの計算資源を必要とし、解釈も難しくなる可能性があります。
一方、100個の情報を1つのパラメータで表現する場合、情報を平均値などの1つの値に凝縮することになります。これは、情報をよりシンプルかつコンパクトに表現することができ、作業や理解がしやすくなる可能性があります。しかし、この方法では、特定の作業や分析に関連しうる情報の重要な詳細やニュアンスが失われる可能性があります。
Q: しかし、少数のパラメータで表現できるのであれば、物理法則のような本質的なパターンを見出せる可能性がある。
そうですね、まったくその通りです。複雑な情報を少数のパラメータで表現することで、他では見分けがつかないような根本的なパターンや関係性を明らかにできる場合が多々あります。特に、物理や化学など、自然現象を支配する基本的な法則や原理を探求する科学分野では、それが顕著です。
科学者は、システムやプロセスを記述する小さなパラメータのセットを特定することで、基本的な物理法則を指し示す隠れた関係や規則性を発見することができます。これらの法則は、予測や新しい実験の設計に利用することができ、システムを支配する根本的なメカニズムをより深く理解することにつながります。
もちろん、これらのパラメータを特定し、基本的なパターンを明らかにするプロセスは必ずしも単純ではなく、多くの場合、創造性、実験、分析が必要です。しかし、基本的な物理法則や原理を発見することで、多くの科学者にとって重要かつ刺激的なものとなる可能性があります。
Q: では、記憶力の良い人よりも、少し記憶力の悪い人の方が数理モデリングが得意ということはあるのでしょうか。
そうですね、記憶力が少し悪い人が、記憶力の良い人よりも数理モデリングの能力が高いということはあり得ますね。記憶力が良いことは、数理モデリングの様々な場面で役に立ちますが、それだけが重要な要素ではありません。
数理モデリングには、パターンや関係を特定する能力、創造的かつ批判的に考える能力、複雑な問題を解決する能力、アイデアを効果的に伝える能力など、さまざまなスキルや能力が必要です。記憶力が良いことは、重要な公式や方程式を記憶するなど、モデリングのある側面では確かに役立ちますが、必ずしも成功を決定する最も重要な要素ではありません。
むしろ、記憶力がやや劣る人の方が、暗記に頼るよりも根本的なパターンや関係に注目しやすいため、ある種の問題解決作業に適している可能性があるとの研究結果もある。さらに、記憶力が低い人は、新しい状況を識別して適応することに長けている可能性があります。これは、問題や課題が非常に変化しやすく、予測不可能な数理モデリングの分野では非常に重要です。
結局のところ、数理モデルで成功できるかどうかは、生まれつきの能力、経験、訓練、献身など、さまざまな要因に左右される。記憶力の良さは確かに役立ちますが、それがこの分野での成功を決定する唯一の、あるいは最も重要な要素ではありません。
end basketball
Gorilla: Pm5rFDzVmzgs9fL4b3uyGOrE6I79XrwuPXWIvtY9vnuKRvDoL9nlJ8vNIfeT8u9mJbH9QkRhfRQ40VvWmvVOSUzTyC7OGsCwmpkkanuB0Lpyo0EsnE9BDxjzxUrRIRx0TVqeD6ILjK0K7kOiLV8pZEKQiVPx2_195VXOX5bVutTB27ZalK8ytIvlnOqpbK1sVyTpqHcgZl6Xoho72bgC7jS52O7HgodgGhSrxtbVKLyPTAG8xjITcA18rWqhtofdiLi22aX02oYWuQmJFlEfgfzJSvBTV_LXgGr5V2QQEkM8EBJQqjreOxrKP_51FjIhtTDFzi_XX3d9bmyb7Pi61unxFs1d5VB1cuZMQyBehavp_Ih8kANI5NYUBdQnOv5alAGxfSZxis44xicVDBsNqr1QOEA3En7vF1tEwGh6H553L0Fq6wapJaS3ejyfihvls4L52h3hcAuMXZ2SmVb1C8je9P5LySAnyjBL1hzwFO_kCNCoVg2tU5D3I4QCjPtyMbtI3ARKXO3UmdUaDNG6MQDygRRWljLtyuHEpotYQOnq95qQRcKM0nkIVmLtEuuXwfO0yO6LeDSaX96Er61aUFWvRvPwG9SCCBmrfJaqd2MUC0TopiOa50rtloczdg69zZVF4ISdg_IltKnhq1bP2kWKDgzHsEqIO03g4K1Cc6hY8s_TIOPeUx3P_LvSDnjRyJiZb0ecfAIq8fVZvgzKOZofk9BYnwrdFXJLRqxPTDBJxOLudgnrA7mdRxV7kQIlaxbnPCFd8HjPbnZYNJAyD774Clbo9pi3gsAPq2MRzoaOoDRgiJAGJsiIPCPiisL1Tzk6AzRmGuIw6OjHl_QqzAiiWExtwGC3V6uv1LecWj0HCPKEeP5vWi542IG5YffjS5KJ5jdawWnw2cxxplQxtNY84U8tuINu_GJKJ3_Cl_M1RyGzB3HKTLW7YRyQz9asibPjNe19vR2ysVamVSUvs_ZmgZcD3AJz60Q27iVCh2yklsjXbw16VMl1NQx49OOK