はてなキーワード: 親共とは
うちの旦那は「客観的に見れば」良いとされている旦那だと思う。
年収は私の5倍近くあるし、私も一応正社員だけど年収は全然敵わない。
もともとマメで家事をよく手伝ってくれる人で、コロナきっかけで在宅勤務中心となってからは
仕事の合間にちょこちょこ家事をこなしている様で、私が7時か8時ぐらいに帰ってくる時には
掃除も洗濯も皿洗いなんかもほぼ終わっていて、ご飯の支度までしてある。
ゴミ出しなんかも私は出勤だからと始めの頃は出していたが(それまでは夫が担当)
何度か忘れる事があっていつの間にか旦那が出す様になり、そのまま定着してしまった。
もちろん帰る事にはゴミはまとまってるし、いつの間にか私部屋含め回収されている。
その時やってなくても夜寝る前にはやっている様だ。
細かい家事も含め旦那が日中と寝る前、朝にやってしまい、私が家でやる事はほぼ無い。
まだ子供はいないが旦那義実家は電車で20~30分程度の所にあり、もし子供が出来たらフルサポート体制はばっちりだそうだ。
義両親も特に嫌味を言ったりしてこない普通の人で、色々差し入れくれたりサポートはしてくれるが
口は出して来ないので、良い人なんだろうなとは思っている。
私実家と違って義両親共々固い仕事で収入もあるのか、羽振り良いなと感じる面が多々ある。
旦那自身は良くも悪くも普通の良い人で、押しの弱い点が気になる以外は穏やかで一緒にいてストレスは感じない筈だった。
外見も他人から見れば「かっこいい旦那さんね」と言われる程度には悪くないと思う。
私両親や親族にも信頼されている。というか私実家の自営業の経営が悪化した時に、旦那から旦那父→旦那父知人経由で
仕事や人材を口利いて貰い、経営は何とか持ち直した事もあり、逆に私両親の方が旦那家に頭が上がらない状態……
一見すると特に問題無い環境に思えるかもしれないが、正直私は苦痛を感じている。
家の中で私がやる事なさすぎて、私の「役割」が全く無いからだ。
一方で私は結婚するまでは週1で母に来てもらってたまった家事をして貰っていた。
「一応一人暮らしだったけど子供部屋おばさんみたいなものだったね」と姉に言われてグサリときたが事実なので反論出来なかった。
今でこそ旦那がしているが、私がやっていた時はストレス溜まっていたのかなと思う時もある。
仕事で疲れて、家に帰る頃にはクタクタで、今日こそ頑張ろうと思いながらも何も出来ない。
基本的に定時か残業一時間程度で帰れるし休日も暦通りだから、客観的に見ればブラック企業でも無いと思う。
人間関係で大きなストレスがある訳でも無いのに、家に帰るとクタクタで疲れてしまっている。
休日も疲れて一日中寝ていたり、ストレス解消でゲームをしてしまったりしている。
旦那はその間に副業を始めて年間だと200万ちょっと稼いでいるそうだ。ますます立つ瀬がない。
仕事が原因で疲れているのだから、家事専念したいと仕事辞めたいと申し出た事があった。
旦那は私が良いならと賛成してくれたが、両親や姉に猛反対された。
「お前は楽をしたいだけ、旦那君にこれ以上甘える気なのか」
「どうせ仕事を辞めたい言い訳、辞めた所で家事なんてしないだろう」
「旦那君程とは言わなくてもせめて半々やれば良いのに、あなたの家の事なんだから」
「子供がいるならまだ分かるが居ないのに仕事辞める必要が無い、旦那に寄生したいだけでは?」
そうは言っても人間の出来が違うんだろうから旦那には簡単な事でも私には難しいと反論したかったが
さすがに情けなくなって出来なかった。結局退職の話は先延ばしになっている。
子供が出来たらと思ったし旦那も望んではいるが、このまま子供が出来て主婦になると
家庭に縛られ押し込められてしまう気がして、レス気味になってしまった。この二年間は殆ど出来ていない。
この先も子供が出来てしまうと、全ての自由を奪われ家庭に閉じ込められてしまうのが怖くて、ますます子供からは遠ざかっていってしまう。
旦那とも子供は欲しいよねって結婚前に同意した筈なのに、このままだと無理だろう。
こんな状態でも文句を言わず、私に気を使っている旦那の人間性が、私と違いすぎて更に辛くなる悪循環。
正直、自分自身もそうだし、それ以上に旦那や旦那に味方する人達が憎くて憎くてたまらなくなってきてしまっている……
一度だけ正直に仲の良かった友人に愚痴った事がある。
旦那から必要とされていない様で辛いと。まるで言葉や肉体での暴力の無い、真綿で首を締められる様なDVを受けている気分だと。
「我ながら贅沢だと思うけど…」って前置きして話したが、友人には「何それ?ただの自慢?」と言われて、以来FOされてしまった。
ある事無い事…実際には無い事無い事言ってる。
例えば「旦那は帰って寝るだけで全く家事しない」とか「在宅勤務を理由に仕事中は何もしてくれない、粗大ゴミみたい」とか。
本当の事を知らない友人からは「そっちの旦那も何もしないのね~」と同意されるが、少しスカッとすると同時に後ろめたさも感じてしまう。
客観的に見れば多少恵まれている方なのに、どうして私はここまで苦しいのか、自分ですらよく分からなくなってきている。
昨年、旦那は年末年始の旅行を計画してくれたが、結構強い調子で断ってしまった。
気まずいのもあって、年末年始は部屋にほぼ引きこもって会話もほとんど無かった。
旦那は話しかけたり、謝ってきたけど、不機嫌な風にして追い返してしまった。
気分転換すら出来ず、いっそ離婚して全てをやり直した方が良いのかな?
今の貯金と慰謝料か家があれば、最悪この先ずっとお一人様でも細々と暮らしていけると思う。
そんな破滅的な事すら考えてしまう自分自身がたまらなく一番辛い。
俺は所謂貧困家庭で育ったのでカップラーメンは好きだしジャンク品でも何でも食う
最近、居酒屋で飯を食った時に俺には食育が足りてないとからかわれ、育った環境の話をしたく母親の話をするともう親は関係ないだろマザコンか?と言われてしまい恥ずかしかった。
育った家庭環境が悪いとずっと思い続けていたが、これを言い訳に出来るのは何歳までなんだろう。
俺の友人は俺のような生活環境で育った奴が多く、この前も飲んだ時に自分の家庭環境を呪うような話が酒の肴だった。
親が生活保護受給者とか、大学入学式後、最初の集まりで親が金払っていない事が発覚し当日みんなの前で「この中にお金を払ってないのに来た子がいます」とバラされて結果退学(そもそも入学すらしてなかったが)とか、親が在日で仕事が続かないとか。
俺も両親共に中卒、幼い頃に離婚、父親は10年前くらいに若くして孤独死した
父母共に両親を若い頃に亡くしていたから祖父母などの親戚もいない
小中学校の頃はライフラインがよく止まる生活をしていたが、高校でアルバイトを俺がするようになり何とかなった。進学は奨学金が入る前の準備金がなくて入学できなかった。
今は何とか転職を繰り返し大卒に囲まれた会社にいるが、周りの頭の回転の早さに自分が惨めになるばかり
母親の事は普通だが、あの時アルバイトばかりしてなかったら、大学に進学出来ていたら、我慢しなかったら、そもそも色々なお祝いの時に少しでもお金をくれたら、色々な時に考えてしまう
すごく貧乏、ということもなく、子どもたちは全員大学卒業までさせてもらってる。
ただ昔から「うちにはお金がないから」と言われて育ってきて、自分の好きなものを買ってもらったことは少なかったように思う。
少ないお小遣いをやりくりして過ごしてきた。
高校の時にバイトを始めて、一定程度は自分の自由にできるお金ができても友達と遊ぶために使うか必要なものを買うくらいで、好きなものを買うとか、趣味にお金を使うとか、そういったことが少なかった。
好きなことも趣味もあるけど、幸いなことにお金がかからない範囲で楽しめたし、好きなアーティストがライブをやるとか、そういう時の大きい出費くらいは惜しまない程度の金銭感覚だった。
現在。
結婚してから、相手に付き合うための出費はするけど、好きなことにお金をかけることをためらってしまうようになった。
子どもができて、より一層ためらっている。
ポッキー食べたいな、と思っても買えない。
ためらう理由として、稼ぎがいまいち、というのが一番大きいのはわかっている。
将来のことを考えると色々お金がかかるのは見えているし。
ただ、ある程度の貯蓄はあるからもっと好きなことに使ってもいいんじゃないかなとも思っている。
いっぱい稼げたら悩むこともないんだろうけど、それも難しくて。
この状況が自分で嫌すぎる。
どうしたらいいんだろう。
俺の家は両親共働きで、祖父母が同居してはいたんだが二人共病気がちで俺や妹の面倒を見れる状態じゃなかった。
そんな家庭だったので、小1くらいから祖父母が調子悪い時に家の事を色々やるようになった。
簡単な料理作ったり、洗濯機を回したり(取り出して干すのは手が届かなかった)とか程度だけどね。
その程度の家事でも今考えると危なっかしい事やってたなぁって記憶が結構ある。
目玉焼き焼いてるフライパンをうっかりひっくり返してあわや大火傷ってなりかけたり、洗濯機の中に落ちそうになったりとかね。
ちゃんとした料理じゃなくてもお湯を沸かして使うだけでも、小さな子どもにとっては結構な危険な行為だ。
でもお湯も湧かせないんじゃカップラーメンすら食べられない。
だから一人は大人が子供の側にいた方がいいのは確かなんだよなぁ。
かといって核家族化が進んだ現代で家族の誰かが面倒みるのは難しい。
ベビーシッターや家政婦さんを派遣するのも、マンパワーが不足していくこれからの日本ではどう考えても現実的じゃない。
学童保育もやる気がある人のボランティアで成り立ってるようなところがあるからなぁ。
予算と人員をつっこめばいいって人もいるだろうけど、仮にそれをやると絶対に保育の質は下がるんだよなぁ。
首都圏で子育てしてるって一人親を除けば世帯収入の多いパワーカップルが主流な訳で、そういう人達が満足する様な質の保育を規模を拡大しながら提供するのはまず無理だと思う。
設定に無理があり過ぎる。
夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共に荷物あるとそこは却下されて
ここから読み取れるのは4部屋(内一つは収納ナシ客間)だということ。つまり恐らくだが4LDKの平屋ということである。
買った時点では子供を持つ気があったようだが、子供の部屋はどうするつもりだったのか?
これが5~6LDKの2階建てとかならまだ話はわかるが、この時点で設定に無理があり過ぎる。
夫と暮らし始めて家を買う際、私両親たっての希望で二世帯(私達夫婦、私両親)で住む事になった。
今自分達が住んでいる家も年数が経ちリフォームするお金もあまり無いから、まだ売れるうちに売って一緒に住みたい、お金もこっちでも出せる分は出すからって。
夫は始めは反対してたけど私も話し合ってなんとか承諾。中古の平屋を買って住む事になった。
まず部屋の割り振りで不満が出た。
夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共に荷物あるとそこは却下されて
他の部屋も母に取られて、私も私で色々荷物多くて収納ある部屋じゃないと無理だったので
結局夫に与えられたのは一番小さい部屋。しかも客間兼も予定だっただから和室。
その時も抗議されたけど、夫は元々綺麗好きで私物もあまり無かったから、両親に荷物を捨てさせる訳にもいかなかった。
家のお金の事でも揉めた。
例えば家の購入代金が3000万ぐらいで、夫が頭金を1000万ぐらい出した。
ローンも二人で半々出すハズが、両親が支払ったのは始めの数ヶ月ぐらい。
色々物入りだと理由をつけて支払わなくなり、夫が抗議すると「金に汚い、意地汚い」と両親から睨まれ吐き捨てられたと。
両親は父・母共に悪い人では無いハズなんだけど、口は悪い人で、良くも悪くも遠慮無いタイプ。
夫に対し稼ぎがどうとか、◯◯(私)に優しくしてんのか?ちゃんとしろよ!と、発破なのか嫌味なのか
夫は父親を小さい頃に亡くし片親だったのだが、それについても弄るというかネタにする様になり
夫が嫌味に反論しても「片親だからそんな細かい事気にするんだな、本当に育ちが悪い」と言われるとか。
夫は度々私に「傷ついた」「辛い、我慢してるけど限界になりそう」「君からも彼らに抗議して欲しい」と相談というか愚痴を吐いていた。
私が全てを直接見聞きしていた訳でも無いのだけれど、両親の年齢特有の遠慮無さと口の悪さは今に始まった事じゃないし
ある程度慣れてもらわないと困るのでは?と思っていた。元々他人同士なんだし、始めから上手くやれないのは普通だと。
一応私からも両親に注意した事は何度もあるが、その度に分かったよ~とは言うが、改善はされなかった様で、私自身も諦めていた。
また、部屋の割り振りにも都度文句を言われていた。
一番広く収納のある部屋は両親が使い、夫は一番小さい窓のない部屋になった事。
荷物が多過ぎる両親と綺麗好きで私物も少なめな夫では仕方ないと当時は思っていたが、夫は常に不満タラタラだった。
「どうして俺の家なのに、自分だけこんな部屋なんだ」と。あまりにもグチグチ言うから、喧嘩になった事もあった。
「この人、こんな小さい所あるんだ…」って当時はガッカリしたり冷めた事もあった。
傷ついた、辛いアピールする夫に冷める気持ちとか、相手するのが面倒だと思った事も一度や二度では無かった。
どうせ夫がいないと我が家の生活は成り立つのは難しいのだから、離婚などされる訳ないしあり得ないと思っていた。
そんな夫がある日、いきなり出ていった。
慌てて連絡すると「離婚したい。(私両親に)いびられて監視されて子供作る気にもなれない。親の肩ばかり持つお前にも愛想が尽きた」と言われた。
何度も離婚はしたくない、考え直して欲しい、両親にはきちんと注意するから、と言っても、全く信用してくれなかった。
「お前は俺が買った家で肩身の狭い思いをして、嫌味いびりをしてくる両親も止めず、相談してもはいはいって態度で俺の味方になってくれなかった」
のが、信用出来なくなった理由という。
それは誤解で、これからはちゃんとするから、親との同居も無くて良いし、一生尽くすからと謝罪と懇願した。
でも結局ダメで、夫とは離婚になった。たかだか二年の結婚生活はあっという間に終わった。
間に入った女性弁護士からは、ローンの頭金も放棄、貯金も慰謝料兼財産分与で貰ったから、随分良い条件で離婚出来ましたね♪
家のローンは私が引き継ぎ、生活は一気に苦しくなった。
ただでさえ低年収で、不安定な仕事しかしてなかったから、副業としてアルバイトを始めたがそれがいつの間にか本業になった。
アルバイトから契約社員にもなれたが、月の手取りは20万も無い。その内大半が、ローンと生活費で消えていく。
私の手元には殆ど残らない。あまりにもきつくて、本業は諦めて、更に副業でバイトも始めたが、焼け石に水だった。
生活費は両親のも含まれる。その頃には退職した父と専業だった母の口癖は「俺(私)らは無職だから金が無い」。
普段の食費から雑費から、外食費用や旅行費用、父の競馬新聞や母の行きつけマッサージ代まで、何にしても私がお金を出さねければいけない状態。
お金を出さないとすごいうるさいし「サラ金から金借りてきてでも何とかする」などと脅してくる。
母は「この歳でこんな惨めでひもじい思いを…老い先短い人生なのに…」と泣き落としてくる。
呆れるばかりだが、これでも私を育ててくれた両親なので無下にする事も出来ない。
ひたすら生活に追われて婚活もクソも無いのに両親からは「再婚はしないのか?」などと無神経にせっつかれる。
こんな状態でも、それでも何とか交際してくれる人が現れ、とても良い人で、両親にも顔合わせもした。
その際に「前の夫みたいに軟弱なヤツじゃないといいけどな~」「ね~あの人は心が弱すぎたもんね~」などとのたまう両親。
彼氏には離婚した理由をぼかしていたが、固まっていた彼氏には事情を話さざるを得なくなった。
ちゃんと正直に話した結果、「申し訳無いけど、あの両親とは上手くやっていける気がしない」と言われ、結婚の話は無しになり交際も終わった。
婚約破棄の慰謝料として200万程貰ったが、両親が「嫌な事は忘れよう!」と、豪華な旅行を計画し、一瞬で無くなった。
私も半ば無理やり連れて行かれたが、全く楽しく無かった。両親だけはブランド物なんかも買い漁りホクホクだったけど。
もう30代半ばも過ぎて、結婚はどんどん遠ざかっていく。
給料は増えず、生活費も上がり、ストレスばかりの私を他所に両親は旅行なんか行っちゃってる。
働いてた時の貯金らしい。だったら生活費出してよ、家を建てた時だって前夫との約束反故しないでよ!
って言いたくなったけど、もうあの歳なら何を言っても無駄だと、私自身が諦めている。
とにかく生活が苦しく、そうなると思い出すのは夫との日々だった。
それなりに稼いでて、家事もマメで良くやってくれて、我慢強かったあの人。
今は夫の言う事をなんでも聞いて尽くしてあげられる、やり直したい、本当にそう思った。
共通の知人を介して元夫と連絡を取った。元夫は今でも独身らしい。
外で会うと、店に入った途端「金なの?いくら欲しいの?」と言われた。
お金じゃない、やり直したいだけと言うと
「どうせ生活が苦しくて俺と一緒になれば楽出来ると思ってるんでしょ?それ金くれって言うのと一緒だよ」とまで言われた。
さすがに腹が立って「そんな人じゃなかったのに…」と嘆くと「お前ら一家がそうさせたんだろ。結婚して何の得も無かった。
味方が一人もいない家で肩身狭い思いをする為に結婚して家を買ったんじゃないのに。結局あの家もお前らのモンになったし、
俺はお前らに家買わされただけだろ。どうせ俺の事なんて都合の良いATMとしか思っていなかったんだろ!」って
元夫は、交際相手はいるが結婚はしない、しても内縁で親同士の付き合いも一切無い関係じゃないと無理だという。
「お前らみたいなのにまた引っかかりたく無いからな」って嫌味を言われて、反論出来ない私はどれだけ悲惨だったのだろう?
お互い原因があるんだろうけど、私だけが不幸になっている気がしてならない。
夫は独身貴族で優雅かもしれないが、女性には男ほどの稼げる職は少なく、社会からも差別を受けてますます追い詰められている。
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
2年付き合ってきた彼女がいて、先月そろそろちゃんとしようかみたいな話をした。
彼女は披露宴とか結婚指輪とか、そういうものにはあまり興味がないようなことは前々から言っており
俺としては彼女が望む方向でどちらでもいける振り幅は用意していたんだけど、
それはさておき当然の礼儀として、まず「ご両親に挨拶に行きたいんだけど」って言ったら、
「もう令和の時代なんだし、そんな堅苦しいことは別に良いんじゃない?」って返事が返ってきた。
「いやでも、俺も親にきちんと婚約者として紹介したいし、ご両親に挨拶をしておきたい」って言ったら
「少し考えさせて」って言われた。
一体何を考える事があるのかと思ったけど、その時点で嫌な予感はあった。
先週末に久々にデートの誘いがあって、彼女から話があったんだけど、結果を先に言うと別れることになった。
以下は彼女の話。
・自分は毒親育ちで高校を出てからずっと親とは縁を切ってきたと。
→俺には大卒って言ってたから「え?大卒って言ってなかった?」って聞いたら、嘘ついてたこと忘れてたみたい。
・地元のFランで名乗れるような大学じゃないって言われており、大学名も一応聞いたが確かに聞いたことないような大学名でそれ以降話題にしなかった。
・婚約したからって親に報告するつもりもないし、式とか披露宴とかもしたくない。
・結婚しても私の実家と関わりを持ってほしくないし、俺君の実家への帰省もできればひとりで行って欲しい。
→そこで「俺の両親とも一回も会ったりして関わる気が無いって事?」って聞いたら、ハッキリと肯定された。二人だけの家庭を築きたいと。
以上の事を言われて「俺は普通に夫婦で帰省とかしたいけどな」って言ってしまったら、その普通と言う言葉に彼女が激怒した。
「普通って何?俺君はたまたまいい親に生まれただけでしょ?それって幸運なんだよ。普通じゃない!」って。
しばらく話にならなかったので一通り宥めて何とか落ち着かせたあと、疑問に思ったことを色々聞いた。
ずっと実家と疎遠にしてたって、年末には毎年帰省してたのはなんだったの?って聞いたら
詮索されるのが嫌だったから年末年始は毎年ビジホに連泊してたんだって。
正月中?一切外にも出ず?ってビックリして聞いたら「のんびりできて結構いいもんよ」ってしれっと言う。
「だって実家からってメールとか電話とかしてたのは?」って聞いたら笑いながら「ビジホからw」って。
母の日にプレゼント送ってたじゃない?あれはなに?って聞いたら、自分が欲しいものを自分宛に送ってたって。
彼女が嘘をついていたが故に俺には彼女が毒親育ちってイメージは全くなかった訳なんだけど
こうも嘘を吐いてまで俺を騙していた事、親共一切交流したく無い事も含めて結婚するってなったら
飲み込んで許容してくれるだろうと彼女に思われていたのだと思うと、俺は彼女に心底チョロい男だと
思われて見下されていたんだなと心底凹んだ。そして彼女と結婚するのは無理だなと思った。
2年付き合ってる間、ずっと誤魔化されていた事をま、ず最初に申し訳ないとでもいった態度だったらまだ違ってたかもしれないけど
開き直りとも見える態度でこられたら、無理だよね。
思ったことを正直にそのまんま言って別れを告げたら、大号泣して激怒。
その後は婚約破棄だから慰謝料請求とか言われて揉めている。婚約とかした覚えは無いんだけど実質婚約だからみたいな理由で。
心底うんざりする。
それでいて周りには「親離れ出来ていないマザコンでガッカリ。時間を無駄にした。今度は実家依存じゃないまともな男探す」って言い回っているらしい。
最初からそういう男探せよアホらしいって思った。俺からすれば時間無駄にしたのはこっちだし、元彼女こそ「まともじゃない」って思わされたよ。
うちは片親だった。
母親は離婚してから、還暦で働けない祖母(母の母)と三兄弟(姉1姉2自分)を女手一つで育ててくれた。
母親は子供に仕事の愚痴を言わなくて、男と食事に行ったりもしなかった。
母親はよく「おばあちゃんがいて兄弟がいて十分幸せでしょ?」って言ってた。
「男なんていないほうが楽」とも言ってた。
自分もそう思ってた。
旦那はお金に苦労したことがない。両親共々ブルーカラーだけど大企業勤め。子供の頃は年1で家族旅行に行ってて、外食で蟹を食べたりしてたらしい。
結婚してからはスーパーで値札見ずに買い物してくるのでよく叱ってる。
子供っぽいとこもあるけど、優しい人だ。一緒にいて落ち着く。
この前親と電話した時、子供の話になった。お金の面とか、旦那の会社の安定性とか不安でしばらくは子供を考えていないって話をした。
その時に、「いざとなったら離婚して帰ってきたら良いよ!男なんて家にいないほうが楽でしょ!」と言われて、素直に受け取れない自分がいた。
片親が幸せなんて嘘だよ。両親がいる子は自分なんかよりよっぽどいい生活してたんだ。
普通の家は、お年玉は何万円単位で貰えるらしい。ゲームだって買ってもらえるし、塾にだって通わせてもらえる。学用品は当然親のお金だってさ。
友達が父親の愚痴を言ってる時や父親いなくて寂しくない?なんて聞かれた時、父親なんていてもいなくても変わんないよ、なんて言ってた自分は、今思えば馬鹿だったんだ。現実は、父親がいる家はウチの家より裕福だったのに。
大学だって親の金の子もいるんだってね。『なんで大学行かなかったの?奨学金あるじゃん』って聞かれて、高校も奨学金借りてたから返せなくなると言うと、みんな思いもよらなかったみたいな顔をする。
自分が信じてた幸せは全部嘘で、実家の暮らしは世間一般的には下の方だった。それがショックでたまらなかった。
母が『いざとなったら離婚すればいい』なんて、どうしてそんな無責任なことが言えるのかと怒りを覚えた。両親が揃ってる環境を知ってしまったから、受け入れられなかった。
でも、母親の言葉に言い返すことはできなかった。だって母は本当に大変だったと思う。朝から晩まで睡眠時間削って働いて、でもきっとお金に余裕がなかったからずっと神経をすり減らしてただろう。母は全力で子供を育ててくれてた。
そんな母の人生を否定するような言葉を言えなかった。言ったところで母が一生の傷を負うだけで、なんの意味もない。
自分の中では、父親がいたらもっと幸せだったと思ってしまっている。
今まで母親には全部話せてたけど、嘘をついてから、母親との心の距離が空いてしまった。価値観の合わない人間になってしまったと、そうはっきり感じた。
きっと母親には一生言わない。実家は貧乏だったけど幸せだったよと、そのスタンスで母には一生接するつもりだ。でもどこかにぶつけずにはいられなくてこれを書いた。
読んでくれてありがとう。
健常な男性は20代前半までに同年代の彼女ができるし、20代後半には彼女と定型同士で結婚をしている。
発達がある男性は30代になっても自然には彼女ができず、高学歴で収入はあるタイプの発達の男性が収入の力を借りて35歳~40歳くらいで結婚する。
(低学歴低所得タイプの発達男性は一生結婚できない。定型のイケメンなら低学歴低所得でも若いうちに動けば結婚できるが。)
中年の発達の男性は、高学歴で収入の高い同年代の女性ではなく、20歳くらい年下の、低学歴の無職の女性などと結婚する。
顔もあまり可愛くはないし、仕事ができない人は家事もできないものなので、基本的に若いこと以外に何も取り柄がないタイプの弱者女性を養うような結婚をする。
要するに「理解ある彼くん」になる。発達障害持ち同士が、収入と年齢の交換をするような結婚。
そういうタイプの夫婦から生まれた子供はだいたい両親共に発達だし発達っぽい子供として生まれていて地獄みたいなことになる。ツイッターの育児エッセイの世界。
20代半ば同士、20代後半同士で結婚してるところは子ガチャ失敗率が低い。ツイッターには少なくて、主にオフライン世界か、ちょっとだけインスタにいる。
「娘がいじめの加害者にされて親共々呼び出され謝罪の会をさせられた」記事を読んで、去年自分の勤務校でもあった謝罪の会について思い出した。
自分は児童数が400~500程度のいわゆる中規模校と言われる小学校で勤務していて、去年は全学年トータルで謝罪の会は2回あった。
どちらも被害者(一応、謝罪を受ける側をそう表記します)側の家庭から電話で学校に連絡があり、「うちの子はこういうことをされている。相手の子と、親から一言ないと気が済まない(意訳)」と言われ、担任と生徒指導で聞き取りを行い、校長判断で「謝罪の会をするように」といわれ、行われてた。
ほんっっっとに憂鬱そうだった。加害者側(一応謝罪する側をそう表記します)の担任の先生2人と、被害者側の担任の先生。
もちろんだけど、謝罪の会の前に聞き取りを行うんだけど、どっちの件も「お前(被害者)も原因を作ってるやんけ…」ってのはあるんだよね。
でもそれを被害者側の親には言えないんだよね……。
一度「うちの子はいじめられている」モードに入った親さんに、「でもおたくの子もそれ以前にこうこうこういうことしてて、相手の子と親さんは我慢してたみたいですよ」なんて言おうもんなら、それこそ「学校はいじめに加担している!」「うちの子が悪いって言いたいのか!(そこまで言ってません)」ってなっちゃうので。
そういえば経験が長くなってきて、気付いたことがあるんだけど、学校で嫌なことする奴の親、結構な割合で「なんで相手さんの親さんは直接うちに言ってくれなかったんですかね?(つまり、学校を通して解決したいっていうのが不愉快らしい)」って言ってくる。そりゃ言えないだろ、そんな嫌なことするやつの親も嫌なやつに決まってるんだから……。(親さんめちゃめちゃ良い人なのに、子どもの性格が終わってるパターン、あまり見ない。本当に親は子どもの鏡だなぁと思う)
学校からの電話、嫌だと思うおうちの人が多いと思うけど(「マイナスなことを伝える時は、頑張ってる姿もセットで」ってお上によく言われるけど、そんなおべんちゃら言われても親も別に嬉しくなくない?)
かけるこっちはもっと嫌だと思っています。お願いなので、大きいトラブルになってから、「○月からずっと嫌なことをされてた」って言う前に、「ちょっと気になるな」と思ったら学校に様子聞いてください。様子見したり、牽制したりできるので……。
担任の先生のメンタル壊したかったら、金曜の夕方に、月曜にならないと子どもから聞き取って事実関係はっきりさせてからしか解決しないことをふっかけ続けることだなぁ。と思った。本当にストレスなんだよね、トラブル対応。やるけどさ仕事の内だから。
あと、フォートナイトで揉めた話(暴言とか、それ繋がりで学校での関係がどうこうとか)持ってくる親、あれは15歳以上対象だからほんとにやめてほしい。小学生にボイチャだのSNSだの、頭良い親しか管理できんよ。
あ~~なんか思い出して嫌な気持ちになってきた。本当に、子どもが大変なのは良いんだけど(子どもだから)親と分かり合えないのしんどい。でもその親さんにとっては当然自分ちの子どもしか見えてないし、命より大事らしいから、そんな大事なもののためにおかしくなっちゃう気持ちもちょっと分かるからしんどい。自分ちの子が嘘付いてるかも、とまでは思わないでほしいけど、都合の良いことだけ話してる可能性はちょっとだけ考慮してほしい……。
首題のとおり。
知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。
皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。
外見はごくごく普通の家庭。
都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。
物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。
(もちろんそれ以外にも、一般的な習い事をしたりという、一般的な社会的生活も送っている。)
教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖も離婚した。わけが分からん。)
無論子どもの意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかったことは覚えている。
ただ、幸い何不自由なく有名私大に奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業に就職することもできた。
両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。
信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に、世間が思ってる以上に、新興宗教というものが世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間からの差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)
自分は、自分がこの宗教の信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。
墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。
しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分の価値観のオリジンとなっていることは認めざるを得ない。
教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。
世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。
手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。
つまり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。
神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。
かといって教団に積極的にコミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。
でもこんなだから、信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方に迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。
この先もできる見込みなどない。
自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。
人生詰んでいる。
いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。
この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。
先行きが見えない。
最近教祖様の実子が次々と破門され、しかも教祖様は二回り以上も年下の女性と再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。
(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)
この先どのように自分の人生を全うしていくのか、真剣に再考しなければいけない。
大昔みたいにデカい家に複数の家族が暮らしてた時代ならともかく、核家族化が進んで親戚や隣人と疎遠な人が増えたから子育てが大変なんだよ。
晩婚化も進んで爺婆に預けるどころか、そっちの介護が必要な人も居るだろうしな。
俺の場合は両親共働きだったから、小さい頃は隣のお年寄り夫婦に預かって貰ったり幼稚園の送迎してもらったりしてたんだ。
でも今の世の中でそういうお隣さんに自分の子供を預けたりなんて、よっぽど仲良くないと無理だろ?
昔の方が子育てがいい加減だったって指摘もあるけど、それ以上に親戚や近所の人に手伝ってもらってたってのが大きいと思うんよ。
要は無償で子育て用のマンパワーを提供して貰ってたって事だからな。
当然、それは親戚や隣近所とのお付き合いっていう代償あった訳だが。
現代社会はそういう親戚や隣近所との付き合いを煩わしいもの、古臭いものとして排除してきた。
都会に住んでる人ほど、他人との関係を負担とみなして無くそうとしてきた。
その都会が田舎の人口をどんどん吸収していったんだから、少子化になるのは当然なんだよ。
子育てに必要な労働力の供給源だった他人との関係を、希薄化する事が都会的な暮らしなんだからな。
万能家事ロボットみたいなのが実用化されれば違ってくるんだろうけど、現時点では家庭を維持する為には労働力が必要で、子育てには更に労働力が必要になる。
ベビーシッターやホームキーパーの公共事業化とか、パッと思いつく手はある。
あるけどそれって結局は家庭内に他人を送り込むって対策になってしまう。
今の介護がそうだけど、マンパワーを潤沢に供給しようとしたらどうしたって一人一人の質は低くなりやすい。
ベビーシッターによる虐待やホームキーパーによる盗難なんてトラブルは絶対に発生する。
そこまでいったら育児年金みたいなものを作って、国から金を出した方がてっとり早そうではある。
あるいは子育て世帯へ重税を課して、手放された大半の子供が行政が管理する施設で育つ様にするか?
少なくとも各家庭にバラバラに人間を送り込むよりは、育児施設に人材を集約した方が質は維持しやすくなるだろうし、効率も多少はよくなるはずだ。
私の母親には姉と弟がいて、母の姉は重い障害を持って生まれたらしく子供の頃に死んでしまったそうだ。
母の弟もまた知的障害と全身に軽い麻痺があり、一人で生活は出来ないので今は私の両親と同居している。
子供のころから、なんとなく自分は子供をつくらないだろうと思っていた。
障害を持った子供が生まれてくる可能性は、普通のひとより高い。
もちろん私の両親は私を生み、そして私は健常者なので、その心配は考えすぎなのかもしれない。
でもやはり怖い。
叔父のことは嫌いではないし、何かひどい目にあったりはしていない。
今年の年末も実家に帰って一緒に過ごした。キャパシティを超えるような出来事が起こらない限り、朗らかでニコニコしながら静かに生活を送っているひとだ。
それでも子供を産むのは怖い。
叔父の影響かは分からないが、母は障害者支援の仕事をし、父ともそこで出会った。
両親共に緊急の呼び出しがあって幼い私を夜に家に置いていけない時など、子供のころからたまに職場についてゆくことがあった。
また、記憶に残っている出来事として、珍しく夕方に家に帰ってきた父親が黒いスーツを着てまたすぐに家を出て行ったことがあった。
普段は突然走り出したりする利用者を捕まえるためにジャージを着ている父親のその珍しい装いが不思議だった。
そのままの印象で大人になってしまった。これは障害者への偏見なのだろう。
私は事情を話して、子供だけは作るつもりはない、結婚もしない。と言っていたし、彼もそれでいいと言ってくれたが、社会人になって彼はやっぱり結婚したいと言い出した。
障害を持った叔父がいることを相手の家族に説明するのか、と考えると恐ろしかった。
どういう顔をされるのか、反対されるのではないか、その時彼は見方してくれるだろうか、私は冷静でいられるだろうか。
それ以前に、将来叔父の面倒を見るのはきっと私だ。
もちろん両親はその道のプロなので最適な支援と繋げているし、私に100%の負担がかかるようにはならないだろうが、それでもどうなるか分からない。
子供を作りたいわけじゃないと言われたけど、将来どうなるかは分からない。事実結婚に関しては心変わりをしたわけだし。
そういう煩わしさや、子供を作らないという自分の人生に彼を巻き込んでしまう恐ろしさが積み重なって、結局別れた。
でも時々、あの時私に勇気があれば結婚して子供を作っていたかもしれない、と思うと複雑な気持ちになる。
いや、それは自分を良く見せようとしている。
本当は叔父がいなければ、私はどんな人生を歩んでいたかを考えてしまう。
突然ですが大学を一度でも受験した方にお聞きします。あなたは何故、大学を受験しましたか?なんのために受験しましたか?それは自分がやりたいことのため、自分が学びたいことのため、あるいは自分が将来就きたい職業のため、色々あると思いますし、きっとそのほとんどが自分のためでしょう。
さて、私はここ2,3ヶ月、現役の受験生として多くの医学部を受けさせられてきました。結果もほとんど判明しており、0勝13敗という散々たる結果でした。何故落ちてしまったのかの理由ははっきりしており、演習不足の点と共通テストで8割ほどしか取れなかった点にあると考えています。それ以外の理由として、私が心から医学部に行きたいと考えていなかったという点にあると思います。
私の医学部受験の始まりは今から9年前、中学受験のための勉強が始まったときのことです。当時小学4年生だった私は、中学受験について全くの無知でした。また私は超がつくほどの田舎で、自分の市には中高一貫校がなく、県内にも4校ほどしかないようなところで育ったため、中学受験対策塾や周りにも中学受験をする人がいない環境で育ちました。そんな環境で、何故中学受験を、しかも関西の最難関校を受けることになったのか。それは、私の父です。父は関西出身で、小学生の時に中学受験に失敗しています。私の父はいつも「世の中は金」「金を得るためには学歴が必要」「中高一貫校を出て医者になれ」「公立はクソ」「医者以外は人じゃない」とよく私に言い聞かせてきました。それもあってか、私は父に半ば強制される形で中学受験をすることになりました。しかし、市内には塾がなく、また父も金持ちというほどお金を持ってないらしかったため、勉強については父から教えてもらいました。私の父は口が悪く、問題を間違える度に暴言を吐き、時には私を殴ったり叩いたりしてきました。間違える自分が悪いのですが、やはり辛く、小学生ながらよく自殺未遂を起こしていました。またこのような教育体制を取る父に対し、母は反対しており、毎日喧嘩をしていました。また、両親共働きでもあったため、母の帰りが遅いと父は母の職場によく電話で怒鳴り散らしてました。今思えば物覚えの悪い私と、父とは違って要領が悪く、父ほど賢くはない母にストレスを感じていたんだと思います。
それから3年後、私は第一志望であったかつて父が落ちた中学に合格してしまいました。このことおいて、私は父に感謝しており、また自分も嬉しかったです。しかし、本当の戦いはこれからでした。人は突然自由を手に入れるとろくなことを起こしません。
私は中学校に入ってから挫折を覚えました。周りには自分より賢い人、自分でこの学校に行きたいと思って頑張ってきた人がたくさんいて、圧倒されました。自分はなんのために勉強しているのか、勉強してもこの人達には勝てない、色々思うことがありました。学校の中で私は中の下で、賢い方ではありませんでした。自分ではなんとかしようと考えており、時には友達の力も借りて、勉強したつもりでした。でも、つもりはつもりだったのです。
学年が上がるに連れ、周りは大学や学部志望を決め始めました。私は父の言いつけのもと、もちろん医学部を目指すことを決め、引き続き勉強ごっこをしていました。しかし、本当にその学部に行きたい人たちはどんどん賢くなっていきます。「やりたい」という思いは、自分のそれを大きく凌駕し、私はどんどん抜かされて行きました。そんな状況下で父は私の成績状況に不満を言うだけでした。時には周りの医学部以外を志望する私の友達を馬鹿にすることもありました。自分を馬鹿にされるのはなれていましたが、友達をバカにされることはとてもとてもつらかったです。でも反抗すると碌な目に遭わないので、私は同調するだけでした。
私は成績状況を打破するべく、塾に通うことにしました。入塾テストは1回目は落ちたものの、2回目は友達の力を借りて受かることができました。その塾は、学校にいる人よりも賢い人達が多く、自分の井の中の蛙感がより増す結果となりました。しかし、その中でも、大量の宿題とレベルの高い授業についていき、成績はなんとか現状維持することができました。
朝5時半に起きて、6時に家を出て、2時間電車に乗って、学校で授業を受け、1時間かけて塾に行き、3時間授業を受け、1時間かけて帰り、宿題をして、2時半には寝る。こういう生活を2年続けました。そこにはこれだけやったら流石に受かるだろうという慢心もあったと思います。
話は飛んで、受験期に入ります。私は父に言われた通りの大学を受けました。父は「お前が行きたいところに行け」とよく言いましたが、半ば強制されていました。年内に2校受験し、両方落ち、共通テストを受けました。そこから毎週末に試験が入るというとんでも受験が始まりました。1週間で赤本6年をこなし、受ける。こんな生活が続きました。ときには連日受験ということもあり、死にそうでした。
最初にも述べた通り、結果は全落ち、当然の結果でした。私は13回不合格を見た影響でメンタルがぶっ壊れ、暴言や暴力を振るうようになってしまいました。反省しています。こんな状況でも父は冷たく、はじめは「受験は何があるかわからない。最後まで戦うこと」と鼓舞していましたが、「すべて親のミスでした。自由にしたらいいよ」「好きに生きろ」「お前が決めたことだからお前に責任がある」「受からなかったお前が悪い」と完全に突き放しました。
最後の不合格発表があったその日、父は1つのメールを送ってきました。タイトルは「浪人同意書」。内容は至極真っ当のことが書かれており、落ち着いてみると納得行くところもありました。でも、ボロボロになった僕にはとても堪えるものでした。父は本当に人間なのか、感情があるのか。どんな不合格よりも辛かったです。その後、父は私の前に現れ「お前には医学部は無理やった」と言って消えました。
父の敷いたレールから初めて自分が脱線してしまった瞬間でした。
子どものころから、両親共にあからさまな兄妹差別はしないが、私に隠れるようにして3つ年上の兄を「長男」として扱ってきた。
「父と息子、水入らずの旅行」みたいな名目で実家管理の不動産を兄にだけ見せたりとか。
私が興味を持つと、「仕事のことだからお前にはわからない」と誤魔化される。
30代もなかばになり、このたび兄は父の不動産を相続したっぽい。
兄が頻繁に実家に帰っていたり、正月に「次来る時、印鑑持って来い」と言われていたり、不動産のあるあたりに父と兄でまた旅行してたりすることからの状況判断なんだけど。
そんで私にはなぜか、普段物をくれたりしない父親がレトルトカレーを無言で送ってきた。
確かにそのカレーを実家でおいしいねと食べたけど、いきなり30袋もいらないんだけど。
高校生の時の彼氏が母子家庭だったんだけど、普通に金持ちだったんよな。
祖父は医師で個人病院をやっていたらしいがとっくの昔に亡くなっていて、元教師の祖母と薬剤師のお母さんと3人で暮らしていた。家も大正に建てられたトトロみたいな洋館付き住宅。広い庭には苔の生えた石とか盆栽。玄関には祖母が生けたでっかい胡蝶蘭。座敷の床の間に刀と甲冑と束帯着たご先祖様の書かれた掛け軸。長屋門に蔵もあった。
彼氏は洋館の部分を使ってて、一階にはベーゼンドルファーのグランドピアノとコントラバスとヴァイオリン。屋根裏が彼氏の部屋で高そうなアンティークのベッドに机に脚付きの本棚。ピアノとバイオリンとテニスを習ってて予備校にも通ってた。大学は現役で私立医学部に入って東京で一人暮らし。
私の生活圏にいて付き合いのあった母子家庭が彼氏だけだった(他にもいたかもしれないが)こともあり、「母子家庭は生活が苦しい」みたいなのが全くピンとこない。うちが姉と弟がいる子供3人ってのもあるだろうけど、両親共働きの私の家より普通に裕福だった。