はてなキーワード: 時間配分とは
裁量労働制で働いているけど、残業代が出ないことに納得がいかない。
>>労働者は実際の労働時間とは関係なく、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされる。業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある業務に適用できる。
実際は深夜残業の場合は時給換算した給与の25%が出るんだが、通常の契約だと125%が出る。(うろ覚えだが、こんな感じだと思う。)
時間配分を裁量にゆだねてもらっているのは正直かなりありがたい。
管理できないから難しい? 不正が働きやすい? 理由はこんなとこなのだろうか。
そんなの通常の契約の人たちもそうでしょう。
PC開いてる時間でもいいし、タイムカードでもいいし、働いてる時間は管理できているんだから、
通常の契約から裁量労働制になったが、(ベースの給与UPの条件となってしまったので、嫌だったが飲むしかなかった)
手取りは減るし、なんか残業時間増えてるし(これは裁量労働とか関係なく忙しい時期になっているだけだけど)
何も変わらないのに、残業代分の給与が減るのはなんか納得いかん。
ただ思いを吐きたかっただけ。
駄文ごめん。
それも二件
どっちも既婚者側の人とは、割と親しいと自分で思ってたから衝撃だった
お互い子持ちでたまたま同時期に引越ししたから、子供のはなしや引越しの話、義理親のちょっとした愚痴だの配偶者の惚気だの、所帯染みた主婦あるあるを語り合ってたのに
あんなに日々いっぱいいっぱいだよねと言い合ってたのに
子供が病気の時で病児保育とれないと泣きたいよねって言ってたのに
常に体調悪いし寝不足だねと言い合ってたのに
子供いて家事して仕事して恋愛までしてたとは、なんたるバイタリティだ!!
いや凄いよほんと
仕事して家事して育児してると息つく間もないほど目まぐるしいのに、この最中に不倫相手とLINEしたり電話したり会ったりちょめちょめしたりする暇が一体どこに……???
私なんてムダ毛を処理する暇もなかなか作れないのに………???
自分は結婚してないしパートナーもいないけどまあ仕事も忙しいしオタクと趣味の社会人サークルで仕事以外の時間埋まりきってるし家族とも一緒に住めないくらい協調性ないしパーそなリティ障害だし借金あるし人生の時間配分とコスパも考えて今後も結婚する気ないけどこういう増田見てるとああやっぱ光の結婚マウント増田がホッテントリした後は未婚による煽り増田が立つなあって思って見ちゃうし自分の中にも未婚劣等感まだあるのかなあって思っちゃうし正直この手の増田は全部僻みにしか見えないし本気で結婚したくない勢も確かに存在するんだろうとは理解するようにしてるけどいずれにせよ結局自分のような未婚コンプに後ろ髪ひかれる増田はいくら理屈こねても生涯独身人生送るには不適合者すぎるんだよなあ
野党支持の地元住民としてはもっといろいろ頑張っておけばなあと、
団体の構成員ではないものの、初めて少しだけ選挙運動にも参加してみた身として思った。
そうしたなか、社民系の候補で接戦に持ち込んだのは確かに健闘したというねぎらいの言葉はありがたい。
他方、国政の争点や原発への強硬姿勢を持ち込むことについては、
自民党が建設業者へ従業員や従業員の親族へ期日前投票を行くよう踏み絵を迫ったことを考えると、
農政の充実や、福祉事業者の支援など、幅広い公約を周知するためにくぎを刺す程度にしておいた方が良かったかもしれない。
圧力をかける候補がおかしいことは事実だが、どうせ投票所へ行かされる人が居るなら
ほかの政策を知っていればまだ引きはがせたかも、と思わないではなかった。
一方で、矛盾するみたいだけれども、
「国政や原発の主張以外に重点を置かなかった」(※演説等の時間配分が少なかった)
→「ほかに興味が無かった」
という連想が正しいのかというと、それは違うだろうと思う。
選挙期間中から原発や国政に傾斜しすぎだという批判が野党支持者からも寄せられていたが、
花角英世陣営はこういう三段論法を有権者に刷り込んできたわけだ。
業界団体を固めて逃げ切ることが戦略だったのだろうという印象もある。
世論調査でも最終盤まで花角を追い抜けなかったため、
そうした結果を交え批判を繰り返す選挙マニアの言動は野党支持者であったとしても極めて不愉快だった。
新潟県民も東京都民の気持ちが分かっただろうという感想もあるだろうが、
(県民が趣味で国政イシューを持ち込んだと思えるなら、都民も100%自分の意思で知事選にポピュリズムを求めているのだろう)、
反原発を直接新潟県民が東京都知事選に押し付けたかのような言いがかりは理解に苦しむ。
勿論、柏崎刈羽原発は東京電力が首都圏のために発電を行うための施設なのだ。それを考えればますます不謹慎である。
それでも、それにしても4万票差と言うのは米山当選時ほどではないがかなりの大差だ(米山は8万票差)。
国政審判の場になるではないかということは政権側も与党内会合などで触れていたことから、世論への怯えも感じる。
なので、それを防ぐ方法を考えてみたいし、考えて欲しい。
正直この締め付けへの抵抗方法抜きに現状与党に勝てないのではないか。
県民は騙されたから自己責任だ、バカなんじゃないかとけなされる筋合いもない。
(追記)
野党側の戦術としては与野党対決が投票率を押し上げたこと自体は認められていること、
先述の通り本来組織票を固める選挙を自民党が伝統的に行ってきたことから、
(分かりにくい書き方をしてしまったが)行わないよりは遥かにマシだった、と答えざるを得ない。
投票率の上昇は期日前投票へ行くことを脅された側と、与野党対決で伸びた側とを分けて考える必要があると思っている。
だからこそ自民党新潟県連が支持した会社へ期日前投票した社員や社員の家族の名簿を提出しろと命令したことに焦点を合わせている。
「地道に良いようになるように会社、社会をまわしていく」のに必要なのは、マネジメント。
なぜなら、地道に良いようになるようになる社員を見いだせるのは眼力と時間配分がうまいマネジメント層だけだから。
そういう「こういう働かないやつに石をどんどん投げろ!!!」マネジメントでは、
むしろ、何か一生懸命頑張ったやつのほうが被弾するので、一生懸命働くやつほど無力感を感じて機能不全になっていく。
表面的に成果を出せるやつにどんどん仕事を押し付けて、潰して、代わりはいねーかーとゾンビみたいに這い回るだけ。
当然一生懸命働くほどバカを見るのは周りみんなわかっていくので、どんどん機能不全になっていく。
2012年頃、大人の発達障害者への治療薬が適用になったこと、発達障害が話題となったことがありました。その当時、ネットの発達障害チェックをうけると「その疑いが強い」の判断があり、
自分も発達障害であるのかど強く悩み、予約不要のメンタルクリニックを行くことがありました。しかし、そこの病院は大変に混雑していて、当時は相談することを断念しました。
そもそも冷静に考えてみたら当時の私にはいろいろな抵抗感がありました。
しかし、今年の1月末頃『宇宙よりも遠い場所』の主人公の玉木マリの「何かをしたいけど一歩踏み出せない」という人物像に共感を抱くようになり、次第に作品に嵌まるようになりました。しかし、彼女たちは南極へ行きたいという夢を実現するのに自分は余りに変わらない事に愕然として、次第に深酒をしないと眠れず、毎日耐えられない不安に襲われるようになりました。
しかし、最初はうつ病を疑ったこともあり、律儀に二週間様子を見ようと思ったことと繁忙期だったこともあり実際に病院への受診を決断したのはさらに一月遅れることとなり、2月20日頃病院に電話をして、5日後に受診の予約を取り付けました。
こうした状況になるおよそ半年前の昨年8月に遡らなければなりません。絵を描くことが趣味だったこともあり「1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える」という経営コンサルタント大前研一の言を間に受けてSNSのフォロワーをがらりと変えたことがあったのです。しかし、彼らの素晴らしい実績を裏腹に自分は何も変わることも無く、ものすごい物をインプットし続けて次第に疲れていったのか、時間だけがいたずらに過ぎていく日々が過ぎ、夏コミの本を整理していると「もう半年経ったのか」という時間の経過に愕然とするようになりました。
先生は普通には白衣だろうと思っていたのですが、普段着だったことに驚きました。ただ、そこの病院は正直その先生の物腰は優しいのですが、しばしば話が噛み合わず「あった先生」とは言えませんでした。そこの病院は先生が一人で臨床心理士が居なく発達診断の診断は出来ないので他の病院を探してくれ(おいおい紹介しないのか?)と言われる始末で、自分で今度受診する病院を探し、二ヶ月後に予約を取り付けましたが、それでも、抗不安剤と睡眠薬で随分私を救ってくれました。
今回、精神科医療における一番のハードルは親でした。すぐにキレる。お前は生きる価値がない等の暴言を繰り返す親である以上、病気への理解が全く皆無であるとしか思えなかったのです。診療を秘密にして自分のお金だけで受診をすることを本気で検討したこともありましたが、治療費を考え断念したこともありました。先述のメンクリの先生に(親の説得材料に)「診断書出してくれ」といっても「紹介状あるんだからいいだろ」の一点張りで結局自分でカミングアウトすることになり、それが一番のハードルでしたが、もともと思い当たる節があったのか、案外優しくむしろ繁忙期に病院に同行する事へのいらだちの方が多かったのです。
結局、自分だけで悩むと1年以上時間を無駄にしてしまいました。生きるのは厳しいかも知れませんが、しかし手を差し伸べれば差し伸べてくれるだけの手はあるのです。もし、今後(治療方針や検査など)が不安というならまず近くのメンクリで抗不安剤だけ貰うというやり方もあると思います。検査は25日でまだ自分がどういう精神状態なのかが解りませんが、一人でも多くの人が救われることを願っています。
小学校、中学校は田舎で育ち、高校はその地方のトップ校へ進学した。
海外生活のいいところは仕事をしつつ、現地に駐在する社会人や志を高く持った学生と容易に会え、自分の時間も多く持てることだ。
休学をしなかったらどうなっていたんだろう、とよく考える。
日本の大学の文系学部は賛否両論あるし、人それぞれだろうが、基本的に居心地が良い場所だと思っている。
サークルにゼミ、バイト、インターン、ボランティア、テスト前に勉強。
そんな環境から抜け出してみようと思ったのは3年生になる前の春休みだった。
インターンの選考や就活が迫ってくると大体の学生は上記のことを考えざるを得ない。自分もその1人だった。
大学受験までは受験勉強や学校での生活以外に外に出ることなんて殆どなく、大学に入ってからは新しい環境や刺激のオンパレードだった。
新しく買ったiPhoneでFacebookやTwitterを開くとあふれんばかりの情報が流れる。
僕はその波に飲まれていた。
手元のスケジュール帳にはびっしりと詰まったサークルとバイトと授業、そして遊びの予定。
スマホを開くと魅力的に見える情報や起業家やビジネスマンといった輝いて見える人たちによる指南。
そうして情報を摂取し、目の前のことをやり続け、僕たちは意味もなく、価値もなく、満足していく。
満腹中枢を刺激され続けるそんな大学生活を送っていたら、あっという間に就活と言われる時期に突入する直前になっていた。
就活のための準備を3年生の前期から活動の合間を縫って少しずつ進めていた。
わからない。
フィールドは広がったものの高校の延長線上で生きていた大学生活。毎日それなりの充実感もあり、就活で自信を持ってアピールをできるような部分もあった。
目の前のキラキラしたものを追い求めていただけだったんじゃないのか?
いやでもそれが欲望だったんじゃないのか?
ここで自分の甘さに気づいた。
僕は泡の中に生きていた。自分で作った何重もの泡に囲まれて、泡に反射した社会や人々を見ていた。そんな風に感じるようになった。
僕はストレートで卒業することをやめた。逃げなのかもしれないけれど、逃げた。自分の欲望がわからないまま生きていくのが嫌だったから。
そして休学届けを出した。
当時自分が一番やりたいと感じていた分野でのインターンだった。
仕事の内容はそんなに楽しくなかった。やる気をなんども失うこともあって、そんな時はノートに自分のことを書いたり、日記を書いたりしていた。
環境も時間配分も変わった。自分を包んでいた泡はこんなにも屈折した解釈を自分にさせていたのかと自身をメタ認知するようになった。
そしたら泡が少しずつ割れ出した。
そして虚無に陥った。
画面の向こうにいるあの起業家の成功の裏にある日常は全く異なる。
そんな情報に惑わされ影響される。人間の意思は移ろい易く、弱い。
仕事はそんなに大きいインパクトを与えられるものばかりではない。
泡はバイアスとも言い換えられるのではないだろうか。
そして誰しもがそのバイアスを認識している/していないにせよ、それらを通して解釈をしている。
そして大学という物語、仮想現実を疑い始めた。そんな海外生活7ヶ月目。
良くも悪くも地に足がついた。とても遅かったと思う。
そんなことを考えながら、今日も虚無の中を前向きに突き進む。
同人とコスプレ両方に言える事だが、アホが企画をするとジャンルが潰れていくと思う。
と強くtwitterやリアルでアピってくるやつの報連相のずさんさはどうだろう。
も同じ。
報連相の優先順位が壊滅的におかしいし、アンソロに至ってはジャンル反映の名目で
ボランティアで時間と原稿を捧げているのに連絡を疎かにしている人がとても多い。
同人誌長年やってる人も平気で遅刻する人いるし、それを直接連絡してこないでtwitterで『乗り遅れた~💦』とか体温計とかを掲載している人を見かけないだろうか。
自己評価は高いのだがこれをしたらどうなる?の想像力が壊滅的で、今までそれで許されてきたのだ。
これがまずい事だと気付けないのだ。
さて、話は戻って。
こんな感じになります。
★アンソロ&合同誌
・執筆者依頼を面識があまりない人に親しげにノリで依頼し、断られたらそれに対しての返事をしない
→アンソロ原稿はボランティア同然だから気持ちよく寄稿させてくれ
・原稿作成方法、最適な解像度、入稿方法等をあまり分かっていないのに他人の表紙データ、漫画、小説原稿、を扱おうとする。
→そのうち『入稿ってどうするんだっけ?』とか恐ろしい空リプがはじまる
→フォロワーがアドバイス始めるも、名乗り出てくるやつも余り詳しくない事多い
→私と親しいならアンソロに呼んであげてもいいのよ?みたいなのとかカップリングの代表ですからみたいなのを言い出す。
★コスプレの併せ
・あれもやりたいこれもやりたい!これは●●さんしましょうよ!こっちは▲▲さんしましょう!いつあいてますか?
→仕事できる私アピールが強いのでいくつも並行して併せの進行できるのかと思いきや、どれもこれも蓋を開けたら人任せが強いので巻き込まれた●●さんと▲▲さんが大変。
①実は何もできない人パターン
・そもそも自分を主催とは思っていないので言うだけ言って何もしない
・●●さんと▲▲さんは誘ってきた人を立てつつ、スケジュールや構図を考える役割になる。
・それが出来なければ流れる。もしくはバストアップでピースしてスマホで三脚併せになる
・仕事とプラベのスケジュール管理が出来ないので、衣装間に合わないとかたまにやらかす
・いつまで立ってもタイムスケジュールや構図の話が出てこない。全部自分で考えたいのか、一緒に考えたいのかすら不明のまま時は流れる
・すみません遅くなりました。の一言から『撮りたいのあります?』『スタジオどこにしましょうか?』『カメラマンどうします?』やりたいものがあったんじゃないんの?なんで丸投げなの
・当日テンパって(時間配分や構図が甘いので)他の参加者やカメラマンを放置
・仕事とプラベのスケジュール管理が出来ないので、衣装間に合わないとかたまにやらかす
①も②もね、本人は満足です。
楽しいでしょうよ本人はね。
もしくは
出来なかった原因考えて?
『またやろうね!』
なぜ?
さてここから本題です。
長かったですね。
ちなみにこの記事をこの後読みやすくするつもりは余りありません。
もうこの気持ちともジャンルとも決別する為に書いてるんで振り向かないつもりです。
アホなアンソロに巻き込まれ、アホな合同誌の主催に巻き込まれのダブルでジャンルが苦手になりました。
別の日。
とても素敵なレイヤーBさんが、心をやんだ後に引退されました。
数々の『Bさん私と併せをして!』に可能な限り応えようとしたら、ほとんどが上記の①か②だったので、Bさんは膨大な量の主催をさせられ疲れ果てたそうです
つい先日
企画力もあり、拘りも作品も素敵だった同人者かつレイヤーなCさんが同人もコスも辞めると宣言されました。
その方は大型の併せ企画で②に巻き込まれて激怒し、やる事をやり遂げたあとに脱退していきました。
その企画がこのジャンルでの併せ初参加だった子は、殺伐とした空気や何をする企画なのか戸惑い、初対面の方だらけの中、誰とも交流出来ずに現場の怒りに満ちた空間に怯え、コスプレそのものを辞めてしまいました。
どうでもいい情報ですが、アホアンソロ多種と企画力のないコスプレの併せを立て続けにくらって、私もこのジャンルでの同人とコスプレ去ることにしました。
アホが軽率に行う企画力は人を巻き込むので、ジャンルも、人も。潰していきます。
本人は楽しいかもしれません。
出来てる私!なのかもしれません。
人と何かをやるのでしたら、軽率にやらずに慎重にやりませんか?
自分を客観視するのは困難ですし、それを指摘してくれる人も中々いません。
だったら自分ができそうな事を着実にできたか、振り返るしかなくないですか?
だれが怒ってませんでしたか?
ジャンルを荒らしまくって、我慢していて疲れ果てた人達がぽつりぽつりと去っていくこの現状。
猛烈な虚しさです。
じゃあお前がやれ?
企画をやるなとは言いませんが、この惨状に誰か気付いてくれ!とは思います。
最後に
人と何かをするって、凄い大変な事なんですよ。
仕事出来てるんならアンソロ、コスプレでも企画力発揮して下さいよ。
出来てないならそれに気付いてくださいよ。
あと病んでるなら無理せず安静にしてください。
このカプから誰もいなくなる前に。
大学受験も大体終わった頃のようなので、何となく書く。筆者は以下の言語すべてが流暢という訳ではもちろんないが、まあ平均的な高校生が英語を知っている程度よりはそれぞれの言語について知っているつもりだ。ただし、大学の教師でもなければ語学で食べているわけでもないので適当に割り引いて読まれたし。
のっけから本題とずれるが、これから大学生になる人が外国語学習において力を注ぐべきなのは、英語の学習であって、第二外国語ではない。各国語(あるいは文学)を専攻しないならば、第二外国語を学ぶのは大体多くても2年くらいだろうが、授業を聴いているだけならば間違いなく卒業する頃にはすっかり忘れているだろうから、実際的には毒にも薬にもならないと言ってよい。それでも外国語を学ぶことはその使用者の文化を垣間見せてくれるし、ヨーロッパの言語であれば英語の理解を深めてくれる部分もある、かも知れない。
というわけで結論だけ先に述べれば「直感で好きなのを選べばよい(どうせたいした違いはない)」。もう少し付け加えるならば「フランス語はやや覚えることが多く、単位を落とす人がそこそこいる。英文法になじんでいる人間にとっては中国語の文法はややとっつきづらい。逆に英文法がどうも嫌いだという人は中国語にチャレンジしてみてもいいかもしれない。以上を逆にとらえるとドイツ語やスペイン語は無難な選択肢だろう」くらいだろうか。
以下各国語についてのコメント。文法:A(簡単)- D(難) 発音:A(簡単)- D(難) 実用性:A(役立つ)- D(全く無駄) で一応つけてはみたものの、印象なのであしからず。
かつては第二外国語筆頭だったろうが、学習者は減少している。大学の二外として言うのであれば、初期学習は簡単なので一番無難であると思われる。英語と同じゲルマン語に分類され、文法はまあ似ているのでそれほど違和感なく入っていける。また、発音もよく知られるようにだいたいローマ字読みであり簡単。また、日本人にとって、クーゲルシュライバー(ボールペン)などの一部の単語は(ドイツ人が理解することができない)クールで魅力的な響きをもつ。
歴史的な経緯からドイツ語が通じるのはほぼドイツだけで、ビジネスで関わるようなドイツ人であればまず英語が話せるのでドイツ語の実用性は低い。とはいえ、EUの中で最も力を持つ国ではあるし長期的に学習することを考えるのも無駄ではないだろう。
こちらもメジャーで、その意味では無難。文法でハードルになるのは、やはり動詞の活用であろう。例えば英語だとgoは三人称単数でgoesと活用する。フランス語の場合、{単数、複数} x {1,2,3人称}の6パターンの活用をするのが普通で、さらに現在形、過去形、etcと6種類ずつ活用を覚えることになるので英語やドイツ語に比べると暗記が必要な部分は増える。二外としてみる場合、大してモチベーションもないのにこれを暗記するのが大変という場合が往々にして起こりえて、単位を落としやすいように見える。
発音については、英語ほどスペルとの対応が不規則ではないと言われるが、発音しないのに表記される文字が多く初学者にとっつきにくいものである。またこれが上の動詞の活用のスペルを覚えにくくするものでもある。
以上の点から、二外として単位を取るだけならばあまりオススメはできない気がする。ドイツ語に対して利点があるとすれば女の子が多そうなイメージがあるくらいだろうか。ただ、ある程度学習が進むと上で書いた文法や発音の困難はたいした問題ではなくなる。また、歴史的経緯から英語の語彙は(同じゲルマン語である)ドイツ語よりもフランス語との方が共通点が多いので、英語が十分できる人間にとっては、入門を果たした後ある程度読めるようになるための労力はドイツ語より少なくて済む。
実用性という点では、アフリカに植民地がたくさんあった関係上アフリカで多く使われるため国際協力云々といった仕事に興味がある人にはフランス語の知識は有利に働く。
いろいろな問題を抱えつつもとにかく巨大かつ成長中の国で、さらに地理的なこともあって学習者は増えているようだ。
まず、発音が難しい(厳密に言えばどの言語も難しいだろうが)。よってリスニングが難しいので単位取得にはマイナスかもしれないが、逆にだからこそ授業でとるべき言語とも言えるかもしれない。文法についてはひとことで説明するのは難しいのだが、なんと言っても全く活用しない(=漢字は形を変えない)ので英語と同じノリで文法を理解しようとするとなかなか腑に落ちない。原因をいくつか挙げると、一つの文字がいろんな品詞で使われることや「目的語」の概念が英語と若干違った意味で使われるといったところだろうか。また、文法のルールが複雑というよりもどのルールをどこで使えばいいのかがよくわからないという難しさがある。
こういう難点はあるものの、暗記するのはまあ文字くらいで、日本人にとっては文字を習得する苦労があまりないので二外の単位取得くらいだったら一番労力が少なくて済む(かも)という面もある。ある程度要領が良い人で、外国語の勉強をしたくない、というひとには選択肢に入るだろう。
実用性という意味では、もちろんペラペラになればそれなりに重宝されるだろうが(ただし英語もできるという前提で)、そこまで行くのはまあ大変だろう。日本語ができる中国人は大量にいるので、ちょっとやそっと中国語ができても、それだけではあまり使い道がない(と言われている)というのは留意すべきか。
文法の複雑さという意味ではフランス語と似たり寄ったり(どちらもロマンス語に分類される)。ただし、発音がおおむねローマ字読みでありその分暗記はしやすいように感じる。二外としては大きな困難がない言語であると思う。実用性からみても、話者の多い言語でありそれなりに有望だろうが、下手にスペイン語ができるからといってメキシコで働くことになったりするのは怖いかもしれない。
スペイン語も読めるようになるまでは英語の知識が役に立つが、おそらく難しいのは聞いて話すことで、一般に早口で話されるので実際に会話できるようになるまでに必要な労力はどの言語でも変わらないなあ、と感じる。
ちなみあまり二外の選択肢にない気がするがイタリア語も同じロマンス語であり、スペイン人とイタリア人は場合によってはそれぞれがそれぞれの国の言葉で話して理解できるようである(ポルトガル語の方がスペイン語に近いらしい)。少し勉強しただけの印象だとイタリア語の方が文法も発音も少しルールが複雑である。それよりも大きな違いはイタリア語は特定の分野をのぞけば実用性があるとは言えないという点だろう。もっとも、プロとして高い能力を持った人も少ないらしいので全く仕事につかえないという訳ではないだろうが。
実用性は近いからなんとなくドイツ語単品よりは仕事ありそう(ただし地理的に限定される。北海道とか新潟とか)、というくらい(あくまで印象です)。
まず文字が違うのでそれを覚える苦労があり、発音も難しく、文法も複雑である。語学に時間を割きたくない人にはお勧めしない。二外としての利点を挙げると、大体少人数の全学部合同クラスなので、知り合いの幅が広がって楽しそうだった、という風に記憶している。難しい言語ではあるが、その分授業も緩くすすむ場合が多く、選択者の評判はおおむね良好だった。
個人的にはドイツ語とフランス語の後に学習した方が諸々楽な気がするので、二外としてはやはりオススメではない。ただ、ロシアという国に何となくロマンを感じる人は適当に勉強してみるのはオススメしたい。
古典語について個人的印象。括弧は実際問題発音しないので...
ラテン語。文法:C- 発音: (A) 実用性:C- (ヨーロッパ言語の文法的特徴について見通しをつけるのに役立つ気がする)
古典ギリシア語。文法:D 発音:(B) 実用性:D (特定の目的があるなら別ですが)
くどいようだが、(少なくともほとんどの人にとって)なんといっても英語の勉強をする方が先決だ。日本人が中高大と英語を勉強しても話せないのは教育が云々といっていろいろな試みがなされているが、第一の原因は勉強不足である。そもそもセンター試験で安定して9割くらいとれないのであれば高校までの勉強が不足しているし、話せるようになるにはセンター9割からさらにそれなりの努力が必要だ。日本人のほとんどはセンター9割*に達していないうえに、大学に入ると勉強を止めてしまう。これでは「中高大で英語を学んだ」とは到底言えないだろう。(*あくまで一例。要は高校までの学習内容をきちんと身につけているかということ)
また、機械翻訳が発達して語学力はいらなくなるという意見もあるかもしれないが、すくなくとも10年以内に(話を英語に限ったとしても)英語を全く理解せずに英語話者と口頭でコミュニケーションがとれるようになることはないだろう。先のことはわからないとはいえ、機械翻訳の発達を強調して語学学習の無意味を説く人はノストラダムスの予言を当てにして何の努力もせずともよいと言っていた人(いるかは知らんが)と大差ない。ただし、コストパフォーマンスの面から翻訳が金にならなくなっているのは既に事実であり外国語で食っていくのはコンスタントに難しくなっていくというのも正しいだろう。自分は「英語はただのツールなんだから必要になればすぐに身に付く」という言説は全くの嘘だと思っているが、そうはいっても金になる技術を身につけるのはそれはそれで重要であるのも事実で、英語だけできても仕事がないというのはある程度正しい。同時に、別に誰もが英語をぺらぺらになる必要もない訳で、「英語が先決」と書いたのはあくまで外国語学習という範疇に限れば優先すべきは英語であるという意味なので、自分の時間配分の優先度を考えた上で外国語学習をしてほしい。
うちの職場の飲み会はめんどくさい。長のつく肩書きの人が4人いて、その中で部下たちに人気があるのは一人だけなので、結局その人を中心に飲むことになるんだけど、人気のない3人のうち、1人は「内心は誘って欲しいけど、でも人気のある人の周りだけ盛り上がって自分が相手にされないのはイヤ」なので、なるべくその人に飲み会のあることを悟られないようにしないといけない。
ということでメールやらLINEやらでこそこそと飲み会の話が取り交わされ、バラバラに職場を出た後、会場に集まってなんとか飲むことになる。ちなみに自分は公式飲み会とかイベントの打ち上げとかだと声かけてもらえるけど、若手や有志だけの会だと、明らかに飲み会やる雰囲気なのに、会場とか教えてもらえないという微妙な立場だ。
人気のない人たちが嫌われる理由はよく分かるし、別に無理してその人たちを誘ってもお互い楽しくないだろうから別にいいんだけど、飲み会でその人たちの悪口を言っている時間が長すぎて私は疲れる。ただでさえアルコール得意じゃないからずっとソフトドリンクだし、いちおう正社員でちょっとした肩書きはついてるから人気のある上司の次ぐらいの金額を払わないといけない。要するに財布要員じゃん。
…ということで昨日も飲み会みたいだったけど、会場とか知らないし、若手だけの飲み会の可能性も高かったので気付かないふりして家に帰った。何だかんだいって人の悪口は盛り上がるとか、共通の敵を作った方がその他の人々の結束が高まる…というのは分からなくもないけど、わざわざ嫌いな人間のこと思い出して話のネタにして「ムカつくんだよね~」とか3時間も4時間も語り続ける方もどうかと思う。構ってちゃんの嫌われ上司の下で苦労している若い子たちが多少愚痴るぐらいはしょうがないと思うけど、人気ナンバーワンで職場内の実権はかなり握っている上司みずから嫌われている連中のことを小馬鹿にした感じで率先して悪口言ってるのがどうもね…。
基本的に愚痴とか悪口をこそこそと飲み会とかで言うのは、職場とかで相手に対して公に逆らえない子たちのすることであって、自分が実権握ってて本社とのパイプが強くて、嫌われている連中よりよっぽど立場が強い人のすることじゃないと思うのだ。時間配分的に愚痴や悪口の時間は全体の2~3割にとどめていただけるとありがたい。なんで嫌われている人たちを呼ばないようにさんざん手を尽くしておいて、結局彼らの悪口を酒のつまみにして飲むのかと思う。嫌いな人のことは極力考えずに済むようにする方がよっぽどストレス解消にいいと思うんだけど。
元々アルコールに弱いし、遅く帰って寝不足になると露骨に翌日の仕事に響くので、楽しくない飲み会で時間とお金を浪費したくない。行っても歓迎されなさそうならなおさらだ。寂しくないといえば嘘になるけど、毎回同じ店で同じようなメンバーで飲んで、延々と人の愚痴や悪口を聞かされて3時間も4時間も浪費するのはイヤだ。せめて2時間ぐらいでサクっと終われよと思う。飲みニュケーションが基本的に苦手なので、対人関係の面で損してるとは思うけど、やっぱりめんどくさいものはめんどくさいのだ。
つまんねーな
そして教育的にも良くできてない
まずおじゃるでやっている事の意味がない
最後にエンマ大王が出てきて言わせたいことを言うだけのスピーカーしてた所だけは、おじゃるキャラの使い方としてマシだったけどそれもおじゃる丸のエンマだからこそって訳ではない
そもそも鍵開けて場面転換してからがあまりにも戦争教育のテンプレ杓子定規すぎて作品全体がおじゃる丸でなくなってる
それまではおじゃる丸だったのに急に別の何かになった
その中ではエンマのセリフとおじゃるの「分からん」だけがかろうじて残ったおじゃるらしさ
それでも教育番組として良く出来てるならおじゃるの皮被った別の何かでも評価するけどそうでもない
過ぎた事は無かったことには出来ないを伝えるにしてもあれじゃ「忘れてた方が幸せだった」で反論しきれちゃうと思うんだよな
思い出したくないけど思い出さなきゃいけなかったのが伝わらねえ
戦争に巻き込まれた者達の悲しみの描き方も駆け足気味かつノー伏線だからいまいちささらんのよ
その中でも腹にBって書いてある鳥が覚醒後はイケメンとして描かれて終始カッコつけたまま終わってるのが特におかしい
飛び方を知らないままのアホから英雄みたいになってんじゃねえか
確かに当時の日本は間違ってたのかも知れないけどお前がキリっとばかりしてないで加害者の自覚にもっと誠実に向き合わないならストーリーが成立しないだろうがと
そこの悲しみがあるから「忘れたい」ってテーマに繋がるんじゃん
被害者と加害者が一緒に忘れたいと思ってる話にしたかったんでしょ?
それならそこは全キャラそういう方向で足並み揃えようよ
それもこれもやっぱ後半が駆け足すぎるからなんだと思う
前半からガラりと空気変えて強いインパクトを与えたかったんだろうけど時間配分がね
もうちょい前半のうちにも後半への布石を撒きつつ動けたんじゃないかなって
教育要素を後半に押し付けたせいで色々と唐突なのは本当に勿体無い
最後まで娯楽番組しつつ教育番組しつつのバランスを維持するか、もう最初から教育のためにすべてを傾けるかのがバランスのが良かったんじゃないかなと思う
とはいえね
シロクマ先生の「発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない」読んで思ったんだけど、自分ってもしかして発達障害かも?って疑ってる人、相当に多いんだろうな。
自分も、長いこともしかしてADHDなのかな…と思ってるけど、思ってるだけ。
簡易セルフチェックをすると「疑いあり」ってでるけど、あれってよっぽど几帳面な人でない限り誰でも疑いありになるような気もするし。
生活や仕事が困難なほど困ってはないけど、とにかく生まれてこの方スケジューリングが壊滅的に苦手で、もっとなんとか出来ないかとずっと悩んでる。どのくらいでその作業ができるのか?って人に聞かれても全く予測がつかないし、かといって余裕を持って組むと今度は時間配分が狂って、冒頭に余裕ぶっこいてしまっい結局締め切り前にヒーヒー言うことになる。集中のムラもむちゃくちゃ激しい。
あとは、後回しグセが酷くて、例えばちょっとしたメールの返事など、ここでしておかないとまずい…ってわかっててもどうしても出来ないことが多い。1分程度で済むことなのに。それに限らず、目の前に最適解が見えているのに固まって動けなくなることがかなりある。
子供のころはもっとそれっぽい傾向がもっとあったけど(忘れ物、失くし物、うっかりミス、部屋片付けられない、多弁、衝動的に動く etc…)、対処方を模索したり各種ツールを活用することでかなり改善出来ている。
しかし、スケジューリング能力と後回しグセだけは色々試せども著しい改善が見られない。
仕事をしていると関わる人誰もかれもがスムーズに、言われたことを時間通りにこなして、自分はなんでちゃんと出来ないんだろうな…とへこむことが多い。自分が「ちゃんと出来ている」風に見える人達も皆、それぞれが工夫して、努力して、できるようになった結果である…っていうのはわかっているんだけど。ASDやADHDはあくまで性質なので、0か100かではなく誰しも何らかのそれっぽい部分はあるだろうし。
と、なんだかんだ書いたけど、今後特に病院へ行くつもりはないし、これは性質だって折り合いつけつつ、なんかいい改善方法はないか引き続き模索し悩みながら生きていくんだと思う。
そして、なにより一番怖いのは、もし病院に行って「あなたは発達障害ではありません」って診断されて、自分がただの努力不足の出来ない人って思い知ることなのかもしれない。
私の実家は料理が出来たてであることの優先順位がすごく高かった。そのため、夫が帰ったときに出来たてになるよう帰宅時間に向けて段取りする情熱は自分にも受け継がれた。
そして夫の実家は、調理人(義母)が、全ての調理を終えて各自の皿に盛ってから、一風呂浴びてさっぱりして、とうに冷めた料理をレンジを暖め直して食べるような家だった。このため夫は、複数のメニューが出来たてになるよう、あんなに苦労して作った料理を放置して、スマホ見たり風呂入ったりして、好きなだけ他のことをした後に、やりたいことが尽きてから、やっと食べはじめる。ここで文化摩擦が起こる。自分としては。夫の食べたいタイミングに出来たてになるよう時間配分を修正して調理して、是非出来たてを食して欲しいのだが、夫はそうされるのが負担なのだと言う。実家のように、皿に盛って後は暖めるだけの状態にしておいて、自分の好きなタイミングで食べるのが理想だと言う。私は一緒に食べたいので、自分も食べるのを待っていたいのだが、それも負担だと言う。
要するに、万年3食とも個食弁当(レンジ使用前提)を食べたい男なのだ。私は割と料理自慢なので、宝の持ち腐れというか、正直結婚相手を間違えたという気持ちが強い。これさえなければ、本当によい相手なのだが。
いつも遊んでる友人が恋愛し始め、疎遠になってしまうっていう話について頭がこんがらがってしまった。
29歳男性の私は、飲み屋で知り合った22歳の女性Aにアプローチをして友達以上恋人未満な関係になっている。
出会ったのは1年半以上前、その飲み屋にはAを含め学校の同じクラスの女性4人組で来ていた。学生だったから出来たことだと思う。
それが卒業と就職をきっかけに4人で集まることが少々難しくなったのか、以前のように毎週末全員が揃うことがまれになった。
それでもAともう一人Bは毎週末ほぼほぼ欠かさずその飲み屋で飲む仲を維持しているようだった。
私もカウンターだけのその飲み屋には少々縁があってよく通っていたので、曜日が合っていたのかその子達とはよく隣になって飲んだ。
4人ともLINEを交換し、みんなで他の飲み屋や誰かの家で鍋パをするような仲になった。
そのうちに私はAを好きになり、Aと2人で会うようになる。
そうなると休日が似通っているAとBと私なので、置いてきぼりのBは寂しさを覚えるようなった。
そんな折、Aに誕生日が近づいていたある日、私はAを飯に誘った。
待ち合わせの繁華街、落ち合ってしばらくするとBと4人組のもう1人がその飲み屋で飲んでいるという連絡がAの元に入った。
その飲み屋も歩いて数分なのですぐにでも顔を出せたが、この時私はAと2人で居たい、Aに選ばれたいという衝動にかられAを引き止めた。
Bを選ぶな、私を選んでほしいと強く思った行動だった。
Aは私との関係性と友人との関係性に揺られ決めあぐねる間も時間は過ぎ行き、とうとう終電を迎え、もう1人の方が帰ってしまったと連絡が入った。
その時わかったことだが、友人たちはAの誕生日サプライズを用意していたようだった。
それでもBは待っていて、Aは私も一緒に行こうと誘ったが、私は行く気にはなれず、Aがその飲み屋に行くなら私は帰ると言った。
とりあえずAと私は店を出て、繁華街を歩きながら、
私はAと一緒に居たいが、その飲み屋に行くなら帰ると言い、
Aは私と一緒にその飲み屋に行ってほしいと、その平行線のまま1時間が過ぎた。
すると飲み屋の方からBが駅に向かって歩いているのを見つけた。
両手にはAへのプレゼントを持っていて、顔をみると泣きじゃくった痕があった。
Bは感情を抱えてしまう性格で多くは語らなかったが、目一杯の寂しさを感じていたことは誰が見てもわかった。
今回これを書いてみて改めて明確になったが、どうやら私はお邪魔虫のようだ。
集まっているという最初の連絡の時点でその飲み屋に向かっていればきっと良かったのだと思う。
誕生日サプライズを察するべきだったのか、いや事前にBにAの誕生日はどうするか聞いていればよかったのか。
それとも、Aが優柔不断だから悪いのか、誕生日はAなのにもかかわらず。
はたまた、BがAに対しての依存が過ぎることが悪いのか?
私がAともっと深い関係を望むならAと友人たちの時間は奪うことになるが、それは悪いことなのか?