はてなキーワード: 敷地とは
慣れない郊外の街で車を走らせていたせいか、すっかり道に迷ってしまった。行き止まりに車を停めて同乗者と運転を代わる。砂埃の舞う頭上を見上げると、夕闇を背景にハイウェイの高架がいくつも交差している。迷ったとはいえ、この場所を特定する手がかりがないわけではない。まずは世田谷区内であること。それから京王線と新幹線と高速道路が交差する場所であること。地図を調べればすぐに分かりそうだ。
一服しようと同乗者に煙草をもらって休んでいると、突然後ろから走ってきたトラックに追突され、車体はそのまま目の前の柵を突き破ってしまう。さらに数十メートルほど押し出され、鉱山の掘削地らしき場所に入ってようやく止まった。工事車両や運搬車両が無数に行き交い砂埃を舞いあげている。このままでは邪魔になってしまう。仕方なく一周して敷地の外に出ようとすると、同乗者が「こういうときは一言謝りに行くんだよ」と言って車を降りていってしまった。追突されたのはこちらの方なのだから謝りに行くもなにもないだろうと思いつつ、帰りを待っていると、どこからともなく職員らしき制服の男か現れ、一枚のパンフレットを手渡してきた。そこには「人工温泉掘削事業出資者公募要項」という文字とともに、未来的なユートピア都市の想像図が描かれている。どうやらここは空想都市建設の企業で、この場所はそのための実験施設かなにかであるらしい。
同乗者はいつまでも帰ってこない。かといってずっとこの場所に留まるわけにもいかない。仕方なく一人で引き返して出口を探す。辺りは駅の構内のような人混みで、とても車で走り回れる様子ではない。辛うじて改札口の片隅に「車両専用」と書かれた小さなエレベーターを見つけた。先ほどのトラックもここを通ってやって来たのだろうか。とにかくそのエレベーターに車を押し込んで一階のボタンを押す。一階のラベルには「カフェ野草」という店名が記されている。おそらく先に出た同乗者は隣にある人間用のエレベーターで降りていってしまったのだ。ここは三階、駆け下りれば追いつけるかもしれない。エレベーターのボタンから手を離すと同時に階段を探して走る。だがどこにも階段は見当たらない。ようやく見つけた玩具のようなプラスチックの階段は身ひとつがやっと通るだけの狭さで、しかも二階までしか通じていない。二階はショッピングモール。やはりどこにも階段がない。ここでも散々探し回ってようやく従業員用のバックヤードに下りの階段を見つけた。そこを駆け下りてゆくと例のカフェとやらの厨房らしき場所に辿り着いた。裏口のガラス戸をこじ開けてようやく外に出る。
打って変わって周囲には静かな田園の風景が広がっている。あれほど人波でごった返していたというのに、この閑散とした様子は何だろう。エレベーターの出口はどこだろうか。しばらく歩き回ってようやく納屋のような場所の奥に錆びた鉄扉を見つけた。同乗者は干し草の山に埋もれて待ちくたびれていた。車は取り出していないという。ということはまだエレベーターの中にあるはずだ。煤に汚れたボタンを押す。出てきたのはもう何年も放置していたかのような埃の積もった古びた車体だった。
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
内定者懇親会がその企業が所有してる一般人立ち入り不可の文化財みたいな会館で立食パーティーとか、
大学の同級生は皆そういうのに目輝かせて物凄い好印象を抱いて入社を決めていたけど、自分は一切トキメキを感じなかった。
今勤めてる会社に入ったばかりの頃、
「最寄り駅まで5キロあるし、しかもバスが1時間に3本しかない」
「えっ、そんなん車かバイクで来ちゃえばいいじゃん」
「ここ停めてりゃ大丈夫よ。〇〇さんとか△△さんとか毎日車通勤だよ?」
とアドバイス貰ったときに脳内で幸福成分がドバドバ分泌されるのを感じた。
また、仕事中に
「昨日YouTube見てたら岩瀬がスライダーはシュートみたいに内に切ってリリースするって言っててびっくりした」
という話をしてたら、横で聞いていた上司が
「それ凄いな。試してみよう」
と机の下からグローブを2つ取り出してそのまま昼休みに敷地内でキャッチボールすることになったときも同様に幸福成分がドバドバ出た。
あと、近くに住んでる社員は昼休みに一旦帰って飯食ったり昼寝したりしてるって聞いた時も同様だった。
高校時代に剣道部だったんだが合宿にオヤツを持参してた同級生が顧問から引くほどキレ散らかされてたんだけど、
こういう「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」が徹底的に許されない風土が凄く苦手で(他にも仕事優先で親の死に目に逢えないが美徳になる会社とか)、
そうした風土が消え失せてる共同体に物凄い救いと歓びと感動を覚えるんだよな。大人なのに。
もう今年で三十になる。
ちなみに、
昼休みに歯医者行くとか、デスクにハンカチ敷いて昼寝するとか、W杯観戦に有給使うとか
そういうのが何ら問題視されない文化の企業を観測すると無関係者であるにもかかわらず嫌悪感剥き出しで
「潰れればいいんだよそんな会社」
まだ友達から恋人同士に昇格してるかどうか微妙で、キスぐらいはしちゃってるようなときのこと。
彼女含め共通の友人男女5~6人で宅飲みということになって、ちょっと広いマンションに住んでる奴のところに集まってた。で、夜中になって酒とつまみが少なくなって、俺と彼女が二人で買い出しということになった。
最寄りの酒置いてるコンビニまで10分ぐらい。物資を買いこんで店をでたら、ぽつぽつ雨がふってきた。
やべー早く帰ろう! 傘買ってく? いや大丈夫っしょこっちの道通れば早いからとかイチャコラしながら行ったら雨脚はどんどん強くなり、しかも道間違えて迷った。
ちょっとパニックになりながら二人で走って道をさがして右往左往したり、上着脱いで彼女を守ってやったりしてるうちに、互いの肌はどんどん触れ合う。
もうびしょぬれで絶対シャワー借りないと無理みたいな状況なんだけど楽しくて楽しくて、やっと裏道からマンションの近くに出た時には俺の手は彼女の腰を濡れた服越しにがっちり抱えてた。
至近距離で顔を見合わせたときの、雨なのに火照った彼女の笑顔は忘れられない。
そこからは一歩あるくごとに唇が触れて、5歩目ぐらいで歩けないぐらい固く抱き合って、路上で舌を入れ合ってた。
マンションのエントランスに入らず、敷地の角にある茂みに囲われた庭みたいなところに入り、壁にもたれかかった。彼女が体を預けてきた。
3階上には、みんなの集まってる部屋があった。雨はザーザー降っている。お互いキスしながら体をすりつけ、ズボン越しに刺激し合った。
思い切って彼女のズボンのボタンをはずして、ズボンを降ろした。向こうもこっちのベルトを外してきた。
太ももとに雨が直接流れるのがわかる。もう羞恥心より興奮が勝って、お互い片方ずつ靴脱いでズボンとパンツも片方脱いで脚を自由にすると、こっちが壁にもたれて、空気椅子みたいな感じになって、彼女がまたがった。
そのままグリグリと踊るように腰を擦りつけ合い、そのうちちゅるっと先が入った。苦しい態勢を更に何度か変えたら、奥までぐーっと入った。その時の暖かさといったら。
暗がりでお互い腰を擦り付けキスをしながら、一方で妙に冷静に、もっとやりやすい体位を取りたいとか、でも彼女を壁につけたら痛いだろうとか、考えていた。
その時、挿入した自分の先に、固い感触があるのがわかった。えっと思ったけど、奥まで届くというのを始めて実感した。
その後正式に恋人になってから彼女といろいろ探求したが、どうもこの奥の周りを刺激されるとすぐイく、ということだった。
猫背になった彼女の背中がすごく熱を持っていたのを憶えている。ちょっと獣っぽい声が彼女の口から洩れて、思わず手で彼女の口をふさいだ。そして二人で笑った。
それを契機に、また二人で腰を擦り付け合い始めた。こんどは二人で小さく、獣のような声を出し合いながら。
最後がどんな体位だったか覚えていないが、バックにはならなかったと思う。
またがっている彼女から腰を抜いて、射精の最初は彼女のふとももにゼロ距離で、そして残りは芝生に消えていった。
彼女が「芽とか出んかな」と妙に冷静に言って、笑いを堪えたのを憶えてる。
その後はエントランスのインターホンで降られまくって道に迷ったーシャワー貸してーとわちゃわちゃ言い、一緒に入れよとかさんざん茶化されつつ、彼女からシャワー浴びて服を借りた。
マンションに住んでたのは男だが、女のサイズのスウェット上下を完備していた。こいつも色々あるのだろう。
ただ下着までは無いので、いったんノーパンで服着た後俺が風呂場に入ったら、洗面所でドライヤーで強制的に乾かすということになった。
ここでもラブコメじゃんとかさんざん茶化され、部屋ではこういうシチュエーションのありそうな少年少女漫画古今東西みたいな話に発展していったようだが、その前にエロ漫画みたいなことしてるのである。
最後、ドライヤーの音を出したまま彼女が風呂場のドアを少し開け、こっちの体をちらっと観察した後、手ぇ出してと言ったので外に手を伸ばしたら、スウェット越しに股間を触らせた。
もしゃっとした毛の感触。その日はそれが最後で、朝までダラダラ友達として過ごした。
その後、まあ友人にも付き合ってるのは知られ、きっかけはあの雨の日だよね、というのは認識されていったのだが、どこまでやっていたか、正確なところは誰も知らない。
まあヤッたと思ってる奴もいるだろうな。そうだよヤってたんだよ。
砺波平野の散居村が美しい
https://dailyportalz.jp/kiji/Scattered-villages-in-Tonami-Plain
珍しく地元の話題をホッテントリで見かけて面白かったので書いた。
書いてみたけど北海道の農家とかの方が大変そうだよねこういうの。
上下水道が来ているところもあるけど、井戸水と浄化槽のところも結構ある。
井戸と言っても電気で汲み上げるので普段の使用感は普通の水道と変わらない。
井戸水は夏冷たく冬暖かいとかのメリットもあるけど、停電すると水も止まるとか、地震の後は水が濁るとか面倒なところもあるらしい。
浄化槽は庭に浄化槽を埋めて下水がそこに流れ込むようになってるやつ。
井戸+浄化槽+プロパンガスまでは割と独立した感じがあるから、電気も自前の発電機で賄うようにしたら最強に見えるかもしれない。
道路自体は普通に管理されてるけど、道路脇の用水にフェンスが無いので定期的に用水に人が落ちる。富山県が全国で一番用水への転落事故が多いらしい。
散居村の用水全てにフェンスを付けるのは無理なので困ったねみたいな話がニュースになったこともありました。
道路といえば田んぼの真ん中に家があるので、家の敷地内に長い私道があるお宅が多い。どこまでが私道でどこからが公道なのかは住んでる人間もよくわかってない。
水田は洪水を防ぐはたらきがあるので、家が水田に囲まれてる散居村の水害防御力は多分高い。
先人が庄川の治水を頑張ったお陰でここ数十年は水害らしい水害は無いみたいだけど。
幹線道路は融雪装置が付いていたり早朝に除雪されたりするけど、散居村の家の前の細い農道にそんなサービスは無い。除雪車が来るとしても昼。
従って通勤のために車庫~除雪されている道までのルートを自力で切り開かなくてはならない。
上にも書いた通り散居村の私道は長いし、家の前の農道も除雪となると結構な距離になるので、農作業用のトラクターを除雪仕様に換装して除雪する。
トラクターの無い家でも手押しの除雪機持ってる家は多いんじゃないかな。ママさんダンプじゃなくてガソリンエンジンのやつ。
雪は温暖化の影響なのか昔に比べるとかなり少なくなった。
昔は12月に雪が積もると春まで地面が見えなかったけど、最近は一気に沢山降ってすぐ溶けるのを年に2~3回繰り返すみたいな感じになっている。
たくさん降りそうなりそうなときは前日から学校が休校決めたり、会社の社員食堂が食材の仕入れができないって言い出したりするので、
じゃあもう会社も休みにするかとなることが増え、昔よりかなり楽になった。休みなら早起きして除雪しなくていいからね。
ブラックキャップを開発した人はノーベル賞とか貰ったら良いと思う。
最近は温暖化の影響なのか昔は見なかったヤモリが家に入ってくるようになった。勘弁してほしい。
ブコメで見かけたけどあの景色のどこに騒音を見出したんだろう。カエルか?
カエルは実際五月蠅いらしいけど、地元民には聞こえていない(強く意識しないと音と認識できない)ので騒音にはカウントされない。
散居村は楽器やりたい人なんかには良いところってのはよく聞くけど、時期によっては3km離れた城端線を列車が走る音が聞こえるくらい静かなところなので、
季節と時間帯を選ばないと演奏が砺波平野に響き渡ってしまうかもしれない。
見ての通りド田舎なので、散居村を構成する家々は空き家が増えているし、高齢化もすごい。
もうじき敬老の日の催しがあるけど、75歳以上が老人として扱われ、会場の設営を70歳の若者がやっている。
屋敷林の管理や農作業、冬の除雪など、力仕事のできる人間が複数居ないと維持管理が難しいんだよな散居村の家。老人だけでは厳しい。
昭和初期生まれくらいの世代ではきょうだいが10人居るとか普通だったそうだし、そういう一世帯の人数が多かった時代のものなんだろうなと思う。
観光資源としてPRしてるけど、個人の農地と家が平野に並んでいるだけのものだから保全も難しい。土地の持ち主が田んぼをやめるのを止めることはできない。
そんな訳で今しか見れない景色かもしれない散居村、季節によって違う良さがある。
田んぼに水を張る季節が一番フォトジェニック。散居村の水田に映る夕焼けは観光案内なんかでよく見る。
高いところから見下ろすのも良いけど、城端線の車窓から見るのも良いのよって会社の先輩が言ってた。
また、砺波ではチューリップの球根の栽培が盛んで、GWごろには「となみチューリップフェア」というのをやっている。
チューリップ公園で大量のチューリップが咲いているほか、実際のチューリップ畑を見学したりもできる。
夏の散居村を車で走り抜けると草原の中を走ってるような感覚になるので個人的に好きな季節。
稲穂で一面黄金色なのも良いし、稲刈りの終わった後の寂しい感じも人によっては好きかもしれない。
散居村展望台の近くにある夢の平スキー場は秋になると一面の秋桜が咲いてるので結構人気がある。
雪景色が綺麗。積もりたてが特に綺麗だけど、そういうときは大抵公共交通や路面状況が死んでるから観光で来るのは大変そう。
いや公共交通は普段から瀕死だけども。バスも電車(城端線は電車じゃないけど)も本数少ないから、使うなら時間ちゃんと調べた方が良い。
我が子がもうすぐ1歳を迎える。
辛いことや苦しいことは笑顔を見れば吹き飛び、生きる活力をもらえた。
だが、どうしてもひとつだけモヤモヤが残る。どうしてもかき消すことができないのだ。
私の心が狭いのかもしれない、私の常識が、私の感覚がおかしいのかもしれない。それでも、モヤモヤがどうしてもなくならない。
私には弟がおり、弟にも子が生まれた。私と3日違いでの出産。両親は嬉しい悲鳴をあげていた。もちろん、私もとても嬉しかった。
私はおしるしがあった日に、車で30分の実家へと戻った。ほどなくして陣痛が始まった。
陣痛が7分感覚になった頃、弟が仕事から帰宅し「大丈夫?いきみのがしとか、YouTubeとかで予習してる?」と聞いてきた。予定日より1週間も早かったため、正直全く予習なんてしていなかった。夫も仕事で立ち会えない可能性があり、不安だった。そう答えると、弟は「こんな感じだよ。俺ナイスサポートだって誉められたんだよ」と言いながら携帯の画面を見せてきた。それは、義妹の出産に弟が立ち会う姿だった。もちろん細部やデリケートな部分は見えておらず、引きで撮影されているため義妹と弟の声が聞こえるくらいだった。1分ほど見たが、陣痛でそれどころではなく「ありがとう」と切り上げた。頭のどこかに「この動画見ていいのかな?」という疑問が浮かんだが、弟には聞かなかった。その日の深夜に入院し、午前中に出産した。
出産した3時間後、義妹からおめでとう!とメッセージがきた。先に出産した同じ病院に入院していて、少し心強くも感じていた。
私は産後の高揚したテンションのまま義妹に返信を打った。純粋な尊敬の意味で「弟があなたの出産の動画を見せてくれてレクチャーを受けた、私はあなたのように冷静でいられなくて、たくさん叫んでしまって恥ずかしかった」という文言を打ってしまった。義妹からは普通に返信がきて、お互い休み休み行きましょうね、というようなところでメッセージのやり取りは終わった。
これが全ての始まりだった。
産後、私は実家に戻った。少し落ち着いてきて、産後2週間が経った頃だった。
母の携帯に、弟から電話がかかってきた。電話に出た母の様子が明らかにおかしい。ただごとではなさそうに思えた。話していたのは2時間くらいだろうか。げっそりした顔で戻ってきた母は、ものすごく困惑していた。
弟からの電話は、出産の動画を見た私と母に怒っているという内容だった。あとで聞くと、母もその動画を少し弟から見せられていたらしい。
電話を代わると、義妹と、義妹の母が劣化の如く怒っていると、憔悴しきった声で弟は言った。義妹の怒りは主に私に向いているようで、「夫から見せたもので、いくら陣痛中とはいえ、そんなセンシティブな動画を見せられたら『それは私に見せるべき動画じゃないでしょう』と止めるべきではないか?私なら止める。そして、産後ハイとはいえ、メッセージで私本人にそんなことを言うなんて信じられない。」というものだった。
なんてことをしてしまったんだ。絶望感に襲われ、涙が止まらなくなった。必要なら直接謝りに行くと言った。
その夜は自分の行動を悔やんで眠れなかった。
次の日、弟が1人で話をしに実家へ帰ってきた。開口一番、離婚してもいいと言われている、と、憔悴しきった顔で弟は言った。
この際だから、義妹は私たち家族に言いたいことがあったという。特に私には、少し気を遣えない人だなと思っていたが今回のことで全てが繋がってしまい不信感しかないと。
これはどうあっても謝罪に行かなくては、今後の弟夫婦の関係に響く。この段階では、謝りに行くのも辞さない気持ちだった。
以下の内容を聞くまでは。義妹の言い分はこうだった。
①弟夫婦の結婚式が仮で決まった日程が、義母母の命日で一周忌の日だったため、私が母にどうしようかと相談したこと。
→この件について、私が相談したことで母が「まだ日程は本決まりしてないなら変えられないか」と打診してくれました。結局義妹が友達に日程を告げてしまったということでそのままになり、時間がズレていたため私たち夫婦は一周忌に参加した後式に出た。
慶事なのに、弔事を理由に日にち変更の打診をしてくる神経が分からない、私ならしない。ということだった。
→私たちの2年前に弟夫婦は入籍。良い日の重なった日だったので入籍。
これについても、私ならわざわざ同じ日を選びません。とのことだった。
弟には「同じ日にしてもいいか」と事前に相談済。弟はどうぞと言ってくれたので、そのまま入籍した。
③私の娘と義姉夫婦の息子が同じ学年になるように産んだこと。
→「普通は姉弟で話し合って子ども同士の学年がかぶらないようにしませんか?私の母は叔母さんと話し合ってイトコ同士で学年がかぶらないようにしたそうです。比べられたりして嫌な気分になると思いませんか?」
ここで、私は謝る気が失せてしまった。
我が子の誕生にケチをつけられたようで、悲しく、情けなく、こんな考え方の人もいるのかと衝撃を受けた。どうしてそんなこと、言われないといけないの?と、人生でいちばん悲しくなった。
→弟夫婦は実家の敷地に家を建てて住んでいる。確かに、私たち夫婦も余っている敷地に家を建てるという話が出たことがあった。
子どもの学年がかぶっているし、学校が一緒になると比べられたりするし、気も遣うので絶対に嫌だと。私たちの近くには住まないでほしいですとのことだった。
元々近くに住む気はもうなかったし、私にも実家の土地をもらう権利は当然あるのに、どうしてそこまで言われなくてはいけないのか分からなかった。
⑤義姉息子への育児や行事など(写真撮影など)について。私たちが娘にしていることを参考にされたくない。
→同じ写真館を使われたり、同じものを使われたりするのが嫌。義両親が遊びに来た際に、娘のバウンサーを見て「○○ちゃん(義姉息子)にもこういうのあったらいいよね」と言っていましたが、真似されるのも嫌ですし、私の娘の前でそんな話をされたくなかったですとのこと。
真似する予定も、育児を参考にする予定も、一切なかったし、今後することも絶対にない。
→夫は水商売をしており、私も会社員だということは知っているが何の仕事をしているか弟も義妹もよく知らない。
普通話しませんか?不信感しかありません、とのこと。これも聞かれなかったからわざわざ話さなかっただけのこと。そしてその時夫のことを「あの人大丈夫なのか?」とまで言われ、私の悲しい気持ちは怒りの感情へと変わってしまった。
産後、まさかこんなことを言われるとは思っておらずメンタルはボロボロ。自分の感覚がおかしいのかもしれないと思い、新生児期の我が子を抱いて、涙する日々を過ごした。
①-⑥まで、まさに青天の霹靂で、①②については配慮が足りなかったと思っていたけれど、③④⑤と続いて謝る気も引っ込んだ。
③については特に、授かり物である子どもに対してそういう感覚を持つという感覚が理解できず、ショックしかなかった。
弟には、他のことはまだしも、娘の出生のことまでそんな風に思われるとは思っていなかった。動画を見てしまった件と失礼なメッセージを送ったことについては直接会って謝罪するが、それ以外には全く触れないでおくと伝えた。
後日、義妹の父親が実家へ来て私たちに「本当に失礼なことをして申し訳ない」と頭を下げた。その後、弟夫婦は2人で実家へ来て、夫婦で解決すべきことを大きな騒ぎにしたと謝った。
私も、動画を見たことで辛い思いをさせてしまったことは誠心誠意謝った。
動画を見たのは陣痛中でとてもそんなことに気付けなかったことや、産後数時間でのメッセージのやりとりだったため、産後ハイのようになっていて気が遣えなかったことなどを伝えた。
今、全く普通の顔をして弟と義妹は過ごしている。実家にも普通に出入りしているし、4ヶ月の頃に会った我が子を見れば「かわいい〜抱っこしていいですか?」と言い抱いた。
私は、かわいいはずの弟の子をかわいいと思えず、抱くことが恐ろしくて抱かなかった。
いつまでも終わったことを考え続けている私の心は狭いのかと何度も自問自答している。
情けないけれど、あの時弟の口を通して伝えられた言葉の全てを、じきに産後1年が経とうとしている今も、どうしても忘れることができず、モヤモヤとした感情を捨てられないままでいる。
「辺野古移設反対のオブジェ、米兵が破壊 米軍が補償金660円を提示」
ブコメのひどい事、ひどい事。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR9Q6S66R9QUTIL015.html
他人の敷地内にオブジェを置くな、という趣旨のトップコメントが並んでいるけれど、ブコメを書いた人もスターをつけた人も記事をちゃんと読んだのか?記事にこう書いてあるだろ?
つまり、(普通は基地との境界線だと認識する)基地フェンスの外にオブジェを置いたら、実は敷地内にあたっていて、翌日境界線が引かれたという話。
市によると、国立天文台から2019年11月、研究費を捻出するため敷地の一部を売却したいと相談があった。市はこれを受け、敷地を買うか借りるかし、野川沿いにある羽沢小を高台の天文台敷地内に移転する計画を立てたという。
なにやらきな臭いな
次のChatGPTとのやり取りに目を通してほしい。
増田:メキシコにおいて、犯罪撲滅や麻薬の取締を公約に掲げて当選した政治指導者が暗殺されるのは、どの様な原因、社会の構造によってでしょうか?
ChatGPT:メキシコで犯罪撲滅や麻薬取締りを公約に掲げて当選した政治指導者が暗殺される背後にはさまざまな要因や社会の構造が影響しています。以下はその主な原因です:
麻薬カルテルとの対立: メキシコは麻薬カルテルの存在が顕著であり、これらの犯罪組織は麻薬取引や暴力行為を通じて多大な利益を得ています。政治指導者が麻薬カルテルとの対立姿勢を採ると、彼らは脅迫や攻撃の対象になる可能性が高まります。
腐敗と犯罪の浸透: メキシコの政治、警察、司法などの機関には腐敗が広がっており、麻薬カルテルはこれらの機関に浸透し、政治指導者を脅かすことができます。腐敗により、犯罪組織は法執行機関内に内通者を持つことができ、指導者を護衛できない状況を作り出すことがあります。
社会的不平等と貧困: メキシコには社会的な不平等と貧困が根深く、一部の地域では犯罪が生計手段として選ばれることがあります。政治指導者が貧困削減や社会的な公正を提唱する場合、これに反対する勢力からの脅威を受けやすくなります。
国際的な麻薬需要: メキシコの麻薬カルテルは、主に米国との国境に近い地域で麻薬を生産し、供給しています。米国の麻薬需要が高いため、麻薬カルテルは巨額の利益を得ており、政治指導者の取締りや対抗策は反発を招くことがあります。
暴力文化: メキシコは暴力文化が広がっており、銃撃事件や殺人が日常的に報告されています。政治指導者が麻薬取締りなどの暴力的な問題に取り組む場合、彼らは暴力行為の標的になる可能性が高まります。
これらの要因が組み合わさり、政治指導者が犯罪撲滅や麻薬取締りに取り組む際には、極めて危険な状況にさらされることがあります。そのため、政府は指導者の安全を確保し、犯罪組織に対抗するための包括的な対策を検討する必要があります。
メキシコの社会は麻薬カルテルの暴力によって支配されている。そして、政治、警察、司法には犯罪組織の内通者がいるので、「犯罪撲滅」や「麻薬の取締り」を公約に掲げて当選した政治指導者が殺害されるという事件が起きているのだ。
一方、日本においては、安倍晋三元総理がカルト宗教団体との関わりにより銃撃・殺害された。
それでは、メキシコで殺害された政治指導者と、山上被告に殺害された安倍元総理の違いは何だろう?
違いは、前者は、犯罪を撲滅したり麻薬を取り締ることによりメキシコ社会を改善しようとした、志高い政治指導者が犯罪組織によって暗殺されたのである。
後者については、統一教会と関係を築いてきた日本の有力政治家が、1回の謝礼100万ドル目安の講演料を対価として統一教会関連イベントで演説を行ったことが切っ掛けとなり、元総理と統一教会との密接な関係が印象付けられ、霊感商法の被害を受けた元自衛隊員から銃撃・殺害されたということだ。
つまり、メキシコの政治指導者は、メキシコの社会を良くしようとして麻薬カルテル(犯罪組織)に邪魔者扱いされて殺害された。それに対して、日本の政治指導者は、カルト宗教団体との深い関係が原因となり、霊感商法被害者から殺害された。そして、未遂に終わったが岸田総理を襲撃する模倣犯も出た。
この内容から理解できることは、現在のメキシコの社会と治安は救いがたい程に悪い状態なのであり、一方、日本の治安は、それとは比較にならない程に良好だということだ。
それでは、日本の治安がメキシコのように悪化する可能性はあるのだろうか?
2022年の「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング(https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html)」によると、アメリカが76,348USドルで7位、日本が33,821USドルの30位、メキシコが10,867USドルで74位だ。つまり、日本の一人当たりGDPはアメリカの44パーセントで、メキシコの一人当たりGDPは日本の32パーセントに過ぎないことがわかる。
また、「一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2023年)(メキシコ, 日本)(https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=MX&c2=JP)」を見ると、日本は1985年(の11,815USドル)から'95年の10年間に4倍(の44,210USドル)になって以降はほぼ横ばい、また、'21年から'22年にかけて約6,000USドル下落し、現在は厳しい状況にある。
一方、メキシコは、日本が17,466USドルであった'86年に1,937USドルであり、それを底に緩やかに上昇、2008年の10,053USドル以降は(リーマンショックの影響を受けるなどして)横ばいだったが、'20年の8,533USドルから'23年には12,673USドルになると推計されている。これは3年間で約1.5倍というダイナミックな数字でありマレーシアに肉薄するが、同じ期間に日本では40,117USドルから35,385USドルに減少すると推計されている。
以上の内容から、メキシコについては、仮に現在の成長ペースを維持できた場合、20年以内に一人当たりの名目GDPが3万USドルの大台に乗ることが考えられる。また、「社会的不平等と貧困」が犯罪組織の力の源泉である(by ChatGPT)とするならば、国家の発展に伴って(麻薬カルテルの力が削られ)メキシコ社会の治安が改善する望みがあると捉えることができる。
一方、日本については、2012年の49,175USドルをピークとして、横ばいか成長か下落するか、厳しい状況にあることがわかる。アメリカと中国が上昇軌道を描いている中、毎年3万5千USドルを切る状態ならば明らかに厳しいと言えるだろう。
もしも日本の経済や産業が衰退して「社会的不平等と貧困」が蔓延し始めたら、それは、日本のメキシコ化の始まり、麻薬カルテルの様な犯罪組織が日本社会を牛耳る時代の始まりを意味するのかもしれない。
だが、日本のどこに「麻薬カルテルの様な犯罪組織」が存在するのだろう?
暴力団は、暴対法による取締りを受け、暴力団構成員等の数は平成25年の58,600人から令和4年には22,400人に減少しているのだという。
暴力団情勢と対策 | 全国暴力追放運動推進センター
もっとも、暴力団に属さない半グレ組織、闇バイトを含め、日本の衰退と共に息を吹き返す可能性はあるだろう。
だが、日本で最も「麻薬カルテルの様な犯罪組織」に近いのは、(暴力団を除けば)統一教会が該当するのだと考える。
90年代後半から2000年代にかけて統一教会問題を追及した調査報道ジャーナリストのロバート・パリー氏の記事に『文鮮明のダークサイド(続き): 麻薬の盟友』(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)がある。下記はその一部。
(略)
ホンジュラスとのつながり
ケリーの上院報告書は、ホンジュラスが北へ向かうコカイン輸送の重要な中継地点になったと結論づけた。「ホンジュラス軍の一部は1980年から麻薬密売人の保護に関与していた。「ホンジュラス軍の一部は1980年以降、麻薬密売人の保護に関与していた。米国は麻薬取締局のホンジュラス駐在を強化し、米国がホンジュラス人に提供していた対外援助をテコに麻薬密売の撲滅に断固とした態度で臨む代わりに、テグシガルパの麻薬取締局事務所を閉鎖し、この問題を無視したようである」。[麻薬、法執行、外交政策--ケリー・レポート--1988年12月]。
1980年代半ば、ジャーナリストや議会調査官が麻薬密売の証拠を探り始めたとき、彼らは文鮮明のワシントン・タイムズから厳しい攻撃を受けた。私がブライアン・バーガーと共同執筆したAP通信の記事は、タイムズ紙の一面で「政治的策略」と非難された。[1986年4月11日]
タイムズ紙は、まずケリーの調査官を金の無駄遣い[1986年8月13日]、次に司法妨害[1987年1月21日]で攻撃した。今、南米の麻薬に汚染された役人たちとの文の歴史的なつながりがより鮮明になり、これらの調査に対する嫌がらせは、自己防衛の可能性という別の様相を呈している。[詳しくは「文鮮明のダークサイド」シリーズを参照されたい。]
さらに最近、文はウルグアイの豪邸に活動の拠点を移し、南米に保有する資産を拡大し続けている。彼はアルゼンチンのコリエンテス州に多額の投資をしている。コリエンテス州はパラグアイに近い国境地帯で、主要な密輸センターとして知られている。
《パラグアイ》旧統一教会敷地内の麻薬輸送滑走路を爆破=国際犯罪組織が利用、教会関与の疑い(ブラジル日報)
https://news.yahoo.co.jp/articles/64477ef04951e7916bd1426874a3e9a6064a903c
1996年1月2日、文鮮明は信者たちに対する説教の中で、南米の遠隔地に小さな滑走路を建設し、沿岸警備隊のパトロールから逃れるための潜水艦の基地を建設する計画を発表した。飛行場計画は観光のためのもので、「近い将来、世界中に多くの小さな空港ができるだろう」と付け加えた。潜水艦が必要なのは、"世界には国境による制約がたくさんあるからだ "と彼は言った。
その経歴と知名度から、文鮮明とその組織はアメリカ政府の監視の目にさらされるのは当然のことのように思える。しかし、文鮮明は多くの有力政治家を買収することで、立ち入った調査に対する保険をかけているのかもしれない。~
文鮮明の統一教会は、ホンジュラスだけではなく、ボリビアやパラグアイなど南米のコカイン利権に食い込んで麻薬密売に関わってきた。そして、ケリーの上院報告書に基づいてアメリカのジャーナリストや議会の調査官その事を調べ始めると、文鮮明は自分が経営しているワシントン・タイムズの記者たちに攻撃させるようなことをしてきたのだ。また、ブッシュのような有力政治家に利益供与を行うことによってその庇護を受け、捜査対象になることを巧妙に回避してきた。
暴力団や半グレが、闇金や闇バイト、オレオレ詐欺、ぼったくりバーの様な違法ビジネスによってターゲットから金を奪うことによって収益を上げてきたとするなら、統一教会の様なカルト宗教団体は、信者をマインドコントロールして霊感商法を行うことにより、より巧妙な形で金を巻き上げて収益を上げてきたと言えるだろう。
さらに、その使いみちについては、統一教会は1999年〜2008年の期間に日本から韓国に4900億円を送金しているのであり、他方、1990年代から統一教会は北朝鮮に5000億円の資金を提供している。送金された資金が北の核開発の資金に流用され、現在の北朝鮮の核問題の原因になっている疑いがあるのである。
この様に、南米の麻薬犯罪に関わり、資金洗浄を行い、信者をマインドコントロールして霊感商法で金を奪い、批判者は自前のメディアに批判させ、有力政治家に利益供与を行いその庇護を受け、敵性国家に資金援助を行い核開発を促進させてきた文鮮明の統一教会は「麻薬カルテルの様な犯罪組織」には該当しないのだろうか?
今後の日本において「腐敗と犯罪の浸透」や「社会的不平等と貧困」の問題がどの様に変化していくかについては経済や産業の状況と関係することであり明らかではないが、その前に安倍元総理が銃撃・殺害されるという事件があり、統一教会の霊感商法の問題が注目されたのだから、岸田政権としては、統一教会に解散命令を出して国内では活動できないようにすることが最善の策であると考えられる(信者の脱マインドコントロールも必要だろう)。
現在のメキシコ社会のように、麻薬カルテルの様な犯罪組織が社会を牛耳ってしまってから、志ある政治指導者が犯罪や麻薬の撲滅を望んでも手遅れなのである。
自衛隊さんは公的機関だからネットで検索すると公示の情報は普通に出てくるんでちょっと一例を貼るね。
https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/koukoku/dep/koukoku-U6.pdf
こういうの読み慣れてない人向けに要約すると「鉄くず売ってやるから手数料はお前持ちで買いたい奴は応募してくれよな!」って内容。
んでまあこれがどうやって利益出すつもりなのか全く分からんのんだな。
まあ漠然と知ってる人からするとむしろ金貰って処分してくれって頼んだほうが良いような代物で「え?どこで利益出すの?処分じゃなくて購入だから山にこっそり捨てた所で利益でないし、ちゃんとした金属くずと分別するのもクソほど時間かかるだろうし、こんなんアルミ缶でも集めてたほうがマシでは?実は都市鉱山で結構レアアースが塊でゴロゴロ入ってるん?」みたいな状態。
でも「運が良ければそのまま使えるものが入ってるかも知れない福袋」ってんなら、闇で捌くルートがある人間からしたらワンチャンあるね。
はてなのオタク共は廃パソコン回収業者を想像してほしいんだが、アレって無料でやっても儲けが出るのは転売できるからなんだよね。
都市鉱山で貴金属を掘り出してますって正面言ってるけど実際には割りと転売してるじゃん。
補助記憶以外はどうせユーザーデータが入ってるわけでもないからやりたい方だし、無料で投げる側も「ドスパラ持ってて「うーん……これは500円!持って帰るかい?持って帰るのダルいよね?じゃあ引き取るね!500円ね!」されるぐらいならもう自宅まで引き取りにこさせるほうがええわで最初から割り切ってる所あるよな。
でもまさか自衛隊さんがねー……そのレベルでスクラップ売ってるとはねー。
昔噂で聞いた程度だけど、確か再利用が一切できないように銃身ぶった斬るとかエンジンぶっ壊すとかそういうルールだったと思うんだけど、どうせ鉄くずとして処分したら証拠もなくなるからって今はそういうのやってないっぽいね。
鉄くず売れなくて10年分敷地に溜まってますとかなってもしゃーないもんな。
ウクライナに8割引きで売りつけようぜ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4e31d9a7afc6316be31c6f868f9362febc2bcbb
阪神タイガーズの本拠地は西宮にあり、優勝パレードを大阪都心部か神戸市内でやるべきかという論争が話題になっている。
大阪の阪神ファンが阪神タイガーズを自分たちのものにしていることに対して、言いたいことはわかるよ。
「昔は大阪タイガーズだった」「西宮市一帯は摂津国で事実上の大阪」「親会社であるH2Oリテイリングの本社は大阪」など。
この論争は戦後一貫して続いているらしいが、正直言って大阪人もうんざりしている。
なので大阪の政財官業界も、この論争が始まってからなのかははっきり言えないが、兵庫県内に大阪人がよく使う大規模施設を作らなくなっている傾向があるのではないか。
戦前は、大阪の財界が阪神甲子園球場や西宮球場、宝塚劇場などを兵庫県内に作ってきた。
1.千里ニュータウン(1961年)
戦前は大阪人が多く住む場所は阪神地方(西宮・芦屋地区)であったが、戦後は豊中・吹田の千里丘陵を開発して関西随一の中流・上流階級の大阪人が住む場所に発展した。
大阪に移住する東京人の人達も、どこに住みたいかといえば阪神地方ではなく千里丘陵の方がいいという人が多い。
2.長居スタジアム(1964年)
今は使っていないがセレッソ大阪の本拠地であった長居スタジアム。
ガンバ大阪の本拠地である吹田スタジアムと共に、どちらも大阪府内に本拠地を置いている。
やはり甲子園球場が兵庫県内にあることの反省なのか、阪神タイガーズ並みの人気を持つプロサッカーチームの本拠地は大阪府内に設置することになった。
3.大阪城ホール(1983年)
大阪城公園内に建っている関西最大規模の多目的アリーナである大阪城ホール。
プロアーティストの関西エリアのライブは大阪が独占することになり、これは当然といえば当然の話でしょう。
4.インテックス大阪(1985年)
東京ビックサイトと幕張メッセに次ぐ規模を誇る国内第3位の国際展示場。
狭い神戸港ではなく、広大な埋立地である大阪南港に作ったのは、これも当然だろう。
大阪空港の国際線分離のための関西空港であるが、当初は神戸沖に造成する計画だったのは有名な話である。
しかし「新空港は甲子園球場とおなじく兵庫県のもの」とうるさく言われるのを嫌ったのか、神戸沖ではなく泉州沖に作った。
6.USJ(2001年)
西の東京ディズニーランドを目指して、桜島に建設されたUSJ。
東京ディズニーランドは千葉県浦安市にあるが、当の千葉県民は「ディズニーは千葉県のもの」とは言わない。
施設の性格上、尼崎市内に作られてもいいような気がするが、これも兵庫県のものにされるのを嫌ったのかわざわざ大阪市内に作った。
「甲子園球場は大阪人のものか」問題を解決する方法が一つだけある。
それは現在の甲子園球場を大阪市内に移転してしまうことである。
これによって阪神タイガーズは名実共に大阪人のものとなり、兵庫県人も納得するだろう。