はてなキーワード: 大義名分とは
保育園設置の反対のための大義名分として、騒音などが挙げられているけど、それはまさに大義名分であり本当の理由ではないと思う。
はっきり言えば、保育園を必要としている親そのものに対する批判・非難なのではないか。
具体的に言うと、保育園設置に反対している人たちの理由は、そもそも両親どちらかが働くこと自体に反対しているのではないか。
もっと言えば、母親が子供の育児を放り出して働くこと自体に、強い抵抗感を持っている人たちなのだと。
「父親は働き、母親は家の中で子育てと家事をする」というライフスタイルが身にしみている人たちから見れば、保育園なんて異教徒の宗教施設のようなものだ。
そんな人たちに「父親だけの稼ぎだけでは生活していけない」などと説明しても無駄。
イスラム教徒に、キリスト教の教義を説教するようなもので、絶対に相手に話は通じない。
保育園設置に反対する人たちの年齢層が比較的高い気がするのも、これで説明がつくよね。
逆に保育園ではなく、幼稚園の建設工事だったら反対する人はいないと思う。
保育園の設置に反対する人たちも、はっきり言えばいいのだと思う。
センター国語をプロの作家が解いても満点取れないとか、そういうことになにか意味があるのだろうか。
まず、入試の科目なんてのはその道のプロを選抜するものではない。
国語に限らず数学でも理科でも社会でも、プロの学者がすべての問題をミスなくこなすなんて無理だろうし、外国語だって場合によってはネイティブもミスをするだろう。
入試は、特にセンター試験は努力の成果を見るものなのだから、才能があるからと言ってできてしまっては意味がない。ちゃんと"お約束"を知っておくことは、当然要求される。
それに、プロというのは一芸があればいい。例えばプロスポーツ選手だって、アマチュア向けのテストではあらゆる能力が要求されるが、真の一流選手はいくつかの項目が欠けていても活躍できる。メッシが誰よりも足が速く体力があるわけではない。そういう意味でもあらゆる要素が満遍なく問われる試験というのは、アマチュア向けなのだ。
そしてそもそも、文学というのは書き手と読み手の認識が一致しないものだ。書き手の意図が何の誤解もなく読み手に伝わるならば、文学なんてものは芸術でも何でも無くなってしまう。だから、プロの書き手が読み手の立場のセンター試験を解けないのは当然と言えば当然だ。
強調しておくと、読み手の立場のセンター試験、という認識が大切なのだ。試験を出題するのは筆者ではない。出題者は、読み手なのだ。試験の度に読む題材は異なるが、出題者の姿勢は一貫している。だから、受験者に求められるのは、作品の筆者を直接理解することでは決してなく、むしろ読み手でもある出題者を理解することなのだ。
そして読み手である出題者の中には、作品の筆者に対する批判の意識も当然あるだろうから、筆者の意図は正解とは関わらない。しかしその出題には連綿と引き継がれている傾向、理論があり、だからこそ受験者も一人の読み手としてでなく、問題の解答者として試験に臨むことができるのだ。
最後に、「文学の読み方に正解はない」という国語の試験を批判する大義名分は、人間の知的営みの根本的な前提を確認しているに過ぎないことに言及しておく。そもそも、どの学問を取っても、普遍の真理には程遠く、最新の理論などと言っても一つの解釈でしかない。皮肉なことに、科学も歴史も恣意的なものだという議論は入試の現代文に繰り返し登場しているありきたりな話なのだが。
結局のところ、センター試験が呈示する「読み方」を疑問視するなら、数学の、自然の、人間の、「読み方」である他の科目も―本当の正解とは限らない。逆に、センター国語の出題の背後にある理論は、他のすべての科目の理論と同様、絶対普遍のものではなくとも一つの体系を成している。その事が未だに十分に認識されていないことは、センター試験の失敗でもあり、今後試験の形が変わっても国語教育の課題であり続けるだろう。
センセイの話によると、こういうことらしい。
だがタバコがポピュラーになりすぎると病気の人間が増え、保険料が増えてしまって本末転倒。
だから教育メディアを通して、タバコのネガティブな側面を認知させることでそれを抑制。
そこで禁煙法を制定。
紆余曲折を経て、最終的に二択を強いるわけだ。
「税金をうんとかけてでも吸いたいか? それとも吸うのをやめるか?」
問答無用で受け入れざるを得ないってことらしい。
「そうやって喫煙家と嫌煙家を対立させ、程よく“議論が深まった”ら、タバコの重税を落としどころとして提示するってわけ」
つまり政府にとって禁煙法の目的はタバコの根絶ではなく、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手にいれることだった。
「道理で禁煙法が制定されても、センセイたちは割と冷静だったんですね。政府の思惑を理解していたから」
「政府だって、あの市長みたいな輩ばっかりというわけでもないからね。タバコを簡単にクビにできるほど、私たちの国は金も心も豊かではないことくらい分かっている」
「でも、それって……つまり嫌煙家を煽り立てて、その実は喫煙家を飼い殺しにしたってことですよね。税金をたくさん手にいれるために」
「悪い言い方をするなら、そういうことだ。だが私たちはそれで納得せざるを得ない。様々な人間が一つの社会で生きている以上、各々が自分の望むものを享受するには、多少のことは甘受しなければならないからな」
「不服じゃないと言ったら嘘になるが、政府を責める気はねえぞ。社会を動かすのは名分だが、支えるのは実利だ。それを両立させる必要があったから、ヤツらは自分の仕事を遂行しただけ」
タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで多く儲ける。
何だか矛盾しているような気もするが、その矛盾を成立させるのが彼らの仕事なのだろう。
しかし、俺は理屈の上では理解できても、何だかモヤモヤが拭えないでいた。
「じゃあ、市長の前で俺たちが言ったことって、大した理屈じゃないってことですか」
「一応の筋は通ってはいたんだが、まあそうなるな。身も蓋もないこと言うと、禁煙法が上手くいかなかったのだってタバコがポピュラーな嗜好品だったからなのが大きな要因だし」
「今でこそ縮小しちゃいるが、一昔前はこの町で人口の半分以上が親しんでいたもんな。そこまで普及したものを、ちょっとやそっとのことで無くせるわけがねえ」
「そうなんですか。てっきり俺は、あの抗争はセンセイたちが裏で色々と根回ししたからだと思ってました」
俺が冗談めかしてそう言うと、さっきまで笑いに包まれていたカフェはいきなり静かになった。
「……マスダ、そういうことは思っても口にするもんじゃないぞ」
「そうだ。本当に俺たちがそんなことしてたらタダでは済まない。お互いに」
「……まあ、他の理由を挙げますと、組合や協会などの強大な組織があったのも大きいですな。同じ理由で、餅やストロング系飲料とかも結局は合法化されましたし。この調子だと、マリファナもいずれ合法化するかも」
「ははは、さすがにそれはないだろ」
「それにしても、そうやって害悪なものを容認することが結果として是になるなら、いずれ課金ゲームのガチャとかも税金がかけられるだけで残り続けるんでしょうか」
「もう、かかってるよ。近々、値上げするんじゃないかな」
「マジすか……」
「マスダはもう少し、自身の情報アンテナを強化したほうがいい」
『物事には善悪だとか好悪だとかでは単純に語れない。そういうケースが多くある』
センセイが以前に言っていたことだが、俺がその意味を正しく理解する日は、もう少し先になりそうだ。
誰がタバコを吸ってる?
俺たちが吸ってる
それはタバコだよな?
俺たちは愛煙家
誰がタバコを吸ってる?
俺たちがタバコ吸ってる
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
タバコ 誰が好き?
タバコ 俺が好き
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
センセイとタケモトさんは嫌な予感を察したのか、おもむろにタバコを吸うのをやめた。
「ん……タバコ……?」
だが市長は目ざとかった。
「喫煙席というか、そもそもウチはそういう区分けはしていないので」
「なんですって!? タバコを吸わない人間のことを考えないのですか」
何となくそんな気はしたが、間違いない。
マスターはしぶしぶといった具合に返答するものの、市長は止まらない。
「タバコというものは百害あって一利なしなんです。そしてこの害は他人にもおよぼす。やるならマナーを守ってください」
「巷にどれだけ他人に害を及ぼすものがあると思ってんだ。タバコだけ駄目な理由がねえだろ。ましてやオレたちは喫煙OKの店で吸っている。正当な権利を行使しているだけ」
「その通り。そういった話は実際にマナーの悪い人間に言うことであって、我々に言うことでも、この場で言うことでもない。むしろあなたのほうが、私たちの権利を奪おうとしている点で不当とすら言えますよ」
「あと、『百害あって一利なし』ってのも古い言葉ですね。いくつかの効能があることも判明していますし」
「市長さん。どんな理由があれ、ウチは喫煙OKにしているという前提を忘れないでください。その上であなたには我慢するか、別の店に行くかという選択肢がある。そのどちらも嫌だから私たちにタバコを吸うなというのなら、それは傲慢ですよ」
だが市長の分が悪い。
とりあえずみたいなノリで難癖をつけたものだから理屈が通っていない。
分かりやすい大義名分が効かず、ただ主張を押し通すだけの機械になってしまっている。
逆にマスターたち喫煙家側はこういったことを言われ慣れているのか、理論武装が既にできているようだった。
さすがに形勢が不利だと感じたのか、市長はふと目に入った俺を槍玉にあげた。
「ほら、あそこにいる若者。タバコを吸わない彼に、煙を一方的に吸わせて良いのですか!」
うわあ、もう勘弁してくれ。
俺もタバコは好きじゃないが、だからといってアンタみたいに強い思想は持ち合わせていないんだ。
いくら理屈が通らないからって、俺を自分の主張の担保にしないでくれよ。
「いや、あの……別に俺は気にしていないですし。だからこうして店に居座っているんで」
「まあ、キツいタバコの副流煙を近距離でガンガン吸ったらなるかもですが、一応は離れた場所で換気もしていますし。個人差こそあれどそれが原因でなるって、よっぽどのことがないと……」
「学校で」
「ひぃ~! 情操教育の敗北!」
市長は意味不明なことを言いながら、逃げるように店から出て行ってしまった。
嵐が去って、マスターさんたちは安堵の溜め息を吐いた。
「いやあ、逆に今の時代だからだろ。義務教育の段階でタバコが体に悪いってことをしつこい位に学ばせるからな。今はそいつらが親に、下手したら老獪になっている世代なわけで、そりゃあ喫煙家にマトモな市民権を与えようって声は出ねえよ。逆はたくさんあっても」
「仕方ないですよ。彼らがタバコを嫌うのには相応の理由がある」
「そうは言っても風当たりが強すぎんよ。過剰に悪いところばかりあげつらって。喫煙家の中でも一部の悪い奴をサンプルに理論を展開しやがる」
「オタクの中からソシオパス探し出して、オタクを社会不適合者の集まりみたいに語る、みたいな?」
「マスダ、その例えは分かりにくい」
マスターたちは気持ちを切り替えて雑談に興じていたが、俺は別のことが気になっていた。
俺がそう告げるとマスターたちが固まる。
「ああ、もう気づかないフリしていたのにさ……」
そう、市長はこれまでも破天荒な政策を幾度となく実地してきた。
そしてその不安は数日後、見事に的中した。
当方すでに人生の半分くらいを米国で暮らしてるおっさん増田です。
なぜこのような前置きをするかというと、この国のオリンピックへの冷遇ぶりはかなり特出してて、俺がこれから書く話もそういったバイアスがあるよってのを念頭に置いてほしいからです。なにせこの国じゃ自国のスポーツイベント(スーパーボール、ワールドシリーズ、NBAファイナルなどなど)が至高で、他国の国際大会とか知らねって考えだし、オリンピックに至っては「午前中や深夜の放送じゃ視聴率とれない」という理由で地上波では生放送なし&夜のゴールデンタイムに録画済みの編集版を放送ってのがデフォの国なんで。
最近もやもやしてるのはね、ここ数年ほど親戚やら大学時代の友人やら仕事先で知り合った人とか日本から様々なゲストが来て話す機会があったんですけどね、特に東京圏の人ってのもあるんでしょうが、みんな口々に「2020年の東京オリンピック」の話題を持ち出すんですよ。なんか初めて参加した飲み会で話題に困ってとりあえず血液型を聞くくらいのノリで。やれ国立競技場を作り直すとか、インフラ作り直すとか、警官やタクシーの運転手がみんな英語の勉強で大変とか。
もちろん話を聞いている場では俺やほかのアメ人も黙って会話にのっているんですが、みんななんで日本でオリンピックがあんな前段階からお祭り騒ぎになってるのかぴんとこないんですよ。だって長くてもたった2,3か月のイベントじゃない?とりあえず他のアメ人に「hey Masuda、東京オリンピックって何がそんなにすごいんだ?」って聞かれても「日本では国際大会が人気で、特にオリンピックはスーパーボールとNBAファイナルが合体したくらい人気あるよ」っていうと「へーーー」って反応くるんですが、後々その東京オリンピック関連で5兆円以上つぎ込んでるって聞くとみんな絶句するんですよね。いや俺も毎回絶句してるんだけどね。
スポーツ施設に巨額投資が動くってのは理解できるんですよ。実はロサンゼルスに数十年ぶりにアメフトチームが戻ってくる!(札束で他の都市のチームを引っこ抜いた)ってことでそのチームの本拠地周辺では最新スタジアム建設やら、駐車場やインフラの新設、近隣のショッピングモールや住宅地の再開発とかで巨額の金が動いているんですが、でもこっちはこれから数十年にわたって活躍してくれるからちゃんと元取れるじゃないですか。でもオリンピックってたかが数か月でしょ?オリンピックやったからって劇的に観光客が増えた国なんて聞いたことないし。
んで東京オリンピックについてはよーわからんところでは大金が動いてるみたいですが、肝心のバリアフリーとかが全然進んでない。実は俺の妻と2歳児&5歳児の4人家族で昨年末に東京観光してきたんですけどね、さすがに大江戸線みたいなローカル線には期待してなかったけど、山手線まわりだったらもうバリアフリー整ってるかなーと淡い期待でいったんですがところがどっこい!山手線まわりでもエレベーターがどこにあるかわからん&大量にある階段にエスカレーターも皆無で毎回動き回る子供連れて&ベビーカー抱えて移動だけで死ぬかと思った。。。なんだよオリンピックにむけてバリアフリーにするんじゃなかったのかよ??(ひょっとして今年か来年中に大型改装する予定でもあるの?)多分エレベーターとか探せばあったんだろうけど10年ぶりくらいに来たから駅もデカすぎて探せねーよ。
あと相変わらずuberやlyftも使えない。これ日本から来た人に愚痴っても「東京はタクシーすぐ捕まるから」とか「白タクとか不安」とか言われたんだけど、世界のどの都市いっても携帯一つでタクシー呼べて料金支払いも携帯アプリで済ませられるuberになれると、子供つれてタクシー止まりそうな駐留エリア探すだけでも苦痛なんだわ。おまけに日本語話せない連中とかだと運転手の片言英語ききながら目的地説明せにゃならんのでしょ。ありゃメンドイ。日本の人って政府とか大企業にはしきりに「規制緩和」とか訴えるくせに、民タクや民泊みたいに自分らの生活に直結する自由化には「安全・安心」を盾に頑なに反対するよね。うーん、そのメンタリティだから行政の規制緩和も進まないんじゃん?だって現場にいる人からしたら民タクや民泊の自由化と一緒じゃん。
俺が一番もやもやしてる点ってさ、おそらく日本の多くの人も「東京オリンピックフィーバー」の茶番感やら虚無感になんとなく気づいてるんだけど、いまさらそんなこと言っても水を差すだけって批判されるから馬鹿馬鹿しいと思いながらも一緒に祭りにのってる感がありありと伝わってくるんだよね。政治家なんて「東京オリンピックがありますから」とか意味不明な理屈でたった数か月のイベント用に重要法案をバンバン通してるしさ。
なんか普段なら反対者がでて通らない法案とか巨大予算のビックプロジェクトをみんな「東京オリンピックがありますからそれまでに終えましょう」という虚無感たっぷりな大義名分つかってガンガン押し切ってるんだよね。茶番だってわかっている連中も、これがあるから一緒にのってるんだろうね。
思い返せば日本人って白虎隊やら戊辰戦争やら神風特攻隊やら、ずっと続く強者よりも一瞬だけ輝いて散っていく敗者に共感する気質があるから、東京オリンピックもその一瞬の花火を楽しむためにみんな盛り上がってるのかな?って最近思うようになってきた。でも一瞬の花火にしては使う額がすごすぎるよね。
この東京オリンピックがあまりに巨額イベントに膨らんじゃったから次回のオリンピック会場に立候補する都市が激減して、24年と28年なんてかろうじて挙手したロサンゼルスとパリに速攻で決まった流れとかアホすぎる。東京なんて裏金さんざんばらまいてようやく獲得したのに。。。
追記
冒頭でさんざん「俺の書き込みは在米歴ながくてかなりバイアスかかってるからねー」って念を押しておいたのにそこ無視して「おまえが言うな」的なレスがあってはてな村は相変わらずやなぁと微笑ましかったぜ!
それは自覚してるw ただとりあえず思いつくおもてなしトーク(てかもてなしてるのはこっちのほうなんだがw)が全員五輪ネタだったから、やっぱファン&アンチともに日本ではでかいイベントなんだなぁって。
正論だけどあの辺の都市は上の政治家から下の底辺までオリンピック誘致しようなんて思ってないからべつにいいんじゃね?笑 おれも子供小さいうちにニューヨーク観光なんてする気おきないもの。子供がいくとこじゃないっしょ。
商業主義に走った初期はちゃんと黒字だったから国際的スポーツ興行として割り切っても合格でしょ。問題は近年は国のメンツ(笑)やら巨額の費用負担で予算だけが右肩上がりで大赤字確定のクソイベントじゃん。だから24年と28年の開催地候補もローマやブダペストとか大半の都市が「金かかりすぎるからやめるわ」って次々辞退して、最後に残ったロサンゼルスとパリに自動決定したっていうお寒い状況じゃないっすか。
違うよ。スポーツ興行としてちゃんと黒字でペイできたら合格。オリンピックは次世代に借金だけ残すクソイベントだから茶番。
いやーおれも勢いに任せてキーボードを滑らせたら我ながらそのオチに苦笑したけど、でもさすがに米国の一都市で行われる大会のためにわけわからん連邦法をどさくさ紛れに通すなんてことはないでしょ。。。(あ、でも今の大統領はそれ以前の問題が!
https://anond.hatelabo.jp/20180104002158
これの続き↑
①のレビューをすると、自分より能力の低い者が他人に手伝われて自分よりも評価されることを知った話である。
妹はとにかく中高時代も先生方から目をかけてもらえる子であった。
妹は科学系でチームで研究をしていた。その研究は担当されていた先生の尽力もあってか、ちょっと有名になった。どれくらいかというと、地方局や地方紙がとりあげるくらい。
その時は、あーすげーなーとそれくらいしか思っていなかった。問題はあるときある人に言われた言葉。君の発音で、スピーチ大会に出たことがないとか嘘でしょ?と。自慢ではないが、私は英語教師がほめるくらいには発音が良かった。その時、あー私も英語の先生がそういうの進めて出てれば妹みたいにスポットライト当たったのかな、と思ってしまった。(今考えれば出たところでスポットライトあたるとは限らないのである)
ともかくみんなから妹のようにちやほやされて家族にも親戚にも褒められたかったのである。実績を残して。前述したようにつけあがるという理由で褒められないから。テストで一桁の順位とっても褒められないから。
これは妹とは関係のないエピソードであるが、私は評価されない星の下に生まれてしまったのだなと思うことが一つある。
妹が研究で注目されて少しの頃、私は全国の標語的なものに選ばれた。狙っていたわけでもなかったのでこれは寝耳に水であった。私の高校は、標語であろうとなんであろうと全国レベルであれば名前入りで横断幕が作られる。そりゃあみんなから褒められたいと思っていた私は浮かれた。だが、結局、同時期にとある部活のインハイ優勝と先輩の数学オリンピック出場で、垂幕をつけるスペースがないと、私の垂幕は作られなかったのである。悲しかな。
そんなこんなで18年、自分みたいに頑張らなくても評価される人間や、自分よりできない人間が他人の力を借りて自分のはるか上を行くことを目の当たりにしてきたのである。しかも、あなたは一人でできるよね、の大義名分のもと、誰にも助けてもらえないのである。つらいな。
そんな私は大学受験のときに周りからのあんたは普通にやってれば合格間違いなしというプレッシャーが嫌になって逃げ、受験失敗したのである。
お前はいつも踏ん張らなきゃいけないところで踏ん張れない。頑張ることが恥とでも思っているのか。
である。
どの口がそんなこと言えたのであろう。
まぁそんなこんなあったが、とにかく大学四年間は、このコンプレックスのことなんか忘れ去って過ごしていたのである。
(字数制限が怖いので続く)
大手メディアは本イベントの批判を「木がかわいそう」などとまとめていますが、実際は「震災の鎮魂と復興と再生のテーマにふさわしいイベントなのか」「実行までの不透明な過程」「主催者の二転三転する説明への不信」などが焦点になっています。
会期も終わり、クリスマスツリーとされた大木は、植樹と言われながら根付くことなく伐採されました。
自分の心を整理するため、主催者に被災者の鎮魂、復興と再生を謳ったイベントの主催としての誠意が全くみられなかった、という点について書きたいと思います。(他の面については他の方が証拠を揃えて書かれていますので、書きませんが、重大な問題だと思っています)
◆◆◆
神戸の街と人々は、22年前に地震という自然の力に否応無しに痛めつけられました。大切な物を喪い、傷つき、絶望した記憶は、街が復興を遂げたとしても癒えるとは限りません。中には望まずして愛する街を去らねばならなかった人もいました。
そのような人々に対して、健やかに山で生きていた大木を功名心とも思える動機で切り出して、にぎやかなイベントのアトラクションとして据えることが、鎮魂の象徴にふさわしいなどと、どうして思えたのでしょう。本来であれば、主催が説明をすべきことですが、彼らはいくら真摯な意見を受けても、説明する責任を果たしませんでした。主催の西畠清順氏は、会期中5回以上のトークイベントを設定しながら、このテーマについて語った言葉は数えるほどしかありません。関係者は説明から逃げ「嫌なら見なくていい」と放言したり、中傷されたと被害者ぶったり、わざわざ直接ではない言い方で「くだらない」「厄介な傷つきやすさのアピール」と侮辱をしたのです。
私には、否応無く採取と輸送で痛めつけられ半死半生で潮風にさらされる木が、150年以上にわたって自らを育んだ地から強制的に引き剥がされた木が、被災した神戸の人々に重なってなりませんでした。震災を経験した方の中にも、そのように感じ、つらい記憶が生々しく蘇って苦しんだ方がいらっしゃいました。それは、西畠氏が仕掛けた「この木への感情移入」に少なからず原因があったと思います。
また、何より許し難かったことは、被災地の子供たちに願いを書いてもらったオーナメントが無残に風にちぎれ飛ばされていたことでした。主催にとって、「鎮魂と復興と再生」というのが単なる都合の良い大義名分以上のものではないということを如実に示していました。
私は、悲愴な記憶を「もう○年前のことだから」「自分には権利があるから」と、踏みにじってもよいもの、利用してもよいもの、軽んじてもよいもの、として扱う鎮魂ビジネスを断固として拒絶します。
そしてその姿勢を是とした西畠清順、糸井重里、そら植物園、フェリシモ、神戸市等への不信感を決して忘れません。
いつか、東北や熊本で同じようなことを企む輩が出るかもしれません。震災に限らず、聞こえのよい大義名分のもとに、メディアに守られたならず者が土足で人々の思いを踏みにじることがあるかもしれない。
その時には亡くなった者、傷ついた者の尊厳を守るために断固として戦わなければならないと思いました。
参考)
有川浩さんのブログ https://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12336781681.html
いいなさんのブログ(本企画の時系列) http://iina-kobe.com/entry88/
客観的に見ていると最近話題になっていることの本質はセクハラとかパワハラではないように感じる。ネット民は「お前のしていることもセクハラじゃないか、お前も同類だ」みたいな主張をしているけれど、メディア側はその声に正面から回答していない。そもそもメディア側はハラスメントを告発することではなくて、あくまでもメディアとして社会問題に一石を投じ、存在感を示そうとしているだけに過ぎないのではないか。告発側のメディアはネットを中心に勢力を拡大している新興メディア。加害側は過労死問題の電通やレイプ疑惑の元TBS記者など、旧メディア。新勢力が旧勢力を叩き潰すために、このチャンスに乗っているようにしか見えない。旧勢力を大義名分でもって叩ける一大チャンスなので絶対に勝ちを取りたい。なので何としても正義のポーズを崩すことはできない。ましてや担ぎ上げたタレントがサイコパスだったと認めるなんてことはできない。それこそ、メディアの信用を失ってしまいチャンスは二度とやってこない。現在話題の社会問題だけに、便乗するメディアや一般人告発者、情報鵜呑みにする人達を取り込んでいる。正義漢だと思われたよっぴー氏さえ、もにょもにょした態度なのはセクハラ告発が問題ではないからだ。もっと大きな波、大きな問題というのはメディアの覇権をネット勢力で勝ち取るという大勝負だからだ。本当に真摯にセクハラ問題を扱うなら童貞ヤリマン発言がアウトなのは一目瞭然だ。はあちゅう氏の父親が娘の友達に「お前はヤリマン顔だな」と言ったらどうだろう。はあちゅう氏とよっぴー氏たちはそこまで許容するのだろうか。と、こんな事を言ってもしょうがない。今彼らはセクハラパワハラ問題で戦っているのではない。メディアの下克上の真っ只中で戦っているのだから、童貞ヤリマンごときで大騒ぎする連中が心の底からくだらなく見えているのではないかと思う。(38歳/独身/好きなプレーはニューハーフとするマザコンプレイです)
この一言につきるでしょ。
誰だって別に告発自体は支持してるのに、それを「告発しにくい社会にする」みたいな180度は言い過ぎにしても130度ぐらいは明後日の方向に理論を展開して「はあちゅうは嫌いだけど支持」する層を一斉アンチ認定して実際にアンチにして延焼させてんのがアホでしょ。
別に、童貞いじりしていい。それについてヘイポー謝罪文を書かなくていい。そんなんやったってアンチはアンチ活動するし。
だからといってアンチを増やしていくスタイルを続けていけばただのアホだよ。アンチは人気の証っていうけど、人気があるからアンチができるだけで、アンチが多いから人気がでるわけじゃない。アンチと人気は表裏じゃなくて、人気に付随するのがアンチなんだよ。
んで、大概の奴が「アンチは頭おかしい」「こっちに言うぐらいならアンチに言えよ」って言ってくるんだけど、不特定多数のアンチより、一個人のはあちゅうのほうが話しやすいから、全部自分に降り掛かってくるのはしゃーねーだろ。
そうやって、アンチを増やすスタイルを貫き通しているから「本を売るためのマーケティング」とか言われんだよ。
大義名分を掲げて社会問題と戦うのなら、身の振り方ぐらい考えてやれ、アホが。
おまえらのせいで日本では#meetoは終了です。死語です。そして死語化して本当に救いを求めて#meetoをする女性をキチガイが叩いて泥沼地獄です。本当にありがとうございます。
それに頼るだけでは、戦いに幅がなくなると考えていた。
俺が新たなるステップに移行するためには、別の何かが必要だと思っていた。
そんなとき、俺は道中の村で運良く曰くつきの武具を見つける。
なぜ見つけたかは説明しにくいが、「武具が俺に使えと囁いた」としか表現しようがない。
或いは、このイベントも神とやらの予定表に書かれていたものだったのかもしれない。
何はともあれ、俺は『とにかくすごいってことだけは伝わる設定の武具』を手に入れた。
今でもお世話になっている装備だな。
エンチャントとかが絶妙な配合バランスになっていて、上手く扱えば一方的なバトル展開が予想される。
その上手い扱い方は、俺の生まれ持った才能と現世で培われた教養を持ってすればヒラメく。
これで鬼に金棒。
ここでいう『鬼』とは俺のことで、『金棒』はこの武具のことだ。
俺だけにしか価値が分からない特別な代物だが、イミテーションなら君たちの世界でも最寄のトイ・アザースでそれぞれ売っているぜ。
この日はこれだけでも印象深いが、他にも色んなことがあった。
後に仲間となる、エルフ族のウロナと邂逅。
実質ライバル的な存在となる因縁の相手であり、四天王の一人でもあるイノウの登場。
イノウ「ガン・バルカンは子供の玩具じゃない。大人ですら安易に使えない先進的な業物だということを忘れるな。それを気軽に使える俺は、つまりヤバい奴であるということだ」
その他にも第1話で俺が生活していた町が焼き討ちにあったり、リ・イチの国が魔族との戦争の香りを漂わせたり、あとウロナの村も焼き討ちにあったり、てんやわんや。
俺のジャストコーズによって何とか被害を最小限に食い止めることができたものの、四天王に対する言い表せない嫌悪感は日々増すばかりの第3話だった。
第4話では、仲間の一人であるイセカが登場する。
四天王の一人によって故郷が焼き討ちにあった、悲しい過去を持つ男だ。
イセカ「我が持つチョウナ・ブーメランは両親の形見。そして、奴らを倒す大義名分だ!」
この時に、今のパーティが完成したのだが、お世辞にも良い関係ではなかった。
その時点での俺たちは、利害が一致しているに過ぎなかったからだ。
彼らは頼りになる実力者だが、頼りにしなければいけないほど俺は切羽詰っていなかった。
むしろ、俺が頼りにされることのほうが多かった気もする。
正直なところ、仲間がいなくても俺なら何とかなっていただろう。
だからこそ有事の際には信頼ができたし、絆を深めることだけに注力できた。
5話では俺がリ・イチを助けて信頼を得て。
6話では俺がイセカを助けて信頼を得た。
こうして徐々にではあるが、俺たちのパーティは本当の意味で完成に近づいていったのだ。
「男らしくあれ」という規範によって抑圧され、傷つけられてきた男性主体には、少なからずオタクと呼ばれる人々がいる。そして「男らしさ」からの脱却において、フェミニズムは男性の味方でもあったはず。なので昨今の「オタクvs.フェミニズム」という構図には「どうしてこうなった」感が強い。— 伊藤 剛 (@GoITO) 2017年11月22日
いい年こいて見当外れの愚痴をこぼす伊藤剛のように、ネットにはさも「現実の○○に迫害された被害者だからオタクになりました」と言わんばかりの自己憐憫が溢れている。
もっと言えば「こんな可哀想な僕だからこれぐらい許されるよね?」と手前勝手な大義名分を振りかざした、見るに堪えない女叩きやネトウヨ的差別行為や淫夢厨の嫌がらせ行為等が蔓延っている。
更にもっと言えば上記オタクのミソジニー等の悪行を批判した人達にはオタクも少なからず含まれるが、「オタク=無辜の被害者で良い子ちゃん」でいたい男オタク達は彼の人たちに「フェミニスト」のレッテルを貼り、自分達オタクのカテゴリから引き剥がして被害者ぶりながら袋叩きにしてしまう。
フェミニスト 「男オタは日陰でコソコソしてればいいものを、やりたい放題するからカウンターで殴られるんだよ!」 - Togetter
何もかもがおかしいだろ。
オタクがオタクになったのは、ただただ単純にその作品にハマった以上の理由は無かったはずで、男らしさからの抑圧ガーとか傷つけられたー等は根本的に無関係だ。
その人が社会不適合のダメ男性である事とオタクである事は無関係だと、オタクの先人達はあれだけ声を大にして訴えてきたのに、今やどいつもこいつもオタクという属性にダメな男性性の受け入れ場所を投影する被害者ヅラ馬鹿ばかりじゃないか。
オタク評論家「オタクは男らしさの規範に傷ついてるのに何故フェミニズムは味方してくれないの?」→男オタクが女性蔑視で男らしさアピールするからだろ! : オレ的ゲーム速報@刃
こちらのまとめは@_98961427作成のものと違ってまともだが、「フェミニスト」として晒されたユーザーは元々「オタク=男と断じる男の思い上がりそのもの」「pixivで起きた男オタクによる腐女子への嫌がらせ」「女全体を見下すばかりか同属のはずの女オタクすら加害する男オタクのミソジニー」を批判しているのだ。
どれも事実であるし、これよりもっと酷い悪行は枚挙に暇がない。
「ホモソーシャル底辺の可哀想な被害者」を気取るオタク男達が泣きながらしてきたことがこれなのだから、フェミニズムが(と言うよりまともな人間が)彼らの味方なんかするはずないのに、いつからこんなことも解らない程オタクは被害者意識に支配されてしまったんだ。
とにかくオタクを名乗るなら、オタク属性を己のダメさの言い訳にするな。被害者意識でつるんで人様に加害すんな。ネット弁慶で暴れる馬鹿共を共感的にスルーするな。オタクなら○○に傷つけられたと晒して叩くより前にそういうクズオタク共を本気で止めろ。
撤去させる大義名分として、「子供や家族連れへの配慮から」という建前らしい。まあ、推進派(特に女)の本音としては「男に性欲は存在しないものだ、という価値観の社会にしてやりたい」と言うものなんだろうけど。私が気になったのは、子供と家族連れを理由にすれば、自分の嫌いなものを撤去させる正当性を持たせることができる、前例を作ってしまったことだね。これだと、他にも色々な事に応用ができる。
1.タバコ:子供が吸いたいと思うかもしれないから、店内から撤去しろ。
2.競馬新聞:子供が将来ギャンブル依存症になるかもしれないから、撤去しろ。
3.女性雑誌:美人を過度に賛美する女性雑誌は、当然撤去しろ。
他にもあるかな?
小学校ではないけれど、発達障害の学生の対応をしないといけない立場にあった。日々どう対応したらよいか同僚と悩んでいた。結構なストレスだった。
なので、増田さんのお子さんのクラスの先生もかなり悩んでいてストレスを抱えていると思う。発達障害の学生の対応は本当に大変だし、親が怒鳴り込んでくるタイプだとさらに大変になる。
親が「いつもうちの子がいろいろやってすみません」という対応をする場合もあるので、その場合はかろうじて我慢できるし、その生徒への対応も「ただ甘やかすだけ」にはならなくなる。ただ、親が怒鳴り込んでくるタイプとか、親も発達障害があるようなタイプだと話が通じないので、腫れ物に触るような対応をするしかなくなる。何か自分に不都合があれば「障碍者差別だ」と騒ぐタイプであれば、やくざの相手をしているのとあまり変わらない。
なので、先生に増田さんのクラスの親、子供何人かで協力して状況を説明しに行って、先生を味方につけたらよいのではないかと思う。発達障害の学生とそうでない学生が両方いる場合、発達障害の学生のほうがどうしても手がかかり、他の学生がなおざりになることがある。他の学生からクレームが来れば、先生はほかの学生のほうに行く大義名分ができる(実際そういうことがあった)。それで人手が足りないということになれば、何かしらの形で人員を増やすとかできる場合もある。私がいたところではカウンセラーに対応をお願いするとか、人員を増やすとか、発達障害の人への対応の仕方を専門家から勉強するとかやっていた。あとは、こういう対応をすると問題が大きくなる、こうするとうまくいく、というのを同僚と共有していた。完全に問題が解決されることはなかったけれど、少し状況がましになることもあった。
子供は「発達障害を持つ人というのが世の中に一定数いる」ということを理解することと、そういうタイプの人達とどうやって対応していけばいいかを学ぶことができる。世の中には発達障害の人に接したことがなく、「育て方が悪い」「我慢が足りない」で障害を片付けようとする人たちがいる。こういう人たちは「発達障害まで障害に入れてしまったら世の中すべての人が障碍者になってしまう、だからもっと厳しく接すべきだ」と平気で言う。実際に発達障害の人と接した経験があればこういう発言は出ない。あと、発達障害の人に接したことがないと、「実は天才なのだから自由にさせればいいのだ」とひたすらポジティブにとらえ、実際に回りにいる人の大変さを理解できないということも生じうる。個性だから寛容に接せよと言えるレベルであればそもそも障害とは言わない。日常生活にたくさんに支障が出ているレベルなのだ。増田さんのお子さんのクラスメイトはこういう想像力のかけた人間にはならない。ただ、日々ストレスを抱えた結果として「発達障害の人と対応するのはとても難しい、正直避けたい」となってしまう可能性もある。でもそれが現実だと思う。
そういう男が多すぎるから、恋愛において男女は元々不平等だ、という意見が出てくる。
男から女に告白するのが普通であり、女から男に告白したりするのは自然の摂理に反しているらしい。
もしそうなのであれば、「容貌の美しい男」という属性を持ち、これまで多くの女から告白されてきた私の立場は一体どうなるんだ。
私の存在そのものが、自然の摂理に反しているとでも言い出すのか、バカヤロー。
「男社会」の価値観を維持するためには、女には性欲が無い方が都合がいい。
男が一方的に女(美人)を求め、女以外(ブス)を社会から排除する大義名分になる。
男性の草食化が進み、男が女に対して経済力や甲斐性を求めるようになった。そして今現在は、女性の社会進出施策がこれから更に加速されつつある状況だ。つまり、男性の草食化と女性の負担増加は今後も更に進むということである。男は女を守って当たり前、男は女よりも稼いでいて当たり前という社会通念は近い未来に消滅することであろう。
そもそも「男社会」の正体とは、社会全体の半分を占めている男たちに経済力や社会的地位を無理やり与え、下駄を履かせ、社会的弱者である女たちを守る責任を課していた体制だ。その体制が女性の社会進出施策によって無力化されてしまった以上は、男は女を守る大義名分がないし、甲斐性も持つ理由が無い。
今、女子高生や女子大生の間で、「就職する時は総合職と一般職、どちらがいいのか」という論争が起きているらしいが、一体何寝言を言っているのか。そんなものは、総合職一択に決まっているだろう。その理由はただ一つ。一般職で働く女は、男から恋愛対象外、結婚対象外に区分けされるからだ。女子高生や女子大生たちは、自分らと同年代の男たちが女に何を求めているのか、を考えたことがあるのだろうか。総合職として就職し、自分自身が一家の大黒柱になるという覚悟が無さ過ぎる。その意味においては、日本の少子化の責任の大半は女にある。
もちろん男だって高い代償を払っている。女性の社会進出施策によって、社会は大きく変わってきている。一番の変化は、女が男の容姿を品定めすることがタブーでなくなってきているのだ。その結果、容姿の醜い男は非常に生きづらい社会になった。今の中学・高校はすごいらしいね。女子生徒が容姿の悪い男子生徒を平気でいじめているらしい。昔の日本では考えられないよ。まあ、これについては男社会の長い歴史の中で、ブスの人格を否定し続けてきた男たちの自業自得かな…。
こんな話を読んだんですよ。
「弱者とかマイノリティとかが、強者やマジョリティからの圧に対抗するための社会運動をする場合、大義名分やら正義やらを重視しなければならない。
弱者全般を庇護するしあらゆる差別に反対するという姿勢を(可能な限り)貫かなければならない。
なぜなら、そのような正義の旗なしには様々な属性の人々が集うことはできないし、おまけに運動がただ自己陣営の利益を求めた利害闘争だと認めることになるからだ。
弱者が、人を集めることもできずにただの利害闘争を行えば、そんなもの強者に蹴散らされるに決まってる。
だから、苦労が大きいとしても、正義の旗を掲げ続ける必要がある」
みたいなの。
これ、理屈的にはあってる気がするんだけど、どうにも頷けない。
だって、社会から負担を押し付けられるのが嫌で社会運動を始めるのに、その為に「正義をがんばって守る」っていう縛りを弱者側だけが負うのって本末転倒じゃないっすか。