何で頑張らないんだと怒られたことが数回だけある。
これから始まるのは、私が20数年抱えているコンプレックスの話で、楽しくもなんともないし、甘えてるとか批判が来るかもしれぬが、自己承認欲求の塊が喋ることとして、許してほしい。
論理的な構成もクソもない殴り書きであることを承知してほしい。
私は今大学院生である。この時期田舎では人権のない大学院生である。
大学院の話について詳しくはそのうち気が向いたら書きたいと思う。
さて、私には妹がいる。妹は、ザ・下の子で、そりゃあもう家族に可愛がられ育ってきた。彼女は今でこそ社会ではそこそこ高い大学に通っているが、幼い頃は何事もあまりできるほうではなかった。一方私は、運動以外はそれなりにできた。幼稚園でも、先生に色々任されていた。
そんな姉妹の扱われ方が違うのは容易に想像がつくだろう。ここが私のコンプレックスの出発点である。
父は、私に厳しかった。テストで5枚100点を取ろうが、1枚98点があれば、怒られた。75点でも取れば、しばらくテレビを見るのが禁止になる。
妹は、甘やかされていた。75点とったら褒められる。理不尽を感じた私は、母に思い切っていってみた。母は、妹はあなたと違うから。あなたはほめるとつけあがるでしょう、と。父にも言ってみたことがあるが、ほめるとつけあがるからと言われた。(ちなみに、両親にほめられたことは記憶の限りでは高校に合格したときの一回しかない。笑止。)
まぁなんというかテストに関しては理不尽は感じつつも自分も100点とらないで怒られるのは嫌だったのと勉強が好きだったのであまり追求はしなかった。(これにより姉ちゃんは出来て当然という認識が作られる)まぁこのテストの成績の"区別"は高校まで続いていくのだが。
小学校には、秋、絵画や習字の展覧会がある。小学校でうまい人が選ばれて市内の展示会に出され、そこからまた県の展覧会に行くというあれだ。小学生にしてはそこそこ絵と習字のうまかった私は、一年生のときから市内の展覧会に出してもらえていた。この展覧会に関しては小分けエピソードが3つほどある。
まず、小1のときである。初めて賞状というものをもらった私は、るんるんで家に帰り、母に賞状を見せた。すると母は、妹が羨ましがるから、うかれるのはやめなさい。見せびらかさないの。と言った。これは私にとって非常に辛かったようで、今書いていて目が潤んでくる。
次に、小4のときである。この時は、県展に入選した。1年生の出来事で学習していた私は、浮かれることはしなかった。問題は展覧会に行ったときのことである。それはもう両親に作品にケチをつけられた。ここのハネがなんとかだとかバランスがどうだとか。悲しかった。しかもそのとき幼稚園の知り合いの子のことはすごい褒めたのだ、親が。これも10年以上前のことなのに書いてて泣けてきた。幼少期のダメージよくない。
最後は中1のときである。妹が絵で県展に入選した。前年、私の絵も県展に出してもらっていたのだが、落選したのである。自分より絵が下手くそな妹が入選したことがショックだった。聞けば、妹は図工専門の先生に相当つきっきりで見てもらい描いたのだという。自分より能力の低い人間が、他人からの助けを得たことで自分を追い越していく現実を、この時初めて知ったのである。そしてこの現実は、今に至るまで、幾度となく降りかかる。
字数制限こわいのでこの辺で次につなげる。増田を書くのは初めてなのだがここでリンクするやつがいるのかよくわからない、、、
まぁいい。
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