はてなキーワード: バラエティ番組とは
日本で政府や企業を運営しているのはさらにそいつらの親の世代なので、もう一世代回らないとネット不要論は少数派にならないと思われるが。
百歩譲って「ネット不要論者」が少数派になったとして、今のネットは「かつて世間から迫害()されたパソコンオタク」が居た頃のネットと同質かどうかという話が残っている。
愛ちゃんが現役娘。時代に好きな男性のタイプは、「たむらけんじさん」と言っていて、
今となっては単なるマジレスだったことが分かって味わい深いです。
叩かれる理由でもあります。
この真っ直ぐな人柄が、
「(さゆ曰く)女の子のグループだから色々あった」当時のメンバーを誰も一人ぼっちにしなかった優しさだったり、
今回の件のこのなんとも言えない感じだったり、
上手くいっているときはその人の持っているある特性が長所とされるけど
さゆみんの非リア体質が、えりぽんのKYが、まーちゃんの天然が
これから先になにか厄介な問題を引き起こしてしまうこともあるかもしれない。
なにかがきっとつながっているはずですよ。
‐ 2020年12月、トーキョー ‐
より便利により早くより安価に物が動き人が動くことが可能になったものの、
今はすっかり人々の生活に定着したタブレット端末によりAamazonのサイトで
いわば職人道具と化していた)
パートナーとは恵比寿か代官山に食事に行こうかとも提案したが、
お気に入りのイタリアンレストラン「アリエッティア」がなくなったこともあり
家でテレビでも見ながら食事をして過ごそうということになっていた。
24日のクリスマスイブは贔屓にしているコメディアンのバラエティ番組が放送されるので
外に食事をするより家でのんびりするほうが私は気に入っている。
40歳になっても動画サイトで二次元のヒロインとクリスマスを過ごす、
という内容のタグを漁る習慣は抜けないでいる。
クリスマスのシーズンに聴く音楽は大抵iTuneストアで購入する。
ビートルズの【ラスト・クリスマス】、ジョンレノンの【イマジン】
ドリームズカムトゥルーの【WINTER SONG】、山下達郎の【クリスマス・イブ】は
毎年欠かさず聴くようにしている。
今年はそのプレイリストに流行りのアイドルソングか今季で一番お気に入りの
アニメソングを入れようかと思っている。
大学時代からの熱心な趣味(と言って差し支えないだろう)であるアニメ鑑賞は
この歳になっていても続いている。むしろその病的な情熱はより強くなったと言っていい。
1週間地上波の番組を全て録画することができるHDDレコーダ**(ソニー製)には
パートナーが呆れるのも無理はない。
週末はたいてい道場に行くか図書館に行くことを日課にしている。
気が向けば隣町のラーメン屋までドライブに行ったり、都心まで足を伸ばして
外出するのが億劫な場合はネットワークゲーム(すでに7年もやっている)
に興じて一日を過ごすこともある。
本は主に日本文学やミステリー、SF、技術書、ビジネス書、自己啓発書などを中心に
読んでいる。東野圭吾が未だに現役なのには驚きを禁じ得ない。
自分で創作した小説まがいのものをWEBにアップすることもたまにあるが本格的な長編を
完成させたことは一度もない。いつかしっかりとした長編SF小説を買いてみたいがそれは
まだずっと先のことのようだ。その夢が叶うのはあるいは老後かもしれない。
ライブなどもたまにいく。
ロックフェスの数もだいぶ少なくなってきたが
それでもライジングサンフェス、ロックインジャパンフェス、サマーソニック、
フジロック・フェスティバルなどの主要なフェスには根強い音楽ファンが毎年何万人も
参加している。初音ミクなどのVOCALOIDのDJもだいぶ定着してきたようで
アニメ色がより強くなったのは2000年代では考えられないことだ。
相変わらず邦楽ロックが中心にミュージックステーションとかに出演するようなアーティストを
好んで聴いている。ジャズやクラシックにも挑戦したいと思っているが
若いころに比べるとだいぶ腹も出てきたのでなるべく運動はしようと考えている。
年に1度はするようにしている。
なんでも手を出してすぐに飽きる癖はなかなか抜けないようだ。
月に一度は料理をする。
(ちなみにオニオンフライを下品にならない程度に散らすのが美味しさのコツだ)
酒は相変わらずビールを中心に飲んでいるが
バーボン、日本酒、焼酎、ウィスキー、ワインなども好んで飲むようになった。
たまに燻製を作ったりすることもある。
行きつけのバーも随分増えてきた。
新宿のゴールデン街や池袋のショットバー、中野の立ち飲み屋などに
行くのが週末のささやかな楽しみだ。
焼き鳥屋や蕎麦屋で晩酌するのが好きだが家庭的なイタリアンレストランだったり
本格的なソーセージを食べさせてくれるドイツ料理、泡盛が飲める沖縄料理、
銀座では映画を見たり、老舗のスイーツを買いにいったりするのが好きだ。
みんなそれなりに年をとり良くも悪くも変化していった。
インターネットの高速通信網は日本中に貼り巡り(それは私に生物の毛細血管を連想させる)、
かつて”スマホ”と呼ばれるものを肉体に移植するのが普通になったが、
脳の情報をデジタル情報に置き換えて肉体を必要としなくなる時代が到来するのはまだ先のようだ。
人類がテクノロジィに踊らされているという状況はいつの時代も変わることはない。
願わくばテクノロジィが戦争の為でなく人類の平和のために使われることを
ひどく薄いインスタントコーヒーとともに。
普段は大河ドラマや連続テレビ小説しか見ていないような部長の口からt.A.T.u.の発音が飛び出した。
「スニッカーズ発表会でさ、内田裕也が『北方領土返還ヨロシク!』っていったんだよ。
そしたら、t.A.T.u.のおねいさんの一人はさ、『絶対返しません』
僕の信条である「ロック」を部長のどうでもいい世間話に使われてしまった。
そのとき、部長から「ロック」を返してもらいたいがために過剰に反応してしまった。
「そんなこというもんじゃないですよ」
「ロックでいいんじゃね」
「そもそも北方領土は、4島だけでなく、樺太や千島列島まで日本の領土だったのです。宣戦布告もせずにソビエトが終戦のどさくさに攻めてきた。国際法上いんちきですよ。今でも根室の登記役場に行くと国後や択捉での土地の所有者の登記を見ることができます。さらに墓地が島に残っている人もいる。バラエティ番組の笑い話じゃすまない話ではないですか」
「ロックでいいんじゃね」
僕の専売特許の「ロック」は部長に侵略され、占有されてしまった。
部長はそれからしばらくの間、「ロックだねぇ」が口癖になったが、しばらくして飽きてしまったのか「ロック」を口にしなくなった。
それと入れ替えに僕の「ロック」は返還された。
インターネットっていうのはかつてはみんな「検索」から始まるものだった。
なぜかって? Google検索のトップに表示されるのはSEO対策を施したスパムか、あるいはWikipediaだ。
幸か不幸か多くの人間の調べものはWikipediaで片がついてしまう。
スマートフォンを手に取り、Googleに検索キーワードを入力し、そしてWikipediaを見る。
もう何年も前からGoogleはWikipediaの窓口受付にしかなっていない。
それ以外にトップに出るものは機械的に作られたスパムか、金を払って表示される広告だ。
Wikipediaかスパムか広告。何たる味気ない景色だろう。かつて先生と崇められたサービスの末路だ。
ウィンクルボス兄弟はボートのオールでザッカーバーグを殴り殺すべきだった。
何でわざわざインターネットを使って会社の上司と繋がらなきゃいけない?
何で毎日顔を合わせなきゃいけない人間の視線を、インターネットでまで気にしなきゃいけないんだ?
教えてくれ、マーク・ザッカーバーグ。答え次第ではお前をこの手で射殺する。
きみの開発したプロダクトはインターネットに前時代的な風景に引き戻した。
Facebookはタイムマシンだった。はるか過去に時計の針を引き戻す悪魔の器具だったんだ。
きみのせいでインターネットはご近所付き合いの場所になってしまった。
常に知り合いに監視される場となってしまった。まなざしの地獄。きみは罪深い。
もうかつての自由は失われた。返してくれ、ザッカーバーグ! インターネットの自由を!
インターネットが発展し、整備されることで、同時に人を殺す技術も磨かれていった。
今、実名あるいはハンドルネームで何か書き込むことは、全裸で大気圏に突入するのと変わりない行為だ。
ライフログに蓄積された情報は、すぐさま彼の個人情報を特定してしまう。
少しでも他人に迷惑をかけたんじゃないかと邪推できる投稿があれば、彼を消すことは容易い。
そして、誰かが一人でも地雷を踏むと、連鎖的に周囲が延焼を起こしてしまう。
ターゲットと何度も口を利いたというだけで、殺害対象になってしまうのだ。
今やインターネットでは誰かと仲良くしているだけで、それはリスクとなる。
友人の数が増やすことは多くの時限爆弾を抱えるのと変わりない。そして、その交遊録は一生残る。
かつては何かをやらかしても、それは恥をかくだけだった。けれど、今は違う。
退学、逮捕、恒久的な記録による果てしない欝病。去っていく友人。見捨てる親類。
いつだってそのリスクがインタネットユーザーを待ち構えている。
違う。いつでもどこでもカジュアルゲームをプレイするだけのゾンビを大量生産している。
彼らは知性から強制的にロックアウトされ、やがてかつての状況を再現するだろう。
いずれはテレビ局がその殺人的なノウハウで動画サイトを一掃する。
人々は80年代のように誰も本を読まないし、文字も書かず、ゲームをするかバラエティ番組を見るかになる。
「インターネットだって? 今さらデスクトップパソコンを触っているようなオタクのやるものだろ?」
世界は再び夜を迎える。反知性主義が逆襲を開始し、人々を殲滅するだろう。
その兆候は何年も前から萌芽していた。きみたちはいつから画像のないウェブサイトを見なくなった?
ひとつのアカウント(名前)を保有し、ライフログを蓄積することは命取りになる。
今、アメリカでは「スナップチャット」という写真共有アプリが流行っている。
このアプリが画期的なところは、相手が開いた数秒後にサーバー上から消え失せるところだ。
世界はそっちの方を選択したってわけだ。何もかもなくなる。バーン・アフター・リーディング。
日本という国で「2ちゃんねる」がいつまでも機能しているのは、その特性が理想的だからだ。
何も気にせず自由に書き込め、そしてそれは1000レスが溜まれば勝手に消え失せる。
かつてのインターネットはすべてこうだった。だからこそ自由だったのだ。
しかし、進化しすぎたインターネットは、自由を失った。そして近い将来、そのすべてを失うだろう。
タイトルの部分について監督が映画をつくっているわけではないというのは大阪城を立てたのは大工さんというクイズみたいな理屈です。
本文は「つくっているものは映画またはそういうジャンルのものではない」というものだと理解しています。
監督というものが何をしているかというと、見て楽しんだりダメだししたりする仕事です。ポケットマネーで作っているわけでなければ「作った」のが誰かという所在には諸説でてくるものです。
美術、撮影、演技、その他各監督が監督が何をしたいか伝え聞いてそれを纏めて現場に指示して成果を監督に献上してご意見を伺いOKであれば作品として追加されるという流れです。
つまり監督のお気に入りをつくるために多額の資金と大勢のスタッフが動いて一品つくります。
他の商品も「芸人○○完全プロデュース弁当」とかコンビににあったり化粧品やその他アイコンになる芸能人を掲げたものがあるでしょう。
つくったのは製作スタッフです。資金提供したのは大企業です。商品を「作った」ということに関しては掲げた看板芸能人のものになります。
まったく同じ内容の商品で他の人間やタイトルであれば売れないかもしれないという点を補って一つの製品化をしています。
企業の形も同じです。社長がなにをしているかといえば自分のしたいことを人に指示して結果に満足したりダメだししたりするだけです。
その社長のお気に入りを作るためにお付きの人がその下に指示を出しています。
松本氏が動画を取って映画界で評価を受けたという構図について「この著名人が笑った」というタイトルを冠する動画を「撮りたい」と願ったスタッフが集まりその案に資金提供し企業アピールもできるのではないかという会社が後押しし「完全プロデュース」みたいなタイトルのかわりに「監督作品」となっているだけです。
動画が長編でスポンサー形態や発表場所を「映画と同じ陳列にしよう」という結果映画とジャンル分けされているまでで、そこに流入してきた対象に映画界が評価を下し始めるのは自然な流れでしょう。
「映画としては異例のユーチューブ配信」とかになれば単なる長編動画俗称「映画」になっていたかもしれませんしそれでも映画界は評価をしてくるかもしれません。
各種媒体もその完成した製品を取り扱って部数や売上を伸ばしたいと考え陳列するでしょう。
松本氏の感性はすぐれているしかしそれは映画むきではない、という話だと思いますが「なんで松本おまえ映画なんてとるんだよ」という質問では「そりゃみんなが撮りたいって言ってきてくれるから」という回答に帰することになるんじゃないかと思います。
映画という結果についてであれば「なんであの人の脳のなかを映像化しようとかおもったの。それ撮り方とか発表や媒体の選び方が別にあるでしょう?」と製作スタッフ一同もしくはスタッフ内の有力者について苦言を呈すべきものじゃないでしょうか。
酢豚にパイナップルいれてパイナップル本人に「なぜ入ってきたの」と問い詰める図はおもしろいですが、酢豚について考えるならそれをつくった料理人に問うのが筋でしょう。
松本氏が映画を撮るという松本氏としての人生の一部でおきるイベントについて問うなら本人にでしょうけれども、作品ひとつについてどうしてこうなったと問うのは「松本氏がこれなら満足するんじゃないか」と思案して提示してきた内容を「実際につくった担当」でしょう。
料理人、つまりスタッフが「酢豚にパイナップルを入れるのは料理界では定説だ」としていたとしても監督、役割としては店主的な人間が「それはなしだ」または今回だけは、その客には等と指示をだして「酢豚にパイナップルをいれないという作品」を作ることも、料理人が店主と交渉して「かならず入れる」という結果、最終的に映画や料理といった結果が世に出ることになるでしょう。
「これ、おもしろいんじゃない?」といってくる松本氏に「それいいっすね、絵にしましょう」というスタッフと「松本さんこれどうっすか」と提示してくるスタッフのじゃれあいの結果が収録された長編ビデオが、映画界でいまいちだったということでしょう。
パイナップルの入った経緯がいろいろあって、それを商店街で出したとき酷評だったとかそういう話です。銀座の一等地ならヒットしたかもしれないとかそういうことはあるでしょう。
社長や監督は赤子でも中学生でもできます。それを中心に「その人を満足させるため」と動く実働員に実績があり交渉において信頼があり決定について実際に動かせる経験、蓄えられた実力や資金がある人が動くことで計画が前に進みます。
ただ大人もバカじゃないので商品として「その社長が売り出したもの」という冠を使って商品化したときに価値がでるものに就いていきます。話題の中学生社長が雑貨を扱っていたとして、その雑貨の購入者が「これ中学生社長の」ということで商品価値を上げることができるものであれば、その案にのる大人もいるでしょうし、それならおっさんが売っても一緒だろというのであれば資金力を目安に支持する人間を選ぶでしょう。
映画について内容がとか評価がというのは、いじり方を間違えたプロデューサーが「監督役をミスキャストした」という話です。
まとめて、松本氏は自然にしていると面白いのに仲間内で面白くいじろうとすればそれを収録した絵はいまいちだったり、いまいちと大勢から評されることがあるという話じゃないでしょうか。
独裁者1人を倒したとしても、それを支えて構成していた人間の行動力を挫かないと第二代三の指導者がでてくるのと同じでアイコンは挿げ替えできるし、アイコンを挫くことでそれに連なる行動力を低下させることができるようなものでしょう。
同じ絵はおそらく他の誰かでも撮れたかもしれません。ただ今回据えたトップに批判が集中するのは「評価は下されたが撮影技術など他の実力を否定されずに延ばし続けることが出来るよう」監督が一身に受けることで現場を保護し「作成したけど評価されない」という立場の人の、作ったというメリットと批評というデメリットの集約点でもあるし、何百人というスタッフが作ったのに「ボクの作品」と言う特権と責任でしょう。
かわいい女子は、撮影するだけで絵になりますが、あたまのなかがかわいいおっさんはいまのところどう撮影してもバラエティ番組であいかたのおっさんに突っ込まれなければその絵がとれないという現状なんじゃないでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。
昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。
結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。
上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。
ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。
MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。
そういえば、小学生の頃の自分は、なぜか、貧しい女の子が王子様と結婚するというストーリーの小説を良く読んでいた。そして、「王子様になって、貧しくてかわいい女の子と結婚するんだ」というよく分からん夢を描いていた。増田で言われている「高学歴の世界」を王子様にたとえるのは趣味が良くないが、少なくとも、「自分と違う社会階層の女性と結婚しない」という、物語の王子様と正反対の選択をしたことには変わりないだろう。
友達と話していても、似たような話は良く出るから、多くの似たような環境で育った人間が、同じような判断をすると思う。もちろん、そういう話はごく限られた友人でしか話さないから、表には出てこないけれど、実際にはそんな風に考えている。だから、自分から高学歴の彼と別れた元増田の判断は正しかったのではないかと思う。少なくとも本人が傷つきたくないという気持ちをかなえるためには・・・。
社会の問題と個人の問題は違う。
この問題について言えば、多くの社会調査が示す通り、学歴は再生産され、社会の階層は固定化されている。そしてこのことは、長期的な社会の安定の維持のために大きな問題であり、これを回避するためには、奨学金の充実が必要という意見があるかもしれない。しかし、学歴の再生産が問題だから、異なる学歴の人との交際を継続しないといけないとか、した方が良いということにはならないだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
アルバイト店員の不祥事問題。どうやら結論は「あいつら違う世界に住んでるから」ということに落ちついたみたいだけど、ちょっと待って欲しい。
つい最近、高学歴(大企業)も他者から批判を浴びる行為を世に発信し、騒動になった。
何のことかというと、女性アイドルが芸人に頭を蹴られる内容のバラエティ番組を、フジテレビが放送した問題。
この問題は存否両論ある。ただ言えることは、十年以上前だったら否定の意見なんて表に出てこなかったということ。
何故なら、今ほど個人に発信力はなく、芸能界というものは絶対で、それに逆らう他者なんて存在しないのと同じだったから。
しかし今は違う。みんながみんなテレビを見て、芸能人の名前を知っている時代ではない。
芸能界という内輪から外れた他者から、ネット経由で批判がばんばん飛んでくる。
フジテレビは、ネットが普及し、他者の存在が出来上がっていたことが、想像出来ていなかった。
アルバイト店員は、自分のツイートを仲間以外の他者が見るなんて、想像出来ていなかった。
この2つは求められる他者の認知レベルが違うだけで、他者から批判を浴びる行為を発信した点で、同様のミスだ。
高学歴だってセクハラやパワハラみたいな酷いことをする人はいる。違いは、どの程度他者の認知が出来ているかということ。
高学歴はそれが一枚上手というだけ。
こんな僕でさえ貧困層といわれるならば・・
これから僕はこの国への期待よりも、
という気持ちでいっぱいだ。
この国はあえていうなら貧困層に良いことは何もない。
そして老後の安心など今のところ何もない。
増税はなくなるかと期待したが
消費に対してかけられる。
うかつに払ったとしても家族が路頭に迷うはめにもなりかねない。
僕としては、消費税は消費に対して
5%という数値が我慢の限界だった。
消費税が10%代の国はたくさんある。20%を超える国すらある。
こんなことをしていたら
どんどん増えていくだろう。
自分たちは貰えないにも関わらず
ごそっと国に社会保険料をもっていかれることに納得出来るはずがない。
この国の政治が僕らに何をしてくれたのだろう。
自分で老後の積立てをしている。
そういう人たちがたくさん出てきているし、
更に出てくるだろう。
それでいいのか??
納税をする人たちのモチベーションは
更なる保障へと向かうのが義務で、
いつまでたっても国にむしりとられ、
それもどこでどう使われているのかもわからず、
納税しても自由はないのか。
それでいいのか。
納税したこと自体が不幸だったのかもしれない。
こんなことをまじめに考えなくてすむのだから。
貧困になってどうするの?
と赤木智弘が本を書いていたが本当にその通りだ。
それも含め、
それは当たり前の事でしょ。
それは誰のせいではないはずだ。
ますだでは感情にまかせて書こうと思っているので文章がぐちゃぐちゃなのは許してください。
わかってはいてもすぐに溌剌とはなれない自分がいます。すみません。
他にもコンプレックスは持っていますが、もちろん誰しもがなにがしか持っていると思いますが
一般的になりやすい割には、はげはかなりつらい部類だと自分では思っています。
もちろん大変な怪我や病気をされてもっとつらい思いをしている方はたくさんおられて、
手も脚もあってよかったとは思います。
それはそう思うのですが、だからといってはげていることを世の中でネタにされているのを平気になれるわけではないです。
何歳なら、というのは結局何歳になっても気にはするでしょうが
とはいっても若いうちにはげるのはつらいです。まわりはみんなはげてないです。
楽しそうです。
パチンコ店に朝から並んでいる人を見ても、はげてなくていいな、
うらやましい、とおもいます。
すみません、パチンコが好きな方の気持ちを害したらごめんなさい。
成人以上の男性なら、どこかで自分もなるかもしれないという恐怖があって
その上でネタにしたりするので(もちろん人によりますが)限度があります。
女性はなんでしょう、お肌の加齢は笑いの対象になりませんよね。
「一般的におもしろい、わらえる」対象としてはげを扱いませんよね。
あべひろしやわたなべけんがかっこいいからっていうのは
正直年齢が違います。僕もわたなべけんくらいの年齢であれば開き直ってダンディ路線で生きて行けたかもしれません。
以前僕がまだ、自分では気にしているしお風呂などに入ると明らかにきてるとわかっている
僕ははげを気にしていると知らず、「あの人ははげてるから云々・・・」とねたに会話でされたりしていて
自分もそういう風にいわれる対象になるんだなとおもってつらいおもいをしたこともよくあります。
女性は残酷だな、自分の美しさに無自覚だというのは残酷なことだなと思いました。
イケメンだとは言われないですし自分でももちろん思っていないですが
身だしなみなどは、おそらくコンプレックスが強いがゆえに
多少ほめられることも多かったです。
でもほめられたくはなかったです。ほんとははげてるから。
ほめられるほどにつらかった。可もなく不可もなくほめられもせずけなされもせずにいきたいんです。
ぼくをほめた人は、同じ口で、はげてる人をけなしてました。
はげた後に会ったら、僕にどんな態度をとるんだろう。こわいです。そういう気持ちになります。
期待して、失望されるのはつらいです。やめてください。と思います。
ネガティブですみません。反応してもらってとてもうれしかったです。ありがとうございます。
まず結論から言いましょう
ごめん、やっぱやめとく、なんかあんまり紹介とかそういうのってちょっと、と言いました
友人からの返事は短いものでした やっぱりなw 大丈夫、冗談だから!w
思い出します あれは小学生の頃です プールの時間の前 塾に行く前
決まってお腹がとても痛くなるのです
なんだかとても情けなくなりました
どうして、おれ、この年で、恋愛も出来なくて、友達にも小馬鹿にされて、こんな、みじめで、
いつまでも子供のまま置いていかれて、寄ってきた女は気持ち悪いやつで……
まともな恋愛も出来ないなんて。
といっても、つい最近までのことですが
黒髪ちゃんへのメールの返信は投げやりになっていました そして文章は攻撃的になっていました
「うん」
「うんってw 遊びませんか?」
「忙しいんで」
「そうですか(´ ・ω・`) …なんか、わたし、怒らせるようなことしました?(´ ・ω・`)」
こんな具合のやり取りが増えていきました
「ごめんなさい」「怒らせたんなら謝ります」なんだか黒髪ちゃんのメールはストーカーみたいです
めんどくさい処女って こういうことか
そもそもどうしてそんなことを信じていたのでしょうか
すこし考えたら分かることだと思いました
童貞がこんなに駄目で気持ち悪くてクズみたいなんだから、そりゃ処女にも駄目で気持ち悪いクズもいるよな
あははははは
もうよく分かりません、頭が混乱しています
どうしておれはいつまでもこんななんだ 処女厨は子供時代を思い出しました
子供の頃、お母さんとお父さんはなんでも 駄目 といいました
漫画、ゲーム、アニメ、サッカー部への入部、流行の音楽、バラエティ番組、女の子と遊ぶこと……
処女厨が楽しそうなものに興味を示すと そんなもの駄目! 不良になるよ! と叱られました
彼の楽しみは読書です
ライトノベルだとバレないようブックカバーをつけて 自分の部屋で読むのです
本を読むことについては、両親はなにも言いませんでしたから
それから、塾帰りにバレないようにゲームセンターに行くこと と インターネット これが彼に許されたものでした
処女厨は、頭のどこかで、恋愛をよくない、不良のやることだと思っていたのかもしれません
そして同時に、漫画や、TVや、恋愛を、自由に楽しんでいるかっこいい男の子や可愛い女の子を心底憎んでいました
リア充たちは大勢の友人に囲まれていて、キラキラして見えました
いつも楽しそうです
自分のような人間に、キモいと言ったり、非常識なわがままを無理に通したり、ずるい手段で成功を手に入れたり……
それに連中はミーハーです 流行ものにすぐ飛びつきます 気をつけていればだまされないようなデマにすぐ引っかかります マスコミの仕掛けた罠にすぐにハマります 下らないものをすぐに買いあさります
バカです、じぶんより
そういう連中を、処女厨は大嫌いでした
そんな、「スイーツ」の女が告白してきても、そしてそんな女が絶世の美人でも好きにならない自信がありました
ライトノベルにもいろいろありますが、処女厨の好きな物語は、いつも主人公はヒロインと結ばれてハッピーエンドをむかえるのです
ヒロインは、主人公だけを好きになり、喧嘩をしながらもなかよくすごします
処女厨が好きになるのはいつも 生身の人間ではありませんでした
彼は今まで、おれは結婚もしないし、趣味もあるし、これが自分の人生だと割り切って生きていました
一人の世界を作り上げ、すばらしい作品を生み出してきたアーティストもいます
そして処女厨はお兄さんを思い出しました 昔、彼の隣にいたのは兄です
でも兄は、整形手術をしてイケメンになり、日のあたる人生を堂々と生きています
死んでしまいたい。いなくなりたい。消えてしまいたい。消えてしまいたい。
黒髪ちゃんも本当は気持ち悪いメンヘルビッチ予備軍だったんじゃん。
なんであんな、喜んで、おれ……
そこでふと、処女厨は気付きました
そういえば、おれ、黒髪ちゃんにドキドキしたんだよな……
それまで苦しい気持ちで混乱していた処女厨は、何故だかこんなことを思いつきました
もう一度あの子に会ってみよう
処女厨は、メンヘルビッチだった黒髪ちゃんに告白する気はもはやありませんでした
でも、もう一度黒髪ちゃんと会って、ちょっとでもドキドキできたら……
そう思った時の彼は、高揚した、なんだか嬉しい気持ちを取り戻しました
それでも処女厨はそのあと、二、三回メールをしました 今暇ですか、遊びましょう、飲み行きませんか?
返事は、ありませんでした
危ないからと事務所から出されました 電車は止まってしまいました 処女厨は行き場を失ってしまいました
たくさんの人がいます
本当にたくさんいます、急いで歩いているのやら、人並みに飲まれそうなのやら、手をつないでいるのやら
歩いている人は茶髪が多いです そして、立ち止まっている人は携帯をさわっている人が多いです
顔を上げてみると、夕やみの空がビルに迫っていました
たくさんの人々は、だれもそれを見上げていませんでした
タレントが海外行って現地の「知られざるうんたらかんたら」を探したり驚いたりする趣旨のバラエティ番組を、放送前に見る機会があった
俺が見たのはとある食材についてのもので、「現地の人々だけが知る幻の○○とは!?」みたいな感じで引っ張る内容だった
実は俺は子供の頃その「現地」に数年ほど住んでいたことがあって、○○自体ありふれたものとして知っていたので、違和感にすぐに気づいた
「この○○、表記ちがくね?現地の発音に近くしても、単純なカタカナ読みにしてもこういう発音はしないと思うんだけど」
「そうだね」
「直した方がいいんじゃないの?」
「いや、直さない。というか、わざと微妙に違う表記にしてる」
「え、何故?」
「正確な表記にしたら、テレビ見てる間に視聴者はスマホなりタブレットなりで速攻検索しちゃうだろ」
「えー、そんなことのために○○を間違った表記で紹介すんの?」
「別にいいだろ。○○なんて日本で売り出す予定もないし、もともと日本じゃ殆ど入手できないものなんだから」
「それは違うと思うけどなあ」
関係者との会話はそこで途絶えた
2020年になって、もう一か月か。
ニュースを見ていると、遂に2chが規制されるようだ。色々と理由は並べているが、要は社会に悪影響を与えるからだそうだ。まあ随分前から色々問題となっていたから、今更特に気にしていない。それにしても、10年前から比べたら色々と規制された項目も増えたものだ。
テレビ番組では、昔流行ってた芸人いじりのバラエティ番組が、いじめを助長するという理由でめっきり見かけなくなった。何でもあるいじめによる自殺事件がバラエティ番組の真似をしたのが原因だったとかで、一気に世論が傾いたんそうだ。出川哲郎やダチョウ倶楽部の上島なんて最近の若い子は知らないんだろう。一世を風靡した有吉とか人をネタに笑いをとるタイプの芸人も軒並み姿を消してしまった。結局残ったのはコントや漫才番組ばっかだけど、それも毒のない無難なネタしかしない。あと、昔流行ってたAKBやモー娘。なんかも、未成年の性の搾取だとか言って某女性団体が強く抗議したせいで姿を消したばかりか、アイドル文化自体も完全に衰退してしまった。おバカタレントだって障害者差別だとかよく分からん抗議が来て消えてしまったし、お色気番組なんか言わずもがな。この前放映していた過去の流行語特集で、レイザーラモンHGにモザイクがかかっていたのには笑った。ニュースだって、政府が報道規制をチラつかせるものだから、テレビ局はビビって政府や特定の政党批判が出来ず、どこも政府の御用テレビみたいになっている。最近のテレビ番組は、昔のNHKみたいな毒のない番組しか出来ないようだ。
食べ物の面で言えば、餅が禁止されてからもう3年経つ。こんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、死亡数が断然多かった餅も禁止されて当然の流れだった。でもすぐに代替品として、こんにゃくで作られた餅もどきが出回って、今や正月の必需品となった。昔、レバ刺しが禁止になって、すぐにこんにゃくで作られたレバーもどきが出回ったみたいに。でもこんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、こんにゃく餅やこんにゃくレバーもそのうち禁止されるかもしれない。レバ刺しもそうだけど、生で食べられるものが随分減ったな。サルモネラ菌がいる生卵もそうだし、前から食中毒の多かった牡蠣もノロウィルスが流行ったのをきっかけに生食が禁止された。最近では、ついに生魚も問題視され始めてきたから、刺身や寿司も危うくなりそうだ。フォアグラも動物保護の観点から禁止にする店も増えてきた。昔、煙草を買う時にタスポが導入されたように、酒を買う時にもカードが必要になった。カードを貸し借りする人が出てきて意味ないのにな。昔、梅沢富美男がコンビニの年齢確認ボタンにぶち切れていたのが懐かしい。
会社では、個人情報保護やコンプライアンスに随分うるさくなった。飲み会に誘う際は、強要されてないことを示す同意書を取り付けないといけないし、プライベートに関する質問の際は一つ一つ確認を取らないといけない。アルハラになるから、お酒は自分で注ぐのが常識。上座下座もパワハラという言葉を前に死語になってしまった。そういえば、住所を明かすのに抵抗がある若者が増えて、年賀状はもっぱらメールが主流になったな。紙の名刺だって衰退して全部セキュリティー保護付きの電子データでやり取りするようになった。そっちの方が整理しやすくなったけどね。ただ、こうした仕事のやり取りを全て管理されるのは随分と息苦しい。デスクトップなんて最早死語、パソコンは皆タブレットになって、これ一つで何でもできることを良いことに、自分の仕事は全て上司に筒抜け。名刺のやり取りの頻度は全てカウントされているし、営業ルートはGPSで見られてるからサボることもできない。ネットサーフィンや私的メールなんてできるわけがない。タブレットは外に持ち運びするもんだから、起動するごとにセキュリティを何重も解除しないといけないから面倒くさいしな。自分が入社した時とは随分時代が変わったもんだ。何でも最近の就職活動では、名前で人格を判断するのは問題だっていうことで、内定が出るまで匿名で通すみたいだ。どうもキラキラネームを名付けたどっかの親が抗議したのがきっかけらしい。まあ、フタを開けると内定が出ているのは普通の名前の学生ばっかりなのが皮肉だね。
オタク対策でも、悲惨な幼女レイプ事件が発端となって、児童ポルノ禁止法改正案が通った上、更には女児のスカートや公衆の水着着用が禁止になった。アグネス大勝利。ロリコン漫画は完全に姿を消したね。また、前からずっと言われてたけど、著作権侵害問題でコミケもついに廃止となって、同人誌も販売禁止となった。とらのあなも倒産して久しいし、クリムゾンも消息不明。エロ本も、酒や煙草と同様に身分証明書が必要になって、中学生涙目。某女性団体から、性の乱れを助長するとかいう声が上がって、AVやエロ漫画でも必ずコンドームをつけるシーンが義務化された。でも、最近のゴムは随分と薄くなって0.003mm以下が主流になったもんだから、薄すぎてゴムが見えてないだけだと言い張る作家も増えてきたね。
とまあ、この10年で色々と規制、禁止されたけど、逆に規制が緩和することってないよな。日本人って規制前にはうるさく言うけど、規制後は従順になって、遵守しない人を逆に叩く性分だからしょうがないね。お上に逆らわないのは江戸時代から何も変わってない。今後もより良い世の中にするために規制する項目はどんどん増えていくんだろうな。でも本当に世の中良くなっているのかな。
編集時刻: 2012/10/29 11:50:00 編集者: rent-7777 編集内容: 1c1,2 3,4c4,5 6,7c7,8 18a20,23 20,26d24 28d25 41,43d37 -「おかま」もしくは、女性の心を持った男性のこと。また、そのようなキャラクターのこと。「おネエ系」とも。 +新宿2丁目など男性同性愛者の中では、ゲイの中で<span class="deco" style="font-weight:bold;">オネエ言葉を使うゲイ</span>を「オネエ」といってきた歴史がある。ゲイの全てがオネエというわけではない。 +昨今、テレビのバラエティ番組などでは、[[ゲイ]]<!--おかまは差別語-->の男性の中でも、女性性が高いか、女性の心を持ったタイプの人のことをオネエというようになっており、「おネエ系」ともいう。 -おねえキャラの男性は、「美意識が高く知識が豊富」「女性の(男性の)気持ちがわかる」「人生経験が豊富で相談相手に最適」として、女性に人気がある -「おかまバー」「ゲイバー」勤め以外に、スタイリストやメイクアップアーティストなど「美」に関連する職業に就いている人も多い。 +女装をし性転換までするニューハーフ、女装のみをして身体は男性のままでいたい女装家、女装せず身体も服装も男性のままだが心が女性に近いトランスジェンダーの3タイプがある((2011年6月8日放送TBS系「20マウス」オネエ仕分けより。))。男性のアイデンティティをそのまま受け入れている男性的なゲイは含まれない。 +おねえキャラの男性は、「美意識が高く知識が豊富」「人生経験が豊富で相談相手に最適」として、<!--女性に(女性に人気といいますが、オネエは女性の為の癒し道具ではありません。-->人気がある。「ゲイバー」「ニューハーフバー」勤め以外に、デザイナーやスタイリスト、メイクアップアーティストなど「美」に関連する職業に就いている人もいるが、ほとんどの人は普通の仕事に就いている。 -性同一性障害の診断の有無、性転換手術経験・整形などの有無、恋愛対象が異性/同性、容姿が男性/女性、を問わないカテゴリーであるが、「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。 -明確な定義はないものの、「女性」の中にも、時折「男性」が見え隠れするのが特徴のようだ。(女性になりきっている場合は、「おねえキャラ」への分類が難しい) +<!--(出典のない独自研究であり、コメントアウト)性同一性障害の診断の有無リーであるが、「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。 +明確な定義はないものの、「女性」の中にも、時折「男性」が見え隠れするのが特徴のようだ。(女性になりきっている場合は、「おねえキャラ」への分類が難しい)--> +*おねえキャラ +**ニューハーフ…はるな愛 +**女装家…IKKO、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、KABAちゃん +**トランスジェンダー…楽しんご、假屋崎省吾、植松晃士、平澤隆司、真島茂樹、マロン、水無昭善 -*代表格 -**容姿が女性×女性の心を持っている <おねえキャラ> -IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、カルーセル麻紀 -**容姿が男性×女性の心を持っている <おねえキャラ> -楽しんご、假屋崎省吾、植松晃士、平澤隆司、真島茂樹、マロン、尾木直樹、KABAちゃん、水無昭善 -**<おねえキャラ>に分類しにくい -三輪明宏、ピーター、佐藤かよ
「2011年6月8日放送TBS系「20マウス」オネエ仕分け」か。バラエティ番組のみを出典にして「「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。」を削除するのはどうかと。
成功者はみんな似通っていてみんな決まったいくつかの条件を満たしている。これに対して失敗者はみんな百人百様で
だからこそ成功学が無くて成功「哲学」であり、失敗「哲学」がなくて失敗「学」なのだと。ついでに言うと成功「法則」はあっても失敗「法則」はない。
それはつまり「成功」とはある程度童貞できるほどには決まりきまった1つのパターンであるから「どうすれば成功できるのか」を哲学することができる。
だが「失敗」は決まった1つの対象ではないからその定義と意義を問うことはできない。むしろ「どんな失敗がありうるのか」を博物学的に吟味し、考察することになる。