インターネットっていうのはかつてはみんな「検索」から始まるものだった。
なぜかって? Google検索のトップに表示されるのはSEO対策を施したスパムか、あるいはWikipediaだ。
幸か不幸か多くの人間の調べものはWikipediaで片がついてしまう。
スマートフォンを手に取り、Googleに検索キーワードを入力し、そしてWikipediaを見る。
もう何年も前からGoogleはWikipediaの窓口受付にしかなっていない。
それ以外にトップに出るものは機械的に作られたスパムか、金を払って表示される広告だ。
Wikipediaかスパムか広告。何たる味気ない景色だろう。かつて先生と崇められたサービスの末路だ。
ウィンクルボス兄弟はボートのオールでザッカーバーグを殴り殺すべきだった。
何でわざわざインターネットを使って会社の上司と繋がらなきゃいけない?
何で毎日顔を合わせなきゃいけない人間の視線を、インターネットでまで気にしなきゃいけないんだ?
教えてくれ、マーク・ザッカーバーグ。答え次第ではお前をこの手で射殺する。
きみの開発したプロダクトはインターネットに前時代的な風景に引き戻した。
Facebookはタイムマシンだった。はるか過去に時計の針を引き戻す悪魔の器具だったんだ。
きみのせいでインターネットはご近所付き合いの場所になってしまった。
常に知り合いに監視される場となってしまった。まなざしの地獄。きみは罪深い。
もうかつての自由は失われた。返してくれ、ザッカーバーグ! インターネットの自由を!
インターネットが発展し、整備されることで、同時に人を殺す技術も磨かれていった。
今、実名あるいはハンドルネームで何か書き込むことは、全裸で大気圏に突入するのと変わりない行為だ。
ライフログに蓄積された情報は、すぐさま彼の個人情報を特定してしまう。
少しでも他人に迷惑をかけたんじゃないかと邪推できる投稿があれば、彼を消すことは容易い。
そして、誰かが一人でも地雷を踏むと、連鎖的に周囲が延焼を起こしてしまう。
ターゲットと何度も口を利いたというだけで、殺害対象になってしまうのだ。
今やインターネットでは誰かと仲良くしているだけで、それはリスクとなる。
友人の数が増やすことは多くの時限爆弾を抱えるのと変わりない。そして、その交遊録は一生残る。
かつては何かをやらかしても、それは恥をかくだけだった。けれど、今は違う。
退学、逮捕、恒久的な記録による果てしない欝病。去っていく友人。見捨てる親類。
いつだってそのリスクがインタネットユーザーを待ち構えている。
違う。いつでもどこでもカジュアルゲームをプレイするだけのゾンビを大量生産している。
彼らは知性から強制的にロックアウトされ、やがてかつての状況を再現するだろう。
いずれはテレビ局がその殺人的なノウハウで動画サイトを一掃する。
人々は80年代のように誰も本を読まないし、文字も書かず、ゲームをするかバラエティ番組を見るかになる。
「インターネットだって? 今さらデスクトップパソコンを触っているようなオタクのやるものだろ?」
世界は再び夜を迎える。反知性主義が逆襲を開始し、人々を殲滅するだろう。
その兆候は何年も前から萌芽していた。きみたちはいつから画像のないウェブサイトを見なくなった?
ひとつのアカウント(名前)を保有し、ライフログを蓄積することは命取りになる。
今、アメリカでは「スナップチャット」という写真共有アプリが流行っている。
このアプリが画期的なところは、相手が開いた数秒後にサーバー上から消え失せるところだ。
世界はそっちの方を選択したってわけだ。何もかもなくなる。バーン・アフター・リーディング。
日本という国で「2ちゃんねる」がいつまでも機能しているのは、その特性が理想的だからだ。
何も気にせず自由に書き込め、そしてそれは1000レスが溜まれば勝手に消え失せる。
かつてのインターネットはすべてこうだった。だからこそ自由だったのだ。
しかし、進化しすぎたインターネットは、自由を失った。そして近い将来、そのすべてを失うだろう。
お前がSNSに馴染めないゴミカス人間なだけだろ ほとんどの人間はそれぞれよろしくやってるよ
リア充になればいい。インターネットなんかより楽しいぞ。
パノプティコン - Wikipedia http://anond.hatelabo.jp/20131106024407