バレンタイン、営業戦略から始まったらしい大衆文化は、今や欠かせない一大イベントである。
そして社会に浸透したそれは、様々な側面でもって人間の喜怒哀楽を彩る。
午後のひとときではあるものの、今日は一風変わった様相を呈している。
父はそれらを受け取ると、他にも同じ品を貰っている社員を眺めていた。
学生の頃、男たちの見栄やステータスになりえたものが、いまや社交辞令のアイテムというのも、中々に感慨深いものだとしみじみ感じていたのである。
ところが、こういった文化をただ「そういったものだ」といった風に飲み込めず、馴染めない人間も少なからずいる。
「うう……やはり来るのか」
同僚のフォンさんがそれにあたる人物だった。
「はい、フォンさんもどうぞ」
チョコが食べられないだとかではなく、ただ「何かを貰う」という行為全般に精神を疲弊しているからだ。
「は、はい……ありがとうございます」
それでも体裁を保ちつつ、フォンさんは社員たちのチョコを受け取る。
そうして全員に行き渡ると、社員が持ち場に戻り始めた。
それを確認した後、フォンさんはおもむろに胸ポケットに入れた手帳を取り出した。
「マメですねえ、フォンさん」
「覚えておかないと、ホワイトデーの時に痛い目を見ますからね」
その発言に父は軽く笑おうとするが、フォンさんの大真面目な顔と声の調子に思わず息を呑んだ。
「笑い事ではありません。これを間違えると、“お返し”の無間地獄に陥るんですから」
「無間地獄……」
「貰ったものに対して、相応じゃないものは相手の心象を悪くします。安いものはダメですが、かといって高すぎるものをホワイトデーに“お返し”したら、それを埋めようと“お返し”をしてくる可能性があります。そしてワタシはそれに対して、また“お返し”をしなければならなくなる、ということです」
父が接するようになって気づいたのは、フォンさんはこういった世俗に酷く敏感なことであった。
「うう……チョコが欲しいだなんて一度も言ったことはないのに、それを貰って“お返し”も強制される。だからこの文化は嫌なんだ」
「いやいや、フォンさん。『強制』だなんて、重く受け止めすぎですよ」
「マスダさん。心にもないことを言うのは社交辞令の基本であることは知っていますが、今この場で会話をしているのはあなたとワタシだけだ。そういった無意味な取り繕いはやめていただきたい」
「取り繕いだなんて……滅相もない。なんなら“お返し”なんてしなくてもいいんですよ。彼女たちはそんなこと気にしません」
「『気にしない』んじゃなくて、『気にしないようにしている』んですよ。そんな言葉を鵜呑みにして“お返し”をしなかったら、十中八九ワタシを心の狭いケチな人間だと軽蔑する。強制ではないといいながら、その実“お返し”を当たり前だと思ってるから、そういう考えになるんだ。それは、つまり、社会通念上の強制なんです!」
フォンさんは神経症気味だったが、実際問題としてその側面を父は否定できないのであった。
こういった社会通念をフォンさんに説いてきた張本人なので尚更である。
事態をどう受け止めるかの、丁度いい塩梅なんて分かりはしないのだ。
「今日、最初の待ち合わせ場所だった広場さ、例の宗教のやつがやってたよな」
「不可思議な宗教だな。お前の弟や、その友人も訝しげに見ていたぞ」
その場に弟たちがいたという話に悪寒を感じたが、俺はコーヒーをすすりながら聞かなかったことにした。
「まあ、ボクとカジマも一応は信者だけど、傍から見てもそんなもんだろうね」
さらりと言われた衝撃の事実に、俺は思わずコーヒーを吐き出しそうになった。
ウサクも驚き、向かいに座っているタイナイとカジマに、前のめり気味に尋ねた。
「まあ、そうだね」
屈託なく言われたことに、俺もウサクも次の言葉が中々出てこなかった。
何を信仰しようが自由とはいえ、彼らを少なからず知っている身としては、意外と言うほかなかったからだ。
「い、言ってはなんだが、アレはお前たちにとって大したものとは、とても思えないぞ」
ウサクは咀嚼しようと必死で、彼らが「生活教」を信仰する理由を、理解しようとしていた。
そこまでして信仰する何かが、もしかしたらあるのかもしれないと思ったのだろう。
次に出てきたカジマの言葉に、俺はまたもコーヒーが変なところに入りそうになった。
「お、面白いって何だ。教えとかか?」
「そうそう、崇高な理念があるのかもしれないけれども、いずれにしろ言っている内容は大したことじゃないからね」
そのあまりにも身も蓋もない言葉に、ではなぜ信者なのか尋ねる。
「だって、面白いじゃん。そーいう大したこと言ってないのに、大したこと言っているみたいにするのって」
「そーいう人を、大したこと言っている人間みたいに神輿にかついだりするのも面白いよね。分不相応であるほど、言ってることの陳腐さが際立って滑稽なのに、本人がそれに気づかないってのも二重の意味で面白い」
「えー……つまり、二人とも教祖の言っていることに心酔しているわけじゃなくて、遠まわしに茶化しているだけ?」
「うん、だって大したこと言っていないのに、本気で持て囃したらバカみたいじゃん。恐らく、信者たちの大半は僕たちと同じスタンスで信仰していると思うよ」
「『帰ったら手洗いうがいをしよう』だとか、『体にいいものを食べよう』だとか、それがよいことなのは分かりきっていて、その上でどうするかってのは個人の裁量でしょ。わざわざ連呼することではない」
「まあ、そもそも、このご時世に新興宗教って時点で信仰に値しないよね。というか、宗教自体が時代遅れだけど」
タイナイとカジマは、ケラケラと笑いながらコーヒーをすすった。
ウサクは腕組みをしながら何か知見を得ようと唸っていた。
俺はほお杖をついて息を漏らすしかなかった。
まあ、俺たちも少なからずそう思っていたわけだが、だからといってタイナイたちの姿勢も中々にご無体なものである。
「なんというか……宗教そのものの意義を否定する気はないが、人に何かを教える体系としては時代錯誤になりつつある、ってことなのかもしれないな」
この後『生活教』がどうなるのか、本当に無意味なのか、それは今はまだ分からない。
でも、俺たちが考えているよりも何かを信じたり、何かを正しいと思ったり、そのために行動することは簡単なことではないらしい。
荷席にあったのは、大量の飲料水だった。
それらは見覚えのある市販のモノで、未開封であり何の変哲もない。
予想外の代物に弟たちは肩透かしを食らうが、数秒の沈黙のあとにミミセンが閃く。
「聖水か? この水は? 聖水として売っているんじゃないか?」
事態を上手く飲み込めない教祖は、弟たちにコロコロ目線を向けながら、坦々と説明を始めた。
「いえ、単純に私個人が使うものです。ちょっと前に水ブームがあったでしょ? ここに来る途中、在庫を持て余した店が安く売っているのを見つけて、衝動買いしたんです。効能はよく知りませんが、飲料水として普通に使えるので」
教祖は状況を飲みこめないまま、車を人質にされて問答を迫られることになった。
「……何だか、随分と知識が偏っていますね。そんな目的はありませんよ。信仰している人は他にいても、組織ではないですし」
「なんだよそれ、じゃあ何のために布教してんだよ」
「何って……教えを説いて、広めることに決まっているじゃありませんか」
「いや……だって、その“教え”ってのが……」
「分かりきっている? 当たり前?」
それは確かに弟たちの言おうとしていた言葉だったが、教祖自身から出てきたということに驚きを隠せなかった。
「それを分かっていて、何で」
「当たり前のことが、実は当たり前のことじゃないのです」
「人は時に『今さら』だとかと腐すけれど、それは誰にとっても今さらなことではないのです。掛け算の順序を逆にしても答えは同じことを子供が自ずと発見したとして、それを『今さら』だと腐す大人がいるでしょうか?」
もっともらしくも聞こえたが、弟たちは怯まない。
「いや……でも、やっぱり今さらだよ」
「仮に今更だとしても、その知識を自ら完全にモノにして、始めて知識は本当の意味を持つんじゃないでしょうか。ならば全ての人間がそうなるまで、今さらだと思われていることを反復して、提唱することは意義のあることだと私は信じています」
「なぜ、それを宗教に絡めて?」
「一つの体系に限界を感じたからです。科学的な、現実に沿った教えは尊重されるべきですが、それでも取りこぼしはある。だから私は宗教を通じて生活をより良くする教えを、別の側面から広めようと思ったのです」
「あえて、非科学的なことを言っているってこと?」
「本質的な意味や目的が同じであれば、私は一つの体系にこだわらなくてもいいと考えています。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になるとも思っています」
教えに対して、予想外の理念に弟たちは顔を見合わせた。
教祖の言うことは詭弁な気もするし、おためごかしの可能性も捨て切れなかった。
或いは他に見落としている何かがあるかもしれない。
だが、弟たちには何の論拠もなしにどうしても食い下がるような理由が特にないのである。
「難しい話だとは思いますが、世の中には“科学だから信じる人”もいれば、“宗教だから信じる人”もいるのですよ」
教祖の乗った車が走っていくのを見ながら、弟たちは自分たちの頭に残るモヤを何とかしようとしていた。
「どうなんだろう……宗教だからといって頭ごなしに否定するなってのは、何となく分かるんだけれども」
「うーん……要はあの宗教が良いのか悪いのかで考えることになるんだけど……何を信仰していようが、それでヘイトを広めたりだとかもせず、むしろ善良な人を育てようとするなら、少なくとも悪いことではないのかも」
「不安があるとすれば……信者たちは本当に、そういった理念を把握した上で信仰しているかってことだろうね」
「どういうこと?」
「同じ宗派だからといって、同じ方向を向いているとは限らないって事だよ」
「その距離を保つんだ。それ以上は近づくとバレる可能性が高まる」
固まって行動するのは危険だとミミセンが判断し、追跡役は変装が得意なドッペル一人に。
他はドッペルから更に離れてついていくことに。
相手に少しでも不審に思われたら追跡役を交代するか、最悪シロクロとタオナケに撹乱してもらう作戦にした。
万全の体制は過剰とも思えるほど、追跡は順調であった。
街頭にいた信者や野次馬が、今は嘘のようにいなくなっていたことも大きい。
だが、あまりにも順調すぎて気を緩めていた一同は、ある重要なことを失念していた。
「! しまった、駐車場だ! あの教祖、車で逃げるつもりだ!」
予想外の事態にミミセンも動揺を隠せない。
それが予想外であったことよりも、予想外にしてしまった自身の不甲斐なさが、何よりミミセンにとってショックだったのだ。
だが、こんなときでも冷静に、目的を見据えて行動できるのが弟の強さであった。
そして、それが弟が彼らのリーダー的存在である最大の理由でもある。
「落ち着け! むしろチャンスだ。いま教祖は一人、しかも車で来ているなら、その中に“何か”あるんじゃないか?」
弟の言葉にミミセンも平静さを取り戻し、すぐに思考を巡らせる。
「そうだ! タオナケの超能力でタイヤをパンクさせるんだ。そうすれば予備のタイヤを取り出すために荷席のドアを開けるはず。その瞬間を狙うんだ!」」
だが、ここでまたアクシデントが発生する。
1回念じるのに数秒かかるのだが、ここまでの追跡で体力と精神を削っていたため普段よりも時間がかかっていたのだ。
しかも、既に5回以上は念じていたのに成功しないという運の悪さである。
諦めかけた弟たちに、千載一遇のチャンスが舞い降りる。
教祖は車に乗り込まず、おもむろにバックドアを開けていたのだ。
「天は俺たちを見放していなかった! 強行突破するぞ!」
弟の合図で、全員で車に向かって走り出す。
「な、なんですかキミたち、いきなり」
荷席の中を覗いた一同は、大量に入っていた意外なものに驚く。
「……水だ」
「なにそれ?」
「我もよくは知らないが、一昔前にとある宗教団体がサソリをばらまくっていう事件があったらしい」
「なんでそんなことを?」
「まあ、そんなところだろう。当時の批評家は開放を求めていたと分析しているらしいが」
「開放?」
「終わらない日常の破壊だの、見えない未来への道しるべだの……我も自力で調べてみたことがあるんだが、頭が痛くなるだけだ」
本当は説明しようと思えばできたのかもしれないが、既にこの時点でシロクロは話を聞くフリすらやめており、ウサクは興が削がれつつあった。
「まあ、その批評家によると年代ごとに漠然とした不安があって、そういった不安に応える側面が宗教にはあるんだとよ」
「恐らくはそうなんだろう。だが、それは今のところ読み取れない。目的がみえないから、余計に胡散臭いと感じるんだろう」
その時、ピピピッと音が近くから聞こえて、一同は慄いた。
妙な緊張感が漂う。
が、ウサクの持っていたスマホの着信音だったことにすぐに気づき、弟たちからため息が漏れた。
ウサクは電話に出ると取り留めのない会話を始め、数十秒ほどすると電話を切った。
どうやら今この場所が“アレ”だから、友人との待ち合わせ場所を変更する、という話をしていたらしい。
「じゃあ、我はこれで失礼する」
「ね、ねえ。結局あの『生活教』は、何かヤバいことを起こしたりするの?」
「さあな。俺はただ過去の事例を話しただけだ。何も起こらないかもしれない。起こったところで大したことがない、我らには関係のないことかもしれない」
弟たちの「生活教」に対するモヤモヤは言語化できないままでありながら、ウサクとの会話でより疑念が強まる一方であった。
既に弟たちの中で「生活教」は、何かとんでもないことをしでかす前提になっていたのだ。
「ウサクの兄ちゃんは、サソリばらまき事件があったっていってたけど、『生活教』の奴らは何をばらまくつもりなんだろう」
「私、気づいたんだけど、野菜、野菜よ。さっき野菜の話をあいつらしてた」
荒唐無稽な会話だったが、弟たちの頭脳であるミミセンまでも思考を巡らせていた。
「なるほど……ほら、いま野菜って値上がりしてるじゃないか。もし、それをばら撒いて市場の野菜を減らしたら……」
「そうか! 野菜は更に値上がりする!」
奇妙な話だったが、その時のミミセンの考察にマスダたちは悪魔的発想だと慄いた。
普段、冷静に物事を考える彼までが追従してしまうと、もはや論理も常識も仲間たちにはなくなるのだ。
「でも、野菜を値上がりさせてどうする?」
「私、テレビで見たんだけど、動物園の野菜消費量ってすごいらしいの。もし、野菜が減ることで人間に行き渡らなくなったら……」
「つまり、あの『生活教』の真の目的は、理性の人間と、野生の動物の選別。いや、人間以外の生態系の選別なんだ!」
たどり着いた結論に、一同は自ら驚きを隠せなかった。
そして、そのような結論を導き出した以上、彼らが次にやることも決まっていた。
みんなの思いはほぼ同じだったが、その口火を切ったのはリーダー的存在である弟であった。
その日の昼頃、某所の街頭では「生活教」教祖による布教活動が繰り広げられていた。
「基本的に排泄物は不浄なものが宿る。これを浄化するためには座ることが効率がよいのです。当然、それを浄化する水には精霊が宿るので、人が見ている状態で流してはいけない。蓋をしてから流しなさい」
「野菜もいいが、色んな野菜を食べなさい。根も、葉も、茎もあらゆるものを。これは野菜に宿る精霊が兄弟だからです。かといって精霊は核家族ではないので、野菜ばかりでもダメだ。他のものもバランスよく食べなさい」
周りから「おー」という声が響き渡る。
弟のマスダとその仲間たちは、その様子を離れたところから訝しげに眺めていた。
「キチ?」
「分かりきっている概念ってことだよ」
「私、理解できないんだけど、あれであんなに人が集まるのは何で?」
「なんというか、上手く言えないけれど不気味だなあ」
「うーん……」
弟たちのボキャブラリーでは、「生活教」についての違和感を語ることは困難を極めた。
そんな弟たちにとって、理解できないものはただただ否定するしかなかったのである。
「そういうのは“胡散臭い”というんだ」
唸っている弟たちの前に現れたのはウサクだった。
友人との待ち合わせ場所がここだったらしく、待っている間の暇つぶし目的で弟たちの会話に入ってきたようだ。
「胡散臭い……」
「信用できないってことだ。何か裏があるんじゃないかと疑うのだ」
「“裏”って?」
「過去の事例から考えるなら、政界進出とかだな。あの教祖か、或いは近しい信者が政治家になるってことだ」
「関係のある無しは関係ない。信者をそのまま支持者に代えるための活動だからな」
当初、得意げに話していたウサクが、マスダの問いに固まる。
どうやら、その答えは用意していなかったようだ。
「……分からん。現状、あの宗教から大した思想がまるで読み取れないからな」
「じゃ、じゃあ他の事例でいいから言ってみてよ」
そう言う事ならと、ウサクは調子を取り戻して話を続ける。
「やあ、マスダ」
「あ、センセイ。どうも」
俺が通学でよく利用するバスで乗り合わせる人で、何度か見かける内に話すようになった。
センセイといっているが俺が勝手にそう呼んでいるだけで、この人が実際は何をやっているかは知らない。
バスに乗っている時だけ話す間柄だし、必要以上の詮索は無用だからだ。
「新聞を読んでいるんですか」
「ああ、地方新聞だね。このテの媒体は前時代的という見方をされているが、日々の情報を消費していくものとしては案外まだまだ現役だよ」
そう言われて、俺も気になって横から覗いてみる。
すると、その中に気になる話が載っていた。
「新興宗教……」
「ああ、『生活教』ですか。この町を中心に最近よく耳にしますね」
その教えは、例えば「外界には悪魔がいて取り付いてくるので、帰ったら手洗いうがいをして浄化しよう」だの大したことじゃない。
だが、この宗教が徐々に広まっていき、なぜか信者の数も増えていっているのである。
「俺は無宗教ですし」
「神も信じない?」
「俺にとっての神というものは、突然の下痢に見舞われたとき、トイレに無事たどり着くまでの間だけ信じるものです」
「なるほど、まあ私も似たようなものだが」
いつもセンセイが降りている場所だ。
「まあ、この『生活教』が現状これといった問題や事件が起きていないなら、ひとまず静観しておくといい」
センセイはおもむろに立ち上がるとドア近くまで歩いていく。
バスが停まると、そのまま降りていった。
いつの間にか支払いは終えていたらしい。
「キミも自分が何に属しているか関係なく、宗教の在り方や意義というものを一度は考えてみるといいかもしれない」
そう言うとセンセイは手をヒラヒラさせ、そのまま振り返ることもなく歩いていった。
「宗教の有り方や意義……」
センセイにとってそれが何かは知らないが、それはまた次の機会に聞こうと思った。
元から胡散臭すぎて距離をとっているつもりだったが、センセイもああいっていることだし静観しておくことにしよう。
だが、俺がそうであっても、“他”がそうだとは限らないことは薄々分かっていた。
俺は家に帰ると、真っ先に父と母を呼んで先日のことを切り出した。
「父さん、母さん。昨日のことだけど……」
「お、そ、そそうか」
かしこまった態度に、二人の緊張が読み取れる。
俺からはっきりとした答えを聞けることはあまり期待していなかったのかもしれない。
「でもね、その前に確認しておきたいことがあるんだ。じゃなければ答えない」
「……なんだ?」
「意志……そ、そりゃあ私たちは決まっているから、あなたに聞いているのよ」
「“私たち”?」
「そうさ。母さんはもちろん、俺も……」
「生まれてくる子は?」
「!?」
両親の動揺は明らかであった。
そして、その動揺が答えでもある。
「……どうやら、まだみたいだね。大切なことだよ」
「い、いや、それはだな……」
「生まれてくる子の意志を確認しないまま、親の勝手で生んだりしたら大変だ」
両親はすっかり黙ってしまった。
だが、優先すべき事柄が出来てしまった以上、少なくとも俺の意思決定は見送りである。
「で、お前が生まれたのはその1年後のことだ」
「そういうことになるな」
「身に覚えがないんだけれども」
「そういえば、俺も結局のところ聞かされていないな」
そう言って俺たちは両親に視線を向ける。
「ふ、二人とも忘れているだけさ」
「そうよ。ちゃんと意思確認をしたわ。二人とも、ここに生まれるべくして生まれたの」
そう言う父と母は視線を合わせないままで、訝しげだ。
そんな両親に弟はジトリとした目をする。
「まあ、父さんと母さんがああ言っているんだ。信じようじゃないか」
未だ懐疑的な態度の弟を、俺はなだめる。
「もう、それはいいけどよお……俺たちはどういった経緯で生まれたいと思ったんだろう」
「まあ、俺も思い出せないけどさ。これまでのことや、これからのことで、俺たちがなぜ生まれたいと思ったか推測していこうじゃないか」
あの時だって、煙に巻くためにそう言っただけだ。
まあ、聞くべき相手が肯定も否定もできない、或いはする気がないなら、そもそも聞くことがナンセンスなのである。
あれは俺が、今のお前と同じくらいの年齢のときだ。
かしこまった態度で、父と母がこんなことを言ってきた。
「息子よ。弟か、妹は欲しいか?」
どういう経緯でそういう話が出てきたのかが、俺は分かっていないからだ。
「俺が欲しいといったら手に入るものなの?」
「いや、そういうわけじゃない」
「なんだよそれ。だったら俺に聞く意味ないじゃん」
「家族が増えるかもしれない話だから、あなたの意見も参考にしたいのよ」
妙な話である。
現状、目の前にいない存在を欲しいのかと聞かれて、仮に答えたとしてその意見がどれほど参考になるというのか。
「どちらか選べるの?」
「生憎だけど選べないわ」
「うーん……時期は何時ごろ?」
「追って報告する」
「なんだ、あまり融通は利かないんだね」
「そうだ。これはカテイの話だと考えてくれ」
「カテイ?」
父はそう言ったものの、それにしてはかなり真面目な雰囲気だったことは当時の俺ですら分かった。
それを踏まえて奇妙だと感じたのは、ほぼ重要なプロセスは両親次第と説明している割に、俺の意見を参考にしていることだ。
つまり、この場で俺の意見を参考にするということは、とても重要な意味を持つことになる、と解釈した。
「……ちょっと考えさせて」
それにしても父と母も大概である。
翌日も考えを保留したままだった。
その日は友人たちとドッジボールで遊んでいたが、どうにも身が入らず早々に脱落した。
そんな俺の様子は明らかだったのか、心配してタイナイが話しかけてきた。
「どうした、マスダ。今日は調子悪いじゃないか。風邪か何か?」
「課題? そんなの出たっけ」
「カテイの話だ」
「カテイ?」
「そうカテイの話。俺の弟か妹が欲しいか、って聞かれたんだ」
「そうなんだ。でもカテイの話だろ? そこまで重く考えなくていいんじゃないか?」
「カテイの話だからこそだ」
話したところで仕方がないのだが、俺は何でもいいからヒントが欲しかった。
「タイナイは妹がいるんだっけか」
「ああ、いるね。一つ下の」
「うーん……聞かれてないね。多分」
答えを期待していないからなのか、我ながらナンセンスな質問である。
「まあ、子供を生むのはお母さんだしなあ。ボクに聞く必要なんてないだろうし」
だが、それでは答えにならないのだ。
「マスダは、キョウダイいらないの?」
「そういう話をしているんじゃない。俺の意志はどれほどの意味を持つかって話だよ」
俺自身が欲しいとか欲しくないとかで考えられない以上、何かそれを判断すべき物差しがいるのだ。
或いは俺の意見を聞くのがどうでもよくなるほどの、煙に巻く何かが……。
「そうはいっても、そういうの聞くべき相手って家族くらいしかいないだろ」
肝心なことを失念していたのだ。
「答えは見つかった?」
「俺よりも聞くべき相手がいたことに気づいたんだ。俺の答えは、それを聞いてから決めても遅くない」
「俺ってどうやって生まれたの?」
ああ、とうとう来てしまったかと思っていたにも関わらず、両親は動揺した。
一度、疑問を持てば自分が納得する答えを探し求め、その労力を厭わない。
「そうね……よく知らないの。ほら、私ってサイボーグでしょ?」
「まあ……」
我が家ならではの誤魔化し方であるが、後々ややこしいことになりそうなのは目に見えている。
「母さんが本格的にサイボーグ化したのって、つい最近だろ。そもそもサイボーグであることと、知っているかどうかとは関係ないし」
「あ、それもそうか」
俺は横に入って訂正をせざるを得なかった。
具体的にどうこう言えというつもりはないが、誤魔化すならもう少し支障がない方向性でいくべきだろう。
「……」
「……」
当然ながら弟は納得しない。
「ちぇ……なんだよ、それ。じゃあ兄貴は知ってる?」
そして両親がその調子であれば、次に訊ねられる身内は俺しかいないことになる。
父が目配せをする。
どうやら、さきほどの俺の訂正と同時に、回答権を俺に譲った形にしたつもりらしい。
「なあ、兄貴……」
「待て、説明するには言葉選びと構成が大事なんだ。それを考えている……」
正直なところ、俺は皆がそこまでして誤魔化す理由すら把握していない。
しかし、漫然と「今じゃない」という思いが横たわっているが故に苦心する。
それを汲み取るべきかは知らないが、かといって返答に窮することは変わらない。
コウノトリだのキャベツ畑だのは陳腐すぎるが、無修正のポルノを例に説明するのが愚策であることもさすがに分かっている。
かといって、ここで両親と同じく沈黙を貫いたり下手なことを言ったりすれば、その被害は我が家だけではすまないことになるだろう。
いわば、意図せずして俺は弟の知的好奇心を止める最後の砦となってしまったのだ。
なんだか、こういうこと前にもあったな……。
ああ、関係のないことまで思い出して、考えがまとまらなくなってきた。
「いや、待てよ」
俺はそうして思い出した記憶の中から、一つの光明を見出したのだ。
「俺も所詮はティーンエイジャー。言える事は少ない。だが、それでも言える事はある」
「お、なになに?」
「お前が生まれる前の話だ。第三者から見えてくる、誕生の真実ってのもあるんだぜ」
俺の意味深な語り口に、傍観を決め込んでいた両親もソワソワし始める。
「真実……?」
「まあ、聞け」
色々あるし 医療とかで使うケースもある
けど一般人は 気にしなくていいよ
色々あるけど 覚える必要ないよ
ガキでも分かることだぜ
ならば撲滅しようぜ 使った人間もろとも
出し物のムービーが終わった。
その後、何とも言えない空気が観客席全体から漂うのをひしひしと感じる。
実際、何とも言えない出来なのである。
有り体に言えばドン引きだ。
だが、監督のウサクだけは満足そうなのが余計にツラい。
「なあ、マスダ。このウサクって奴に監督やらせるのは失敗だったんじゃ……」
オサカが俺に耳打ちしてくる。
「……まあ、いいんじゃないか」
俺も制作に関わっている以上、こう返すのが精一杯だった。
「いくらなんでもメッセージ性が露骨過ぎる。どこぞの公共団体が作っても、もう少しマシな演出するよ」
それをウサクじゃなく俺に言うのは、きっと言ってもロクなことにならないことを作風から感じ取ったからだろう。
「あとプロットが歪なことになっているじゃないか。あんな人々に悪影響を及ぼして、しかも依存性の強いものが当たり前に普及しているってどーいう設定だよ。しかも、それがロクに規制も禁止もされていないって、どんな国だよ」
「フィクションなのに、あんな実際にあったみたいなノリで描写されていて、そこに社会的なメッセージまで露骨にするってのが姑息なんだよ、あと……」
その後もオサカはしばらくこの調子だった。
とりあえず俺たちが学んだのは、ウサクに好き勝手映画を作らせるのは麻薬並に危ないということだった。
理屈が伴っているように見えても、それには隔絶されたものがあるからだ。
ウサクが紅潮する。
火が付いたウサクは、そう簡単に止められない。
「それは分かりません」
「いーや、分かるね! あんな毒性の強い、依存性の強いものが普及しているんだぞ!」
「さっきから、そればっかりだな。こんなもん自由じゃない、単に無秩序なだけじゃねえか」
ウサクの強い言葉に、さすがの案内人も不愉快そうな表情になる。
すると、案内人は俺たちに店内にでかでかと書かれた看板を指す。
どうやら、麻薬に関することが書かれているらしい。
「見ての通り、麻薬については町中で掲げている。義務教育レベルでも、口を酸っぱくして麻薬については説かれている。子供は保護者管理の下で購入、使用が認められている。つまり、この国で麻薬が体に良くないことを知らないで買ったり、使わない人間はいないように出来ているんだ。みんな自分の意志で買って、使っているんだよ」
「そのせいで問題行動を起こしたり、成分を偽って騙したりして第三者に使う奴だっているだろ」
「もちろん、それに関しては罰されるよ。でも、それは麻薬をそんな風に使う人間が悪いんであって、麻薬そのものが悪いわけじゃない」
「ざけんな。ここまで悪影響が出るものがロクな規制もしないで普及していて、個人の問題だけで片付けていいわけがない。麻薬そのものにも何らかの抜本的な対策をすべきだ」
「この国では麻薬が体に良くないことだっていうのは常識だ。商品にも注意書きがでかでかと書いている。それでも使う人がいるなら、それは“個人の自由”じゃないか」
「それは社会がちゃんと回っている範疇での話だろ。何でもかんでも個人の意思を大義名分にして、社会が回るわけがないだろうが!」
「ふん、つまらん理屈ばかり捏ねる奴だ。あんたがどれだけここで抗議しようが、この国で麻薬を取り扱うことは認められているんだ」
「貴様、なんだその言い草は! 我は何一つ間違ったことは言っていないぞ!」
ウサクはまだ言い足りないようだったが、俺たちはこれ以上は不毛だと感じた。
別にウサクの言うことが間違っているとも思わないが、ここでとやかく言ったところでこの国の麻薬の普及も、それを使う人間もいなくなるわけではないのだ。
俺たちはウサクを引っ張って、予定より早めに自分たちの国へ帰ることにした。
だが、それから間もなくして、その国の大臣は麻薬の規制・禁止を法で固め、取締りも厳しくすることが発表された。
「私の判断が間違っていた。個人の意思を尊重しすぎたのだ。自由は大事だが、自由すぎてもダメなのだ」
あの国のことを知っている人からすれば、ある意味で当然の帰結であった。
ウサクはこの一件にある意味で安堵し、テレビに向かって吐き捨てるように言った。
「やっぱりな。こうなることは目に見えていた。いやーよかった、よかった。ルールとは人間のためにあるのではない。社会の大意なのだ。個人の意思とは秩序のもとであることを知れ、愚民共よ。フハハハ!」
ウサクの増長に俺は呆れ果てていたが、タイナイはそれを見てフォローしてきた。
「まあ、ウサクはああいう言い方しかできないけれども。何でもかんでも好きなだけ普及させれば社会が崩壊するのは間違いないね」
「せーの、麻薬撲滅!」
「ん? なんだこれは」
ウサクが気になって案内人に尋ねると、俺たちの考えているものとは違う意図で話を展開させてくる。
「最近は錠剤タイプが人気なくなっているんですよね。やっぱり吸ったり注入したりしたほうが実感湧きやすいのか」
「貧困さ。貧困が原因だよ。相関関係だとか因果だとかは知らないけれども、きっと貧困が全ての元凶なんだ」
要領は得ないが、どうやらこれは薬品らしい。
気になってそのパッケージを手に取り、裏面に書かれた成分を確認する。
まさかと思い、近くに並んでいた他のパッケージも調べてみると、ほとんどが危険な麻薬だった。
なんでこんなものが、こんな大通りの雑貨屋に堂々と売っているんだ。
ウサクがぼそりとつぶやく。
それに対する案内人の答えは予想の範疇ではありつつも、俺たちはそれでも驚愕せざるをえなかった。
「ええ、合法です。というより、『合法』と表現するのも変な話だけれども」
「ああ、でも推奨はしていません。それでも買うなら自由ですが」
「ちょっと待て。推奨していないのに、なぜそんなものを売る?」
戸惑いを隠せない表情で質問をするウサクに対して、案内人は屈託のない表情で答えた。
その店を出て、その後も宿までの道中にある店を回ってみたが、当たり前のように麻薬が出回っていた。
その国には、その国のルールがあるとはいえ、俺たちはどうしても訝しい気持ちがくすぶっていた。
それが一番最初に爆発したのは、やはりというかウサクだった。
案内人の人はまるで言われ慣れているかのように、やれやれと言った反応をする。
普段やたら海外の良さについて熱弁をふるっていたが、興味のない俺はテキトーに相槌を打っていた。
それがタイナイの琴線に触れたらしく、俺は半ば無理やり海外の良さを体験させられる羽目になった。
ウサクは、タイナイとは別ベクトルで“精力的”な人物であり、様々な国の政治に触れておくのも一興とついてきた。
「あえて下調べをしないことで、より体験を新鮮で特別なものにするのさ」
とはいえ、さすがに不安なので案内人を雇うあたり慣れている(と思われたいのだろう)。
「ようこそ。この国は“個人の意思”を尊重します。そのフレキシブルさ含めて、どうぞ観光を楽しんでください」
何はともあれアテもなく歩き出すと、早速タイナイが観光の独自理論を展開させる。
「基本的に観光が盛んな国というのは、海外向けに首都も最適化されているんだ。場合によっては地元の人が疎外感を覚えるほどにね」
こーいうのを悠々と語りたがる年頃なのだ。
「だけど個人的には大通りじゃなくて、小脇の道に寄ってその世界の情勢を側面的に見るのもオツなものだよ」
「なるほど、我もこの国の情勢をしかと体験してみたいしな。よし、ちょっと寄り道しよう」
そうして目に付いた小脇の道に入ろうとすると、案内人が止めてくる。
「いけない。巻き込まれるかもしれない」
不穏なことを言ってくる。
「なんだ。治安が悪いってことか?」
「いや、取り締りはしっかりやっていますが、大事になったときに巻き込まれる可能性がある」
「そーいうの含めて治安が悪いって言うと思うのだが」
「自由を尊重している国なので、まあ多少は。もちろん、どうしても行くと言うなら構いませんが……」
なんだか腑に落ちない理屈だったが、とにかく危険だということで俺たちは行くのをやめた。
俺たちが立ち寄ったのは大きめの雑貨屋だった。
「俺たちの国でも海外観光客が大型雑貨店で買い物するってことは多いだろ? その国の雰囲気を感じ取るのに実は最適なんだ」
別にもっと如何にもな場所を観光してもいいと思うのだが、どうもツウぶりたいらしい。
俺たちの国にもあるメーカーのものに、この国独自のブランド商品も共に並ぶ、何とも奇妙な様相を呈していた。
そして、ふと一際目立つ、異様なデザインのパッケージが目についた。
前回までのあらすじ
ん……ああ、終わった?
どれくらい時間がかかったか分からないが、決着がついたらしい。
弟の解説によると、デッキの完成度とその戦術の理解度が明暗を分けたという。
ジョウ先輩は新パックのカードを既存のデッキに混ぜていた結果バランスが悪くなっていた。
それに対して弟のデッキは普段のロマン重視のデッキではなく、勝ちを重視するべく「環境トップのテーマ」だとかいうのに切り替えていたという。
ジョウ先輩いわく、勝負は一方的でほとんど何もできず、何かしても弟に逆に利用される始末だったらしい。
「ワタクシ、カード集めるのが主な目的ですから、バトルはそこまでガチじゃないんですのよ……」
こうして弟は新パックを勝ち取った。
「さて、と。この開けるときのワクワク感がたまらないんだ……」
そうして弟が開封しようとすると、隣で食い入るようにジョウ先輩が眺めていた。
「おい、しつこいぞ!」
「見るだけ! 見るだけですから!」
もし希少なカードを弟が手に入れたらショックだと言っていたのだから、いっそ知らないまま立ち去ったほうが精神衛生上よいと思うのだが、どうしても気になってしまうようだ。
「お、グリグレだ」
「しかもラメ加工しているバージョンですか。そこそこ運がよろしいですわね」
何が良くて何が悪いかはよく分からないが、やたらと派手な柄だったりキラキラしているものがレアだという。
随分と……いや、その、分かりやすいんだな。
「げ、またこれか」
「ワタクシも5箱のうち1割はそれでしたわ」
その後もいくつか開封していったが、反応を見る限り大したものはなかったらしい。
「さて、これが最後のパックか……」
パックを開ける音が店内に妙に響き渡る。
その後は、やけに静かである。
「……まあ、こんなもんか」
「……まあ、こんなもんですわね」
「あんたが言うんじゃねえよ」
どうやら、がっかり感の静寂だったらしい。
「まあ、ひとまずワタクシの観測範囲内でベリグレやクアスペが出なくてよかったですわ……」
必死に探し回った割にこんな盛り上がり方だと、付き添ってきた甲斐が俺にもないのだが……。
そうしてノリきれずに持て余していた俺は、暇つぶしにパックに羅列された文字を何気なく読んでいた。
すると、あることに気づく。
「なあ、その……ベリーマッチグレート、クアドラプルスペシャルだっけ」
「ええ、それが、なにか?」
「初期出荷分には入っていない……って書かれているんだけど」
弟とジョウ先輩が固まる。
後に分かったことだが、CMにも右下あたりに注意文がちゃんと表記されていたり、その後も店舗ごとに注意喚起をしていたらしい。
巡った店にいる人間の特徴に偏りがあると思ったが、他の人はそれを知って思いとどまっていたということなのか。
「まあ、仮に入っていても10パック程度じゃ出ないだろうし」
弟はというと多少は気持ちが沈んでいたようだが、意外にも冷静だった。
元からそこまで期待していなかったらしい。
だが、休みを犠牲にして、カードも大量に購入していたジョウ先輩はそう簡単に割り切れないようだ。
「キ…キ…キイイイイイイイ ! 許せませんわ! あの会社め、法の裁きを受けさせてやりますわ!」
そういってジョウ先輩は店を出て行った。
だが、その後も何事もなかったかのように、ジョウ先輩はカードゲームに興じているのを何度か見かけた。
いつの間にか件のベリーマッチグレートだとか、クアドラプルスペシャルとかいうのも手に入れていて、周りに自慢していた。
更に新パックを買いまくって手に入れたのか、或いは別の方法で手に入れたのか。
いずれにしろ、怖かったので聞かないことにした。
今回の件で、俺は認識を改めた。
でも違うんだ、子供の遊びに大人が深く介入すれば、それはもう“大人の遊び”なんだ。
“子供の遊び”と“大人の遊び”が噛み合わないのは当然だよな。
前回までのあらすじ
俺、マスダ!
体力も限界に近づいていたその時、とうとう新パックを見つけたんだ。
けど、あのジョウとかいう明らかに嫌な奴が、この期に及んで邪魔してきやがる。
こうなったら仕方がない、口で言っても分からないならカードで分からせる。
それがバトルアンドファイトの掟だ。
あ、今回のカードバトル部分は読まなくても構成上まったく支障ないぜ!
「まずはワタクシから。今のあなたでは絶対にできない戦いをお見せしましょう。まずはコーズを1消費して、『無作為の語学収集人』をエントリー!」
「!? 新パックのカードか。コーズたったの1で、他の条件もなしにエントリーなんて低コストすぎる」
「もちろん、デメリットがありますわ。ダイアリーにあり続ける限り、ターン毎にコーズを1消費しますの。ですからワタクシはコーズを1消費して、この『権威の打撲武器』を装備。これを装備したユーザーカードのコーズ消費は0になりますの」
「ワタクシのコーズはまだ残っていてよ? コーズを3消費して、『連呼される文意なき言葉』をエントリー! 同じカテゴリーのカードを1ターンで何枚でもダイアリーに出せる!」
「そして『カレーのレシピ』をエントリー! コーズを全て消費してカレーの材料を合体! 『オリジナルカレー』がエントリーしますわ!」
「ほほほ、このゲームにおいて強力なカードは決め手ですわ。オセロで端を手に入れたようなもの。さあ、次はあなたのターンですわ」
「……確かに驚いたよ。新パックのカードはかなり強力なようだ。けど、あんたガチ勢じゃないだろ?」
「!? なぜ、そう思うのかしら?」
「このゲームにおいて最も重要なのはコーズのリソース管理だ。デッキからカードを引くのにも、カードを出すのにも、ほとんどの行動に消費する。コーズを消費しないカードもあるにはあるが、代わりに重たいコストがつきものだからな。勝負を決めに行くときならともかく、攻撃ができない先攻1ターン目から全消費するのは有り得ない」
「ふん、別に毎ターン一定量は回復しますし、上限もありますから使わないと損するだけですわ」
「やっぱり分かっていないようだな。まあ、直に分かることさ。『一括払い』をエントリー! これでコーズの消費は任意のタイミングで一括して行う。そして『虚言の賢者』をエントリー! このカードは、疑問系カードを無効化してエントリーできる!」
「『あと一つは?』をエントリー! 本来ならこのカードはエントリー時に同カテゴリのカードを手札から2枚捨てなければいけないが、『虚言の賢者』の効果で無効化されているのでその必要がない。そしてこのカードの無効化はエントリー時のみ適用される。つまり以降の効果は発動可能」
「『あと一つは?』の効果で『隙あらば自分語りのメソッド』と、『冷やかしのテンプレート』をエントリー! そしてこの2枚を消費することで、『露悪センセーショナル』をエントリーできる!」
「そ、そのカードは!?」
「『露悪センセーショナル』のエントリーによって、このターン消費するコーズは一度だけ相手が消費する。あんたの現在のコーズは0。知っているだろうけど、0の状態でもコーズは消費することができる。マイナス状態だと発動できない効果も多いし、毎ターン回復するコーズやHPにペナルティが発生するがな」
「な、なんてこと……」
「だが、俺が消費させるのはコーズのほうじゃない。『観測外の一貫性』をエントリー! このターン、お互いのプレイヤーはコーズ残量0以下の状態でコーズを消費するとき、場のユーザーを代わりに消費する!」
「察しの通り。俺が今まで消費したコーズ、あんたのユーザーで消費させてもらうぜ! そしてユーザーカードが場になければ、エントリーカードの『オリジナルカレー』も消滅するというわけさ」
「大人の皮を被った子供め、覚悟しろ! ジャストコーズは俺にある!」
前回までのあらすじ
俺、マスダ!
『ヴァリアブルオリジナル』の新パックを求めて町に繰り出したんだ。
けど、子供みたいな大人たちのせいで、どこもかしこも売り切れだ。
途中、ジョウとかいう明らかに嫌な奴におちょくられるしで散々だぜ。
でも、俺はまだ諦めない。
きっとどこかに新パックがまだあるはず。
疲れた兄貴が「もう帰ろうぜ」と言い出す前に、何としてでも見つけなきゃ!
あの後も何件と回るが、やはりどこも売り切れだった。
俺は付き添いだけで酷く疲れているので、弟に至ってはボロボロだろう。
こんなにも苦労するなら供給が潤沢になるまで待つほうが懸命だと思うのだが、弟は頑なであった。
手に入らないものほど、余計に欲しくなるのだろう。
ここまでくると手ブラで帰りたくないという意地もあったのかもしれない。
うらぶれていた弟だったが、ふと顔を向けるとその目に見る見るうちに光が差す。
「あ……あった! あれだ!」
そう言うと弟は走り出す。
俺もゆっくりと向かうと、確かにCMで観たのと同じパックがそこにあった。
ようやく見つけた新パックに弟の表情が緩む。
息を調えると同時に、感動を噛み締めているようでもあった。
しばらくすると、弟は手はゆっくりと伸ばした。
が、そこに見知った手が同時に伸びていく。
ジョウ先輩だ。
「な、なんだよ、あんたは5箱も買ったじゃないか。もう買う必要ないだろ」
「5箱も買ったけど、ベリグレも、クアスペもなかったのよ! 5箱も買ったのに!」
「知るか! 俺は小遣い分だけ、10パックほどしか買わないのに。全部買おうとするなんて、それが大人のすることかよ!」
「あなたの買った中に、もしもベリグレがあったりしたら悔しいじゃありませんか。ましてやクアスペがあったりしたら、悔しくて寝れなくて……明日は寝不足状態で労働ですわ!」
ジョウ先輩が妙に必死なのはあの人の性格もあるが、そーいう事情もあったようだ。
子供の遊びの前では、大人ですら子供になってしまうという話はよく聞くが、それを考慮してなおこの争いに俺は見苦しさを感じた。
見るに堪えないものであったが、俺は事態を収めるつもりはない。
聖戦とはかけ離れた醜い戦いでも、弟は自身の力で戦い、勝ち取るべきなのだ。
あと、面倒な上にロクなことにならないし、付き添いだけで酷く疲れていたので俺は絡みたくない。
そうして二人は押し問答を繰り広げていたが、とうとう見かねた店主は二人の間に割って入り、一つの提案をした。
「どうしても譲れない。それでも決めるなら、方法は一つではないですかな?」
その言葉で少し冷静になった二人は、腰に携えていたカードの山に手を添える。
「バトル!」
「アンド!」
「ファイト!」
すると突然、店主含めた三人はまるで打ち合わせしたかのように、掛け声を店内に響き渡らせる。
「あー……それ時間かかりそう?」
「場合による!」
前回までのあらすじ
俺、マスダ!
いま、この世界では『ヴァリアブルオリジナル』がすっげえ流行っているんだ。
かくいう俺も、その流行の住人なんだけどね。
今日も家で何気なくアニメを観ていたら、CMでなんてこったい!
大変だ! 今すぐ買いに行かなきゃ!
俺一人だと年齢制限に引っかかって購入できないから、兄貴を連れてレッツゴーだ。
こうして、俺たちは町に繰り出したんだけど……おっと、ここからは兄貴に語ってもらうよ。
「くそお、どこもかしこも売り切れだ! ネットにも出回っていない情報だから、スタートダッシュは同じはずなのに」
数件ほど回っているが、店主から帰ってくる答えは「売り切れ」だった。
一応、いくつか在庫のある店はあったものの、新パック目的の人たちは多くいるようで混沌としており、泥沼の紛争地帯と化していた。
あの中を掻き分けるのは子供の力では難しく、もちろん俺はハナから興味がないので拒否する。
弟は指を咥えて見ているしかなかった。
「一部のコアなファンの仕業です。これまでの発売時期や期間、アニメから読み取れる僅かな情報からヤマをはって、開店前から並んでいたのでしょう」
いきなり俺たちに近づいて話を展開させてきたのは、俺の通っている学校のOBであるジョウ先輩だった。
大人の中にも熱中している人間がいるとはメディアでも報道されていたが、まさか身近な知り合いにいたとは。
「小癪なのは、意図的に流通を少なくしている上、予約を受け付けていないことです。そうすることで店になだれ込ませて話題性を作り、購買層を煽っているのでしょう」
弟がジョウ先輩に突っかかる。
口調が無意義で鼻についたらしい。
「小童、覚えておきなさい。平日の昼間以外に働く人間だって多くいるのです」
「え、ジョウ先輩って夜間とかの勤務でしたっけ」
「ほほほ、兄弟そろってお子様ね。今日のワタクシは、有給ですのよ!」
つまりジョウ先輩は新カードパックのために、発売時期にヤマを張って有給をとっていたことになる。
何日分使ったかは怖くて聞けなかった。
「既に5箱確保しました」
「5箱も!?」
「同じカードでもデッキに複数入れることが可能ですから、多すぎて困るということはありません。それに運悪く目的のレアカードを引き当てられないこともありますから、出来る限り確保しておきませんと」
「ちくしょう! あんたらみたいな大人がいるから、俺たちに1パックもこないんだ!」
「ほほほ、覚えておきなさい小童。これが“大人買い”というものです!」
「負け惜しみにしか聞こえません。ほらほら、こんなところで油を売っていてよろしいのかしら?」
そもそも先に話しかけてきたのはジョウ先輩からのほうなのだが。
どうやら弟みたいな買い損ねた人間をおちょくって優越感に浸りたかったようだ。
ジョウ先輩は笑いながらその場を悠々と去っていく。
「くっ、まだだ。まだどこかに残っているはずだ!」
弟は踵を返し、走り出していた。
独特のパワーがある いい装備も用意してある
俺がスゴイ奴なので 実は仲間いらないかもしれない
そうは言っても 俺を褒めてくれるから仲間だ
ヴァリアブルブル! オリジナル!
絶対こらしめてやる 溜飲を下げさせてやるぜ
ハチャメチャしてるぜ ですが誤解しないで
ヴァリアブルブル! オリジナル!
弟がテンションを高くして観ているのは『ヴァリアブルオリジナル』というアニメだ。
雰囲気は如何にも子供騙しにしか見えないが、意外にも大人気のようだ。
特にこのアニメをモチーフにしたカードゲームは、世界大会が開かれるほどの熱狂ぶりで、弟もその住人らしい。
弟に対して俺はというと、内心冷めた目で静観していた。
他人の趣味を腐すつもりはないが、俺はこういうジャンルに明るくないから理解に苦しむのだ。
『私は姫……女王がいないけど、ピーチ姫だってそうでしょ……』
「あれ、CMいつもと違う」
『新パック、“剣姫スミロドン”登場! ベリーマッチグレートレアとクアドラプルスペシャルクラスが合体!』
「うおお! 何これ、初耳なんだけど!? アニメにもまだ登場してないじゃんか」
『切り札はこの袋の中に~切り札じゃないかもしれないけれど~たくさん買えば~いつか~きっと~』
「畜生、発売と同時に宣伝するタイプか! 今すぐ買いに行かなきゃ!」
「アニメは観なくていいのか?」
「何で俺も行かなきゃいけないんだよ」
「購入に年齢制限があるんだよ!」
この時、母はメンテナンス中で動けず、父は必要な機材の準備で手が離せなかった。
仕方なく、俺は渋々と弟についていくことにした。
子供向けのはずなのに、その子供は買うのが制限されているってのも奇妙な話だと思ったが、まあ金のかかる趣味には往々にしてあることなのだろう。
「やれやれ……付いてはいくが、くれぐれも節度を持って買えよ、と」
「……」
タオナケの序盤の妨害も結果的に弟とその他の参加者の差を広げることとなり、ドッペルの意外な助けもあってダントツトップを維持し続けた。
その後のアトラクションは逃げ切りを防ぐため、先行する人間に不利な仕掛けが多く施されていたが、それでも弟との差を他の参加者が縮めることは出来なかった。
「いいぞ、息子よ。そのまま逃げ切ってしまえ!」
その勇姿に、プレゼントを突っぱねた両親すら声援に熱を帯び始める。
こうして弟は、最後のアトラクションを潜り抜け、サンタのもとにたどり着いたのであった。
弟がサンタに真っ先に言うべきことは決まっている。
息を荒げながら、サンタに満面の笑みで言う。
「バーチャルでリアリティのやつをください。ボーイのやつじゃないですよ」
弟はそう言った後、アトラクションへの達成感と、その成果を得られる喜びを噛みしめていた。
「頭が悪くなるぞ。あと目とかも」
さて、このサンタが実は父だった、という展開なら話としては綺麗だが、生憎別人である。
両親は、俺の隣で一緒に観戦しているからだ。
つまり、サンタもまたつまらない大人の理屈で、子供の願いを突っぱねるような人間だったということさ。
サンタなんていないと気づかされるか、サンタが理想とは違った人格だったか、いずれにしろその時の弟にとっては残酷であることには変わらない。
こうして、弟は結局目当てのものを手に入れられなかった。
だが、意気消沈して帰った自分の部屋に、まさかの代物があったのだ。
「管轄?」
「いや、お前のではないからな?」
弟の勇姿に胸を打たれたのか、実はそのイベント後に両親はアレをこっそり買っていた。
だが一度、突っぱねた体裁がある以上、直接プレゼントとして渡すのは甘いと思ったのだろう。
なので名目上は俺が自分のために買ったということにしたのである。
まあ、俺はあのテの玩具に興味がないので、実質的に弟のモノというわけだ。
大人と子供の境界を反復横とびしなきゃいけない俺ならではの役割ではある。
当然これをネタに、俺は両親から相応に色をつけてもらうつもりだが。
どうしても欲しいならバイトをしているから買えるんだが、プレゼントってのはまた別の話さ。
何を贈るかってのも大事だが、誰が送るか、どう送るか、つまりそこに込められた思いも大切だ。
その点で、弟の手に入れたアレは、サンタから貰うよりも遥かに特別な意味を持っているといえる(当事者に自覚があるかはともかく)。
もしかするとサンタはそこまで考えて、最もよい方法で弟のもとに目当てのものを届けた……ってのは深読みしすぎか。
いずれにしろ、一見すると無駄な遠回りをしながらも、弟にとって素敵なクリスマスとなったのだった。
「うーん、ちょっと遠いなあ。弟の姿が見えない」
「ああ、そういえばそんな改造したことあったっけ」
母が首にコードを刺すと、備え付けのモニターに弟が奮闘している姿がはっきりと映し出される。
他にベターな方法があったと思うが、俺たちはそのモニターを眺める。
だが、ロープの本数は少なく、先行する人間が非常に有利になってしまうアトラクションだ。
弟はそれを理解しており、後半バテること覚悟でそのロープアトラクションへ最初にたどり着いたようだ。
最大速度で劣ることを理解していたタオナケは、ここで超能力を使う。
ロープは次々と引きちぎれ、登ろうとしていた参加者たちは戸惑いを隠せない。
弟はまだ千切れていないロープに飛び移って落とされないようにするが、それによる負担は大きく、登るスピードが見る見る遅くなる。
その隙を突いて悠々と向かうタオナケだったが、ここで笛が鳴る。
それでも納得がいかないタオナケが審判と押し問答をしている間に弟は登りきり、それに他の参加者たちが続く。
一見すると、ちょっと走りにくいだけの障害だが、このアトラクションの本質はボールの使用だ。
出遅れた参加者はここでボールを拾うと、先行者にぶつけて妨害する。
これはルール上認められている、というかイベント考案者もそれ込みで作っている節がある。
以前のイベントで泥沼になりかけた妨害合戦が、意外にもウケがよかったらしい。
「私、失格になりそうだけど、あの妨害がありなら超能力の妨害もありにすべき!」
何とか起き上がっていたミミセンも、よろめきながら歩みを進めている。
正直、ここから追いつくのは無理だと思うが、プレゼントをそう簡単に諦められないのは誰だって同じだということだ。
そして、ボールの海はというと、セーフもアウトもないドッジボールになりつつあり、背を向けていた先行者たちも応戦するためにボールを投げる。
弟もたまらず応戦しようと振り向いたとき、思わぬ光景を目にする。
ドッペルが弟の姿に変装し、応戦していたのだ。
先行する弟の姿を真似たところで、ボールが集中するだけで何の得もない。
つまり、集中するボールを弟から分散させるため、矛先をわざと自分に向けさせていたのだ。
「なぜだ、ドッペル。今この場では俺たちは敵同士だろ!?」
このときドッペルは微笑を浮かべる。
「え? ああ……よく分からないけれども、分かった」
後に弟にそう聞かされたが、俺にもよく分からなかった。
ひょっとするとサンタからのプレゼントは諦め、弟に恩を売ることで俺から貰う計画にシフトしたと考えもしたが、俺にそういう温情があるなら弟はそもそもこのイベントに出る必要がないのは容易に想像がつくことなので、ドッペルの思惑は結局謎のままである。
こうして、飛び交うボールの勢いが弱まったおかげで、弟は先行の有利を保ったまま次のアトラクションへとスムーズに移行していく。
きたるイベント当日。
アトラクションに使われる大掛かりなセットがスポーツ施設にずらりと構えらている。
今回は製作者の興がノリすぎたのか、かなり大規模かつデザインも凝っている。
まあ、参加者にとってはプレゼントのための障害でしかないのだが。
弟たち参加者の目はマジで、和気あいあいとした雰囲気とは裏腹に立ち振る舞いはトップアスリートのそれである。
「マスダ、今回ばかりは知恵はもちろん、手も貸さないよ」
「ああ、俺も同じさ」
「最新の防音耳当ては僕のものさ」
いつもは弟と共にいる仲間たちも、今回はライバルだ。
タオナケもいるということは、恐らくドッペルもいるのだろう。
変装しているのか、俺たち家族のいる観戦席からだとよく分からないが。
シロクロはというと、年齢不詳かつ体格も成人男性と変わらないということで参加を拒否されたらしい。
そうして参加者が出揃い、観戦席も埋まり始めたところで、いよいよ開催のアナウンスが入る。
まずは市長やイベント関係者の挨拶、注意事項の説明であるが、参加者である子供たちはもちろん大人たちも聞いていない。
当人たちもそれは分かっているのでテキトーなことを言って済ませたいようだったが、町おこしも兼ねているのでマスメディアを意識した適当なことを言わないといけない。
「以上で注意事項の説明は終わります。次にこのイベントに欠かせない、サンタさんの登場です!」
スタッフが手を向けたさきの扉近くから、スモークが吹き上がる。
そこから勢いよく、如何にもな格好をしたサンタがトナカイに乗って登場する。
「ホッホー!」
俺の記憶ではサンタが乗っているのはソリで、それを引くのがトナカイのはずなのだが、第1回からこの調子だったので今さら変える気もないのだろう。
「数々のアトラクションを潜り抜け、サンタのもとへゴールしてください。では……」
弟たちが構える。
「……スタート!」
空気銃の発砲音が響き渡る。
ミミセンは、その音にやられてしまって開始早々ダウンした。
大人はウソはいけないことだと説く傍ら、サンタという共同幻想に自覚的である。
そして、いつの日か子供だった俺たちはその共同幻想に打ちのめされ、いつの日か立場を変えてその共同幻想の住人となるのだ。
クリスマスの日が近づいていた。
宗教と関係の深い祭りではあるものの、大半の人間はそんなこと関係なしに興じる。
東方の三賢者が誰かは知らなくても、クリスマスに欲しいものが何かは知っている。
いつもと違う日であるという華やかさ、ケーキや美味い料理、あとはプレゼントだ。
うちの両親はこのテの行事をそれなりに力を入れてやるタイプだが、その準備の最中に何気なく弟に訊ねるだろう。
「クリスマスには何が欲しい?」
弟は予期していたのか、まるで練習していたかのように淀みなく言う。
そして、これまた予め用意していたかのように両親は応えるわけだ。
「頭が悪くなるぞ」
「そうよ。あと、目も悪くなるわ」
両親自身、元から断るつもりだったので実際のところ目や頭が悪くなるかどうかは関係ない。
ましてやサイボーグの母が「目が悪くなる」とかいうのだから説得力は皆無だ。
弟は半分予想していた結果だとはいえ、それでも残り半分は期待していたため落胆する。
それでも弟がここで大人しく引き下がったのは、他にアテがあったからだ。
ああ、俺じゃないぞ。
両親はこのテの行事に力を入れていると語ったが、町ぐるみで精力的であることが大きく関係している。
町おこしも兼ねて行うクリスマスを盛り上げるための大掛かりなイベントだ。
参加者の子供たちはアトラクションをクリアしつつ競争し、見事サンタのもとへたどり着けば、好きなプレゼントを後日貰えるというものだ。
素晴らしいのは、よほどの問題がない限り保護者の介入が禁止されていることだ。
つまり、親に突っぱねられても、ここでプレゼントを手に入れるチャンスがある。
弟は勿論これに参加する。
あえて問題があるなら、弟のような子供はたくさんいて、親に目当てのプレゼントを貰える算段があっても、欲望というものは際限も貴賎もないことだが……。
店長は、まるで俺たちがくるのを待っていたかのように、店内に構えていた。
「店長、『アレ』を観に行きました。映画自体は面白かったです。もちろん完璧ってわけではないですが。問題はそれを語る人間です」
「何がどう問題なんだ?」
店長の態度はまるで全て分かっているようで、ただの問答が白々しくも見えた。
「あいつらは映画の話をしているようで、実はしていないんです。映画をネタに政治を云々している奴らもいた。そーいう主張そのものを批判するつもりはないが、あの姿勢は肝心の映画を蔑ろにしている」
店長は生え始めの髭を数回さすりながら、しばらく考えるように目を瞑る。
「映画というコンテンツが、今なお強力なのはなぜか分かるか? それはな、芸術だからだ。芸術ってのは正解がない」
「焦るんじゃない。理解するには、結論だけでは不十分なんだ。芸術に正解はない、つまり人の意見は千差万別で、一枚岩ではない」
「だからって、映画をネタに関係のないことを主体に語っていいとまでは俺たちには思えない」
「映画はそこまでの度量がある、と考えればいい。そんな奴らすら受け止め、枠組みに入れ、正解も間違いも曖昧にさせ、意見を分かち合わせる。だから映画はこんな時代でも強力なコンテンツであり続けるんだよ」
彼らの姿勢の是非はともかく、映画にとってそんなことは重要ではなくて、清濁併せ呑むことができる。
店長が俺たちに言っていた「健全」ってのは、本当の意味での「濁」を知らなかったってことだったんだろう。
「案外悪いことでもないってことさ。それで本質的な価値が脅かされない限りは、映画をネタに政治を云々したい奴、自分語りをしたい奴、そんな一見するとほとんど関係のない奴すら同じ輪に入る。それって実はすごいことなんだぜ」
「知らないくせに首を突っ込んでくる奴も?」
これでひとまず今日は眠れそうだが、そういえば気になっている事が残っていたな。
「オサカの総括的に、結局『アレ』はどうだったんだ?」
「そうだなあ、監督が以前手がけた映像美以外に褒めるところがないものに比べれば、その反省点を活かした構成になっていてストーリーもかったるくない。大衆が受け入れやすいよう分かりにくかったり面倒くささも極力排除されていて、逆にそれが監督の持ち味になっていた『何となく深そう』だとか、『共感できるやつだけすればいい』みたいな突き放した、独自の美学が作風に反映されていた部分も減ってしまっているのが残念かな。自分としてはホソダ的な基本はフィックスアングルで、ここぞというときにカメラ的な動きすら演出にするやり方が好みなのだが、あの監督的には多少ごちゃごちゃしているほうがいいかもしれない。演技に関してはアニメにありがちな明瞭としたのではないが、あまり前面に主張してこない声質? 演技がより一般大衆にウケたとも考えられ……」
「あー……やっぱり、また今度聞かせてもらうよ」