「うひゃあ、なんだかスゴイことになってるなあ」
会計を済ませて店を出ようとすると、すれ違いさまに見知った人間とすれ違った。
「『アレ』を観た後の感想合戦で、周りの人たちがああなってしまったんだ」
「うん、『アレ』? なにそれ? 分からないなあ」
タイナイの生活圏的に『アレ』を知らないわけがないし、すっとぼけた態度をとる意図は謎である。
本当に知らないとしても、まるで知らないほうが誇らしいみたいな態度はオサカの癇にさわり、みるみるうちに紅潮し始める。
「主人公の快活な生き方に感銘を受けたっす。あれは自分が小学生のころ……」
「そうかそうか、俺たちは急いでいるから、じゃあなカジマ!」
俺たちは逃げ出すように、どこか人気のない場所を求めて走り出した。
俺たちは人気の少ないところまで逃げていた。
店を出てから全く喋らなくなっていたオサカは、息を整える間もなく喋りだした。
「な、なんだ、アレ。本当にあいつらは同じ映画を観ていたのか?」
「まあ、タイナイの奴はともかく、いちおう挙げられていた要素に不備はないから観ているんだろうな」
強いて差異を挙げるならば、オサカが映画中心の話をしていたのに対して、あの人たちは映画を基に違うことを語っていた。
「そりゃあ物事は多側面だから語ることもできるだろうけれど、あれを観て真っ先に出てくる側面か? 本質や、前面が見えていない」
オサカの言葉は怒りに満ちていた。
「映画がまるで踏み台、いや踏み絵……あれ、どっちだったっけ」
オサカの言いたいことは、映画をそこまで観ない俺でも何となく分かる。
だが俺もオサカも納得できるものを用意していなかった。
ふと思い出したのは、『アレ』を観るようススめた店長のことだった。
店長がこうなることを考えていなかったとは思えない。
出来れば俺たちで答えを見つけるべきなのかもしれないが、このままでは今日を眠れない。
アフターだったが、店長に訊ねなければいけない。
俺はそこまで映画を観るわけではないので相対的にどうかは分からないが、映像は綺麗だし、アクションシーンも盛り上がっていた。
オサカがどう感じたかは分からないが、感想を言いたくてウズウズしているようなので、直に分かるだろう。
席についた途端、オサカはまくし立てるように語り始めた。
「しかし、監督の個性が色濃く出てたな。彼の既存の作品と似ている演出が散見される」
「そうなのか?」
「まあ、元々あの監督の映像作品のルーツは特撮といえるからな」
正直いうと、俺はその監督をよく知らない。
なぜ映画のストーリーだとか内容ではなく、いきなり監督の話をし始めるのか、俺にはよく分からなかった。
監督一人で映画ができているわけじゃないし、映画に出ているわけでもないんだから、他に話すことはありそうなものだが。
「スタッフやスタジオなどの体系から作品を読み取るってのは重要なんだ。特に監督はその作品の核なんだよ。制作途中で監督が変わって、グダグダな出来になった映画を数え切れないほど観てきたからな」
「すまん、ピンとこない」
「まあ、監督の話はほどほどに、ストーリーとか構成の話をしようぜ」
「そうだなあ、アクションシーンは盛り上がっているけれども意外に動的じゃなく、静的な構成だったな……」
「へえ」
「だから登場人物が今回の出来事を経ての精神的な成長は、実のところそこまでじゃないんだ。それぞれが自分の元の人格から構成された言動と、その中で出来ることをやっている」
オサカは喜々として語り始める。
俺は適当に相槌を打ちながら、オサカに奢らせるメニューをどうするか考えていた。
すると突然、後方から妙な怒号が飛び交いはじめる。
その人たちは、恐らく先ほど俺たちと同じ映画を観ていた人だろう。
「なぜ主要人物が男だったところを女ばっかりにしたのか」
「なんだと、女性蔑視だ!」
おいおい、何だか俺たちとはあまりにも別ベクトルなことになっているぞ。
オサカはオサカで気にせず感想を述べようとしていたが、徐々に不機嫌になっていくのが見て取れる。
こりゃあ、オサカが爆発する前に、ここから離れたほうがいいかもしれない。
映画ってのはどう観るのが正解か。
ひとまずベターな答えは「正解なんてない」ということになるのだろう。
じゃあ、正解がなければ間違いもないのか、あったとしてそれは誰が決めるのか。
そして、そんな不確かな状態で人々はなぜ夢中になれるのか。
今回はそんな話だ。
けれどもスマホのように人々が便利なものに依存し続けるように、俺にとって便利なものがお金だというだけの話さ。
同い年だが、俺の通っている所とは別の学校で、そこはこのビデオ屋から近いとはいえない。
だが、それでもここで働くのは別に給料がいいとかそんなことではなく、この店のピンキリなラインナップに見惚れたかららしい。
棚の整理をしながら、俺たちは何気ない話をしていた。
「なあマスダ。いま話題の『アレ』、今週からだけど観に行った?」
確かパンチだかキックだかして集めたお金で作られた核兵器が生物化し、その生物とヒロインとの戦禍の中での日々を描いた物語を、失恋ものや短編アニメで有名な監督が手がけた意欲作らしい。
「うーん、なんか面倒くさそうなんだよなあ」
「あー……まあな」
放映前から注目された作品なのだが、オリジナルでは主要人物が男ばかりのはずだったのに全員女性になっていて、原作ファンから非難轟々の状態だった。
まあ、元から俺にとってはそこまで興味のないジャンルだったので、どちらにしろ観に行かないけれども。
「観に行けばいい」
店長は割り込むようにそう言った。
「そういうもんですかね?」
店長の言葉が意図するところは分からなかったが、オサカまで健全だというのは違和感があった。
俺が「面倒くさい」といったのは、そういう意味合いもある。
「まあ、今だからこそ見えてくることもある。話題だから、みんな騒いでいるからとケチをつけるよりは有意義だろう」
別にケチをつけた覚えはないのだが、或いは別の店員がそんなことを話していたのだろうか。
「まあ、なんだかんだ気になってたし、バイト帰りに観に行こうぜ」
とはいえ、映画に関わるとオサカは羽振りがよく、色々と奢ってくれることを期待して俺は軽く頷いた。
シロクロはあのままどこかに行ってしまったようだが、それを気に留める者はいない。
改めて捕まえた店員を皆で観察する。
あまり記憶には残っていないが、恐らく以前よりあそこで働いていた店員だと思う。
「私、超能力者だけど、この人も超能力者のようね。性質は違うようだけれど」
ああすると超能力者同士なら分かるらしい。
そうか、おにぎりが消えて客のカゴに入っていたのは、超能力のアポートだったのか。
まるで達観したようなことを言ったので俺たちはタオナケに視線を向けるが、発言者本人もしっくりこなかったようで目を逸らした。
「それにしても、予想以上の展開だったな。まさか、おにぎりの昆布需要の謎が、一人の超能力者によって長年操作されていたとは」
「いや、俺が超能力に目覚めたのはつい数ヶ月前のことだぞ」
「え?」
全員が固まる。
「アポートも試し試しで、おにぎりを移動させたのも今回が初めてだし」
「いや、悪の超能力機関とかがあって、実験台にするために狙ってきたのかなあ、と」
そんなのあるわけないだろう。
超能力があるからといって、超能力者機関があるとまで考えるとは、フィクションに触れすぎである。
俺たちは脱力して、疲れが今になって出てきたのか、その場にへたり込んでしまった。
「ちょっと待てよ、結局おにぎりの昆布の謎が解明できていないんだが」
「あ~? そりゃあ、オメエ。昆布が日本で昔から親しまれている食材だからじゃねえの。同じ具ばっかりじゃ何だから次点として選ばれやすいけど、そこまで好きじゃないから残されやすい、とか」
店員のそれっぽい答えに否定も肯定もする気が起きないほど、俺たちは徒労感にやられていた。
かくして、おにぎりの具問題は俺たちの息切れによって幕切れとなった。
事態を把握できていない俺たちはというと、外から様子を見ているだけだった。
続いて弟が店を出てくると、開口一番叫ぶ。
「みんな、そいつだ!」
事態を正しく把握できた仲間は誰一人いなかったが、それでもするべき行動に迷いはなかった。
仲間たちは全速力で店員を追い、反応の遅れた俺がそれに続く。
店員はあまり速くなかったが、それでも遮蔽物や曲がり角を駆使して逃げられたら不味い距離だ。
早めに決着をつけたい。
スタートダッシュで遥かに遅れたものの、俺はすぐミミセンとタオナケに追いついた。
二人は息を切らしながらも走っているが、店員に追いつくことは難しそうで当人たちがそのことを一番理解している筈だ。
それでも走ることをやめないのは、最低限やっておくべきことがあったからだ。
「私……だけど、言われなくてもやってるわよ!」
タオナケの無機物を破壊する超能力は、10回に1回成功する位の確率だ。
どのような処理がなされているか分からないが、恐らく何回か失敗したあとに店員の靴にクリーンヒットしたらしい。
店員は壊れた衝撃で体勢をくずすが倒れることはなく、そのまま走り続ける。
それでも、俺たちが追いつくには十分な猶予だ。
「僕とタオナケは別のルートから待ち伏せしてみる! マスダの兄さん、よろしく頼む!」
別に俺に頼まなくてもシロクロが先行しているから、あまり意味はなさそうだが。
先行していたシロクロは、俺よりも早く店員との距離を詰め始める。
このままシロクロが追いついてくれれば、俺が念のためにそれに続いて終わりだ。
そう、シロクロは“アレ”なのだ。
「サイソクの座は貰ったあ!」
店員に追いついたことに気をよくしたのか、そのまま追い越して走っていってしまった。
残念な結果ではあるが、それでもそんなシロクロを見て怯んだ店員のスピードはまた緩みつつある。
追いつくのは時間の問題だが、あの店員を俺一人で止める場合、勢いで転ぶ可能性が高い。
下手なダメージを食らうより、所々擦りむくほうがむしろ痛いのだ。
だが俺しか止める人間が残っていない以上、ここは覚悟を決めるしかない。
そして、いよいよ近づいた店員に飛び掛ろうとした、そのとき……弟が店員の進行上に立ち塞がっていたのだ。
先ほど店にいたはずの弟に回りこまれた店員は、驚きで思わずその場で止まってしまう。
あの短時間でもう回り込んだのか。
いや違う、あれは弟じゃない。
弟の仲間の一人であり、変装の名人でもある、通称ドッペルゲンガーだ。
店員の走る勢いは完全になくなり、こうなれば俺一人で拘束することは容易だった。
「ナイスだ、ドッペル」
「これぐらい楽勝だよ、にい……あ、兄貴」
ドッペルが真似られるのは姿だけなので、もし店員があのまま走り続けていたら危なかった。
弟たちの行動が、一つ一つ功を奏した結果といっていいだろう。
俺たちは近くの店に向かった。
ドコゾ系列のスーパーということもあり、とりあえずここを調べれば他も大体同じである。
「誰が調べにいく?」
「マスダの兄さんは先ほど調べにいったから、また行くのは不自然だ。それ以外がいい」
「じゃあ、ミミセンがいくか?」
「僕は耳栓をつけていないと思考が働かないのは知ってるだろ。色々と精彩を欠く」
そう答えるミミセンの声は、自分で思っているよりも小さい。
シロクロは“アレ”だし、タオナケは超能力が暴発したら大事なので、弟が調べに行くことにした。
俺たちは堪え性の無いシロクロを押さえ込みつつ、離れた場所から見守る。
弟の動きは妙にぎこちなく、まるで「別の何か」を警戒しているようだった。
おにぎりの陳列コーナーに向かうかと思いきや、その隣の棚に向かう。
そうして数分後、弟の動揺が見て取れるほど身じろぐ。
後から弟に聞いたのだが、このとき棚のおにぎり昆布がひとつ消えたらしい。
消えた昆布の在り処を探そうとしたとき、レジに向かう客のカゴに目が移った。
その客がとったおにぎりは鮭であって、昆布は手にとっていないはずなのに、なぜかカゴに入っていたのだ。
驚いた弟はその客のもとへ向かいそうになったが、すぐに思いとどまり今回の昆布の謎を思い出していた。
あの客を追うのはミスリード、本当に追うべきは「あのカゴに昆布のおにぎりを入れた奴」なのだ。
弟は辺りを見回す。
手段は分からないが、それでもそいつを探すことは不可能ではない。
もし、何らかの手段でカゴに昆布のおにぎりを入れた奴がいるなら、それがレジを滞りなく通過して、その客も「あれ?……まあ、いっか」となる場面を見届けたいはずだ。
それを眺めている奴がいる可能性が高い。
……いない!?
アテが外れたのか……いや、そうではない。
いたのだ、近くに一人。
走るような速さの弟は、常に足のどちらかは地面に接していた。
「……ということなんだ」
「あまり気にしたことはなかったけど、確かに不思議だ。あいつら昆布はいつも何食わぬ顔でそこに佇んでいる」
「何かあるわね」
一度、弟たちが興味を持てばしめたものだ。
魔法少女の正体すら暴くような行動力を持つ弟たちにかかれば、「昆布の謎」解明は時間の問題だった。
まず、頭脳派のミミセンが情報を整理、考えられる可能性を洗い出す。
今回は耳当てもつけているあたり、本気であることがうかがえる。
「もう一度、近くの店を調べなおしたほうがいいかもしれない」
「どういうこと?」
「問題は相対的価値なんだ。他に好きな具があるのにも関わらず、なぜ昆布が選ばれ、しかも残りがちということになるのか」
昆布の需要そのものではなく、問題の本質そのものを直接調べるのか。
ここで最終的な決定と、作戦を決めるのは弟だ。
「よし、調べてみよう。だが散らばって、じゃない。もしものことを考えて、みんなで行動するんだ」
弟の真意は俺ですら図れないことがあるが、無意味にそんな非合理なことをするわけではないことは皆知っていた。
おにぎりの具は何が好きだろうか。
俺は梅で、弟のマスダはツナマヨだ。
俺たち兄弟に限ったことではなく、好みというものは千差万別だが、ちょっと特殊な立ち位置のものも存在する。
例えば、俺たちの間では昆布がそれだ。
需要はあるからそこにいるはずのに、なぜか結局は最後まで残るんだ。
食卓に行くと、大き目のタッパーに妙に偏った配置でおにぎりが並んでいた。
どうやら母が、ママ友の集まりでピクニックか何かに行っていたのだろう。
どうせ、こういうものは持ち帰っても、後で捨てられるんだよなあ。
小腹が空いていた俺は、どうせ捨てられるならとおにぎりに手を伸ばした。
「はは、やっぱり昆布だ」
いずれにしろ、今のこの場において昆布という存在は、確実に俺の腹を満たしてくれる存在だ。
もちろん、梅があるならそっちを食べるけど。
それにしても、不思議だ。
これだけ敬遠されているのが分かっているにも関わらず、昆布という選択肢は残り続ける。
何となく疑問に感じて近くの店を行き来して軽く調べてみると、意外にも需要があることが分かった。
需要がある分、比例して残りやすくなるのかと納得したいところだが、俺はどこか違和感を拭い去れないでいた。
いくら需要があるといっても、それは他の具にだっていえること。
昆布だけ残り方が異質なんだ。
“何か”がある。
これ以上は一人で無理だと考えた俺は、弟たちの功績をアテにすることにした。
「へぇー、この時代でも直立だなんて。よほど悔しくて、力いっぱい突き刺したんだろうなあ」
俺からすればこういうよく分からない、教訓めいたものは話半分で聞くぐらいが丁度いいと思うのだが。
まあ、ツアーガイドがいる手前、やや過剰にリアクションしているのだろう。
それにしても、棒だと説明されているものの、棒というには妙な見た目だ。
俺の冷めた目線や、逆にタイナイの熱い視線など気にも留めず、ガイドさんは次の名所の案内を始めた。
弟のマスダはというと、ほくそ笑みながら皆の視線をかいくぐって棒を触っていた。
触ったからといって何があるというわけでもないだろうに、ああいうのに対する弟の好奇心には感心するよ。
気が済んで帰ってきた弟の脳天にチョップを食らわすが、悪びれる様子もなく、かといって笑みを浮かべたりもしなかった。
不思議に思った俺は、弟に尋ねた。
「いやあ、棒が思っていたより硬くなかったんだ。むしろ柔らかい」
確かにそれは俺にとっても意外だった。
口元がひくつく。
ちょっと興味が湧いて、もう少し話を聞いてみたくなった。
「ほぅ、どんな感じに柔らかいんだ?」
弟はうんうん唸りながら、自分の語彙力を駆使して説明しようとしていた。
「何というか……そう、ペットボトル! 空のペットボトルみたいな感触だった」
これまた予想外の回答に、俺の硬い表情筋が緩む。
左手で口元を覆いつつ、弟に更に尋ねた。
「うーん、どっちかっていうとコーラとかが入っているタイプ!」
ツアーガイドのしていた話や、あの棒らしきものが本当かは分からなかったが、ペットボトルを振り回す姿を想像して俺たちは思わず笑った。
彼は気骨のある若者であると同時に、反骨精神溢れる若者でもあった。
手ごろな棒を片手に村を闊歩して、時にそれを振りかざして見せたり、或いは素振りをして見せたり。
しかし、そんな彼の粗野な振る舞いを、いつまでも村長が見逃すはずもなかった。
「貴様は何をやっている」
少年は怯まず、取り繕うこともなく、屈託のない表情で答える。
「見れば分かるだろう」
小癪な態度に年長者たちは色めき立つが、村長は依然として訊ねる。
村長の毅然とした返しに、若者はフンッとあからさまに不機嫌そうな鼻息を吹き付ける。
周りを威嚇するかのように、大きな体で腕を広げて見せて答えた。
「棒を持って村を歩いている。それだけだ」
「それだけ?」
「振りかざして見せたり、素振りをしたこともあるが、当たらないという確信があるときだけだ。実際、これで人を殴ったことは一度もないし、そんなつもりもない」
実際、嘘を言っていなかったし、故に心から自分に否がないとも確信していた。
「まあ、それでも当たる人間がいるとするならば、それは自ら当たりに行くくらいだが、それは自業自得だ。俺は悪くない」
どうだとばかりに口元を緩めるが、村長は依然としてたじろぐ様子も見せない。
「ふむ、無理やりやめさせてもよいが、出来ればワシもお前に納得してもらった上でやめてもらったほうがよい」
すると、おもむろに町長は近くにあった小枝を拾い上げると、少年の顔のまえに突きつける。
当たることはないのだが、その勢いに怯んだ少年は後ろに倒れこんでしまった。
「さて、貴様の真似をしてみたが、どうかな?」
すぐに立ち上がると、「ふざけるな!」と怒号する。
「異なことを。腕を目一杯伸ばしていたのに、それでも小枝はお前から離れておる。その状態から腕だけ振ったのだ。貴様も、そのつもりで振りかざしたり、振り回したりしていたのだろう?」
「貴様は『殴っていない、殴るつもりもない』などといっているが、本来そんなものを振りかざしたり、振り回す時点で問題なのだ」
村長は畳み掛けるように話を続ける。
「さて、貴様が納得した上でここでそれを置いて帰るならよし。できぬなら、これから毎日貴様の前で我らは振り続けよう。もちろん当たらないように。貴様のほうから当たりに行くなら話は別だが、それは自業自得なのだろう?」
若者はとうとう観念し、八つ当たりするかのように持っていた棒を地面に突き刺した。
それからも少年は気骨溢れる生き方をしたが、棒だけは二度と持つことすらなかった。
後に彼が村長となったとき、子供たちに「棒を持つな」と言い聞かせていたという。
「その出来事以外は特筆することのない、天気もフツーの日だった。
その日もあいつは、道行く人にくだらねえちょっかいをかけて、追いかけてくる人たちから笑いながら逃げていた。
どこぞの映画みたく、車が多く走る道路を利用して振り切ろうとしたんだろうな。
実際、それで上手く逃げ切れた経験があるから増長していたのかもしれない。
まあ、結果は察しのとおりだ。
不慮の事故ってことになっているらしいが、一部始終を見ていたオレから言わせれば、あれは経緯含めて同情する気も起きない出来事さ」
それはあまりにもあっけないものだったが、逆に俺には鮮烈な印象を与えた。
だが、これはまだ半分。
まだ俺たちには、気がかりなことがあった。
「タケモトさん。そんなことまであったのに、何であの町にいた人たちは『あいつ』について大したことを語らないんですか」
「そして、なぜタケモトさんは『あいつ』についてここまで語れるのか」
タケモトさんも、やはり俺たちがそう尋ねることを見越していたようで、流れるように話を進めた。
「その町の奴ら、『よく知らない』って言っていたんだよな」
「はい」
「恐らく、本気で言っているんだろう。あいつが死んで以降、関することはほとんど忘れてしまってるんだよ」
「ええっ!?」
どんな奴であっても死んだら冥福を祈るべきってのが真っ当な人間がする考え方だが、思い出しても恨み言ばかり出てくるような相手だ。
だから、みんな紡がれる言葉や心を、良識的な理屈で塗り固めた。
そうしていけばあいつに対する悪印象は徐々に薄れ、自然と忘れていく。
ふと話題にしたり、思い出しても『ああ、そんな人いたね』といった具合だ」
「じゃあ、なぜタケモトさんは今でも覚えているんですか」
「あいつのことが嫌いだという事実と、悪感情を持続させているからだ。
周りの奴らと同じく、徐々に記憶が薄れていったのさ。
だがな、ふとしたことであいつの話題になったとき、誰かが『案外いい人だったかもしれない』だとか言い出したんだ。
死んだら皆“いい人間”になるのかよ。
『あいつ』を“いい人間”扱いする自分は“いい人間”なのかよ。
んなワケあるか……って、我に返ったんだ。
まあ、だからといって町の連中に、あいつが酷い人間だったって今さら思い出させても仕方ないことは分かっている。
でも、思い出せなくなる程度の存在として扱い、ましてや『いい人』だなんて言っていたのにも耐えられなかった。
その頃のオレは、連中が上辺を取り繕って、薄ら寒い駄弁によがる“いい人間”の皮を被った化け物に見えたんだよ。
タケモトさんの語る『あいつ』に対する思いは、とどのつまり『嫌い』であることに集約されていた。
それは健全ではなくて、悪感情であることも明らかだったけれども。
「あと数年もすれば、あの町の奴らはあいつのことを完全に忘れているかもな。だが、オレは忘れない」
「タケモトさん、その『あいつ』のこと、実は嫌いじゃないとかってオチじゃないですよね?」
「心から嫌いだよ。死んだことも、あの町の奴らにそのように扱われること含めて憐憫の情もない。ただ、それであいつが嫌われ者であることすら忘れ去られるのが、気に食わないってことだ」
『嫌いだから』忘れようとする町の人たちと、『嫌いだから』忘れまいとするタケモトさん。
心から嫌いだと思える相手『あいつ』に、俺たちならどう臨んでいくのだろうか。
その日の夜、弟はいつも通り眠ったが、俺は遅めに就寝した。
わざわざ町にまで出向いて色んな人に尋ねたのに知的好奇心をなんら満たせず、それでも持ち帰ったお土産は妙に鬱屈とした疑念くらいしかない。
もちろん、真実があの町から得られなくても、『あいつ』についてのアテはまだ残っている。
タケモトさんがいる、というより位しかいない。
弟もそれを感じたのか、ずっと黙りっぱなしだ。
タケモトさんが『あいつ』かもしれない、その可能性を知ってしまった今となっては、『あいつ』について尋ねるなんて俺には心苦しくて無理だった。
他人の過去に、人生にあまりにも踏み込みすぎた、弟を無理やりにでも止めるべきだった、と俺は後悔していた。
だが突如、意を決したかのように弟は立ち上がり、俺に向かって声高に言う。
「タケモトさんに聞いてみよう」
やっぱり、そうくるのか。
「分かっているのか。俺たちの求める答えなんて、そこにはないかもしれない。場合によっては、後戻りもできない」
「兄貴。今のこの状態で、夜ぐっすり寝て、明日の朝気持ちよく起きれるのかよ」
「……」
「今日、寝れるのかよ!」
「……寝れない」
俺たちは『あいつ』について、既に片足どころか半身が浸かっている状態だった。
出ようと思えば出れるだろう、だが向こう岸にはたどり着けないし、半身はビショビショになったまま。
俺たちはたとえ全身がズブ濡れになろうと、向こう岸にたどり着けるか分からなくても進む道を選んだのだ。
俺たちはタケモトさんに、『あいつ』のいた町に行ったこと、そして『あいつ』について調べようとしたことを話した。
その行為を多少は諌めると思いきや、タケモトさんは黙って俺たちの話を聞いていた。
「タケモトさんは……タケモトさんが『あいつ』なんですか?」
「はあ? どういう理屈で、そういう発想になるんだ?」
さすがのタケモトさんでも、その言葉は予想外だったような反応だった。
そして、その反応で俺の不安はひとまず解消された。
「何をどうしてそんな結論になったか分からんが、オレとあいつは別人だ」
「あの、『昔のオレとは別人だぜ』みたいなことでもなく?」
タケモトさんにここまで言われて、弟もやっと納得したようである。
冷静に考えてみれば、俺たちの劇的発想はフィクションに触れすぎた結果導き出されたもので、大したエビデンスもなかったんだ。
疑惑が晴れたところで、タケモトさんは町に行って得た情報について尋ねだした。
「その町の連中は、あいつについて何て言ってた?」
「いや、大したことは何も」
「えーと、『よく知らない』とか、『いい人』だとか……」
「ふ、そんなとこだろうな」
タケモトさんの口ぶりから、答えは何となく分かっていたってことなんだろう。
「仕方ねえ。意味の分からんことを吹聴されても困るから、ちゃんと語ってやる」
「まず、あいつの現在についてだ。ヒントは、その町の連中が言っていた『いい人』だ」
「今は改心して『いい人』になっているってことですか?」
「トーヘンボクが。改心なんかしなくても、『いい人』になれる方法がもう一つあるだろ」
そこまで言われて、俺はやっと気づいた。
それと同時に、俺は『あいつ』に関する話は、予想以上に不味いものだとも分かり始めたんだ。
「……『あいつ』は、もう死んでるんですね」
当日、俺たちはタケモトさんが以前住んでいた町に赴いた。
ここに今でも『あいつ』がいるかは分からないが、弟は手当たり次第に話を聞いていくつもりらしい。
弟の、こういう向こう見ずな行動力には呆れることがほとんどだが、たまに感心することもある。
弟よ、さすがにそれでは伝わらないぞ。
「ああ、『あいつ』か」
案外それで伝わるものなのか。
「ねえ、どんな人だった?」
「うーん……よく知らないなあ。『いい人』だったような気もするし……」
明らかに歯切れの悪い回答だった。
あんな言い回しで、すぐ『あいつ』だと気づく程度には知っている相手だ。
その「よく知らない」という言葉も、「いい人」という言葉も、そのまま受け取るのは無理があった。
“何か”ある、だがそれが分からない。
その“何か”も含めて、弟は『あいつ』について調べることにした。
町の人たちに話を聞いていくが、返ってくる答えはいずれも不明瞭だった。
せいぜい分かったことは、この町にはもう『あいつ』は住んでいないということぐらい。
誰もタケモトさんのように『あいつ』についてのエピソードを語る人はいない。
だが、タケモトさんの話が嘘だとか大袈裟だと解釈するのにも、また無理があった。
それほど、みんな『あいつ』という存在がいること自体は認知しているのだ。
『あいつ』のこと、それについて歯切れの悪いことしか答えないこの町の人たちのもつ“何か”。
それらが混迷を極めていたとき、弟は悪魔的発想を口にしてしまう。
「なあ、もしかして『あいつ』って、タケモトさんのことだったりしないかなあ?」
何をバカな、と言い返せなかったのは、俺自身もその可能性を少しは考えていたからだ。
「だってさ、『あいつ』について語りたがる人がこの町にはいないんだよ。なぜか考えたんだけど、それだけ嫌いってことなんだって思ったんだ」
思うことと言葉にすることの間に天と地ほどの差があることが分からないほど、こいつは無鉄砲だったのか。
「なのに、タケモトさんだけは語っていた。だから考えたんだ。タケモトさんと、この町の人との決定的な違いは何だろうって」
突拍子もない発想だったが、俺たちの中ではそれで煮詰まりつつあった。
それほどまでに、この町の人たちの『あいつ』に対する反応は不明瞭で、痺れを切らしていたんだろう。
こうして俺たちは、『あいつ』のいた町を後にすることにした。
社会で生きていく上で、多くの人に好かれるように、或いは嫌われないようにするのは大切なことだ。
でも八方美人が嫌いな人がいるように、全ての人に嫌われないように生きるのが無理だってことも、ほとんどの人は知っている。
タケモトさんは、俺たちマスダ家の隣に住んでいる人だ。
ちょっと露悪的な言葉遣いが目立つが案外度量の広い人格者で、ハロウィン大作戦での出来事は記憶に新しい。
「買いかぶるな。オレだって、嫌いな人間の一人や二人や三人や四人いる」
謙遜にも聞こえたが、タケモトさんはそう思われることを見越したように、とある人間について語り始めた。
「オレが、学生やってた頃の話だ。当時、オレが住んでいた町には、とある嫌われ者がいた。勿論、オレもあいつが嫌いだった」
「どんな人でした?」
「そうだなあ……控えめに言って、人に嫌われるために生まれてきたようなやつだったよ。非の打ち所しかない人物だ」
タケモトさんから語られる『あいつ』に関するエピソードは些細なものから壮大なものまで様々だった。
「あいつの口癖は『悪いけど』なんだが、そう言うわりに全く悪びれているように見えない。そうやって、あいつがやたらと使うもんだから、俺の住んでいた町では『悪いけど』ってのは、本心では悪いとは思っていないときに使う言葉として認知されるようになった」
そうして語られるエピソードによって、『あいつ』の人格は俺たち兄弟の中でどんどん形作られていった。
「あいつの言ったことで今でも思い出すのが、『自分がされて嫌なことを他人にするなっていうけどさ、大した理屈じゃないよなあ。他人に嫌がって欲しいから自分がされて嫌なことをするんじゃん』ってセリフだ。あいつの性格の悪さの象徴している」
なんだか随分とタケモトさんが雄弁に語るものだから、俺は案外『あいつ』のことを嫌っていないんじゃないか、だなんて思うほどだった。
弟がそんな邪推をしてみると、タケモトさんはそれすらも見越して語る。
「いや、間違いなく嫌いだよ。嫌いであることを忘れないために、悪感情を持続させるのさ」
そのときの俺たちは、タケモトさんのその言葉の意味をよく理解できていなかったんだ。
家に帰ってからも、弟は『あいつ』のことが気になって仕方なかったらしい。
怖いもの見たさなのか、『あいつ』のいる町に行くと言い出した。
タケモトさんの話を聞く限り、とても俺には興味が湧くようなものではなかったが、こうなったら弟は止められない。
そして、弟一人に行動させてロクなことにならないのは容易に想像できる。
仕方なく、俺が付き添うことを条件に、『あいつ』のいる町に行くことを了承した。
間違いなくあの日の出来事が決定的だったのは分かるが、何があいつにとって不満だったのか、俺には不可解だった。
同級生のタイナイにそのことを話すと、やはり冗談半分にしか聞いていなかった。
「じゃあ、あくまで仮定の話として、カジマが魔法少女になることを拒否した理由を考えてみてくれないか」
タイナイは十数秒ほど唸ると、おもむろに口を開いた。
「マスダの弟は、カジマは魔法少女になりたいわけではないといったんだよな」
「ああ」
「恐らく、正解だと思う」
「はあ!?」
「人が心から何かになりたいとき、『なって何をしたいか』とかも考えるんだよ。なったら終わり、ではないんだから。それに『ならなければ出来ないこと』じゃないといけない。ならなくても出来ることなら、今の状態でもやろうと思えば出来ることなわけで」
確かにあいつは『魔法少女になりたい』とは言っても、『何をしたいか』は観念的なことばかりで不明瞭だった。
「あと、『なるためには何をすればいいか』ってことも考えるんだよ」
「それは……『なるためには何をすればいいか』が、そもそも分からなかったからだろう?」
「僕もそう思っていたけどさ。マスダがわざわざ方法を見つけ、お膳立てまでしてくれたのに、それを反故にしたのは妙だ。なる気がないと考えたほうが自然だ」
俺も薄々気づいていたのかもしれない。
それでも、その答えを先送りしたかったのは納得したくなかったというのもあるし、もう一つ分からないことがあったからだ。
「そうだとして、なぜあいつはそんなことを吹聴していた?」
そう、あれほどまでカジマが「魔法少女になりたい」と周りに言っていた、その理由が分からないのだ。
「僕たちも『有名人になりたい』だとか、『大金持ちになりたい』だとかを妄想したことはあるだろう?」
「まあな。この年齢にもなると、言葉にするのすら憚られるが……」
やっと気づいた。
カジマは『自分は、今の自分ではない何者かになりたい』と言いたかった。
俺たちが考えているよりも、もっと気軽に、まるで呟くように発露したかった。
つまり、カジマにとって『魔法少女になること』は本来の目的ではない。
「そう。だからそれに伴った行動もしない、するつもりもない。なったところで、これといってやりたいこともない。というより本当になってしまったら『魔法少女になりたい』と言えなくなるから、むしろ困るんだよ」
「あいつの『魔法少女になりたい』も、本質的にはそれと同じだと? だが、なぜ数多ある中から魔法少女なんだよ」
「やるべきことが分かっている以上は行動に移さなければいけないからさ。周りにそれを期待される。その期待に応えられないと、失望される」
「周りにそう思われてまで語れるほど、あいつはバカになれなかった?」
「そう、つまりカジマは夢を語る人間だと周りに思って欲しかったが、不必要な期待も失望もされたくなかった。だから、なれる方法すら不明だった『魔法少女』を選んだってことなんだと思う」
「虚言癖ってやつだったのか、それも打算的な」
「マスダ、端的な結論は本質から遠のくぜ。虚言とはちょっと違う。多少はなりたいと思っていただろうさ。でも、必然的に伴うリスクを負ってでもなりたい程ではなかった。もしかしたら、そういう事態になるまでカジマも自覚がなかったのかもしれない」
だが、あいつがあの日以来『魔法少女になりたい』と言わなくなったというのは事実で、俺のやったことは余計なことだったという確信はあった。
徒労感、失望感といったものはなかったが、ただただ俺は脱力した。
カジマが『魔法少女になりたい』と吹聴しなくなって、周りはやっとそれが不可能な夢だと気づいたなんて思っているが実は違う。
カジマは「魔法少女になりたかった」というより、「魔法少女になりたいと言いたかった」のだ。
俺はそれを暴くという、野暮なことをしてしまった。
今はただ、カジマが新たな“なりたい”を見つけることを願うばかりだ。
スムーズに話を進めるための段取りはあらかじめ決めており、目の前の女性が魔法少女であること、その証明を手短に済ませる。
まだ状況を把握できていないのか、カジマは受け答えする以外は全く喋らない。
「というわけで、お付きの方が詳しく説明を」
「そちらが魔法少女になるためにやるべきことは、このカプセルを飲むことだけです。ナノマシンが入っており、合言葉やパスコードを強く思うことで反応する仕組みとなっています」
「なるほど、ナノマシンか」
大体のことはナノマシンで説明できることを、俺はとあるゲームから学んでいた。
「正確にいうと、このナノマシンは我が社にあるアンドロイドと空間を繋げ、魂と器を癒着させる役割があります。彼女みたいに遺伝子レベルで構造が違っていても、体に拒否反応が起こらないのはそのためです」
「ああ、もしかして小動物の姿をしているあなたも、普段はスーツとか着ている普通の人間ってことですか」
専門的なことは分からなかったが、つまりはカジマでも魔法少女になることは可能らしい。
「やったな、カジマ!」
カジマはというと意外にも反応が薄く、俺たちの話を坦々と聞いていた。
「魔法少女になってやることは、主に自分の住む町の自警活動や、イベントなどの参加。後は定期的に報告書の提出や、魔法少女たちの集会に参加していただきます。後は、良識の範囲内で魔法少女になることは自由となっております」
「正体がバレること自体は咎められないのか。だから、そこまで焦っていなかったんだ」
「ほとんどの方はイメージや世間体などを気にして、正体を隠したがりますがね」
彼女が先ほどからいたたまれない態度でいたのは、やはりそのせいだったか。
まあ、カジマならそこらへんも気にしないし、断る理由がないな。
「……では、以上のことを納得していただいたら、カプセルを飲んでください。後はこちらでカプセルと器を登録すれば、それで変身する条件は調います」
一通りの説明を終え、いよいよ念願の時が待っていた。
体が膠着しているが、目線は活発に動いている。
そんな状態のカジマは搾り出すような声で、恐る恐ると言葉を発した。
予想外の答えに、その場の時が止まったかのように感じた。
だが、それも間もなく俺の言葉で動き出す。
「お前、常日頃から『魔法少女になりたい』って言ってじゃないか。一体どうしたんだ」
「う……う~ん…なんか……怖い?」
「いやいや、注射を嫌がる子供じゃねえんだから。ティーンエイジャーだろ。怖いとか、そんな理由で魔法少女になるチャンスを棒に振るもんじゃない」
「なんというか……うーん……思っていたのと……違うというか」
「もしかして、お前の中での理想と違うとかか? だが、細かいところは置いておくにしても、有り得ないと思っていたことが、有りえるところにまで来ているんだ。チャンスがあるなら掴むべきだ。まずは出来ることからやってみて、その上でお前の理想に近づけていくよう努力していけばいい」
カジマは自身の首や顔を何度も撫で回しながら、要領を得ないことを言うばかりだ。
その問答を繰り返すうち、カジマは突如立ち上がる。
「……そういうんじゃないんす」
「……?…何がだ」
「そういうんじゃないんす!」
その言葉を反復させながら、カジマは走りながら出て行ってしまった。
俺たちは困惑していたが、当事者がいなくなってしまってはこれ以上ここに留まっても仕方がないため自然解散となった。
「兄貴、あの人ひょっとして、魔法少女になりたいわけではないんじゃ」
「そんなバカな。ありえない。本人がなりたいと言っていたんだ。周りから変な目で見られようが『魔法少女になりたい』と言い続けている奴だぞ」
「うーん、でもあの人の反応を見る限り、むしろ迷惑そうに見えたよ」
だが、『魔法少女になりたい』とあそこまで言っていた奴が、なることを拒否した理由も分からない。
しかも、その日からカジマは「魔法少女になりたい」と言わなくなり、俺はますます困惑するのだった。
プロ野球選手、宇宙飛行士、大金持ちっぽい人、何でもいいから有名人。
実際になれるのかなんて深く考えなくていい。
俺たちがあの頃に語っていた「何になりたかった」ってのは、そういうものだ。
でも、いつまでもそんなことを言葉にするのは、周りはもちろん自分自身にとってもツラいものであることを、成長していく過程でほとんどの人は気づいていく。
その過程を知らないで生きているような人間が、俺の同級生のカジマだった。
「魔法少女になりたい」
こいつのなりたいものは「魔法少女」で、その事をよく周りに吹聴するという、友達目線で見ても痛々しい奴だった。
そりゃそうだ、プロ野球選手、宇宙飛行士とは別ベクトルで「なろうと思ってなれるものではない」ってことを、俺たちの歳にもなって分からないのは可笑しいのを通り越して歪なのだから。
当然、周りには「ちょっと変わった人間」と認識されている(まあ、俺たちの町には変人が割と多いが)。
それでも、あいつが周りを気にせず「魔法少女になりたい」といい続ける気概を、俺はそれなりに尊重していた。
そんなある日、一世一代の転機が訪れた。
弟が、何と魔法少女が町に現れたと言い出したんだ。
ちょっとした事件にどこからともなく現れ、妙ちきりんな見た目で喋る小動物に、超自然能力。
事件を颯爽と解決し、何処へと消えていくと、一部始終を目撃した弟は語る。
俺たちのイメージする、漠然とした魔法少女の要素は一通り備えていたようだ。
弟がクダラナイ嘘をするような奴だとは思っていないが、あまりにも現実味のない話だったので俺は冗談半分に聞かざるを得なかった。
弟は更に話を進める。
それを見た弟と仲間たちは興味津々で、正体を暴くため捜索に乗り出したという。
「おいおい……」
しかも、既に正体を突き止めていると聞いたとき、俺は脱力感を覚えた。
あまつさえその魔法少女を連れてきた時は、とうとう椅子からずり落ちてしまった。
そんな弟たちの実行力に呆れるとともに、連れてきた魔法少女の正体に俺は驚いた。
目の前で光を放つと、10歳前後の見た目だった少女は、十数秒で20代の女性に変身したのだ(いや、元に戻ったいうべきか)。
これまたフィクションにありがちな話がどんどん展開されていったが、目の前で実際に超自然能力を見せられた以上、信じるしかない。
魔法少女をやり始めて何年経つかとか、普段は何をやっているかまで言いそうになったところで俺は慌てて制止した。
そんな話したくもないだろうし、俺としても聞きたくはない。
「あの、魔法少女ってメンバー募集していたりしますか? なりたいって奴が知り合いにいるんですが」
これは、もしかしたらカジマの夢が叶うかもしれないぞ。
俺は急いでカジマに、家に来るよう連絡した。
こうして弟たちのハロウィン大作戦は終わったが、ハロウィン自体が終わったわけではない。
弟や仲間たちにも楽しむ権利があるのだ。
しかし「トリック・オア・トリート」という言葉とは裏腹に、その手には菓子を受け取るためのカゴしかない。
「間違いを正した達成感があると共に、何か後戻りできないことをした気分にもなってる」
「俺はそれを言語化できるが、大人たちの味方をした時点でその資格はないのさ」
そんな会話をしている内に、訪ねる家は最後となっていた。
マスダ家の隣のタケモトさんだ。
いつも突然の来訪で酷い目にあっていたが、今回はちゃんと用意しているらしい。
「あ? ねえよ、そんなもん」
タケモトさんのぶっきらぼうな回答に、俺も含めてその場にいた皆が素っ頓狂な顔をした。
「おい、ないって言っているぞ」
「用意していた分が、先約でなくなったのかもしれないな」
ない以上は仕方ないので俺たちは弟を連れて速やかに帰ろうとする。
タケモトさんのその言葉は挑発でもあり、発破をかけるようでもあった。
弟たちは仲間たちと目線を交わしていたが、俺はメガネについたペイントを落とすのに集中していて気づかなかった。
弟たちは、どこに忍ばせていたのか水鉄砲をタケモトさんに向けて放ち、怯んだ隙に部屋に乗り込む。
「小僧共、おいやめろ」
タケモトさんはのろのろとした足取りで弟たちを追う。
「お前らでやってくれ」
「いや、俺たちだけ行っても止められねえよ」
イタズラという行為は、ある意味でコミニケーションの一環でもある。
相手が許してくれるだろうという信頼と、そして許すという反応で信頼を示すわけだ。
もちろん、そんなことに確証なんてないのだから「イタズラはいけない」と大人たちは言うだろうし、それは何一つ間違っていない。
でも実の所、大事なのは『それを最後に決めるのが誰なのか』ってことを、大人たちは知っているのだ。
そしてハロウィン当日。
まずミミセンだが、耳のよすぎるあいつは、世の中の多すぎる雑音が嫌いで耳栓を普段つけている。
つまりミミセンがないとあいつの普段のパフォーマンスは著しく落ちる。
入浴時などの耳栓を外している僅かな隙を狙って奪取、自宅にあるスペアも回収し、買いに行くにも取り扱っている店はこの日は休業だ。
そしてタオナケだが、あいつの超能力は10回に1回成功する程度で、かつ成功しても時間がかかる。
シロクロは住処をクラスメートたちと総力をあげて見つけだし、あいつのハロウィンの衣装をド派手な色にすり替えておいた。
モノトーンではない衣装では、あいつは普段の半分以下の力しか出ない。
こうして、残ったのは弟だけとなった。
「それでも、俺が目の前にいるのは意外って顔だな」
「白々しいことを言うなよ。俺が念のため、ドッペルゲンガーを置いていたのも分かっていたんだろう」
弟には他にも仲間がいた。
弟と背丈が同じで、人の真似をしたがるドッペルゲンガーだ。
こいつを利用して影武者にすることで、撹乱する可能性を予測していた。
もちろん、そいつと弟をよく知っている俺ならば見分けることは容易だ。
「ドッペルゲンガーを捕まえたという連絡を先ほど貰った。その連絡係は俺の弟だといっているがな」
実の所、俺の考えたバカげた作戦なんてなくても、全員を捕まえることは可能だっただろう。
対策本部のほうが圧倒的に人数が多く、子供の知恵と行動力で出来ることには限りがある。
だが、それでも俺が大人げなさにこだわったのは、弟の信条を切り捨てられなかったからかもしれない。
「大人の理想を子供に押し付けるな! トリックかトリート。どちらもあって、そして本気でやるのが俺たちの『楽しくやりたい』なんだ」
避けずにあえてそれを受け、俺のメガネが真っ赤に染まる。
伊達メガネの俺にとって、それは弟の最後の悪あがきでしかない。
俺の無慈悲な一撃によって弟は頭を垂れ、ハロウィン大作戦は幕を閉じたのだった。
イタズラという行為は、ある意味でコミニケーションの一環でもある。
相手が許してくれるだろうという信頼と、そして許すという反応で信頼を示すわけだ。
もちろん、そんなことに確証なんてないのだから「イタズラはいけない」と大人たちは言うだろうし、それは何一つ間違っていない。
今年もハロウィンの時期がきた。
馴染んでいないし、今後も馴染まないイベントだと感じる人もいるけれども、俺の町では楽しみにしている人も多いようだ。
とはいっても、やることは茶番で、あらかじめ決められた住所で、あらかじめ用意していたお菓子を貰うだけ。
トリック・オア・トリートではなく、トリート・オア・トリートってことだ。
弟のマスダや、その仲間たちはそういうのが気に食わなかった。
トリックもトリートも存分に堪能してこそのハロウィンだと考えているようだ。
俺個人としてはハロウィンそのものには関心がないが、弟の明瞭な考え方は評価したかった。
だが、そういう崇高さの割を食うのは大人たちだ。
特にマスダ家の隣人であるタケモトさんは、いつも酷い目にあっている。
そんな傍若無人っぷりに大人たちは戦々恐々とし、様々な注意喚起を呼びかけたが、弟たちは子供の発想力と行動力で、どんどんお菓子をくれない人間にイタズラを仕掛けていった。
その実力行使役として白羽の矢が立ったのが俺だった。
それは俺にバイトをするノリで大人たちの味方となり、弟たちの敵になれということを示していた。
そして、俺がそれを断れない程度には大人でもあるということも知っていたのだろう。
俺は同じく対策員であったクラスメートたちと、来るべき時に備えて作戦を練った。
「で、対策つってもどうするんだ」
「弟たちの破天荒さに面食らって錯覚している者もいるが、身内の俺から言わせれば実のところ大して頭のいいことはやっていない」
「じゃあ、どうして大人たちは出し抜かれるの?」
「まあ、大人のプライドから子供を舐めてかかっているのもあるが、弟たち個々の能力の高さによって、多少強引でも可能に出来るからだ」
俺は弟や、その仲間たちの説明を始める。
シロクロ。本名は知らないが、モノトーンの服装ばかり着ているので周りはそう呼んでいる。大人顔負けの体格と、子供もドン引きするレベルの頭脳を持ち合わせたアンバランスな存在だ。
ミミセン。日常生活のほとんどを耳栓をつけて過ごしていることからそう呼ばれている。優れた頭脳が武器だ。
タオナケ。チームの紅一点らしい。無機物を破壊する超能力がある。
「厄介だな。こいつら全員に思うがまま暴れられたら」
「とはいっても実の所、大人が本気で止めようとすれば、止められるレベルだ」
「じゃあ、なぜそうしないの?」
「子供を大人の理屈でもって従わせるのに、その大人が大人げないことなんて出来ないわな」
まあ、ある意味で俺たちにそれをやらせる時点で、それはそれで大人気ないとは思うんだが、大人たちの理屈ではこれはセーフということなんだろう。
「それで、結局の所は当日どうすればいいんだ?」
「何か作戦があるってこと?」
「そんな大層なものでもないが、考えがある」
みんなはクラスメートとか仲間内で雑談をするとき、傾向とかなかったか?
例えば俺たちの場合は、ウンコ味のカレーかカレー味のウンコかみたいなことに思考リソースを割くのが多いかな。
弟のマスダたちの場合は、思春期ということもあってかエロ関連の話が流行みたいだ。
「僕がエロいと思うのは、この曲線だと思うんだよね」
「胸! 大は小を兼ねる! 安定需要!」
さて、弟たちのしている話が最終的にどこに向かうかは大した問題ではない。
俺だってこのテの話は別に嫌いではないというか、こういう話で学校の隙間を埋めていた経験も人並みにはある。
しかし、何度も聴いていた名曲が騒音に聞こえるように、同じことは繰り返せば繰り返すほどツマラナくなり、最終的には嫌悪感すら抱くようになる。
そうならない内に、一時的にその話をしないようにして、忘れる必要があるのだ。
「お前ら、いつまで同じ話をしているつもりだ。いい加減に次のステップに進んだらどうだ」
「ちゃんと進んでいるよ、今はエロ度をランク分けしている最中なんだ」
「私、女だけど、その理屈だと結局は骨って結論になってくるよ」
「それが同じ話だと言っている。結局はエロいかエロくないか、そしてどの程度エロいかを話しているだけじゃないか。場所がちょっと変わっただけで、お前らはグルグル回っているだけなんだよ」
俺の指摘は間違ってはいなかったが、弟たちはそれが逆に自分たちへの無理解だと受け取ったらしい。
「これはとても大事な話なんだ、兄貴。そんなガワだけを見た評価をして、俺たちに冷や水をぶっかけないでくれ」
「私、女だけど、料理にも使われている言葉だから、この場合はその料理がエロいかも審査していく必要が出てくる」
「いい加減にしろ。お前ら、このまま同じ空気を吸い続けて皆がエア性行でもしていると俺が言えば満足なのか? くだらん、不毛なことにエネルギー割くのは程ほどにしろ」
俺が思っているよりも、弟たちがその雑談で背負っていたものは大きかったらしい。
「ふざけんな!」
「トマホーク! ちょうな!」
「おいおい、やめろ、暴れるんじゃない。ここは俺の部屋でもあるんだぞ」
十数分に及ぶ私闘は、開き直った俺が木刀を用いた演舞を披露することで決着となった。
とはいえ自分たちの部屋に大きな傷を残すという、誰も幸せにならない決着だったが。
それから、弟たちの雑談場所はもっぱら近所のカフェになったらしい。
まだエロいエロくないかで盛り上がっているのかは知らないが、弟たちが出禁になるか、それまでに雑談内容が次のステップに移行するのが先か。
そんなことをクラスメートたちと雑談しながら昼休みを過ごすのが、最近の俺たちの流行だ。
何に幸せを感じるのかなんて、月並みなことを言えば「人それぞれ」だ。
弟が自由研究のテーマに「幸せの感じ方」を選んで、俺に質問をしてきた時は面食らった。
その日も俺は「人それぞれだ」と返したが、それで弟が引き下がるわけがない。
何も間違ったことは言っていないが、だからといって「人それぞれ」とだけ書いても、手抜きだとして先生に突き返されるのが目に見えているからだ。
というか、実際に念を押されたらしいので、弟が楽をしたいがために選んだテーマだったことを先生は察していたのだろう。
弟の人格がブレないことに安心しつつも、だからといって課題が進むわけではない。
言語化する必要のないことにわざわざ労力を割く位ならば、母の「今晩なにが食べたい」への回答を考えているほうが遥かに有意義だとかいうタイプだからだ。
この考えは俺たち兄弟にとって「人それぞれ」に迫る真理だ。
ならば俺たちがやるべきことは、別の真理を携える人をアテにすることだろう。
期限は長くはなかったが、ここで人生の先輩として両親を標的にしない程度には、俺たちは焦っていない。
俺と同期の人間で、かつ程よく面倒なことで葛藤する人間を訪ねた。
書いているブログの見出しが「何かをやり『たい』」、「何かをやりたく『ない』、でき『ない』」ばかりなので、俺はケツをとって「タイナイ」と呼んでいる。
「山に登れば分かる、それも出来るだけ高い山だ」
分かっているからこその答えなのか、よく分かっていないからこその答えなのか分からなかったが、少なくとも原稿用紙を埋めるのに都合がいいと弟は判断したようだ。
高い山といえばエベレストということで、俺たちは山頂を目指した。
俺は道中、「疲れた」だとか「寒い」とかいう感想以外出てこなくて、弟は登山を提案したタイナイへの恨み言を呼吸するかのように述べていた。
登頂に着けば、予想していた範疇の達成感と、写真や映像であらかじめて見ていた景色がそこにあって、後はタイナイへの復讐計画を考えながら下山するだけだった。
これは当初のテーマは諦めて、エベレスト登山という体験で、それっぽく煙に巻くしかないと思った。
なまじ手のかかった料理をするのではなく、こういうときは食べなれたインスタントに限る。
労力に見合わない、表面的な感動よりも味と実利をとるべきだ。
「兄貴。前の日も思ったけれど、何となくお湯が沸くの早く感じる」
「いや、気のせいじゃなく早い。高い場所だと沸くのが早いのさ」
「なんで?」
それを聞いた弟の目は、登頂に着いたときよりも遥かに輝いていた。
「そうか……沸点だったんだ! 幸せってのは沸点なんだよ、兄貴」
こうして弟は答えを見つけ、補修を回避したのだった。
それは結局のところ遠い回り道をして得た「人それぞれ」ではあったが、間違いなく弟は真理の扉を叩き、その空っぽの言葉に中身を入れたのだ。
後日、このことをタイナイに話したら「違う、そうじゃない」と言っていたが、これも“人それぞれ”だというやつなのだろう。
もちろん、そんなことを言う人間もだ。
例えば石の水切り。
川原とかで石を投げて跳ねさせる、なんてことはない遊びだ。
けれども夏休みの一幕において、精神的優位に立つ程度には大事でもある。
弟のマスダも、今年の夏はこの通過儀礼が待ち受けていた。
よく一緒にいる仲間たちと、近々キャンプに行くらしい。
指南を俺が断れないよう、ゴールデンアイ007でオッドジョブと防弾チョッキを譲るという涙ぐましい接待をしてきた。
プロフィール欄の特技や苦手の項目どちらにも、石の水切りなんて書いていない程度の俺に頼んでくるほど、弟は切羽詰っていたのだ。
仲間の中で最も上手いとまではいかなくとも、下手くそだと思われないレベルにはなりたいというのが要望だった。
意外にも身の程をわきまえた依頼に感心した俺は、サクマ式ドロップスに入ったハッカ味だけを食べる役を、弟が引き受けることを条件に了承した。
結果として弟は安定して2桁いけるようになり、俺は石の水切りを教えるのが上手い兄として認知されるようになった。
俺のプロフィール欄の特技にも、直に「石の水切りを教える」と書かれることだろう。
後にキャンプでの話を聞くと、川原がなかったので石の水切りはやらなかったらしい。