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はてなキーワード: 80年代とは

2022-11-12

anond:20221112104841

歴史認識おかしい。80年代までは普通に機能してただろ。

正社員地位既得権益化して、賃上げより地位保証をみんな優先するようになったのが一番の原因。

2022-11-11

マンガ読者歴が90年代で止まってる浦島増田に新旧オススメください

タイトル通りです。下記のようなマンガで育ち、近年マンガを読んでいない浦島増田太郎に「これも読んどいた方がいいよ」「これはきっと好きなはず」というマンガがありましたら、新旧問わずご教示ください。

オールタイム・ベスト×10+1(参考までに。面倒な方は適当に読み飛ばしてください…!)
●『まんが道藤子不二雄А

藤子不二雄は両御大ともに「大好き」では済まされないくらいの敬意を抱いている。ドラえもんより21エモン派、パーマンより劇画オバQ派の自分だが、もっとも胸を熱くして読んでいたのはこれ。「藤子不二雄ランド」(80年代半ばに小学館が行なった復刊シリーズ)でセル画付きコミックス本屋に並ぶのを毎月楽しみにしていた。

●『キン肉マンゆでたまご

メディアミックスの力をリアルタイムでびしびし感じたマンガ消しゴム通称キン消し)にアニメFCゲーム単行本クラスメイトと奪い合って読んだ。ゆでたまご氏の画力ストーリーテリングにおける成長ぶりを主人公に重ねることができる。『ドラゴンボール』同様、作者の力を越えた「神がかり感」にみなぎっていた。好きな超人アシュラマンサンシャイン。新シリーズは未読。

●『こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治

まだ幼かった小学生男子にとって大人世界サブカルギャンブル、酒/煙草)の入り口であり、ギャグ漫画の類でほとんど笑えなかった自分ほとんど唯一声をあげて笑っていた希有な作品。「国宝級」という言葉はできれば使いたくないのだが、この作品には相応しいように思う。60巻あたりで読むのを止めてしまったが、いつか最初から全部読みたい。

●『BASTARD!!萩原一至

僕が中学生の時に鳴り物入りで連載スタートした本作。ファンタジーエロスとオカルティズムが三位一体となって、思春期の扉に射しかかっていた自分暴力的に襲ったハレー彗星の如き作品単行本10巻代で離脱してしまったので(そのうちKindleで続き読みたい)ここに入れるかどうか迷ったが、インパクトの大きさを考えると外すことはできなかった。

●『ジョジョの奇妙な冒険荒木飛呂彦

BASTARD!!』とほぼ同時期に連載が始まったように記憶している。当時の自分が毎週ジャンプを欠かさず読んでいたのは『ドラゴンボール』『魁!男塾』『聖闘士聖矢』ではなくて、『BASTARD!!』と今作のためだった。第3部までは完全無欠な作品だと思っていたが、自分的には4部半ばで失速してしまい、以降未読。

●『瞬きもせず』紡木たく

思春期になって別冊マーガレット別マ)を読むようになったのは、人格形成においてかなり大きかったように思う。が、今でも諸手を挙げて「好き」と言える少女マンガ作家はこの紡木たくくらもちふさこ山岸涼子岡崎京子くらいかもしれない。自分より少し上の世代BOOWY尾崎豊世代)の聖書ホットロード』と迷ったが、今作で展開する田舎の閉塞感と諦念を含んだ叙情性の方が自分にはずっとリアルだった。

●『Kiss+πr 2(にじょう)』くらもちふさこ

くらもちふさこ作品の影響は自分で思っているよりもきっと遥かに大きい気がする。どの作品もあまりに素敵で、生々しく、リアルに感じた。今もくらもち作品を読むと、初心な女学生のような気持ちでいっぱいになる。

●『14歳フォーティーン)』楳図かずお

高校生の頃、コンビニスピリッツで第1話を立ち読みした時の衝撃を忘れることはできない。「恐怖心」というより、新しい世界への扉が開いた時の「カチッ」という音が聴こえたような気がした。たしか最後まで読んだはずなのに、まるで記憶喪失になってしまたかのようにほとんど全て忘却してしまっているところも、楳図作品「らしい」。

●『同棲時代上村一夫

二十代の頃、たしかクイック・ジャパンかな? サブカル誌で知って全巻買いした。悲しくて美しくて愉快な夢幻と、人生において或る時期にしか見得ない美しさにみちていた。昔の詩や文学みたいだなと思った。

●『GOGOモンスター松本大洋

かつてのサブカル女友だちが「あんたは絶対読んどきな」と貸してくれた。その後、彼女とは会えなくなって、返すタイミングを失ったまま20年近く経ってしまった。『ピンポン』『鉄コン』も迷うけど、個人的な思い出もあって本作を選びたい。

●『悪の華押見修造

最近の(?)作家では例外的にほぼ全作フォローしている。楳図かずお上村一夫安達哲の影響を見事に咀嚼し、現代風にアップデートしている感じがした。当初はそこまで凄い作品と思っていなかったけど、巻を重ねる毎に自分にとってのっぴきない作品に変貌していった。連載中の『血の轍』『おかえりアリスももちろん読んでます

***

以上となりますよろしくお願いします。(本当に最近マンガはろくすっぽ知らない浦島漫画太郎なので、批判意見罵詈雑言はなるべくご容赦ください…!)

※※追記1※※

さっそくオススメありがとうございます。『キン肉マン 無量大数軍編』、ジョジョ4部続き、『深夜食堂』『かくかくしかじか』『ハチクロ』『犬夜叉』『吸血鬼すぐ死ぬ』『着たい服がある』『スキップローファー』『ヴィンランドサガ』『アクタージュ』『ハコヅメ』『SPY&FAMILY』『マイ・ブロークン・マリコ』『A子さんの恋人』読んでみますオススメリストもありがたいです。

※※追記2※※

チェンソーマン』は知人に薦められて、DMMセールで一気に買って読みました(すみません、書き忘れてました)。なかなか面白く、第2部も読んでますが、正直、そこまでハマれませんでした。『タコピー原罪』も読みました。これもなかなか良かった。デスノートバクマンも全巻読みました。鬼滅、呪術廻戦、東京リベンジャーズは未読です(たぶん好みじゃないだろうと決めつけていました)。ハンターハンターはあまり読める自信がありません…。薦めて頂けると読むモチベーションがぐっと上がるので、引き続きよろしくお願いします!

2022-11-06

anond:20221106211814

ジェンダーというのは私もよくわからない。

と同時に、容姿がどうのこうのってジェンダー論の本筋じゃないような気がするね。

ただ、世の中がどんなにかわっても、結局、男性女性評価する、という構図だけは大きく変わってこなかったとは思う。

男性視点だと、お姫様的な価値と嫁としての価値伝統的な二大価値、かなと思う。単純化すればですよ、もちろん。

そこに、80年代バブル期キャリアという価値が新たに追加された。

キャリアウーマン価値は今再放送している東京ラブストーリー象徴されるトレンディドラマにみられるように、女性お姫様でも嫁でもない新たな価値を見いだせると夢と希望を持たせたものの、

結局男性社会を固持する組織風土が根強く、男性に伍して働くことが強制された挙句ガラス天井が待っていた。女性失望させたのがこの40年。

男女雇用機会均等法で頂点に上り詰めたのはほんのごく一部。そもそも価値も求められながら、職場では男性に伍して、という条件はあまりにもハンデだ。

一方、家族構造戦後、大きく変化して、嫁的な価値は低下。強制的に嫁を教育し、家にそぐわなければ排除も辞さない、子供を産めないなら出ていけという、そんな社会ではなくなった。

なので、そんな時代を反映したおしんや、ふぞろいの林檎たちといったドラマリアリティを失っていく。

そうすると、残るはお姫様価値

日本社会は、この男性目線で最後に残ったこ価値も何かぼんやりとしたものになってしまったのではないかテレビドラマの傾向をなんとなくみての感想だけど。

トレンディドラマは、お姫様価値キャリア価値で、美男美女をおしゃれな職場に登場させて、視聴率をゲットしてきたが、うそっぽくなってしまった。

韓流ドラマトレンディドラマの潮流を直球で引き継いで、朝鮮半島男尊女卑文化を背景に、お姫様価値を全面に打ち出してヒット。いまだにトレンディドラマ路線でいける。韓国では嫁的な価値がいまだに高いので、トレンディドラマホームドラマミックスさせたのが韓流となった。

しかし、日本製作者(男性からみると、トレンディドラマ自体が空々しいものになってしまって、方向性を見失っている気がしている。

そもそもお姫様価値なんて、男性からすると嫁的な価値を得るためのジャンプ台のようなもので、嫁的な価値が低下した今、女性あんまりお金をかける動機付けがなくなってしまった。

しかし、女性からすれば、キャリアもだめ、嫁的な価値不要ということになれな、お姫様価値を磨く以外に、自分価値を高めるすべがない(もちろん極論)。


そんな時代は、女性からすれば、不安なんじゃないだろうか。存在論的に、というか承認欲求的にというか。

そんな不安時代からこそ、お姫様価値ますます神経質になり、

女性からすると好きでもないおじさんから容姿についてとやかく言われるのは恐怖でしかないということです。

https://www.leon.jp/lifestyle/148647

という「恐怖」に結びつくんじゃないだろうか。

適当感想です。

2022-11-05

さびさに「東京物語」見てるんだけど誰一人悪人はいなくて特に迎える息子も娘もみんな忙しいなりに親をもてなそうとしてて、でも与えられた職責をしっかりこなそうとしてて、でも親もやっぱり期待とは違ってお互いになんか切なくなっちゃうのリアルよね

気持ち的には長女なんよなあ 長女の夫もなんか呑気でいい人だよね

長男は真面目で真面目すぎてなあ でも親の期待に応えてああなったんだろうね

次男が生きてりゃあなあ

 

などと現代の知り合いのように思えて見てしまえるから小津は普遍的ですごい

80年代くらいのドラマとか見てもまったく感情移入できないし倫理観恋愛作法意味不明だしなんなんだ意味わからんと思うのにね

2022-10-29

anond:20221029092659

逆に、ブイブイ言わせてた人が令和今そろそろしんどくなってるのって何代だろ?

90年代ブイブイはまだ大丈夫だけど80年代ブイブイ息切れしてて、70年代ブイブイがだいぶしんどい感じか。

2022-10-24

リベラル弁護士うる星やつら80年代に「凍結保存」してほしかった。「ラム」というのは男子にとって「都合が良い」女性地球上にはいない」

弁護士 岸本

@9jtCdbGf3lih8Fe

子供のころ好きだっただけに、

80年代に「凍結保存」して欲しかった。

男がどれだけやらかしても、愛想を尽かせず、追いかけて怒ってくれる女性というのは「お母さん」です。

ラム」というのは男子にとって、とても「都合が良い」女性です。地球上にはいません。

男子をとても勘違いさせる作品

https://twitter.com/9jtCdbGf3lih8Fe/status/1477189413952430082

2022-10-19

魔力を有する性器、その他の話

女性が陰部を見せることで魔を祓う」という伝承に関する、本しゃぶり(honeshabri)さんのエントリ拝読したので、それに便乗して、思い出した雑多なことを書き残す。先に断っておくが、かなりくだらない話が多い。

中田雅喜(なかた・あき)という女性漫画家がいるのだが、彼女代表作の一つで、80年代に成年向け雑誌漫画ブリッコ』に発表した連載作品を一冊にまとめた『空は女の子でいっぱい』というタイトル単行本がある。作品のものの別名は『真・ダ○ボ』シリーズとも言う。伏せ字にしても意味が無いような気もするが、とりあえず○ィズニーが怖いので、形式的に伏せ字にしておく。

○ンボと言えば、耳が普通の象よりも大きくて、それで羽ばたいて飛行することが出来る、子象が主人公物語である

この『空は―』の主人公である少女も、身体の一部が通常の人間女性よりも大きく、それによって羽ばたいて空を飛ぶことが出来る。ただし『空は―』の主人公の巨大な身体パーツは、耳ではなく陰唇である

念のために再度言っておくが、作者の中田雅喜女性である

ある日突然、X-MENミュータントのように陰唇が○ンボ状態になってしまった主人公女性に悪さを働く暴漢を巨大な陰唇で退治したり、人類から差別迫害に立ち向かったり、同じダ○ボ族たちと巡り会ったり、ダ○ボ族と人類戦争が起きて巻き込まれたり和睦したりと、奮戦する主人公の姿と、普通少年との淡い恋の行方。これら全てを描き切った一大ファンタジックSFエロチックコメディ絵巻である。念のために言うが、嘘は言っていない。ろくでなし子以前に、ここまでポップに女性器を強調したキャラクター創造したクリエイター存在したことは、日本アート史上に記録しておいてよいであろう。

この最高に馬鹿げた漫画執筆した切っ掛けが果たしてどのようなものであったのか。それは、同じ作者によるエッセイ漫画『純情ももいろ日記』に経緯が描かれている。

この『ももいろ―』についても説明すると、現在でこそ、女性漫画家性愛などについて赤裸々に語るエッセイ漫画自伝漫画のような作品は、決して珍しくもないが、中田による『ももいろ―』は、そのようなジャンルの先駆的作品である日本漫画史上、もっと高い評価を受けて然るべき作品であると、個人的には考えている。

ももいろ―』の内容も少し紹介する。例えば、成年向け作品執筆に関して、誌面では最終的にボカシで消されるとはいえ、生原稿では性器を描かざるを得ない。他にモデルもいないし仕方が無いので、作者である中田雅喜は、自身彼氏性器の実物を見ながらスケッチしたという。そういったユーモラスなエピソードの数々が『ももいろ―』では、ポップで可愛らしい絵柄で描かれている。ちなみに、性器スケッチモデルにもなった彼氏は、後に中田雅喜結婚して夫婦になるのだが、漫画で描かれている外見的な特徴を見れば、彼氏の人の自画像そのままなので、誰なのかは一目瞭然である。よく本人がオーケーしたな……。器が大きすぎる……。ダ○ボだけに。

それで『ももいろ―』によれば、若き日の中田雅喜は、隙間風が吹く風呂無しアパート暮らしており、冬の寒さに難儀していたため、ガス湯沸かし器を購入する資金が欲しかった。ちょうどそんな時に、知り合いの編集者が成年向け雑誌仕事を持ってきた。その依頼を受けたことが切っ掛けで、中田は成年向け作品執筆するようになった。そうして傑作『真・ダ○ボ』シリーズが生まれた。なお、中田雅喜は、無事にガス湯沸かし器を手に入れたそうである

成年向け雑誌仕事中田雅喜のところに持ってきた、その編集者とは、何を隠そう「オーツカ某」である。この呼称を覚えている人がいたら、その人は若くない。これは、現在大塚英志である大塚英志といえば、千葉徳爾宮田登の教え子であり、その学問的な素養を活かして『北神伝綺』『木島日記』『黒鷺死体宅配便』など数々の傑作を生み出した人物でもある。当時オーツカ某だった大塚英志が、漫画『真・○ンボ』の内容にどれほど寄与していたのかは定かではないのだが、もしかしたら民俗学神話伝承などについて学んだ経験を活かして、アイデア中田雅喜提供したりしたのかもしれない。何か情報を知っている人は、教えて下さい。

かなり前置きが長くなったが、ようやく神話伝承話題に繋がった。中田雅喜の『真・ダ○ボ』では、物語の終盤において「牙が生えている性器を持つ、女性の姿をした怪物伝承」「自らの手で牙の生えた性器を広げる女性の姿を描いた石像」について言及される。そして「この恐ろしい怪物に関する人類伝承は、遠い未来に遭遇する運命にあるダ○ボという異種族に対する、未来記憶による恐怖の産物だった!」という話になる。分かる人には分かると思うが、これは勿論、アーサー C. クラークSF小説『幼年期の終わり』が元ネタパロディである

さて、牙の生えた性器を持つ女性神話伝承については、金関丈夫が「Vagina Dentata」と題した論文(岩波文庫木馬と石牛』に収録)で、台湾東南アジアなどに分布するもの特に詳しく紹介している。この神話は、日本列島にも存在する。

この神話群は、おおむね次のような内容である。「昔、とても魅力的な女性がいて、大勢の男たちから求婚された。しか結婚しても、初夜に夫が死んだり逃げ出したりして、夫婦生活は長続きしなかった。その原因を調べてみたところ、彼女性器に牙が生えていて、夫の性器を食い千切って死に至らしめることが判明した。その牙を抜いたり砕いたりすることで、彼女普通女性となり、新たに夫を迎えて幸せに暮らすことが出来るようになった(バリエーションとしては、単なる怪物として退治されて死んだといったもの存在するようである)」

この物語典型の一つが、江戸時代奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収録されている「金精神(こんせいじん)の事」と題する一篇である。これは、津軽で「カナマラ大明神」と称して祀られていた、黒銅(黒鉄)で作られた男性器型の御神体について、その由来を聞き書きしたものである

この由来物語でも、やはり、牙が生えた女性器を持ち、それが夜の夫婦の営みの際に夫の性器を食い千切って死に至らしめるために、結婚しても夫婦生活が続かないという女性が登場する。その悩みを聞きつけた或る男が、この女性結婚を申し込んだ。そして迎えた初夜、新しい夫は、自らのものを初めて挿入する代わりに、まず黒銅で作った男性器を妻の性器に挿入した。すると牙の生えた女性器は、黒銅の男性器に噛み付いたために、牙が砕けて全て抜け落ちた。それ以後、女性普通女性となり、つつがなく夫婦生活を送った。その時に夫が用いた黒鉄作りの男性器が、後に神として祀られ、今のように崇敬されるようになったとの由。

古今東西神話呪術において、男女のいずれの性器も、生命力呪術的な力の源泉として神聖視される事例が数多い。その中で特に女性器は、妊娠出産による人間誕生という重要役割を担うことから生命象徴のものであった。しかし、それとは対照的に、Vagina Dentata神話で描かれている女性器は、牙を生やしていて、生命を生む存在ではなく、むしろ奪う存在である。これは、陰唇と口唇の形態的な類似と、性行為時に男性器を受け入れるという機能から男性器を喰らう女性器という発想に至ったと考えるのが自然なことであろう。けれども、それだけではないように思われる。

Vagina Dentata神話根底には「生命を生み出す魔力を持つ女性には、それと表裏一体のものとして、生命を奪う魔力もまた備わっているのが当然である」とする、呪術的な発想もあったのではないだろうか。ニギミタマ、アラミタマという言葉が示すように、聖なる力は、好ましい側面だけでなく、同時に好ましくない側面や荒ぶる側面を併せ持つとされることも多い。聖なる力が人間の役に立つ時には「カミの力」とされるし、人間に害を及ぼす時には「妖怪の力」とされる。こういった「カミと妖怪の間を振り子のように行き来し、変貌する超自然的な存在」という妖怪の有様は、京極夏彦作品に多大な影響を与えたことでも知られる妖怪学者小松和彦著作で、詳しく論じられている。女性器の神聖性に対して人類が抱いた、善悪判断を超越した畏怖の感情。それがVagina Dentata神話には残されているのであろう。

もう一つ。生命力の源泉という呪術役割を巡る主導権争い、すなわち、女性原理男性原理との間に生じた闘争対立記憶を、Vagina Dentata神話は今に残して伝えているのではないだろうか。『耳嚢』の金精神(こんせいじん)についての伝承は、生命を生むための呪術的な過程において、vaginaを重要視する女性原理から、phallusを重要視する男性原理が、地位や主導権を奪ったこと、男性原理の側から見た勝利記憶を留めているのではないか。牙を失い、呪われた存在ではなくなった女性器は、その代償として呪術的・超越的な力を失って馴致されたとも読める。

しかしまた、こうも考えられる。生命力の源泉としての呪術的な力は、女性原理場合女性器の妊娠出産の力として発揮されるが、男性原理場合男性器の種付けの力として発揮される。その一例として、田植え神事において、男性器を模した御神体田圃の泥土に突き刺し、稲の豊穣を祈願するという儀礼存在するという事例が挙げられる。金精神(こんせいじん)の由来物語も、新たな生命創造する過程である男女の営みの中において、生命の根源に係る呪術的な部分で、男性原理の種付けの役割にも"平等に"重きが置かれるようになったことを示しているとも考えられる。そう考えるならば、つまり精神(こんせいじん)の由来物語とは、男女双方の原理二人三脚でなければ、人間生命を生み出す呪術的な力を得ることは出来ない、女性原理だけ或いは男性原理だけでは決して呪術は成り立たないのだという「男女の共存和合を説く物語」だと解釈することも可能である対立征服物語として捉えるよりは、そのように考えた方が、建設的で平和的なのではないだろうか。

ところで、魔を祓うのとは少し違うが、男性器もまた、困難時に着衣を脱いで曝け出すことで窮地を脱するための呪術的な行為とするという事例がある。例えば、猟師が山で迷った時に、勃起した陰茎を山に向けて見せれば、山の神(女神)が喜び、その男性を助けて無事に下山させてくれるという伝承がある。

また一方で、女性器にも似たような発想の伝承がある。田植えをする時に女性和装下着を着けていないと、丸見えの女性器を田の神(男神)が見て喜び、田植え作業が早く進んで終わるように手伝ってくれるという伝承がある(そういったエロ話をしながら、田植え作業に勤しむ農村女性たちの活き活きとした姿を、宮本常一が記録に残している)。

このように性器を曝け出して超自然的な存在に祈願する人間の姿は、文明化した我々現代人の目から見れば、大らかではあるが、馬鹿馬鹿しく滑稽に映る。しかし、自らの肉体の恥ずかしくて重要な部分を曝け出すことができるというのは、相手が神(カミ)であろうと人間であろうと、それを捧げる対象に全幅の信頼や愛を抱いていなければ出来ないことであり、ある種の真摯さや敬虔さの証となる行為でもある。そう考えると、男女間の異性愛だけに限らず、全ての性愛行為根本において、信頼や愛が何よりも大切であるとされることの原点が、これらの呪術行為図像には秘められているとも言えるであろう。

そう考えれば、魔力を持つ性器を曝け出すという古来の伝承図像、それらの子孫として現れるポップカルチャー的な表現は、単にこれらを面白がるだけでも全く構わないとは思うが、改めて見つめ直してみれば、案外と我々現代人が真面目に学べる何かをも多く含むのかもしれない。

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過去駄文こちら。

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2022-10-18

anond:20221018184214

70年代80年代の間には、まず制作者の大きな壁があった。70年代におおきなアニメブームが起こり、その影響でオタクアニメ業界で作る側に加わった。庵野秀明河森正治世代ね。だから80年代になると「仕事」じゃなく「趣味」的に絵作りにこだわるクリエイターが出てきて、それまでと画面の密度が一変した(例えば79年のガンダムと85年のZガンダムはもう別物)

そして90年代00年代アニメもまったく異なったルックを見せる。これは何といってもデジタル環境への移行がある。デジタルといっても作画は人力で行うのだが、その後の色塗り、撮影などをコンピューター上で行えるようになった。アナログセルが使われなくなったことでぱっと見ても画面がまるで違って見える

増田の言うこともわかるが、ただ現在10年前のアニメ作品の絵作りは結構違うと思う。最近新海誠ufotable作品の影響か、とにかくどの作品も「撮影」にえらくこだわる。撮影は濃い味付けのソースのようなもので、うまく使うと多少しょぼい絵でも食えるようにできる。 2008年マクロスフロンティア当時はシェリル・ノームの髪を見て「うおー、これいちいち特殊効果かけてるのか、すげー」と感心したが、今やどのアニメでもあれくらいはやってる。現在と一昔前のアニメを分ける一番の違いは撮影だと思う

撮影処理前後がわかりやすいページ

https://cloverworks.co.jp/special/interview04/

https://cgworld.jp/feature/201512-prisma-illya-cgw208t2.html

anond:20221018205322

そうだね。1970年ごろに結構ブームだった。あとBCLも。その次には80年代後半から90年代くらいにも流行たかな。今度はおしゃべり目的でね。こっちは携帯電話の普及とインターネットの到来で急激に萎んでしまった。バンドブーム90年代じゃなかったっけ。

故・原田勝彦氏(Geemoku、ゲーモク)Twitter発言録 2007年2008年

twitter: Geemoku: 誤解とデマ工作広告とアフィと検閲にまみれて、言葉文書もつながりを失った。こんな世界に誰がした。

twitter: Geemoku: 2007年も終わりに近付いてきた今になってWWWに欠けているのはハイパーテキストであると思い始めている。

twitter: Geemoku: 「子どもに見せたい○○(漫画とか映画とか)」を語るオタって馬鹿すぎて救えない。どうして人は大人になると、子どもの頃の“ピュアとはかけ離れたドス黒い感情”を忘れてしまうの? 大人が勧めてくるものなんて古臭くて説教臭くてクソつまんないもので、さっさと古本屋に売って金に換えてただろ?

twitter: Geemoku: 僕たちはもう少しハレーズコメットスクランブルフォーメーションタイトーシューティングとして丁重に扱うべきだと思うんだ。だけどATOK野郎が「低調に」と変換しやがるんだ。

twitter: Geemoku: 「ソースは?」「[要出典]」なんてくそくらえ。もっとお前の妄想を見せろ。独自研究を出せ。

twitter: Geemoku: ほとんどゲームだけにオタ人生を費やして来たので、70〜80年代漫画映画を見ても懐かしさはなく、純粋面白く見れてしまう俺は幸せものなのかもしれない。ブックオフの100円コーナーもTSUTAYAの旧作の棚も俺にはすべて新作なのだから

twitter: Geemoku: 飯野賢治は一時期ゲーム雑誌でやたら連載を持っていた。しかし当初は本人が書いていたコラムも、そのうちワープ広報や嫁が代筆するようになっていた。これが死ぬほどつまんねんだ。ゲームなんか作ってないでゲーム話をしてくれと強く思ったものだった。

twitter: Geemoku: 飯野賢治がどれだけ持ち上げられても(D食~E0)、どれだけ貶されても(リアルサウンド~D食2)、業界からその存在を消していても(ここ数年)、変わらない事実がある。それは、彼のゲーム語りは非常に面白いということ。

twitter: Geemoku: 実名を出して仕事をしている人(作家とか)が、その仕事を叩かれる。ムカついたり凹んだりするだろうけど、でもこれはごく普通にあること。それらの中に、近親者しか知りえない表に出さな情報が混ざっていると、途端に不気味さが増す。

twitter: Geemoku: 実際のところ、掲示板に書かれた情報信憑性などなきに等しく、読む方もそれなりに「どーせ嘘だろ」と思いながら読んでいるので影響はないが、しかし、本人はどの書き込み事実か知っているから、事実が書き込まれるほど恐怖は増す。

twitter: Geemoku: 知らないうちに自分実名が強力なネガティブイメージと共にWebにばらまかれる、しかもそれを実行したのは自分クラスメイト……なんて状況はほとんどホラー領域だと思う。悪意が文字になることで形を持ち、形を持った悪意がWebを通じて流通することに比べたら、教室悪口言われた方がマシ。

twitter: Geemoku: ネットワークビジネスだの情報商材だのに関わる人々は、みんなウンザリするようなことを言う。だけど、一部はそれで本当に儲けている。儲けている人間はその行動・言動・信念・人格……が肯定される。一方、自分肯定されるようなものは何一つない。

twitter: Geemoku: 彼らはカモを釣るためにどれだけの努力と創意工夫をしているかを、専門用語を駆使しつつも抽象的に語る。それから、何なら君も仲間に加えてやらないこともないが、君にその資質があるかと値踏みしてくる。とてもウンザリする。

twitter: Geemoku: 俺は彼らを論破しようとは決して思わない。彼らは何だかんだでたくさんの知恵をつけている。こちらは専門用語ひとつも知らない。賢くもない頭を使うのも疲れる。とにかく阿呆のように振る舞い話が終わるのを待つしかない。

twitter: Geemoku: 360の実績システムによって、ゲーム購入者の中でクリアまで到達するのはほんのわずかということが明らかになったように、たぶんゲーム雑誌購入者の数%しか中身を読んでないんじゃないかという気が。特にゲーム批評とか初期の全否定キャッチコピーしか記憶に残ってないんじゃないか

twitter: Geemoku: ゲーム批評批評が今ひとつ的外れになりがちなのは、初期の全否定キャッチ(「ファンタジーは死んだのか」とか)と、その人の大好きなゲームをけなしたソフト批評文だけが強く印象に残っていて、それを元に雑誌批判を展開するからではないかと思う。かといって全部読んで俯瞰する奴もおるまいよ。

twitter: Geemoku360: 経験絶対視するなら、死や死後については誰も何も語れないな。経験者はもう喋れないわけだし。

twitter: Geemoku360: つまり完全自殺マニュアルは、ゲームクリアしてないライターが書いたゲーム攻略本だと。

twitter: Geemoku360: 世界三大RPG頭脳戦艦ガルキングスナイトキャプテンED、アシュギーネ虚空の牙城……あっ、四大シューティングRPGになってしまった。

2022-10-14

anond:20221014084610

放映基準が変化したりしてるわけですね。

 

あと君も勘違いしてると思うけど、フェミニズムって別にツイッターで生まれものでは無い。概念としては80年代には広まりきったものなので

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

国民総背番号制」の歴史はとん挫の連続だった。しかし、よく観察すると、その議論歴史は、人権を基本原理にする「個人情報は侵すべからざる基本的人権」というグループ抵抗によってとん挫したわけではないことが分かる。

最初議論が起きたのは80年代、税務当局が主導した「グリーンカードである国民納税番号をつけて、支払い側からデータを基に収入状況を捕捉して、「脱税」を防ぐというものだった。

この制度の最大の抵抗者はそれまで収入が捕捉されていなかった農業者中小企業経営者自営業者などで、隠然たる抵抗が拡がっていた。しかし、表に立って世論グリーンカード中止を働きかけたのは、「個人情報政府に握られる危険」を訴える「人権派」だった。隠然と抵抗してきたグループは、この動きを利用して「総背番号制」反対を錦の御旗にグリーンカード中止に成功した。

住民基本台帳ネットワークが次の山だった。2000年代初め、大議論となった。これは行政効率化して無駄をなくし、国民の便益を向上させる電子行政を推進する基盤として住基ネットを構築しようとしたものである。これを「国民総背番号制」の復活として、基本的人権侵害反対の大合唱にあって壁にぶつかった。結局、譲歩を重ね、行政に横串を通して効率化する情報システム構築という目的は達成できなかった。

そして、その批判を克服するために、あちこちに防護措置を配することを考慮して進めているのが「マイナンバー制度である4月初めにパブリックコメント投稿を終了して、最終的な制度ができる。行政側は、そういわれると、過去反対運動槍玉に上がったイメージを嫌うが、基本的な考えは、人権配慮した「国民総背番号制である

2022-10-11

anond:20221011113239

マジでそういうことは80年代に出てきたAIって発想の当初から考えられているのだが

 

まあしかし、すると弱者定義とか、不毛なことになる。

というのが結論だ。

2022-10-09

anond:20221009013505

パヤオもほぼ同じこと言ってる、80年代

別に今日昨日はじまったことじゃあ無いぞ

2022-10-07

anond:20221007100120

たとえば、「最近の坂系の歌はどれも一緒に聞こえるけど、80年代アイドルの歌は個性が際立っていて良いよね」みたいな言い方。後半だけ言えば良いのに、わざわざ坂系を否定するから、坂系を好きな人たちから反発を受ける。対立煽りとして使うというよりも、comparisonとして使う人が多いように思える。

そういうひとが言いたいのは「80年代アイドルの歌は個性が際立っていて良いよね」じゃなくて「最近の坂系の歌はどれも一緒に聞こえる」だからあなたの言い分は基本的に実現しない。

ageのほうは何でもよくて否定の方に重心があるということ。

否定age

人と会話していて、あとTwitter炎上を見てたまに思うのだが、世の中にはどうも、何かを評価する際に別の何かをわざわざ批判してしまう人がいるらしい。「オレンジは酸っぱくて美味しくないけどいちごは甘くて美味しいよね」というような主張の仕方である。「いちごは甘くて美味しいよね」とだけ言えば良いのに、わざわざ何か別のもの否定しているのである

たとえば、「最近の坂系の歌はどれも一緒に聞こえるけど、80年代アイドルの歌は個性が際立っていて良いよね」みたいな言い方。後半だけ言えば良いのに、わざわざ坂系を否定するから、坂系を好きな人たちから反発を受ける。対立煽りとして使うというよりも、comparisonとして使う人が多いように思える。

2022-09-30

「○○、○○する!」みたいなタイトル

何が元ネタなんだろう。

僕は80年代の「カルラ舞う!」で最初認識したんだけど、

その後もいろいろ出てくるので気になってる。

 

あと「○○の話をしよう」みたいなタイトルも気になる。

こっちは永田泰大ゲームの話をしよう」で初めて認識した。

anond:20220930143041

80年代から好みが多様化たかそれからずっとそういうやつが「オタク」だったんだよ。

バイファムプラモデルが出るのは純粋にすごく嬉しい

でもバイファム好きとしてはやっぱり少しこれじゃない感がある

1、胸ハッチの上側と下側に段差ができるのはちょっと違うと思う

2、膝アーマーはややとがりすぎ

3、膝アーマー下の凸凹モールドは筋彫りが正解だと思う

4、裾部分はもうちょっと広がりがあるのが正解だと思う

5、お腹まわりダイエットしすぎ、もう少し太く無いとイメージが変わる

6、ひじのアーマー箇所もそれ形状違うんじゃ?

80年代アニメメカデザインって矛盾が多いので立体化は難しいんだけど、ちょっと設計者の個性(あるいは解釈)が強くでてるなぁって印象

かっこよさでいうとウェーブガレージキットダントツでカッコ良さに振り切ってて気持ちよくてあそこまでいくと全部許せちゃう

あとバンダイロボット魂っていういつもつねに正解を出し続けてるシリーズがあって、そのバイファムバランスギミック共に本当に大正解

いつも毎回あれでプラモデルにならねえかなぁって指をくわえて見てる(笑)

今回の新作バイファムプラモデルももちろん買う予定してるけど、ロボット魂の開発者は本当ガチマジでプラモデルの方にきて欲しい!

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