2022-10-13

国民総背番号制」の歴史はとん挫の連続だった。しかし、よく観察すると、その議論歴史は、人権を基本原理にする「個人情報は侵すべからざる基本的人権」というグループ抵抗によってとん挫したわけではないことが分かる。

最初議論が起きたのは80年代、税務当局が主導した「グリーンカードである国民納税番号をつけて、支払い側からデータを基に収入状況を捕捉して、「脱税」を防ぐというものだった。

この制度の最大の抵抗者はそれまで収入が捕捉されていなかった農業者中小企業経営者自営業者などで、隠然たる抵抗が拡がっていた。しかし、表に立って世論グリーンカード中止を働きかけたのは、「個人情報政府に握られる危険」を訴える「人権派」だった。隠然と抵抗してきたグループは、この動きを利用して「総背番号制」反対を錦の御旗にグリーンカード中止に成功した。

住民基本台帳ネットワークが次の山だった。2000年代初め、大議論となった。これは行政効率化して無駄をなくし、国民の便益を向上させる電子行政を推進する基盤として住基ネットを構築しようとしたものである。これを「国民総背番号制」の復活として、基本的人権侵害反対の大合唱にあって壁にぶつかった。結局、譲歩を重ね、行政に横串を通して効率化する情報システム構築という目的は達成できなかった。

そして、その批判を克服するために、あちこちに防護措置を配することを考慮して進めているのが「マイナンバー制度である4月初めにパブリックコメント投稿を終了して、最終的な制度ができる。行政側は、そういわれると、過去反対運動槍玉に上がったイメージを嫌うが、基本的な考えは、人権配慮した「国民総背番号制である

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