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「竜とそばかすの姫」レビュー 危険すぎるメッセージと脚本の致命的な欠陥
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/25/news017.html
[竜とそばかすの姫] - レビュー 現代における『美女と野獣』の寓話を語りましょう
https://jp.ign.com/ryu-to-sobakasu-no-hime/53430/review/
『竜とそばかすの姫』解説|細田守作品が賛否両論になる理由が改めてわかった
https://cinema.ne.jp/article/detail/47108
「竜とそばかすの姫」の違和感を紐解く-誰のための何目線の映画だったのか -
https://note.com/meiroman/n/nfd547b8b82b2
細田守はスティーブン・スピルバーグ、そして、彼と比較されがちな日本の偉大なアニメーターである宮崎駿の両方に不満を抱いています。
細田(人道的傑作『未来のミライ』が三年前にアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートを受けた)はハリウッドのデジタル至上主義や宮崎の女性描写にうんざりしたものを感じているといいます。
最新作である『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ映画祭におけるAFP通信のインタビューで、細田はスピルバーグの『レディ・プレイヤーワン』をはじめとする多数の映画に視られるネットに関するディストピア的な表現は万人にとって、特に女性にとってあまりよろしくないと発言しました。
自身も幼い娘の父である細田監督は、彼女たちの世代が恐怖に怯えるのではなく、デジタルな運命をコントロールできるように力づけていきたいと考えています。
「彼女たちはインターネットとともに成長してきました。しかし、常々、ネットが悪意に満ちた危険な空間であることも教えられてきたのです」
『竜とそばかすの姫』では、内気で無垢な少女すずのジェットコースターのような感情の体験が、21世紀を舞台にした『美女と野獣』をベースに見事に表現されています。
彼女自身にとっても、他の人々にとっても驚いたことに、すずは「U」というアプリの仮想世界内で、ベルと呼ばれるポップ・ディーヴァになります。何十億人ものフォロワーを獲得したすずはネット上でいじめやハラスメントを受けたりもしますが、「ベル」の歌を通じてアンチや自分自身の悩みを乗り越えていきます。
「若者にとって、人間関係は複雑で、甚大な痛みを伴うものです。私が見せたかったのは、こうした仮想世界が辛く、恐ろしいだけなく、ポジティブなものとなる可能性です」
すずとそのギークの友人は日本の一般的なアニメの女性とはかけ離れています。ここが名作『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を獲ったレジェンド、宮崎駿との態度を異にするところです。
「日本のアニメを観るだけで、日本社会において若い女性がいかに過小評価され、見下されているか(underestimated and not taken seriously)がわかります」
この監督(その映画は宮崎作品よりも現実に根ざしている)は、当時として珍しいことに、シングルマザーによって育てられました。
2012年に公開された名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で”小さな群れ”を育てた、その猛烈な自立心を讃えた作品です。
細田監督は、「日本のアニメでは、若い女性が聖なるものとして扱われていますが、それは彼女たちの現実とは無関係です。そのことに私はとても腹を立てています」と、悔しさをにじませます。
細田監督はジブリの創立者である宮崎駿の名前を出さずに、厳しい意見をのべつづけた。
「名前は伏せますが、アニメーションの巨匠でいつも若い女性をヒロインにしているひとがいます。率直にいうならば、彼は男としての自分に自信がないからそのようなことをするのだと思います」
「若い女性を崇拝することははっきり言って不快ですし、わたしはやりたくありません」と彼は主張する。
彼は、彼のヒロインを美徳とイノセンスの模範とすることや、”誰からも好かれなければいけないという抑圧”から解放されなければならないと考えています。
53歳のときの彼は宮崎駿の正当な後継者とみられていました。のちのオスカーノミネート作『ハウルの動く城』の監督として外部からジブリへ招聘されたのです。
しかし、細田は制作なかばでジブリを辞め、自らのスタジオを立ち上げました。
細田は「人間の良いところも悪いところも描く、その緊張感こそが人間の本質」というような物語を好んでいました。
そうした性向が『美女と野獣』を現代にアップデートすることに惹かれたのでしょう。
「原作における野獣は最も興味深いキャラクターです。彼は醜く、暴力的ですが、同時に繊細で傷つきやすい内面を持っています」
「美女(ディズニー版ではベル)は取るに足らない人です。見た目がすべての存在です。私は彼女を複雑で豊かに作り変えたかった」
そうした二面性は、彼の最初のヒット作『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』から観られるようなデジタル世界の魅力にも現れています。
「私は事ある事にインターネットへ立ち返りつづけています。最初は『デジモン』で、2009には『サマーウォーズ』、そして、今もまた」
そして、インターネットを諸悪の根源とみなしてはいけないと、これまで以上に確信しています。
「若い人たちはそこから離れることはできません。彼らはネットともに育ってきたのだから。私たちはネットを受け入れ、よりより使うことを学ばねばなりません」
ネタバレと他の人の感想で先入観を持ちたくなかったのでなるべく早く見ようと土曜日の朝一に行きました。
一番好きな作品はぼくらのウォーゲーム、次点が時かけ、その次がサマーウォーズ。
サマーウォーズは昨日の金曜ロードショーで久しぶりに見たのですが、12年前というだけあって今見ると結構キツイ部分もあって少ししょんぼりしました。
好きなシーンはいっぱいあるんですけどね。
典型的な細田監督が脚本を手がけるようになってからの作品があまり好きではない人間です。
おおかみこどもで「う〜ん」となり、バケモノの子で盛大にがっかりしました。
それはわたしが作品のターゲットから外れてしまったということなので、それ以降は少し寂しく思いながら劇場に見に行くことはありませんでした。
それなのに何故、今回劇場に足を運んだか。
一つは、描きたいと思っている作品の題材被る可能性があり、それがないかチェックしたいと思ったこと。
もう一つは、主人公のアバターであるベルのデザインをディズニーのジン・キムが手がけたという情報を目にしたからです。
細田作品でよく言われている「ヒロインへの興味の無さ」が、一部他者に委ねることで、もしかしたら今回は解消されて好きになれるかもしれないと期待したのです。
それ以外は流れてくるCMくらいで、ほぼ事前情報なしで見に行きました。
前置きが長くなりましたが、決してアンチがアラを探しに行った訳ではなく、むしろ「おもしろかった!」と思いたい気持ちで見に行きました。
がっつりネタバレしていくのでご注意ください。
仮想空間という3Dと相性のよい舞台設定もあり、2Dと3Dの違和感も少ないです。
映画の一つの見どころでもある竜の正体探しなんですが、これは細田作品今まで見てきた人はすぐわかっちゃうんじゃないでしょうか。
わたしも早々にわかってしまって、もうちょい誰なんだろうって楽しみたかったのが正直なところです。
それはさておき、主人公すずのAsの名前「ベル」からも分かる通り竜そばは美女と野獣のオマージュが多く登場します。
オマージュ自体は別にいいのですが、ただ単に竜と女の子の二人が美女と野獣っぽいから表層的になぞっただけいう印象を受けました。
同じ美女と野獣をオマージュしたシェイプ・オブ・ウォーターは、野獣がハンサムな王子にはならず最後まで野獣のまま二人が結ばれ、本家を踏襲した上で独自のストーリーになっていました。
ですが、竜そばはそれが出来ていません。
そもそも竜が作中で醜いと言われてますけどかっこよくないですか?
怖いかもしれないけど醜くはないでしょう……。
人間だらけの中なら浮くかもしれないですけどUの世界みんな色んな格好ですし。
竜の野獣である要素が薄く、本家でも言われているルッキズムの助長がむしろ強化されてしまっているようにも感じられました。
Uならまったく別の人生を生きることができると謳っているのに、アバターは生体情報から自動生成で自分の意思では自由に出来ない。
そして見た目で差別を受ける。
仮想空間は理想の世界ではなく現実の地続きで、ある意味リアリティはあるのかもしれません。
竜のあざやベルのそばかすが現実とリンクし、すずに竜の正体を気にさせ、探せるようにするために必要だっただけではないでしょうか。
細田監督はこういったシーンを描きたい!といったところからストーリーを膨らませていくタイプに見えます。
その手法は全然アリだと思うんですが、キャラクターやストーリーがそれを実現するための駒に収まってしまっています。
特に脇役はひどいです。
ルカちゃんはすずとベルとのギャップが際立つよう、現実での立ち位置を対比で表すため。
ヒロちゃんはすずをUの世界でスムーズに活躍させるための便利屋。
しのぶくんに手を握られて学校中の女子から叩かれ炎上する際のゲームのような演出も力が入っていましたが、あまり必要性を感じずやりたかっただけのように見えました。
敵役の魅力も乏しいです。
明らかな噛ませ犬だと竜の強さが伝わらず、バトルシーンにも緊張感が生まれません。
自警団とのバトルはストーリーの本筋ではないですが、アンベイルという重要な能力を持っています。
そんなキャラクターの作りが蔑ろなのはマイナスでしかありません。
何故Uの管理者でもない彼らが、キックやブロックや削除ではなくAsのオリジンを暴く能力を持っているのか。
権威がある印象をつけるためスポンサーが多数いる描写がありましたが、それでは説明になっていません。
おそらくストーリーが進めるため、ベルがすずになって歌うシーンを作るために作られたのだと思います。
それでも説得力のある設定を付随してあげればいいのですが、それがなされていません。
描きたいシーンとシーンの間をとりあえず大きな齟齬が出ないように埋めているだけのストーリー。
とりあえずでは見せ場に行く前に気持ちが躓き、せっかく力を入れて描かれたシーンが空虚に感じられてしまいます。
メインストーリーであるはずのすずの成長はこれでもかと言うほど分かりやすく描かれています。
母が死んで歌えなくなった
↓
Uの世界なら歌えるようになった
↓
↓
母のように他者を救えるようになった
他者との関わりから閉ざされていた心が開いていく王道のストーリーを美女と野獣でオマージュし、今までやってきた得意なものを詰め込んだ今回の作品。
新しい試みは何かあったのでしょうか?
でもそれ以外は既視感のあるものがほとんどで驚きがありませんでした。
唯一あるとすれば音楽へのこだわりでしょうか。
それもライブシーンに至るまでのストーリーで白けてしまうのがあまりにも勿体ない。
わたしにはケモとショタとクジラと電脳世界でのライブが描きたかったことしか分からなかったです。
結論としては前置きで書いたものと変わらず、細田監督は脚本を他者に任せるか、共同にした方がいいと言うものになってしまいました。
残念ながら今回もやはりわたしはターゲットにはなれなかったようです。
あくまでわたしのものさしがストーリーに重きを置くのでこういった評価になってしまうだけで、他の評価軸で見れば全然楽しめる作品であると思います。
まだ他の方の感想を読んでないので、どれくらい自分との感じ方どれくらい差があるのかちょっと楽しみです。
書き慣れていないので読みづらかったかと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
竜とそばかすの姫をみてきた。
まあまあ面白い
・語りたくなることは多い
(今作を持ち出し社会批評に繋げたり、キャラ萌えやカップリング論争を繰り広げたりする人は多そう)
(爽快感、カタルシス、心を揺さぶる泣き所等、無いわけではないがあまりうまくない)
BADポイント
・キャラが多すぎる
(ネームドのキャラだけで30人以上いるんじゃなかろうか。2時間の映画にこれだけキャラ出すのはちょっとね。ゆえにキャラが薄い。もう少し練り上げれば半分でもいけたんじゃなかろうか。)
・エピソードが多すぎる
(30名以上のキャラがそれぞれ1エピソード、2エピソードの話で出てくる。その沢山のエピソードを通して伝えたいことはわかる、でももうちょっとキャラを減らして1キャラ3エピソード、4エピソード担当させることにしてくれたら、話がすっきりしてキャラに深みが出たんじゃなかろうか。)
・本筋が消化不良
(主人公のトラウマ解消成長ストーリーとしてみれば一応話は成立している。でも他の主要キャラや世界の問題は・・・?)
GOODポイント
〇演出がよい
現実パート→写真をそのままトレースしたような写実的背景とマッチする手書き作画(浮いた感じもなくきれいにまとまっていた)
仮想パート→ディズニーっぽいCG作画(なんかいろいろと美女と野獣だった)
(全編を通して見ていて飽きないし、不自然さを感じたり、不安さを感じることなく気持ちよく見れた)
・SNS、ライブ配信、Vtuber、ヤフコメ民、バイラルメディア、アバター文化、グループチャット等、「2021年以降のインターネット」が描かれている。
(各メディアの描写が正確なのはもちろん、そのメディアに付随する文化の描き方にもリアリティがある)
(サマーウォーズ的ユートピアではない、悪意マシマシインターネット。でもそれが現実のインターネット。あとオタク的インターネットに寄り過ぎてないのもよかった。tiktok、インスタ、Youtuber文化的な意味ね。)
※余談:インターネットの描写が出てくると細かいことが気になって仕方なくなることが判明。話の筋そっちのけで正確性やリアリティを気にしてしまう。今後作品鑑賞する際には意識的に気を付けないといけないことがわかったのが本日一番の収穫。
その他ポイント
チケットは売り切れ、ホテルも満室なんだけど、SNSで検索しても驚くほど投稿が少ない。みんな批判を恐れて公にしないんだなって理解したので、記録に残しておきたい。
チケットは限定数を1週間毎に発売しているけど売り切れが基本。公式ホテルを予約すれば宿泊の翌日だけチケット購入の権利を売られる。価格は通常。施設は、アトラクションはわりあい営業してて、レストランとお店は半分以上閉めている印象。特に小さいお店は閉まっている。レストランはメニューも半分くらいに感じる。どこに行ってもハンバーグかシチューみたいな煮込み料理。ランチタイムのピンポイント営業も多く、夕食営業する店も18時ラストオーダー。予約無しで夕食食べられるお店は2件のみ。下げものをしてくれるスタッフさんがシュッとした男女で共に黒スーツで違和感すごかったから、パレード演者さんが配置換えで入っているから制服ではないのかなと邪推。
パレードはなんか小規模なのをやっていた気配がする。というくらい、気配なし。待機も沿道1列くらいだと思う。花火なし。消毒液がそこら中にあり、少しでもマスクがずれて鼻が出てると注意される。食事の席にアクリル板はないけど、ウエスタンリバー鉄道などの座席にはしっかりしたアクリル板がまるで最初からそうだったかのように用意されてた。
園内はガラ空き。開演閉園のタイミングだけゲート付近が混んでいるけど、それ以降は他人が2mの距離に来て逃げられない!というシチュエーションはなかった。列もみんな空間あけて並んでいるし。モノレール降りて、荷物と検温チェックがあって、それから入場ゲートに並べる。客層は大半が若い学生グループ。カップル。幼児連れの家族か親戚。高齢者皆無。平日だから小学生以上もいなかったな。修学旅行らしき学生グループは少々。外国のお客さま無し。あまりに空間が余っているから、そこらへんの床でカモや鳩が丸まって寝ていた。ヒヨドリにはポップコーンをカップの中から強奪された。鳥は飢えている。
アトラクションは全てにおいて待ち時間なし。キャラクターに会えるやつだけ40分まちとか。あまりに客がいないらしく、ホーンテッドマンションや美女と野獣の前などで客引きをしていた。待ち時間案内とかじゃなく、乗りませんか〜お待ちしてます〜という客引き。そんなの初めて見た。アトラクションに乗っても、10人定員の乗り物に1組だけの案内が普通ベース。空のスプラッシュマウンテンが落ちてくるのを何度も見た。だから客も誰も焦ってない。次はあっち並ばなきゃ!みたいな小走り皆無。あまりの列のなさに、行列の退屈を紛らわす各所の仕掛けが全然見れずに通過しなきゃいけないのが寂しかった。気のせいか、客が静かすぎるのかアトラクションの音量レベルもうるさく感じた。耳をふさいで乗車すること多かった。
キャラクターは以前のように散歩してないけど、リロ、ウッディー、ジェシー、3匹の子豚、ピノキオあたりを見かけた。地面にラインが引かれていて、それより内側には近づけない仕組み。人気どころは混雑避けで出てこないんだろうな。
目についたのはとにかく撮影。どっち向いてもめちゃくちゃ写真撮ってる。武器みたいな重厚感のあるカメラを構えたディズニーの撮影ヲタさんをはじめ、スマホを地面に置いての自撮り、公式カメラマンにポーズを指導されながらの撮影ツアー、袴を着て非公式カメラマン連れて卒業写真撮ってる女性2名とか、もうここはテーマパークっていうよりフォトロケーション地なんだなっていう印象。ディズニー側もよく心得ていて、公式アプリ上の地図にポイントが表示され、実際に行くと公式カメラマンが撮影してくれて、その写真を後日スマホからデータ購入できる、というサービスが人気のようだった。無料でプロが写真撮ってくれるわけで、人気になるよね。園内空いてるから引きの構図も取り放題だし、撮影場所の順番待ちもない。ただマスクは絶対に外せないようなので、マスク記念写真になっちゃう。カメラマンも心得ていて、後ろ姿でサマになるポーズや構図を指導しているところ見かけた。後日SNS投稿するにも顔が出てないと都合いいしね。
私はディズニーランドに行くたびに、植栽の素晴らしさに驚くんだけど、今回も手を抜くことなく各所ゴージャスだった。ビオラをこれでもかと密に植こまれていて華やか。花ガラも摘まれてどこから見てもピッカピカ。レンガの隙間を引っ掻いて苔取りしてらして、普通なら一番にこういう地味な分野が予算削減の対象になるであろうに、維持した気概に感銘を受けた。アーモンドも椿もチューリップも絢爛だった。あと美女と野獣エリアに堂々とした針葉樹が植わっていて、よく舞浜の気候で挑戦したな〜メンテナンス技術すごいんだなと惚れ惚れ。とにかくディズニーランドは植栽が最高に贅沢。フォトロールは植栽ばかり。
というわけで、しばらく行かないうちにディズニーランドは撮影場所になっていたっていう話。アトラクションフリークと撮影フリーク、幼児連れには適した内容だった。
職場の人に、恋を忘れるには新しい恋だよ!と言われ、馴染みのない土地でマッチングアプリをした。
1枚目はぼやけてる写真、2枚目は顔に薄くぼかしが入っている写真のプロフィール画像を選び男を左、右へスワイプした。
話が会って、顔も好きになれる人とマッチングし会うことになった。
カフェで地元や仕事、関西の話をし、向こうがもう少し話したいと言い居酒屋に行くことにした。
居酒屋では、お酒を飲みながらヤンニョムチキンを食べ漫画の話、過去の恋愛話をした
やはりそう来るか、
私もそうなるかもな〜とは思っていた
毛の処理もしたし、コスメデコルテの高いフェイスパックもした。ボディミルクも6プッシュした。
でも、ビデオが擦り切れるほどディズニー映画の美女と野獣を観て育った私は即セッ○○をする世界は考えられなかった。
美女と野獣は、町娘のベルと野獣になってしまった王子様が共に過ごし、孤独だった二人が心を通わせ、愛するということを知る物語だ。
出会って即セッというのは心を通わせる楽しさをすっ飛ばし、いつキスするのか〜とか妄想すら出来ないので、それとなく断った。
男とまた会おうねと会話をして、地下鉄に乗っているときに急に虚しさが芽生えた。
私は向こうのことをもっと知りたいと思っていたのに向こうは出来ればラッキーと思っていたのかと
大好きです!!この世で一番美しい!!!と求めてくれれば、情熱に負けて応えてたかもしれない
しかし、俺んちまでタクシーに乗って、You Tube見ようっていうワンチャン狙いの言葉に冷めてしまった。
私じゃなくても、セッ出来る人間なら誰でも良いのか、酒の力を借りてしか動けないなんて。
すれ違いの遠距離に耐えられず私から別れを切り出した元彼が勇気を出して告白してくれたこと、初めてキスした時手が震えていたこと、かわいいと言ってくれたこと、頭痛のときに大丈夫?とライン電話で心配してくれて、音を立てずに電話を繋いでくれたことを思い出した。
今更になって、優しい人だったなと思い出してし、最寄り駅で降りたあと泣いてしまった
。
最近テレビでもディズニー特集が多いから物凄くインパしたい。ランドの方にはここ5年くらいは行ってないけど、友達と行くようになる前。親と行っていた時はランドばっかりだった。シーはなんとなく大人の場所な気がして……ってわけではなくめちゃめちゃビビりだったからです。
ところが、友達と行くようになってからはシーにしかほぼ行っていない。高校生2年生くらいからかな…シーのショーパレが好きな友達と行く場合が多くて、ついて行ってたから。だから私のディズニーランド観はまだゴーカート(正式名称を忘れる哀れなオタク)があった時代までだ。レールが引いてあって、前と車間距離が近くなるとガン!って止まったりして、オイルっぽい臭いとかバルルルルルみたいなエンジン音とか、全部懐かしい。もう無いものだと思うとより鮮明に思い出せる。Qラインでどの車がいいとか言い合ったりした。特にディズニー映画に云々とかそういうものではなかったと思うけど、好きだったなー。あとあれ、スタージェットね……アレもなんかよくわからないけどめちゃめちゃ並んだりしてさ……小学生のときとかはあの辺とトゥーンタウンだけで死ぬ程遊べたんだ……どうして写真映ばかり気にするように……?いつからショーパレ地蔵が余裕になったんだ私は……?一緒に行ってた母親は退屈だったかもしれないけど、年2回連れていってくれてたのは本当に感謝している。もちろん今よりも入場料金は安かった。ゴーカート(正式名称を忘れる哀れなオタク)のこと、絶対忘れないから……
あそこの跡地に美女と野獣の城があるんだよね?ひとつのパークに城が2つなんて強欲すぎないか……?いや行きたいけどね〜〜〜〜とりあえずまたシーに行きたいかな。抜けた先に広がるポルトパラディーゾをまた見たい。
世界各国で暴れ回る双頭三鎌のカマキリのせいで、ハローニューヨークが休止のまま終了とかいう悲しすぎる事態になったのが今年度1番悲しい出来事です。ハローニューヨークはハピネスの過剰供給が物凄いので、見たら泣いちゃいました。ファッショナブルイースターも泣いちゃいましたが、これ単にbrand new dayが好きすぎるだけかもしれん。
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。