はてなキーワード: 発心とは
ブコメ欄は「おとなの塚本幼稚園」という言葉に賛同する意見が多かったが、彼らが言う「気持ち悪さ」というものがさっぱりわからない。
政治家の演説に支持者が集まること、彼らが日本国旗を持っていること。
私が思うに、「安倍首相」という存在に対する反発心が「侮蔑」という域まで達してしまった人々が、その感情を共有したいと思った時に出てきた言葉がアレなのだろう。
あの言葉はなんらかの論理をもって成立したわけではなく、あの状況(写真)からラテラルシンキング的に連想したのが「塚本幼稚園」だった、ということなのではないか。
企業R&D部門のマネージャーをしている。研究開発では女性社員は少ないため、男ばかりの部署が殆どだ。そんな中、自分の部署に初の女性社員Aが配属された。Aは仕事ができ、他の男性社員と比較しても優秀な新入社員だった。
しかし1年が経過したある日、彼女が職場の人間関係について訴えてきた。
BはAの人格を否定したり、女性差別的な内容を職場で話すようになっていた。AはBの問題について、当初は管理職に相談してきた。しかし、今まで女性社員を受け入れた経験がなかったために、前例がなくどのような処置をすべきかわからなかった。
自分から見ればBは単に典型的な理系拗らせで、女性に対するコンプレックスが爆発しただけのように感じられた。
Bは過去にも他部署の女性社員にしつこくアプローチを繰返して拒絶された経験から、女性に対して強い反発心を持っていたと語った。アニメの女性は可愛いが、現実の女性は反論をするので生意気だと。
Bは長いこと研究成果が出ておらず、勤務中に女性社員に嫌がらせしていることに正直呆れはしたが、口頭での侮辱行為に対してはそこまで重い処分を行うことはできない。
(追記: 一応Bには,事情聴取というか事実確認の面談は行った。Bは行為を認めたがハラスメントの意図はなかったと話し、女性慣れしていないので自分の発言でAがそこまで傷つくとはわからなかったと説明していた。)
Aには相手にしなければいいのではないかと伝えた。今の仕事が続けたいなら我慢してもらうしかない、どうしても耐えられないなら君の異動を検討してもいいとも譲歩した。
それから半年ほど経過し、Aは退職願を提出してきた。Bのハラスメントによる精神的苦痛が大きいこと、被害者側の異動が納得できないこと、マネジメント側の対応に失望したことを彼女は淡々と語った。他社から引き合いがあり、新しい環境で気持ちを入れ替えて頑張りたいとも話していた。
こうなると自分としては困る。貴重な女性社員をハラスメントで失ったとなると、管理側の評価に影響する。あの手この手で彼女を引き止めたが、彼女の意思は固く、結局そのまま転職していってしまった。
会社に再発防止策を提出しなければいけなくなったが、どうしたものか困り果てている。
【追記】
言い訳に聞こえるかもしれないが、実際こうしたケースでいざ当事者となると、加害者の処分は難しい。これは男性社員同士のトラブルでも同じことで、被害を訴える社員側が異動になることはよくある。
今回のケースについては、被害者女性から辞めるほど思い詰めてるなんて報告は受けていなかった(数回相談に応じた後は音沙汰がなかったので、解決したのかと思っていた)。せめて退職を悩んでいるうちにもう一度相談してもらえれば、何か別の対応が考えられたんじゃないかと思っている。
今私にとれる行動として、文章の表現を修正しました。内容は変えていません。
https://anond.hatelabo.jp/20171002002200
の続き
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることです。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきています。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透しています。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方です。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ませんが、
何の根拠もない妄想よりは幾分かは良い、というところで、私の思う経緯を書きます。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
また、何度でも書きますが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい発信すべきです。
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いありません。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実です。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずです。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずです。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなく、です。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだったと思います。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきでした(未だに何もありませんが。。。)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではありません。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているんです。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるんでしょうか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っていますか?平均年収を知っていますか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っていますか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりでしたよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものです。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきです。
そうすれば悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、理想の世の中に一歩近づくのではないでしょうか?
それから、吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
あれだけKADOKAWAに石を投げておいて「狼狽してバタついてる」って、どうなんでしょうか。
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いています。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
でも、その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるとは思いませんか?
頂いたようなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなのだと思います。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味していると思います。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
少なくとも、こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょうか?
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろ、というのは、
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度は申し訳ありませんでした。
けど、この件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、今回の炎上の難しい部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探っていたと思います。
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
けれど、どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言っています。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
「切り倒した」のは、本当にKADOKAWAなんでしょうか?
KADOKAWAは、たつき人気で盛り上がってきたコンテンツであることが、本当に分からない程度の会社なんでしょうか?
そもそも製作委員会からのリリースには、「ヤオヨロズから辞退の申し出があった」としか書かれていません。
それに対して、KADOKAWAはどう返したんでしょうか?まだ、情報が不足してはいないでしょうか?
私は現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように思えます。
未だになんの声明も出さない部分まで含めて、ちょっとどうなのかなと思っています。
たつき氏が悪いと言っていません。手綱をしっかりとる責任を果たさなかったヤオヨロズが悪いと言っています。
なぜなら、KADOKAWAとたつきが直接交渉してるとは考えられないからです。その理由は(2)にも書きましたが、
たつき氏には制作作業に集中してもらって、ヤオヨロズの窓口が(製作委員会窓口としての)KADOKAWAと交渉していたはずだからです。
たつき氏からの暴露ツイートが発信されないようコントロールするところまで含めてKADOKAWAの責任だったというのは、
少し無理筋すぎはしないでしょうか。
→https://anond.hatelabo.jp/20171002015348
https://anond.hatelabo.jp/20170930045332
の続きです。
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることだ。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきている。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透している。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方だ。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ないが、
知識がない人の妄想よりは幾分マシ、というところで私の思う経緯を書く。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
何度でも書くが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい言えないものなのか?
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いない。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実だ。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずだ。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずだ。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなくね。
あと責任を持って、早く何らかのプレスリリース出してください。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだった。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきである。(未だに何も無いのは本当にクソ)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではない。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているのだ。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるのか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っているのか?平均年収を知っているのか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っているか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりだったよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものだ。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきだ。
そうすればあなたたちにとっての悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、
理想の世の中に近づくだろう。
吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
情報が揃うまでは気をつけたほうがいいですよ。
狼狽してバタついてるってw あれだけKADOKAWAに石投げといて「狼狽してバタついてる」?w
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いてますよ。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるのはわかりますよね?
君みたいなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなんでしょうけどね。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味してますね。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
意味がわからなくてすみません。制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょう。
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろって?w 自分で言ってて無茶だと思いませんか?
それがまかり通ったら、全ての商売が成り立たないと思うんですけど。
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度はかなり悪いと思います。けもフレ問題でKADOKAWA叩いてるオタク大嫌いだし死ねばいいと思ってますからね。
けどこの件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、オタクのだめな部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探ってたと思いますよ?
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言ってるんですが。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
真木よう子本人が個人的にやりたい事であると同時に事務所の指図が入ってるんじゃないかと、私は勘違いして反発心もってた。
本人には大した考えがなくとも、事務所やひょっとすると芸能界そのものが、新たなる商売の場としてコミケに目をつけたのかと。
それで続々と芸能人参戦が続くうちにあちこちの事務所から運営に圧力がかけられて、コミケの開催主旨が変わってしまい、今まで参加していた人達が参加しづらくなるんじゃないかと危惧した。
ま、芸能人参戦云々関係なく、今でさえコミケの新規参入障壁は昔より上がってるんじゃないかって気がするけれども。おもに二次創作界隈で。プロやセミプロがいすぎて、好きな気持ちに実力のついて行かない人達の肩身が狭い。
真木のFacebookの本人コメントによれば、事務所は関係無いどころか事務所や芸能界のシステムそのものに反発してのコミケ参戦のつもりらしい。
真木が表現したいことそのものはある意味とても同人っぽいし、資金の集め方自体は別に問題だと私は思わない。
ただ、税務署から何か突っ込まれないのかな?とか、Facebookのあれは正面切って事務所や芸能界そのものに喧嘩を売っている様に見えるんだが、コミケに何も影響無かったとしても真木本人のこれからは大丈夫なんだろうか?と不思議に思うし、あまりにも無謀なのでやはり仕込みなのでは?という疑いも持たないでもない。
真木よう子本人が個人的にやりたい事であると同時に事務所の指図が入ってるんじゃないかと、私は勘違いして反発心もってた。
本人には大した考えがなくとも、事務所やひょっとすると芸能界そのものが、新たなる商売の場としてコミケに目をつけたのかと。
それで続々と芸能人参戦が続くうちにあちこちの事務所から運営に圧力がかけられて、コミケの開催主旨が変わってしまい、今まで参加していた人達が参加しづらくなるんじゃないかと危惧した。
ま、芸能人参戦云々関係なく、今でさえコミケの新規参入障壁は昔より上がってるんじゃないかって気がするけれども。おもに二次創作界隈で。プロやセミプロがいすぎて、好きな気持ちに実力のついて行かない人達の肩身が狭い。
真木のFacebookの本人コメントによれば、事務所は関係無いどころか事務所や芸能界のシステムそのものに反発してのコミケ参戦のつもりらしい。
真木が表現したいことそのものはある意味とても同人っぽいし、資金の集め方自体は別に問題だと私は思わない。
ただ、税務署から何か突っ込まれないのかな?とか、Facebookのあれは正面切って事務所や芸能界そのものに喧嘩を売っている様に見えるんだが、コミケに何も影響無かったとしても真木本人のこれからは大丈夫なんだろうか?と不思議に思うし、あまりにも無謀なのでやはり仕込みなのでは?という疑いも持たないでもない。
21歳の時、つまり大学在学中のときに親に結婚をしろと命令された。
もちろん嫌だったけど小学校から中学、高校大学と進路先まで親に決められてきたし、反発しても仕方ない家族だということはわかっていた。
中学生のときは親に支配に反発して家を飛び出したりもしたけど、その度に自分で道を決めるのは無理なんだって思い知ってきた。
もう小さな反発心だけが心残りだったけど、ほとんど不自由なく幸せに毎日を過ごせてきた。つまり慣れた。ずっと親に決められたことに反発心を持ちながらも慣れることで適応してきたように思う。
親に大学を決められた時は何も思わなかった。それこそ小学生の最初の頃からそこに行くと決められていたし、それが自分の目標だと思っていたから。
それでも大学生になって一人暮らしを始めると楽しかった。もう8時までに寝なくてもいいし、門限も守らなくていい、開放されたんだって思った。
だけど、その日母親から電話が来た。着信拒否は許されない。出ると自分が結婚すること、相手に会うことなどをいつものように伝えてきた。
相手は26歳の男性。色々な職業をしていて、性格はおっちょこちょいだけど人をいたわる心をもっている人。ただ残念なのは、身長が私より低いことぐらいかな。
そして結婚した。一回デートした後に数週間も経たずに。大学にはそのまま行かせてもらえた。
それでもやっぱり小さな親への反発心のせいでどうしても相手を受けれられずにいた。例えばすることを求めてくる時にどうしようもなく気持ち悪くなったりした。そういうときはやめてくれる人で良かった。
でも次第に慣れた。親に進路を決められたときのように、慣れた。
だから今となっては彼を拒絶する気も全く無くなった。愛はないけれど、慣れはあった。
これを書いたのは今日、妊娠二ヶ月目であることが分かったから。
これもすぐに慣れると思う。
気持ち悪かったらごめんなさい。
某頭文字Pの激安カット店では九部九里いや十割の確率で腑抜けてやる気の欠片もない床屋もどきが担当につく。
彼らは客が目をそらしたり瞑ったりすると容赦なく手を抜きバリカンを駆使してくる上、
切ってほしいところは切らず切らなくていいところは切りすぎるあまり、
客が指示を出さないとベトナムの小学生みたいな刈り上げタラちゃんヘア崩れにしかできない。
なので代金を支払ってその身を差し出す我々は、いつ愚行に走るかと肝を冷やしつつ、
ミラー越しに金剛力士さながらの面様を携えこの昼行灯の所作を監視するわけだ。
注文をつけすぎたりあからさまに不信感を醸したりするとかえってカットが雑になってしまう。
その為たるみきった表情で我らの髪を弄る姿から心の機敏を読み取り、時には監視の目を緩める必要もある。
とにかく自分のヘアスタイルの、その今後一ヶ月の命運を握る鋏に細心の注意を払っているんだよ。
切られる方のこの私が。
ご存知の通り件の森友学園の問題について籠池理事長がyoutubeに反論を投稿した。
【文字起こし】大阪の国有地払い下げ問題〜森友学園・籠池理事長、YouTubeでの発言書き起こし(3月8日付)
個人的に一番「こいつヤベエ…」と思ったのは北朝鮮からテポドンが発射されたのくだりで、金正恩はじめ北朝鮮指導者たちの行いを理由に特に関係のない日本在住の北朝鮮にルーツをもつ人たちを差別する気満々すぎてドン引きしたが、とりあえず本題でないのでおいておく。
発言の中で注目したのは以下の箇所。
『どういうことなんでしょうか?ということはこの学園を潰したいということなんでしょう。いまいいきっかけだからいまのうちに、この日本の歴史と伝統を一生懸命旗を振っている、この塚本幼稚園を、そして国歌君が代を歌っているこの塚本幼稚園を、この素晴らしい子どもたちが礼儀作法をしっかりし、そして挨拶もしっかりし、声も元気よく、自分に自信をもってはつらつと話をし、そして勉強し、体操しているこの子どもたちを、潰そうとしているんじゃありませんか。』
『退園された方は、ご自身の子どもさんがわれわれの教育にあわなかった。あるいはついていけなかった。いや、それ以前に、ためにするために入ってこられた方やと思います。なにか撹乱を起こすために。保護者が機嫌よくきているのに、保護者の中に撹乱を起こすために入ってこられた。』
うーん。被害妄想炸裂。
あるところに加害-被害の関係があったとする。当然被害者は加害者を非難する。
このとき、加害者側に加害の認識がない(あるいは加害を否認しようとする強い欲求がある)場合、加害者はなぜ自分が責められているのか理解できない。
そこでこの「自分は悪くないはずなのになぜか責められている」という状況に置かれてしまった理由を考えると、導かれる答えは「(自称)被害者側に悪意がある」だ。相手は自分を貶めるために被害をでっち上げて言いがかりをつけてきているのだ、という認識になる。
ここで注目すべきは、このような認識を持つことによって加害-被害の関係が逆転するということだ。
本来加害者であったはずの側が言いがかりで攻撃されている被害者となり、本来被害者であったはずの側が言いがかりをつけて攻撃する加害者となる。
このような思考は籠池氏に見られるだけではなく、日本の「保守派」に広く見られるものだ。その代表例が歴史問題だろう。
日本は慰安婦だ南京事件だと中国や韓国から非難される。しかし日本の「保守派」はそれらの問題は捏造されたものであったり解決済みのものであったりするため日本は悪くないと信じている、ではなぜ日本は非難されるのか。それは中国や韓国が日本を攻撃することで国内の不満を逸らそうという意図があるからに違いない。これは歴史問題ではなく「反日問題」なのだ……。
かくして日本はかつての戦争犯罪に真摯に向き合わない加害者ではなく、中国や韓国から言いがかりをつけて攻撃される被害者となる。日本の「保守派」は「加害者」である中国や韓国に対して反発心でいっぱいだ。
言うまでもなくこんなものは逆ギレとでもいうべきものであって、第三者から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。しかし、日本の「保守派」の中では大真面目に語られる理屈だ。
籠池氏がこのような被害妄想思考の持ち主だから「保守」に傾倒しているのか、それとも「保守」に傾倒した結果このような被害妄想思考が癖になってしまったのか、卵が先か鶏が先かはわからない。しかしこの被害妄想思考こそが日本の「保守派」に見られる典型的思考であることは確かだろう。
最後に。
だから、加害-被害の関係を逆転させる被害妄想思考は立場を逆転させるためのテクニックとしても使える。
ここで家庭が壊れる元ができた。
落ち着いたときには遅かった。
精神もやられてたと今になって思う。
働くことしかできなかった。
体が壊れた自覚はなかったけれど
気がついたら勤務中に3時間寝てたとか
同僚に言われて初めて気がついた。
本当にもっともだと思う。
それは今でも思う。
転職先も似たような状況だったが
ただ一つ
終わりの見えない自転車操業だったところが違ってた。
今も同じ会社で働いてるけど
ただ、その反発心のおかげでようやく人並みの生活ができている気がする。
周りからは定時ダッシュの人と思われてるらしい。
全然思い通りにならない。
心も。体も。
思いも寄らなかった。
きっと罰があたったんだろう。
今までの心のツケが回ってきたんだと思う。
でもけっして嫌なことばかりではなかった。
やりたかったことを目指し
そのためだけに頑張れた自分がいる。
つらい時期を仲間と乗り越え
今でも一緒にお酒を飲んで笑いあえている。
本当にありがたいことだし幸せなこと。
お疲れさま。よくがんばったよ。
今はただ
頑張りすぎた自分を許して。
感謝して。
ゆっくり休ませてあげたい。
幸せであればそれでいい。
ほら子供の頃を思い出すと、親に怒られたり叩かれるよりも
自分がしたことで親に泣かれてしまったときのほうが深刻でショッキングだったろ
マジで変わらなければって思ったろ
叩かれると最初は効果あるけど、あんまり叩かれすぎると次第に反発心のほうが勝るんだ
「残念すぎるよ...」「本当に悲しい」「彼女がしてしまったことを考えて泣いちゃった。。いまでも手が震えてる」
「報道をきいたとき本当にショックだったよ」「T_T」「あぁ神様!このような受難は私には耐えられない!」
「なんて日だ...」「クソ今日は人生で一番バット入ってるわ」「うぅ・・・(泣」
こういうコメントをみんなでしていけばいいんぢゃない?
この人に周囲が振り回され、私も大いに傷ついた。
●とにかく人を信じない人であった。
●常に自分を卑下していて、「私はダメな人間なんです」アピールをしていた。
●しかし周囲の同僚の欠点を見つけては、指摘しまくり、「そんなことないでしょ」と言うようなものなら、それを認めさせるまでゆずらず、
残業してまで、「その人の欠点は確かなものである」というメールを送ってくる。
●常に私や周囲の同僚が、自分を退職に追い込もうと計画を立てていると思い込んでいる。
そう思い込んでいるので、その反発心から↑のように、同僚の欠点を指摘することで自分のポジションを確保するように奔走する。
その人の問題行動は列挙すればキリがない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E5%A6%84%E6%83%B3
かなりこの女性に当てはまる。
ひょっとして、うつ病、統合失調症などの精神疾患であったのかもしれないと今振り返ると思う。
被害妄想 → 周囲を傷つけ → 私は被害者だと主張 というのが毎日のように繰り返されていた。
今でも悪夢のように鮮明に覚えているのだが、
次のプロジェクトの件で、上司と会議をして、私が会議室から出てきたのを彼女が見つけ
「私のことを上司に告げ口するなんてどういうことなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
と、怒涛のごとく罵られたことがあった。
もちろん、そんなことはなく、弁明をいくらしても聞き入れてはくれなかった。
こういう人が一人でも部署内にいると、業務どころではなくなってしまう。
ちなみに上司はこの件について何も動いてくれませんでした。
結果から先に言ってしまえば、これは自殺してしまった人の話である。多少のフェイクは含まれる。ちと長い。
とある事情から請われて、はるばるその人は私たちの職場にやってきた。
それまでの経験と着任したポジションの権限の強さから、徐々に自分の思い通りにいくような職場をその人は作り上げていった。表立って反発した人たちは、結果的に揃って辞めていった。そうして出来た穴も、その人がスカウトしてくることで埋めていき、更にその人の派閥は強まっていった。そうでない人たちも、反発すれば左遷させられるか、辞めさせられるのでみんなビクビクしながら働いていた。もちろん、その分陰口は凄かった。
その人が来てからしばらくたつと、少なくない回数、備品や売上金がなくなるようになった。警察沙汰にもなった。
噂というのは怖いもので、そうした嫌疑がその人にもかけられることとなる。そして、普段の関係性も相まって、回数が重なるごとにその疑いはより強いものとなっていく。陰で反発していた私たちは、何故か疑いをかけられたということもあり、有志で隠しカメラを設置するか、とまで話をするようになる。
だが実は、社長を始めとする経営陣はある程度証拠を掴んでいたようで、弁護士を挟んでの話し合いの結果、その人は辞めることとなった。陰で、あるいは表立って反発していた人はそれをとても喜んだ。派閥の中にいた人たちは、船頭を失って少なからず動揺していた。
そこで初めて聞かされたのが、その人はもともと精神疾患を抱えており、目下治療中であったが、完治していないままにスカウトを受けてやってきたということ。また、以前の勤務先でも同様の事件を起こしていたということ。職業柄、そしてポジション柄、そうお金に困るような人ではなかったので、そうした精神疾患が事件を起こす原因だったのではないかと聞かされた。他にも、それだけ聞かされれば本当に同情してしまうような話が驚くほど出てくる。権力を使って派閥を作り出し、自分の居場所を作り出すことで、その人は精神的なバランスをとっていたのだろう。辞めざるをえない状況になったことで、そのバランスが崩れて自殺につながったのでは、ということだった。
表立ってぶつかった人からは、同情のかけらも見られない。それほどまでに嫌われていたのだろう。
派閥にいた人はどうなのだろう。離れてしまった私には知る由もない。もしかしたら、話は流れてくるかもしれない。でもきっと、重苦しい雰囲気になるに違いない。
私はというと、その人に反発した人の影響で飛ばされてしまったので、恨み言がないわけではない。その人のやり方が非常に気に食わないので、聞こえてくる噂に対して陰口をたたいていた側である。ただ一方で、飛ばされた先の職場の雰囲気が悪くなかったこと、そしてこれは性格からだが、先の精神疾患の話のせいもあり、反発心が緩和されたり、あるいは少しだけ同情的になっていたりする。善し悪しで言うのであれば、悪い方に傾きながらバランスをとっているような感じだろうか。
なんでこんなことをダラダラ書いたかっていうと、自殺の話を聞いたときの自分の感情が、少しショックを受けた程度でほとんど揺らがなかったからである。なんで、人が死んだことに対してこんなにドライになれてしまっているのだろう、と思ったのだ。
殺したいほど憎たらしい、と思うような相手がいる人は少なからずいると思う。では、そうした相手が本当に死んでしまったとしたら、まして自殺であったとしたら。そして、それまであなたに向けられてた敵意が、実は病気を原因とする、本人にも止めようがないものだったとしたら。あなたはそうした死を、どう受け入れるだろうか。中途半端な私は、その人が死んだという事実がふわふわ浮いていて体に落ちてこない。
[追記]
休日の出先でPresso開いたら自分のエントリーが出てきたもんだからひっくり返るほどビックリした。
元々文章書くのが下手なところに酒が入り、思いつくがまま、吐き出すように書いたエントリーだったので、ブコメにもあるように内容が把握できない、読みにくいは当然だと思う。そんな中でも汲み取ってコメントをくれた方々、ありがとう。そして釣り認定してくれていた人、確かに下手なフェイクを入れるときにおかしな表現が多くなったように思う。とりあえず、こういった書き方が釣りと解釈されるのだと何となく分かった。釣りならもっとのほほんと出来てどんなにいいことか。ちなみに、増田への書き込みは二回目だ、いまだに空気感とかよく分からない。
・トラバなどにある罪悪感について。
私が罪悪感を感じている、と解釈出来るような表現があるのかもしれないが、実際のところ罪悪感は特に感じてなくて、身近にいた人が自殺した、という未体験の事実にただただ驚いているのが正直なところ。この事実に関しては、割と淡々と、傍観者になっているところがある。
・タイトルと内容の不一致感について。
先にタイトルを付けた後、思った事をひたすら書いていったら結果的にずれてしまった。これはひとえに私の国語力、文章の構成能力のなさに起因している。読みにくくて申し訳ない。
で、うまく表現出来るか分からないけど、その意味について。これは内面の問題である。表面上のやりとりは、最低限こなしているつもりなので、ここではどうでもよい。ブコメにあったように、事実を知った上で故人を許せるか、が正しいのだと思う。後から思いつくままに書いたという意味で、タイトルより内容の方が言いたかったことに近い。
また、優しさではなく同情、というブコメもより正確な表現だと思う。
・所感
いただいた意見が自分の予想を超えて多かったので、時間をかけて消化していこうと思う。一つ一つ、ありがたいと思ってます。
ちなみに、監視カメラという言葉からだろうか、Pressoの写真・カメラカテゴリーにこのエントリーがあったのにはちょっと笑えた。
普段人に見せないように思考整理のために書いてる日記の一部を投稿する。
身近に相談できる人間がいないから話を聞いてもらう代わりに読んでもらえませんか。母親に相談しても心配事増やすだけだし…。
昔ブログやってた名残で、個人の日記にしてはすっごく気持ち悪い文章です。
2014/03/03
ちょっともう手詰まり感半端無くて目覚めるたびに「早く夜になって寝たいな」って感じで現実逃避してますが皆さん如何でしょうか。
私は最近幸福に生きる能力、というか精神を平穏無事にする能力が著しく欠落してるから、もう無理して幸せにならなくてもいいんじゃないかと思えてきました。
ただ、幸せに生きられないなら、損益で言うなら損にしかならんのに生きる必要はあるのか、という問いかけに有効な回答が出来ないままでいます。
こんな幼稚な思考実験をしてるうちに周りは刻々と変わっていくわけで、別れの季節であるこの時期、色んな人がいろんな場所へ旅立っていきます。
最近父親のガンが再発し、幸いな事に全く命に別状はないのですが、「どんな命も永遠に続くことはない」って当たり前のことをまざまざと見せつけられたようで、
今拠り所にしている居場所、この場合は実家もいつか消えてなくなって、その時、俺は天涯孤独になってしまうのか否か、考え始めると眠れません。
旅立ちの話ですが、やはり長く懇意にしていた(向こうはどう思ってるのか知りませんが)連中も遠いところへ就職していき、ますます物理的な居場所が無くなっていく気がしちゃいます。
孤独に耐えられる人間になればいいのでしょうか?居場所を頭の中に作れる人間になればいいのでしょうか?それって敗北じゃありませんか?
何に対する敗北なのでしょうか、おそらく世間一般の幸福のあり方に対してだと思います。
「お前の幸せは邪道」って言われてる気がして「俺は楽しいのに何だお前らは」と言いたくなります。
以上のような事柄が誰も言ってないのに私の頭の中で湧いてきます。未練の表れなのでしょう。人生に優劣はないかもしれませんが悔いの有無はあるものだと思います。
2014/03/04
しんどい時期です。どれくらい続くか分からんやつです。日中、働きながらずっと生きる理由探してて、何度考えても人の生死の判断は個人の自由って結論から離れられません。
なら現在、将来の見通しに価値を見いだせない自分の人生は、自分の判断で終わらせても、理屈上何の問題もないように思えます。
母が言うには自分の命も他人様の物らしいですが、しっくりきません。自分が納得できる生きる理由がほしいです。納得が全てだと思います。
テレビやレジャー、ネットサーフィンで一瞬フワッと元気になってもすぐに「やっぱ生きる理由無かったら死んでも良いよなあ」と沈み込みます。
「こんな程度の感動や笑いで元気に振る舞えるような半端な病み方はしてないぞ俺は、俺の病み方は特別だ」と謎の反発心が有ります。
他の病んでる連中とは一線を画したいんでしょうか。病んでる連中界でもなんでもいいから、何者かになりたいのでしょうか。承認欲求がかなり歪に発露しているように思えます。
よろしくありません。こういうことを鬱々と続けているから、私の人間的魅力はますます低下し、周囲からは人がいなくなり、ますます承認欲求を満たす手立てが失われていくのに、辞められません。
焼畑農業みたいな人間関係しか構築できないようです。しかし改善しようにもする気がありません。逃げですね。はい。すみません。
苦手なことは極力しない生き方をしてきたんで、今更健全な人間関係構築とか言う苦手な課題にアタックする気力が無いですし、もし構築できたとしても定期的にやってくるであろう病みによって瓦解します。
定期的に病む性質を持った自分に、人並みの人間関係を構築して維持できるような人間的魅力なんてないです。
ではその性質を改善したらどうか。と思うわけですけどこれも難しいと思います。
幼少期からその傾向があったわけで、自分の直感というか、生きてきてこれは限りなく正解に近いと確信してるんですけど、生まれながらにして定期的に病む質なんだと感じています。
となると、棺桶に入るまでこの性質とは付き合いつつ生きるというのが賢明な判断であって、性質と付き合いつつ生きるということは「人並みはずれて劣った人間的魅力をぶら下げて天寿を全うする」ことに他ならず、
そんなクソみたいな人生をこれから送ることを強いられている現状に絶望し、いっそもう明日にでも死んでもうた方がいいんじゃないかと、毎日思考が不健康まっしぐらな堂々巡りをしています。
死ぬ勇気もないとは思いますが、元来発作的に何かをする癖がある自分なので、なんとなーく。
「ああ、たぶんこのままだと死因:老衰だけは無いな、ストレスが原因で大病患ってくたばりあそばすか、終わっちゃうかどっちかだな」とふわふわ思ってます。
こんな特別でもなんでもないテンプレみたいな病んだことを日常的に考えて病みをアイデンティティにしてるからアカンのでしょうか。いや分かってるんですが。今は辛い。
最初に断っておきますが当時の従軍慰安婦制度は立派な人権侵害であり「彼女たちは単なる売春婦、人権問題があったとしても当時は当たり前だから何も日本は悪くない」などと主張する方には聞いておりませんので来ないでね。
あれって、慰安婦に対する認識の違い、保障が適切だったか、そのような人権侵害を繰り返さないようにする為の取り組みとして適切か、など色々な部分で論点がごちゃっとあるわけですが、その中でも個人的に「慰安婦像をアメリカの地方都市にいくつも建てる事は適切な取り組みだろうか」という点に関して、『はてサ』の皆さんの考えがどうにも読み取れないのが気になっていました。
私は慰安婦像自体、ゆかりの地に建てるのは構わないと思うんですよ。
でもそうではないところに建てる、それも次々に建てる、って話になるとどうしても違和感を拭いきれない。
かと言って明確にダメって理由もないんだけど、そうするともし仮に、「原爆の碑を~」「天安門の悲劇を彫像にして~」「ゴダイ・ダイヴィンの~」悲劇を教訓にする為、アメリカの地方都市に碑をどんどん建てようって話になった時に、次々建てざるをえなくなりません?
像を建てる大義みたいなものが弱い気がして、どうにも、それはやり過ぎだろう、と思ってしまうんですよ。
そして、やり過ぎなのにそれを推し進める行為を見てしまうと、そこから「体の良い問題を旗印にして、イデオロギーでも優位に立とう」としているのではないか勘ぐってしまい、そこから私の中で韓国に対する反発心が生まれてしまってたりします。
そうは言っても日本は加害者なんだから・・・という意見もありましょうが、現在の大半の日本人も韓国人も加害者でも被害者でもないので、平等な立場で問題を解決するべきだと思うんですよね。
だから、やり過ぎだと思ったらそれはきちんと言うべきだし、逆に韓国人が「俺達は被害者だ」と意識的優位に立とうとする態度をとったとしても、それは違うんじゃないか。
像をあっちこっちに建てるような方法でどんどん圧力をかけて(そういうやり方が単に得意なのかもしれないけど)相手を打ち負かすような方向性でなく、もっと別のアプローチでお互い解決していきましょうよ、って姿勢を相手にも望みたいなーと愚生は思っております。
前置きは長くなりましたが、「はてサの皆さん、慰安婦像をアメリカの地方都市に建てる行為そのものにつて、そこんとこ実際どう思ってるの?」って質問で、初増田させてもらいます。
『はてサ』と言ってもとても曖昧なものなので、もう少し具体的に言うと「熱心にテキサス親父やネトウヨを批判している方々」の意見を聞きたいです。
深く考えたりまとめたりする頭があるわけでもないので、頭の中でもやもやしていることをとりとめのない感じに並べるだけ。割と長い。いろんなところで見たものの寄せ集めかも。
人工知能学会誌の表紙絵で一騒動あったが、その批判に対して言いがかりだという感じの反応が多く見られた。
些細なことで差別のレッテルを貼られることへの怒り、反発、表現をする側が批判を恐れ、政治的に正しい表現へと漂白されていくのではないかという危機感を強く感じる。
今回の件に限ったことではなく、特に"政治的に正しい"というのにものすごく反発がある様子。
自分もそういう反発心がないわけでもないし、表現の自由度が下がるのは避けたいとも思っている。
ただこうした反応を見ていて、自分は反対の方向に危機感を覚えたりする。表現に対して批判をしたり嫌悪感を表明することが封じられてしまうんじゃないかと。
批判のために攻撃的な言葉が使われる問題。それこそ差別的だという指摘がある。
もちろんどの立場であっても攻撃的な言葉を使うのはよろしくない。しかし多数派の罵倒はスルーされやすく、少数派の罵倒は目立って大きな憎しみを買いやすい。それがまた一層激しい罵りに繋がる気もしている。
ゾーニング、住み分けもかなり重要ではあるが、住み分ければいいだけの話、というのも個人的にはあんまりいい流れではないと感じている。分断する方向へ向かっているような。そこへ至るにはある程度のプロセスが必要ではないかな…
批判や議論も重要だし、嫌悪感の表明も自由だと思う。しかしそれによって簡単に表現が規制されたりすることはない方がいい。批判があったらダメというわけではない。批判があるからといって規制する必要はない。
表現規制の問題があるからか、批判というとすぐ規制に繋げてしまう傾向がある。
と言っても激しく批判する方もそれに激しく反発する方も、落としどころを見つけようとか意見を聞こうとか、おそらく思ってはいないんだよな…。相手を叩きのめそうという力が大きく働いている感じがある…。またそればかりが目立つために類似の意見すべて感情的に受け入れられなくなる、といったこともあるようだ。
自分としてはあの表紙絵が特別差別的だとは思わないし、些細なことではある。些細なことであるから問題であるとも思う。生贄的な側面は確実にある。意味のない指摘とは思っていない。
今回の件では、人工知能学会をどう見るかによっても意見が分かれたようだ。学会誌は内向けではあるだろうが、趣味を共有する目的のものではないだろうし、実用に目を向けているからこそ表現に気を遣う必要はあるかと思う。
人工知能を愛でる学会であればおそらくそんなに問題にはならない。
女性は家事とかそんなステロタイプは今時ほとんどねーよという反応も結構あった。これは、観測範囲に単身世帯が多いのではないかなあと思っている。単身なら性別関係なく家事をする。自分の観測範囲では所帯を持った人が多いが、女性が家事のほとんどをやっていて共働きというのが圧倒的に多いように見える。
労働環境の都合上そうなるしかないというのもある。田舎に住んでいるというのもあるだろう。実際全体ではどうなのか…ステロタイプから脱却するべきという認識は主に若い世代に広く共有されているが、状況はそれほど大きく改善されたわけではないってとこかな。
まあ観測範囲が狭いのでなんとも。
一番気にしているのは、批判の声が大きくなった場合、表現をする側の心が折れる問題。
批判や議論はあった方がいいと思いつつ、それらを受け止められる表現者がそんなにいるとは思えない。今回騒動になった絵を描いた人の心が折れていないか正直心配である。絵が悪いわけでも描いた人が悪いわけでもない。
ステロタイプな表現は社会の鏡であり、表現そのもの以前に社会環境の方に問題があるのは確か。
表現の影響を過大に見る向きがあると感じる一方で、それに反発して過小に見る向きもあるように感じる。ひとつの表現が社会に与える影響は大きくはないし、大抵の場合劇的な何かをもたらしたりはしないと思うが、多くの表現が少しずつ既成概念を作り上げているところはあると思う。
表現が個人に与える影響は多分かなり大きい。
海外を引き合いに出さずとも多様な立場にいる人が声を出すようになれば、批判される割合はどんどん高くなっていき、面倒なことは増えていくと思われる。声が出ることを歓迎する反面、何らかの表現をする者にとって背負いきれない重荷であるとも感じている。
間違った表現、正しい表現があるわけではない。漂白する方向へ向かうよりは、多様化する方向へ向かった方がいいと思う。向かって欲しい。
で、結局どうしたらいいのか、自分には分からない。真摯に考えた人もたくさんいたと思うし、記事も色々読めたことは自分としてはよかった。議論が起こるのは意義のあることだと思う。一方で溝が深まっただけという気もしている。
SF的にこれからの表現のあり方や人工知能、アンドロイドのあり方なんかに議論が広がっていったら主に自分が喜んだのだが。表現が差別であるかどうかで泥仕合になってしまったのは残念だった。いや、これにも意義はあるのかもしれない。わからない。
結論はない。頭いたい
1/3追記
id:hal9009 表現が既成概念を作ってるってのは多分幻想なんだよな~。実利があれば表現が追い付かないほどの勢いで世の中変わるので。変わらないのは構造的にではあれその現実を支える確かな「利益」が存在しちまってるんだよ
これなんだけど、自分が感じてるのはもうちょい小さいことで、情報の少ないことや些細なことについての既成概念。
些細な認識の穴埋めとして物語などで得た情報が結構使われている気がする。
現実に色々な情報が入ってくるようなことだと頻繁に上書きされるので表現は表現という認識にとどまる気がする。
実際には違うという認識が共有されつつお約束とされている表現があって、何らかの理由で共有されていた認識が薄らいでお約束の表現だけ残ったら、割と面白…面倒くさいことになるかもしれない、などと思うこともあり。
情報が少ないことであったり取るに足らないような些細なことであったりすると、なんとなくそのまま表現のイメージを引きずってしまう感があるということ。
些細なことなので問題ないといえば問題ないかもしれないが、些細であるだけになかなか更新されないなど。
それがよくないと思っているわけでもなく、既成概念も物事を見るのには必要だが、面倒な問題を起こすこともある、と思っている。
頭の中でもやっと考えているだけで自分でもまとめられないので具体例を出せといわれるとよく分からなかったりする。
あんまり多くの方向にアンテナ張って本当に些細なところにも配慮しつつなにか表現しようとすると死んでしまうが、些細なことに突っ込む意義もまたあるということ。
石破氏のブログでの発言
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
(http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-18a0.html より引用)
が話題になってるが、この発言デモを行ってる人達に対して「どうすれば政治の意思決定プロセスを左右できるのか」、「どうしてあなた達は政治の意思決定を買える事ができないのか」を明確に示してる点ではむしろ助け舟を出してるに等しい。
つまり、
という事を明確に表明している点で現状分析として非常に単純明快に示していると言える。
(一応書いておくと、自分は自民党の憲法改正案や現状の秘密保護法案に反対する立場であり、その他の事項も含めてどちらかと言うと比較的リベラルな政治的意見を持っている。)
こういった匿名日記に書いて発散させようというそんな考えです。
正直、今やってる仕事も偽善者たちのお手伝いくらいにしか思ってなくて。
必要とされる人もいないまま人に迷惑をかけながら死んでいくんですね。
ヘルパーの講習を受けに行った時施設での実習があったんだけど、本当にひどかった。
あれが普通なんだろうけど、あそこに入っている人の日々の楽しみって多分ご飯しか無い。
あとは一日中テレビの前に放置。職員も手が開いていたら話し相手もするけど
そりゃたまには外に遠足的なものとか、イベント的なもので出し物があったりするんでしょうけど、
基本ゴハンくらいしか日々の楽しみがないように見えた。
そのゴハンですら、うまく自分で食べられないとか咀嚼できない人とか
口が空いてる時にどんどん詰め込まれるんです。
意思を伝えることが難しい人になると、自分のタイミングでは食べれない…
死なないように、栄養だけ取らされてるように見えました。
一般的に言う人の尊厳なんて、多くの人の理想の上に作られたふわっとした決まりごとでしかないのに、
それに倫理とか名前がつけられて、死こそが最悪で、生きてさえいれば良いことがあるとか
訳の分からない理想論のために、生きながら苦痛のみ味わっていかなければならないんです。
それは自分のためではなくて、周りの人の
「良いことをしてる」
という自己満足のために生かされてるだけだとおもうんです。
最悪です。
モチベーションが上がるわけ無いです。
まあ仕事に誇りを持つだとか生きがいを感じるだとか
そういうことを本来仕事に対する考えとして持っておくべきとか
ただ、そういうのは気づいているけどみんなそういう本音はうまく隠しつつ建前だけで生活していけるんですよね。
オトナだからw
そう思ったら、自分はちゃんと中高時代にそういう思春期ながらの社会的な反発心みたいなのを持つ時期がなかったんです。
言われるがままになんとなく「そういう社会なんだな」とぼやっと生きてきたんですよね。
いや、それすらも気づいて、考えてなかったかも。
それがいまになってこじらせてしまったのでたちが悪いw
今、日々「そんなものだ」「しかたない」と押し殺そうとして納得させてはいるけど、
多分納得はできてなくて無理が出てきてるのかな。
そういうところが日頃の今の不安を増幅させてるのかもしれない。
こんな人のエゴの受け口になる前に、自分の命は自分で簡単に終わらせられるような社会的なシステムを望んでます。
そもそも、人は生まれてくる前に「産むかどうか」の命の選択が他人の手で行われてる。
産むと決まれば生きられるし、産まないと決まれば殺される。
死ぬ時もそう。
一度生まれてしまうと、自分の手で命を終えることが、あらゆる意味でできにくい社会になってる。
生まれる前なら殺しても構わないことになっているのに。
そんなの勝手に死ねばいいだろうという人もいるだろうけど、もし失敗すればそれはそれで地獄。
またしても「命は粗末にするな」とか周りの勝手な優しさや良心という自分勝手な押し付けで
病院で薬漬けにされながら生きながらえさせられる。
もう自分の手で何もできなくなってしまえば、人生が終わるよりも最悪の絶望しか残ってない。
助けた後のフォローは何もない。
助けたと勘違いしてる人が勝手に満足するという偽善なんていりません。
正直、建前の話ではなく、人は命よりも尊厳のほうが重視されるべきだと思ってます。
尊厳が保てなくなった時点で、自分の手でその人生を楽に終了させるシステムはあるべきだとおもいます。
勢いに任せて書きました。
支離滅裂かもしれませんが、だいたいあってるはず。
すこしはすっきりするだろうか。
だからといって今後も何も変わらないのでしょうけど。
元増田は話の導入として故事を持ち出しただけで、それ自体は肯定も否定もしていない
例として間違っていると見なすのが間違い
話の導入として関係ない話や自分の主張と反対になる故事を持ち出してるだけだから馬鹿ではない!か。
斬新な弁護ですこと。
反骨心のために守らないならパンクスと言うべきだし
元増田は自分を過大評価した結果「俺はこのルールの適用外だ」と勝手に判断して守らないという手合いなので
これは自分と同じような馬鹿がギタギタにされてるのを見て反発心が沸くんだろうな馬鹿なりに。