はてなキーワード: 発心とは
嫌なやつは確かにいい圧力にはなるけど、それへの反発心は往々にして自分の本来の願望とは違っている気がするよ。
プレッシャーに抵抗するために一生懸命勉強して医者になって、見返せたとしても
その人が本当にやりたかったのは漫画を書くことだったかもしれない。
でも手っ取り早く見返す方法に目を奪われて安牌へそのエネルギーが向かってしまう、みたいな。
本当に大事なのは自分の欲のほうで、嫌なやつの圧力はその欲を一般社会に適応させるよう矯正してしまう。
上手く欲のエネルギーを自分でコントロールできるようにするのはやっぱり嫌なやつじゃなくて楽しいと思わせてくれる奴だと思うよ。
という疑問に対してただ一言
「タダだからだよ」
とは、ボカロを使った楽曲でランキング入りしていた友人のPの弁だ。
そして、タダじゃなくなっていくことによって、衰退していくのだろうか。
同じぐらいにピント外れた同世代中年知人しか居なくなってくるから
こうやって「詳しい奴から知見を仕入れた」つもりでもピンボケコメント貰って鵜呑みにすることになるんだね。
悲しい…。
あのなー
今時なー
どんな音楽もPVもちょっとネット漁ればタダで手に入るんだよ。
その状況で、タダであることにアドバンテージがあるわけねーだろ。
回転鈍くなった脳みそでもそれぐらいわかるだろ、なあおじさん。
しょうがないから以下、精一杯おじさんにわかるような言葉と説明を模索してみるね。
「優れたコンテンツ」wwwwwww
ねえおじさん
「テレビで流れてる歌よりニコニコのボカロ曲の方がいいよね!」っていう
メインカルチャー(AKBが独占するような荒涼とした焼け野原だが)への反発心が多分にある。
それを視聴するみんなと、アップロード者も含めて、
みんなで評価して盛り上げる、一緒に作り上げるような仲間意識を楽しんでんだよ。
そういうものに課金で広告付ける奴がいーーーーっぱい居るんだぜ。
生放送とかでもちょっと規模が出るとすぐリスナーが信者化して課金で枠貢いだりしてくれるんだぜ。
テレビに1円も払わないどころか24時間テレビの商業性に唾を吐くネット民が
テレビはクッソつまんないけど、ニコニコ生放送より完成度が下ってことはないだろ。
じゃあもう一回おじさんの噴飯書き込みを読もう
wwwww
おじさんの脳内ではアレだよね、
ニコ厨ってのはな、
金を出すのがいやなんじゃないの。
でも商業が嫌いなの。
黙っとけって話だよ。
古い、支持されない(つーかカウンター対象として忌み嫌われてる)、時代遅れな仕掛けしか出来ないんだよね。
そりゃ嫌がられるわ。
曲がいいんじゃなくて場を含めた全体で楽しまれてるのにさあ
「曲だけ切り離してパッケージにして売ろう」だとか
もう勘が悪すぎて死んだほうがいいでしょ。
「タダじゃなくなったから」じゃなくて、
わかった?
ここに書いた事の3割ぐらいおじさんの脳味噌で理解できれば御の字だよ。
世相を語るみたいな事はやめること。
余生は手元の仕事だけコツコツやって堅実に暮らせよ。
注:加筆修正しました
最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネットで同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人が韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。
なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。
いや、こんなにもアニメや漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイや二次創作に興味を持って腐女子や腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。
そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。
というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。
倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様の夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから。公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います。時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。
けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。
実はこの作家さんは、コバルト文庫で金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都の物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネットで検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。
さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である。東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルト・ノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島を舞台に仙人や精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮風ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。
『金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人や外国人が北朝鮮国内の金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズの物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーローは新羅の英雄金庚信である。
ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿な子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本とアメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。
金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。
彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本と北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校のお祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。
そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説のコバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティの価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議で土下座までしたそうな。ましてやBLをや。
まぁ、BLを書くときと少女小説やラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbassoや秋月こお、榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。
ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。
ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山、中国語では長白山)の守護仙人(精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。
studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲームや乙女ゲームのシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画の原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルのカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。
そのサイトの大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会いと恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである。
『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。
しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。
ところで、この物語の攻めは、大阪出身で関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身、ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的な関西人という印象を受けた。
神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまうパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。
BL小説家、檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台はアジア・オセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。
正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。
受けの母親は日本人の医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。
というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティや朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。
なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である。米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートなバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。
『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台は飛鳥時代の日本で、有名どころでは葛城皇子(中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。
主人公(受け)は、百済からの渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人と渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである。
職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。
日本が舞台なのにあえて渡来人のカップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本の渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。
もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。
ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。
ハテブやツイッター、増田2ちゃんねるでコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。
恐縮です。ありがとう。
自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田にしました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから。
私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目しています。ラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから、日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。
確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合、女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教をベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本や日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。
ネットで読める作品もるし書店や図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。
全然関係ないけど、最近アメリカのスラッシュが翻訳されて日本の書店の店頭に並び始めましたよね。日本語で海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。
皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。
韓国人は日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。
確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。
創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロ、アマアマ、ラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています。
言い訳をすることは疚しいことがあると認めることになる。例えば、彼女持ちの男が彼女から他の女性と食事に行ったことを咎められた時に、「上司だから断れなくて」と言うのはれっきとした言い訳であり、彼女から見ればガッカリな言い訳パターンである。言い訳をした時点で負け。疚しいことがあるのを認めることになる。言い訳というのはたとえ正当な理由であっても、やましさを認めることには変わりないのである。もちろん、言い訳をしないことによって上司と出来ているのではないかというような誤解を彼女に与えることもある。そのことによって彼女から不当な非難を受けることもあるだろう。だからこそ言い訳を言うのだという気持ちも分かる。しかし、正当な理由があるからこそ言うタイミングが肝心である。彼女から非難された時に即座に弁解したのでは、余計に怪しまれるし彼女の非難したい気持ちも無視することになる。企業のお客様相談センターでは不当な非難を行うクレーマーに対してまずは話を聞くことをする。相手の言い分を全部認めるのだ。認めるというのは浮気を認めるということではない。本当に浮気をしていないのであれば認める必要は全くない。そうでなく、彼女が浮気を怪しんでいるという気持ち・事実を認めるということだ。こうすれば相手の気持ちを受け止めながら自分の正当性も崩れることがない。そうしてひとまず相手の気持ちが落ち着いてから、非難されている言動の理由を述べれば良い。この理由を述べる時も注意が必要で、あまりにタイミングが遅いと後付けの理由だと思われてしまう。だから、相手を一旦落ち着かせてすぐさま理由を言わないといけない。そして、理由の言い方だが「だから」「ので」の使用はできるだけ差し控えたほうがいい。疑り深い相手に対してこれらの接続詞・助詞を用いると言い訳がましい印象を与えてしまう。プロは単に上司から誘いがあったという事実を伝えるにとどめ、因果関係を相手に推論させる。推論結果を出すのは相手であり、こちらではない。相手が出した結果だから信用度が高まるのだ。しかも、プロは相手の疑り深い気持ちに共感していたのを「でもね」と言わない。「浮気じゃないかと心配かけたね。でも、浮気じゃないから安心して。相手は上司だよ。断ろうとしたけど無理だった」と言うのでは50点であり、素人丸出しである。「でも」はリスクが大きいことを知ろう。素人がよく犯す過ちとしてさらに酷いのは、「いや、浮気じゃないよ。」である。これはまさに愚の骨頂。浮気じゃないかと疑っている相手に浮気じゃないとだけ言うのはアホである。こういう応対しか出来ないから修羅場になる。これに比べて「浮気じゃないから安心して」はまだ相手の気持ちに配慮しているぶんマシである。よく短文のほうが伝わると言われるが、それは相手に受け入れ準備が出来ているからこそであって、敵対的な相手に対する配慮のない短文は大きな危険をともなう。敵対的な相手の防護壁をすりぬけて洗脳するには、長文のほうが実は効果的である。グダグダ言ってる間に相手を洗脳するというパターンだ。ただ、長文は相手をイラつかせる面もあるので、効果的な短文の使い方も知っておこう。その時に限って「だから」をうまく使用するといい。「浮気じゃないよ」じゃなく「浮気じゃない『から』安心して」と言うことでクッションを置いて相手にボールを投げることができる。ただ、これでは「浮気じゃない」という前段に注意が向きやすいので、その部分に相手が反発する危険がまだ高い。そこで、「ほんとに心配性だな。浮気じゃないから心配すんなって。何か不審な点とかあったら答えるよ。質問ある?」と言う。まず「ほんとに心配性だな」で相手に柔らかいジャブを打つ。これは単体だと相手に反発心を起こす危険もあるが、この場合は直後に「浮気じゃない」という重要メッセージがあるので大丈夫である。ちょうど、ジャブへの注意と「浮気じゃない」への注意が分散されるという良い効果がある。さらに、「心配すんなって」という余裕を見せる。極めつけは、「何か質問ある?」である。疑問を投げかけることで相手の注意をコントロールするのは高等テクニックだ。この疑問が「浮気じゃない」や「心配性だな」に対する反発心を忘れさせて、「浮気じゃない」「心配性なだけ」というメッセージを刷り込む効果がある。さらには、不審な点についての質問をさせることで、こちらの言い訳に対する受け入れ態勢が相手に形成される。つまり、堂々と言い訳を言えるのはこのタイミングということだ。完璧である。
661 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2008/01/07(月) 00:28:13 0
何というか、俺のときは就職氷河期ど真ん中でね。
社会に見捨てられて不遇だけ受け続けたっていう実感だけ
強くあってさ、その見返りとして社会にまったく期待してないんだよね。
もちろんマスゴミにも。
数年でその会社ごと整理されてしまったやつ、
インドネシアで起業して津波のニュースのあと行方不明になったやつ、
過労死したやつと自殺したやつ、高校の同級生も大学の友達も何人もいる。
そんな中で醸成された価値観が
いうやつだと思うんだ。それが外に向いた場合は、堀江支持に回るような、
「既存の体制をぶち壊して一矢報いてやれ」という反骨心に回ったり、
社会、知ったことか?ぶっこわれちまえばいい」みたいな
感じになってしまうんだろうし。
いずれにしても上の世代が俺らをこんなにしたという失望感と、
下の世代は苦労しらずでぬくぬくしやがってという嫉妬と、
それらの落としどころの社会への無関心と。
もちろん、そんなヤツばかりじゃないんだけどさ、
持つ人多いだろうし、ただ、そういうレッテル付けへの反発も
また反骨心の表現方法の1つだと思うんだよね。
俺も朝日の記事読んだとき「勝手にロストジェネレーションとか
つけてるんじゃねーよ」って思う気持ちもあるしね。
共産主義信奉だったりの方向に向いたんだろうけど、
その反体制であるはずの連中もまた、
体制以上にひどい連中だと気づいてしまった今では、
そういう反発心みたいなものの表出する場所がなくて、
社会に対する強烈な無視こそが抵抗の手段だというような
表現方法を取っているんじゃないかと思う。
無理というかそうするきがまったくないしその気力も起きないのだが、、、
参加しろ参加しろという両親。
参加するきはまったくない私(男)
そもそも結婚する気がまったくないし、何故結婚しなくちゃいけないのかがわからない。
これが偽らざる本音。
心配されているというのはわかる。
でもそれが本音であるいじょう何もできないし何もいうことはない。
一方的に『参加しろ考えろ』と話してその場を立ち去る親。
仕事が暇すぎて暇すぎてそのうえ、、、
プライベートな部分でやりたくもないことをやれと?
これ以上ストレス抱えたくない。
今まで散々、、、と親への反発心も少なからずあるのかもしれないが、
結婚する気がまったく無い以上どうしようもないじゃないか。
我侭?甘えてる?
いささか横になるかもしれないが・・・
私は昔から料理や洗濯、掃除といった家事(いわゆる女性性の出る分野?)が嫌いかつ苦手である。
母の手伝い(兼、家事教育)要請があっても極力拒否しつづけ、そんな私に母が言う決まり文句が「女の子なんだから(**できないと)・・・(結婚できないよ、的なニュアンス)」。
子供であるし、別にフェミニズムどうこうなレベルではなかったのだが、そのセリフの流れに妙な反発心を抱き、「結婚しないからいいもーん」「メイドやとってくれる人じゃないと結婚しないもーん」とかへりくつ言いながらますます家事から遠ざかって成長。当然料理なんて苦手中の苦手。
で、やがて大人になり社会人になり、一人暮らしになった現在、日々の家事に手こずりながら悟った。「女だからできなきゃだめ」ではなく、「人として、家事ができたほうが良い、だな」と。んなこと言ったって、たとえ母が「人間として、家事できたほうがいいよ」なんて言ったとしても、へりくつこねていたとは思うのだが・・・。
通勤バスの中で、私は一番前の1人がけの座席に座ってメールをみていた。段差があるのでお子様やお年寄りのご利用はご注意下さい、と注意書きのある席だ。
カートを曳いておばあさんが乗ってきた。すれ違いざま、
「ケータイ切っといてよ。あたしゃ具合が悪いんだよ。倒れたら責任とってくれんのかい」
背後で、おばあさんが優先座席に座った気配がした。
独り言のような言い方だったが、私に言ったんだとケータイを閉じた。
優先座席で言われるならまだしも、と反発心がむらむらとわきあがってきたが、なにを言っても見苦しいことになるだけだと思って心の中で毒づくだけにした。
私は普段はお年寄りには寛容であろうと心がけている。遠く離れた祖母だと思えば、ぶつかられても腹は立たない。
お年寄りが多い地域に住んでいるが、穏やかで上品なおばあさんばかりで、志村けん演じるおばあさんそのもののような話し方を聞いたのは初めてだった。
慣れない私には、悪意を振りまいているように見えた。
悪意をもって接すれば、人に悪意を起こさせるのか。
私は見知らぬ人に不用意な悪意をぶつけるまい、と結論付けた。
そこで、ふと、
おばあさんには私がケータイを触っていることが悪意を振りまいているように感じたのかもしれない。
と思い至った。
そうなるともう、私は自分の怒りが正当でなく思われ、おばあさんへの反発は消えて不快感だけ残った。
おばあさんが降りたのを確認して、私はケータイを開いた。
http://anond.hatelabo.jp/20090505105946の増田だが、返答ありがとう。自分はタバコを吸わないんだが、タバコのにおいをどうこう言う増田を読んで、ちょっと疑問に思った。
http://anond.hatelabo.jp/20090505110616
http://anond.hatelabo.jp/20090505111801
正直、質問するときに結婚子作りのことまで深く考えてなかったんだが、その場合に一番ありうる妥協点は、タバコを吸うときはベランダか外で吸ってくれってやつだろうね。
反論するつもりは全然なくて、そういえばという話で。俺が子供のころ、オヤジがヘビースモーカーだった。最初煙草の臭いが嫌いだったのはオヤジに対する反発心があったみたいなんだな、心理的に。最終的にはどうでもよくなったのだけど。それでもどっかにその意識が残ってるのか、タバコの話で子供を持ち出されると妙に抵抗感があって。俺、ずっとタバコの臭いをかいで、さんざん煙を吸って生きてるんだがって。こういう俺はどうしてくれる、みたいな気分がある。これはちょっと脱線。
http://anond.hatelabo.jp/20090505113540
そうだろう、結局趣味の問題になっちゃうんだよな、体臭と同じで。極端な話、惚れた女は辛抱できるどころか、タバコの臭いもまた愛しいけど、ほかの人のはダメって、ようはそういうことだろう。日本人の女でタバコを吸う人の割合は他国より少ないらしいけど、いざ惚れた女がタバコを吸ってたら、割に妥協できてしまえるんじゃないか。
だから、タバコの臭いがってのは、あんまり根拠にならないと思うんだよ。趣味の問題、好みの問題なら、排撃するよりどっかで妥協するしかないんだから。煙草を吸う人、吸わない人双方ともによる妥協。だから、タバコ臭いからっての、あんまり理由になってないんだよ。もちろん、マナーの問題とか、それはあるけどね。
あと、本当はタバコ臭いのがいやなだけなのに、煙の害の話で毒づくのもどうかと思ってる。煙の害は、きちんと分煙するなり、公共の場所における禁煙を徹底してその代り路上喫煙をきちんと認めるとか落とし所があるわけだから。それ以上の規制はどうかと思うんだが、これも今の本題からは脱線か。
・・頑固で意固地、人の話を聞かない。
【3】大事なところで、意思決定できる。
・・勝手に何でも決めてしまう。
【4】いつも努力する。
・・努力できない者の気持ちを理解できない。
【5】何があっても両親に頼らない。
・・父親に対する反発心をいい年して克服できてない。
【6】電車で変な人に絡まれたら守ってくれる。
・・人前で甘えたり「怒った?」などとすぐに聞いて来る。
【8】食べ物の好き嫌いがない。
・・マズくて高い店に連れて行かれる。
【9】会計時、割り勘と言いながら適度に多く出す。
・・安い優越感に浸る。
【10】「オゴるよ」と言ってくる男。
・・奢り昂ぶること火の如し。
・・デートの8割は男が一方的にしゃべるだけ。
【12】メールの文字数が少ない。
・・定型文しか返してこない。
【13】基本、感謝ばかり。
・・どこでも誰にでも上から目線で「ありがとう」と笑顔で言う。
そつがなさすぎて面白みに欠ける。
【15】美容について常識的な知識を持って対応する。
眉毛を手入れして、少し書いてる。
【16】頑強な体である。
腕の太さやスタイルの良さなどを誇示する。
手数で敵わない相手ならカウンターを狙うんだ。
喋らせるだけ喋らせといて、ポイントを抑えて意見が違うところを順序立てて指摘してけ。
女性は言いたいこと言ったら気が抜けて防御力が下がるから、
相手が疲れたり思考が途切れたりする時を待つのだ。
相手が元気なときにヘタに反撃しようもんなら、「コイツは抵抗する気がある」
「自分が喋ってるときに遮ってきやがった、ムカツク」などと思われて気力がアップしてしまう。
これは相手の反発心を煽ってしまうので着地点をもずらしてしまいかねない。お互いにとってこれは良くない。
相手の女性が言いたいこと言ったら満足しちゃって問題解決に向かおうとしないなら、
所詮そいつはその程度の気持ちで君に当たってるだけなんで、それ以上相手してもムダ。
左翼のもともとの心性が反天皇権力なんだから、何を扱っても必ずそこにつながってるってのが読めない人間がいるんだね。戦争の話も人権の話も国旗国歌の話も、全部そこにつながってるじゃないか。右翼が国家権力に対する過度の信頼と誇りが心性だから、異国・異分子の脅威に対しては誇大妄想を根拠にわいわいやってるのと、ちょうど裏返しが日本の左翼で、天皇の権力に対する過度の恐怖心・警戒心とそれによる誇大妄想を根拠にして議論やってるから。誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。
ようは彼らは人々のために人権を守ろうとしてるわけでなくて、単に権力に対する反発心だけで人権を旗印にしているだけで、それがまさに「ニセの正義」と書かれる理由でしょ。左翼にとって都合のいい人権しか云々されなくて、都合の悪い人間に対しては人権なんて話題にもならない。
さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。
HALTAN氏はこの手の誇大妄想からさめた人だから、だからhokusyu氏・Apeman氏たちにはついていけないとはっきり言っているんだよ。逆に、誇大妄想についてこないからHALTAN氏をバカだという。
こういうことを書くのも、いい加減に左翼自体、この手の下らん誇大妄想からさめてもらいたいから、あるいはもうちょっと別の左が出てこないものかと期待しているから。極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞な左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。
元増田だけど、その考えはちょっと短絡的だ。
君に少しでも親切心があるなら、そうやって生ぬるい「同情」やら「親切」を仄めかしてアレを勘違いさせ、ネットに固着させる、などということを即刻辞めて全力でdisるべきだろう。
disというのは、「一人称が俺の彼女」には意外に好まれているよ。なぜなら、disるとdisに対する反発心がわくと同時に、可哀想な「俺」を演出する絶好の機会が生まれるからだ。あの「俺を見て」、という叫びに対する☆の数を見たか。
disったところで反発心が生まれるだけで、それは単なる荒らし行為への誘い餌になっている。
(だからといって、もちろん親切や同情はそれ以上に意味のない行為だが。)
だから、俺は本来なら見なければならない(けど、一人称が俺の彼女がずっと忌避してきた)現実のみを書く。
言いっぱなし、聞きっぱなしの精神ね。他者に影響を与えようとする一切の行為が何の得にもならない、むしろマイナスなのだということだけを淡々と述べていく。あの「一人称俺の彼女」が読める文を、しかし☆もつけられなければブクマもできない文を。結局あの文章は、多分に彼女が表層意識の中で最もいやがっている性的自慰ができないために、無意識のうちに書かざるを得なくなっている、代替行為である精神的自慰なんだよ。気持ちいいね。
性的なPTSDには明確な加害被害関係があるから、彼女は堂々と被害者でいられるし、それがあらゆる行為に関する何よりの免罪符となりうる。世間的にはね。
でも俺はそうは思わない。そうやって社会的免罪符を手に入れた彼女がどうなるかは、今の状況を見れば明らかだろう。末路は、連続的自慰行為だ。もうネットから離れられない。どれだけdisられても快感にしか思わない、そういう状態。それらは、勝ち負けを伴うパワーゲームであり、他者を自分のいいようにコントロールしたいという欲求。しかも他者承認欲求は目立てば目立つほど、disられればdisられるほど、同情を集めれば集めるほどその欲求は際限なく深まっていき、やがてはどれほどの同情を得ても充足されなくなる。それが、彼女がネット上で死を迎える時だ。そうなれば、彼女はまた別の承認欲求充足行為を求めて旅立っていく。今の状態は、とても抜けにくい負のスパイラルというところだろう。