はてなキーワード: 生業とは
私も婚約者も同業フリーのデザイナー、しかも年も近い。お互いの作品の作風も好きだし、ものづくりを生業にする孤独感や苦しみを全部共有できるところが好きだった。
3年前の付き合い始めた当初は彼の方が圧倒的に活躍していたけど、最近になって私も追いついてきて、むしろ私の方が大きな仕事を任せられるようになったきた。
彼が今まで仕事のことで悩んでいたら、相談しあって高めあってきたし、彼が大きな仕事をするたびに、私は自分のことのように喜んできた。
ところが最近、私がとある広告案件で賞をとれることになったことを報告したら、不機嫌な顔で「へぇー。お前見た目派手だから目立つもんな。」と返されてしまった。前はそんなことなかったのに、私がやる仕事の話をすると全て不機嫌な顔で返されてしまう。そしてとにかく、お前は女だからとか、見た目で得してるとかそういう話をされる。同棲中だが、全然家で私は自分の話をできなくなってしまった。
嫉妬をしてしまったり、スランプにストレスが溜まっているのはしょうがないが、つらく当たるとほんとに悲しい。今日1日仕事で褒められたりいいことがあったとしても、彼の顔を想像すると後ろめたい気持ちになってしまって自分も喜べなくなってしまいそうだ。そして自分が女だから選ばれたとかそういう彼の言葉を思い出してしまって、自分が評価されていないんじゃないかと言う考え方に陥ってしまう。
彼は精神的に余裕があるときはもう少し優しくコミュニケーションとれる人だ。そして私はまだ彼とは一緒にいたいと思っている。いろいろ悪循環に陥ってしまいそうなので、彼にどう伝えたらいいかアドバイス求む。
ギニュー特戦隊戦で一行全滅。
19号・20号出現。上記により戦士は全滅、タイムマシンも開発されないので地球上で無双。
ゲーム感覚でいくつかの街を滅ぼすだろうが、悟空をいう大目標を失った状況では
地球全体を滅ぼすことはしないのでは。
ミスターサタンあたりは挑んで敗北するかもしれない。
バビディ襲来。
19号・20号と衝突するものの、超サイヤ人不在ではブウ復活のエネルギーは貯まらなそう。
駆けつけた界王神に一掃される。
ブルマ、ドクター・ゲロ不在、ブリーフ博士も高齢で以降急激な科学進歩はなさそう。
■以降の不安要素
彼ら他の惑星を侵略することが生業みたいだし、ナメック星時点で地球の存在は認識しているはず。
・セル生誕
これが幸いにも世間の俗物的な感覚と私の赴くままの、これも俗物的な、感覚が合致していればよかったのだけど、残念ながらそうではなかった。
世間から敬遠されるようなものではなかった事だけは幸いだったが、果たしてそれがお金になることは、ましてや生業になることは、天地が翻ってもありえない事だった。
それは好きなことではあるけれど、私のやりたいこととは少しだけずれたもの。
明日の宿に困らない生活をすれば、好きなことができるのだろうか?
人が人である以上、それが人の役に立ち、よろこびと変わることこそに価値を感じるようにつくられている。
ではなぜ神様、私の腕をこのような形にされたのでしょうか。己のための行為というのはたいへん虚しく、哀しいことです。
長い年月をかけて作り上げたものよりも、愛する人が、ただ笑って、手を繋いで、同じ飯を食べることに、幸せを感じてしまうのは、私が人である以上、抗いようのないことなのでしょうか。
仁藤夢乃に関して言えば指摘の通り別件の八つ当たりで因縁ふっかけたみたいにこの騒動は始まったし、明らかに当人のキャパを超えてて売った喧嘩の後始末とか責任を負う気がさらさらない事とか
フェミニスト全体としては性的搾取にだけキレ散らかすからフェミニストを標榜しながら萌え絵や性的な表現を好んだり生業とする女性のことへは何も言及がなく、いつも逃亡か思考停止する様はそうした女性の存在はないかのようだったりしてる
その辺りにはもっと向き合って欲しいな
完全男向けの企画ならそれでいいのかもしれないけど、温泉のお客さんは男だけじゃないからなぁ。
たとえば『ユーリ!!! on ICE』が唐津の温泉とコラボするとかいうのは、主にその作品のファンである女オタクを呼び込むというターゲット層狭小企画なんで、登場人物のヴィクトル・ニキフォルフが女好みのイケメンであることが非難対象にはならないだろ。
それと同じに、ファン層主に男性のアニメ作品が、登場人物の実家の生業が温泉宿経営で、それが縁でご当地温泉とコラボってるとかいう場合は、そのキャラが男好みの可愛い娘さんであることが非難対象にはならん。過剰にエロくなければの話だが。
https://anond.hatelabo.jp/20211116103238
10年以上フリーランスやってきて、現在は消費税を納めている者です。
インボイス制度はあんまりよく分かってません。ただ、「売り上げ1,000万円未満は請求できるけど払わなくていい」という制度の隙間だったものを、「消費税込みの単価設定」という主張はおかしいのでは。なぜなら、1,000万円を超したら消費税を払わなければなりません。「売り上げが1,000万円超したので単価を上げておくれ」という交渉ができるわけもなく、初めから消費税を払っても回る単価設定(消費税はボーナス)という見積もりをすべきだからです。免税事業者の時はずっと国税のお目こぼしラッキー!と捉えていました。
なお、「免税事業者なのに税込み請求してるのはどうなんだ」とのご指摘がありますが、消費税は幅広く徴収する税なので、非課税取引以外のサービスを提供しているのであれば、免税事業者であっても消費税を乗せて請求するのが正しいです。
簡単だった白色申告が複雑になって役割を終え、マイナンバーの提出が義務付けられ、税を徴収するためにどんどん厳格化されています。制度の隙間なんかいつ塞がれてもおかしくありません。でもそれは正しいことですし、一方で手書き記帳がクラウドに移行し、申告がオンライン化で便利になったりと、負担ばかりが増えているわけでもありません。(よく分かってないけど)インボイス制度でフリーランスがいなくなるというのは大袈裟かな、と感じました。
拝見していて、「特に加工・建設職種では高齢化が進み、いつ引退するか迷っていた世代の方々が多くいます」という記述が気になりました。恐らく卓越した技術力を持ちながらも、売り上げが見合わずにインボイス制度をきっかけに引退される方への忸怩たる思いがあるのかなと推察します。フリーランスの値決めやインボイス制度への反応に違和感があるのは、職種によって事情が大きく異なるのかもしれません。
でもやはり自由と引き換えにリスクを抱えるのがフリーランス。みなさんの声のように、そんなに不満が強いなら会社員になるべきだと思います。
id:nassy310 課税売上が1000万円をわずかに超えるような人はかえって損するとかあるのだろうか。
あるんですこれが!士業事務所に勤める友人によると、ギリ1,000万円を下回ろうとするお客さんもいるとか。業種にもよりますが例えば売り上げ1,000万円で消費税50万円※くらい払うのであれば、住民税や健保考えるとむしろ950万の方が良いのかもしれません。普通はそんな緻密な売り上げコントロールできませんが…
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shohi/6505.htm
id:cha16 個人事業は給与の支給額の3倍は売上ないと社会保険もなくなりただ損するだけ。年収350万円の給与だったなら年1050万円は売上が必要。年間1000万円売上られない事業って生業じゃなくて趣味のレベル。
「フリーランスは会社員の3倍売り上げる必要がある」的な発言をよく見ますし、フリーになったばかりの頃はそれを信じていましたが、実際は会社員より控除などを柔軟に効かせることができるので、売り上げ500万円くらいあれば十分生きていけます(出産育休を希望してる方はデメリットが大きいです)。本当に好きなことだけしたい人や、何らかの事情で週2~3日働きたいなども多いので、別に年1,050万円は売上が必要ということはありません。会社員の方が色んな面で良いと思いますが、会社が社保を全額払ってくれるわけでもないので、「3倍ないと損」は言い過ぎです。
全然本筋とか内容と関係ないけど、擁護オタクっていう擁護を生業としてるオタクって結構いそうだよなー
…というのはいささか煽りが入った言い方だけど、個人事業主がインボイス制度導入について悲鳴上げてるのに対して、給与所得者らしき人達による「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」「とっとと納めればいいのに」的な、非常にクール(笑)なコメントをあちこちで目にして、これが多くの給与所得者の感覚なんだろうな、彼らには個人事業主という働き方の本質がわかってないんだろうな、と思いました。
「自分は会社勤めで、売上や仕入の税込・税別処理は経理に丸投げしてるから、インボイス制度導入が個人事業主の業務をどれぐらい圧迫するかわからない」ということについては、まあ理解できなくもないんですよね。「これお願いしまーす」っつって伝票上げたり領収書出したりしてるだけなんだから、インボイス制度導入で今までと何が変わるのか、バックオフィスでどういう負担増が発生してくるのか、実感がない。これはまあ致し方ないことだとは思いますよ(甘ちゃんだなとは思うけどね)。
それよりずっと根深い問題は、クールなコメントをしてる方々の「労働サービスの価格決定の仕組み」に対する感度の低さ、鈍感さなんですね。
そもそも、免税事業者というのは「課税期間の基準期間における課税売上高が1,000万円以下の事業者」です。それを本業・生業にしていて、年商が1000万円以下というのは、つまり原材料の仕入があまり発生せず、主には自分自身の労働を売ってる人です。たとえば:
・開発(エンジニアなど)
みたいに、何もないところから自分自身でコンテンツやプログラムを創り出したり、原材料の加工プロセスのみに関わって、それを元請やエンドユーザーにとっての顧客価値に変えるような、「付加価値の大半を自分自身で生み出している仕事」です。それから、名前が売れているトップクラスの人達を除けば(そういう人達はそもそも年商1000万円以下ではない)、他の人といくらでも替えが効く「代替可能な労働」です。さらに基本的に「下請職種」です。このような、付加価値型・下請型・代替可能型の個人事業主のことを、以下では総称して「フリーランス」と呼びましょう。
フリーランスの仕事---「付加価値の大半を自分で生み出す、他と代替可能な下請職種」---の特徴って、何だかわかりますか? それは、その労働サービスの価格が、労働市場を通して動的に均衡・決定されるということです。もう少し簡単に言うと、売り手も買い手も自由に値付けができて、それによって業界の平均的な「相場感」が決まっている、ということです。
実はこれってフリーランスや個人事業主に限ったことじゃないんですけど、給与所得者(特に正規労働者)は、自分の労働サービスの価格が市場で動的に均衡・決定される感覚がほとんどないでしょ? 「就活」という入口で頑張って自分を売り込んで、あとはその企業の中で勝手にだんだん給与が上がっていくわけですからね(転職という機会でそれを意識する人がいるぐらいかな)。
でも、フリーランスはそうじゃないんです。自分が生活上必要な(あるいはよりよい生活のために期待する)収入を踏まえて、毎日の仕事の単価(クリエイティブなら作業時間、開発なら人日、加工・建設なら人工(にんく)という単位がある)を決めて、元請に請求するんですね。
いっぽう元請にとっては、そうした労働の大半は他のフリーランスでも代替可能なものなので、作業品質が同等なら、高単価の仕入先は避けて低単価の仕入先を選ぶことになる。こういう形で市場の均衡が起き、それぞれの業界の「相場」が形成されているわけです。
仮に、土日休+夏季冬季GW休暇あり(年間休日120日)のフリーランスを考えてみましょうか。稼働日は245日なので、1人日=4万円の値付けをしてやっと1000万円に届きます。実際には通年で4万円/日が出るような職種はほとんどないので、現状ではフリーランスのほとんどが免税事業者の枠内に収まっていることを皆さんも納得できるでしょう。
さて、フリーランスの労働単価が、その労働の需給バランスによって決定されているとき、免税事業者が請求する仮受消費税(=益税)はどういう扱いになるでしょうか。給与所得者から見ると、財やサービスの単価というのは単独で値付けされるもので、消費税の処理はその枠外で行われるものだと感じられるでしょう。だから適正な労働対価がα円なら「α円のものを売って、0.1α円の消費税を請求して、それが免税になるなら、0.1α円ぶん丸儲けじゃないか」と見える。
でも、実態はそうじゃないんですね。フリーランスは、あくまで「仕事をして得られるトータルなキャッシュイン」を元に自らの原価感や期待単価を決めるわけです。そのトータルなキャッシュインには、当然「制度的に納税を免除されている仮受消費税」も入っています。益税分があること前提での生活設計であり、単価設定なんです。
さて、同業種の全てのフリーランスがこのような方針で自らの労働単価を値付けして、元請と取引をした場合、市場価格はどうなるでしょうか? フリーランス側の実質的キャッシュインという観点からみて「α円」という単価が需給的に均衡した労働単価だとすると、「α円の値付けをして、0.1α円の消費税を請求して、0.1α円ぶん丸儲け」しているわけではなく、「0.91α円の値付けをして、0.09α円の消費税を請求して、トータルでα円の収入」に均衡するんです。「税別α円ください」と請求したら、「僕は税込α円でいいですよ」「私なら税別0.91α円でやります!」という他のフリーランスに仕事を取られちゃうから。
このような動的な価格決定のメカニズムが、毎日の自分の労働単価を意識することがない給与所得者には、ぜんぜん見えていないんですよね。そもそも給与労働者の賃金には強い「下方硬直性」(下がりにくい)がありますよね。労働基準法によって企業側が合理的事由なしの不利益変更をできないことと、制度的に「最低賃金」というラインが引かれていることが、その主たる原因です。
一方で、フリーランスの業務単価には強い「上方硬直性」(上がりにくい)があります。労働基準法も最低賃金も関係ありませんし、そもそも下請職種なので、仕入を行う元請の方が「取引上の優越的地位」にあり、言い値を通しやすいんです。元請側が「そんなに高いなら、次からはもっと安い他の人に頼みますよ」という時に、翌月のキャッシュフローを気にして暮らすフリーランス側は「へっ、そんな仕事こっちから願い下げでい!」とは言いにくい。単価が安くても、安定して仕事がもらえる元請は離したくないという心理も働きます。日々月々の売上を、自分自身の稼働によってコツコツ積み上げる不安定な業種なので、まず「売上を確保する」ということが最優先になるんです。
元請側の「取引上の優越的地位の濫用」は、建設業種では建設業法で、その他の職種では下請法で規制されています。しかし今回のインボイス制度導入に伴って、元請が免税事業者に①適格請求書発行事業者になるか、②免税事業者のまま税抜請求に切り替えるかの2択を迫ることは、取引上の優越的地位の濫用にはあたりません。なんせ国が「こうしろ」と言ってることを忠実に守ってるだけなんですから。だからフリーランスにとっては、①適格請求書発行事業者になり、益税分のキャッシュインを失い、経費処理関連のコスト(システム更新費用とか新たな経理作業とか)が嵩むことを受け入れるか、②免税事業者のままでいて、益税分のキャッシュインを失い、材料仕入や経費に伴う支払消費税はそのまま支払い続けるか、という、どのみち今よりも現金収支が1割前後目減りする2択になります。
理論的には、こうした外部環境の変化を受けてフリーランスの労働価格の再均衡が起こってもよいのですが、先にも述べたようにフリーランスの労働価格には上方硬直性があるため、そのサービス労働市場における労働単価が、益税喪失分による需給のバランス変化を反映して新たな価格で再均衡するまでには、かなりの期間がかかります。そしてその期間中に、少なからぬフリーランスがまともに生活できなくなり、廃業・転職してしまうでしょう。今まで益税分も込みでカツカツの暮らしをしていた人達(いっぱいいます)は、インボイス制度導入によって、もう「カツカツで暮らす」ことすらできなくなるからです。
特に加工・建設職種では高齢化が進み、いつ引退するか迷っていた世代の方々が多くいます。その方達は今回のインボイス制度導入を契機に、次々と引退していくでしょう。そもそも「あと何年働けるかなあ」という人達が、これまで益税で得ていたキャッシュインが目減りするのに、コストをかけて経理システムを変え、新しい税処理を覚えなければならない、という状況で仕事を続けると考えるほうがおかしいわけで。
ちなみにインボイス制度導入には6年間の段階的経過措置 https://www.nichizeiren.or.jp/wp-content/uploads/invoice/invoice15b.pdf がありますが、この経過措置はあくまで「元請側が」免税事業者との取引における消費税額を部分的に控除可能なだけです。来年10月以降の3年間は免税事業者からの仕入額の20%分の消費税を控除できなくなり(=仕入額の2%相当額が完全に手出しのコストになり)、2026年10月からは50%、2029年10月からは100%が控除不能になります。これは、今まで国が取っていなかったことで、元請とフリーランス(と最終消費者)の間で均衡的に配分されていた益税相当額の課税コストを誰がどれぐらい負担するのか、というゲームであり、このゲームにおいては、元請側が圧倒的に有利なのです。市場が再均衡しても、そのときフリーランスの実質的な業務単価は、インボイス制度導入前より確実に低くなっているでしょう。
「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」「とっとと納めればいいのに」などと言い捨てる給与所得者の方々は、自分たちがどれだけ企業雇用という枠組で収入を守られ、分業化という仕組みで雑務役務から解放され楽をできているかという自覚がないのだと思います。それはそれで、とてもめでたいことでもあるのですけど、自分とは違う働き方をしている人達が「大変だ」と声を上げているそのときに、シャーデンフロイデを浮かべながら冷徹なコメントをするのか、自分には直感的にわからない「なぜ大変なのか」という事情を相手の目線に立って考えてみるのかという態度の違いには、その人の徳が出ると思いますね。
https://mitibatacul.hatenablog.com/entry/2021/11/15/020629
これ呼んでふむふむと思ったので自分も少し書いてみる。久しぶりに面白い番組だった。
いつまで見れるかしらないけどTverで見れる。https://tver.jp/corner/f0088865
思い出すまま書き散らしておく
個人的にあの回はとても面白かったけど、番組はほぼマツコと松永の2人の会話だけだった。
松永が「ミソジニーで炎上して~日本だけだと限界を感じた~」のくだりに関しては確かに日本のHIPHOPについての、まあガワの話。
比較対象としてアメリカはガチだからという意見にマツコも乗っかって、さらにR指定も「向こうじゃあるあるなんですよ」と同意する。
そりゃ向こうのHIPHOP、のギャングスタにしたらが言葉でのやりあいが撃ち合いに発展しちゃうんだからリアルではあるんだろうけど
それはあくまでギャングスタであって今のHIPHOPはもっと多様でかつ商品としての価値というのが大きくなってしまったんで
そこを熱く語れる時点で松永氏はやっぱりどこかピュアなとこがあり、R指定としてはそこはもう通過してしまったんだろうって感じがした。
あと日本のヤンキー文化と一緒で向こうのギャングだってみんな去勢を張って生きていると思うし、盛ってなんぼみたいなとこもあるだろうし
大きな違いがあるとしたら銃の入手性で、やっぱ著名なラッパーが撃たれて死んじゃったみたいなのは日本ではそうそう起きないと思うけど
まあとにかくこの辺はHIPHOPの中でも特定の(目立ちやすい)ギャングスタ的なものに限っての話をしていて、クリーピーは日本ならではのスタイルでやってるじゃん的な流れになる。
R指定も概ね同意しつつ少し軌道修正する形で、日本でもアウトロー的なスタイルで割とガチなHIPHOPをして成功している奴らもいると補足はしている。
自分は正直この辺の話はまあそうねくらいで見てた。
で、こっから先はテレビについて、及びメジャーになることについてなんだけど、ここが面白かった。
恐らく松永はクリーピーとしてのどうこうというより、自分の最近の状況というものに憤りだか困惑だか、とにかくかわいく悩んでいるようで
HIPHOPを本業としてどうこうというよりは、、より個人的なスタンスの問題を語っていて
実際このへんからはR指定も(いやなんの話・・・?)みたいな顔に時々なっていた気がする。
で、マツコはマツコでテレビタレントとしての色々な葛藤とか経てるからか、そんな松永のピュアな葛藤みたいなのに心をぐぐっと掴まれたようだった。
マツコが後になって「この涙の意味は見てるかたが色々好きに解釈してもらえばいい」的な事を言っているように
ここで松永とマツコは当事者(テレビタレントとして重宝されるという状況)同士的ななぞのシンクロを見せ一気にその感情を爆発させる。
実際はもっと長く語り合ってカットされてしまってる箇所が多いんだろうと思うが、ちょっとR指定がかわいそうなほど周り置いてきぼりで2人の距離は縮まっていくのだ。
そして松永がマツコに甘えてどんどん僕って、、僕って、、、となるのに対してマツコも全力で受け答えてしまった結果
時折挟まれるR指定の言葉はもはや空を切るパンチでしかなくなる。
テレビで消費されることをテレビ番組で話してる二重構造も面白ければ、
HIPHOPという枠で縛ろうとすればするほど自己矛盾が生じてくる、テレビで輝く男松永の面白さ。
と今のテレビについて言い切ったのがこの回の個人的なハイライトで
そもそもテレビってそんな感じじゃね?というのはあるんだけど、それを外野が言うのと当事者が言うのでは言葉の重みも違うというもの
一方でクリーピーというHIPHOPを生業としてるユニットがメジャーに打って出た結果
松永がキョドりながらその辺のタレントなんかよりよっぽど芯を食った面白い事を言ってくれる存在になっていて
この2人が絶妙なタイミングでリンクしてしまってお互いに泣いてしまうという
そこらへんがもうなんとも味わい深い神回と呼ぶにふさわしいテレビ番組になっていた
そしてじゃあなにがHIPHOPなのかクリーピーのやり方はどうなのか、という点については、
最後にマツコの言った
「伝わるのは熱量だけなのよ」
という一言に尽きるなとも思いました。
一般人でもネット論争にちょこっと巻き込まれるとただただ不毛で消耗すんのにさ
しんどくない?
いらいらしてそのうち頭おかしくなってきたりしないの?
室井佑月氏なんかはテレビやエッセイみたいなので一方的に発信するほうがメインの活動だから、ネットは彼女のメインの活動じゃないし、特にしんどく感じてそう
石川優実氏は軸がしっかりあって、自分の正義のもとにぶれずに発信し続けてるからあれはまあ、今はあれで楽しめてるんだろうね
でも昔より常に怒ってる人、みたいな印象は強くなってきたよ
この前のNHKに出てたけど、「優しく言ってるうちには伝わらなかった」と言っていたし、常に怒ってる人、というイメージは自分で演出してるのかもね
はあちゅう氏なんかはもう完全に折れてる感じがする
米山さんとかひろゆきとかトイアンナくらいネットの反応を面白がってる人じゃないと、はあちゅうみたいに最後は心を焼かれるんでない?
みんな心配だわ
ダービーだ重賞だのとテレビの向こうでスポットライトを浴びるウマ娘たちが居る一方で、街にも田舎にも人知れずひっそりと暮らすウマ娘たちがあふれている。
毎日受け取る通販の商品を届けてくれるのは段ボールいっぱいの荷バ車を引くウマ娘たちである。
競争で鳴らしたウマ娘たちがすらっとしたスポーツマンならば、荷物を運ぶのは身長は180cmを越えて丸太のような筋肉を蓄えたプロレスラーといった体格のウマ娘だ。
毎日、健気にドスドスと轟音を立てながら荷物をもって駆け上がってくるウマ娘は一見の価値がある。
ときどき、荷物運びの休息中のウマ娘に小さな子供が駆け寄っておでこをナデナデする微笑ましい光景も良く見られる。彼女曰く、「仕事を頑張る私をもっと撫でてもいいんですよ」と目を細め、耳を傾けリラックスの極みとのことだ。
人間を運ぶのはバ力車(ばりきしゃ)と呼ばれる2-3人乗りの車輪のついた座席を曳くウマ娘たちである。
体格はそれほど大きくないが、脚の作りがしっかりとしていて頼れるお姉さんたちである。
街の中でバ力車(ばりきしゃ)の客待ちをするウマ娘たちが、暇をもてあまし相互の髪をわしゃわしゃと搔きあってるのは何とも素晴らしい光景だ。こうすると、仕事仲間との信頼関係が築けるのだとか。
長距離移動の際にはこまめに休息と水分補給が必要で、旅といえばバ力車(ばりきしゃ)を曳くウマ娘と相談しながら行先を決める楽しみがある。
裕福な人々の中には住み込みのウマ娘を雇っていて、肩車で通勤するような人も居るが初心者にはおすすめしない。
近所にいる同じく住み込みのウマ娘にちょっかいを出され、驚いて転げ落ちたなどという話もある。そのウマ娘が言うには「いつもはこんな場所には居なかった」だそうだ。
農家に住み込みで働く彼女たちの仕事は力のいるもので、繊細な作業は人間が担当して分業が成り立っている。
地面を耕す重い農具を引きながら「ムリー!」と弱音を吐くウマ娘を農家さんがなだめすかしているのが田舎の風物詩になっている。
山間部にはずんぐりむっくりした体形で、大変愛想のよいウマ娘たちの一団がいて農家のアイドルと呼ばれているらしい。
ひょいと山道も軽々と登っていくので、農作業に荷物運び、それに森で切り出した丸太を運び出す作業などオールマイティに文句ひとつ言わず活躍しているとの噂である。
数は少ないがウマ娘たちの人気の職業としては、こんなものがある。
例えば大きな体と脚力で民衆を圧倒するウマ警察や、ウマ娘というものを少年少女に啓発するPR隊などという選ばれしウマ娘だけが就ける職業も知られている。
それから、もっぱら人間を肩車して野山を駆ける乗バという職業は、他のウマ娘達に「遊んでいるだけで三食飯付きの高給取り」などといわれている。だが実際は肩車しながらお客様の無理難題に答えるのはストレスのたまる激務のようである。
どうも、以前こんなの書かせていただきました。
突然、紹介されるAndroidアプリ集を書いた増田のガジェット
ガジェットマニアとしての自己紹介みたいなものなので趣味の傾向を知りたい場合は以前のエントリを読んで貰えれば何となくわかるでしょう。
長々と出囃子をやっても仕方ないので早速本題に入りましょうか。
題して【今のiPhoneは優れているのか?】
「iPhoneは優れている」と主張されれば100人中99人はこの主張を肯定すると思います。実際に筆者自身がこの主張を耳にしたら筆者も肯定しますし、流行に敏感な高校生の姪っ子もおそらくは肯定してくれることでしょう。
しかし「iPhoneは優れているってことで結論ね」で終えてしまうのは芸がない。そもそもエントリを描く意味すら無い。
わざわざ書き始めたということは目的があって書いているわけです。
ここまでの書き出しでこれに気付いた人は非常に賢いか、筆者のように物事を斜に構えてみているかのどちらかだ。
一言で「iPhoneは優れている」と表現しても評価できるパラメータは膨大にあり「iPhoneは優れている」との主張へ多くの人が肯定を示していても「iPhoneは○○が優れている」の○○は人によって違う可能性が高いのだ。
そしてその個々人の価値観は話題となった下記のエントリへ寄せられる声で知ることが出来る。
個々人が各々にiPhoneへ優れている点を見出しており、ある意味でiPhoneの評価は一様ではないとわかる。
しかし、筆者と趣味を同じくするガジェットマニアの皆さんはこの程度のことで感心してはくれないので、もう少し踏み込んだ話をしよう。
「iPhoneは○○が優れている」の中でもかなりポピュラーな主張である「iPhoneは“性能”が優れている」だが、実はこれAppleは結構雰囲気でこのイメージを押し通そうとしているフシが最近ある。
まずiPhone 13無印とiPhone 13 miniを発表した際「率直に言って去年どころか2年前の私達のチップに追いつこうとしているところです」と主張した後に搭載するSoCであるA15 Bionicを指して「(A15 Bionicを使ってもっと)差を広げる」と主張した。
更に「主要な他社製品より最大で50%も高速です」「グラフィックスは主要な他社製品より最大で30%も高速です」と付け加えた。
もうおわかりだろう。主要な他社製品とは?最大で50%や最大で30%とはどういう演算能力のどういうシチュエーションで高速なのだろうか?実際のところAppleの発表を見てもよくわからないのだ。
ガジェットマニア、そしてコンピュータの性能を測ることを生業としているベンチマーカーはコンピュータの性能を比較するためのポピュラーな演算方式と単位系を持っている。浮動小数点演算とその単位であるFLOPSだ。
浮動小数点演算と言っても単精度や倍精度とかまぁ細かく言えば色々あるけれど、わざわざn%とかいう相対値など使わずnFLOPSのような絶対値を使ったほうがわかりやすいに決まっている。
しかし何故か最近のAppleは相対値が非常に大好きで、何なら比較先のチップすら「主要な他社製品」とボカしてしまう有様だ。
もしかしたらAppleフリークは「一般人へのわかりやすさを重視したんだ」と言うかも知れないけれど「アナタのペーパーテストは他の人より50%上です」と言われてわかりやすいだろうか?普通は「50%はわかったから自分は一体何点だったんだ?」と思わないか?
いやそれでもAppleフリークは「絶対値あるじゃん!16-core Neural Engineは15.8兆回も演算が可能ですって言ってるぞ!」とAppleの出す数字を信じるのかも知れない。
いや、その機械学習モデルは何なの?どういう機械学習モデルが15.8兆回演算できるの?知ってるなら逆に教えて欲しいとガジェットマニアやベンチマーカーたちは思うのだ。
オマケとしてもう1つ付け加えよう。
元記事の増田はどうやら「iPhoneは“ゲーム性能”が優れている」と評価しているようだが、ゲーム性能が良いからと言ってイマドキのスマホゲームで有利になるとは限らないのがイマドキのスマホゲームなのだ。
言ってしまえばイマドキのスマホゲームはPay to Win、つまり課金すりゃ勝てるゲームシステムを採用していることが多くあり、実は課金を考えた場合はiPhoneよりAndroidのほうが投資額が少なくて済むのだ!
まず前提としてGoogle Play Storeは事実上のキャッシュバックがある。更にキャッシュバックキャンペーンもあり、特定のゲームタイトルへ課金した場合に通常よりも多くキャッシュバックが得られることがあるのだ。
そしてAndroidにはGoogle公式のお小遣い稼ぎアプリたる「Googleアンケートモニター」の存在が強すぎる。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.android.apps.paidtasks
Googleアンケートモニターはアンケートに答えるだけで少額ではあるがGoogle Playポイントを貰うことが可能。まぁつまり個人情報を売ってポイントを得られるだけなんだが、貰えることに意味があるユーザは少なくないだろう。お小遣いに限りある学生とか。
つまり、iPhoneユーザの10,000円課金とAndroidユーザの10,000円課金は意味が違う。Google Play Storeの実質キャッシュバックは100円につき1円キャッシュバック、キャンペーン時は3円キャッシュバックなのでAndroidユーザは10,000円課金すると実質10,100円を課金することが可能なのだ。
そしてそこへGoogleアンケートモニターを加えると、真面目にアンケートに答え続ければ1ヶ月で500ポイント前後は貯まるのでAndroidユーザの1ヶ月10,000円課金は実質的に10,500円課金になっていると考えたら良い。Pay to Winでこの差はデカイ!
というような感じで、一般的な目線からわざとズレて変な角度からiPhoneを評価してみたけれどもどうでしたか?
iPhoneには優れた面が沢山あるけれども、わざと面白おかしく評価することも可能であることを見せてみたかった。
ちなみに筆者がiPhoneを使っていない最大の理由が「ハードウェアQWERTYキーボードが搭載されていないから」なので、いつか搭載してくれることを心待ちにしてエントリを終えようと思います。
ぶつけるかどうか、って話なんだけど。
ジェノサイドの巻物は初代風来のシレンに登場するアイテムで、敵にぶつけると敵自体とその系統も含めて完全に消滅して、以降は発生しなくなる。
系統も含めて、というところがミソだ。例えばドラゴンに使えば、その上位種のスカイドラゴンやアークドラゴンも出てこなくなる。コロナウィルスに使用すればその変異株も含めてこの世界に存在しなくなる、という感じだろうか。
医療従事者、自分や親族に罹患者がいる人、ウィルスの影響で生業がおびやかされている人は間違いなくぶつけるだろうと思う。漠然と、「この世界の不幸の総量が減った方がいい」って人もきっとぶつけるだろうな、という気がする。それは正しい。
さて、俺は。
俺は、ちょっと考えちゃうなー。たぶん、現時点だったらぶつけないかも。
日本国内に関して言えば、いまは最悪の状態から脱しつつあって、これがまたヤバくなるようだったら多分ぶつけるけど、現状だったらぶつけないかなあ。
別に、ウィルスの影響で到来した世界が思いのほか住みよいから、とか、俺が人類を総体として憎んでるとかでもないのよ。ただ、人間の視点から判断して、一つの種を根絶しきっていいのか、という漠然とした不安みたいなものがある。
でも、ハリガネムシっていうよくカマキリに寄生している細っこいヒモみたいなやつがいて、蚊(というかその幼虫のボウフラ)ってその中間宿主らしいんだわ。だから、蚊にジェノサイドの巻物ぶつけるとハリガネムシが困るんだよな。
ハリガネムシは最終宿主であるカマキリとかキリギリスとかを水辺に誘って水中に還ろうとするんだけど、昆虫はその過程で水の中の魚に食われて栄養になる。ハリガネムシ(と蚊)の存在が池や湖の生態系にも干渉してくる…と考えれば、気楽に「蚊、種として滅びろ」とも言えなくなる。
本題に戻るけど、でも、そういう話とも違うんだよな。
仮に新型コロナウィルスが人間込みの地球上のあらゆる生物に対して害悪しかもたらさなくても、なんか根絶やすって決定はまずいんじゃないかって気がするんだよな。
別に、文明は適度に危機にさらされて、合理化・健全化のきっかけにするべきである、的なマッチョな止揚を言ってるのとも違うのよ。コロナで人生狂った人はそもそも、フザけたこと言ってんじゃねえってことだと思うけど、違うのよ。
あくまで生命。生命なんだわ。ウィルスを生命とみなすかは視点によるだろうけど、実体があっておおよそ繁殖が可能で異物と接触しないと存在を維持できないなら生命だとする。
それを、死ね!つって種としてジェノサイドしていいのかな。例えその種族が世界に悲しみしかもたらさないとしても。
俺はなんかよろしくないと思う。でも、理由が言葉になんねえ。宗教みたいな、もう超個人的なそういう域なんだろうな。
そう考えると、いまも闘病中の人、医療機関で限界まで消耗してる人、現時点で大勢いるんだろうから、単に俺の心が冷たいのかもしれないなー。
世の中にはみんなの言ってることは間違ってる
だから、そういう人に向けてみんなはワクチン打てって言ってるけど真実はこうだよって構文で情報発信すると、私はそう思ってたって人が飛び付いてくる
この構文は色んな所で応用可能で、ワクチンに限らず色んなとこで使われてる
はてな民も良く騙されてるよね
こういう情報発信してる人に対して応援したいってことでお金渡してる人結構いるでしょ?w
俺はそれを生業として生きてるわけ
この事実に気づけるかどうかだよ
撮影現場をみていると、そろそろ時間の問題なのではないかと思う。
広告制作の現場には多くのスタッフの我慢によってなんとか成立している。
制作会社にまるっと案件を振り、監督、撮影監督などをアサインして
内容を作っていく。ほとんどが決まった段階で
現場のスタッフの多くは急なスケジュール調整と安価な労働力で調整をする。
寒い現場において本当に暖房が必要なのは現場スタッフなのに関わらず。
規模がでかい現場の場合はここらへんが充実しているがほとんどの現場はそうじゃない。
現場にある飲み物やお菓子は糖分過多で体に良くないものばかり。
感覚を研ぎ澄まし、クリエイティブなことをする前提のスタッフに良い環境とはとても言えない。
体に無駄な贅肉がついた人が目立つ。
このコロナでマスクが必須になったのはせめてもの救いなのかもしれない。
新人である制作スタッフの彼は、後何年すればプロデューサーになれるのだろう。
彼らはディレクターやプロデューサー、チーフカメラマン、または優秀な照明マンを夢見ているが、
今やっている下積みは本当に今やらなければならない仕事なのだろうか。
彼らが現場でも重宝されているのは雑用をスペシャルにできるからではなく、
各自のカメラ、エディット、照明などをスペシャルにできるからである。
金をかけまくれば良い機材も良いポスト処理もできて
当然高品質になるにきまっている。
再生される。話題になる。購買活動やブランディングにつながる。
演者には平身低頭なのに末端のスタッフを顎で支持するプロデューサー。
※ちなみにプロデューサーには2種類いて、ここでは代理店サイドのプロデューサーを指す。
現場の制作側プロデューサーは総じて調整力が高く、スタッフを気遣う人間味のある人が多い印象だ。
映像業界の花形である「映画」などは未だにエンジニアやカメラマン、アシスタントが
つらい思いをすることが多いが、最近のNetfllixの撮影現場ではパワハラ・モラハラを防止するための
リスペクト・トレーニングが必ず撮影前に実施されているようだ。
華の20代に、体が太り、肌があれ、寝ずに働き、安月給。
休みもなく、クリエイティブを発想する機会はどんどん奪われる。
上述したようにNetflixやAmazon Primeのようなビジネスモデルが違う映像の世界では、
リスペクトが前提となり、良い関係性で良い作品を創るための仕組み化が進められている。
■
ちょっと視点を変えて、制作した映像の価値ってなんなのだろう。
数億から数千万円かけて作った映像は、たった1回の瞬間風速をもとめて戦略をもとに配信される。
最近も飲料水のCMがSNSでバズった。趣向を凝らしていて共感できるエモい作品だった。
映像の撮影手法や演出もすごい。キャストもイケてる。その裏側も公開されてバズっていた。
しかし、清涼飲料水なんてほとんど体に毒だ。砂糖水とほぼ変わらない。
イメージで作り上げた爽快感や清潔感、健康的な感じがまさしく動画で補填され(狙い通り!)、
話題を呼び、物は売れ、映像の評価も上がり、また似たようなベクトルの作品が生まれ続ける。
安価な材料で利益率を最大化し広告で売りまくる大手企業にくらべて、
高品質で良いものを創り広めようとしている企業にはお金が当然ながら相対的にお金が足らない。
広告には大金が必要となる。誰だって良い監督、良いカメラマン、良い照明、良いエディターと
気持ち良いスタッフたちと映像を創りたいに決まっているが予算的にできない。
最近、SNSの活用が幸いして素人であるお店のスタッフが上げた動画がバズりまくり行列を作る事例があった。
人が来て、喜んで、もちろん売上という実績が出ている。
そもそも、大金をはたいて嘘くさい広告を作るインセンティブですらなくなってきているのかもしれない。
数千万かけても、”偉い人たち”の実績にしかならない広告映像ではコスパが悪すぎるのだ。
広告を作るクリエイターはポリシーを持って全力で考え映像を作っているのだろう。
僕自身、関わったナショナルクライアントや大手企業のCMなど実績として使うことがままある。
しかし、現場を思い返しても”創っている”という感覚は最後までなかった。
これらの問題について僕は考えている。新しいビジネスモデルを考えている。
こうした課題に気づいている監督やカメラマンは必ずいると思う。
僕の名前や役割を出すと、最近まで関わってきた現場のスタッフの方たちに申し訳ないし、
誰かの何かを刺激して、この闇に立ち向かう人が増えればいいな。