これが幸いにも世間の俗物的な感覚と私の赴くままの、これも俗物的な、感覚が合致していればよかったのだけど、残念ながらそうではなかった。
世間から敬遠されるようなものではなかった事だけは幸いだったが、果たしてそれがお金になることは、ましてや生業になることは、天地が翻ってもありえない事だった。
それは好きなことではあるけれど、私のやりたいこととは少しだけずれたもの。
明日の宿に困らない生活をすれば、好きなことができるのだろうか?
人が人である以上、それが人の役に立ち、よろこびと変わることこそに価値を感じるようにつくられている。
ではなぜ神様、私の腕をこのような形にされたのでしょうか。己のための行為というのはたいへん虚しく、哀しいことです。
長い年月をかけて作り上げたものよりも、愛する人が、ただ笑って、手を繋いで、同じ飯を食べることに、幸せを感じてしまうのは、私が人である以上、抗いようのないことなのでしょうか。
ではなぜ神様、私の腕をこのような形にされたのでしょうか。己のための行為というのはたいへん虚しく、哀しいことです。 自分のために生きることを虚しいと感じる感性が無かった...