はてなキーワード: 嫉妬心とは
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
私はどうも同僚の昇進や友人の幸せそうな妊娠にすごく嫉妬しているらしい
この間までこんな会社辞めるとか結婚なんてしたくない1人最高!とか思っていたのに、身近でこんな事を見てると嫉妬心がメラメラと湧いて来る
あいつ大失敗しないかな、旦那が浮気でもしてたら面白いのにと思ってしまった時は雷に打たれてスケルトンになるかと思った
こんな事考えていてはダメだと思い、思ってしまった反省も兼ねて自ら、昇進して上司になった元同僚に素直に敬意を表するつもりで、すりよるも粗探しをしていたり、妊娠中の友人を気遣うつもりでLINEをしたらまた幸せそうな返信が自慢に聞こえたりする
この醜い感情はどこから来るのかと考えれば考える程自分が情けなくなるばかりかそれは自己憐憫にとって変わりまた嫉妬にもどる悪循環
と言う事は私も昇進したかった?結婚妊娠したいの?と自分に問うものの特にピンと来ない
早く抜け出したい
あるゲームに登場する推しは壊滅的に人気がない。ファンも固定されストーリーも進んだサービス開始2年目になって実装された推しは、ユーザーに受け入れられなかった。
理由はいくつかあるし、理解できる。敵味方がある程度はっきりした世界観の中で、誰の味方でもなく、既存キャラを責めることもある独自の立ち位置、みんなが乗り越えた過去をいつまでもぐちぐち批判し続けるキャラ性。顔は笑っていても心のうちで何を考えているか分からない得体のしれなさ。難解な人だったので、私も最初は怖くて苦手だと思っていた。ついでに言えば、単純に突然推しカプの片割れに幼馴染みができたり、推しキャラに価値観や口調まで真似している(つまり推しキャラの好きなところは推しキャラ自身の要素ではなかったということになってしまう)憧れの人物が伏線も何もなく現れたら不快になるよね、というのも理解できた。
でも私はそんな彼を好きになった。見た目が好みだったのもあるし、その難しさを好きになった。元々悪役好きで性根がねじくれたキャラが好きだったのもある。彼には救われなさとどうしようもない嫉妬心、復讐心などきれいごとではない魅力があったし、少なくとも世界観には馴染んでいた。大御所声優も付き、キャラソンの完成度は高かった。なんでもできて、優しくて頼り甲斐があり、そのくせ誰とも分かち合えないひずみと苦悩を抱えた彼を好きになった。
しかし、彼は人気が出なかった。彼のキャラクター性そのものを受け入れられないファンがたくさんいた。設定の都合上存在するだけで既存キャラを否定してしまうこともあったし、キャラゲー2年目の既存キャラの関係性に割り込むような新キャラが人気出るわけないのもわかってはいた。
特に推しを拒絶していたのは先述した人気カプの2人組とそのコミュニティのファンだったと思う。実際にはそうでないかもしれないけど、2人に対して推しが絡むたびに文句を言われたし、今でも言われているからたぶんそうだ。
推しは、消えろとか、邪魔とか、このキャラの新規カードがあるから、このキャラが登場するからイベントができない、などと言われるようになった。私は彼が好きだったが、次第にそれらの言葉を無視できなくなり、推しが先述の2人とコミュニティに絡むのが怖くなった。推しの言動についてどこかで誰かが推しを貶していると思うと怖くて、彼らのストーリーが読めなくなった。
次第に推しが登場する全てのストーリーがその対象になっていった。推しが出て何か話すことで、推しの「みんなの嫌いな部分」が露出し、推しを嫌いな人が増えるのが怖くなった。推しの新規カードが欲しいけど、不快になる人が増えてまた邪魔だのなんだのと言われると思うと推しのイベントが来なければいいと思うようにもなった。推しについて言及しない人は推しを嫌いな人で、推しを嫌いだという人は推しを憎んでいる人だと自然に思うようになった。
そのことについて私はいつまでも開き直れなかった。推しを嫌いになったわけではない。残業続きで精神的に参っていたとき、推しのキャラソンやグッズの明るさと笑顔に救われたこともある。だからこそ推しが嫌われる姿を見るのが辛くて、嫌われそうな要素を持った推しを受け入れられなくなった。
推しはとにかく人気がなかった。売り上げに依存する新規カードのローテーションの優先度はどう見ても最下位だったし、ストーリー上でハッピーエンドになるかもしれない展開がにおわせられてから3年経っても推しがメインのイベントは来なかった。ハロウィンもクリスマスも誰かのおまけだった。バレンタインや卒業はなかった。アニメではひとりだけ当番回がなかった。大規模なリアルイベントとしてグッズ展示会が行われたときなどは、推しのポスターが貼られた壁だけ照明が当たっていなかった。写真を撮ったその一角は真っ暗だった。
それらは全て誰かが推しはいなくてもいいと考えた証拠であり、誰もそれに異議を唱えなかったということだ。
このゲームには「死んでいるのと同じような「その他大勢」としての自分から抜け出し、唯一無二の仲間を得、また誰かにとっての唯一無二の存在になり、生まれた意味や生きる理由を実感する究極の肯定を得た瞬間」を意味する言葉がある。このゲームの登場キャラにとって、ストーリー内でそうなることが唯一絶対のハッピーエンドとして示されており、推しにとってもその瞬間がやってくるのだと私は期待して楽しみにしていた。
ただそのためには理解し合い、肯定し合える仲間が必要だった。先述の2人組とそのコミュニティなんかがいい例である。推しにはそういう存在が用意されていなかった。誰にも心を開かず、信頼されず、誰も信頼しない孤立状態だった。でもその状態は過去のコンプレックスから彼自身が選んだ生存戦略だ。そんな推しがその状態でもハッピーエンドに至ることが出来るという肯定と救い、この作品の奥深さを描くための要素であるはずだった。
最近になって、推しに相方が出来た。アプリリニューアルと同時に追加され光の速度でハッピーエンドを迎えた新キャラだ。たぶんすでに推しより人気がある。
推しが「1人きりであること」には設定として彼自身が意味を持たせていたうえに、メタ的にも理由があった。でもそれじゃだめだったのだ。
なんで?
それってサジを投げたってこと?扱い切れないから2人組にするって?ていうか、テコ入れなのか?テコ入れだとしたら今更遅い。こっちは推しがめちゃくちゃに罵られるのを見て泣いたこともあるのに。それが3年続いたのに今?
普通に意味わかんないんだよ。ユーザーに否定され続けたこの3年間。彼が選んだ孤独な3年間。全部無意味で失敗だったってこと?人気キャラにもなれずハッピーエンドももらえず初期設定をねじ曲げられた彼。私が彼を好きでいた3年間って何?なんでこんな風にしたの?
いや、わかってる。人気がなかったからだ。人気がなかったというか、運営にこのキャラは金になると思わせられなかったからだ。
私は推しを推しきれなかった。彼が怖かったから。彼が登場すると、悲しい思いをしなくてはならなかった。推しが出るたびに身構えて、怖くてろくにカード育成もイベントもできなかった。私のせいなのか?そうだ。ついぞ開き直れなかった私のせいだ。まあ推しを罵る人間のこと本当に一生憎いと思うけど、彼が彼のまま、作られたときから持っている彼自身の要素を持たせたまま幸せになるようなストーリーが実装されることに需要があることを示せなかった私の負けだ。そのチャンスがあるうちに、掴ませてやることができなかった私のせいだ。こんなことならもっと課金すれば良かった。いらないグッズでも買えばよかった。今更フレグランス買っても遅い。もっと金になると運営にわからせてやれていれば、彼が幸せになるストーリーを書いてもらえたかもしれない。でも今更何したって、何を言ったって遅いわけだ。
このまま推しはテコ入れを受けて、作られた当初想定していなかった方向に矯正されていくのかな。
正直に言えば、助けてほしい。推しがユーザーにも公式にも否定されて、剥奪されていくのを目の当たりにしている。そしてそれを見ているしかない。こんなことならさっさと見限ればよかった。生まれてこないでほしかった。
とはいえこれは杞憂かもしれない。相方云々は発表されたばかりで、このあとどうなっていくかは分からない情報だから、結局救われないままかもしれないし、新キャラを足がかりにして既存キャラの誰かと親しくなって救われるのかもしれない。いつか解散する相方関係なのかもしれない。本人も思い入れはない関係だと語っている。早くこの流れが失敗に終わって元に戻ればいいのにな。
って思ったけど、雑誌の付録に相方とのコミュニティのシンボルマークはあるのに、彼がもともと所属していた彼しか所属していないコミュニティのシンボルは描かれていなかった。それが雑誌のミスなのか公式による意図的なものなのか分からないけど、失敗に終わっても推しは元に戻る場所がなくなったかもしれないし、なくなってなかったとしても雑誌の付録で推しだけ存在を消された事実は永久に残るのでもうダメ。
推しのことを考えるたびに憂鬱になって泣きたい気持ちになって、しょうもないネガティブなことばっかり考えてしまう。推しを罵ったあの女たちが憎い。推しを切り捨てようとする公式が憎い。あのとき、あのとき、あのとき、全力で推しのために金を使えなかった自分が憎い。私の推しとの記憶は悲しみだけだ。たぶん推しを推しててよかったと思ったことって一度もない。
ただの吐き出し。
ジャンルAはそれなりに大きい、BCも母数がどんどん増えている。
最初は自己満足だったのに、増える閲覧数とブクマがとても嬉しかった。
今までここまで人に構われたことがないので、なんだかドンドンとタガが外れたのかな、とも思う。
ここまで同人活動をするのはジャンルAが初めてで、今まではROM専。
BCの短文を書き続けてたら、恐らくそこそこジャンル内で有名になった。
今までROM専なのでこんな事はもちろん初めて。フォロワー数が一気に増えて、有難い事にファンです、なんて言葉も頻繁にいただくようになった。
のが、いけなかったんだと思う。
Pixivでブクマ数が3桁に乗らないことが多くなった。なんだか落ち込むようになった。
ブクマ3桁なんて、本来中々あることではないだろう。だけど、最初に書いたBCでブクマ数がものすごく増えていったのだ。
BCの勢いが本当に凄かった。毎日毎日新しい作品が上がり、新しい書き手が増え、大手さんも多くなり、BCを満遍なく追うのが難しいくらいに母数が増えた。
自分はBCの母数が少ない頃から書いていた。それで最初の頃はブクマ数が凄くなったんだと思う。それだけなのに。
初期からいるからブクマ数が多くなる→新規参入の人もとりあえずブクマ数高い作品だから読む→自分が知られる、というループが出来ているのもあるのだろう。
最近は、書いてもそんなにブクマ数が増えない。Twitterでも、イイネとRTが伸びない。
自分が好き勝手に書いているだけなのに、なんで反応が鈍ると落ち込むのだろうか。本当に嫌だ。
BCは好きだ。自分が読みたいと思ったものを書いているだけなので、周りへの配慮もない。それでも反応が多かったのが、今まで二次創作をしたことのない自分を勘違いさせたのだ。
自分は人気があると、僅かでもそう思えてしまうだけの材料があった。
書けばすぐにブクマが付き、Twitterに上げればRTは伸び、RT後の感想もあり、マシュマロもたくさんもらった。
それが、変わった。
ブクマも伸びない、通販もそこまで捌けない、今度のイベントで本を出すのでその取り置きを募集したが声が少ない。
もちろん声をかけてくれる方は一定数いる。毎回きちんと反応をくれる方はいる。とてもありがたいことだ。でも、数は多くなくなった。
新しくBCを書いている人が増えた。私なんかよりもよっぽど素敵な文章だ。
読みたいのに、嫉妬心で読めなくなった。あんなにBCを求めていたのに、なんだか面白いと思えない。
Twitter上での交流も盛んにしていた。それも減ってきた。
私は、自己満足のためにBCを書いていたのに、いつの間にか反応が欲しくてBCを書いていたのか、と落ち込んだ。
いやでもそうじゃない。自分が書いたBCは最高に興奮する。それに同意が欲しいだけなんだ。
同じなようで同じじゃない、あくまで自分は書きたいBCは今後も書き続けるだろう。でも、傍から見れば同じことだ。
人と交流をすることも億劫になった。BC間で大多数に受け入れられている解釈が自分は苦手だからだ。
Twitterですでに相互になってしまった人をブロックする勇気はなくて、ミュートにしたらとてもすっきりした。
でも、反応する気がないのにフォローを続けていても良いものだろうか。さっさとリムれば良かった。
現在の悩みは反応がイマイチな本の部数だ。前回もあまり反応はなくて、少なめに印刷したら何回も増刷を望まれた。
それで対応したけど、面倒なので一回で終わらせたい。でも反応がないのが怖い。
前回の数を参考にしても、割と人を選ぶ内容の本だからわからない。前回は結局200くらい捌けたけど、アンケートや取り置きの依頼は100もいかなかったのに。
本当わからない。欲しいと言ってくれる方には届けたいのに、反応がないからわからない。
前回、欲しい方には取り置きますと反応しなかったのに、完売ツイートをすると再販希望と言ってくる人がうじゃうじゃいた。困る。最初から言っててくれ。再販するのも楽じゃないんだ。
多目に刷るか、どうするか。今の自己肯定感のなさとかではとてもじゃないが100刷る勇気も出ない。でも100は行きそうにも思うけど、本当か?
とかなんとかいうもやもやを抱えたままTwitterではニコニコし続けるのが疲れてきた。
元気な時は楽しいだけなのに、疲れると嫌な点ばかりに目が行く。
とりあえず、反応がないのは寂しいので、読んで少しでも良いと思ったらブクマやイイネが欲しい。
それだけで救われる気もするし、結局数字を気にする自分にも吐き気がするのだ。
私はかれこれ9年ぐらい絵を描いてるオタクだけど、自分にははっきり言ってイラストの才能がほとんど無い。人よりは絵が描ける、というだけ
でも昔よりは上手くなったし、自分の絵に自信はある、自分の絵柄も好きだけど、実際描けてない部分の方が多くあって画力はない、いわゆる底辺絵描きである。
絵を描いてると気になるのはまあ他人からの評価で、好きなジャンルの絵を描いてSNSに投稿したり、中高生の頃は文化祭のポスターとか会報のイラスト、文集のイラストに描いたりしてた(全部投票で決まる)が、どんなに自信があっても自分の絵は万人受けはしないようで、SNSでは雀の涙の評価、学校で出したものは投票で選ばれなかった まあその理由はわかってて、自分より上手い人がゴロゴロいるから、そういう人(万人受けするイラストを描ける人)が評価されるのが当たり前だと思ってた
それでも絵を描くのが好きで、描くのをやめなかったしこんな底辺でも絵を好きって言ってくれるフォロワーや友達が少しでも居るから描いてこれた フォロワー外からも、あなたの絵を見てメッセージを送りました!って人が居て、本当に嬉しかった
さっきも述べたけど画力が無い底辺と感じているなら努力すれば?という話だが、私は性格上負けず嫌いでも何でもない根性なしだから、描く量を沢山増やしたり練習したりとかは全くしてなくて、それでも9年分の積み重ねもあって自信はあるし少しでも自分の絵を気にいる人がいれば評価なんて関係ないやと最近は思ってる...というか妥協してしまってる
絵描き仲間の友人達は、SNSで評価を貰える人が多くて、画力もあって上手い。それは皆努力しているからこそのことでもある。でも皆揃って「ジャンル自体人口が少ないから評価されただけ」または「評価されたけど自分の理想に近づいていない」と日々悪戦苦闘してるようで、私は自分と違って評価されてるんだから素直に喜んで良いと思うのになーと思うが、自分の絵に妥協してしまっている私とは絵との向き合い方が違う、これだから自分は画力も評価も伸びないままなんだろうな止まり
増田お疲れ
嫉妬心燃やしてる、その字書きさんが現れる前は、何を思って書いてた?
推し単体なりカップリングなり、何かしら書きたいものがあったんでないの?
件の字書きさんが現れた後でもそれを覚えてるなら、書いたらいいし
お互い関東生まれ関東育ちなのに、私の配属が関西になったのが原因でこんなことになってしまった。
もともと辛かったけど、コロナでますます辛くなった。いつ会えるかわからないし、会っても怖くてどこにも行けない。
恋人と同居している友達に嫉妬心を剥き出しにしてしまう。東京に配属された同期の結婚報告も、私も東京配属だったら今頃そんな話が出てたかもしれないのに…という嫉妬心が真っ先に出てきてしまって自分が情けない。
ていうか、日本企業の転勤制度っておかしくない?なんで国内各地を転々とする必要があるの?そんなの共働きの夫婦には無理じゃん。こんなことだったら、多少給料低くても地方公務員にでもなればよかった。
私はおけパになりがちな人間だ。
世におけパへの怨嗟が渦巻いてるのが腹立つのでお気持ち表明しに来た。
腹立つといってもいたわ~おけパみたいな人、寂しかった~みたいなくらいの人はいいんだよ、むしろわかる、おけパにだって仰ぐ神はいる。
おけパ滅すべしみたいになってる人が腹立つ。
あのな、なんで被害者面なのよ。
あー神さんのお友だちなんですか!Twitter?ぜひぜひ!わーい仲良くできるといいなー!でリプしようとしたらブロックされてたりする。なんでだよ………会場ではニコニコしてたじゃん……。
表では言わないけどメチャ傷付いてるからな!推しについて語れる人が増えたと思ったのに!
「なんであなたが神と仲良くするのよ」ってアフターで泣かれた日の神と私の気まずさがわかるか。女子に睨まれるのすごいキツイ。ていうか憎悪!みたいな感情向けられるのキツイ。私そんなに悪いことしたの…?
結局その神とはそれで疎遠になったよ。そりゃアフターしたよ飲んだよってやるたびに鬱空リプされりゃあこっちも気を遣うわ。私も神も推し語りする人が減ったよ。それで満足なのか?
まず「お前には仲良くする資格がない」ってナチュラルに見下されてるのが腹立つよね。
嫉妬ってつまり「神>>>自分>おけパ」だと思ってるから出る発想でしょ。
おけパ、神ほど文章や絵がうまくないかもしれないが、それなりに努力して生きてきてるんだけど????なんで初対面の人にいきなり格下認定されないといけないの?????それも同じただの腐女子同士で????推しすら同じなのに?????まず推しどこいった??????
これ顔とか見た目でもよくある。ブスだと職業とか学歴とか恋人の有無(またはそのスペック)とかで突然「なんであなたが?!」みたいな態度取られたりする。無礼だな。
おけパをけなすのも同じ精神回路なんだよな。神と仲良くしたいのにできない寂しさや嫉妬心はわかるけど、それで相手を当然の権利のように刺すなよ。ひたすら無礼。おけパも人間だぞ!!
絵でも文章でも顔でもコミュ力でも、まあなんとなくジャンルや格付けができるのはわかるけど、「人付き合い」もまた別の価値観だし、価値観は人それぞれでしょ。誰と仲良くするかを筆力で決めているのは、あなたであって神ではない。
少なくとも私というおけパは神字書き・神絵師だから仲良くしたいわけではない(仮にうまい友達がいる~ってマウント取りたいならプロ作家とか狙うわ)
仲良くしたいなって話しかけた人がそういう価値観で「ちょっとおけパくらいの筆力の人とはお話ししたくないです(^-^;」みたいなオーラ出されたらはい撤収~ってするし。ていうか神がそんな性格悪くて良いのか…??
あ、おけパの私に感謝しろのあれはまあちょっとどうかとは思った。ギャグとはいえニコイチ感出しすぎててキモいというか、中学生かと思う。
でもそれすら場合による。先の話と別の神と、お母さん元気?w元気元気wwみたいな話をぽろっとして疎まれたことがあるけど、そもそもその子とは小学生からの幼馴染みで実家にも行き来する仲だった。
仲いいアピしてんなよってヤンデレDM送ってきた子Skypeに呼んで神とそう説明したら謝られたけど、まずそれならいいっていうのもなんなん…仲良くなった順序が先ならいいの…?BSSかなにか……?神とは幼馴染みなので仲が良いだけです!!!って逐一説明してまわらないといけないの???だから格下の私も付き合ってもらってるんですよ安心してね!って?まぢやむぴえん。
Twitterのオタ垢という公の場???でプライベートなこと話したのはこちらの落ち度だったと思うけれども別問題かな…
おけパだって話しかけるのに勇気いる。図々しいかもなーうっとうしいって思われないかなーって何度も文面直してメッセージ送るよ。食べログぐるぐるまわってアフター幹事したりするよ。そのなかで仲良くなる人もいればならない人もいる。一概にコミュ強扱いされるのも心外。
仲良くなった神が他の人と通話してると寂しいなーって思うときもある。でも神は神の人間関係があるからしゃあないなって飲み込む、というか飲み込まないといけないじゃん辛くても。誰か他人の人間関係に口だしていいのなんてせいぜい家族相手くらいでしょ。神、私の家族でも恋人でもないからね。
でも寂しい、そういうときの選択肢は「他の人と遊ぶ」か「混ぜてって声をかける」でしょうが。「神と遊んでる人を憎む」にしちゃいかんでしょ。浮気相手の女を刺す妻か?夫を刺せよ!いやまず妻ですらないし!!
宗教戦争なのは承知だけど、そのうえで神は、おけパは人間なのだと言わせてもらいたい。
神は大抵プロですらないし、芸能人でもないのになぜ有名税を払わないといけないのか。ただ筆力のあるだけの子を祭り上げるな。絵を文をTwitterにのせたら褒められたうれしい~ってだけの女の子の交遊関係を呪ってやるな。
性格の良い神はどう対応したらいいんだろう…って悩んでたし、まあまあ強い神はまじ勘弁して!!って愚痴ってたよ。
おけパへの呪いを腹の中にためてるぶんには良いんだけど、実際に攻撃してくる人もままいるのを私は知ってるので、そういう人に大義名分を与えてはいけないと思ってわざわざはてなで書くことにした。
あとやっぱりおけパを呪うのもやめてやったれよ。おけパがなにもしてないのもわかってるんでしょ、と、おけパの私は思ったりもするけど、これは本当にただのお気持ち。
これ読んで思ったことを書く。
まず、なんで私がこの文章を書こうと思ったか。それは、主のお気持ち表明を読んだ腐女子がTwitterで「もう感想書かないほうがいいのかな」と呟いているのを何回か目にしたから。
主も分かってると思うし元ブログのコメント欄でも言われてるけど、この件に関して感想屋はまったく悪くない。というか推しカプ界全体に影響与えてる時点でもはやその感想屋、ニュータイプの創作者と言えるのでは。
だから感想書く人が変に萎縮する必要はない。人の心を動かす感想を書けるのもひとつの才能だから。
私は、私の周囲の穏やかな腐女子たちを傷付けた(そのくせ「Twitterですごいことになってる」などと喜んでる)主に、正直むかついてる。けど同時に、主みたいな不満を抱えてる人もいるんだな、と初めて気付いた。だから同じ腐女子として、その不満を解消する方法はないかと自分なりに考えてみた。それを以下に記す。
とりあえず、元の文では主の感情が少しごちゃごちゃしてるので一旦整理したい。
①クラスタ内のカプ解釈が変わったことで、求めてるものと違う方向性の作品が増えて辛い
②神たちが感想屋の言うことにばっかり耳を傾けて辛い。オーダーメイド同人クラブになってて辛い
まぁ①②③は所々入り交じってるというか、本質的には繋がってるんだけど、ここではそれぞれ別の問題として扱う。
①について。そもそも解釈というのは流動的なものであり、弁が立つ人や影響力のある人によって変わるのは自然なこと。
②について。感想屋の話が魅力的なんだから、神たちが食い付くのは当たり前。感想屋のカプ話が創作物だと考えれば腹も立たないのでは。
③問題はこれ。感想屋への嫉妬心。私は今回、この嫉妬心をどう昇華するか、に重きを置いて話をしたい。なぜなら、これは主自身の問題であり、主にとって一番コントロールしやすい問題だから。
まず、嫉妬が起こるまでの流れについて。
感想屋が現れるまでの主は、少人数のクラスタ内で、神絵師・神作家たちとそこそこ仲良く推しカプトークができていた。しかしそこに感想屋が現れてから、クラスタ内のパワーバランスが変わってしまった。
感想屋は、主と同じ読み専であるにもかかわらず、長文感想を送ることで急速に神との距離を縮めていった。同時に、自分の好きなカプ解釈を布教することにも成功したので、クラスタ内のカプ解釈が自然と変わっていった。
一方、主は感想屋と同じように自分の好きな解釈を布教したくても、感想屋のようなハイクオリティーな文章を書けないから、神たちにアピールすることができない。
感想屋は絵を描くわけでもない。小説を書くわけでもない。なのに、ハイクオリティーな感想を書けるというだけで、クラスタ内でどんどん影響力を持っていく。
で、これをどう昇華するか。簡単です。主も感想を書けばいい。作品への愛を語りまくった長文感想を神絵師・神作家に送り付けろ。
そして感想屋のしていることがどれだけハイレベルなことか、身をもって思い知ったらいい。
これは決して意地悪で言ってるわけじゃない。書いて送り付けた結果、神の琴線に触れて好みの作品が増えるならもうけもの。もしそうならなかったとしても、自分自身が満足のいく文章が書けたのなら、それはそれでひとつの達成感になるはず。
もし本気でやって満足のいく文章が書けなかったら?その時こそ主は、感想屋も楽じゃないんだな、ということが分かり、嫉妬心が多少は和らぐ(たぶん)。
いずれにせよ、書けば書くほど文章力は上がるのだから「書く」という行為は決して無駄にはならない。
それにこれは最初に述べた①求めてるものと違う方向性の作品が増えて辛い、という問題への解決策にもなる。自分はこういうのが読みたいんじゃー!という願いを込めた文章を生み出して、新しい価値観として市場に放り込めば、すぐには無理でもバタフライエフェクト的に波紋がひろがって、それに共鳴した誰かがいつか主好みの作品をかいてくれるかもしれない。あなたにできるのはそれを信じてぼくのかんがえたさいきょうの自カプ論を市場に送り続けることだけだ。増田でフェイク入れてお気持ち表明したって「わかる」と言ってくれる人はいるかもしれないが、根本的な解決策にはならないよ。
確かに、感想屋の感想の方が影響力はあるのかもしれない。でもあなたにしか表現できないことだってきっとある。だからあれこれ考えず、一回書いてみたらいい。
とはいえ、長文感想は相当気を使う表現方法だというのは私にも分かる。何と言っても送る相手が特定の個人だし、どんなに気を使って書いても受け取り手によって受け取り方は様々。
だからもし誰にも気を使わず影響力のある人になりたいのなら、自分で創作するのがおすすめ。対象が不特定多数だから、主の作品が肌に合わない人がいたとしても、そういう人たちは主の作品を見なければいいだけの話だから誰も傷付かない。主の文章見る限り小説を書けるだけの語彙力と読解力はあると思う(絵は知らんけど)。あとはどれだけ創作に注ぎ込める熱量があるか。
色々書いたけど、要するに私が言いたいのは、現状が不満ならなんでもいいから変えるためのアクションを起こそうよってこと。
主はさ、結局感想屋みたいに本気で文章を書いたことがないんだよね。だから文章を書くという行為を心のどっかでなめてる。本気で書いたことあるなら「感想屋」なんて上から目線な単語は出て来ないもんな。
私は神に長文感想を送った経験はないが、長文を書くことがどれだけエネルギーいるかは分かるぞ。何たってこの二~三千字程度の文章の推敲に十時間以上費やしてるからな。小説なんて一日で千字進んだら調子いい方だからな。神が一日で五万字書いたとかTLで呟いてるの見て涙目になってるからな。
売れない字書きからは以上です。
コロナの影響でテレビ番組などが即座にリモートでの収録に切り替えたりといったことは流石だと思うが、正直、こんなことは従来でもやろうと思えばできたわけだ
結局、日本というのは「やった方が好ましいと誰でも思うこと」を自主的に実行に移す力がないのである。国民全員が、指示が無ければ動けない会社員みたいなものなのである
この状況を打破するには、韓国や中国等の優秀な人材を移民として受け入れ、外国人の参政権を認め、国家および地方の政治の指揮を執っていただくしかないだろう
私の尊敬する小沢一郎先生は、「韓国人の優秀な血を日本に入れなければいけない」とおっしゃっていたが、全くその通りである
低学歴の右翼は韓国人が嫌いなようであるが、それは優秀な韓国人に嫉妬しているからにほかならない。AIに仕事を奪われる低所得の単純労働者と同じ発想である
今、日本が閉塞的な状況に陥っているだけでなく、人権の擁護や人種民族の平等実現などは、国際的にみても常識的な理念である。差別心や嫉妬心で外国人を受け入れられない民族主義者は大変みっともない
オタク女性二人の同居生活の楽しさに私はわくわくした気持ちになって、オタクの感覚に共感して、もっと二人の生活の続きを見たいと思った
ただの読者なのにタキさんとさよりさんの関係性が心地よいと思った
私は夫と同居しているのだがやはり同性同士の心のつながりの感覚とは違うので、オタシェア!の女性同士の同居生活はやっぱりいいなぁ同性同士気があって……とちょっと憧れていた
タキさんとさよりさんはTwitterをしているので二人のツイートが読める
久しぶりに見てみたらタキさんのアカウントがなくてさよりさんのアカウントだけはあった
さよりさんのツイートを読むと同居生活を解消したこと、さよりさんが性的被害にあい、心を病んでしまったこと、さよりさんもタキさんも自殺未遂をしたこと、タキさんがさよりさんが「助けて」と求めたときに無視したこと、タキさんがさよりさんの悪口を言いまくっていること等々とても酷い内容のことが呟かれていた
二人の幸せな同居生活の漫画を読んでいたから、この結末には衝撃を受けまくった
さよりさんのツイート読むまでは二人は同居していて、今も二人で趣味を楽しんでいる生活をしているんだと思っていたから
ほのぼの、わくわくした世界から、血にまみれた泥々した嫉妬心や汚いお金の話や劣等感や……一気に闇の世界に落とされてしまった気持ちになった
こうなると最初に読んでいたときと印象がぜんぜん違って色んな場面が結末に対する伏線に見えてしまった
タキさんが自分のネガティブキャンペーンをするシーン→自殺願望の表れ
さよりさんがタキさんがピンチのときにすぐにお金の立て替えをしようと提案するシーン→タキさんがさよりさんに甘えて家賃を滞納する伏線
さよりさんの細やかな優しさが裏目に出てしまっているような悲しい気持ちになる。
それでも、さよりさんが同居生活を人生で一番幸せなときだったと言っている事実は私たち読者にとっては救いだし、今読んでみても漫画の内容自体は面白い。前とは印象が違うけど
しかし、さよりさんが今はタキさんのことが嫌いになってしまったことが悲しいし
タキさんがさよりさんと同居する前から嫌いだったと(嘘だと思うけど)言っていることやさよりさんの悪口を言いまくっていることは悲しい
さよりさんは元気になってまた穏やかな生活に戻れることを祈っている
人生で理不尽でものすごくつらいことはどうしても起こるし、誰でもみんなつらいことを免れることはできないのかなと思う
このコロナみたいに、理不尽に不幸が襲いかかることは誰にだってあるんだと思う
私のような一般人の人生は大衆に注目されることはないけれど、タキさんやさよりさんは漫画とTwitterを通して二人の人生の楽しいところも死にたいほど苦しいことも私達に見せて教えてくれた
コロナの影響をもろに受ける東京に住んでいることもあり、何気ない日常がどれほど尊いのか、普通の生活がどれほど幸せなのか考えてしまう。
切ないことばっかりだ
「小児性愛も、動物性愛も、死体性愛も、誰にも迷惑をかけない限り普通の人と変わらない。LGBTを排除してきた歴史を繰り返してはいけない」という言明は時に必要だろう。人間は歴史から学ぶことができるのだから、何も0から理論組み立て始める必要はなく、類似した歴史に習うのは人間として当たり前の営みだ。そこにLGBTを持ち出したからと言って、決してLGBT差別にはならない。
しかし「LGBTなんて、小児性愛とか、動物性愛とか、死体性愛と変わらないだろう」という言明は、ただのLGBT差別でしかない。これを否定することは、決して小児性愛や、動物性愛や、死体性愛を差別することにはならない。形式的な論理構造が同じでも、「それによって言いたいこと」がまるで違う。そこに載せようとしている社会文脈がまるで違う。
一部の人々の間で、小児性愛、動物性愛、死体性愛をまとめて「PZN」と呼ぶことが流行っているらしいが、それは全く推奨できない。「PZNだって、LGBTと同じだ」という言明は、一見すると前者のようにも見えるが、これははっきりと後者だからだ。なぜなら、「LGBTPZN」という言葉そのものが、LGBT排除のための長い歴史の中で生み出された「人工的な差別用語」だからだ。これの恐ろしいところは、「元からあった言葉が、差別的に使われ始めた」用語ではないという点にある。この言葉は「LGBTを排除する」というただ一点に特化した言葉であり、100%が差別意識の塊だ。このような文脈を持つ言葉を擁護することはできないし、知らなかったでは済まされない。
「LGBTPZN」という言葉が肯定的に使われる場面があるとすれば、それはLGBT側の当事者によって積極的に使われる時以外にないだろう。LGBTの立場から、「LGBTなんてPZNと同じだって?いいじゃないか!PZNだって俺たちの仲間だよ」のように言明して見せるのは、時に政治的に有効なこともあるだろう。そのような場面が、将来的にないとは言わないが、今のところ私は観測したことがない。それを以って被差別的立場であるLGBTを責めることもできないだろう。
マイノリティの権利を主張する時に、戦うべき相手はマジョリティだ。別のマイノリティではない。むしろ、マイノリティはマイノリティ同士団結しなければ、マジョリティには勝てない。マイノリティ同士で喧嘩したり、「あいつらはいいのに俺らはダメなのか」と、くだらない嫉妬心を燃やしている場合ではない。
自分はそこそこ良いものを描いてるはずなのに、伸びない、いいねRTがもらえない。
そう感じて苦しんでいる弱小絵師の方に、この記事が届けばいいと思う。
私は以前、自分の画力について、コンプレックスとねじ曲がったプライドに苦しめられていた。
原因ははっきりしていて、小学生のころからの幼馴染が、神絵師だったからだ。
私もそれなりに上手い方ではあったけど、幼馴染は小学生のころからプロレベルに上手かった。
よくある地獄だよね。
誤魔化しようがないくらいとびぬけた画力を持つ彼女も、計り知れない孤独を抱えていただろうな、と思う。
当時は今みたいにネットが普及していなかったし。
私は彼女の孤独を理解し、画力は尊敬しているけど対等な友達として接するように心がけたし
彼女も画力の面ではどうあがいても格下の私を、決してバカにしたりせず、対等に扱ってくれた。
一目でレベルの差が浮き彫りになるもん。
当時小中学生だった私はお絵かきに夢中で、気持ちの比重を多く割いていたから
心の底で煮えたぎる嫉妬心を彼女にぶつけないように、自分を律するのは本当に辛かった。
もはやお絵かきが好きなのか、自分でも分からなくなるくらい、生まれ持った才能の差を恨んだ。
とまぁ、そんな土壌の上に形成された私のお絵かきへの想いはそりゃもう屈折していた。
高校、大学生へ進むにつれ、私の中でお絵かき以外のものの価値が上がり、
多少コンプレックスも解消されたように感じられたが、ねじ曲がった自尊心の根本的な解決にはならなかった。
社会人になり、お絵かきへの気持ちの比重がより薄くなったころ、ふとしたきっかけで有償依頼を受けることになった。
私はお絵かきが好きだけど、極端にハマりにくいため、コンスタントにジャンル難民になっていて
とにかくお絵かきがしたくて匿名掲示板に出ていた募集に応募した。
絵師なら誰しも、興味ないのにがんばって自分の絵を褒めてくれる友達に申し訳なく感じたことがあるひと、いると思う。
でも、有償依頼は向こうはお金を払う側だから、気を遣って褒めてくれることって(ほぼ)ない。
次回、また依頼が来たなら、それは間違いなく良かったと思われている証拠だ。
(後、自分で本を出すほど時間も気力も取れないが、絵一枚で本作りに参加させて頂けるので
さらに、企業案件を受けるようになり、より自尊心を満たされるようになった。
なぜなら、企業案件は自分の画力がどの程度なのか正確に判断できるからだ。
自分の画力で楽勝な案件だったら、担当さんめちゃありがたがってくれるし、次の依頼が来る。
自分の画力で及ばないレベルの案件も、担当さんの反応で分かるし、次の依頼が来ない。
旬ジャンルか、人気カプか。
ねぇよそんなん!!!こちとら猛烈にハマりにくい上に、地方住まいの子育て世代じゃいっ!!!!
もちろん、運の要素は多少はあるけど、それでもSNSで専業神絵師と同じ土俵に立つよりはマシ!!!
かくして私は自分の承認欲求を有償依頼で満たすことに成功した。
いいねRT乞食になることなく、趣味アカで悠々自適なかんこなオタクライフを過ごせるようになった。
もちろん、性根はそう易々と変われないので、忘れていたコンプレックスを刺激されることはあるけれど。
それでも十分救われた。
後、先にも述べたように、子育て世代なのでこのご時世、在宅で普通にパート行くよりは稼げるから、現実問題助かっているっていうのもある。
ちなみに、幼馴染の神絵師はシンプルの性格が良い上にトークも面白くて最高の人間だったので、友達を止めるという発想にはならなかった。
腹の底に沈むドロドロした感情は、堪えても堪えても、きっと漏れ出ていてしまっただろうから
多分、何度も彼女を不快にさせてしまうことはあっただろうけど。
彼女は出来た人間なので、それを指摘することはなく、今でもそっとしておいてくれてる。
私たちは今、お互いに子育てしつつ、彼女はお絵かきを本職にはしなかったけど、副業でたまに絵を描いている。
未熟な私の数々の失態を見逃し、今でも独りよがりになりがちな萌え話に付き合ってくれる彼女には心から感謝している。
ということで、自分はそこそこ良いものを描いてるはずなのに、伸びない、いいねRTがもらえない絵師さん。
そこそこの画力があるのなら、数打てば必ずどこかが拾い上げてくれるよ。
偶然見つけて読んで物凄く心に刺さったからもう一度読みたい。
でも記憶を頼りにググっても全然違うエントリーしか出てこなくてお手上げ状態。
こんな内容だった。
生まれてこのかたモテたことがない彼女いない歴=年齢の童貞増田は塾講師として働いている。
教え子の中学生たちからの「先生、彼女いるの~?w」みたいな問いかけには「こら、今授業やってんだからw」とかはぐらかして童貞バレを回避する、女っ気のない日々を過ごしている。同僚に女性は何人かいるが恋仲に発展するような気配すらない。
そんな増田が教えるクラスには一人、とんでもないイケメンがいる。
そのまま俳優になれるようなレベルのイケメンで、でも子供のあどけなさが存分に残っており、彼は顔だけではなく無邪気でひょうきんな性格でも人気者だった。
そんな教え子を見るたび増田は「(こいつは俺が一生かかっても味わえないような異性からの羨望や愛情を一日、いや数十分で浴びてるんだろうなあ……)」、狂おしいほどの嫉妬心に苛まれていた。
そんなある日のこと、増田が授業を終え自席で雑務に追われていると、イケメン教え子がやってきた。
「先生、疲れてるでしょ~、俺が肩揉んであげるね!」
増田の同僚女性講師に背後から声をかけるや、返事も聞かぬまま両肩に手を伸ばしそのままグニグニと揉み始めたのだ。
なぜなら、その同僚女性は周囲に対して常にバリアを張っており、笑顔など一度も見せたことのない鉄面皮、顔立ちは整ってこそいるもそれを打ち消すほどシビアなオーラをまとっている。
そんな彼女の肩を軽薄なノリでいきなり揉みだすなんて……たとえ子供であってもどうなるかわからない、そう冷や冷やしながら二人の様子に増田の目は釘付けになっていた。
その鉄面皮の同僚女性はニヤぁ~っととろけたメス顔になり、肩を揉まれ続けていたのだ。
今まで見せたことのない表情。
もし仮に、イケメンの教え子が耳元で「ねえ先生、終わったらこのままホテル行こうよ♪」などと信じられない誘いを繰り出したとしても、間違いなく彼女は恍惚の表情で頷くに違いない。
そんな予想が駆け巡るほどのメスの顔だった。
こんな感じの内容のエントリー。
どうか探し当てて欲しい。
今夜のオカズにしたいんだ。