2020-06-05

小児性愛も、動物性愛も、死体性愛も、誰にも迷惑をかけない限り普通の人と変わらない。LGBT排除してきた歴史を繰り返してはいけない」という言明は時に必要だろう。人間歴史から学ぶことができるのだから、何も0から理論組み立て始める必要はなく、類似した歴史に習うのは人間として当たり前の営みだ。そこにLGBTを持ち出したからと言って、決してLGBT差別にはならない。

しかし「LGBTなんて、小児性愛とか、動物性愛とか、死体性愛と変わらないだろう」という言明は、ただのLGBT差別しかない。これを否定することは、決して小児性愛や、動物性愛や、死体性愛差別することにはならない。形式的論理構造が同じでも、「それによって言いたいこと」がまるで違う。そこに載せようとしている社会文脈がまるで違う。

一部の人々の間で、小児性愛動物性愛、死体性愛をまとめて「PZN」と呼ぶことが流行っているらしいが、それは全く推奨できない。「PZNだってLGBTと同じだ」という言明は、一見すると前者のようにも見えるが、これははっきりと後者からだ。なぜなら、「LGBTPZN」という言葉のものが、LGBT排除のための長い歴史の中で生み出された「人工的な差別用語」だからだ。これの恐ろしいところは、「元からあった言葉が、差別的に使われ始めた」用語ではないという点にある。この言葉は「LGBT排除する」というただ一点に特化した言葉であり、100%差別意識の塊だ。このような文脈を持つ言葉擁護することはできないし、知らなかったでは済まされない。

LGBTPZN」という言葉肯定的に使われる場面があるとすれば、それはLGBT側の当事者によって積極的に使われる時以外にないだろう。LGBT立場から、「LGBTなんてPZNと同じだって?いいじゃないか!PZNだって俺たちの仲間だよ」のように言明して見せるのは、時に政治的有効なこともあるだろう。そのような場面が、将来的にないとは言わないが、今のところ私は観測したことがない。それを以って被差別立場であるLGBTを責めることもできないだろう。

マイノリティ権利を主張する時に、戦うべき相手マジョリティだ。別のマイノリティではない。むしろマイノリティマイノリティ同士団結しなければ、マジョリティには勝てない。マイノリティ同士で喧嘩したり、「あいつらはいいのに俺らはダメなのか」と、くだらない嫉妬心を燃やしている場合ではない。

  • イギリスのある小学校では、イスラム系の子の保護者が反LGBT運動に取り組んでいるという。 マジョリティこそが本当の戦うべき相手であって、マイノリティ同士は団結すべきなのに悲し...

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