はてなキーワード: 同棲とは
母はとても努力家で、田舎の農家の三女として生まれてから今日に至るまでずっと向上心を持って行動してきた。
大学に行けないなりに専門学校で国家資格を取って、東大卒の父との結婚にこぎつけて、兄と私を育てて、専業主婦を経て復職しフルタイム正社員、定年後もまだ働いて…
料理上手で健康に気を使い、女性らしい趣味があり美人でもあり、還暦を過ぎてもまだ仕事のために勉強している。家族を大切にしているとも思う。今日は同棲を始めた部屋を見に来てくれた。手土産をいっぱい持って。「ランチは私にご馳走させて」と予め宣言して。
私は何不自由なく育ててもらい、大学を出て、同世代の平均年収も母の年収も超えた。受けさせてもらった教育のおかげだと思う。母の選んだ中高一貫の女子校と、実家を出たくて選んだ地方国立大学のおかげ。男女は平等だと考え家事も家計も分担できるパートナーがいる。
大人になって満ち足りて、母に会いたくなくなった。
それはたとえば、彼がご飯を作ってくれた話をしたら「なんて良い人なの!」と感激するところ、兄がわりと凝った料理をすると会うたびに話すところ、でも私の料理については「実家にいた頃は全然しなかったよね」と言うところ。
兄は今も実家にいて、母と当番制で料理を、月に4回ほどするらしい。ふたりともフルタイムで働いていて、月に4回。他の日は母。最近は母の教育の結果、洗い物もするようになったらしい。
ぜんぜん平等じゃない、と思った。でもまぁいい。
やっぱりよくない。
私は兄より稼いでいて、毎日のように料理をしていて、ひとり立ちしていて、と思ってしまう。兄こそ不幸だとも思う。なぜ兄については良いところに注目して、私については過去の不出来に言及するんだろう。
子供の頃、BMI21くらいだった頃は「お母さんが若い頃はもうちょっと痩せてた」「痩せたらもう少し可愛くなるかな」でも「もっと食べなさい」と言われていた。
今はBMI18くらいで、母曰く「この子みたいに痩せている体型を私は良しとしていない」らしい。18.5(標準体重の下限)を目指して4kg増量したのに、ジムに通い始めて健康に気をつかっていると話しているのに、良い方に向けて変わっている途中でも「理想に比べてよくない」という言い方をされる。歯列矯正は「ちょっとはマシになった?まだちょっと出っ歯かな」。
親戚の集まりで叔父にお酒を注いだら、「滅多にしないんで」と母が横から口を出す。確かにそうだけど、兄はなにもせずテレビを見ていて、私はさっきからキッチンとリビングを行ったりきたり。
心底うんざりして、私は実家も親戚の集まりも好きではないし、子供もほしくない。「お母さん専業主婦のときは社会に認められてないって感じてた」と繰り返し繰り返し聞かされたし。
専業主婦になるのは社会に認められない(と母から思われる)行いで、家事はして当然、仕事もして当然、立ち働いて酌をして当然で、当然のことをしても褒められず「滅多にしない」と言われ、できていなかった過去についていつまでも指摘され、やってられるか、と思う。
ただ、母は全てをした。
全てをして、今も努力していて、きっとここに書いたことを伝えたら謝ってくれる。落ち込んで反省して、それでも今まで同様に私を愛し続けてくれる。だから母を、単に毒親だとは言えない。男尊女卑の根付く田舎で生まれて、生まれる前から女だと言う理由でがっかりされ、それでも努力してきた人で、環境やその価値観は選べなかった。だからこそ私には教育を受けさせてくれて、男女は平等なのだ、人生は自由なのだと学校を通じて教えてくれた。母も男女は平等だと、意見としては言う。価値観として身に染み付いてはいなくても、それは母の責任ではない。生まれた環境がそうで、思春期をそこで過ごすしかなく、母は最善を尽くした。
感謝している。でも疲れる。距離を置きたいけれど、母は会おうとしてくれる。娘との関係を良好に保つことも、母の努力の対象になる。
そいつは陽キャで俺は陰キャだったが、席が近くなったことがきっかけで絡まれるようになり、部活のないテスト期間の放課後によくそいつと同じクラスの奴らと数人でカラオケに行ったり飯を食いに行ったり服を買いに行っていた。ファッションや遊びのことなどそいつから学んだことは多いが、俺はなんとなく苦手意識があった。プライドを持って入学した高校だったが成績では上位層に敵わず、恋愛にも縁がなかった(今でもだが)ため、彼女持ちで誰とでも仲良くなれる陽キャのそいつに劣等感を持っていた。
大学受験は頑張ったものの地元駅弁とMARCHにしか受からなかった。そいつは成績下位層だったが、国立教育学部、国立医学部、国立工学部を狂信的に崇拝する教員たちを無視し2年の終わりには3科目にとっとと絞って早慶に進んだ。
そいつとは大学時代はたまに複数人で会うくらいの関わりしかなかった。ゼミやサークルで少しだけ話した可愛い女の子に勝手に舞い上がり、デートや付き合った妄想などをしては飲み会にて友達経由でその子の色恋沙汰などを聞き勝手に撃沈するということを繰り返していた俺にとって、早慶看板学部の記載があるプロフと可愛い女の子が何人も登場するそいつのTwitterは劣等感を強く刺激した。
そんな俺も中堅企業の総合職に内定を貰い、大学を卒業して社会人として働き出した。就職して数ヶ月後の頃に高校の集まりでそいつと会った際、「遊び過ぎが祟って留年したわ」と聞いた。
新たな人との出会い、安定した収入、行動力の広がりなどによって自己肯定感の高まっていた俺は「マジかよwwさすがだわww」などと言っていたが、内心では「こいつに勝ったわ」と思い見下していた。
それからしばらくは連絡を取っていなかった。2年後に共通の友人からそいつがそれからさらにもう一年留年し就職先がないまま卒業した、という話を聞いた。仕事にどんどん慣れ、車も買い、両親を母親が行きたがっていた旅行先に連れて行ったばかりでもあった俺はそりゃもう優越感に浸った。「結局お調子者は失敗する。最後に勝つのは真面目なやつだ」という内容のエントリを増田にあげた。
それからさらに数年経ち、部署異動による激務で俺は体調を崩した。仕事にやりがいが感じられなくなり辛くなった。同期や友人がどんどん結婚したり結婚前提で同棲し始めたのに、自分は彼女いない歴=年齢。さらにちょくちょくご飯に行ったり2人で遊びに行き「イケる」と思っていた同期の女の子から「彼氏が出来た」という話も聞かされ自尊心が砕けた。環境を変えようと転職を決意して調べたりエージェントを頼ったが、安定に胡座をかいて自己研鑽や資格取得を怠ったことや日系企業の総合職ゆえ専門性の面で難があり、どう転職しても年収や待遇は下がるということを知っただけだった。
仕事の疲労と人生の虚しさで不眠になり辛い夜を過ごした。そんな時久しぶりにTwitterを徘徊していると、数年前から全く稼働しておらず同級生の中で行方不明説まで出ていたそいつのツイートが表示された。公認会計士や公務員試験などで有名な大手資格予備校のツイートをリツイートしたもので、そいつの公認会計士試験の合格体験記が載せられていた。リンク先を開いて詳しく見た所、フリーターだったが将来に不安を感じて予備校の講座を受講し始めたらしい。その時既に俺たちは20代終盤だったが、大手監査法人への就職も決めていた。年収を調べると一年目の年収で既に俺のその時の年収より若干低いくらいの差しかなかった。
ツイートを遡ると合格報告のツイートもあり、高校の同級生も何人か「おめでとう」と返信していた。俺もおめでとうと送ろうと思ったが、指が動かなかった。「おめでとう」なんて思えなかった。お調子者で陽キャで要領もよく、可愛い歴代彼女が何人もおり、早慶を卒業しているそいつが公認会計士に合格し監査法人への就職を決めていることなど知りたくなかった。人生転落していて欲しかった。仕事や生活で辛いことがあり劣等感を感じた時に、そいつが実家で引きこもって親に養ってもらっているらしい、なんて話を共通の友人から聞いて慰めにしたかった。優越感を持っていたかった。
30代になりしばらく経った今、既に俺の年収は抜かされているだろう。SNSは見ていないが、おそらくそいつには可愛い彼女がいるんだろう。俺には何もない。資格も仕事へのやりがいも彼女も。俺はなんて醜く惨めでどうしようもない人間なんだ。
簡単に言うと同棲開始時期を巡って揉めてるんだけど、こっちから妥協案を出した途端に何か全てどうでもよくなってしまった感ある。
3年も付き合って、どうせ将来的には一緒に住むしって元々住んでた所の更新を機にちょっと広めの部屋に引っ越して私が先に1人で住み始めて、さてやーっと一緒に住めるぞって段階だったのに。
元々この日からね!って決めてた日に彼が具合悪くなって、
じゃあ仕方ないね元気になったらまたいつにするか話そうねって言ってて、けど仕事には行けてる様子なのに全然何も言ってこないからこっちから聞いたらまだ本調子じゃないしもしかしたら長期の出張入るかもしれないからそれ終わってからにしたい。申し訳ないと思ってはいるって言われて。
大した荷物じゃない(って自分で言ってた)なら本調子じゃなくても仕事行けるくらいに動けるなら引っ越し作業できるだろとか、
バタバタするしってそんなん出張前でも後でも一緒だから出張前でいいだろとか、
お前実家から出たくないだけだろ何ならまだ家出る話ママにしてないんじゃねーのかとか色々思ったんだけど何かもうどうでもよくなっちゃって、
別にもういつでもいいですけど長期出張があって入居は遅れようとも家賃とか食費とかで貰う予定だったお金は日割りしませんからね(完全折半の予定でした)って伝えて、いま向こうからいつにしますの連絡を待ってる段階なんだけどもう本当にどうでもよくなっちゃった。
こうなる前は朝起きたらおはようのLINEして昨晩最後に来てた内容への返信したりしてたんだけど何かどうでもよくなって放置しちゃったし、
まだ体調良くないらしいから一応様子とか聞いた時に心配かけてごめんなさいって言われたんだけど、別に心配してなかったから返事に悩みに悩んで「(別に心配してないんで)大丈夫です」としか返せなかったりで、あんなに好きだったのに今は本気でどうでもいい存在になっている。
もういい歳だからまた婚活とかめんどいんだけど、この人じゃなきゃってまた思えるようになるんだろうか。
もう何もわかんねぇや。
彼女と別れた。
彼女とは知り合って2年、付き合って1年半、お互いに4月から社会人2年目。
来年からは同棲の話もしてたんだけど、ひとりになりたいって言われてフラれた。
最近は冷たいことも言われていたから、どうするか悩んでいたんだけど、悩んだ結果も「自分は好き」だったから、この気持ちをどこに向けていけばいいだろう。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/23980904/
この35歳男性の言っている事は概ねもっともだと思うが (この人は彼女と同棲中らしいので、いわゆる『弱者男性』の負け惜しみではない)
子供が「嗜好品」「贅沢品」だと言う事の一体何処が刺激的な表現なのか、全く理解出来ない…単なるよくある比喩表現じゃん
池畑さんは、あえて刺激的な言葉で現状を嘆く。
「僕的には子供は“嗜好品”だと思ってます。“贅沢品”だと思ってます。物に例えるのもあれですけど。余裕がある人が良い車に乗ったりとか、良い家に住んでるとか、そういうものの一つに『なっちゃったな』と思います。子供を作るっていうことは」
「そういう意味で戦意喪失させられちゃってるというか。『もうしょうがないか』みたいな。悪い意味で悟っちゃってますね、“さとり世代”」
「僕はもう手遅れだと思う。正直。一人一人の幸福度だったりとかっていうところをもっと考えてやるのが、一番僕は遠回りのようで(少子化対策の)一番近道なんじゃないかな」
自力でスケジュール管理したりキチンとするの苦手に見える。やりたい事に能力やキャパが追いついてないって本人も薄々気づいてる。だから配信者を続けると言いつつ行動になかなか移さないんだよ。だけどそれを認めるのも嫌だから延期の告知する前にはメンタル落ちるんだろう。
増田がマネージャーになって告知やらスケジュール管理して、本人は配信だけするようにしたら?
復帰する時に増田とコラボ配信はムリだろう。リスナー仲間がどうこうじゃなくて、ただのリスナーだった増田が配信側に回ってもうまく行くか?
どうしても洗いざらいしたいなら、「有名リスナーだった増田くんと同棲してます」はバラして、増田は表に出ない方がいいんじゃないの。
カタチが整って本人納得というか諦めがつきやすいのは、結婚して子供作って忙しくなって関心が配信から離れて、最後にご報告&卒業配信して終わるパターンだけど、人生設計に関わることだから安易におすすめはできない。
シン仮面ライダーを観た。これは俺の世界なんだが、俺の彼女はスーパーヒロイン。同棲していた彼女とは結婚も考えられた。でも彼女の気持ちに変化はなかった。それと、ヒロインと大恋愛みたいにラブラブだったのに、どちらかが「世界で彼女だけが、好きだった」と言いだしたときは「えっ、誰が...まぁまぁ、そういう流れだよねー」という気持ちになった。映画のシーンだけ見てもそうだけど、俺にはその映画にストーリーが含まれているように感じられない。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。
直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。
メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。
押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツでベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。
紙ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。
あまりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。
雪ベランダ鼻血事件は雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。
大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。
ただ、普通のベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちでベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。
その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。
どうにも家賃と光熱費をおっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家と保証会社と不動産が頻繁に家に来るようになった。
私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。
これぐらいの頃から母親はおっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。
私はと言えば学校で毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。
なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。
顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社の人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。
引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。
バイトの面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、
ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニやファミレス、ドンキで何千円も買い物したりした。
ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。
でももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親の責任で家賃を滞納する。
お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。
こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!
母子家庭に数か月に一度振り込まれる給付金のようなものがあり、
中学校の制服はそれで買う予定だったのだが保証会社が区役所に電話して「住んでいるか・生きているかわからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校の制服を手に入れることはなかった。
結局制服はレンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。
住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気を拝借したり食べ物を盗んでいた。
あまりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通に全然マジで到底許される行為ではない。
そうこうしているうちになんだかんだで生活保護を受給することになる。
元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速で受給が決定。
更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。
母親が一週間全く眠らないままインターネットでナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。
また、浪費癖は別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通にゴリゴリに困窮していた。
なんなら母親は喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、
さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。
その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。
全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。
制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。
ただ母親は不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。
twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言で愚痴ったらバレて携帯を折られた。
彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。
深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親が逮捕されたとのことだった。
まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。
やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプで覚せい剤を吸うために家から追い出したかったからだった。
しかもきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。
「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんのかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。
私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。
でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性に性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。
裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのでおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。
この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。
彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。
マジでいいご両親だった。
2か月半ほど留置された母親は懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。
初犯は大体この感じで出てくるらしい。
あの日々の暴言と暴力が覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。
たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比)覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。
一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。
1つもらった内定は面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業。
彼氏の母親は熱心な宗教2世で学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。
それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。
1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分)奨学金も借りて専門学校へ進学。
生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金に自由ができて楽しかった。
が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間のインターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注の仕事(報酬はゴミ)はいくつかもらえた。
ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。
生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、
バイトは継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。
私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベルの暴言を毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。
ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さんに内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)
一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)
2つ3つほど年下だったので、相手の就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。
相手が就職したタイミングで転職しやすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。
なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。
めっちゃ嬉しかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。
で、最終的に4日でやめた。
実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。
内定承諾書の保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。
伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことなど保証はできない」とのことだった。
会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。
就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護費からのローン返済で生活はカツカツになった。
ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。
あとこの時のインターネット産彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。
数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。
元々私はインターネットで創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。
けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。
申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。
ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。
でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。
いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。
たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。
何かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。
そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。
いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。
就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。
どうしたらいいんだろうなこれ。
親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。
別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。
アングラ部分についての批判がもっと出るかと思っていたので少し安心しました。
他所の機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります。
また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げていますが私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます。
現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。
仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html
欧米の少子化対策は、(1)一人暮らしが多く、結婚・同棲に経済的メリットがある(2)女性は差別されず、仕事で自己実現を求める(3)恋愛が盛んである(4)子育ては成人まで――の4点を前提としている。そのため、子どもを育てながら働き続ける条件を整えればよく、収入が不安定な男性でも結婚できる。
一方、日本では親と同居の独身者が多く、特に地方で女性差別的な慣習が残る。また、恋愛感情は重視されず、将来にわたり親に子育ての責任がかかる。このため、欧米のような両立支援だけでは効果的な少子化対策にならない。
若年男性の経済格差が拡大し、女性が十分な収入を得ることや働き続けることが難しいなか、「男性が家計を支える」という意識が続けば結婚は増えない。今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。
欧米流の少子化対策が有効でなかったのは、日本に合っていなかったのだというのが山田の見立て。
経団連なのでお前ら経営者しっかり環境整えろや、と言うことで結論づけているが、著書の方では、日本の欧米化を前提にエリート共が意識改革を待っていたから手遅れになったんであって、日本にあった方法をやれと、おれは、ずっと、言ってきただろう!??(意訳) みたいな話になってる。
こういうのは「詭弁」と呼ばれる。
複合した問題を適当に混ぜてグチャグチャにしてるので、まともな人間は返事をしない。個別に整理してひとつひとつ話すようにしよう。
・キャリアウーマンになりたい女がキャリアウーマンになれてない
これ全部別レイヤーの話なんだけどわかるかな?
全部が混ざってると、おかしな話をすることになる。この議題では、議題そのものはもはや問題ではなく、話し手の能力が低いという問題によって議題が成り立たなくなる。匿名インターネット、こういうやつ多すぎ。IQ低いやつの溜まり場なんだから仕方ないんだろうけど
・キャリアウーマンになりたい女がキャリアウーマンになれてない
→就業や評価が、女性に育児負担が偏るために構造的・恣意的に過小評価される問題を解決せよ、という法制度の実効性を求める要求。もしくは人事・管理職の意識改革、それを求める民主的活動の煽動である
→男性の給料が相対的に下がる懸念があるから?しかし現在でも女性を養えるほどの高給の男性は限られており、多くの女性が専業主婦になれるわけではないこととフェミニズムには関連がない。
そもそも現在にしろいつにしろ、男女が同棲して女性が仕事を辞めて男性のお金で生活しながら家事をする事を2人の人間が決めるかどうかの話である
→国民の権利を主張をしてるのであって、自分の権利ではない。あとそもそも主権者。主人であり人事であり最高権力者であり国で1番偉い人、例えるなら社長、雇い主なのだから、部下や雇われた人間に指示を出すのは当たり前
→「キャリアウーマンになりたい女がキャリアウーマンになれてない」主張は個人の人生に干渉するものではない。専業主婦になりたい女がなれなくなる制度ではないが、ただ女性搾取に加担しない配慮を求めてるだけに思われる
勘違いされがちだけど「女性らしさ」「男性らしさ」は否定されてないよ。
男尊女卑とか男女で不平等な扱いを減らしていこうっていうだけ。
女性だけが生き苦しいような性差別的状況を無くしていこうな、って流れがある。
だけど「女性らしさ」「男性らしさ」ってやっぱり存在してるし、それを壊そうともしてない。
例えば女子トイレに入る人は、性犯罪者と見間違われないように「女性らしい」体型であるべき、って考え方が割りと散見される。
いちいち性器の有無や戸籍で確認するのが現実的でない代わりに、パッと見で判る「らしさ」は実際的だから運用上も理にかなっている。
最近では同棲してるカップルの家事の分担は、女性に任せるんじゃなく男性がどんどんやっていこう、って風潮が主流だ。これは別に男性らしさが消えたんじゃなく「仕事で家庭を支えるだけじゃなく家事もすべてこなす」のが新時代の男性らしさになったのだ。その証拠に家事ができない or 家事しかできない男性はモテない。
・SNSはFacebookしかやったことがない(しかもROM専)という化石ぶり
…だったはずが、昨日姉の家に行ったら同じキャラクターのフィギュアが鬼のように並んでて唖然とした
壁一面にそのキャラのポスターが貼ってあるし、テレビ台はキャラぬいであふれんばかりになっていた
本棚には原因の漫画が、いやまあ言ってしまうとワンピースなんだけど、100巻を越える原作単行本とおそらく現行のものと思われるジャンプが数冊収まってるのね
気が動転して「彼氏でもできた?ハハ、じゃあおれ帰った方がいいかな…」って言ったら、「ううん、別れた!」ってめちゃくちゃ晴れやかな笑顔で言われた。キャラ解釈で喧嘩したんだって。
なんか、今まで色々押し込めてたものが一気に爆発した感じで、本人はかなり楽しそうだからできればあたたかく見守りたい
見守りたいんだけど、名増田の諸君らなら察せられる通り、大人になってからオタクこじらせていい結果になることなんて滅多にない
最悪なことに強めの夢属性を備えていて、例のキャラとの同棲生活を想定した模様替えまでして(彼氏と別れた後にダブルベッドを購入するという恐ろしさ)いるあたりめちゃくちゃ怖い。怖すぎる
三次元に生きるクソダサ弟がしてやれることは何もないのですごすご帰ってきたものの、姉の未来が一気に心配になってしまった
【追記】
思いのほかたくさんの方々に姉のことを案じて頂きはてなも捨てたもんじゃねェなとほっこりしました。ありがとう。
言うほど自分もアニメや漫画界隈に詳しい訳じゃないので、仕事や周囲に影響が出るくらいのヤバさが見えないよう慎重に、かつ一定の距離は保って見守っていきたいと思います。
>wdnsdy ホストとか怪しい宗教とか怪しいセミナーなんかにハマるよりはマシじゃないかな。二次元キャラよりも生きた人間のほうがえげつない搾取を仕掛けてくるよ
た、確かに…相手が自分の意思で動くものじゃないことがむしろ救いかもしれない…
>localnavi 当時付き合っていた彼氏とONE PIECEの映画を見に行って、件のキャラに一目惚れしたとかが切っ掛けなのかな?
映画は見てなくて(原作原理主義者らしい)、元彼がもともとワンピース大好きだったのでお勧めされて読んだって言ってた。一度全巻読んだらそのキャラのことしか考えられなくなったと言ってたので、まあ一目惚れみたいなもんなのかも。
>yarukimedesu キャラ解釈で話せる恋人がいるってことが、そもそも恵まれた状況だったろうに。
元彼もかなり強火の同担だったらしく、キャラについて結構本気のバトルをしたらしい。まあ好きなもののことでぶつかるっていうのは往々にしてあるよねって…。今は良いオタク仲間になれたと言ってました。良かったです。
>nasumisox めっちゃ楽しそうでいいじゃん!!姉が幸せならそのまま暴走させて見ようぜ。1回突っ走るのも人生だよ。世間的な幸せの型にハメようとしても姉は窮屈なだけだよ。
そりゃそうだよなあ。いくら家族つったって幸せの形なんてそれぞれ違うし、あれこれ勝手に心配するのがお節介ってやつだよな。姉が幸せそうならいっか。
>catsnail ジャンプ漫画だとソシャゲや2.5次元や三次アイドルに比べて全然金の使いどころが無くてグッズに行きやすいというのはあるかもしれない。つまり沼の中では相当マシな部類ということ。優しく見守ってあげてください。
ソシャゲガチャとかアイドルのCD積むとかじゃない分マシかも…と思ったけどワンピースってマジでグッズが鬼のようにあるんだよね。びっくりしたよ。フィギュアだけで何種類あんねんコレって。幸いなことに姉はクソ真面目社畜だから貯蓄もちゃんとしてておれより年収あるので金の心配はない。い、今のところは。
>daydollarbotch 推しはローかな?(ROOMだけに)
学生のころ住んでいたアパートで上の部屋に女子が住んでいて、彼氏連れ込んでやってたのを思い出した。
最初のころは何が起きたのかわからなくて、地震が起きたのかとかなりビビっていた。
地震が起きれば簡単に倒壊して死ねそうなところに住んでたもので。
昼も夜もガガガガガガと揺れて、そのときにああああああああ!みたいな声も聞こえてきたから、すべてを察した。
安アパートだったから普通にみんな窓開けてたんだけど、窓開けている状態でも声が聞こえてきて、
そんな時に隣に住む大家の家で子どもの「いただきまーす」みたいな声が聞こえてきてたのがちょっとシュールだった。
多分、上の人は注意されたのか窓開けてはしなくなったっぽかった。