2017-04-11

浅田真央が嫌いだ。

浅田真央引退するらしい。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170411/k10010943961000.html

僕は以前から浅田真央が嫌いだったが、

こういう節目に際しての文章の中には思いがけない名文がしばしばあるし、浅田真央の事が観測範囲に入らなくなって暫く経つから

しかしたら、僕の知らないうちに彼女に何か変化があって、意外と名文に出会えるかもしれない、

そう思って、引退表明のブログ文を読んだ。

期待はずれだった。

そして予想どおりだった。

書かれていたのは空虚言葉だった。

書かなければいけないことを通りいっぺん書いただけ。

応援に対する感謝】【これまでの実績】【引退を考えるようになったきっかけ】【引退を決定づけた出来事】【これから展望

そこには「浅田真央でなければ書けないこと」が何もなかった。

定型文のようなどこかで聞いたような言葉ばかりである

誰かに何かを伝えたいという情熱がなかった。表現がなかった。


そして、それは彼女の"演技"に常に感じていたことだった。


彼女の演技を初めて見たのはいつだったか

彼女の最盛期がいつなのかは分からないが、世間の流れに疎い僕でも彼女存在認識した訳だから

多分、選手としてはかなり能力の充実していた良い時期だっただろう。


当時、テレビで見る度に、なにやらレポーター解説者達が興奮して誉めそやし、確かにいい得点を出していた。

しかし、すごいはずの彼女の演技を見ても自分の中にはなにか漠然とした印象しか残らなかった。


技術的にはすごいんだろう」

自分はそう思った。

「一方で、芸術点はあまり高くつかないはずだ」

そうも思った。


しかし、現実には芸術点でも高い得点を出していた。それも結構安定して。

(多分そうだったと思う)


正直、自分感性おかしいのかもしれないと思ったし、今でも少しそう思う。


しかし、自分にとっては、例えば村主章枝安藤美姫高橋大輔の演技のような迫力・表現したいという欲望を感じなかった。

かと言って、例えばプルシェンコのような優美さも見受けられなかった。

ただ無機質な身体の動きがあるだけだった。少なくとも"表現"と言うにはあまりにも味わいがなかった。


身体を使ってする表現とはなにか。

それは"言葉にならない言葉"を全身から振り絞ることでないのか。

形にしきれない情念を見るものに対し訴えかけることではないのか。

あるいは、興奮や緊張、その上にの存在する楽しさなど、自らの心向きを寡黙な雄弁さで伝えることではないのか。


僕の言っていることがピンとこないなら、例えばバレエを見てほしい。

若手の登竜門であるローザンヌコンクール、中でもコンテンポラリーおすすめである

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8C+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC


ともあれ、彼女は確かにアスリートなのかも知れないが、芸術家ではなかった。

表現したいものがなかった。

初めのころはお子様だから仕方がないと思っていたが、いつまで経ってもそうだった。

ただ技術を高めたいというスポーツマンとしては立派な動機があるばかりで、

表現をしない自分勝手さを本当に見苦しく感じたし、

僕はそんな浅田真央が嫌いだった。

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