2008-10-03

レースの下着はなぜあんなに女性を美しくするのか

突然ですが

女性の下着はレースに限ります。

純白で手織りなら完璧です。

レースの下着は女性の体が持つ曲線の美しさを強調しつつ、

メスとしての艶かしさを清廉さで覆い、

女性をひとつの芸術作品に仕立て上げます。

それは、人類が成し遂げた「デザインによる自然の超越」のひとつと言えるでしょう。

中世ヨーロッパではレースは「糸の宝石」と呼ばれるほど珍重され、貴族がこぞって買い求めました。

レースはなぜこれほどまでに美しいのか。そして、どうやって広まったのか。

そこには、ひとつの物語があります。

レース伯爵物語

まだフランス群雄割拠の時代に、

レース伯爵は生まれました。

レース伯爵家系は代々続く貴族家系で、

イタリア貴族である母の家系には代々続く伝統的な織り技法が伝わっておりました。

レース伯爵は、群雄割拠貴族貴族を襲い、多くの家が絶える時代に

優秀な領主である父と、美しく優しい母に守られて、

織物の伝統技法を教えられながら激動の時代を生きました。

しかし、その時代も長くは続かず、

フランス王家ルイ14世フランス領土拡大に動き出すと

領主の父はルイ14世と戦わなければならない事態になりました。

レース伯爵の父は元々王家に忠誠を誓っていましたが、

強権的で重税を強いるルイ14世の統治は領民の利益に反すると判断し、

またイタリアの妻の家系との関係を重視して、

圧倒的な武力を誇るルイ14世と戦う決意をしたのです。

歴史が示すとおり、戦争ルイ14世の勝利に終わり、

レース伯爵の父は善戦虚しく討ち死に、

母と家来は捕えられて処刑されてしまいました。

ただ、まだ年端のいかなかったレース伯爵だけが処刑を免れ、

陸の孤島のような小さな砦に監視付きで閉じ込められることとなりました。

レース伯爵はただ過ぎていく日々のなかで

母から伝えられた織物をひたすら織り続けていきました。

それは彼にとって、頼れる父と優しい母に守られた暖かい日々を思い出すための作業だったのです。

10年が過ぎ20年が過ぎ、

ルイ14世の治世でフランスは栄え貴族の文化が花開いていきました。

陸の孤島にいるレース伯爵はそんな時代の動きとは関係なく、

ただひたすら伝統の織物を織り続けていました。

陸の孤島に取り残されてからさらに10年20年が過ぎていくうちに、

レース伯爵の織る織物は少しずつ、人々の心を動かしていきました。

まずは監視の兵士、

そして兵士の間で

そして、ついにはルイ14世の耳にもその評判が届くようになりました。

ルイ14世過去に葬った領主の息子のことなどはすっかり忘れていましたが、

その織物を一度見たいと、

レース伯爵を王宮に呼び寄せ、

織物を見ることにしました。

レース伯爵はすでに初老になっていましたが、

彼が織る織物はルイ14世の目を引き、心を奪いました。

そして、そのあまりの優美さにルイ14世は彼の釈放を決め、

王宮付きの衣装係として特別な待遇を与えました。

ルイ14世が認めたことで、レース伯爵の織物は彼の名前を冠して貴族中に広まり、

さらに伯爵は教えを請う人には惜しげもなく織り方を教えたため

彼の織物はフランスの宮廷衣装の彩を支えるものとなりました。

レース伯爵解放され、一躍貴族文化の中心人物となりましたが、

その後も妻を娶ることなく、

子を成すこともなく、

ただ日々を織物を織ることで過ごしていきました。

逞しい父と優しい母に囲まれて幸せだった、暖かい日々を思い続けながら。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん