はてなキーワード: ごにょごにょとは
基本的には良い人なのだが、話がつまらない(個人的意見ではなく、n=5ぐらいの主観。言いたいことラリータイプの女性や聞き上手さんとはある程度話が合う)
つまらないし高頻度高確率で場をしらけさせるのだけど、それはまあいいんだけど、
Aの話してて、B(Aの隣や次の意味)の話題に変わるぐらいなら良いのだけど、突然Dとかエーの『エ』の話とかぶっこんでくる、それもまあいいんだけど
ネタというよりマウントのために誇張しすぎて(倍とか3倍ではなく100倍とかするからもはや虚言癖だと言ってる人も居る)、それもまあ略
極まれに、会話に混ざれなさすぎると、0からエピソードを生み出す。流石にそれは嘘だからダメだと思う
こないだも、より良きオナニーの話をしてて、VRエアドールの空気入れの話になった時に、電動ポンプか手動ポンプか、自転車用の携帯のやつは効率悪いとか言う話題で盛り上がってた時に、肺活量自慢なのか(昔水泳やってたらしい)口で膨らませてるとか言ってきて、
色々怪しかったので詰めたら、どんなタイプのエアドールさん使ってるかとか聞いてもごにょごにょいうか、的外れな回答しかできずに、
結局、VRはスマホで動画を何回か見たことがあるだけ、エアドール所持歴も無さそうということが発覚した
本人いない時に、エアプはなぁって話になって、我々の行いもある意味エアプだけどなって言うオチが浮かんでどうしても消化したかったから、
まず、
どのネットコミュニティにもこの人みたいなこと言う人はいます。
私は匿名掲示板利用が多かったのでこのタイプの人を大量に見てきました。
わりとどこにでもいます。
みんながめいめい『〇〇』の感想を言い合ってやりとりしてる中で
自分は居づらい・語りにくい」
的なことを言い出す。
それもこんな整理した言い方のクレームじゃなくて、
だけどまあまあ強い非難の口調でその場所への不満を表明しだすわけです。
気付いて見慣れてくるといろんな場所で
そういう時に私は
「じゃあなたのしたい話題をふってみ、ちゃんと乗るよ」と言うんですが
そこで「ほんと?!ありがとう!じゃあさあ…」って息せき切って語りだした人はこれまでゼロです。
誇張抜きに本当にゼロ。
反応はむしろ逆で、喜ぶどころか
「所詮こんなところでは語れないから~」的なことをごにょごにょって言って
逃げ去るように居なくなっちゃうんです。
「好きな話題語っていいよ」「聞くよ」「合わせるよ」と言うと困った感じになって去ってしまう。
これも誇張抜きでゼロ。
じゃあ何を書き込んでるのかというと、
人の書き込みにぼんやりしたケチを付けたり居づらさ表明をしたりだけ。
そりゃあこれだと輪に入れないでしょう、となります。
そもそもきょうび「どこにも居場所がない」はおかしいんですよ。
同じぐらい古いふたばや5chですら無数に板もスレッドもあるし、
ジェンダーの話もウヨサヨの話もしない場所くらいいくらでもあるんです。
メジャーなトレンドとは没交渉で交流したり喧嘩したりしてますよね。
(たとえば私の好きな在来馬乗馬界隈はおおむね仲良しで平和だけど
ウエイトトレーニング界隈はしょっちゅう界隈内で喧嘩してるし
若い女性向けインチキエクササイズ界隈に戦争を仕掛けてまでいる。)
最低限の主体性がある人なら
語りたいことがあれば勝手に語りだして語り続けることができるし
そんな2024年のインターネットで
「居場所が見つからない」ってなかなかあり得ないと思いません?
結構長いことこのタイプの人の主張や行動を観察してきた末の結論として
この人たちは語りたいこと・語れることなど何もないのだと思います。
この人たちがどこへ行っても疎外感を抱くのは
場の話題が合わないとか場の人達のマナーがよくないとかではなくて
じゃあそれはなんなのかというと
当人の読み書き・発達・認知あたりに軽度の難を疑っていいと思います。
というかたぶんオフライン生活でも何かしらの困難を持ってるのでは?と考えます。
idのあるところでこのタイプの不平を漏らしてる人の書き込み履歴が
必ずぼんやりした感じで自分の意見らしいものが皆無なのもそれで、
要するにほぼ思考がまとまらないし言葉にもならないっぽいんですよね。
コミュニケーション自体がうっすら難しく、文字コミュニケーションは更に苦手。
「どこへ行っても居場所がない」
「どこへ行っても場所が悪い」
「どこへ行っても自分に意地悪」
といった主観になって、
社会が悪い人が冷たいという感じのぼんやりした不平不満に回収されるから
「自分が原因かも」とは気づけなくなる。
(これは性格が良い悪いの話ではなく知的能力の話をしています。)
これとよく似た症状&不満を呈する人たちがいます。
高齢者です。
元々の知能が高かった人は末期まで活発に活動して認知能力も維持し、
元々の知能が高くなかった人はどんぼんぼんやりして認知症様の状態になります。
(アルツハイマーなどの病変は除く)
後者にすごく似てません?
真っ先に何らかの知的能力の不調や欠損を疑うのは合理的だと思います。
周りが何を言ってるかよくわからない、
軽度知的障碍者と高齢者は結局同じ問題を抱えて同じ困難にぶち当たってません?
彼等の最良のネット参加と言うのはおそらく
積極的に参加できずにボーっと読んでる(一部しか理解できない)
みたいな感じだろうと思います。
(スレッドの流れが自分の狭い好みにそぐわない話や理解が難しい話になると文句を言いに現れる)
差別主義者だとかバカにして笑ってるんだみたいなことを言われますが
そんなくだらないことするためにわざわざ長文書きません。
「自覚がないけどちょっと人より能力が落ちるから独特の困難にぶち当たってる人」
身バレするかな…😟
ちょっと前までLaravelで自分用の蔵書管理するアプリ書いてた
ブラウザ側のJavaScriptでバーコード読んで、サーバー側からAmazonごにょごにょして、中古の価格とか取得できるようにして、
片っ端から本を読み込んでみて、十数年前に1万円した技術書が今は数百円だよwみたいなの眺めてた
他には、全国の医療機関、歯科、薬局の情報が厚労省から手に入るので、それをDBに入れて、
Leafletで地図を表示して、ここの病院はちょっと怪しいことやってそうだなぁ、とか眺められるようにした
あと、複数の自動車のタコメーターとかGPSのトラッキングデータが入手できたので、それで各自動車の挙動を観察できるようにしたりもした
別にすべてLaravelである必要ないんだけど、あまり考えないで自分が書けるのがLaravelだから使ってる
他のPHPフレームワークはもう死んでると思うし…、CodeIgniterとかCakePHPとかFuelPHP?だったか、色々あったね…、色々仕事でもあったね…😥
思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。
そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。
大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。
(いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。
シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。
また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。
ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)
先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。
イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。
お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。
日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。
何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。
(お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです)
一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。
ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。
外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。
話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。
キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。
現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。
英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。
特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。
クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。
音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。
またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。
こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。
この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。
わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。
良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。
余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。
カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。
「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。
では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。
英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。
ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。
実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。
別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。
同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。
あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。
これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。
その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。
では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。
色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。
キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。
この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。
大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。
そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。
まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。
そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。
人生、旅じゃないですか。
ざっと調べただけだけど、なんか胡散臭いとか、やり方が下品だとか、気に食わないとか、そういうのはわかる。
でもそれってただの感情論だしなー。
一応、建前(?)としては、前市長が買収問題で辞職したというのもあるし、根回しとかせずすべてオープンな場で是々非々でやろうとしているっぽい。
もっと穏便なやり方があったんじゃないかとは思うけど、裏でごにょごにょしてみんな仲良くなやっていきますってのがいいことだととも思えない。
功績のほうは、赤字だった財政状況を改善したとか、小・中学校の給食費を無償化したとか、ちゃんとしたんだなとは思ってる。
やり口が気に食わないとか、振る舞いが好きじゃないってのはどうでもいいから、石丸伸二という人物が政治家としてどうなのか詳しい人教えてくれよ!
“当選するための選挙妨害なら健全・・・じゃないけど政治的な動機ならまだ分かるというものだし、それも民主主義のコストだと言えなくもないが、目立って集金したいだけの存在が妨害してんのは市民社会からの搾取だよな ”
“特定陣営との繋がりのない(少なくとも繋がりの立証されていない)聴衆のやじと、選挙に立候補してる他陣営による選挙妨害の区別がついてない人にも表現の自由がある。それが日本。”
“北海道警察の事案は応訴の仕方が悪かった感はあるんですよね。選挙妨害罪の実行行為を制止したという構成にしておらず、謎の法的根拠をごにょごにょ主張してたんじゃなかったっけ。”
この前行きつけのバーで知り合った10歳近く上の男性と2人で食事に行った。
お互い独身。
行きつけのバーで何回か会ってて、わたし的には好きと言う感情はまだないが2人でご飯を食べるのは別にいいかなくらい。
場所は近所の行きつけのビストロを指定されたのでそこに向かったら彼は先に一杯やってた。
2人きりで飲みにきたのは初めてで、若干オラついた話し方なのが気になった。
そして会計。
2人で13000円くらい。
そしたら彼が俺がカードで払うわ。と
まあそこでさらっとごちそうさま!と言えばそれで済んだことかもしれないけど
とりあえず聞くじゃないですか、わたしどうしましょうか?的なごにょごにょ。
うーん、PayPayとか?
と言われて、うん?となりつつ
QRを交換した。
そこまではまだいいとしてw
向こうが〇〇円でいいよとかそういう類のことも言ってくれなかったのでこっちからいくら払えばいいですか?とも聞けず
じゃ、じゃあ半分で6500円送ります…
6500円で!とか4000円でいいよ!とかはっきり言ってくれた方がまだ氷点下まで冷めなかったかも。3℃くらいにはなるが
てか先に一杯飲んでなかったか?笑
次の日
〇〇うまかったね〜次は〇〇行きたいね〜
と連絡来てびっくりした。
次があると思ってるのか笑
会話もそこまで面白くなかったし冷めているのでもう2人きりになりたくなかった笑
それから毎週、飲みに行かない?〇〇行かない?って連絡きてたけど理由つけて断った。
さっきも今週末あいてるか聞かれたけど断ったら素っ気ない返事が来たからさすがに諦めたと思う笑
行きつけのバーで会うかもしれないけど
この前行きつけのバーで知り合った10歳近く上の男性と2人で食事に行った。
お互い独身。
行きつけのバーで何回か会ってて、わたし的には好きと言う感情はまだないが2人でご飯を食べるのは別にいいかなくらい。
場所は近所の行きつけのビストロを指定されたのでそこに向かったら彼は先に一杯やってた。
2人きりで飲みにきたのは初めてで、若干オラついた話し方なのが気になった。
そして会計。
2人で13000円くらい。
そしたら彼が俺がカードで払うわ。と
まあそこでさらっとごちそうさま!と言えばそれで済んだことかもしれないけど
とりあえず聞くじゃないですか、わたしどうしましょうか?的なごにょごにょ。
うーん、PayPayとか?
と言われて、うん?となりつつ
QRを交換した。
そこまではまだいいとしてw
向こうが〇〇円でいいよとかそういう類のことも言ってくれなかったのでこっちからいくら払えばいいですか?とも聞けず
じゃ、じゃあ半分で6500円送ります…
6500円で!とか4000円でいいよ!とかはっきり言ってくれた方がまだ氷点下まで冷めなかったかも。3℃くらいにはなるが
てか先に一杯飲んでなかったか?笑
あとわたしが決めたこと=責任がわたしにあるようにされているのも激冷めポイントだった
俺は何も言ってないけど君が勝手に払ってきたんだよね?みたいな
次の日
〇〇うまかったね〜次は〇〇行きたいね〜
と連絡来てびっくりした。
次があると思ってるのか笑
会話もそこまで面白くなかったし冷めているのでもう2人きりになりたくなかった笑
それから毎週、飲みに行かない?〇〇行かない?って連絡きてたけど理由つけて断った。
さっきも今週末あいてるか聞かれたけど断ったら素っ気ない返事が来たからさすがに諦めたと思う笑
行きつけのバーで会うかもしれないけど
「何が入っているか答えてください」みたいな言い方すると疑ってるのか!ってクレームになるのか知らんけど
わざと言いよどんでこっちから答えさせるみたいなやり方すんのな
買ったワインを電車に置き忘れたのが見つかって連絡がきたんだけど
「ワインをお忘れということですが紙袋にワインが入っておりまして、ラベルの色がですね、なんといいますかこれは何色…そして文字が書いていてえーとこれはですねえ…」みたいにごにょごにょやってるから
察しの悪いワイははっきり喋れやって思いながらしばらく聞いてたけど、ようやくピンときて「〇〇って名前のワインだったと思います」って答えたら
「そうです!それではお引取りなんですが~」って話が進んだ
「この度は……」みたいにごにょごにょっと濁すのが悲しい場面の定石やで
中高生の頃、テレビ放送されているアニメ(しかし地方在住だったので本数は限られる)は全て見ていた。
だいたいの話にはついていける。声優の話もわかる。
しかし私には、友人たちとは決定的に違う部分がある。
好きなキャラクターはいるにはいる。だが、推しと呼ぶほどではなく、グッズも持っていない。(しかも全員同性)
好きな声優さんもいるにはいる。しかしこれまた同性の方。おまけに声優としてというより、アーティストとして好きなので根本的に違うのかもしれない。
友人たちには皆、「推し」がいて、そのキャラクターへの愛がすごい。
すごいなぁと思う。と同時に、自分はオタクではないのでは?と気づく。
実際、友人から「オタクじゃないよね?」と言われたことがある。
そうだよな…。
自分をオタクだと思っていた時期もあったけど、今は過去から現在に至るまで、実はオタクじゃなかったと思っている。
しかし、全くアニメを見ない親や親戚からはオタクだと思われている。
【追記】
昼休憩中にてろてろてろっと書いたエントリに、思いがけずたくさんブコメがついていて驚きました。
先に誤解を解いておきたいのですが、私は自分のアイデンティティーに悩んでいるわけでも、友人関係に悩んでいるわけでもありません。
このエントリを書いたのは、「劇場版アイカツ!の円盤が~」を読んで(すみません。全文は読んでいません)、あっ…うっ…ぐはっ…となってしまったのがきっかけです。
自分で自分の心をグサグサしていただけですので、決してあちらの増田さんが悪いわけではございません。
私、あれやこれや理由をつけて劇場へ行かなかったんですよ…。映画高いし、いつか配信されたら見ようと思って…。
それで、熱意のこもったあのエントリを読んで、すごいな…すごいな…私なんて映画館にすら行かなかったよ…ごめんなさい!お金出さなくてごめんなさい!!と。
自分の文章を読み返していて気づいたんですが、私はやっぱりオタクじゃないんですよね。というか、オタク「気質」じゃないんです。
色々好きなものはあるけれど、どれも熱を込めて語ることができないし、すごく深いところまで掘り下げようともしない。
推しがいる友人は、推しに対する愛や熱意がすごい!!その時点で私から見たら、ちゃんと「オタク」なんです。
私はというと、手芸(裁縫、レジン、編み物、刺繍)、料理、お絵描き、園芸、投資、ごにょごにょごにょなどと、割と好奇心旺盛で、あれもこれもやりたがるザ・広く浅くな人間なんです。
読書も好きなんですけど、ジャンルの異なる本を5、6冊積んで、その時の気分で選んで読んでいたり…。
そんな私を友人たちはすごいと言って尊敬してくれるのですが、私は一つのことに熱中したり深く掘り下げることのできる人を尊敬しているのです。
やっぱりオタクはすごいんだよ。
アニメを見る人間=オタクだと思っている人は一定数存在するので、仕方ありません。
以上。
2021-06-09
■姪っ子がキモい
兄に小学生時代に性的虐待受けたので、兄(≒性犯罪者)の子ども、しかも性犯罪者がセックスした結果の成果物だと思ったらキモくてキモくてしょうがない。
兄がそういう人間だって兄嫁も知らんし当然姪っ子も知ったこっちゃないだろうけどさ、キモいもんはキモい。
まだ1歳にもなってないし仕方ないからお祝いとかはやってるけど一度も「かわいい」って言ってない。
無理だろ。ほんと。キモいもん。
2021-10-21
■anond:20211021145014言及先エントリを開く
自分も兄による性被害者だけど、兄が結婚して姪っ子も出来たので、姪っ子が思春期になったら何らかの方法で兄の性癖ややらかしについて教えてあげたいなぁとは思ってる。
男は気持ち悪くてセックス以外何も頭にない関わってはいけない気持ち悪い性別の生き物だということを兄から嫌というほど教えられたし、私も姪っ子に教えてあげたほうが良いかなと思ってる。
2022-08-13
勝手にツイッター覗くワイもたいがいなんやけど、いいね欄がまぁ青識とか見るからに名誉男性か青識のなりすましかな?みたいな女(と思われる)アカウントの「多様性の押し付けで女のコは困ってるの」みたいなのがいっぱいでビビる。
ワイ、大学の時からそっち系の問題を専門に学んできて今でもそういう分野の本読む程度に関心高いから余計に気になっちゃうんだろうけど、理系の大学院まで言った兄もこんな反知性的な発言にシュバババ!と乗っかって気持ちよくなっちまうのか、と。
まぁ理系は属性的には男ばかりで多様性のなさそうだからそうなるんかな。
娘(ワイの姪っ子)を育てていながらこの感性か〜娘がこれからどんな社会で生きていくのか考えたほうが良くない?と思うが以前から(今でも)オープンで兄嫁も見れるアカウントでおっぱいぶるんぶるんな二次絵にいいねしまくってる(月曜日のたわわとかもちろんいいねしている)ような兄だしそんなもんかな。
姪っ子のこととなると「子煩悩で過保護で娘ちゃんが可愛くてしょうがない俺!」を演じているがその様がもう自分に属する女に対してだけ発揮されてて、
「家父長制」ってのをビンビンに感じさせておもろいんだよな。
自分の配下にある女(妻、娘)がなにかされると所有物に手を出されたみたいにキレてなんか女性に優しい男性的に見えちまうんだけど、社会一般にいる女は馬鹿にしていくスタイルが見え見えなんだよ兄ちゃん。
しかも「また俺なんかやっちゃいました?」系な素朴な疑問装った風の言説に乗っかっちまってるのもそこまで兄ちゃんのリテラシー低かったっけと思って悲しいし痛いしでさらにいいね欄を遡って覗いてしまう原因になっている。
コロナでこの夏も会えないまま今年2歳になるんだったかな、姪っ子は。
どんなふうに育っていくのかなぁ。
2022-08-23
■兄、子どもできてからしか理解できない親だった [はてなブックマークで表示]
悲しい、
子ども生まれてから子どもが出てくる話に弱くなったとかはまだわかる、
となりのトトロも、メイの我儘に苛立ってたけど今は納得するとかもっとうまいフォローを…とか言ってて苛つくままに妹に手出して性的虐待までしたクズ野郎が親になったこともクソ気持ちわるいのに子ども生まれるまでその程度も理解できなかったやつが親になろうとしてたのも呆れるわ
2023-04-25
タイトル通り、子供のころに性的虐待を受けた人間の話需要あるかな
ちょっと歳のはなれた兄がいた
家族が多くて、兄には自室があるけど私にはなかった
夜は母と同じ布団で兄とは別の部屋で寝てたけど、もちろんいつも寝る時間が一緒なわけじゃないから一人で寝る日もあった
兄は結構優しくて、よく遊んでくれた
その中でスパイの恋仲の男女みたいなときに、恋人はこうやって抱き合うんだみたいな流れでおしりや胸を撫でられた
当時10歳にもならない私はなんとなくの知識はあるものの、セックスまでは知らない
それでもなんとなくいけないことをしているような気分になったのは覚えてる
そこから先はごっこ遊びの中、習い事の練習中、宿題中、なんだかんだと身体を触られるタイミングがあった
胸やおしりだけじゃなく、股の間を触られることも
別に服の上からだし、くすぐったいからやめて、邪魔しないでと振り払うくらいで特にこれといって親に言うとかそういうアクションはしなかった
当たり前といえば当たり前だけど、誰かに言わないといけないとも思ってもいなかった
ある日一人で寝ている時に違和感で目が覚めたら、兄が足元の方から布団に潜り込んでパンツをずらしていた
いろいろ触られて、幼いながら快感と痛みを両方感じていた
あのときなんで蹴り出してやれなかったのかずっと後悔している
この時には多分10歳をこえていて、これが何を意味するのかはなんとなく理解をしてた
そこからは予想通りというか
たまにある隙を狙っては触れられたり舐められたり
私に出来ることといえば寝たフリをしながら寝返りをうって逃げることぐらいだった
中学生ともなるとその行為の意味もわかるしなんなら生理も来ていた
でもご多分に漏れず中二病だった私は自分は特別な人間だからこれくらい何ともないと思ってた
でも中二病の一環でもあったけど、この頃にはしっかりリスカをするようになってた
学校では表向きは結構優等生で、今で言うカースト上位ではないけど、彼氏作ってみたり、いじめられたりはせず平穏な学校生活だったと思う
今まで触られるだけだったのが、ある日、入口に棒をあてがわれたことがあった
あわてて寝たフリをしながらも足で追いやった
はっきりと妊娠の恐怖を感じた
怖いもの知らずで一度兄に自分のことが好きなのか、尋ねてみたことがある
だったら性欲処理してやろうか?とフェラしてやった
それでもこんなのはなんでもない事だと思ってた
今ならわかるけどそう思わないとやってられなかったからだ
高校生くらいになると次第に色々思い悩むことが増えてきた
特にそのときの恋人に対して、これは浮気なのではないか、裏切っているのでは?という罪悪感が強くなっていった
彼氏とはいっても手も繋げないまま、そのまま自分が罪悪感で潰れて別れてしまった
多分その時には鬱だった
勉強にも身が入らなくなって、学校へ行くのも嫌になり、授業の合間に泣きながらトイレでカッター握りしめてた
痛いのと血を見るとなんとなくスッキリしてまた頑張れるような気がした
そして決定的な瞬間が来る
世の中にそんな現象があって、そして今自分がその状況に置かれているんだと理解した瞬間、今まで自分を支えていた土台が崩れた気がした
たとえ歪んだ愛だったとしても
愛していようがしてはいけないことだったとしても
恋愛感情はもちろんなかったが、家族として愛していた兄が、自分の性欲か嗜虐心かなにが理由か知らないが虐待するような人間だったと気付いた時の絶望感は形容しがたかった
そして自分がとんでもなく惨めに思えた
それでも兄が嫌いになれない、憎めなかったのはよくわからない
考えてたどり着いたのは兄をサツ○することだった
それで本当に実行しようかとタイミングを見計らっているうちにだんだん馬鹿らしくなってきて
そもそも黙秘なんて無理に決まってると気付いてからは行政に助けを求めてあとはトントン拍子だった
完全に精神を病んだし、精神科にかかったけどどうにかできるようなもんでもない
人生の節目ごとに兄の存在を感知すれば毎度この世の終わりみたいに落ち込む
どれだけ逃げても自分では過去から進んでいるつもりでも、いざ周りを見渡したらあの時から何も変わってない感覚がある
まともな人といると罪悪感でつぶれるし
性的な価値を提供できないなら親密になれると思えないし、かといってそれを提供する気もない
常にうっすら死にたいし、落ち込むと結構死にたいし、未だに悪夢を見る
全部妄想なら良かったのになと思う
まぁ結局なにが言いたいでもないんだけど、幼少期の性教育は大事だと思います
お子さんがいる人は本当に気をつけて
その後のことは興味ある人がいればあればまた書きます
2023-04-29
■真面目に聞きたい。【追記】
ワイ、真面目に聞きたい。
その兄は中学生の頃に妹にいわゆる性的ないたずらを繰り返してた。妹はそのとき小学校の2〜4年とかだった気がする。5年で夏休みにキャンプに行くけどその前だったのは覚えてる。
妹がまだ足りない語彙でリビングでスマスマ見ながら転がってたワイと両親に「兄が勝手に布団に入ってくるとか」「パンツに手入れてくる」とか訴えてたのを今でも覚えてる。その後にも何回か妹はそう訴えてた。両親は妹の訴えに「無視しなさい」と言ってて、その後兄に個別に叱責してたのかはわからない。ワイと妹の知らないところではしてたかもしれない。
今思えば「無視しなさい」って寝たふりしてパンツの中まさぐられてろってことだしなんて親だと思う。
で、本題。
兄はワイの知る限り妹への性的虐待に対し、制裁を受けてはないし、反省とか更生はしてないと思ってる。
ツイッター知ってるけど昔から兄はエロ漫画とかにいいねしまくって、表現の自由戦士系のツイートにもいいねしまくってるようなイキリオタクだ。
娘(ワイの姪っ子)が生まれてからはいわゆる育児垢の育児はこんなに大変とか尊い系のツイートにいいねしまくり、子どもが被害にあった犯罪ニュースをRTして「親になってからこの手のニュースにめちゃ悲しくなる」みたいなことを言っている。
正直何様…?と思うし、姪っ子が成長したら手を出すのでは…?とか思う。
自分の持ち物という感覚だと他の女はエロ消費しても自分の娘は手は出さないって感じになるのかもしれんけど。
妹はどう思ってるかわからない。少なくとも今年の正月と3月に一度帰省したときは全く姪っ子に関わろうとしてなかった。
抱っこしたいとか言わないどころか姪っ子の存在に目もくれず自分の時間を勝手に過ごすだけ。
兄が「かわいいやろ〜」とか言って姪っ子をそばに連れてきても「は?」とは言わんがそんな顔してトイレに行く、みたいな。兄嫁ははわわ…ってしてる。
兄嫁とか姪っ子に対する超最低限の礼儀だけ払うがそれ以外は何もしないって感じで良く思ってないのはビンビンビンに感じる。
正直な話、ワイは彼女なし結婚の見込みなしのクズだけど姪っ子や兄嫁より妹が大事だしかわいいんだ。
だから兄がのうのうと世間一般で言う「幸せ」みたいなものを享受してヘラヘラしたり、子煩悩なパパを気取っているのを見ると許せない気持ちになる。
妹が兄嫁や姪っ子を見るたびに過去の色々を思い出して辛いんじゃないかとか、でもそれについてワイから何か言われるのはもっと嫌かもしれないと思って妹には何も言えないし聞けない。
兄や両親に問いただしたりするならチャンスだなと思う。でも何をどうしたらいいかわからない。
どう行動するのが妹の気持ちを晴らしてやれて、兄に反省を促せるのか分からない。
兄には過去の行動を反省してもらいたい。兄嫁には悪いが、自分の夫が、子供の父親がそういう人間だということをちゃんと認識してもらいたいと思ってしまっている。
両親には妹が兄と両親の両方から受けた仕打ちをちゃんと考えてほしい。
ワイどうしたらいいん…。
【以下追記】
反応たくさんありがとうございます
ワイ自身も当時まだ小学校高学年か中学かそのへんで、妹の訴えてること(起きてることとその重大性)がよくわかっていなかったのに加え、親が「んなもん放っておけ」って言ってたから大したことじゃないんだと思わされていた。
とはいえ妹にとってはそんなことは知ったことではなく、ワイも親と同じ見て見ぬふりしたヤツの1人なんだよな。
とりあえず自分からアクションは控えるが、常に妹の味方でいられるようにしたい。まだ頭ぐちゃぐちゃしてるので明後日の帰省はやめようかなとも思う。
少し書きながら思い出したことがあって、妹とワイは喧嘩しまくってたが、妹は一番上の兄には懐いててお兄ちゃん子だった。
兄は運動はからっきしだったけど勉強できて学級委員とか生徒会もやってて親戚の中でも結構いい大学にも行っていい会社にも就職したし、妹にとっては兄との出来事があった後も自慢の兄だったんだろうなと思う発言も結構あるんだ。
一番上の兄は頭良いのにワイくんはだめやね~とかよく笑ってた。一番上のお兄ちゃんはすごいんだよってツイッターに書いてたのも知ってるんだ。
そうやって忘れようとしてたのか、上書きしようとしてたのかもしれん。今思えば。
でも妹が大学生になって彼氏ができたっぽくて「お前にも彼氏ができたのか…」とか言ってたらそのときにはもう別れていて、
たぶんキスとかセックスとかのことだろうと思うけど、「彼氏のための行動」みたいなのを求められるのが嫌だとか、そうしてもらうための下心や忖度を感じて辟易して別れたみたいなことを言ってた。
体目当てのクズ男だったんかなあと思ってたけど、妹にとってキスやセックスみたいなものがトラウマになってたってことかもしれないと思い始めた。
2024-02-04
25歳独身彼氏なし。 幼い頃7つ離れた兄から性的虐待を受けていた。
そのことをいつまでも引きずっている。
もともと暴力を振るわれたりちょっとしたことで怒鳴られていたので、逆らえばどうなるかわからないという気持ちからされるがままになっていた。
兄に彼女ができたことがきっかけで行為はおさまり、それからもう15年以上経つが、その頃の傷が癒えるどころか悪化している気がする。
虐待を受けていた当時、幼さゆえの知識のなさもあり、あまり事態を深刻には考えていなかった。
それどころかいつも私を罵倒したり殴ったりする兄が優しくしてくれることが嬉しかったのを覚えている。
今思うとそれは思い通りにさせるために猫なで声で調子の良いことを言っていただけに過ぎないのだが、「かわいいね」と言いながら頭を撫でてくれるのが嬉しくて、いけないこととわかっていながら従いつづけていた。(ちなみに行為自体を気持ちいいと感じたことは一瞬たりともなかった。)
性的な虐待がおさまってからの兄は昔に逆戻りでちょっとしたことで罵倒、壁を殴って穴を開けたり包丁を持ち出してきたり、兄に怯える日々は兄が家を出るまで続いた。
就職と同時に家を出た兄は、当時まだ学生だった彼女と半同棲、すぐに授かり婚をした。
一方の私は恋人ができたこともあるが、妙に顔色を伺ってしまったり嫌なことをされても我慢する癖がついてしまっていてなかなか正しい関係を築くことができない。
信頼していた既婚者の先輩に体の関係を求められた際も、断ったら怒鳴られるかも、殴られるかもと思って応じてしまった。
結局何もかも嫌になり会社を辞めてその先輩との関係を断ち切ることはできたが、自己嫌悪と男性への不快感でぐちゃぐちゃになっている。
男性と一言でいってもみんながみんな兄や先輩のような人ではないことはわかっているつもりだが、男はみんなそういうもの、という考えが呪いのようにこびりついていていつまでも私だけ進めない。
男の人を信じることができない。
先輩のように縁を切ることができたらいいのだけど、家族というものはなかなか縁を切ることができない。
それどころか何も知らない両親は、かけがえのない兄妹なのだから仲良く助け合って生きていきなさい、などと言う。
他人ならば犯罪者としてはっきり憎むこともできるのに、血縁者というのは憎むことも縁を切ることも難しい。
誰に打ち明けることもできずこの歳まで生きてきてしまった。
兄の結婚について私の親はめでたいめでたいと言っていたが、顔合わせの時の相手の親の複雑な顔を私は忘れられない。
義姉は難しい資格を取って念願だった夢を叶えて働き始めて半年も経たずに寿退職をした。
兄は本当に性的なことに我慢できない人間なのだと思う。きっと根拠のない甘い言葉で丸めこみ避妊をしなかったのだろう。私にかけたような猫撫で声で。そう思うと本当に兄という男が憎くて仕方がない。
とはいえ義姉と子どもには罪はない。彼女達を傷つけたくないので、私にはもう兄を告発することはできない。
兄のことを許すつもりはないけどもういい。この傷は私一人でかかえていく。
私は一人で生きていくので、どうか自分で築き上げた家族のことは大切に、幸せにしてほしい。
もし浮気や暴力で義姉と子どものことを不幸にして離婚をしたら、私はこのことを黙っていられないかもしれないから
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これが数年前の日記。
現在兄は不特定多数の相手と浮気をしていて、家族に暴力を振るっている。
泣きながら打ち明けてくれた義姉をなだめながら私
タイトル通り、子供のころに性的虐待を受けた人間の話需要あるかな
ちょっと歳のはなれた兄がいた
家族が多くて、兄には自室があるけど私にはなかった
夜は母と同じ布団で兄とは別の部屋で寝てたけど、もちろんいつも寝る時間が一緒なわけじゃないから一人で寝る日もあった
兄は結構優しくて、よく遊んでくれた
その中でスパイの恋仲の男女みたいなときに、恋人はこうやって抱き合うんだみたいな流れでおしりや胸を撫でられた
当時10歳にもならない私はなんとなくの知識はあるものの、セックスまでは知らない
それでもなんとなくいけないことをしているような気分になったのは覚えてる
そこから先はごっこ遊びの中、習い事の練習中、宿題中、なんだかんだと身体を触られるタイミングがあった
胸やおしりだけじゃなく、股の間を触られることも
別に服の上からだし、くすぐったいからやめて、邪魔しないでと振り払うくらいで特にこれといって親に言うとかそういうアクションはしなかった
当たり前といえば当たり前だけど、誰かに言わないといけないとも思ってもいなかった
ある日一人で寝ている時に違和感で目が覚めたら、兄が足元の方から布団に潜り込んでパンツをずらしていた
いろいろ触られて、幼いながら快感と痛みを両方感じていた
あのときなんで蹴り出してやれなかったのかずっと後悔している
この時には多分10歳をこえていて、これが何を意味するのかはなんとなく理解をしてた
そこからは予想通りというか
たまにある隙を狙っては触れられたり舐められたり
私に出来ることといえば寝たフリをしながら寝返りをうって逃げることぐらいだった
中学生ともなるとその行為の意味もわかるしなんなら生理も来ていた
でもご多分に漏れず中二病だった私は自分は特別な人間だからこれくらい何ともないと思ってた
でも中二病の一環でもあったけど、この頃にはしっかりリスカをするようになってた
学校では表向きは結構優等生で、今で言うカースト上位ではないけど、彼氏作ってみたり、いじめられたりはせず平穏な学校生活だったと思う
今まで触られるだけだったのが、ある日、入口に棒をあてがわれたことがあった
あわてて寝たフリをしながらも足で追いやった
はっきりと妊娠の恐怖を感じた
怖いもの知らずで一度兄に自分のことが好きなのか、尋ねてみたことがある
だったら性欲処理してやろうか?とフェラしてやった
それでもこんなのはなんでもない事だと思ってた
今ならわかるけどそう思わないとやってられなかったからだ
高校生くらいになると次第に色々思い悩むことが増えてきた
特にそのときの恋人に対して、これは浮気なのではないか、裏切っているのでは?という罪悪感が強くなっていった
彼氏とはいっても手も繋げないまま、そのまま自分が罪悪感で潰れて別れてしまった
多分その時には鬱だった
勉強にも身が入らなくなって、学校へ行くのも嫌になり、授業の合間に泣きながらトイレでカッター握りしめてた
痛いのと血を見るとなんとなくスッキリしてまた頑張れるような気がした
そして決定的な瞬間が来る
世の中にそんな現象があって、そして今自分がその状況に置かれているんだと理解した瞬間、今まで自分を支えていた土台が崩れた気がした
たとえ歪んだ愛だったとしても
愛していようがしてはいけないことだったとしても
恋愛感情はもちろんなかったが、家族として愛していた兄が、自分の性欲か嗜虐心かなにが理由か知らないが虐待するような人間だったと気付いた時の絶望感は形容しがたかった
そして自分がとんでもなく惨めに思えた
それでも兄が嫌いになれない、憎めなかったのはよくわからない
考えてたどり着いたのは兄をサツ○することだった
それで本当に実行しようかとタイミングを見計らっているうちにだんだん馬鹿らしくなってきて
そもそも黙秘なんて無理に決まってると気付いてからは行政に助けを求めてあとはトントン拍子だった
完全に精神を病んだし、精神科にかかったけどどうにかできるようなもんでもない
人生の節目ごとに兄の存在を感知すれば毎度この世の終わりみたいに落ち込む
どれだけ逃げても自分では過去から進んでいるつもりでも、いざ周りを見渡したらあの時から何も変わってない感覚がある
まともな人といると罪悪感でつぶれるし
人間関係もそう
性的な価値を提供できないなら親密になれると思えないし、かといってそれを提供する気もない
常にうっすら死にたいし、落ち込むと結構死にたいし、未だに悪夢を見る
全部妄想なら良かったのになと思う
まぁ結局なにが言いたいでもないんだけど、幼少期の性教育は大事だと思います
お子さんがいる人は本当に気をつけて
その後のことは興味ある人がいればあればまた書きます