はてなキーワード: パールマンとは
ええとね、「大江光」「和波孝禧」「辻本伸行」「フジ子・ヘミング」「川畠成道」あたりでぐぐってみてからそういうことは言おうね。
クラシック界ではもともと、障害と結びつけてお涙頂戴物語で売り出すって手法はこの数十年常套手段だったわけ。
その一方で、こういう人たちはそういうお涙頂戴物語で下駄を履かせて貰ってるだけで、実際の演奏はたいしたことないって批判もあった。
実際、上に名前を順不同で並べたけど、正直言って実力はこの中でも千差万別だからね。障害がなくても売れてただろう人も、そうでない人もいる。
で、本当の意味で「障害者を受容する」ってことは、「障害者」を特別扱いしない、する必要がない状態のことを言うってのはいいよね。例えば近視なんて昔なら弱視とかわらない視覚障害者だったわけだが、今となってはメガネかコンタクトがあれば「健常者」と区別する必要は全くない。パイロットの採用試験とか除けばね。
その上で、「特別扱い」されずとも芸術家として高い尊敬を受けてる人ってのはクラシック界にはもともといっぱいいるわけ。ベートーヴェン自身がまずそうだし、それからたとえば現役で世界的に有名な例でいうとパールマンとかクヴァストホフとかかな。こういう人の音楽を聴くとき、この人たちが身体障害者であることなんて誰も意識してない。
はっきり言うと、ディープなクラシックファンはベートーヴェンやパールマンやクヴァストホフは尊敬してても、佐村河内守(発覚前)とか大江光とかフジ子・ヘミングなんてのは馬鹿にしてたりするわけ。理由は単に「腕が良くない」から。二流音楽家がお涙頂戴物語のせいで超一流の椅子を奪っていると、眉を顰めているといってもいい。小保方晴子にたいしてアカデミアが厳しいのと同じ理由の一部とも重なるだろうね。
そういう意味では、佐村河内だのフジ子だのを甘やかす「社会」というのはバリアフリーの思想の観点でも、クラシック音楽への理解の観点でも、はっきり言って底が浅いとしか言いようがなく、批判されても仕方ないと思うよ。
ネットというかニコ動にいるクラシック好きの間では、どうやらハイフェッツのヴァイオリン演奏が大人気らしい。
でも決して綺麗な音ではない。
そもそも西洋の楽器は、ノイズを除去し純粋な倍音を追求する方向で発展してきたので、擦れる音まで味にしてしまうのは明らかに異端というか。
それに、世界の有名ソリストが使っている楽器も、甘く柔らかくシンプルな音で定評があるストラドが多数派で、華麗で力強い音のガルネリが少数派という現実を加味しても、世界的傾向として、ヴァイオリンで好まれる音色はしっとりした優美さだと思っていたのだが、ニコ動だけ違うというのが興味深い。
ちなみに個人的にはパールマンの、聴いていてとろけそうになる極上の音が好きなので、ハイフェッツの凄さは認めるけど、演奏する参考にはちょっと・・・という感じ。