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2016-03-06

アインシュタインは劣等生だったという伝説

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52212678.html

伝説はこうやってどんどん再生産されていくんだろうけど、実際は性格に難があって教師とうまくいかなかったというだけで、成績は優秀だった。

一見凡人だけど実は隠れた才能があって」とか少年誌みたいな設定が受けるのは万国共通なんだろうな。

2016-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20160224232509

誰かが別のところで「定義でも仮定でもなく計算上の便宜」って言ってたけど、うまいこと言ったと思うわ

どっちが現実的に正解に近いとかは関係なくて、

出題者と回答者がお互いにその便宜を合意してるという前提がある限り、

379.94のみが正解でいいでしょう。それ以外は出題者の意図を組めてないから×。

大学入試高校物理ニュートン力学を問うている問題に対して、

より厳密なアインシュタイン方程式試験用紙に書いたら

たとえ正しくても「問題意図を読み取ってない」と×を食らうと思うよ?

それの予行演習ってことで。

ユダヤ人も手を焼いた 戦前日本家族制

戦前日本家族制度についての意外な事実を紹介。


すばらしかった戦前家族制

面白い話を一つ紹介しよう。

かつて国際連盟労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本労働事情調査のため来日した。

国際連盟といっても、教科書歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤ世界政府ともいうべきものである

第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人政治面へも進出をはかり、その結果作られたもの国際連盟なのである

この連盟の指導者は、日本人杉村太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである

なぜユダヤ人労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義階級闘争史観宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである

話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。

アルベール・トーマは、

日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である

何故ならば、労働者失業しても労働運動などする必要はない。

家族が暖かく迎え入れてくれるからである

この家族制度を何とかしない限り、日本階級闘争を持ち込むことは難しい」

といっているのである

アインシュタインもまた来日した時、日光金谷ホテルからドイツユダヤ機関手紙を書いているが、その中に日本家族制度の立派さを書いているのである

ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである

具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである

前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人マルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内君主制といわれる如く邪魔存在だったのだ。

家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族マルクス主義的変革事業邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである

『あるユダヤ人懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカモーゼ)より

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このことから判ることは、核家族化や女性社会進出人類社会進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。

もともと日本国体は、天皇家本家国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。

家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家解体するという作戦だったようですね。

近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。

戦前日本家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。

分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。

しか戦後は彼らの思惑通り、核家族化が進み、労働運動も盛んになります

 


http://anond.hatelabo.jp/20160216135209

2016-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20160220144634

誰も森氏が発見したなんて言ってないが

それを考え文字に起こし世に提示することができない時点で凡人なんだろうな

アインシュタイン重力波予言同様

口に出して疑問に思うだけならだれでも出来て、それを文字に起こして理論提示することが一番大切

から増田でもなんでも書けばいいんだと思う

それが出来る世界だって森氏言ってた

2016-02-16

物理好きなら重力波の話はテンションあがるよね。

重力の最も重要性質の1つは、重力は光と同じ速さですすむ波でありながら物資をすり抜けてすすむことができることです。

重力なので、なんでもすり抜けるのは当たり前と思うかもしれないですが、

光も波であります電磁波一種なので、なんでもすり抜けるわけではありません。

家の中より外の方がケータイ電波繋がりやすいでしょアレ。

でも、例えば地球重力はどこにいても一緒。どこに隠れたって必ずそのままうける。

重力は波でありそれは光と同じ速さで伝わる(重力波)」というのは同じくアインシュタイン発見した「光が誰がどのような状況でみても必ず一定の速さになる(光速不変の原理)」ということと同じくらいの超重要宇宙全体の法則で、

それまではニュートンが「重力は瞬時に伝わる」と言ってて、それを誰も疑ってなかった。当時の誰もが疑うことすら思いつかないくらいそれは当然だと思ってたと思う。

重力波光速不変の原理のどちらもアインシュタイン以前は誰ひとりとしてそんな主張すらしてなかったし、理論カケラすらなかった。

敢えて言うならローレンツ変換くらいだけど、ローレンツは「光の速さに近づくと物質が縮む」って言ってたわけだからね。

でも、アインシュタインは「ローレンツ物質が縮むとか言ってるけど、それ空間のものが縮んでるんだよ(特殊相対性理論)」って言いはじめて、既存理論を駆使して理論的に完璧証明してしまった。そのついでに重力波まで発見し(一般相対性理論)、ニュートンが「重力は瞬時に伝わる」って言ってたのを撃殺。超絶すぎる。天才と言われる所以はそこにある。

さらに、今回の実験装置萌える。何が萌えかって、重力波観測したその実験装置が、アインシュタインが「光は誰からもみても必ず一定の速さになる」っていう着想を得たマイケルソンの干渉計とほぼ一緒の仕組み。

もちろん今回の場合は、まさに天文学的な精度の担保必要なんだけど、それはお金問題

マイケルソンの干渉計の仕組みそのものもの凄い単純で、高校物理やってたら必ず習う。

それでめっちゃ完璧装置じゃんって感心するんだけど、さらおもしろいことに、もともとは光を伝える物質エーテル)の存在証明しようとした装置なのに、

しろそんなものがないことがわかって、当時の科学者たちが「結果何も起こらなかった」ってションボリするんだけど、

その実験結果アインシュタインが「それ光は誰からもみても必ず一定の速さになるからだろ」って、当時で言うとコペルニクス的転回をおこなって、

結果的相対性理論をつくっちゃう

そんなもんだから、もう今回の件はあらゆるところにアインシュタインが出てきて堪んないわけですよ。神ってこういうのをいうんじゃないの?

ああ話し出すととまんないよ。物理勉強しといてよかった。いや人間に生まれてよかった。

今回の件、悶絶しそうなくらい感動してる。贅沢言わしてもらうと重力波宇宙の果てがはっきり見える頃にうまれたかったな。

http://anond.hatelabo.jp/20160216105510

えーと、私が元増田です。他の人も書いてるけど反証可能性実証可能性を取り違えていると思いますね。

まず相対論反証可能性については2つの意味があります。まず数理モデルとして破たんしていないかどうかという問題。これについては反証可能性があります。これに関して反証可能性の低い理論は確実に相手にされないでしょうね。

そして実験によって実証できるかどうかという問題。仮に相対論未来永劫、実証できないものだったとしたら相対論物理学として認められるかどうかは極めて怪しいでしょう。理論を発表した時点で実証可能かどうかと実証志向することは別問題です。

現状、実証可能性が難しい理論提唱することは物理学者にとってリスクの高いことだし、それこそ普通物理学者はできるだけ回避しようと思うのは当然だと思いますが。

コペンハーゲン解釈哲学的な問いを回避しているということについては確かに賛否あるとは思うが(それこそ解釈問題が介入する)、明確に間違っていると論じられるものではないのは明らかで、むしろなんで明確に間違っていると断じることができるのか問いたい。ちなみにここで哲学的といっているのは科学的実在論の話です。

あと、アインシュタインは「普通の」物理学者ではないという文脈で話しているのに、普通物理学者が考えないのにアインシュタインがそう考えるのはおかしいといわれても困ります

http://anond.hatelabo.jp/20160216101604

相対性理論ではなく量子論の話だが、コペンハーゲン解釈というものがあって、超ざっくり言ってしまうと哲学的議論には踏み込まないスタンス

全く知らないくせにそう言ったデマを発しないでください。

コペンハーゲン解釈にそんなスタンスだのの話は一切関係ありません。

量子論に限らず反証可能性の低い問いについては踏み込まないというのが一般的物理学者の態度と見ている。

どこが?反証可能性の低い問について踏み込まないのであればアインシュタイン相対論なんて考えるわけ無いだろ。

あの時代に誰が相対論なんて実験検証出来ると思ってたと思う?

量子論についても同様。

何も知らないくせに知ったかして嘘ばっか言うな。

http://anond.hatelabo.jp/20160216000450

物理学者の知り合いは1人しか知らないけど、アインシュタインほど掘り下げて考えている物理学者は少ないと思っている。

相対性理論ではなく量子論の話だが、コペンハーゲン解釈というものがあって、超ざっくり言ってしまうと哲学的議論には踏み込まないスタンス

量子論に限らず反証可能性の低い問いについては踏み込まないというのが一般的物理学者の態度と見ている。

時間問題に置き換えた場合過去現在未来という概念意味があるかどうかを問わなくても物理学を営む上で支障はないのでそんなことを考えるのに時間を割くのはやめようという感じ。趣味として考えている物理学者はいるだろうけど、そういう人でも学問スタンスとは切り離しているのが普通じゃないかな。

キリスト教根付いている地域だと事情が違うんじゃないの?と思われそうだが、話を聞く限りでは大差はなさそう。

それはそれとして、是非とも以下の書籍を読んでもらいたい。もしこれを面白いと思えるなら、相対性理論量子論勉強する価値はあると思う(文系向けの書籍もたくさん出ているので)。

・心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる (ブルーバックス)

アインシュタインに言ってたことについて理系の人に聞きたい

先日、重力波観測についての報道アインシュタイン言葉引用されていた。

アインシュタイン過去現在未来という考え方は幻想にすぎない」

俺は典型的文系脳で大学仏教哲学勉強をしてるんだが、

このセリフを目にして鼻水が飛び出るほど驚いた。

これ、仏教哲学の考えと全く一緒だよ!!!

更にちょっと調べてみたら、現代物理学では本質的時間存在しないとか、

脳科学でも自由意志存在しないかも、っていう流れになっているらしいじゃない。

ちょwww現代科学wwwwww悟りの境地に達してる奴wwwwwwww

で、不思議に思ったのは、現代物理学研究する学生先生方は、

こうしたアインシュタインの考えを当たり前のものとして毎日を生きてるの?ってこと。

アドヴァイタ(非二元)の指導者もびっくりな悟り世界を生きてるの?

言い換えると、現代科学人間の外側を探求し続けた結果として、

ブッダ自分内面を観察し続けた結果として得た知識と全く同じ結論に至ったというわけ?

もしそうなら、俺らは哲学やら宗教なんて捨てて、

もう科学スピリチュアル精神の支えとして生きていってもいいレベルな気がする。

なんと言っても、それは厳密な論理観測の結果として出てきた成果なので

一個人の経験思索産物より、理論として強いと思った。

2016-02-12

重力波もすごいけどアインシュタインがすごいなっていう話

今のパラダイムを確実に作った人間の1人だなぁ。俺の生きてる内に次の出てくるのかな。

2016-01-19

アスペ発達障害orただの馬鹿

母校の大学在校生・OBOG)の発達障害者の懇親会に行った。皆トークが軽快(ただし色々とアレな感じ。お察しください。)で。イベントを仕切る能力はあるわ、明るいわ、発想力はあるわ、何か色々…驚いた。本当にこの人達発達障害なの?みたいな。と言うか、「アスペ<アレなコミュ障」という印象の方が強かった。勿論アスペってこういう人達なんだなーとは感じた位の外見(服装)や話し方と言った近寄りがたいアレな感じはあったけれど…。

※因みに私は行動がもたつくタイプ幼稚園児?みたいな感じで細かい作業だとか手先が不器用空間処理が苦手で食べ方が少し汚くなるし、モノは散らかるし、着席の際コート手荷物スムーズに置いたり出来ない。あと日本語齟齬だとか抽象的な会話が全く解らないし、視覚優位タイプ

でも、皆に一番ビビったのは、呑み込みの早さ。皆が初めて知った某「知恵使う系の遊び」のルールを聞いたその場で簡単に飲み込む頭脳の高さ。結構小難しくて、自分説明を聞いても理解する気持ちにすらなれなかった。聞いてもギブアップだったのだ。でも、皆自分なりの理解の仕方を持っていて、すぐさま会得してた。それなりの偏差値の母校なので地頭は良いのは解ってる。ただ、自分は遊びのルールを全く理解できず終わってしまった。

多分、全く理解できなかったのは会場に居た自分だけだと思う。「大丈夫!私も解らないですよ」「コレ、説明書なんですが…読みます?」とか色々手助けしてくれた。皆もアスペなのに、有難う…最低なアスペだよ自分は。「何か…すいません…」ただただ、彼らが急に光に見えた。「持ってる系アスペ」みたいな。アインシュタイン系みたいな。

でも、自分場合は全く理解できなかった。3年間、ほぼ脳みそ使って無い生活だったから、とは思いたいけど、もう自分場合発達障害アスペ)+ただの馬鹿なのかな…。と思った。

2016-01-14

アインシュタイン稲田のつかみのギャグのことを考えて、勝手に涙した。

アインシュタイン漫才のつかみのギャグで、しゃくれとか言う次元じゃない凶器アゴの稲田君が、「もう、顔、捨てたろかなってね!お台場においてかえろかなってね」って叫ぶようなネタがある。昨日部屋を掃除してたら急になぜかそのギャグ思い出して笑って、んでそのギャグで笑いを取る稲田くんの事を考えた。

そのセリフ、ちゃんと大声でギャグとして成立させられるまでどんな心の葛藤みないなんがあったんかなとか。モテない、気持ち悪がられる、親とか家族とかから心配される、色々あったんじゃないかなとか。もし家族とか友達とかに恵まれ結構あったか環境で育ってたとしても、自分の外見に対するコンプレックスとか、みんな優しくしてくれるのは俺のことかわいそうやって思ってるからちゃうかとか、疑ったり勝手に自問自答したり運命とか神様とか呪ったり、色々あったんじゃないかとか。こんな気持ち悪い見た目の俺なんか、どうせ誰からも嫌われるし就職営業とか駄目やし会社もエエとこはアカンやろし、人生もうお先真っ暗やわ!やっとられへんわ!とか。

んでめちゃめちゃ悩んで、悔し涙とか、悲し涙とか、怒り涙とか、涙の海におぼれるほどの涙流して、鬱屈して開き直ってまた鬱屈して開き直ったを百万回ぐらい繰り返した後にできた、あの、「顔、捨てたろかな!」っていうギャグで。それで芸人やっていくって決めて。その覚悟って、実はすげーーー深いんじゃないかって、勝手想像して、アカン、自分やったら絶対無理やわ、あの顔背負って生きていく覚悟なんかまじ稲田さんかっけーとか、気がついたらめっちゃ泣いてた。34歳でもう結構エエおっさんが。

稲田さんありがとう。Youtubeでアインシュタイン漫才いっぱいみたら、顔だけじゃなくてめっちゃ色んな技もってるなー、努力してるんやろなーとかまた勝手想像して、笑ってちょっと泣いた。

2015-12-03

あなたたちはあちら、わたしはこちら 大野紀子

卑怯者の島: 戦後70年特別企画 小林 よしの

自分思考 山口 絵理子

一匹と九十九匹と 2 (ビッグコミックス) うめざわ しゅん

降矢木すぴかと魔の洋館事件 (YA! ENTERTAINMENT) 芦辺 拓

君の膵臓をたべたい 住野 よる

夢幻会社 (創元SF文庫) J.G. バラード

火星のプリンセス―合本版・火星シリーズ〈第1集〉 (創元SF文庫) エドガーライス バロー

くますけと一緒に 新井 素子

自我論集 (ちくま学芸文庫) ジークムント フロイト

カール・セーガン 科学悪霊を語る カール セーガン

パラノイアトラブルシューターズ】 Dan Gelber

イリュミナシオンランボオ詩集 (角川文庫) アルチュール ランボオ

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (文芸シリーズ) 米原 万里

可愛いエミリー (新潮文庫) モンゴメリ

NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫) 宮部 みゆき

☆☆思考と行動における言語 S.I.ハヤカワ

カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 渋谷 直角

天国旅行 (新潮文庫) 三浦 しをん

GLASS HEART 「グラスハート」 (バーズノベルス) 若木未生

かもめが翔んだ日 江副 浩正

ドラえもん」への感謝状 楠部 三吉郎

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF) コンラート ローレンツ

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) マーチン・ファン クレフェルト

重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書) 大栗 博司

世界を変えた17の方程式 イアン・スチュアート

国のない男 カート ヴォネガッ

魔法とSkyTubeで生きていく (角川スニーカー文庫) 高野 小鹿

赤い高粱 (岩波現代文庫) 莫言

あの、素晴らしい をもう一度/再装版 自転車創業

市民のための世界史 桃木 至朗

数学言葉―math stories 新井 紀子

☆生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ) 新井 紀子

猫と庄造と二人のおんな (新潮文庫) 谷崎 潤一郎

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫) サリンジャー

人間の條件〈上〉 (岩波現代文庫) 五味川 純平

贖罪 イアン マキューアン

キャリー (新潮文庫) スティーヴン キング

ファミリーポートレイト 桜庭 一樹

セカイからもっと近くに (現実から切り離された文学の諸問題) (キーライブラリー) 東 浩紀

国際メディア情報戦 (講談社現代新書) 高木

今日もかるく絶望しています。 落ち込みがちガールの日常コミックエッセイ (メディアファクトリーコミックエッセイ) 伊東素晴

人種主義歴史 ジョージ・M・フレドリクソン

アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国パンク保育士奮闘記 (ele-king books) ブレイディみかこ

ヌード愛国 (講談社現代新書) 池川 玲子

「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論拮抗 (SEKAISHISO SEMINAR) 福間 良明

日本文字―「無声の思考」の封印を解く (ちくま新書) 石川 九楊

状況に埋め込まれ学習正統的周辺参加 福島 真人

あなたへ社会構成主義ネス・J. ガーゲン

未来を切り拓くための5ステップ: 起業を目指す君たちへ 加藤

女のいない男たち 村上 春樹

混迷社会の子育て問答 いくもん! 中村

☆女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子実態 (単行本) 瀧波 ユカリ

☆ニコマコス流恋愛コミュニケーション 大平

☆僕にはまだ 友だちがいない 大人の友だちづくり奮闘記 中川

☆非言語表現威力 パフォーマンス実践講義 (講談社現代新書) 佐藤 綾子

☓友達がいないということ (ちくまプリマー新書) 小谷野

あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知 高石 宏輔

私たちプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書) ジェーン・スー

子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 クラウディア ブラック

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法 ジョン ブラッドショー

ベストパートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫) ジョン グレイ

RESOLVE 自分を変える最新心理テクニック神経言語プログラミングの新たな展開 リチャード・ボルスタッド

コア・トランスフォーメーション癒し自己変革のための10のステップ コニリー・アンドレアス&タマラ・アンドレアス

発達障害のある子どもができることを伸ばす! 学童編 杉山 登志郎

知的障害自閉症の人たちのための 見てわかるビジネスマナー集 「見てわかるビジネスマナー集」

ペアレントメンター入門講座 発達障害子どももつ親が行なう支援 井上雅彦

不都合な相手と話す技術 ―フィンランド式「対話力」入門 北川 達夫

プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術 古宮 昇

モテる技術 入門編 (SB文庫) デイビッドコープランド

イケてない男たちへ キミでもヤれるナンパの本 (ワニの本) 鍵 英之

モテる技術 実践編 (SB文庫) デイビッドコープランド

LOVE理論 水野敬也

モタク モテるオタクになる恋愛ガイド アルテイシア

30歳のファッションコーディネート ~普段着からイベントまで~ (おとなの教科書) 三葉

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) 平田 オリザ

あなたあなたであるために―自分らしく生きるためのアスペルガー症候群ガイド 吉田 友子

新版 自分まもるローズマリー ストーンズ

2015-11-28

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

2015-10-20

あざなわの青二才とっとと卒業しろ記事についたブコメ

確信がもてないのよね。したいことはあるししてるしブログ自体もなかなか面白く作ってるとは思うけど、WordPress移籍後にはてな出身者で成功した人は稀有からなかなかで温いのよね。

ブコメ見てこの人は一生はてなから出ねえなと確信した。現実での利益が出てないのに現状に満足しちゃってんだもん。

そもそもなぜブログという舞台勝負しようなんて考えられるんだろうな。ライターになりたいなら最初からそっち方面アプローチすればいいのに。なまじブロガーとして土台を築いたつもりになってるから動くに動けないのでは。

しかしあざなわがはてなをどう使おうとどう思おうと勝手だが他者にそれを強制する筋はないだろう。

青二才さんは事務派遣社員しながら分泌で身を立てるのめざしてもいいよなあとそれが声優アインシュタインエピソードを思うと世にでるまでは夜に潜むのも有り

2015-10-08

掛け算の順序と一般相対性理論

ネットではもう水伝とか江戸しぐさと同レベルトンデモ扱いされている「掛け算の順序」について思うこと。

前置き。中学時代の話。学校の図書室で、物理学の本を読んだ。

子供向けに分かりやすおもしろ解説したようなやつね。

その中に登場したアインシュタイン一般相対性理論

いわく、小学校で習った「みちのり・はやさ・じかん」などのシンプル公式

光速に近いようなメッチャ速い速度の中では通用せず、

かわりになにかアルファベットだらけの難しい式を使わなければならないのだと。

たとえば小学校算数では、時速200kmで走る新幹線の中で進行方向に時速150kmの野球ボールを投げたら、

新幹線の外にいる人から見ればボールは時速350kmであり、

行方向の逆に投げれば、外から見れば時速50kmのボール、というように

速度と速度は単純に足したり引いたり出来ると教わったが、

光速の数パーセントというオーダーの世界では、それは正しい答えにならないのだ。

幼い俺は「ん?」と思った。

だけど、新幹線だってボールだって、どんなに遅いと言っても光速の0.00000000...

とにかく「光速の何パーセントかの速度」には違いないではないか?

そうだとすれば、その速度同士を足し引きするのも、厳密には間違いということになるのでは?

解説を参考にしながらボール新幹線を代入して、自分計算してみた。

結果は……普通に足し引きするのとほぼ変わらない答え。俺は感動した。

同じひとつ方程式が、人間日常レベルから光速までカバーできるなんてすごい。アインシュタイン天才

ここから本題。

小学生に速度の計算を教えるとき光速付近不正確になってしま古典物理学のやり方ではなく、

最初から相対性理論を教えるべきか?

いずれ形而上的な「数」そのものを扱わねばならない学年になったとき足枷になったら困るからと、

「3つの袋それぞれに飴が5つずつ」式の、物理実体と紐付けた説明は、最初から一切禁じるべきか?

これを使わず数字数字の間にあるバッテンの意味を教えられる自信ある? 小学生にだよ?

そして、これを使って教える限り、3×5 と 5×3 は、

たとえ計算結果は同じでも「式の”意味”が違う」と言わざるをえなくなる。

はっきり言って掛け算順序否定派は、人間理解能力には発達段階があること、

子供相手に最初から全部を教えるのは無理だし、そうする必要もないこと、

前はこう教えたが実はちょっと違うんだ、と説明を覆して拡張していくのは

やり方次第であってべつにタブーではないこと、をわかっていないと思う。

実際俺は、くだんの本を読んだあとも「先生は不完全な計算法を教えていた!」なんて思わなかったし、

算数テストでみんなが足し算している中で一人だけアインシュタイン方程式を使ってたらマルもらえなくてもしょうがないと思う。

終わり。

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901062508

どれだけオボちゃん殺したいのかしらないけど生きる望みの話してんじゃん

この世の全てを敵にまわしてもSTAP細胞がなんの理論もなしに指からでるんだったら

それを必要とする人もでてくるだろうし研究者としての地位はなくても

人生抹消しなくてもすむでしょってことじゃん

論文で許しがたいミスをしたか実在するSTAP細胞も一緒に葬るべきっていうのかって事だよ

もちろん実在しないのが現実なのは前提としてあたりまえだよ

その上でいってるんだからあったらどうなのって話を

どれだけ学会通かしらないけどその業界雰囲気の話してないよ

デザインだって業界では擁護かわかんないけどみんなは受け入れないでしょって

反原発ヒロシマナガサキアインシュタインを許さないのか

何万人か死んだ原因をつくったとしても悪いだけじゃないって思える部分があれば

受け入れる人もでてきたり世間的に反対派のほうをすくなくすることもできるんじゃないって

その上で論文の成果が大きな罪になるからなんでもかんでも死んで償えっていうの?

そういうんだったらそうなんだろうけど

2015-08-28

はてなーに多い自傷承認欲求

http://anond.hatelabo.jp/20150828082752

「お勉強は出来たけど仕事ができない」

というのを自分で言ってそれが辛い、とのこと。



一般では良く「東大生は使えない」だの、「お勉強だけしてきた人間は機転が効かないし仕事には意味が無い」と言う事が言われる。

これにはいくつか理由があると思うが、

  • 単なるアホのヤッカミ(これが殆ど)。
  • アホの集団みたいな会社に来る、高学歴大学に入ったもの落ちこぼれ馬鹿を観察した結果。(観察する奴はアホなので、「高学歴」全体の事とかそんなことは考えられない。そもそも他に高学歴の知り合いが出来ないので比べようもない)
  • 普通に優秀な高学歴を大量に見てても無視し、中に一人でもアホな奴が居た場合に強く印象を受ける(印象を受けてる側はヤッカミとかでもなく、素直にそう思ってる。なぜならアホだから自分無視してることすら気付かない。)

とかだろう。

まあ、だから実際そういう人間は居るけど必要十分条件ではないわけで。



で、まあそれは余り今回関係ない話なんだが、一方、はてなーには何故かこれを自称する人間が多い。

「俺は勉強は出来た、今の仕事が出来ないのは環境が悪いだけだ」みたいな、周りのせいにして結局何も出来ない高学歴、ってのも中には居るし前ははてなーでも

そういうのが多かった気がする。

だけど、ここ最近は逆に、それを認める様な形で、自分ダメ人間なんだ、周りはそれに気づいてくれ、と言う様な増田ブログが多い気がする。




これは、ADHDアスペルガー自称してる人たちにも同じ傾向が有るように思う。

昔はそのような人たちは全てまわりのせいにし、今の世の中が自分たちに合わせないのが悪い、たまたま自分たちマイノリティーなだけで

マジョリティーな人間は単にマジョリティーなだけで得してる、と言った主張が多かった。



今でもそのような主張はよくあるが、はてなー界隈だと、逆に自分ダメなんです、それを分かってください、辛いんです、と言った内容を赤裸々に書いてる風なのが見える様になってきた。

高学歴辛い、と一緒の感じ。


ただ、これらに共通する別の項目として、裏に隠れた自尊心が強く見える所がある。

まあ、そもそもそれがなければブログなりWebに公開で書いたりしない。

上の増田場合には自分がどれだけ高学歴でどれだけ試験とかが出来るか、を只管主張している。

書類上」は優秀な社員かもしれない、とまで自分で言ってる。

ADHDアスペルガーを主張する人たちもこの様に、この方面では人より優れているのだが、みたいな話をしたり、それでも何も無い人間

アインシュタインなど、過去偉人もこの様な病気だったのだが、みたいな、意味の分からない自分も優秀な人間の一部なのだが、と言う主張をしてくる。




この様に実は「俺は実は優秀なのに!」「周りが悪いだけだ!」と思ってる人間は思った以上に沢山居る。

というか、多かれ少なかれ誰もがそう言った事は思ってるだろう。

からこそ簡単に共感を呼ぶし、逆に「自分だけ」を強く主張する人間に対しては激しく叩く様になるのだろう。


この様な事を書いてWebに公開する、と言う人間は、お前は出来る人間だ、と言われたい、持ってる本来能力を認めて欲しい、

という欲求から

その思いを素直に強くぶつけると簡単に叩かれるし逆に凹んでしまう、ということが鮮明になってきている。



から、今は自分弱者にして共感を呼び慰め、及び励ましの言葉をもらうようなものが増えたのだろう。

共感」の中にはさら共感コメント中で自分を主張してくる人間も出てくる。



だが、この様な事を書いてる人間別に共感や慰め、励ましの言葉が欲しいわけではない。

「お前は出来る人間だ」「他に行けば出来るに違いない」「たまたま悪い所にいってしまったね、ほんとは凄い人なのに」

の様に、「実は凄い人だ」と褒めてもらいたいだけ、崇めてもらいたいだけ。

何故なら「自分は人とは違う凄い人間だ」と言うのが根底にあるので、

共感なんて要らない(お前は俺と同じレベルじゃないだろ、と)、慰めや励ましの様な上から目線は要らない、

というかそれらはすべて逆にムカつく対象だろう。


そういう意味ではこのような手法もそのうちあまりみなくなるのかな?

次の承認欲求方法はどのようなものだろうか?

2015-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20150813065652

再現性とかの話じゃなくてさw

「力任せにしらみつぶしにやれば絶対結果出る」って分野がたくさんあるから、それをやってるのが大勢科学者

将棋の定跡とかでも、とりあえず素人でもやれば結果でるだろ?そのレベルなんですわ。

PCRっていう遺伝子増幅法が確立されたら、じゃあ、ひたすら遺伝子解析でいくらでも結果でるじゃん、とかそういうレベル。これが知的労働とは言いがたい。

昔みたいに、アインシュタインニュートンや、数学みたいな綺麗なものは5%くらいじゃないの?95%は、結果だけでるし、社会にも役立つし、IFも取れるけど、誰がやっても同じような研究ばかり。個性が無い。

2015-07-25

[]南部先生がなぜ偉大だったか

素粒子理論神様

素粒子世界では教授学生もなく物理の前で対等である

先生」と呼ぶと嫌がられる。場合によっては怒られる。

「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。

こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在南部陽一郎先生だった。

南部先生素粒子理論における神様のような人だった。

理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子

もとを辿るとみんな南部先生に行き着く。

漫画家で言うと手塚治虫である

偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。

それが南部先生だ。


南部は10年先を行く


南部は10年先を行く」

南部先生を評してよく使われる言葉だ。

南部先生研究は往々にして当時の人々には理解されなかった。

そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。

例えば「南部-後藤の弦(1970年)」。[注1]

今日でいう「ひも理論(弦理論)」である

当時ハドロン理論として提唱されたそうだが

現在では究極理論の候補である

例えば「南部-ヨナラシニオ模型1961年)」。

今日では量子色力学の簡易模型 [注2]として使われているが

量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である

いったいなぜ、その時代に、その論文存在しているのか?

まったく僕には理解ができない。

南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわか言葉で説明したような」研究なのだ

南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。

南部先生ノーベル賞

2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。

ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。

あの様子は例えるなら

藤子不二雄手塚治虫講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」

といったところだった。

受賞時にアナウンサーの1人が

「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。

それを見ていた人たちは怒った。

ノーベル賞を取ったから凄いのではない。

小林さん・益川さんが凄いのだ。

南部先生もっと凄いのだ。

当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど

まりうまく伝わっていなかったように思う。

ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。

でも、南部さんの名前理論は400年後も残るだろう。

アインシュタイン相対論ノーベル賞を受賞していないが

アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。

最後

この増田過去投稿を改変した物です。

南部先生訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。

本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・

この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら

それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。

南部先生のご冥福をお祈り致します。


参考・脚注

http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf

模型提唱
Y.Nambu, unpublished Lecture (1970)

日経サイエンス 記事ダウンロード - 編集部のお薦め

2015-07-18

南部さんが亡くなってしまった

素粒子理論神様

素粒子世界では教授学生もなく物理の前で対等である

先生」と呼ぶと嫌がられる。場合によっては怒られる。

「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。

こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在南部さんだった。

南部さんは素粒子理論における神様のような方だ。

理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子

もとを辿るとみんな南部先生に行き着く。

漫画家で言うと手塚治虫だ。

南部さんは控えめな方だと知られていた。

自分発見であってもそれを決して主張されない方だったそうだ。

そして南部さんの理論は往々にして理解されず、10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。

ベーテ・サルピータ方程式はその何年も前に南部さんが発表していたことが「発見」された。

自発的対称性の破れ南部ゴールドストーンボゾンは今日日あらゆる物理分野に顔を出す。

ハドロンのために創られた弦理論現在ではTheory of everything 候補だ。

理論の形を変えてもその研究は常に本質を突いていた。


"南部10年先を行く"


南部さんは生きながらにして素粒子理論神様になった。

ノーベル賞

2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。

ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。あれは例えるなら

藤子不二雄手塚治虫講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」

ようなものだった。

受賞時にアナウンサーの1人が

「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。

それを見ていた人たちは怒った。

ノーベル賞を取ったから凄いのではない。

小林さん・益川さんが凄いのだ。

南部先生もっと凄いのだ。

当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど

まりうまく伝わっていなかったように思う。

ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。

でも、南部さんの名前理論は400年後も残るだろう。

アインシュタイン相対論ノーベル賞を受賞していないが

僕らがアインシュタインの名も相対論も忘れる事はないように。

 

僕たちの生きた同じ時代に、南部さんが生きていた。

それは奇跡のような事なのに、知らない人がいるのはもったいないと思った。

ノーベル賞顛末を見る限り、南部さんの死はあまり大きく報道されないのかもしれない。

から増田で誰かと語りたい、誰かが語るのを聞きたいと思った。

南部さんが亡くなってしまった。

ただ、ただ、悲しい。

南部さんは高齢になられても、たまに阪大付近研究会に現れては

本質を突いた質問コメントをされていたそうだ。

僕は一度もお会いできないままだった。今は後悔しかない。

僕に南部さんについて語れる事は何もないから、誰かの話を聞きたい。

2015-07-11

憲法学者安倍首相感謝するべき

仮に憲法学学問の名に値し、科学的な態度を尊ぶならば、安保法制違憲と唱える憲法学者安倍首相感謝するべきだろう。

科学においては理論と観察された事実の二つが重要だ。

実験観測で得られた「観察された事実」を説明するのが「理論」。

現在、受け入れられている理論定説・通説)で説明できない事象が観察されたとき、それは学問が発展する大きな機会だ。

惑星の動きを説明するために天動説が唱えられていて長い間人々はそれに疑問を持たなかった。

ガリレオ地動説によればより簡単な理論惑星の運行は説明できたが、その精度は天動説の周転円による理論と同じだった。

だが、ティコ・ブラーエにより観測された火星の運行を天動説の周転円理論で説明するのは困難を極めた。

そしてケプラーは、惑星の運行は惑星太陽のまわりの楕円をたどるとする新たな世代地動説を唱えた。

さらニュートン万有引力法則を導入し、これに数学根拠を与えた。これが新たな世代理論となった。

さら時代を下ると、地球の自転する方向である東西方向と南北方向で光速度が同じになることが発見された。

これは物体の運動速度には加法(足し算)が成り立つとするニュートン力学の前提を揺るがす観察だった。

これを説明する新たな世代理論アインシュタイン特殊相対性理論だった。

さて、憲法学者たちが今日、持っている理論安保法制合憲性を証明できないとしよう。

しかし、安保法制自体現実政治のなかで必要であるし(そのことは民主党すらも類似の法案を対案として出さざるを得なかったことで分かる)、成立の暁に最高裁に100回持ち込まれても100回合憲判決が出るであろう。

これが「観測された事実である

今後、現実政治制度のなかで安保法制合憲合法のものとして扱われることになるのだが、それを現在憲法学理論は説明できないことになる。

すばらしいことではないか。

おめでとう。安保法制違憲論の憲法学者諸君

君らは今次の安保法制合憲性を説明する新理論構築という新たな大事業に取り組むことができる。

憲法学は現状を追認するだけのつまら学問もどきだという烙印世間から押されることになるかもしれない。

しかしそれは憲法とは何か、憲法がなんのためにあるかを考えるふりをして実は考えてこなかった報いだ。

甘んじて受けてほしい。

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