2015-07-18

南部さんが亡くなってしまった

素粒子理論神様

素粒子世界では教授学生もなく物理の前で対等である

先生」と呼ぶと嫌がられる。場合によっては怒られる。

「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。

こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在南部さんだった。

南部さんは素粒子理論における神様のような方だ。

理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子

もとを辿るとみんな南部先生に行き着く。

漫画家で言うと手塚治虫だ。

南部さんは控えめな方だと知られていた。

自分発見であってもそれを決して主張されない方だったそうだ。

そして南部さんの理論は往々にして理解されず、10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。

ベーテ・サルピータ方程式はその何年も前に南部さんが発表していたことが「発見」された。

自発的対称性の破れ南部ゴールドストーンボゾンは今日日あらゆる物理分野に顔を出す。

ハドロンのために創られた弦理論現在ではTheory of everything 候補だ。

理論の形を変えてもその研究は常に本質を突いていた。


"南部10年先を行く"


南部さんは生きながらにして素粒子理論神様になった。

ノーベル賞

2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。

ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。あれは例えるなら

藤子不二雄手塚治虫講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」

ようなものだった。

受賞時にアナウンサーの1人が

「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。

それを見ていた人たちは怒った。

ノーベル賞を取ったから凄いのではない。

小林さん・益川さんが凄いのだ。

南部先生もっと凄いのだ。

当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど

まりうまく伝わっていなかったように思う。

ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。

でも、南部さんの名前理論は400年後も残るだろう。

アインシュタイン相対論ノーベル賞を受賞していないが

僕らがアインシュタインの名も相対論も忘れる事はないように。

 

僕たちの生きた同じ時代に、南部さんが生きていた。

それは奇跡のような事なのに、知らない人がいるのはもったいないと思った。

ノーベル賞顛末を見る限り、南部さんの死はあまり大きく報道されないのかもしれない。

から増田で誰かと語りたい、誰かが語るのを聞きたいと思った。

南部さんが亡くなってしまった。

ただ、ただ、悲しい。

南部さんは高齢になられても、たまに阪大付近研究会に現れては

本質を突いた質問コメントをされていたそうだ。

僕は一度もお会いできないままだった。今は後悔しかない。

僕に南部さんについて語れる事は何もないから、誰かの話を聞きたい。

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